FBで汁

フェイスブックのアカウントだけは取得していて、そのまま放置しているのですが、定期的に「知り合いかも」メールが届いて、中身を読むと、実際に知っている人だったりします。

 

フェイスブック上の私のプロフィールなんて白紙のままなのに、以前に現場で仕事をした人とか、本人ではなく奥さんとか、「元旦那さん」(微妙だよね…)のアカウントとか、「なぜ、フェイスブックサイドが知っているのか」キモチ悪いのですが、個人の名前だけで検索して予測するんですかね?

 

 ‥‥まあたしかに、作品のスタッフリストはテキストデータとしてネットでいくらでも取得できるので、関連性を予測するのはできないことではないですがネ。

 

ずいぶん前に現場を去って他のところに行った人まで「おともだち候補」にリストアップされていて、関連性の予測とはいえフェイスブックの振る舞いが気色悪くて、やっぱりフェイスブックはいらんわ‥‥と引いてしまいました。まあ、今は情報漏洩社会だから、いちいちキモチ悪がっていても仕方ないとは思いますけどネ。

 

フェイスブックには職歴とか学歴とか、結構、皆が自分自身で書き込んでいるらしくて、これまた「生っぽくてやだな‥‥」とさらに引いてしまいました。どんな学歴や職歴があろうと、今何ができるかが重要なので、ぶっちゃけ余計な情報ですわな。実際、仕事を一緒にしている人の過去なんて気にしたことないわ。どんなにたいそうな肩書でも、どんなに無名でも、今がどうあるか‥‥でしょ。

 

ただ、そうしたフェイスブックに表示される情報を見て、「なるほど、そう言うことだったのか」と推して知ることにもなって、一層、何だか複雑でイヤな気分。

 

以前、「ロスジェネ」や「管理職」に拘る人が現場にいたんですが、その人のフェイスブックの学歴の表示を期せず見て、納得がいきました。「今の自分」を認められずにいたんですネ。中途で未経験で入ってきて最初から知ったかぶりでイヤだなと感じてましたが、フェイスブック提供の情報にて、あの「上から目線」はなるほど‥‥と思いました。

 

有名大学を出ていても、もちろん、気さくで良い人はいっぱいいます。作品で頻繁にご一緒する監督・演出さんも有名大学出身ですけど、経験豊富な善き現場人ですヨ。ロスジェネ世代でも、作品の中核を成す重要なスタッフは多いですしネ。

 

一方、その「ロスジェネ君」は‥‥、まあ、いいか。もう関わりのない人だし。

 

 

 

フェイスブックって、微妙なソリューションだなあ。‥‥少なくとも、私にとっては。

 

自ら個人情報を大公開しなくても、仕事の中身だけで繋がっていけると思うんですけどネ。仕事で繋がった縁こそ‥‥だと私は思いますが、まあそれも人それぞれで良いのか。

 

今日たまたまフェイスブックからのメールを読んじゃったのですが、結局何年も使ってないし、また放置でいいや。

 

フェイスブックもラインもツイッターもインスタグラムも抱え込んだら、私は処理が追いつかないでしょうし。

 

私はまだ当分ブログだけで良い‥‥と、改めて思いました。

 

 

 

マーラーの墓碑には、ただ「グスタフ マーラー」とだけ記してあるそうです。

 

「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」

 

私はまだ、そこまで達観できませんけどネ。

 

ただ、フェイスブックで履歴を載せたところで、効果なんて希薄だと私は思っています。

 

私に仕事を依頼してくれる人は、私がどんな仕事をしてきたかおおよそ知っているはずだし、そうでない人にフェイスブックのプロフィールだけで知ってもらう必要はない‥‥とも思います。

 

ネットを結構使っているわりに、そういうところはガンコなのかもね、俺。

 

 

 


NO FATEはFATEだった。

思えば、私が高校生の頃にバッハ生誕300年で、毎日のようにFMでバッハの曲を聴けたのは、運命としか言いようがないです。300年のモニュメンタルな年じゃなかったら、あそこまでバッハをエアチェックできなかったですもんネ。

 

でも、違う視点で考えると、バッハ生誕300年でFMで頻繁にバッハの曲が流れていても、全くバッハに興味を抱かなかった人もかなり多かったわけです。

 

つまり、「時代の運命」も、当人次第です。

 

当人がもともと有していた個性に対して、計らずして時代性が作用して、個性の傾向が強調されるのかも知れません。

 

 

 

「ロスジェネ」と呼ばれる世代も、その世代が全員ロストしているわけじゃないですしネ。アニメ業界には「就職氷河期」なんて関係なかったし。ついでに言えば、バブルも関係なかったです。ロスジェネと呼ばれる年齢層でも活躍している人は多いです。

 

戦中に少年時代を過ごし、戦争が原因で両親を失った私の父を見て思いますが、戦争孤児の全員が全員、根無草のような性質を持つわけではないです。私の父は執拗に「A級戦犯」の話を持ち出しますが、父自身が家庭を顧みず恐ろしいほどのお金をギャンブルに注ぎ込んだ「我が家のA級戦犯」と化したのは、どうしたことか。

 

運命や宿命って、やっぱり、本人の「つかいよう」だと思います。

 

人は、自分の生まれるタイミングを調整できませんよネ。ですから、どうやっても、時代の宿命・運命の影響下からは逃れられません。

 

ロスジェネだ就職氷河期だと40を過ぎても言い続ける当人は、20年間をどのように過ごしてきたのか。今までの20年間の運命をどのように使ってきたのか。

 

戦争で両親を失った父は、A級戦犯への怨念を、結局はプラスに転じられないまま、やがて死を迎えるでしょう。孤児となって引き取られた先の家でミジメな思いもしたでしょうが、それが様々にマイナス要素に繋がっているのを見ると、運命をどうしてもプラスに転ずることができない人間もいることを、まさに身内ゆえにまざまざと実感します。

 

 

 

私は小さい頃から、「ひがむ」のは嫌でした。小さいながらに、「ひがんだって、何も解決しない」と思ってたんですよネ。

 

私の「えずら」という名前は、響きが変で、よく間違えて呼ばれたり、「へんな なまえ〜」とか嘲笑う子供もいて、もっと一般的な「田中」とか「鈴木」とかの名前が良かったと、子供心に思っていました。なので、学年が変わってクラス替えがある学期初めは特にイヤだったものです。

 

名前は変えられない。

 

でも、一般的な苗字をもつ他の子供のことを、羨んでどうなるのか。

 

ひがんでも何も変わらないじゃないか。

 

‥‥というのを、小学校に入る頃から中学生くらいの間に経験したので、実は、そのことが後の自分の人生において「良かった」のだと今は実感できます。その当時は抜け出せない呪いのように悩んでいても、です。

 

中学生になれば、生涯の親友とも言える人間とも巡り合って、女の子に「えずらくん」とも呼ばれたら「えずら」という響きも満更でもなくて嬉しいもので、やがて「変な名前、全然OK」と思えるようになりました。

 

一方で、なぜ、あいつは俺の親友になってくれたんだろう、なぜ、あの子は好きになってくれたんだろう‥‥と思うと、「名前なんかじゃない」と解ったのです。サラ・コナーじゃないですが「NO FATE」です。

 

いやでも、実は「FATE」なんですけどネ。

 

「運命が自分を左右するのではない」ということを実感できる運命だったからこそ、絵が上手くなりたいと阿呆ほど子供の頃から絵を描きましたし、ギターを抱いたまま眠るほど弾きまくりました。

 

ゆえに、音楽の仲間もできて、絵の仲間もできて、制作現場でも多くの人たちと知り合いました。

 

私がもし「えずら」という名前じゃなかったら、運命も大きく変わっていたと思います。エスカレーター式人生を盲信して、自分には何ができるのかを自問自答しなかったかも知れません。

 

運命はつかいよう‥‥ですネ。

 

 

 

自分の人生はエスカレーター式にうまくいくなんて、子供の頃から思っていなかったです。アニメ業界に入ったら、より一層、エスカレーターなんてお笑い草で、自力で階段を登るものだと覚悟しました。

 

だから、「就職氷河期」云々で怨念を溜める人のキモチは正直わからないのです。「運命をうまく使えば良いのに」と思うのですが、そもそも自分の運命から逃げ続けて他者や他世代をひがんでばかりいれば、マイナス方向に傾くばかり‥‥なのかも知れません。

 

私の父だって、「孤児だからこそ、自分の家族を大切にしたい」という方向性もあったはずです。しかし残念ながら、父は怨念感情を底に敷いたまま、戦争による「不意の不運」を、ギャンブルによる「不意の幸運」で埋め合わせるようなことばかりしたのでしょう。そして、自ら「家庭内のA級戦犯」になったのです。

 

ちなみに、私の母は、戦中に高円寺から疎開したことで、疎開先で酷くイジめられたそうで、「疎開=戦争で運命が変わった」ことは父と同じです。しかし、父とは逆に「こんな酷い子供時代だったからこそ、自分の子供には同じ思いはさせない」と考えたようです。父とは「運命の使い方」がまるで180度違います。

 

「自分は疎開先でひどくいじめられた子供時代だったから、状況は違えど、同じく辛い思いをした戦争孤児の人なら、思いを1つにして助け合って生きていけるだろう」と母は考えたそうですが‥‥‥‥、とんだ間違いでしたな‥‥。

 

でもまあ、その間違いのおかげで、私は誕生したので、何とも皮肉なものです。

 

でもその皮肉から学べることはたくさんあります。物凄い反面教師ですわ。

 

 

 

NO FATEは、実はFATEだったのでしょう。トンチみたいですが。

 

 

 

 

ターミネーターで思い出しましたが、そう言えば、今年はバイクを買うぞ。‥‥というのを目標にしたい。

 

と言っても、シュワちゃんの乗るハーレーでもないし、大型排気量でもない、250ccのレブル。

 

若い頃は250ccのアメリカンなんて‥‥と思ってましたが、今はすんなり受け入れられます。シンプルな理由ですが、車重が軽くて維持費が安いのはいいね。

 

500ccのほうが見た目がマッチョでかっこいいけど、この歳になって、その辺はどうでもよくなってきました。パワーよりもライドを楽しみたい気分です。ガラス張りの密室ではなく、直に風を切って走るのは、乗用車にはないUXですよネ。

 

とりあえずは、ヘッドライトがLED化されるまで待ちたいです。私はBSA M20くらい古ければヴィンテージにも興味がありますが、レブルのような立ち位置なら、前後ディスクの方が良いですし(ドラムブレーキはイヤ‥‥)、ヘッドライトがLED化されるなら(500ccは既にアナウンスがありましたよネ)その方が良いです。

 

 

500だけじゃなく、250も、Sエディション(=下図の、LEDでビキニカウル付き!)をよろしくお願いしますヨ。ホンダさん。

 

 

 

バイクを買っても大丈夫なくらい、頑張ります。

 

 

 

 


SuicaのApp

‥‥って、毎回正常に動いてます?

 

私はチャージのたびにトラブルに見舞われます。すんなりチャージできる確率は、体感10%くらいで、2040とか1050とか様々なエラー、C102のエラーとか、

 

SuicaのAppはエラーの巣

 

‥‥です。

 

なぜ、官庁とか大手のAppって、どうしようもないのが多いんでしょうね。某ホールディングのユーザ認証問題は記憶に新しいです。

 

使いやすさよりも、担当者の責任を重視するからかな? ユーザの使いやすさ・完成品の素晴らしさよりも、自分が責任を追及された時の逃げ道を優先する体質。

 

数あるiPhoneのAppの中で、Suicaだけエラーを頻発するので、Suica.appの根本の設計に関わるように気がします。

 

Suicaは憂鬱だなあ‥‥。電車に乗るのも嫌になる。

 

 

 


アイコン、1024px。

ふと、気になって、macOS Mojaveのアイコンのサイズを調べてみました。私の記憶の最後は、512pxだったので。

 

 

 

1024px。

 

icnsファイルをご存知の方はいらっしゃると思いますが、アイコンにはいくつかサイズがあって、表示状態で使い分ける仕組みになっています。1つのアイコンの中にいくつものサイズや色数があるのです。リストサイズのアイコンは、最初から小さいサイズのアイコンを使います。1024pxを数十ピクセルまで縮小したら溶けちゃうもんネ。

 

で、一番巨大なサイズが、今や、1024pxです。

 

 

 

たしかに、iMac 5Kともなれば、1024pxのアイコンがあったほうがドット荒れしなくて済みますネ。ドットが荒いアイコンって、なんだかビンボ臭いもんね。昔だったら、「デスクトップの再構築」(覚えてますかね?)ですネ。

 

一方、アニメ制作現場。あてつけみたいな言い方ばかりになりますが、現在1280pxでフィニッシュしてアップコン納品しているアニメ会社は、ほんとに、考え直したほうが良いですよ。いい加減、目覚めるべき、です。

 

プレステ1の頃って、イベントムービーのアニメ映像は、320x240/15fpsで作ってましたが、もはや使いものにならんよね、そんなサイズじゃ。‥‥あんなにみんなで手間をかけて作ったのに、320x240で馬鹿正直に作っちゃうからツブしが全く効かなくて、怪しいモザイク画像みたいじゃんか。せめて、640x480だったら‥‥。

 

2010年代はまだ1280pxや1600pxでもしょうがないとして、2020年代はひとまず4Kまでいかなくても、2560pxか2880pxくらいは必要なんじゃない?

 

ちなみに、地上アナログの頃、DVDが主役だった頃は、720x486(480)でした。‥‥今どきのアイコンの画像より小さかったんですね。

 

2000年に公開された劇場版Bloodは横幅はたしか1440pxでした。つまり、20年進化していない制作グループもある‥‥ということです。映像産業の中でアニメ現場がガラパゴスと言われる由縁です。

 

本業のアニメの原画よりも、iPadで落書きしている絵のほうが解像度が大きい‥‥なんていう人も多いんじゃないでしょうか。

 

2020年の現状が、後で笑い話として酒の肴になるよう、そろそろ皆で動き始めた方が良いです。アイコン画像に解像度で肉薄されるようでは、プロのアニメ制作もかたなしです。

 

 


アウトライナー

今まで、アウトライナー的な部分を自分の記憶だけに頼ってきた感があるのですが、最近は記憶力の減退を自ら痛感するに至り、せっかく10インチクラスのiPadもあるので、アウトライナーのAppを使い始めました。

 

箱書き的に要素を把握・リストアップして、細部を詰めていくのに、アウトライナーは便利です。

 

しばらく使わないまま放置していた初代iPad Pro 9.7インチを、キーボード付きケースに収納して使い始めました。MacBookなみに、すごく厚く重くなっちゃったけど、まあいいか。

 

キーボードショートカットがまだおぼつかないので、今はストレス半分な状態ですが、いずれ慣れましょう。

 

若い頃はねえ。アウトライナー的な整理整頓なんて、自分の脳内で全部賄えていたのに、今はアイデアが浮かんでも翌日には他のにかき消されて上書きされて、アイデアを思い出すのに苦労します。

 

必ず歳はとるもの。

 

目を背けるのではなく、直視して対応策・対抗策を講じます。

 

 

 

実際に、アウトライナーを常用し始めると、アイデアが揮発せずに書きとめられるので、良いですネ。

 

単にテキストエディタで、改行&タブインデントでも済みそうな感じですが、階層ごとに番号(アラビアやローマ数字)を付けられたり、ディスクロージャートライアングルで展開&収納できたりは、テキストエディタには望めないですもんネ。

 

2020年からは私も今までと同じことを繰り返すのではなく、自分の状況に応じて色々な方法を変えていかないとダメだと思ってます。

 

 


仕事始め

2000年から2019年までの20年、私はコンピュータに金を使い過ぎました。何を今さら‥‥と私を直に知る人には言われそうですが、実際、20年間を振り返るとしみじみ思います。

 

なので、少なくとも2020年から先の数年間は、コンピュータ関連を自費でどうこうするのは最低限に抑えようと思っています。

 

2年間、4KHDRのアニメ制作プロジェクトに関わった実感も大きいです。新しいMac Proを買ったところで、4KHDRネイティブのカットアウトのレンダリング速度が劇的に高速化されるとは思えないので、自費を投入するのなら、もっと違う部分にこそ、です。12時間のレンダリングが、9時間になったところで、1日をまるごと消費するタイムスケジュール‥‥ではネ。

 

アニメ業界の未来も‥‥だけど、自分の未来も考えないとネ。

 

2020〜2024年の前半5年間に今まで通りのアニメ業界の生き方を40〜50代の人間が続けたら、2025年以降は目に見えて自分の身の回りが削りとられて痩せていくでしょう。つまり、貧困に陥ることが必至です。

 

40〜50代の自分を、20〜30代の自分と勘違いしてはなりません。等しく、2020年代を、2010年代や2000年代、ましてや1990年代と同じ10年間だと考えるのはあまりにも愚かです。

 

自分自身、そして社会、両方が大きく変化する「未経験の10年間」と考えるのが妥当です。

 

 

 

現状の装備で、自他共にどのような新しい足場を築くか‥‥が、私にとっての2〜3年の目下の目標となりましょう。蓄積した経験と技術を箪笥の肥やしにしてもしょうがないス。

 

幸い、iPad Proはどの世代も快調で不満を感じないし、iPhoneも8 Plusで十分だし、Apple Watch 2'ndもiMac2014も壊れるまで使えるほどの性能の余裕はあるし、Apple製品にお金を使うとしても、iPad Proの新型だけが気になる程度です。macOSもAir Dropも、必要十分です。macOSとiOSの連携で様々なマイプロジェクトは捗ります。

 

 

 

人間には成長のスケジュールがあると思っています。

 

例えば、40代までに絵で仕事をしてこなかった人間が、どうやって40代に作画を学習して上達して稼ぐところまでいくのか、「上達のスケジュール」を40代の期間で考えれば、無謀なことだとわかるでしょう。上達してプロのスタート地点に立つのが50歳?‥‥なんて、普通に考えて「勝ち目なし」です。

 

つまり逆を言えば、40代まで絵を描いて仕事をしてきた人間は、それを如何に応用するかを考えれば良いのです。絵を直接描かなかった人間も同じで、自分の能力をどう再定義して新しい何かに繋げていくか‥‥です。

 

 

 

アニメ業界はどうなるんかなあ‥‥。

 

多くの人は、2020年からようやく「考え始める」‥‥のですかネ。

 

今頃カットアウトに興味を持つようでは、さて、何年後に身につけて常用するつもりなのだろう。

 

2020年も1.5Kで作り続けて、どうやって4K時代に移行する技術やノウハウを獲得するつもりなんだろう。

 

まあ、いいか。こういうことは全て、余計なお世話ですネ。本人たちしか、本人たちの状況は変えられないです。他人がガーガー言っても、どうにも動かんス。

 

 

 

今年の仕事始めは、2020年代10年間の仕事始め。

 

アラウンド50になった私の、2020年代の10年間は、「自分も大事に扱う」‥‥です。いささか遅すぎたように思いますが、一方で、自分を大事にするための材料も揃ってきたので、ぼちぼちその材料を使っていこうと思います。

 

 

 


弱さゆえ

ネットの「子供部屋おじさん」とか「彼女いない歴=自分の年齢」とか「中年童貞」とかの記事は、「孤独死」「ゴミ屋敷」「セルフネグレクト」「8050」などと一緒に、定期的に取り上げられるわけですが、中年童貞などの取材を受けている人に共通しているのは、特に女性に対してやけに強気で、一方で自分ではボロが出ないようにとバリアを張り巡らしているところですかね。

 

若手声優との結婚を夢見る45歳「子供部屋おじさん」の末路

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200101-00000016-pseven-life

 

 

上記の記事のような人は一定数存在するんでしょうけど、1月2日の正月早々から読むには気が暗いスね。

 

 

 

例えば仕事の場面においては、自分に対する自信は日頃から持っておいた方が良いのは、確かです。

 

でも、多くの記事で紹介される童貞オジさんにありがちなのは、「自信」を「威張る」ことと勘違いしているパターンなのよネ。

 

威張る‥‥というカタチではなくても、知っているふりをする、予測できていたふりをする、ボロを出さないように取り繕う‥‥のも同義でしょう。

 

 

 

でさ‥‥。

 

恋愛って、仕事とまるで正反対でさ。

 

恋愛って、好きになった相手に、「自分の弱さをさらけ出す」ことだと思うんよ。

 

どれだけ完璧かを装うんじゃなくて。

 

自信があるところを見せつけるんじゃなくて。

 

一番、隠して起きたい本音=「あなたが好きになりました」ということを、相手に告白するわけじゃん?

 

めっちゃ、弱さを見せますよネ。

 

 

 

その「弱さを相手にさらけ出す」ことができない人が、恋愛できない人だと感じます。

 

まあ、放っておいてもモテる人はいるんでしょうが、そういう人のキモチはわからないので、平均的な凡人ルックで考えれば、自分以外の他者に、日頃は心の奥に隠している心情を、まさに心情の対象=好きな人に伝えて、相思相愛になったり、ゴメンナサイされて失恋したり‥‥があるわけです。

 

相当、勇気のいる事‥‥ですよネ。

 

だからこそ、中年になるまで、踏み出せない人も存在するんでしょうネ。むしろ、中年までサスペンドした影響で、不要なネジ曲げ・バイアスすら作用していることもあるのでしょう。自分では純粋だと思い込んでいるだけで、経年変化で随分と濁って腐ってしまって、未開封でも中身は発酵して、シュールストレミングみたいになっていることもあり得ます。

 

上述の記事を読むと、取材を受けている人は、その弱さを隠そうとするあまり、女性をある種「憎悪の対象」までネジ曲げていますわな。風俗嬢を汚いと言ったり、20歳以上の女性をババア呼ばわりしたりと、典型的な空元気・空威張りです。

 

故意に暴力的になって、自分の弱さを打ち消そうとしてるように、私には思えます。

 

自虐に走るタイプの人も、実は心の底に相当な高いプライドをもった「かっこつけ」野郎だと思いますしネ。‥‥裏返しなんだよね。

 

 

 

でもまあ、見ず知らずの中年男が老後どうなろうが、余計なお節介ですネ。

 

ただ、上述の記事の類いを読むと、時々、人間の自我について考え込んでしまいます。

 

私は、自分がいつか必ず死ぬことを考えると、どうしようもない絶望感に苛まれます。理解できなくて混乱します。

 

なぜ万物の創造主は、自我などというものを、生き物に与え賜うのか。自分を意識する自我など最初からなければ、自分の死も意識せずに済むだろうに。

 

しかし、自我があるからこそ、音楽に心が共鳴し、美しさを知覚し、人を好きになるんだもんネ。

 

困ったアンビヴァレンツだの‥‥。

 

 


2020年代の幕開け

2020年代の幕開けです。

 

2010年代の10年間と比べて、大きく様変わりする10年間の開始です。

 

最初はゆっくりと、徐々に大きくうねることでしょう。皆で見ないように隠していた爆薬の導火線にも火がついた‥‥とも言えます。

 

*毎度のこと、Procreateで描きましたが、新バージョン「5」の新しいプリセットペンで描いたら、書き味の妙味が出ました。私は普段、こういう筆致ではないのですが、ペンの設定次第で化けますネ。iPadとプロクリはいいなあ。

 

 

2020年代が終わる頃は、現在40代の人は50代、50代の人は60代です。つまり、団塊ジュニア世代が、いよいよ老年へと移行する10年間です。人口のピークを形成した世代が、老いるということは、日本社会にとって何を意味するのか。そしてアニメブーム世代で大きく支えられてきたアニメ業界にどのような決定的な変化が起こるのか。

 

ネガティブな要素が多いのは共通しているでしょうから、そこから、如何にしてポジティブな道筋を見出せるか‥‥ですネ。

 

 

 

であるならば、何をすべきか。

 

例えば、Appleが、MacOS9をバッサリ捨てて、新しいシステムであるOSXに切り替えたのは、Appleがどん底から這い上がるために必要なアクションだったのです。Macintoshだけの視点ではなく、アップルコンピュータが蘇るために、です。

 

どんなに阿鼻叫喚がこだましても、ジョブズ率いる新生AppleはMacOS9を墓場に埋めて、OSXへの完全移行を決断しましたよネ。その後、iOSも誕生して、Appleは見事過ぎるほどに蘇りました。Appleは消える‥‥と2000年の頃に言ってた人は、たくさんいましたが、やはり見事過ぎるほど予測が外れましたよネ。

 

まあ、アニメ業界は1企業とは違います。しかし、一方で、自分をアニメ業界の社員のように無意識に考えているアニメーターや各工程スタッフも多いんじゃないでしょうか。

 

1兆円産業なんてフレーズは虚しいばかりで、どの会社も作画崩壊と常に隣り合わせじゃないですか。作画崩壊って、アニメファンの素人さんは作り手の技量ゆえと思ってますが、作画崩壊を招く制作状況が最大の要因なのはインサイダーなら解ってますよネ。

 

みんなで苦労して、誰もが未来にビジョンがもてなくても、みんなと一緒だから安心‥‥なんて、2020年代は通用しないです。2020年代には、今までのアニメの作り方と結果物の品質が、決定的に古くなって時代に見放されるようになるのですから。

 

アップコンでしか新時代に対応できず、介護されて死期を待つ余命わずかな高齢産業のままで2020年代を無為に過ごして良のか、まさに業界の当人たちが考えなくちゃネ。

 

 

 

2020年代は、個人やアニメ企業の旧態化した意識が、どんどん顕在化して、「え?あの人、辞めちゃったの?」「あの会社潰れちゃったの?」という話が増えることでしょう。

 

そうした中で、チャンスをものにする個人や企業も現れましょう。

 

 

 

経験を積んだ者同士が、一緒に仕事をすることは新たな気づきや視点を得られるでしょうが、そのことだけで満足するのではなく、もっとその先の、大きく広く深い視野が必要です。

 

40代以降の人間なら、「作品に関われて幸せ」「誰々と一緒に仕事ができて光栄」なんてことで喜んでいるのはやめましょう。40代、50代の人間が、「アニメ制作に関われるだけ幸せ」みたいなファン心理のまま仕事を続けるから、後続の年齢層もそのあおりを食らうことになるんじゃないスかね?

 

リアルに時間と金の計算をしましょう。そうすれば、技術の育て方も見えてきます。アニメ業界志向から脱出する機運も生じましょう。

 

いつまでも自分が20〜30代の気分でいると、残りの半生、とんでもない事態に陥る‥‥のは、アニメ業界に限らず日本全体の話ですネ。8050、老後破産、老後貧困を前にして、2020年代にすべきことを個人でも考えないとネ。

 

 

 

私は、年末の休みに、2020年代の型を作るべく、アカウントの整理や新規作成、iPadの初期化など、もろもろ準備しました。今までのアカウント周辺のしがらみを、なんとない便利さと融通で引き摺り続けるだけでなく、新たな意識に基づく、新しいフレームワークが必要だと強く感じるからです。

 

止めるものは止める。続けるものは厳選する。新しいものは、欲張らずに実現可能な事から準備して始める。ENDとCONTINUEとSTARTの3つを仕分ける、ちょうどよい区切りです。

 

良いも悪いも一緒の鍋で、ぬるい湯で茹でられ続けることから、脱出するには、2020年の今年は良い節目です。思考の大転換に好材料とも思えます。

 

2020年代は混沌を極めるでしょうが、混沌があるがゆえに、次の新しいカタチが創造されるのでしょう。

 

志を持つ者同士、混沌の濁流に呑み込まれず、むしろ混沌のうねりを活力に変えて、進んでいきましょうね。

 

 

 


2010年代の終わり

アニメ業界、アニメ制作現場は、2020年代に大きな節目・大転換期を迎えるでしょう。‥‥と、簡単に言い切ってしまうのは、まさに大きな転換の要素がアニメ業界内外にひしめいているからです。業界内にもいっぱいあるのに、拍車をかけて、業界外から押し寄せてきます。

 

私は‥‥というと、2010年代が大転換期でした。自分ながら、物凄い変動期だったと振り返ります。アニメから完全に離れた時期すらありましたし、自分のそれまでのよりどころだった「アニメの作画と撮影」無しで生きた年月がありました。私の中で、アニメは一度死んだ‥‥と思い起こします。

 

すがっていたものが亡骸になってしまえば、案外、冷静になれるものです。古いカタチではなく、新しいカタチを創り出そうと言う意識にも目覚めます。

 

 

 

2020年代は、「去年まで存在していた職種が、今年は消失するかも知れない」という可能性を感じながら、新しい職種の可能性も同時に考えたほうが良いです。

 

実際、死ぬまで原画で食っていけると思う? 死ぬまで撮影で食っていけると本当に信じてる? できないと思うのなら、何か別の方法を探さなきゃアカンしょ。

 

「自分が生きるための方法論」が、2020年代に通用せずに「方法論の死」を体験する人は多いと思います。

 

 

 

新しい春を迎えるために、死の冬はどうしても必要だと、しみじみと感じ入ります。‥‥まあ、冬の時期は不安だし寒いしで厳しいことが続きますが、冬を越さねば春は来ません。

 

2010年代をあと1時間少々残すばかりとなり、私の頭の中はかなり整頓できてます。久々に年末年始にまとまった休みがとれたのが効いてますネ。人間、時にはそこそこの連休は必要ですネ。2019年は、正月もシルバー&ゴールデンウィークも盆休みも、休みらしい休みは何もなかったですから、自分では強がっていても疲れ果てていて、未来のビジョンも濁っていたかも知れません。

 

2010年代の転換期を経て、自分は2020年代に何をすべきか。‥‥年末の休みで色々とクッキリ思考できました。

 

 

 

2000年代後半にアニメ制作現場がレッドオーシャン化して、2010年代には誰もが予想した通りにアニメ制作現場の乱作が激化しましたが、私自身はアニメ制作現場とは違う方法論で転換期を過ごしたのですから、わざわざ2020年代にレッドオーシャンに舞い戻る愚は犯しません。


自分の苦労は、自分自身に還元してこそ、大きな全体・共同体も回っていくんじゃないですかね。

 

そのためには、自分の時間とお金を大切にしなくちゃネ。

 

 

 

 


診断

Q&A方式で診断するWebコンテンツは、たまに面白がってやります。

 

すっかり忘れてたけど、ドラマも見てないのに、「桑野度」診断をした際のスクリーンキャプチャが出てきました。性格テストとか色彩感覚テストとか、診断したのは一応撮っておくんよ。

 

 

 

桑野さんを知らないし、ドラマそのものを見てないので、細かくはわからないんですが、要は「結婚できない男」度みたいなもんでしょ。

 

何だ、24%て。中途半端な数字。

 

既婚者は0%になるんかな?

 

 

 

 



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