めばえ

自分は何が得意なんだろう。‥‥その「何とないけれど、とても重要な、命題」を自己認識するために、5〜25歳の20年が誰に対しても用意されているのだと思います。特に映像娯楽産業の類いは、学校の勉強では教えてくれないことばかりが必要になりますから、それこそ10歳前後で何らかの「兆候」が現れないと、5〜25歳までの期間を単に「行事を消化する」20年にしてしまいかねません。

 

特に5〜9歳あたりの「欲求の芽生え」は、実はものすごい重要度をもって、当人に運命的とも言える強い影響が生じる‥‥と、つくづく感じます。

 

勘違いしないでおきたいのは、既に5〜9歳の子供が、自分の未来を実感している‥‥というわけではなく、自分の未来を左右する「思考と行動の基本」が芽生えるということです。

 

今でも覚えていますが、私は小さい頃「肉屋さん」になりたいと絵に描いたことがありました。お肉が好きだったので‥‥。全然自分の未来を予測できていませんよネ。私に限らず、子供の頃に考える「実際の職業」なんて、誰しも、大きく的を外していることでしょう。

 

子供の頃に芽生えるのは、自分がどのように物事を考え、かつ、実際にどのように行動するか‥‥という「光や風や影」のような「手では掴めない」けれど実際に「大きな役割を担う何か」です。

 

成長する間に、色々な出来事と遭遇し、表面上の性格は大きく変動するかも知れません。しかし、当人の体験から得た知識や経験則よりももっと深いところにある「原理」は、5歳くらいからの10年未満で形成がほぼ完了してしまう気がします。

 

 

 

打算などかなぐり捨てたフィールド、計算や損得勘定では割り切れない、自分の「行動の不思議」、もっと遡れば、自分の「思考の不思議」が、幼い頃の自分に深くリンクしていると思うのです。自分ですら「ミッシング」した思っているリンクでも、実は見えないところで恐ろしく太く強い信号線で繋がっているのでしょう。

 

大人になってから、後付けで絵を好きになろうとしても、結構キツいと思うんですヨ。

 

自分の中の原理が「ソレじゃない」と自動判断するがゆえに、結果、1週間で1枚くらいしか絵を描かなくて、それでも「絵を描けるといいことがありそうだから」みたいなスケベ根性だけは大人になってしまった自分はもたげていて‥‥というのは、まあ、未来には繋がらないですよネ。

 

絵を描く、映像を作る、お話を作る‥‥というのは、やっぱり、自分で「作る」ことの喜びを、自覚なしでも「体や脳の奥で」知っているからです。

 

キャラクターを描く、キャラクターを動かす。キャラクターの人物像に迫る。情景を見る。色彩や陰影を感じる。水や炎の動く様や音を感じる。何かを綺麗だと思う。美しいと思う。

 

これは極端に言えば、自分の愛し方、そして、自分の愛され方に、深く繋がっていると思います。

 

愛する。愛される。生まれ出でた時から必要なプロセスが、どのように積み重なっていって、幼少の自分を形成したかは、考えてみれば重要極まりないことが解ります。

*「愛」とは世間的に複雑で微妙で曖昧な言葉ですが、実はそんなに難しく考えることもないシンプルな内容だと最近は判ってきました。そのことについてここでは風呂敷を広げませんけど。‥‥それに「愛の定義」を自分で見つけられない時点で、人から言葉だけ聞いても理解できないものでしょうしネ。

 

 

 

ただ、そうした自分の原理と向き合っているだけでは「お金は稼げない」ですから、その原理から湧き出るいくつもの潮流を「活用」して「仕事に変えていく」のは大人になった自分です。

 

逆に言えば、打算で色んなものを欲張っても、自分の原理とそぐわなければ、さらなる活用や応用、発展は難しいと思います。「これに噛んでおけばイイコトがありそうだ」なんて、いつかどこかで息切れします。

 

人付き合いは、仕事に合わせて変えられるでしょう。しかし、人の愛し方は、仕事のノウハウでどうこうできるものではないです。しかし、当人の「愛し方・愛され方」がビジネスの表面にも滲み出ることはあるでしょう。

 

それを考えれば、お役所手続きだけでは完結しない、人と人との繋がりで形成されるビジネスにおいては、当人の原理がプラスにもマイナスにも作用することは、理屈で考えて「当然」と言えます。

 

絵の面白いところは、たとえ人付きあいそのものが苦手でも、絵で自分を表現できるところ‥‥でしょうネ。絵を介して、他者と繋がる‥‥という「絵という言語」でコミュニケーションできるのが何とも面白いです。絵を介して、打ち解けていく‥‥ということもあるのです。

 

絵に限らず、人それぞれ、自分の原理に基づく言語を見出しているのでしょう。‥‥いや、見出していない人もいるのか。そもそも、自分の原理を見つめなくても生きていける人は、世の中には結構多いですもんね。

 

絵はそういった意味では、自分の原理から大きな影響を受けるものなので、絵を描いて生活していくというのは、「自分を追い詰めやすい」職業を選択した‥‥と言えるのかも知れませんネ。

 

深夜のアニメを見て軽い感想を述べる程度なら、アニメファンのままで良いです。しかし、アニメを職業にして、しかもクリエイティブに関与するのなら、自分の「芽生え」の部分に立ち戻って、「自分は何なのだろう」という様々な自己分析と自己批判が必要になるのでしょう。

 

 

 


捨て身ではなく、攻めで。

存在意義、存在理由の確認は、特に20代中頃の若い年頃には確かめたくてしょうがないものです。なぜかって、自分に自信を持ちきれていないわりに、周りからはそこそこ頼りにされているので、本当に自分に価値はあるのか、知りたいからです。

 

「俺はもう辞める!(=ここから出て行く)」

 

‥‥というのは、私も若い頃に何度も思ったものです。なにせ、アニメの作画の報酬は昔も今と変わらず安かったですもんネ。フリーランスの原画マンでしたから、アニメ会社からは何の保証もなく、尚更でした。

 

このセリフには裏があって、

 

「俺が辞めると困るでしょ」

 

‥‥というある種の「恫喝」が含まれています。周囲の「そんなこと言わないでよ。辞めないでよ。」という引き止めを見越しての発言‥‥というわけです。「そんなに思い詰めて‥‥」と周囲の罪悪感も引き出せるかも知れませんネ。

 

こうした「辞めてやる」戦法は、即効性は強いものの効果は一時的で少なく、さらには「いつか辞める人」というマイナスイメージを周囲に植え付ける結果ともなります。「辞めてやる」戦法は、身軽な20代までしか使えない、リスクの大きな「捨て身」戦法なのです。

 

 

 

ではどうすれば良いかというと、様々な価値で自分を武装するところから、20代の若気の至りからの脱出が始まります。

 

1個の武器では弱点や急所だらけなのを、徐々に増強していくのです。例えば、絵を描くにしても、アニメの線画ばかり10年描くのではなく、着彩したイラストやコミックなどにも挑戦すべきでしょう。風景画を描けるスキルも有効です。

 

しかし、20代の頃は「自分の武器の少なさ」を客観的に認識できませんし、特に20代前半には時間的制約(=自分の基礎を作ることに時間を要すため)から複数の武器を持てるほど経験を積み重ねられません。

 

ゆえに、徐々に、かつ、確実に、「自分を1つではなく、複数の価値で支える」取り組みを開始するのです。

 

 

 

原画マンは、作監、キャラデザと作画の「出世コース」が用意されてはいますが、誰もがその出世コースに乗れるわけではないですし、一生キャラデザインで食っていける人は極めて僅かでしょう。

 

アニメ撮影に至っては、撮影の次は、撮影監督で頭打ちです。

 

要は、1つの役職、1つの工程、1つのセクションで自分をカテゴライズすると、早々に「昇進の限界」が生ずるわけです。

 

例えば、10人の撮影スタッフが居て、その内8人が撮影監督‥‥とか、如何にもバランスが悪いですよネ。残りの2人は、まさか撮影監督に「空き」が出るまで、どんなにレベルアップしても撮影監督になれなかったりしてネ。

 

 

 

お盆休みの高速道路みたいに、同じ道に大量の自動車が殺到するから大渋滞が起こるんですよ。昇進コースに大量の人間が殺到すれば、状況は真っ赤っかです。

 

 

 

なので、様々な価値で自分を武装することが必要になります。複数の足場で、複数のアプローチで、立体的に状況を作ることで、満員御礼大渋滞の昇進コースで順番待ちをすることなく、違うコースで自分の人生を展開できます。

 

しかし、武器の1つ1つが実戦で使い物にならなければ、これまた逆効果です。「色んなものには手を出しているけど、どれも使えそうもない中途半端なヤツ」みたいに認識され、一向に仕事の幅など広げていけません。

 

色々なモノに手を出しただけでは、新しい武器になるどころか、何も獲得できずに人生を無駄に消費するだけです。一定以上を踏み込むからこそ、今までとは違う何かを掴めるのです。体験学習や体験コースで幅が広がるなら、そんな簡単なことはないわけで、「あいつは狂ったのか?」と思うくらいに夢中に熱心に踏み込んでこそ、掴んで自分の武器にできます。

 

なので、20〜30代の体力があるうちです。夢中に熱心に‥‥を支えるのは、体力そのものです。

 

 

 

「辞めてやる」戦法一本槍だった自分からいつしか変わって、新しい戦法〜立体的な戦術と戦略で自分の行動計画を立案できるようになるのは、複数の武器で武装する習慣が身につくから‥‥とも言えます。

 

 

 

色々な武器が身についたら、いよいよ「ひとりエアランドバトル」の開始です。自分一人でどんなに小規模でも、「陸海空」的要素を動員した戦術は、様々な場面で有利に展開できるでしょう。陸がピンチなら空から援護すれば良いのです。

 

もう「辞めてやる」「出て行く」と啖呵を切らずとも、自分の「存在意義」を自分自身で確信できる自分(「自分」が多いな)に変わっていることと思います。

 

自分に与えられた仕事だけでなく、自分から攻めにいく仕事の「ビジョン」も、常日頃からイメージできるようにもなります。

 

 

 

俺は今まで、1000カット、1万カットもやったんだ! なぜそれを評価してくれないんだ!

 

いえいえ、周囲はちゃんと1000カット、1万カットやったことを認識しています。

 

違う言い方をすれば、1000カット、1万カットやったこと「だけ」を認識しています。

 

他者の認識を変えていくには、あたりまえで当然のことですが、他者の認識が変わることを実行すれば良いのです。同じことを繰り返すから、周囲は同じ認識のままなのです。

 

新たな広がりを得るのは、新たなことをまず自分自身で開始することです。

 

自分の中の要素を、点から線へ、線から平面へ、平面から立体へ、そしてその立体に時間軸を追加して「4次元」的に組み立てていきましょう。

 

 

 

1点に集中して生きるのも人生です。‥‥であるならば、立方体を羨ましがってはいけません。1点でとどまってどう生きるかを考えるべきです。

 

私は1点集中では生きていけないようなので、立体を時間軸で動かして、生きていこうと思います。

 

 

 

今は、iMac 5Kがあり、iPadもあるからな。

 

この「時代的事実」はあまりにもデカいです。

 

 

 

iPadは立体的に活動するのに、とても使い勝手の良い、優れたツールです。アニメの線画だけに終始する道具ではないです。自分の「絵が描ける」という能力を、アイデアと工夫次第で、自分自身を横にも前にも上にも拡張できます。

 

令和は色々と大変そうな時代ですが、一方で、テクノロジーが味方になってくれるので、なんだか差し引きゼロで、あとは個人の推進力次第。

 

時代がマイナスに作用しないだけ有利!‥‥とも思う今日この頃です。

 

*一番安いiPadとApple Pencil、Procreateや「コンセプト」Appがあるだけで、自分の画力を元手に、色々な拡張ができます。自分の能力を「一点」に閉じ込めるのではなく、「マイ・ビッグバン」で爆発させましょう。

 

 


人身

今日、中央線の立川駅で早朝に人身事故(飛び込み自殺とのこと)、昼に総武線で同じく人身事故(やはり飛び込み自殺らしいです)で、今日の中央・総武線は、大混乱でしょう。

 

中央線は昔から、それこそ私が中央線沿線で暮らしたり仕事するようになった20〜30年前から、人身事故‥‥というか飛び込み自殺は絶えなかったのですが、朝と昼に2回も発生したのは聞いた覚えがありません。

 

ツイッターで「駅員に怒鳴っているオジさんがいた」と見かけましたが、それに限らず、駅員に怒鳴ってどうこうなる問題ではないのに、そのオジさんっていったい歳はいくつなんだろう、イイ歳して逆上して冷静な判断を失ったのかと呆れます。電車の中で赤ちゃんが泣いているのを怒るオジさんもいる‥‥との話をどこかで聞いたことがありますが、そのオジさんて自分が赤ちゃんだった時に公共の場所で一切泣かなかったんですかね。まあ、散々歳を食って生きてきたオジさんの中にも、道理も合理も状況判断も通じない馬鹿な奴はいるよ。

 

確かに、公共交通機関が停止するのは、予定が全て狂うので、困るは困るでしょう。

 

ただね‥‥。私は怒鳴る気持ちにはなれないです。どんな理由があれ、人が自ら命を絶ったのなら、例え見知らぬ人でも「そうか‥‥」と思うしかないです。

 

できることは、その後の予定に関係する諸氏に連絡することです。遅刻にまつわる手配をするだけです。人身事故をどんなに恨んでも、現実は現実なので。‥‥駅員に怒鳴ったからと言って、人身事故の事実や影響が消え去るわけがないです。

 

 

 

ちなみに‥‥。

 

私は高校生の頃、駅のホームで乗車待ちをしていて、斜めに立っていたオジさんが飛び込み自殺をしたのに「居合わせた」ことがあります。

 

斜めと言っても、私が立っていた位置のさらに進行方向側だったので、飛び込む瞬間も轢かれる瞬間も見ていません。

 

ただ、音だけは鮮明に覚えていて、電車が私の前を通過する少し前に「プア〜〜〜ン!!」と電車が鳴らしたクラクションの音、そして、オジさんの後ろで乗車待ちをしていたオバさんたちの「キャーーーー!!!」という悲鳴(=目の前で乗車待ちしていたオジさんが飛び込むのをモロに見たでしょうから、そりゃあ、叫びますよね)を、今でも覚えています。

 

私はそのオバさんたち(3人くらいだったと思う)の「お陰」で、オジさんの姿が隠れて、ふら〜っと飛び込む瞬間を見ずに済みました。オバさんたちが悲鳴を上げて、放射状に後退りするビジュアルは覚えています。私はその時、「クラクションを鳴らされたからって、そんなに大声で叫んで驚くなんて、オーバーだなぁ」としか状況を理解できませんでした。オジさんが飛び込んだなんて、思いもしなかったのです。

*ふら〜‥‥と飛び込んだというのは、オバさんたちが警察に話していて、伝聞で知っただけで、私からは全く見えませんでした。

 

その後、ホームの中途の位置で電車は止まり、すぐに駅員や警察が駆けつけ対応が始まりました。ホームと電車の間から覗くと、靴が転がっていたように記憶します。遺体も血も見えませんでした。‥‥面白がってあれこれ見る気にはなりませんでしたし。

 

しばらくして、停止していた電車がゆっくりとバックして動き出した際の「ギィィィィィ‥‥‥」という重く軋んだ音も覚えています。

 

1時間かそれ以上は電車は動かなかったと記憶します。40年近く前の、京浜東北線での出来事でした。

 

 

 

そういうわけで、私は駅の飛び込み自殺を、どうにも「迷惑のひとこと」で済ませられないのです。「あんなことがあったのなら、そりゃあ、電車もしばらく止まるわ‥‥」と思い出してしまうのです。

 

公共の迷惑だとか、許すべきだの、許さないべきだの、議論する気もないです。

 

「そうか‥‥自分で自分の命を絶った人が、またひとり増えたんだな‥‥」としか思い至れないです。そりゃあ、電車が遅れるのは困るけどさ‥‥、「言葉だけで議論」する気にはなれんです。

 

 

 

 


今年もあと半分。

今年もあと半分となりました。

 

今年前半は特にしんどかった。。。色々なことに追われて、セルフネグレクトに陥りそうな自分を抑制するので精一杯だったような気もします。

 

セルフネグレクトはわかりやすいサインですよネ。なので、自己検証は可能であり、自分自身で回避可能です。自分の机に、数日前のコーヒーの空き缶が置きっぱなしになっていれば、いかにも解りやすいサインですもんネ。

 

 

 

人の感情など「さじ加減」で「いい加減」で、ダメだと思う時は悪いことばかりをチョイスしてダメな理由で武装しちゃうし、良い時はなんでもポジティブな気分になって全てのドアが開放状態になります。

 

でも、実はそうした「躁鬱」の状態に身を任せるのは、どっちも宜しくないのですよネ。全閉も全開も実は危険状態です。プラスであれマイナスであれ、極端な挙動はそのあとに大きな反動が出るので、加速時も減速時も旋回時も、冷静な状況判断とハンドルさばきが必要なのだと思います。

 

 

 

日本のカットアウトは夜明け前で、日本には太陽はまだ昇らないのか‥‥と、悲観的な気分にもなりますが、冷静に状況を判断し試算すれば、必ず太陽は東から姿を現すことは解りきっています。地道に、イキらずに、クールに淡々と実践しつつ、水平線が明るくなるのを待てば良いです。いくら焦っても、日の出の時刻は決まっているのでしょうしネ。

 

欧米の「8:2の割合」は、やがて日本にも訪れるであろうことは、ひしひしと実感する毎日なのですから、状況が整った時にすぐに展開できるように今は準備を着々と進めましょう。

 

Toon BoomのHarmony Premiumは高いソフトですが、使いこなせばF-15E戦闘爆撃機級に、ドッグファイトで良し、対地攻撃で良しで、「未来の戦場の様相」が見えてきます。どんどん中身を知れば知るほど、未来のアイデアを「統合的」に思い浮かべることができます。

 

Harmony Premiumを「マルチロールファイター」として考えれば、高くて当然とも言えます。高ければ高いなりに、今までの常識では考えられなかった戦果をどんどん積み上げれば良いのです。

 

 

 

 

満ち潮もあれば、引き潮もあります。昼もあれば、夜もあります。‥‥それを考えれば、昼間の太陽だけでなく、夜の月をイメージすることも、大切なんでしょうネ。

 

コンピュータも考えてみれば、地球の物質から生み出されたのです。アナログとかデジタルとか言って分け隔てせずに、全て地球から生み出されたものと考えれば、アナログ信者にもデジタル信者にもならず、ニュートラルな思考が可能でしょう。

 

 

 

今年残り半分、オーバーヒートもオーバークールもしないよう、アクセルを最適に踏み込んで、まずは7月8月を乗り切ります。

 

 


沖縄戦

今日、6月23日は沖縄戦終結の日です。東京大空襲(3月10日)や、オラドゥール村の虐殺(6月10日)と並んで、沖縄戦の凄惨な戦闘は、のちの世界を生きる日本人なら覚えておきたい「戦争を抑止する記憶」です。

 

本当にそんなことが事実として起こり得たのかと、耳を疑う出来事の連続です。

 

戦争に反対して平和な日々を1日でも多く欲するのなら、戦争の過去の歴史を遠ざけるのではなく、むしろ近づいて様々な視点から自分なりに研究することです。

 

人間は、ここまで残忍になれる‥‥という事実を、自分の日々の怒りや憎しみの中に見出して、自分自身をまず抑止することを学ぶのが、まさに身の丈の戦争反対の実践です。野放図に怒りや憎しみや敵対心をバラ撒くことが自由ではあるまい。ツイッターはそういった意味で、戦争の根元を見るようです。

 

 

 

兵器を「人殺しの道具」で片付けては、何の進歩も教訓も得られません。

 

武士の刀や鎧が示す通り、武器は機能美に溢れています。その機能とは、敵を打ち倒し、自分が勝つ‥‥という機能です。

 

戦国時代の騎馬を「かっこいい!」と思うのと、「F-15」「10式戦車」をかっこいい!と思うのは、実は根っこは同じです。でも近代兵器の方が残忍だと思われがちですけどネ。

 

戦国時代の合戦のエピソード、現代兵器のスペックなど、兵器や戦争を知れば知るほど、「かっこいい」だけでは終わらずに「実際に殺されるのは絶対に嫌だ」と思うようになります。

 

国宝館に飾ってある歴史的な名刀でも、その刀で実際に切りつけられて野原に倒れ、半死のままカラスにつつかれて、12時間以上さんざん悶え苦しんだのちに死ぬ‥‥なんて、誰だって嫌でしょ?

 

 

 

沖縄戦のエピソードは、実際に民間人の居住区が戦域となり、戦闘に巻き込まれた点で、本土の戦争状態(空襲)とは大きく性質が異なります。

 

日本本土決戦、アメリカからみれば、オリンピック作戦とコロネット作戦〜ダウンフォール作戦が実際に発動すれば、沖縄と同じく、民間人を膨大に巻き込んだ惨劇が日本各地で繰り広げられたことでしょう。一説によれば、アメリカはダウンフォール作戦で50万人の米兵戦死者を概算していたとか。

 

*少年兵と呼ぶにも、あまりにも若い、あどけない少年たちが召集され、その半数が戦死したと伝えられています。

 

 

私は子供の頃から「大和と武蔵」とか「戦艦武蔵のさいご」とか子供向けハードカバー本を読んでいたので、戦史について興味があり、今ではKindleで様々な時代の戦史を読んでいます。

 

ゆえに、命のやり取りなど微塵もない、美少女キャラを飾り立てるだけの兵器は、私はどうしても馴染めません。兵器の非情なまでの「機能美」は認識するものの、おもちゃのように弄ぼうとは思いません。

 

「戦艦武蔵のさいご」をアマゾンで探してみたら、私が子供時代に読んだのと全く同じ本が、今でも古本で売ってました。

 

*かなりエグい内容です。銃弾を受けて腹が裂けて、腸がとび出た同期の兵の描写とか、文章で読んだだけなのに、今でもイメージが思い浮かびます。

 

 

沖縄戦といえば、特攻も盛んに実施された戦いでした。

 

子犬を抱いた17歳の少年飛行兵も、沖縄戦で戦死しました。写真中央の犬を抱いた飛行兵は、実際に特攻によって、米海軍のDD-630「ブレイン」に突入したとのことです。DD-630は沈没こそ免れたものの、戦域を離れ後方に下がり終戦を迎えました。

 

 

 

子犬のかわいさと少年の飾り気のない表情が、かえって辛く切なく、心に沁みます。

 

 

 

最近読んだ記事で、「日本が第二次世界大戦で戦っていない国はどこか」という質問を大学生(女子大)に質問したところ、ギャグではなくマジメに「アメリカ」と答えた学生が十数人いたとか。

 

太平洋戦争を中学・高校で習わずして、大学って合格できるんですネ‥‥。まあ、特殊な例とは思いたいですが。

 

正解は「.▲瓮螢 ▲疋ぅ帖´5譽熟◆´ぅーストラリア」の中で、「▲疋ぅ帖廚任后ドイツは同盟国で、日本が負ける前に、降伏して負けましたので、戦いようがありません。

 

ひっかけとしては「ぅーストラリア」か、日本が無条件降伏する寸前で攻めてきた「5譽熟◆廚任△辰董◆岫.▲瓮螢」と答えた女子大生は、まさに戦後も戦後、日本と仲の良いアメリカだけを知っている世代なんでしょうネ。

 

信じられない‥‥というよりも、これが「これから来る令和の時代」だと記事でも書かれていましたが、正直、私も驚きました。

 

さらに、学生は「どっちが勝ったんですか?」と挙手して質問したとか。

 

 

 

戦争の歴史を遠ざけても、戦争抑止には繋がりません。逆に無知になって、戦争をその場の雰囲気で安易に肯定しちゃうんじゃないですかね。

 

アメリカと日本が戦ったことすら知らない世代が、どうやって、戦争の悲惨さを認識するのか。

 

あちゃ−‥‥‥と言う感じで、少々考えが混濁しております。ホントに知らんのかな‥‥、日米戦争と無条件降伏を。

 

 

 

アニメが作れるのは、何だかんだ言っても、平和な世の中だからです。

 

しかし‥‥。

 

もしかしたら、戦争の悲惨な記憶が薄れて、無かったことになった時、戦争は再び起きるのかも知れませんネ。

 

 

 

 


幼少と運命

少年少女時代に、才能が育つ土壌が決まる‥‥と言っても過言ではない、絵や音楽の世界。

 

30〜40代でゼロからアニメーターになれますか?‥‥という質問を昔から見かけますけど、安易に「努力次第」とか答えちゃうのは、何だか、いかにも他人事のアドバイスで、ある種、酷いことです。

 

質問するほうも、「アニメの簡略化した絵なら、自分でもできるかも」という、無意識のアニメ技術への見くびり・見下しがあることも、注目すべき特徴です。まあ、顔だけならパターンで描けるかも知れませんが、全身の様々なポーズ、小物や乗り物などをそれらしく描くのは、アニメの略画だろうと、根本的な観察力と分析力と理解力が必要です。ある一定以上のレベルの絵を描こうとすれば、アニメの絵はものすご〜〜〜〜〜く難しいです。

 

残酷な話ですが、瞬時の構造把握能力、直感による構成力は、10代半ばまでにフィックスしてしまって、20代以降に強化できるのは、理詰めの分析力と構成力、後付けの知識と経験です。

 

 

 

例えば音楽。

 

休符が小刻みに入ったり2拍3連符などの少しヒネったリズム感、不思議なテンションを伴った和音の響きを聴き分ける能力なども、子供の頃にどんな音楽を聴いていたかが、かなり深刻に本人に作用します。

 

4/4拍子の中に8分音符で「ドレミファソ」を繰り返す音型を、どうしても演奏(楽器ではなく歌うのでも)できない人は、そこそこいるものです。

 

*この4小節を繰り返して演奏(鼻歌でも楽器でも)します。最後の音型だけ、「ドレミファソラソ」になっています。

 

4拍子を、5個の音で埋めていくので、最初の音のドの位置がどんどんズレていくわけですが、それを頭で考えて演奏しようとしても難しいです。何だか古い言い回しですが、「ビートを感じながら」、フレーズを歌わせる「フィール」が求められます。

 

この頭ズレの音型、できない人は悲しくなるくらいできないのですが、全然簡単じゃん!と何の苦もなくできる人もいます。休符が頻繁に入って裏拍を多用するラテンミュージックを子供の頃に聴いていると、頭で判るよりも速く、体で理解して演奏できちゃいます。

 

絵で言えば、「手が考えて描く」と言う人もいますよネ。

 

 

 

なので、絵や音楽の類いは、幼少に何気なく染み付いた本人の特性が、もろに影響するジャンルなので、安易に「努力すれば何でもできる」などの「美辞」めいたことを言うのは、個々の状況を見て判断すべきかな‥‥と思います。

 

幼少の時に色んな絵本や音楽を見聞きしていたものの、何となく絵を本気では描いてこなかったけど、実は隣り合った色のバランス、色彩のレイアウト感覚は常人を超えたセンスを秘めていた‥‥とか、個人によってバラバラでしょう。タネは蒔かれていたけど発芽が遅れていただけ‥‥とか、土の中にタネ自体が存在しないのでどんなに水をやっても芽が出ることはない‥‥とか、個人の状況はあまりにも残酷に優劣が異なります。

 

そもそも「努力できる人間か否か」も幼少の頃に結構決定するようにも思います。ひたむきに集中できる人と、すぐに飽きる人と、それぞれです。飽きっぽい人に、いくら熱中してみろと言ったところで、もしかしたら魚に空を飛べと言うようなもの‥‥かも知れませんしネ。

 

でも飽きっぽい人は、捉え方を変えれば、一点ではなく様々な方向へと柔軟に視野を変えられる人かも知れません。一点に集中しない性格ゆえに、色々な物事の特徴的な部分を見出して、集約する能力に繋がることもありますよネ。

 

自分の子供時代、少年少女時代を、否定するのは、あまり得策とは言えません。むしろ、大々的に肯定して、有益な方向へと繋げた方が良いです。

 

 

 

妙に何かに憧れて思い込み過ぎて、自分の性質を甚だ無視して、なれないものになろうとするのは、若気の至りならまだしも、30〜40代では冷静に自己判断すべきでしょう。

 

自分の幼少時代に、何が植え付けられて、何が自分の運命を誘導しているのか。

 

30〜40代で錯誤する前に、20代のうちに見つめ直すのが、よろしいです。

 

多少ヘコむこともあるでしょうが、そのヘコみが、逆に未来に役立つこともありますよネ。

 

運命をただ従順に受け入れるだけでなく、逆手に取ることだって、運命の受け入れ方です。

 

 


3連濾過

夏を前に、金魚の水槽の濾過システムを見直し、カメの水槽で実績のある「3連濾過」に切り替えました。

 

こんな感じです。

 

 

 

金魚はあまり水を汚さないので、今まで濾過は1段だけでしたが、最近は仕事が忙しくケアが手薄になりがちなので、水を汚すカメとほぼ同じ濾過システムに切り替えました。カメの水槽はこの3段濾過で悪臭も濁りもなく、水も相当長持ちします。

 

金魚の水槽には大袈裟かとも思いましたが、命には変えられないので、配管も見直しつつ、休みの日にセッティングしました。

 

私はアクアリウムのマニアというわけではなく、小さい頃から金魚が好きで今でも‥‥という感じなので、エーハイムのラインアップの中では安価な製品を組み合わせて環境を作っています。まあ、エーハイム自体がちょっとお高めな印象はありますが、動作だけでなくパーツ供給の信頼性も含めて、エーハイムを昔から愛用しています。

 

以前は2213というエーハイムの中では安価な外式フィルター(本体は6000円前後)のみでしたが、前段に水中に沈めるプレフィルター4321を加え、後段には2213と見た目と名前はそっくりなサブフィルタ(動力なし)の2213(ややこしい)を加え、それら3段の濾過を強制的に吸い上げるポンプのコンパクトオン2100(東日本用の50Hz)を配管の最後に設置しました。

 

模式図の通り、水流ホースの取り回しは錯綜しそうなので、その場のアドリブではなく、ホースの曲がり具合も事前に決めて、設置しました。

 

 

 

ホースは、結構丈夫なエーハイムの肉厚の緑色のホースでも、設置してしばらく経つと、カーブ部分がへし折れて、いかにも水流にストレスがかかりそうです。

 

なので、ホースケーシングでカーブをアシストするなどの工夫が必要ですが、以前使っていたエーハイムのパイプの余り物があったので、加工して使うことにしました。

 

*iPad ProとProcreateで描きました。毎度のごとく。

 

 

難しいのは、今までルーズに取り回していた時ほど、ホースのマージン(遊び部分)が長くとれないことです。多少の融通は利きますが、ホースの長さはある程度計画的に決め込む必要があります。

 

プラモ用ノコギリで切り出した、エルボー(肘〜90度カーブの部分)パイプを配管のカーブ部分に連結したのが、以下の写真です。

 

 

 

実はまだ全部カーブ部分を加工していなくて、ホースの曲がりに任せている部分もありますが、明らかなホースの潰れは防げているので、今のところはこれで良しとしてます。‥‥もう、余ったパイプがないので、次の機会には大人しく、ホースケーシングでアシストしようと思います。写真手前のカーブ部分がヘタってきたら考えます。

 

ホースの径に由来する「水圧(ホースの内圧)」ってナメたらイタい目にあいますよネ。異形のホースを組み合わせる時は、小さい径からいきなり大きい径に変換すると、水圧と水量がマッチせずに、期待した動作に至りません。

 

コンパクトオンの2100は、とてもぶっとい19/27なので、できるだけ19/27のホースは短く使って異径コネクタに接続し、すぐに12/16の径に戻すのが無難です。19/27のホースは丈夫そうで折れないから‥‥といって、不用意に一区間だけ混ぜちゃうと、ホースの中はチョロチョロ水が流れるだけですし、エアを噛んで騒音と故障の原因にもなります。

 

 

 

金魚の命を支えるにも、いろいろなノウハウが必要ですネ。

 

半世紀生きても、まだまだ‥‥ですわ。

 

 


無題。

私は実物を見ていませんが、こんな車内広告があったそうな。

 

「月収の基準ずれてる」 阪急電鉄の中づりに批判殺到

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190610003931.html

 

毎月50万円をもらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、

毎月30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、

どっちがいいか

 

そんなの決まってるじゃんね。

 

毎月50万円をもらって仕事が楽しくて仕方がないという生活

 

ですヨ。

 

 

 

あのさあ。

 

お金を人質にとるなよ。

 

お金とやりがいを天秤にかけて、どっちが大事か?‥‥なんて、よほど恵まれた生活をしてきたんだね。この80代の研究機関の研究者という御仁は。

 

お金とやりがいは、「引き換え」にするものか???

 

お金とやりがいは両方とも大事です。天秤にかけるものではないし、引き換えるものでもないし、ましてやお金を人質にとってソフトにやんわりと恐喝することでもないです。

 

こういう考え方が、まさに以前書いた「レールにのってエスカレーター式昇進」をしてきた人間の限界と盲点そのものなんだよネ。思考が及ばないのです。

 

‥‥一度でも、ライフラインが全て停止する追い詰められた生活(というのは極端だけれど)でもしてみれば、決して出てこない文言だけどな。

 

まあいいじゃないの。言わせておけば。何でも知ったように振る舞って、大恥を晒せば良いのです。

 

 

 

私は、無知の知を知るものでありたいです。知が3つも連続してややこしいですが。

 

レールから外れたことで得た、余りある財産を、活かしましょう。

 

 

 

しかし、阪急電鉄が、この車内広告を出した意図ってなんだろう。

 

行動には何か目的があるのでしょうけど、この広告を人々に読ませて、どういう気持ちに誘導したいのか。

 

お金を稼ぐことと、仕事に生き甲斐ややり甲斐を感じることは、別のベクトルであるのに、それを混同したような文言を人々に読ませて、「お金なんて稼がなくて良いでしょ=人件費が低くても構わないでしょ」と刷り込みたいのかな。

 

「憧れのアニメが作れるんだから、ギャラなんて低くて良いでしょ」とばかりに続けてきたアニメ業界みたいな匂いもしますネ。アニメ制作集団の中には、どうやったらブラックから抜け出せるか必死に模索して取り組んでいるところもあるのに、何だか逆行するものを感じます。

 

コンセプトがわかりませんね‥‥どうにも。


4K時代に

今年のWWDCは、4K映像制作時代にふさわしい内容が盛りだくさんで、純粋に良かったと思います。

 

何か、Blood the Last Vampire(2000年公開の劇場短編)を作っていた1998〜99年ごろの雰囲気がフラッシュバックしました。

 

新しい時代へと移り変わる時、なぜか色々な産業がシンクロして次世代へシフトするんですよネ。まあ、見方を変えれば、色々な産業が同時多発的に関わりつつ技術発展するから、新しい時代へと移り変わっていく‥‥とも言えるのでしょうけど。

 

ちなみに、その劇場版Blood。1440px横幅のアメリカンビスタでした。After Effectsは8bitだし、メインのサーバは数百GBだし、導入例も事前の成功例もなく、手探りで困難の連続でしたが作りあげることができました。

 

 

 

1999年に1440px。

 

2019年の現在、1280pxでフローして1920pxにアップコンするような作品もありますよネ。20年前のヨチヨチ歩きで生まれたての「デジタルアニメーション」だったBlood劇場版よりも解像度が低いって、どういうことか。

 

アニメ業界全体、もういい加減、年貢の納め時です。昔の解像度は、未来に確実に通用しなくなります。

 

今必要なのは、アニメ業界の一般論をどんどん覆して、慣習(お金の慣習ももちろん)を塗り替えていくことです。

 

業界の今までの一般論や通論は、時代からとっくのとうにズレ始めています。NABやInter BEEでも、もう4Kはごく普通で、8Kの話題へと移行し始めていると聞きました。タブレットで4Kネイティブに作画して、4KHDRで映像をコンポジットするのは、アニメでは前代未聞でも、映像技術全般からすればごく普通の流れです。

 

本当に、未来もアニメを作って生きていきたいのなら、4Kを意識することくらいは2019年の今から始めたほうが良いですヨ。

 

 

 


雑感

普通、誰だって、嫌われたり憎まれたくはないですよネ。

 

でも、日頃皆で現場の改革や近代化を唱えても、いざという時に事なかれ主義に転じて、何も状況を変えていけない烏合の衆になるのなら、たとえ一時的に嫌悪されようと、ハッキリと言うべきは言って「憎まれ役」を買ってでることも、年長者や経験者には必要でしょう。

 

成功例が無ければ決断できず、他所の導入事例ばかりをあてにして、失敗した時のことを考えるあまりに結局は保身に終始する姿は、年齢に関係なく見透かす人は多いものです。

 

 

 

1996〜2005年までの期間、アニメ現場にコンピュータを導入する取り組みなんて、前例も成功例もありませんでした。各所が小さな実績を重ねて足場を作っていったのです。

 

何もないところから構築することのほうが、今は重要です。1990年代後半には「デジタルについて」のアンケートもリサーチもできませんでしたが、それでも制作の基盤を年ごとにどんどん固めていけたのは、トップダウンとボトムアップが相互に循環する現場作りをしていたからです。

 

ペンタブを器用に使いこなして絵を描けたからといって、未来的な制作システムが作れるわけではないです。

 

制作システムの運用経験がいくらあろうと、新たな技術革新の場面では今までの経験値や思考形態では処理できないことも多分に存在します。

 

ペンタブを使いこなして何が可能になるのか。新しいソフトウェアを使って何ができるのか。指先1本の感覚からボトムアップしていく必要があります。

 

新しい技術要素によって、どのような新しい制作システムが構築可能になるのか。旧来の慣習に囚われず、今起きている新しい出来事から旺盛に吸収して、システム設計を進める必要があります。

 

一丁噛みや尻馬に乗ることなんて、最初から諦めて、自分らの力で堅実に現場を強くしていくしかないですヨ。1990年代後半から「デジタルアニメーション」の現場を作っていった人々は、鉄板の方法論の存在しないところで、みな自力で築いていったのです。

 

 

 

そりゃあ、誰だって、ストレスもなく、気楽にのんびりと生きていければ、それが一番。

 

でも、さも安定しているかのように見える内側で、どんどん細胞が壊死しているのに、のんびりとはしてられないでしょ。

 

耳障りの良いことだけ言って、表面上を和やかに取り繕っても、深刻な病が体内で進行しているのなら、たとえ耳に痛過ぎる内容でも、「病気を直しましょう」と告げることは‥‥‥‥、やっぱり必要だと思いませんか。

 

それとも、闘病よりも安楽死を望みますか。

 

私はアニメに死んで欲しくはないです。生き続けていけるよう、最大の努力と取り組みを続けるのみです。

 

 



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