一般道にて

プロの絵描き・アニメーターって、当人の描いた絵が「価格」で取引される状況に身を置く人‥‥ですよネ。アマチュアとの大きな違いは、ソコです。

 

自分の存在の是非を投影した、結果物としての絵が、リアルな価格で取引されるのは、そりゃあ、辛辣な状態と言えます。しかし、そうした辛辣さを引き受けて、毎日生きているのが、プロとして絵を描く人です。

 

監督・演出・作画・彩色・美術・撮影・3DCGと、実際に絵に関わる人に加えてプロデューサーは、絵の内容に言及することが許されます。なんらかの規定があるわけでなく、「自分の才能を値段で取引している人間」たちの「暗黙の掟」です。

 

みな、表向きは優しい人が多いですけど、その「内面」は厳しいのです。

 

でも厳しくて当然なんですよ。自分の担当する箇所の絵・映像の表現品質イコール自分の存在意義なのですから、ふわっとしたスタンスで立ち入って欲しくないと思うのは当然です。

 

ラッシュチェックは、ビデオ鑑賞会ではないですもんネ。

 

自分の能力をお金に晒す毎日だからこそ、スタッフはお互いにシンパシーを感じるのです。

 

 

 

私がアニメーターの自主制作を、このブログで推しているのは、プロの辛辣な基準に慣れた人間たちが、あえてアマチュア的経路で突破口を開くことにあります。

 

決して、アマチュア時代のユルいプレッシャーに戻ることを意味しているわけではないです。

 

プロで食ってきた経験を持つ人なら、自分の能力の低さを晒して、素人芸でウケを狙うのは、プライドが許さないでしょう。最低限の自分なりの品質基準があります。

 

一方で、プロは商業作品の中でしか、絵を作りません。「もっと違う映像を作ってみたい」と思っても、チャンスなどほぼ皆無です。

 

プロのアニメ映像制作者は、もっと違うエリアにも、自分の能力を拡張して出力しても良いと思うのです。その出力の道筋が、今や何種も存在するアマチュア的経路です。昨今のネットワーク社会において、万人に解放されたフィールドを活用するわけです。

 

一般道路だろうが、レースなら「全開」で走り抜けるでしょう?

 

 

 

 

とは言え、簡単にできることではないです。アニメは1カット作るのも、プロの基準前提ならば、すご〜〜〜〜く大変ですもんネ。

 

iPadだけではアニメを作るのはなかなか難しいです。PC/Macも合わせて、苦労して作った様々な素材をコンポジットしてファイナルテイクをレンダリングして、ようやく1カットです。

 

でも、1カットを作るだけでも、商業作品の原画作業の何十倍も新しい知識と経験が得られます。

 

 

 

30年前と、大きく違うのは何か。

 

自分のバッグの中にはiPadがあり、自分の家にはパソコンがあり、数限りない画材と、自分だけの撮影台も現像所も導入できることです。そして、今までとは違うパブリッシュ、ブロードキャストが可能です。そのあまりにも大きな違いを、利用せずにいるのは、もったいないですよね。

 

しかも、アマチュアにはない利点を、プロの厳しい基準と経験と知識を、アニメーターをはじめとしたアニメ制作スタッフは有しています。

 

プロだからって、既存の商業の型にハマりきる必要はないです。

 

2020年代こそ、プロのアニメ制作者がThink Differentする番です。

 

 

 

 


ぽてさら。手作り。

ポテサラの話題、まだ伸びてるんスね。その伸び加減に、日本の社会を見る思いです。

 

ポテトサラダは、私の好みで言えば、市販のお惣菜より、自分流に作ったほうが好きです。市販のお惣菜は、一般的に、味がくどいものが多いように感じます。

 

理屈は知らないんですけど、作りたてのシンプルなポテサラは、時間が経ったものより美味しい気がします。ちょっとまだほんのり温かいくらいのが。

 

ぶっちゃけ、芋を茹でて、熱いうちに皮をむいて、塩コショーとマヨネーズだけで和えるのでも、十分美味しいです。コクを出したければ、塩辛をちょっとのせて‥‥って、それ、酒のつまみじゃんか。

 

伊豆の、塩しか使っていない、昔ながらのかつおの塩辛があれば(普通ないですけど)、最高です。

*伊豆には、直販店に塩辛だけでも買いにいきたい。クール便の高い送料を払うくらいなら、観光もかねて‥‥って、今は微妙かあ‥‥‥。

 

 

 

きゅうりとか、たまねぎとか、コーンとか、場合によってマカロニとか、いろいろ混ぜ込むこともあるでしょう。具材はあれこれバリエーションはあれど、やっぱり味付けが、万人向けの最大公約数(=ゆえに味がくどい)か、自分の好みのピンポイントかの差が、大きいと思います。

 

「ポテトサラダは手間がかかって時間もかかるから、スーパーのお惣菜で済ませて、空いた時間を子供と遊んだほうが良い」‥‥みたいなツイートも見かけましたけど、いやいや、我が家のポテトサラダの味も大切ですよ。反動で、別方向の極論に走らないようにしないと。

 

味の記憶は独特なので、他に変わるものはないです。

 

栄養分さえバランスが取れてれば、なんでも良いわけじゃないですよネ。

 

味は記憶となり、当人の忘れ得ぬ思い出になることもあります。子供の時に食べて、美味しいと思った記憶は、大人になっても忘れないものです。

 

そして味は、全てが手の込んだ仕込みが必須ではなく、シンプルな調理でも抜群に美味いこともあります。

 

シンプルゆえに、作ってから2〜3時間で食べちゃわないと風味が落ちるような味付けは、スーパーのお惣菜では難しいでしょうから、まさに家庭の味の独壇場です。

 

ポテサラではないですが、私はコロナ期間中に「寒天プリン」のレシピを確立して(ゼラチンが入手困難でしたので)、口溶けプリンをコンスタントに作れるようになりました。ただ、コンディションがデリケート過ぎて、家の外には持ち出せず、誰にも食べてもらえません。わたし的に、すごい自信作なんですけどネ‥‥。

 

もしお子様がいたら、一緒に食べられますよネ。そういう体験は、一緒に遊ぶだけじゃなくて、お子さんが大きく成長して大人になっても、かけがえのない「味覚の記憶」になりましょう。

 

 

 

ブログ書いてて思い出した。

 

寒天プリンが自分でも驚くほどにうまく作れたので、今度は「茶碗蒸しもどき」を作ろうと思ってました。もちろん、寒天なので、冷製です。ちょっと応用すれば、卵豆腐もどきも作れるはず。

 

卵成分に対しては、湯煎なしのお手軽な非加熱調理なので、配合さえうまくできれば、失敗しないですネ。‥‥問題は、卵の生臭さをどう消すか‥‥ですね。まさか、バニラエッセンスというわけにもいかんし、生姜でも隠し味で入れれば良いかな。

 

その昔に、「どんぶりいっぱいの巨大茶碗蒸し」を作ろうとして、「中心までの火を通す」ことを甘く見ていたがゆえに、ものすごく時間がかかったのを思い出します。加えて本式は、鬆(す)が入らないように加熱温度の管理などがデリケートですが、寒天なら大容量でも大丈夫です。

 

ちなみに、寒天の口溶けを実現するのは、粉末寒天の配合量です。「みつまめ」に入っている寒天の「2倍の水分量」にすると、相応にユルくなりながらも、冷蔵庫でちゃんと固まりますので、じゅれれと口の中で崩れる口溶けが実現できます。「寒天プリン」は、いわば「ミルクセーキの寒天ゼリー」のような状態です。ナマものなので、2〜3日くらいが限度で、日持ちしないのが弱点です。

 

「カスタードプリンくらい作ったらどうだ」‥‥いやいや、ないないない。何回か作った事あるから、大変なの解ってるし。よほどの料理好きでもない限り、卵から作る焼きプリンは作らないよね。

 

 

 

味の記憶に、貴賎なし。

 

スーパーのお惣菜でも、我が家だけのオリジナルの味も、レストランも、祭りの縁日屋台も、美味しかった記憶は、子供の頃から、脳に焼きついていくんでしょうネ。

 

 

 


ぽてさら。ほとけき。

ツイッターでポテトサラダの話題を見て、まあ、昭和の爺さんならありそうなエピソードだな‥‥と思いました。

 

以下、ツイッターより。

 

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。 私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。

 

 

これに反応したみなさんもツイートしてますが、ポテトサラダって大変だよネ。私はじゃがいもでニョッキを作りますが、具材の多さ(=準備・下ごしらえの多さ)ゆえにニョッキより手間がかかりますわな。マカロニまで入れたら(普通は入ってないけど)、どんだけ下準備に時間がかかんのよ‥‥と思います。

 

私の父もそうなんですが、「女は料理ができて当たり前」と考える昭和男は、まだまだ世間には生息してます。じゃあ、昭和男が「男なり」に本棚とか椅子などの木工品や、壊れた家電の修理ができるかと言えば、全然ダメダメだったりします。

 

私は両親が共働きだったので、小さい頃からおやつは自分で作ってました。男の子でしたが、家庭科で料理を習う前から料理をしていたので、料理の奥深さ・大変さは知っており、一方で、自分でまともに作れもしないのに家庭料理の味のことを批評する大人の男には嫌悪感を感じていました。

 

料理を作らない人ほど、料理の評論家気取り‥‥なんてことはありますよネ。

 

ポテトサラダは作るのが大変だし、日頃は市販のお惣菜をあれこれ買って食べてみることで、自分で作る時の参考にもなります。作りたてのポテトサラダが食べたい!って思うときに作れば良いのです。

 

 

 

自分で料理‥‥と言えば。

 

コロナの影響で一時期にホットケーキミックスが入手困難になってましたよネ。

 

なので、色々と試してみて、小麦粉からホットケーキミックスを調合して焼く方法を模索してました。

 

最終的な粘度とか、重曹の分量とか、いくらでも配合のバリエーションが生まれます。

 

最近作ってみて、わたし的に「美味しい」と思えたのは、薄力粉だけでなく、強力粉を混ぜる方法です。実はアドリブで強力粉を混ぜてみたのです。「もしかしたら、モチモチ食感になるかも」と考えて。

 

強力粉4:薄力粉6くらいの割合で、砂糖はそれなり沢山、微量の塩、卵はやや多め、重曹は少なめ、牛乳、レンジで溶かしたバター入りマーガリン、バニラエッセンスを、やや緩めの粘度になるように配合して混ぜて、あとはテフロンのフライパンで焼くだけです。テフロンなら超簡単に失敗なく焼けますよネ。

 

強力粉なので、固まりやすく、ホットケーキのネタの粘度にするには、薄力粉オンリーの時に比べて、水分量(牛乳や卵の量)が多くなります。でもそれが、しっとりと焼き上がる理由の1つでしょうネ。

 

火の通りも良いので、どんどん焼けます。

 

仕上がりは、一般的なホットケーキとクレープのあいのこのような、不思議な感じです。昔懐かしいIHOPのパンケーキにちょっと似てます。

 

やばい。段取りを書いてたら、食べたくなってきた。

 

 

 

ポテサラのエピソードに話を戻して。

 

私は、爺さんが、なぜわざわざそんな「憎まれ口」を叩いたのかも、気になります。

 

もしかしたら、爺さんの奥さん、または母親が、過去、美味しいポテサラを作っていたのかも‥‥と想像しちゃいます。日頃、映像作品を作ってるんで、ストーリーの伏線を妄想します。

 

だとすれば、切ないよねえ‥‥‥。

 

まあ、あくまで想像、妄想です。単に性格の悪いジジイなだけかも知れんし。(でも、なぜ性格が悪くなったのかを考えるのも、お話作りの要点ですね‥‥って、職業病が抜けないなあ)

 

 

 

人生は悲しい。されど、美しい。‥‥であれば、良いですネ。

 

 


例の頭領

ブラジルの大統領が「コロナはただの風邪」とか言いつつ、コロナで陽性になったのは、ぶっちゃけ、多くの人が「ばちがあたった」と感じたんじゃないでしょうか。「ただの風邪なら、風邪薬で治せ」みたいな文言を、ツイッターで数多く見かけました。

 

そう言えば、その昔、84年のアルカトラスのライブで、イングヴェイがショーとしてストラト(ギター)をぶっ壊したんですが、その後にアンプから音が出なくなって演奏が続行できなくなったのをVHSビデオで見て、しみじみ「ギターを壊した、ばちがあたったんだな」と思ったものです。☺

 

 

 

ブラジルの大統領は、症状も軽くおさまったようで、薬を飲んでニッコリしている画像が公開されていました。

 

それを見て、なぜこの人が大統領になれたのか、なんとなくわかった気がしました。

 

端的に言えば、堪えないヒト‥‥なんでしょうね。

 

かなりの事があっても堪えない、強運とタフさが、人心を引き寄せているのかな‥‥と、ふと感じたのです。

 

単にアウトサイダー視点の印象でしかないですが。

 

 

 

昔、「俺はハマーだ」というアメリカのコミカルなドラマがありました。

 

主人公のハマーは、すぐに愛用の44マグナム(愛称はマギー)をぶっ放す、問題アリアリの刑事で、シリーズ(第1シーズン)の最終話は核弾頭の処理に失敗して幕を閉じますが、その豪快さゆえに何とも愛すべきキャラで、東京12CHの放送を毎週欠かさず観ていました。‥‥で、第2シーズンでは、何もなかったように登場してました。

 

なんか‥‥そのハマー刑事のことを、大統領を見てて、思い出しました。

 

すみません。あくまで、個人の感想ですヨ。

 

 

 

モテる人って、必ずしも、善良で気がきいて謙虚で心遣いができる人だけではないですよネ。

 

まあ、他国の頭領だから、こうして傍観できるのではありますが、なかなか、人間というのは興味深いものです。

 

 

 

当の大統領は、さっそく回復して、さらに自信を深めた様子。

 

ハマー刑事のマギーが、今まで以上に、南米でぶっ放しまくりで、さて‥‥これからどんなことになるのか。

 

コロナによる死者数は如何に‥‥。

 

毎週3万人が死んでいく現在の異常な状況の中、南米の死者の割合も多いです。

 

現実は、ドラマやコミックやゲームとは違います。巻き戻しもリセットもないです。このまま、死者を増やし続けて、どのような顛末となるか、太平洋を隔てた極東の地から見守ることにします。

 

 

 


意味の違う言葉

私はこうしてジュゲムにてブログを書いていますが、実のところ、文章は得意ではありません。書くキモチがあるから、懸命に書いているだけで、実のところ、文章そのものは苦手です。

 

‥‥な。今のはわざとですが、「実のところ」を直近で何回も使ったりなど、ヌケをよくやらかします。

 

「たしかに状況的にはXXだが、その場合はたしかにOOしたほうがよい」みたいな、みっともない文を平気で書いて、後から気づいて直す始末。口語と文語は違うので、同じ単語の連続使用(特にIFやOR、言い回し)や、二重否定は避けるべきなのですが、習慣として身についておりません。

 

ただ一方で、世間的な意味と、本当の意味との違いで、迷うこともあります。それは、どちらかというと、私ではなく、世間の習慣が原因です。

 

 

 

ユニーク。

 

私は「独自」など本当の意味で使うことが100%ですが、世間的には「ユーモア」と混同されているようで、「面白おかしい」という意味で受け取る人もそれなりに多く存在します。

 

ユニークな思想。‥‥独自の思想という意味ですが、文字を読んだ人の中には、滑稽で愉快な思想という意味で受け取る人もおりましょう。

 

ユニークなID文字列。‥‥「ぷよぷよもちもち」とか「ぴれぽろひれはれ」とか語感の面白い文字列ではなく、他と被らない唯一独自の文字列‥‥という意味ですが、これもどう取られるかは、人によってまちまちでしょう。

 

ですので、ユニークという言葉は、「独自」「独特」で、かつ、「おもしろおかしい」場合にのみしか、ブログのような媒体では使えません。

 

専門書なら構わないんですが、雑談メインのユルいブログでは、「ユニーク」という言葉は中々意味が伝わらないことも想定して、ユニークよりは「独自」などの日本語を使ったほうが伝わりやすいと感じてます。

 

 

 

適当。

 

良い加減。

 

これはほぼNGですネ。

 

本当の意味として使われることのほうが少なく、「デタラメ」「ルーズ」「あてずっぽう」の意味として取られるでしょう。

 

なので、私はこのブログでは「テキトー」「いーかげん」というスラングを感じさせるひらがな・カタカナ文字で表現して、本来の意味を連想しないように気をつけています。

 

適当‥‥か。

 

昔、ローランドのシーケンサー「MC-80」で、システムエクスクルーシブデータを入力する際に、「チェックサム」を最後に入力する必要がありましたが、「適当な文字を入力」とマニュアルにあったので、「チェックサムって、どうやって計算するんだろう」ととても悩んだことがありました。

 

適当、つまり、適して当たっている値を入力せよ!‥‥と解釈したのですが、実はそのマニュアルの「適当」は「テキトー」の意味で、何らか無作為の2文字を入力すれば、シーケンサー側で計算してチェックサムの2文字へと自動変更しますよ‥‥という意味でした。

 

「なんだそら。」

 

適当って、そういう意味で使ってたのかよ‥‥と脱力しましたが、ローランドのマニュアルでもそんな感じなので、日本の世間一般では、「適当」は「テキトー」であって、「適当」ではない‥‥ということを思い知った出来事でした。

 

 

 

まあ、他をどうこういうよりも、私の文章も相当危ういです。

 

当然と言えば当然‥‥ですが、文章で飯を食っている人たちの標準品質には到底及びません。

 

しかし、そんなこんなも含めて、妙に萎縮して何もしないよりは、「ブログの文章素人品質」に甘えることにして、日々書き綴っています。

 

 


iMac出なかった。

いろいろ噂されてたiMacの新型。WWDCではArm搭載 Macのアナウンスに留まり、新型のハードウェアはiMacを含めて発表なしでした。

 

ちょっと残念ですが、本当に新型iMacが出たら買っていたので、大きな出費が先送りになって、心のどこかで安心してもいます。前にも、秋くらいだとちょうど良い‥‥みたいなことをこのブログで書いたので、Arm 移行前の「新型Intel CPUを搭載したMac」がまさにそんな感じになりそうですネ。

 

 

 

昨日、同僚と話していたのは、WWDCでも言及していた「Rosseta」の話でした。

 

Armに移行するということは、Power PCの時と同じように、今度はIntel Macが徐々に「移行期間の猶予を与えられたのちに、切り捨てられていく」のでは?‥‥と、ハードに詳しい同僚とちょうど話していました。

 

モトローラ68KとPower PC、Power PCとIntel、そして今度は、IntelとArm‥‥というわけです。

 

私としては、「5年もてば良い」という基準なので、秋くらいにIntelのままのiMacが出ても買うとは思うのですが、来年に第1世代のArm Mac群が出るのだとしたら、なかなかビミョーな判断です。

 

少し迷いが生じてます。‥‥深夜にiMacが出てたら有無を言わさず買っていたところですが、思考の猶予が出たので。

 

前にも書きましたが、私は買うタイミングがあまりよろしくない経験をApple製品で何度も体験しており、40〜50万クラスの出費だと悩むところです。

 

今、家で使っている初代iMac 5Kは、メモリモジュールが8GBで打ち止めなので、4スロットで32GBが上限です。次の世代から16GBモジュールOKとなり、理想的な64GBメモリの環境が実現できます。64GBあれば、GPUの古さもなんとか誤魔化して使い続けられるんですよネ‥‥。

 

私の次の大出費を、「ラストIntel」にぶっこむか、はたまた、来年のいつかはわからないけど、新型Arm Macに賭けるかは、まあ、また「皮算用」を楽しみながら、考えるとします。

 

 

 

新型ハードの噂が飛び交っていたネット。

 

私も新型iMacの噂に期待してました。

 

噂は噂でも、誹謗中傷系ではなく、わくわく系だから、全然良いですよネ。

 

土から朝顔の新芽がでるのを待っている小学1年生みたいで、微笑ましいです。

 

 

 

 


ホームページ

有料のブログサービスの編集画面に、以下のような宣伝を掲載するか。

 

 

気にせんわ。

 

ここ最近、この宣伝を見ながら書いてますが、全くやめる気はないス。

 

「オワコン」とか「流行」とかに、ビクビクして生きていきたくないですしネ。昔から流行に左右されるのがイヤなんすよ。

 

ブログなんて、好きにやってりゃ良いんだよね。自分のブログなんだから。

 

あ、そうか。金を稼ぐ下心がある場合は、炎上でも何でもして、流行させたいんでしょうネ。‥‥でも、それじゃあ、自分の好きなように題材を選べないですね。

 

 

 

実は、ブログはオワコンとかいう前に、もっと前に終わった感の強い、個人のホームページ(俗語)を復活したいと思っています。

 

ホームページ、つまりWebサイト。

 

ツイッターは問題外、ブログでも難しい、「読み物としてのWeb」を復活したいんです。

 

いくつもの連続ツイートをまとめサイトでまとめるのって、なんだか、大きな荷物を細かく分解して何十台の小型車で列をなして運ぶがごとくで、小型車の軽快さを忘れ去ってますよネ。読む側が再び繋ぎ合わせて読むのって、何だか馬鹿らしい。

 

大きな荷物は大型車で運べば良いです。

 

軽快な短文は、軽快な手段で発言すれば良いですが、技術解説とか図説入りや動画付きのTIPSを、まさかツイッターでバラバラにして公開するんわけにもいかないですよネ。公開手段も、適材適所です。

 

 

 

だからといって、昔のPageMillとかGoLiveのようなエディタでおもむろに書き綴るのも、いかにも古めかしいです。

 

今はスタイルシートを最大限、有効活用しなくちゃね。そして、PHPなどのスクリプタブルな構造も。

 

ホームページと言っても、昔のような作りかたではなく、こんにち的な作り方で、編集性や可変対応性(言葉が見つかりませんが、要は各プラットフォームごとに見せ方を変えること)を念頭におきたいのです。

 

ゆえに、テンプレート作りが大変。

 

‥‥なので、一向に進まんす。時間が割けないので。

 

 

 

ツイッターの限界は、そろそろ皆が周知しているところです。

 

解説には向かないです。そもそもそういうツールじゃないでしょ。技術解説しようにも、現場の立ち話レベルにしかなりません。

 

ゆえに、長めの文章を書いて公開するサービスも存在しているのでしょう。

 

ブログも使い方次第で、コラムや技術解説用途に使えそうなんですが、イマイチ、刹那的な切り口なんですよネ。投稿日でソートされるんじゃなくて、ユーザの任意のオーダーにしたいところです。第1章、第2章‥‥みたいな構成、例えば、3000円くらいする技術書みたいな構成は、ブログでは不可能です。カテゴリ分けは、章立てとは異なります。

 

 

 

漠然と、基本的なタグでHTML5の文書ファイルとして書いておいて、ルックやプラットフォーム別の対応は、後回しにしておけば良いんでしょうネ。

 

で、そのHTMLの内容を、PHPのようなスクリプトで流し込む‥‥と。

 

コンテンツがなければ、流し込みようもないですもんネ。

 

デザインを変えたくなったら、本文はそのままに、デザインだけを差し替えられる構造を、(ブログサービスに頼るだけでなく)個人でもビルドしておけば良いのです。

 

 

 

些末なTIPSがSNSで飛び交う今だからこそ、体系だった文書が必要になることもありましょう。

 

例えば、カットアウト技法なんて、ツイッターやブログ媒体では散らかって煩雑すぎて、説明しようにもロスがデカすぎですしネ。

 

 

- - -

 

 

いきなり余談ですが。

 

そういえば、ネットの「死にトリ・つらチェック」が話題で、現在、サーバの応答がない状態になっていますが、私はやってみた結果「7点」でした。

 

shinitori.net/diagnosis/

 

生きているのが辛い度、100点満点中、7点。

 

イージーモード‥‥だとな。

 

確かに、そういうフシはあります。最近の夢は、アメリカンクルーザータイプの250ccを買って、テイクイットイージーを「テキリイ〜ジ、テキリイ〜イイ〜ジ〜」と口ずさみながら、iPadを持って旅に出たい‥‥と思ってましたからネ。

 

 

 

 

日々イージーで、お気楽でいいね‥‥とかいう人もいましょう。‥‥観察力がないなあ‥‥。ゆえにデリカシーもない。イージーの向こう側に在る虚無を知覚できんとは。

 

生きているのが辛い度が7点の人間は、言うなれば、

 

いつか必ず死んでしまうことが辛すぎる度、93点

 

‥‥ですヨ。

 

実際、私は死に対する強迫観念が強いです。例えば、150年後には、私はもちろん、親しい人々が確実に皆全員死んで消滅している‥‥と考えると、物凄い恐怖感に苛まれます。今、こうして生きていることが、100年後、200年後、全くなかったことになるのが、リアルに想像できてしまうのです。もっと言えば、数億年後に人類の文明自体が消滅している情景が、風の音と共に思い浮かびます。

 

結局、生だろうが、死だろうが、どちらかに偏っている状態は、圧倒的な絶望を知覚して日々抱えていることには変わりないです。強い日差しは、濃い影を落とします。濃い影は、強い日差しによって生じます。適度に暖かくて、たまに雲が光を遮って、晴れたり曇ったり、雨で潤ったり‥‥が暮らしやすいのでしょうけど、なかなか‥‥。

 

ただ、影よりは光。

 

生を肯定して、死に恐れる方が、色々と社会では都合良いでしょうけどネ。

 

どうせ、こうして生きているんで、生を否定するよりは、肯定したいと思うだけです。それは決して、心底イージーではないです。

 

 

 

脱線しましたが、ホームページ。

 

何かを記す、作品を作る‥‥というのは、やはり死生観とは無縁ではありますまい。

 

ホームページのコンテンツも、その死生観の一環です。

 

猫を好きな人が、猫のことをネットに公開したいと思う時‥‥

 

昔、一匹の猫と共に生き、日々、暮らした。

 

その猫を、どんなに好いていたか。

 

その猫との暮らしを、どんなに幸せに思っていたか。

 

 

実際の猫や当人は知り得なくても、書き記した幸福感はもしかしたら、何百年も未来に伝わることがあるかも知れませんよネ。

 

音楽もそうです。生活様式も言語も違う200年前のドイツ人が感じた幸福感が、音楽を通して、アジアの小国の人間に伝播することがあります。

 

何かを記す、作る‥‥とは、死後に消滅してしまう自分自身の存在に対する、何らかのアクションとも思えます。アクションしたところで、とりとめもない‥‥ですが。

 

で。

 

コンピュータを毎日使ってるんだもん。

 

コンピュータで何かを作りたい、公開したい‥‥というのは、至極当然だしょ。

 

 


真面目

「楽器が上手い人は、基本、真面目。‥‥じゃないと上達しないから。」とはピアノを幼少の頃から弾いていた人の言葉。

 

確かに、ギターでも、絵でもそうですネ。表面はチャラくてもルーズでも、表現する技術の根本に対しては真面目じゃないと、上手くはならんス。「できないことを、できるようにする」上達の苦しみから逃げていれば、上手くはならんもん。TIPSで誤魔化せる類いのものではないです。

 

「女の子にモテたいから、ギターを弾いた」‥‥という超絶技巧ギタリストの言葉は、付随した動機としてはあるでしょうが、ジョークを真に受けるべからず。

 

 

 

楽器や絵が上手い人が、いかにも全方面に真面目な人か?‥‥というと、そうでもないです。

 

同じく、楽器や絵が上達しない人が、いかにも不真面目か?‥‥というと、やっぱり、そうでもないです。

 

 

 

人間は、真面目と不真面目な部分を併せ持っていて、「真面目のエネルギー」がどこに向いているかの個人差だと思います。

 

絵画教室や音楽教室に通って課題をこなしていても、「上手い自分の姿を夢見てる」だけに過ぎず、厳しく辛い上達の過程はできるだけやりたくないと思っていれば、上手くはならないですよネ。そもそも絵や演奏が好きじゃないのなら、上達はしませんよネ。

 

絵を描くこと、演奏することに、真面目さが直に発揮されれば、自然と上達するのです。

 

「弾けないフレーズを絶対に弾けるように練習しまくる」「描けない絵を描けるようになるまでとことん追求する」と言った内面があれば、恐ろしく上達するものです。

 

飯食ってるか、寝てる以外は、ギターを弾いてる、絵を描いている‥‥なんてことは、リアルに有り得るのです。

 

 

 

では、上手くならない人は不真面目か‥‥というと、技術とは違うところが真面目で、真面目のエネルギーが芸の技術に結びついてないのでしょう。

 

自分の「真面目のエネルギー」が、技術に結びついているか否かは、「義務感」で見分けがつきます。

 

技術向上の過程において、義務感を自らに科している場合、真面目のエネルギーは技術向上には結びついていません。

 

皮肉な話ですが、義務感が強いほど、芸の上達にはマイナス‥‥なんてこともあります。義務感を感じている時点で、表現の本質と遠いのです。当人の真面目さが義務感の方に流れて、技術そのものに流れないわけです。

 

何々の課題を提出して、1日に何時間練習して‥‥なんて、まさに義務感の強迫観念であって、自分が技術に向いていないことがわかります。

 

義務感で行動することには真面目でも、技術の練習内容はやっつけ仕事で不真面目です。初心者で下手なのに間に合わせの消化試合‥‥なんて、上達するはずがないです。

 

そういう人は、絵や音楽や映像の表現技術に携わるよりも、もっと自分を活かせる分野があるのです。

 

 

 

本当に上手くなりたい、できるようになりたいと思う人は、課題とか何時間とか何点とか計算なしに、のめり込んで練習します。

 

打算にまみれた義務なんて考える事自体がありません。上手くなろうとすることにストレートで純粋で真面目です。

 

「義務感なんて関係ない。とことんやるだけだ。ただただ引き寄せられて、無我夢中になってしまう。」と思うのなら、いかにも向いてますよネ。

 

 

 

自分の「真面目」がどこに向いているのか、10〜30代はまだ色々と手探りで探ったほうが良いですが、40代以降はさすがに見極めておかないとアカンですネ。

 

自分の真面目さがどこに向くのか‥‥は、「人それぞれの宿命」としか言いようがないです。

 

宿命。

 

運命と違って、宿命は「宿って」いるがゆえに、死ぬまで抱え続けますが、自分で認識できているつもりでも、度々、思い違いを起こします。

 

自分の内部に宿っているので、自分の心臓を直に肉眼で見れないのと同じです。

 

宿命は取り替えることのできない、自分の内臓と同じ。‥‥しかも、客観的に状態をジャッジすることも難しい。

 

だからこそ、宿命の使い方=自分の使い方に、誰しも悩み迷い苦しむ過程があるのでしょう。

 

 

 

私が最近、絵やアニメだけでなく、ギターなどの音楽のブログ記事を書いているのは、自分のルーツというか、宿命の「洗浄作業」の一環なのかな‥‥と思うことがあります。

 

50年も生きると、「真面目」や「宿命」には色んなものがまとわりつきます。「しがらみ」なんて要素は一番の負荷でしょうネ。

 

自分の真面目さのエネルギーが妙にフリクションロスして出力が半分以下に感じる人は、実は結構多いんじゃないでしょうか。

 

私は、小学生の頃に弾いていたギターをレストアしている最中ですが、その行為がまさに、自分の宿命の「内部回路」に対して正常に電流が流れるべくメンテしている、いわば「比喩」なんだと思います。ホット・コールド・グラウンドがノイズにまみれることなく、アース不良なく、機能しているか‥‥ですネ。

 

レストアにはお金もかかります。お金のあるうちに、レストアしておかないと、もう2度と動かなくなることもあります。なので、今、やっておかないとマズいと、直感的に思うのです。

 

 

 

自分の真面目さが、本来ならどの方面のどこに威力を発揮するのか、コロナ自粛期間は、再認識の機会を与えてくれているように思います。

 

 


doc、pages、Google Doc...

各種書類を紙ではなくファイルでやりとりする際に、特に事務系だと、docファイル〜Word書類で流通しがちなんですが、これがまた互換性が低くて、対応に手間取ります。

 

私は作業環境がmacOSとiOSなので、PagesかGoogleドキュメントに頼ることになります。しかし、まともに開けた試しがないです。フォントの置換で済めばラッキーで、多くは書類全体のレイアウトが崩れて、消えてしまうオブジェクトすら存在します。

 

文字揃えを調整するのに、空白文字(スペース)の連打で位置調整している方法を使っていると、空白文字の幅が異なるがゆえに、レイアウトが大きく崩れます。20年以上前に、HTMLで「ホームページ」を作っていた人の中には、同じ方法で文字のレイアウトをしている人もいました。

 

まだスタイルシートの概念が定着する前で、

 

ホームページへようこ

そ。

 

‥‥のようなレイアウトがあちこちで見られたのを思い出します。自分の使っているパソコンでは1行で見えているんだろうな‥‥と思いつつ、皆、「意味が伝わればいい」的にスルーしていましたネ。

 

空白文字で位置を調整する方法は、環境に大きく左右されるので、簡単にレイアウトは崩壊するんですよネ。アラインもインデントも使いわけていない状態なので、ましてやパディングやマージンなど使うはずもなく、崩れたレイアウトを1つ1つ直すことになります。

 

 

 

でもまあ、レイアウトの崩れは直せばなんとかなります。

 

しかし、WordとPagesとGoogleドキュメントの機能の違いは如何ともしがたいです。

 

Pagesの表は「表計算いつでもOK」なので、おもむろに「=」を入力すると、SUM()やらCOUNTIF()が即座に使えます。

 

てっきり、Googleドキュメントも同じだと思ってましたけど、どうも違うらしいです。

 

私はそそかっしいので、例えば、日時は自動にしたいのです。先月の報告書を書く際に、月の入力欄を「=MONTH(TODAY)-1&"月"」で済ませたいス。

*Pagesはテンプレートとして使い、月々の書類はインスタンス的にテンプレートからPDF出力するので、MONTH(TODAY)を使っても大丈夫なのです。

 

Pagesだと普通に関数が入力できるのですが、Googleドキュメントのドキュメントだと(ややこしい〜つまり、スプレッドシートではなく、doc系のドキュメント)、表はあくまで表であって表計算の機能はないっぽいです。

 

‥‥いや、あるのかな? 機能を目覚めさせる方法が。

 

 

 

Numbersはいわゆるエクセルやスプレッドシートと同じカテゴリなので、もちろん関数は使えます。

 

そうじゃなくて、Googleの文書の中に表示されている表に、表計算の機能が欲しいわけです。Pagesでは普通にできることなんで、他でもできると思ってました。

 

ちなみに、オリジナルのdocやPDFをPagesで読み込んで、表を新規作成して、配置をオーバーレイにして、枠線を無しに設定すれば、「かぶせ」で表計算機能を足すことができます。‥‥まあ、かっこわるい方法ですが、仕方にゃーで。

 

 

 

何を言っても、紙ではないぶん、それだけで御の字です。今はまだ過渡期なので、ファイルの形式による機能の齟齬は致し方あるまい‥‥です。

 

紙と捺印だったら、テレワークの意味がないですもんネ。

 

 


東京アラート。

東京アラート発令ス。

 

調べてみると、実効力の弱い注意喚起のようで、外出自粛要請ではないそうな。

 

注意喚起をして、明日の満員電車は少しは減るのかね?

 

 

 

まあ、経緯を見守りましょう。

 

 

 



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