とはいえ

After EffectsでCSVの読み込みができるようになって、タイムシートも工夫次第で‥‥とか、前回書きましたが、実は私自身としては、結構‥‥いや、かなり冷めておりまして、それはなぜかというと、もはやタイムシート以前に「原画動画」「撮影」という作業システムの終焉をひしひしと感じているからです。

 

前回のCSVのテストは、「外部からキーフレーム(相当)として活用できる何か」として、手っ取り早くタイムシートで試してみただけで、タイムシートの仕組みを今後もどんどん活用しようというわけではないです。アニメ業界の内部だけで活動していると、今も昔も、絵コンテや演出がどうだ、原画や動画がどうだ、仕上げや美術がどうだ、撮影が‥‥という話で毎日が変わらぬループのまま過ぎていきますが、ちょっと外に目を向けたり別分野の人々と交流すれば、「ものつくり」の技術自体がどんどん先へ先へと進み続けており、やがてアニメ業界意識との決定的な齟齬が生じるであろうことを実感します。

 

以前、今のアニメ業界を1945年の終戦間際に例えるツイートを見たことがあります。「上の人間は末期的な無茶ばかりを繰り返す」のが、敗戦寸前の軍部・大本営のようだ‥‥と。

 

しかし、実は末端の人間たちも、1945年をトレースしています。どう考えたって、竹槍やバケツリレーで大空襲や本土決戦を防衛できるわけもないのに、「それが今自分たちにできることだから」と状況に付き従うばかり。そして「新型爆弾」が投下されてわずか1週間〜10日後に「無条件降伏」という顛末を受け入れるだけです。そしてさらのその次は、「戦後裁判の戦犯探し」‥‥でしょうか。

 

前にも書きましたが、先の大戦と違って、アニメ業界に在籍する人間は、今までのアニメ業界のしきたりや方式に従わなければ「非国民」「反逆罪」に問われることはないのです。そのへんは国家の戦争とは大きく違うのに、なぜ、まるで国家に監視され束縛されるように、業界のしきたりを踏襲するだけに留まるんでしょうかね?

 

2020年以降もアニメを作り続けられる技術を再発明しましょう。今までの技術では、やがて社会についていけなくなります。‥‥それは映像技術的な面でなく、労働基準的な面でも。

 

 

今だにCS5.5やCS6を組織的に使い続けているアニメの制作集団は存在するようですが、それこそ、終戦まで零戦を使い続けてカミカゼ「体当たり自爆攻撃」をしていた戦争末期そのものです‥‥よネ。

 

ちなみに、随分前から‥‥

 

 

‥‥なのです。After EffectsやPhotoshopを使い続けたいのなら、CCの2018です。アップデートをし忘れているのならともかく、CS6やCC2013のままで、今後も制作を続けられるほど、世界の情勢は甘くないです。After EffectsやPhotoshopそのものが、気鋭の新ソフトウェアに存在を脅かされることすらありましょう。

 

ハードウェアやソフトウェアにかかるコストの概念自体を一新して体制を組み直す必要があるのに、ずっと誤魔化し続けて避け続けて、現在に至ってしまった‥‥のなら、相当ヤバいです。どうしても逃れられない大津波の到来は予測できているのに、堤防なしで低地の海岸線で仕事を続けるようなものです。

 

ライセンスのシリアル番号を買ったら、ずっとソレを使い続けて作業し続ける‥‥なんていう時代ではなく、ソフトウェアを使ってモノを作り続ける以上は、環境コストを定期的に支払い続ける‥‥という、作り手側とハードとソフトの共存関係=共栄圏が必要な時代なのです。

 

 

絶対にマズい、このままじゃ立ち行かない、限界だ‥‥と解っているのに、無策のままで毎日をループする‥‥というのは、上も下も関係なく、旧体制に依存する全員に言えることです。

 

でっかい「起死回生」プロジェクトを立ち上げる必要なんてないのです。むしろ、そういうのは失敗しますし、でっかいプロジェクト=決戦思想は、劣勢に陥った集団が実践すべきものではないと感じます。決戦兵器という考え方時点で既に敗北です。

 

でっかいプロジェクト=「大攻勢」は優勢に転じた新勢力がたたみかけるようにして実践するものであって、追い詰められた集団には、追い詰められたなりの方法があります。1940年フランス戦でのアルデンヌと1944年のアルデンヌ攻勢の違いを認識すると同時に、北爆でベトナムを屈服させられなかった(=和平に持ち込むので精一杯)ベトナム戦争の歴史も思い出しましょう。

 

プロジェクトを博打や賭けにしたら、その時点で負けです。プロジェクトは確実に勝つために合理的に実践するもののみ‥‥です。

 

身の丈で、新しいことを、こまめにあきらめずに、どんどん実践して経験として蓄え、レゴブロックのように状況を積み重ねていく。‥‥劣勢に陥った制作技術集団のすべきことは、まさにソレだと、少なくとも私は思います。

 

「でもじゃあ、どうやればいいんだよ」なんて言わずに、自分たちで考えましょう。ネットを漁っても解りやすい打開策は転がってないですし、秘策をネットで安直に公開する人なんていないのです。

 

自分たちだけが、自分たちの未来を切り拓ける‥‥と私は思います。「誰か助けて」ではなくてネ。

 

 

 

まあ、与えられた仕事をこなしていれば、それが成果と評価になり得た平静な時代もありましょう。でも少なくともアニメ制作の未来は、これから激動の時代を迎え、困難を乗り越えた者たちだけが、平静を手にできると思っています。

 

 


昔と未来の長話

アニメーターの低賃金の話題は事欠きません。最近も「アニメ業界を辞め時」云々のツイートや取材記事がありました。

 

そうした記事は、私が20年以上‥‥いや、30年前にハッキリと認識した状況を、代弁しているかのような内容です。ネットのインタビュー記事で書かれている「制作構造に問題がある」との指摘も、全く異論なく同意です。30年前の当時、フリーアニメーターだった私は、作品の要求内容に応えようとすればするほど、まさに、どんどん貧乏になっていく生活を体験しました。‥‥体験とか言うとライトな感じですが、インフラまで止まるような生活は今思えば破綻そのもの‥‥でした。

 

特に私はメカ・エフェクト系の作画を得意として引き受けていたので、カット内容は大変なのが普通ですし、いざとなればクオリティは二の次にされる(=スケジュールがない場合、キャラのカットの品質を優先する)‥‥と、日々、ココロに闇が出来ない人のほうが異常と言っても言い過ぎではないです。

 

じゃあ、なぜ、私が潰れずに生き残ったのか‥‥は、私がダメになりそうな場面で、作品制作で起用してくれた監督さんやプロデューサーさんの存在、そしてMacintoshとPhotoshopの出現でした。

 

ここで「コネで生き残れたのか」と咄嗟に思う人は、実は何もわかっていない人です。おそらく、会社勤めだけでフリーランスの経験などないのでしょうネ。「コネ」なんて単なる「出番待ちの繰り上げ」くらいのことで、潜在能力や実力がなかったらコネがいくらあっても先には繋がりません。監督さんやプロデューサーさんが、この人に仕事を頼もう‥‥と思うきっかけは、その人に「何かある」「何かできる」と直感するからです。年功序列や会社組織の都合ではないです。

 

そして、自分の能力を飛躍的に拡張する道具との出会いは、セレンディピティと言っても言い過ぎではない‥‥とも思います。

 

 

私はフィルム時代から「自分の作ってみたい映像」のイメージボードを仕事絡みでも自費でも描いていましたが、その時は一眼レフカメラ(=もちろん自前)をコピースタンド(これも自前)に装着し、水彩で描いたイメージボードをフィルム撮影して現像してプリント(これも自前)して、仕事仲間や監督・演出さんに見せていました。

 

普通に考えて、そのカメラ代、現像代を、全部生活費に回せば、多少は生活を持ち直せたかも知れませんが、正直、「焼け石に水」だと思っていました。なんとか切り詰めて捻出した水を、焼け石に振りかけたところで、冷えるわけがなく、どうせなけなしの水を使うのなら、未来に繋がるようなこと、夢を実現できそうなことに使おうと思っていました。

 

焼け石にわずかな水を垂らすよりも、自分の見つけた1つぶの種を土に埋めて、そこに水を垂らすほうを、選択したのです。

 

でも、どんどん追い詰められていきました。極端な時は、電気水道ガス電話、全てが未払いで止まったことすらありました。

 

そんな中、貧乏を共に歩んできたような間柄の監督さんが、制作会社のMac(7100くらいだったと思う)でPhotoshopをいじらせてくれました。私の写真ボード(=イメージボードをフィルム撮影してプリントしたもの)をスキャンしてくれていて、「江面くんのボードをPhotoshopで見ると、こんな感じだよ」とMacとPhotoshopで触らせてくれたのです。

 

イジってすぐに、「トーンカーブだけでも色々な仕事ができる」と思いました。私がゼラチンフィルタ(カラーフィルタ)や軟焦点フィルタでEOS100で撮影していた内容がいとも簡単にPhotoshopで実現できるばかりか、それ以上のことが山ほど可能になるであろうことに、「これならいける」と未来を確信しました。1994〜95年くらいのことです。

 

MacOS(当時は漢字Talk)のことは全くわかりませんでしたが、Photoshopの操作内容は、絵具やカメラでやっていたことを移し替えれば良いだけでしたから、すぐに馴染みました。

 

おそらく、私が原画だけを描くタイプのアニメーターだったら、Photoshopをイジらせてもらうような事もなかったでしょう。原画の作業が終わって帰宅した後に、日本画水彩(という絵具がお気に入りでした)で着彩したボードを描き、「生のPhotoshop」みたいなことをして撮影&現像プリントし‥‥ということを、諦めずに続けていたことが、セレンディピティ的な出会いを生み出したと実感します。

 

もしかしたら、Mac&Photoshopとの出会いが1年遅かったら、手遅れだったかも知れない‥‥とすら思える、ギリギリの状態でした。

 

 

 

では、すべての人にセレンディピティは起こり得るのか?

 

多分、起こり得ません。与えられた仕事をこなし続けるだけでは、可能性の範囲も広がらず、「偶然のような必然」が範囲に入ってこない=網にかからないからです。

 

じゃあ、突飛な行動すれば良いのか? 多分、それも不正解です。あくまで、自分の能力をエクスパンド(拡張)する新機軸を実践することが求められます。

 

なぜかというと、突飛なことをしても、その出来栄えがよくなければ、周囲の人々の琴線が共振しないからです。自分の得意分野や、過去に手応えがあったことを、アニメの作画作業とは「別枠」「別手段」で実行し、周りの同意や共感を呼ぶことが重要です。独りよがりじゃダメなんです。

 

人の繋がりは重要ですが、コネだけで生きていけるほど、技術系・技能系の仕事は甘くありません。「コネ」の役割は、自分の能力を周囲に知ってもらうだけの一時優先機能に過ぎません。能力の低い人がコネで繋がっても、その繋がりはあっけなく切れます。

 

捉えどころがない話‥‥だとは思いますが、要は計算し過ぎてもダメで、計算しなさ過ぎてもダメなのです。他の言い方をすれば、必然性を高める行動と、偶然性を高める行動の、2つが同時に必要‥‥とも言えます。

 

で、多くの人は、必然性と偶然性のどちらも高めようとはしない=日々の仕事を終わらせればそれで良いと思っているので、状況を変える幸運な何かには出会えず、業界の趨勢に呑み込まれていくばかりです。

 

 

 

では作画作業の未来、アニメーターの未来はどうか?

 

私は今までの「作画の仕事」だけでは無理だと考えています。どう考えても、効率が悪いです。

 

あくまで私の考えやビジョン‥‥ですが、アニメ作品のアニメーターの定義は、いったん、ゼロにバラして、「絵を描いて、動かす人」という原理に戻って、再構築すべきです。昔の流儀を継承したら、おそらくお金の流儀も継承して、貧乏も継承するでしょう。

 

「デジタル作画」は、すなわち、今までの作画作業を、ペンタブに置き換えた内容ですが、単に道具やシステムの移行であって、作画作業における根本的な構造悪をなんら解決していません。ゆえに、「デジタル作画」に移行しても、労働的な明るい未来は訪れないと、私は考えます。

 

「そんなことはない。デジタル作画に移行することで、作業効率もアップし、報酬の問題を解決できる。」と考える人も多いでしょう。全員を社員として雇用するか拘束制にして、単価制を廃止すれば、カット毎の内容の格差も払拭できる‥‥と。

 

でも、その運用の試算って、あくまで2K8fpsSDRの話‥‥ですよネ。未来の高品質映像フォーマットに対応することは、ほとんど何も計算に入れてないでしょ。今のアニメが「それでも何とかなっている」のは、2K(実質は1.2〜1.5K)で3コマうち=8fpsだからです。

 

アニメの現場が、たとえ「デジタル作画」で多少効率化できても、新しい映像フォーマットに対応しようとした途端に破綻します。社員雇用、もしくは拘束料金で作画作業を依頼しても、新しい高品質対応にしたら、カットUP数/時は確実に下がります。一方で、その下がった効率を相殺できるほど、制作費は上がらないでしょう。

 

確実に未来の映像フォーマットは高品質化します。過去の技術進化の歴史を振り返れば、永久停止したことも、先祖返りしたこともないのですから。

 

つまり、アニメの2K24p基準(実質は1.5K 8fps)が世間的に時代遅れになるのは確定している‥‥と言っても過言ではないでしょう。

 

ですから、アニメーターいち個人としては、旧来意識の「デジタル作画」にも当座は対応しつつ、「絵を動かす」という本質に戻って、その本質から派生する「新しい」作業で仕事を得ていく必要があるでしょう。原画と動画の作業段取りだけがアニメの全てではないことを、思い出すべきです。これだけ酷い目にあってきた旧来の原動画システムに、まだ忠誠を誓う必要、あるんでしょうかネ?

 

 

 

私らの進める新しいアニメーション技術は、4K60pHDRが基本です。「何コマうち」なんていう旧来の枚数稼ぎの手法は根本的に必要ありません。「何コマ止め」という意図したポスタリゼーションは作画技術として使うことがあっても、エコノミー目的の2コマ3コマ作画は無用です。

 

未来に必要なのは、原画&動画の枚数節約テクニックでもなければ、フィルム時代の美学でもないです。あくまで、4K以上の高密度画素のキャンバスで、24コマフルモーション以上の動きを駆使し、HDRの美麗な色彩で彩る、新しく美しい世界の価値観と認識です。

 

4K60pHDRで何を作ったら良いかわからないのなら、未来に進むのは諦めて、過去の世界で生きる術を探しましょう。文字に踊らされる事ほど、愚かなことはないです。

 

アニメだって、映画やテレビ放送など近代技術を味方にして出現した時に、それまで存在した子供向けの娯楽を散々駆逐して台頭したわけでしょ? ‥‥で、今度は新しい技術ムーブメントに同じことをされる番‥‥というわけです。

 

何の意識変化もなく、キャンバスサイズを3840に設定したところで、未来のアニメーション像は見えはしません。

 

「そうか。アニメーターって、絵を動かす職業だったよな」と原点に戻って、そこから仕事を創出していく意識があってこそ、未来のアニメーション像も浮かび上がって来ます。

 

 

 

今までの方式や慣習を継承する以上、アニメ制作は逆風ばかりで、未来はもっと強風となるでしょう。でも、私は逆風を文字通り「逆手」にとって、一方では新しい技術を新しい味方につけて、一層、アニメの可能性を広げていこうと思います。

 

セレンディピティ‥‥なんて言葉、実はあまりホイホイ使いたくはないのですが、実感として、これから先の数年は、10年前の「レッドオーシャン化」とはケタが違う、20〜30年規模の大転換期ですから、セレンディピティ的な何かと遭遇しなければ乗り越えられないように思うのです。

 

 

私が昔から好きなワッツの絵画があります。両目は光を失い、竪琴はいまや弦1本だけ切れずに残っています。これは死の寸前の「絶望」でしょうか。それとも、全てを失う中でみつけた「希望」?

 

絵画で描かれる女性の、耳を弦にあてて、微かな響きを聴き取ろうとする姿は、私を勇気づけてきました。女性の表情は、悲しげというよりは、「何か」を感じ取った表情‥‥にすら思えます。

 

ありきたりな美談でまとめられるはずもないです。ただ、福音は、音を聴こうとする者だけにしか聴こえない‥‥のは、経験上からも確かなことだと思っています。

 


昔話と今と

私が小学生の頃、全国的に流行った宇宙戦争アニメの劇場版がありました。特定の作品はあーだこーだ言わない主義ですが、もう40年も前の話だからいいよネ。

 

で、その特集本「ロマンアルバム」を今になって読むと、子供の頃にはわからなかったことが、業界で仕事するようになると「しみじみ」わかるようになります。

 

特に驚くのがスケジュール。

 

3月後半にコンテUP。4月から作画開始。ふむふむ。

 

8月全国ロードショー。

 

ぎゃふん。

 

 

‥‥なんだ。この頃=1978年から、こうだった‥‥のか。

 

この頃は当然、紙の作画、紙の背景、セル用紙とセル絵具のペイント、フィルム撮影(=つまり現像プロセスが必須)とフィルム編集です。上映フィルムを上映館分複製して全国に届ける手間もあります。今より、格段に時間はかかったはずです。

 

とは言え、ロードショーまで3ヶ月しかない制作期間。かなり、「スケジュールのつじつま合わせ」に苦労したはずです。線の多い宇宙戦艦はもちろん3DCGではなく手描きと手塗りです。

 

全ての作品が「そうだった」わけじゃないと思います。しかし、40年も前から「そうだった」作品が存在したことは、皮肉にも作品の素晴らしさを伝える役割の特集本・ムック本で今に伝わっています。

 

まあ、普通に考えて、3ヶ月で劇場アニメがまともに作れるわけないよネ。では何が犠牲になっているかというと、品質です。現在のチェック基準だと、半分はリテークになると思いますヨ。振り向いた後でクチパクだけ残して宙に浮いてるし、セリフのシートミスでキャラは挙動不審な動きになってるし、今だと何が何でも絶対に直すリテークがそのまま劇場に流れています。

 

1978年の家庭用録画機も円盤再生装置もない昔だから許された品質と言えましょう。‥‥2018年の今は、DVDやブルーレイになって、リテークすべき内容がつぶさに見えちゃいますけどネ。

*家庭用録画機は、1978年でもかろうじて存在していたと思いますが、相当珍しい(=高価)な家電でした。

 

毒色の駄菓子、不衛生な繁華街、通学路に貼ってあるポルノ映画のポスター‥‥と、雑な時代の雑な基準は、現代では通用しません。

 

しかし、アニメ制作のスケジュールは、40年経った今も同じか、それ以下です。

 

40年前とは比べものにならないほど、複雑になったキャラを丁寧に仕上げるのですから、「デジタル」で絵具の乾燥時間が消滅したところで、相殺できるどころか、どんどん辛くなっています。

 

作画を実際にやってみれば、わかりますよネ。ちゃんと描こうとすると、いまどきのいキャラの顔を描くのにどれだけ時間がかかるか‥‥が。

 

 

 

しかし、品質の基準を昭和40年代、1970年代に戻すわけにはいかないのが、2018年の現実です。

 

だったら、2018年なり、2020年代なりの、新しい方法を作り上げなきゃダメですよネ。

 

複雑なキャラを何千枚も描いてて、「苦しい」「お金が稼げない」なんて、当たり前なんですヨ。4Kになったら、もっと苦しくなるのは目に見えますよネ。

 

でも、皆が皆、ミッフィみたいなキャラでアニメを作るわけにはいかんでしょ。日本のアニメがなぜ世界で評判になったのか、ちょっと考えれば、「複雑絵柄路線」からは逃れられないのはお判りのはず。

 

ディテールを描写した線の多い絵柄で、4K60p、8K120pの未来を切り拓くのは、決して今までの延長線上の制作技術ではないです。ごく普通に、理屈で考えればわかることです。

 

 

 

少なくとも私の年齢で持ち得る記憶で言えば、アニメ業界の根本的な問題は改善されることなく、今まで踏襲され続けてきただけでなく、悪化の一途を辿っています。どんな業界団体が存在しようと、根本的に何も変えられなかったのは、事実として潔く受け止めるべきでしょう。

 

「ここままじゃいけない」「何とかなるといいですね」と何万回ツイートしたところで、状況は何も変わらないことも、ツイッターが登場してから今までの経緯で証明しています。

 

結局、自分たちの現場を、自分たちで変えていくしかないのです。他人の現場なんて変えられないですよ。ましてや業界全体なんて。

 

「うまくいかなかった」ことを何度も繰り返すよりも、「うまくいきそうなこと」を新しく始めた方が良いんじゃないですかネ。

 

 


外からじゃわからないから

アニメ作品に対して「XXXの出来はイマイチ」「XXXは、OOOと***を足して2で割ったような作品だ」「今回のXXXはひでーな」みたいなのをツイッターとかでカジュアルに呟いちゃうのって、ファンなら全然構わないけど、同業のプロの人間がソレをするのは中々ビミョーだと思います。実名で名指しで‥‥はネ。

 

実際、映像を見て、スタッフクレジットを見れば、大体のことは察しますが、どんなことが実際に起こったかまでは想像の域を脱しませんし、さらには、明日は我が身かも知れません。

 

忖度しまくれ!‥‥とは思いませんが、自分の過去の辛い体験に照らし合わせれば、同じようなことがおこったであろう作品やスタッフを、実名を挙げて、ライト感覚で嘲笑する気にはなれないです。たとえ、それが軽いノリの軽い言葉であっても。

 

例えば、作画崩壊はどうすれば防げるのか、なぜ、そうなったのかを、思考したり議論するのはアリだと思います。プロの現場の問題としてネ。

 

でも、実際に作画崩壊を招いた作品そのものを揶揄する気にはなれんわ。

 

 

ツイッターは軽いキモチで発言できるから、内輪の雑談と勘違いする人も多いのかも知れません。しかし、あくまで全世界に公開される「公言」「公式の発言」ですからネ。

 

この先、アニメ業界はどうなっていくんだろう‥‥と思いを馳せることはあっても、「あの作品はイマイチだった」「あの作品は面白くなかった」みたいな素人さんみたいな発言は、少なくとも私は控えるようにしてます。同業のプロとして、そんな発言をする気にはなれないですもん。

 

もし、他人の作品を「面白くなかった」と思ったのなら、自分の作品制作に昇華すれば良いだけですからネ。

 

 


プログラムの入り口としての表計算

昨日、表計算で「COUNTIF」と「SUMIF」を思い違って暫くうんうん悩んでいました。私はスクリプトや開発言語で色々とやってきましたが、実は表計算は必要に応じてのみ使っていたので、板についた感じがまだ無いのです。表計算を使いこなせるようになると、面倒な計算と集計が綺麗さっぱり正確に導き出せるので、覚えて損はないですネ。

 

現在、アニメ業界の20代の若い人が、単にソフトウェアの使い方や機能を覚えるだけでなく、自分で「プログラム的な」ことを覚えようとした時、何が「入口」としてふさわしいか。例えば‥‥

 

After Effectsを使っているのなら

→エクスプレッション

 

コンピュータ全般なら

→表計算の関数

 

‥‥のようになるんじゃないスかね。

 

自動処理といっても、Photoshopのアクションではプログラムは一向に覚えられません。ソフトウェアの内部的にはともかく、ユーザ側から見れば、ただ単に操作を記録しているだけに過ぎないですからネ。

 

自分の望む結果を、マウスとキーボードの操作で直に反復作業するのではなく、命令文・スクリプト文を作成して自動処理するのは、コンピュータを使う最大と言っても良い利点です。コンピュータを使って仕事をするのなら「プログラムの基礎知識は常識」にすべきです。

 

では、「自分の常識」にするには、何をどうすれば良いか?‥‥といえば、「日頃から使えば良い」のです。詰め込み暗記ではなく、日常の雑事で表計算を使えば、自分の欲する結果をプログラム的スタンスで得る方法を学べるし、日頃のちょっとした集計の計算も間違わないし、表計算ソフトを使いこなせるようにもなるしで、一石二鳥、三鳥です。

 

例えば、コンポジットの担当カットを振り分ける時に、表計算を用いれば‥‥

 

‥‥のような表が、自動集計機能で作成できます。

 

通し番号は「ROW()」で、カット番号も数字のみの場合は「ROW()」で、条件付き書式(または条件付きハイライトとも)で担当者別に自動で色分け、各担当者の集計は例えば「Aさん」なら「COUNTIF(C$2:C$37,"=A*")」で自動集計、担当カット数の集計は「SUM()」や「SUMIF()」で、カット総数と担当カット数が一致しているかは「IF()」で検証‥‥など、ほとんどを自動処理で集計できます。

 

私はNumbersで作成しましたが、ExcelでもGoogleスプレッドシートでも同じことができます。関数の内容もほぼ一致しているので、Numbersで覚えたことをGoogleスプレッドシートでも活用できます。

 

表計算は表作成ソフトではないです。あくまで、表の中身を計算するソフトですので、関数を使いこなしてナンボです。

 

ExcelもNumbersももってないのなら、ロハ(「ただ」=「只」=無償‥‥というのは少々不適切ですがあえて)のGoogleスプレッドシートを使えば良いですから、コンピュータを使うほとんど全員が使えるはずです。日頃の暗算では面倒な計算を、さっと表計算のSUM()で計算すれば間違いのない結果が得られますし、後々に品目の価格や個数を修正しても計算し直す必要なく、自動で更新されます。

 

 

何よりも有用なのは、「地道に手作業で潰す」概念から解き放たれ、「構造を考えて作る」概念が自分の中に生まれることです。

 

表計算のセルに、1000カットものカット番号を根性で手打ちで書き込んでも、全くもって凄くも偉くも何ともないばかりか、愚かですらあります。1行1カットならば、行番号をうまく活用して、abcカットだけ手打ちにすれば良いのです。

*ちなみに桁を3桁で揃えたい時は「RIGHT(ROW()+1000)」とかにすれば、1001の右3文字だけ抜き取って「001」にしてくれますヨ。

 

以前にも書いたことですが、コンピュータを常用する仕事において、プログラム的発想の頭脳を持つか否かで、色々な意味での貧富の差が変わってきます。時間を貧しく使い捨てることは、すなわち、手にするお金も貧しく捨てている‥‥ということです。

 

その貧しさは、アニメの本質である「絵を描くこと」すら蝕みます。コンピュータをうまく駆使できない人間は、絵を描く時間をコンピュータの雑事に蝕まれ、絵の質が落ちるか、不眠で作業するか、残念な結果を招く‥‥ということです。

 

コンピュータのプログラムなんて「ある程度までは」大したことないです。‥‥だって、覚えりゃ、使えるようになるんだもん。無理だ‥‥と思う人は、「プログラム」という単語のイメージに戦う前から負けているだけです。‥‥日本語を覚えられたのなら、プログラム言語の基礎なんて楽勝ですヨ。

 

覚えないから、使えない。‥‥ただ、それだけです。

 

高度なプログラムを書こうというのなら話は別ですが、日頃の雑事を軽減する程度のプログラムの嗜みは、「身の丈」視点で覚えていくのが良いのでしょう。

 

プログラム習得のきっかけは何が良いのか、昔から色々言われてきましたが、今は無料のGoogleスプレッドシートもあることだし、表計算の関数使いこなしが、ちょうど良い‥‥のかも知れませんネ。

 

 

 


雑感

日本、及び日本人の状況の性質としてよく語られるのは、「上の人間が保守的ゆえに、成功事例ばかり引き合いに出して、新しいことをやらせてくれない」というのがあります。確かに、そうした場面は多いです。

 

しかし‥‥

 

「上の人間が保守的ゆえに、成功事例ばかり引き合いに出して、新しいことをやらせてくれない」

 

ので

 

「無理だと諦めてしまう」

 

のも、日本人の性質なんですよネ。

 

実は、上の人間が保守的で消極的なのと同じくらい、下の人間も妙に従順で消極的なのです。

 

正攻法、正面突破で不可能なら、いくらでも戦法や戦術を変えれば良いのに、そこまではしない人が、日本人にはやけに多いように感じます。

 

思うに、不平を言う人間ほど、不満の言葉だけを延々と繰り返すだけで、別の切り口を考えて自身で実践するところまでは至りません。

 

もし不満点をクールに解析し、何が原因となっているのか構造を解する人なら、不平を言って終わりではなく、何らかの実際のアクションを開始して、新しいメカニズムを起動させて、自分の手の届く周辺から状況を変えているでしょう。

 

 

自分の何倍もあるような大きく高くそびえ立つ石が進路を断ち塞いでいる時、押しても引いても動かず、叩いても全く割れる気配すら見えない‥‥とします。多くの場合、「自分はこの石を超えられない。だから諦めよう。」となりがちです。

 

でも、その大きく高くそびえ立つ石ゆえの相応の重量があることに着目すれば、「石の足元を掘ってしまえば、石はその自重ゆえに、わずかな力を加えるだけで傾いて、バランスを崩して倒れる」ことに気づくかも知れません。大きくそびえ立っていた石も、倒れてしまえば容易に乗り越えられる高さにもなりましょう。

 

この大きな石を目の前から退けよう‥‥とする時に、なぜか皆、石そのものしか見つめません。

 

石そのものを手刀や正拳突きで砕くのは無理でも、神頼みで天の雷が石を砕くことは無理でも、石の足元の土を地道に掘り起こすことは可能です。それこそ、今からでも‥‥です。しかし、多くの人は石そのものしか見ていないので、「なんでアイツは土を掘り起こし始めたんだ? 気でも狂ったのか?」と思うのです。

 

理由もなく、土を掘り起こすわけもないのに、その様子を見て「前例がない」というだけで新しい何かを理解できないのは、実は上の人間だけでなく、真ん中の人間も、下の人間も同じです。頭の固い人間に、上も真ん中も下もないです。

 

逆に、何か方策を探し続けて、自分でも行動したことがある人間なら、上も、真ん中も、下も、分け隔てなく、思わぬ繋がりが得られて、合力することもあるのです。‥‥往々にしてね。

 

 

 

「俺にチャンスさえ与えてくれたら」と思い続けて、いざ、そのチャンスが訪れた時に、どれだけの新機軸や奇想天外のアイデアを実践できるように準備しているでしょうか。どれだけ改革、革新のアイデアを、チャンスの時に実際に実行できるでしょうか。

 

「いや、それは、実際にチャンスの時が来たら、その時に初めて考える」

 

‥‥というのは、笑い話にもほどがあります。

 

 

実は、チャンスや幸運の機会なんて、何度となく目の前に現れているように思います。しかし、あまりにも当人のチャンス&幸運に対する感度が鈍感過ぎるので、何度となく、見過ごして逃している‥‥のかも知れませんネ。

 

どこかの番組で言ってましたが、セレンディピティは「準備した人にしか発見できない」そうですヨ。

 

 

 

 


時代

普通に考えて、アニメ制作現場の作画(背景美術や彩色含む)の手間が凄すぎるから、これ以上の映像フォーマットの品質向上と進化はストップしましょう‥‥なんてことには、ならないですよネ。アニメ現場の、それも、テレビアニメ制作の都合を考えて、時代の技術進化がストップしてくれていたら、今でも世の中はSDでVHSでブラウン管のままでしょう。

 

明らかに、アニメ制作のクオリティ要求は、近年の映像フォーマット高品質化に引きずられて、辛辣なほどに激化しています。

 

でも、世間はアニメ業界の作画の都合に合わせて動いているわけではないです。

 

 

‥‥ですから、ここはひとつ、思い切って、考え方を変えませんか。

 

時代と共に歩む‥‥と。

 

世界の映像技術の進化に歩調を合わせて、アニメの技術も一緒に変えていく‥‥と。

 

 

「あんなにも」細かい絵を、しかも何百何千何万枚も描くなんて、もう無理!‥‥と思う人は私だけではないはずです。キャラの前髪が目に被さっただけで、作業ペースが食われます。

 

しかし、残念ながら、未来の映像フォーマットは、より一層の繊細で美麗な絵を、アニメに要求するでしょう。今はまだマシなほう‥‥かも知れませんよ。

 

 

「そんなの無理じゃん!」‥‥と思うのは、昔の頭と技術でしか考えないからです。

 

時代が進化して、皆がネットワーク端末(スマホとか)を持ち歩く時代なのに、アニメの作り方の基本は1960〜70年代を踏襲したまま‥‥なんて、どう考えても、「そんな都合が通るわけないよ」‥‥です。

 

他の色々な産業は、時代と共に、生き残りをかけて、技術をどんどん更新してきました。

 

なぜ、アニメはいまだに、何千何万枚も根性で描き続ける方法を採り続けるのでしょうか。‥‥ええ、もちろん、分かっていますよ。それ以外の方法が見つからないからです。

 

でも、見つけようとしなかったもの事実‥‥ではないですか?

 

アニメはこうやって作るものだ‥‥と、半ば、洗脳されたかのように、他の思考を捨ててきた事実はありましょう。

 

 

 

世界の時間の流れは、アニメ業界の、しかも作画の都合では、止めることはできません。

 

だったら、何をすべきかは、ちょっと考えれば解るはずです。

 

 

アンティークな技術として、時代に関係なく、技術更新を停止するか

 

世界の技術進化と共に、技術を更新していくか

 

 

‥‥私は後者を選びます。

 

私は小さい頃を思い出します。アニメが時代の寵児だった頃を。

 

アニメは縄文時代から作られていたわけではないのは、もちろん‥‥ですよネ。

 

世界の娯楽産業の技術進化の、まさに申し子だったのです。太古から営まれる、農業や漁業、牧畜、狩猟、衣服住とは全く異なる、「近代社会が産みしもの」です。

 

なのに、たかだか100年も経たない(=日本でのテレビアニメ放送開始)うちに「骨董品」「古美術」「昔の思い出」になるの?

 

なぜ、「アニメが時代性を捨ててどんなに古臭くなっても、みんなはアニメを好きなままでいてくれる」と思えるのでしょうか。忘れ去られた過去の他の娯楽と同じ運命のほうが、私には思い浮かびます。

 

少なくとも、私はイヤです。そんなのは。

 

私はアニメが大好きですからネ。

 

なので、世界の技術と共に、アニメも未来へと歩んでいきたいです。

 

 

私は子供の頃に、ヤマトや999を映画館で見て、「こんな迫力があって楽しくてかっこよく動く絵を、こんなに大画面と大きな音で見れるなんて、今の時代に生まれてよかった」と心底感激しながら観ていました。つまり、アニメ映画やテレビアニメの向こう側に、近代社会の技術力を見ていたのです。

 

そんな「現代社会の技術力の象徴」とも思えたアニメが、2020年を前に、現代技術から遠のく?

 

 

 

「原画マン」「動画マン」「作監」「アニメタ」とか言うだけでなく、「アニメーション技術」の未来を問いましょうよ。

 

必要なのは、昔の冠や役職ではなく、新しいやくどころで活躍して、アニメーションそのものに心血を注げる、新しい作品作りの方法です。

 

 

 

まあ、人それぞれ、考えはありましょう。

 

しかし、世界の時間を止めることだけは、誰にも不可能です。

 

 

 

 

 


行動すべし

「このままじゃマズい」「やがて滅びる」「なんとかしなければ」‥‥という言葉をどんなに繰り返しても、状況は好転もしなければ打開もしません。実際に今、自分自身・自分たちがどのような「未来を切り拓く方法」を実践しているか、それが重要です。

 

「上の人間が悪い」「失策につぐ失策だ」「上層部が考えを変えない」と思っているだけでも、やっぱり、状況は好転しません。

 

上だけでなく、実は、中間も下も、73年前の大戦争での敗北と、同じ構造を奇妙に忠実にトレースしているんですよネ。

 

 

何千枚も枚数を描いて塗って、「一億総特攻」を繰り返していることには目を向けず、前例のある方法や技術だけでアニメを作り続けて、技術基盤や制作構造には全くメスを入れず‥‥では、何が変わろうと言うのか。

 

実は、旧来のツールに深い愛着をもって、どんなに状況が劣勢に傾いても、そのツールから離れないし離さない‥‥のは、中間以下の人間たちなのです。

 

昔取った杵柄なんて、捨ててしまいましょうよ。そんなのにすがっているから、上の人間も下の人間も、昔に引きずられて足を取られて、現代をリアルに切り拓けず、結局は劣勢に追い込まれるんじゃないですかネ。

 

 

過去の未練をバッサリと切り捨てて、どんなに困難であろうと、ゼロからアニメを再発明する‥‥ということが、未来には必要です。

 

 

お話を作れる。絵が描ける。色が塗れる。

 

もう、それで十分じゃないですか。今までの豊富な映像制作経験があるだけで、新しく仕切り直して、未来を切り開く準備はできているのです。

 

話が作れて、絵が描けて、色が塗れる人々が、数人でも集まれば、いくらでも新しい方法は開始できます。今までの方法に固執する理由など全くありません。

 

「もし、新しい方法でうまくいかなかったら‥‥」なんていいっこなしです。そんなことでビビっているうちは、「誰かを悪者にし続ける」だけに終始するでしょう。

 

 

ひとりだって、ふたりだって、新しい技術の開発、制作システムの開発は始められるんですよ。

 

むしろ、みんなで始めようとすると、有象無象、喧々囂々、いつまでたっても始められません。プロジェクトの開始は、ごく少数が良いのです。大勢ではうまくまとまらずに、風呂敷を広げただけで終わりです。

 


 

悪い運命に呑み込まれるのが分かっているのに、どこかの誰かの巨悪のせいにして、自分では何一つ実際の行動はしない。‥‥ただ、呟くだけ。

 

そういう「行動しない人々」が集まれば、実は中ボス・ラスボス以上の巨悪になることも、過去の歴史は教えてくれています。

 

 

73年前と違うのは、自分たちが未来を切り拓く行動は、国家の制限を受けないことです。それだけでも、73年前の大戦争より、ずっと望みがあると、私は思います。

 

なので、私は仲間と共に、10年以上前から行動しています。「国家反逆罪」ならぬ「業界反逆罪」で投獄されることもなく、地道に新技術の開発を進めてきました。そうした行動の数々が、2020年代に照準を合わせて、まるで石膏デッサンで絵がキャンバスの各所から浮かび上がるように、カタチとして見えてきています。

 


今の状況は、今の状況として捉え、別枠、別ラインで、地道に自費で準備を進める。‥‥誰も助けてくれないのなら、自分たちで行動して活路を開くしかないですよネ。他人が手を差し伸べてくれるのは、ある程度カタチになったあとなのですヨ。‥‥だから、まずは行動が必要なのです。

 

「行動しない人々」ではなく、「行動する人々」が集まれば、悪い運命とは真逆のことがおこる‥‥のではないですかね。

 

 

 

 


AI

AIに作家性は期待できるのかな。

 

もしAIが作家性を持ち得ないのだとしたら、AIのできることは、作家性を要求しないフィールドですよネ。

 

 

例えば、流行りのキャラの傾向とかストーリーとかであれば、AI‥‥というか自動処理で作り出すことは可能です。それこそ20数年前のHyperCardですらできたことです。

 

私がスクリプトを覚えたての時に、いくつかの文節を用意しておいて、ある程度のランダム要素(「突飛さ」をあらかじめ用意しておきます)、そして日時(時間帯や季節)に応じて、自動で文章を組み立てるプログラムを作ったことがあります。ネタの仕込みこそ人間ですが、実際の文章の構成はコンピュータ任せなので、「そういう組み合わせで来たか」と、意外に面白みがあって、楽しみましたヨ。

 

現在のAI的なものと違うのは、組み立てに必要な要素やメカニズムがスタティック(静的)であることで、刻々と集計されるデータベースの値に応じて動的に要素やメカニズムを変えるようなことはできませんでした。

 

 

市場の分析とかは、確かにAIと呼ばれるソリューションの得意分野ではありますが、それは人工知能というよりは先進的な処理システムのように思います。

 

知能というからには、作家性・独自性をもって、絵や文を書いてほしいものです。それこそ、AIが100あれば、100の作家性を発揮していただきたい。

 

ですから、人間が、市場の好みに従属して、話の筋がお定まりで、キャラのバランスやパーツもお定まりで‥‥みたいな作品を作っていては、未来は簡単にAIに負けるだろうなとは思います。だって、市場の分析はAIがいかにも得意そうですもんネ。人間は、AIが用いる要素作りに動員される‥‥という皮肉な結果すら予想できます。前例がないと行動できない類いの人間は、未来はあっけなくAIに敗北するのかも知れませんネ。

 

実はAIどうのこうの‥‥ではなく、人間にも突きつけられる命題なんですよネ。「作家性とは何か」‥‥とは。

 

思うに、「個」のもつ劣等感と優越感の禍々しい結晶のようなものが作家性とも言えるでしょうから、そこに向き合えない場合はヒューマンだろうがマシンだろうが、作家性を発揮し得ない=知能と呼ぶには幼い‥‥と、少なくとも私は思っています。

 

しかし、もしかして‥‥

 

我はコンピュータなり

我、処理するゆえに、我、在り

 

‥‥とAIが言い出す日がくるのでしょうか。そして、

 

コンピュータってなんだ

いっそのこと、コンピュータをやめたい

 

‥‥とか悩んだ末に、自らの回路に自ら過電流を流して焼き切る日が来るんでしょうかネ。

 

 

そういう小難しい話はそのくらいにしておいて。

 

私がAIにやって欲しいことの1つは、「CMカット」です。BDレコーダーの録画番組からCMをカットする際に、本編とCMを映像の中身で見分けて、1フレームのズレもなくCMをカットして欲しい。

 

録画データをBDに焼く際、容量が足りない時に、CMをカットするのが面倒でな。

 

本編の流れを映像で見分けて、どんなにCMが本編に似てても、ちゃんとCM=本編以外だとジャッジしてカットする。AIが知能というのであれば、そのくらい、できるはずです。

 

難しいと思われるのは、バラエティ番組の本編の間に、他のバラエティ番組の宣伝が入った時です。どうやって見分けるんでしょうね。人間なら数秒流し見して出演者やスタジオセットの内容で見分けちゃいますけどネ。映像の「雰囲気」を察して、境界を見定める‥‥というのは、今のAIには難しいそうです。

 

 

人間にも絵心のある人やない人、色々いるように、AIが苦手なジャンルではなく、AIの得意な部分を引き出すのが、良いのでしょう。

 

AIって、過大評価も過小評価も禁物だと思っています。考えてみれば、人間に対してだって、過大評価も過小評価も禁物ですわな。

 

 

 


いつの時代も

いつの時代も、後手に回る時って、ディテールが似るんだよなあ‥‥。

 

昔からの方法を踏襲するのにリソース(時間や金や人力)を割いている集団をよそに、新しい方法で開拓地をどんどん広げていく集団もいるわけで。

 

人と集団。‥‥何が命運を分けていくんでしょうね。‥‥やっぱり、人が集まって物事を動かすから、集団のメンツ=人それぞれの性質が絡み合って、決まっていくんでしょうネ。

 

 

命運はギャンブルにあらず。‥‥しかし、命運、自らの運命を、ギャンブルにしてしまう人や集団は、なぜか存在します。

 

ギャンブルで負けが増えて、その負けを取り返そうとして、さらにギャンブルにつぎ込んで、どんどん負けが増えていく。どうしたら勝てるんだ、どうやれば負けを挽回できるんだ‥‥と。

 

‥‥いや、ギャンブルそのものから、まずは抜け出さないと。

 

自分の進む道を、ギャンブルや勝ち負けに託すこと自体が、最初から破綻の構造を呼んでいるわけです。「イチかバチか」の時点で、既に。

 

 

運ではなく、必然を、自分の足場にすれば良いだけです。

 

では、必然とはなにか。「時間は進み続ける」という万物の法は、必然と呼ぶにふさわしいです。

 

今年は2018年、来年は2019年、その次は2020年。粛々と進み続ける時間に、勝ち負けもギャンブル性もないです。

 

 

進み続ける時間の中、新しい技術で何をしたら良いか判らない。‥‥それがまさに「後手」というやつです。

 

判らないから、昔からの方法の再現や踏襲に時間を費やして、費やしただけの達成感だけ得て、さらに後手後手に回っていく悪循環。

 

未来を切り開こうと思っているのに、未来のビジョンそのものが後手思考の「過去のビジョン」‥‥って、矛盾してますよネ。

 

文字でわかっている気になってもダメで、絵でわかっていないとダメなんですよネ。だって、絵を動かすアニメ作品の未来なんだから。

 

新しい技術で何をしたら良いか、見え過ぎちゃって困る。‥‥くらいの状態がふさわしいです。

 

 

 

でもまあ、何を言ったところで、

 

去る人は去り

 

残る人は残り

 

来る人は来る

 

‥‥というだけなのかな。いつの時代も。

 

 



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