爆弾を抱えたゼロ戦

多重組み、多重合成の話を聞いていると、ほとほと、現在のアニメ業界の標準技術の限界を感じます。何よりも当事者たちが、本質よりも「言葉遊び」「言葉の揚げ足取り」に終始し始めている状況もツイッターから感じ、「ああ、だから日本て、改革することに弱いんだな」と思う次第です。

 

まあ、そもそも「多重組み」「複数組み」「複合組み」なんて、誰かが最初に「表現するのに困ってなんとなく言い始めた」言葉で、用語の規定も対処方法・取り扱い方法の標準化も全く為されていないですよね。

 

正しい用語が規定されていないのに、的確な言葉で技術を呼びあらわすことはできません。

 

取り扱い方法が標準化されていないのに、適切な対処方法もフローも実践できるはずもありません。

 

よって、問題が発生した時に、どうすればその問題を根本から抑制できるのか、旧体制の中の誰も示すことができません。

 

 

現在着々と技術の構築段階を進めている新技術において、セル素材の多重「組み」は存在しません。技術的に不可能です。ゆえに、多重組み・多重合成のことなど、ツイッターで見かけるまで、忘れていました。そう言えば、そんなことがちょっと昔にあったな‥‥と。

 

なぜ、新技術では多重組みができないか‥‥というと、答えは簡単、すべて「階調トレス」で線画が描かれるからです。二値化でぴったりパズルのようにハマる組みが、階調トレスではアンチエイリアスや中間トーンがあるがゆえに物理的に不可能なのです。

*ゆえに、新しい技術においては、スムージングフィルタは存在しません。

 

なので、アルファを使ったマスク合成とか、実際に透けさせるなど、色々な手法で「下の絵が上に透けて見える」映像を作り出します。

 

新しい技術は、60フレームの秒間分解能に対し、60枚の絵で動かす「60pフルモーション」のアニメーション技術です。ゆえに、「組み」など旧来の対処法で複数の絵を組み合わせると、非常に手間がかかります。まあそもそも、1秒60枚の絵を描いて塗る‥‥という行為すら非現実的です。

 

新しい技術は、新しい映像フォーマットを、十二分に活用できるように、技術設計段階から様々な要素を開発しています。それが新技術の最大の強みと言えます。

 

 

 

 

多重組みや拡大作画に悩まされつつも、一向にそのフィールドから抜け出そうとしない作業者の人々。アニメの原理を理解しようとせずに原作通りに描かせようとする妄信的な「制服組」(背広組‥‥と言うべきか)の人間たち。

 

日本人の大半は今でも、老いも若きも、男も女も、「ゼロ戦の国の人」なんだな‥‥と思います。

 

零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」は、太平洋戦争開戦当時、「空の覇者」として君臨しました。日本人ならではの設計思想、日本人ならではの工業スタイル、そして日本人ならではの闘争本能。‥‥それら日本人の特徴を具現化したのがまさにゼロ戦です。

 

しかし、そのゼロ戦に「絶対的な自信」「揺るぎない信頼」を抱いてしまったが故に、刻々と変わる戦況と技術進化に対応できず、大戦末期は爆弾を抱えて敵に突っ込む「特攻御用達」の「自爆機」に成り果てました。

 

トップから末端の人間に至るまで、一貫した思想において‥‥です。

 

悲劇としか言いようがありません。

 

 

「ジャパニメーション」は確かに世界を席巻しました。

*ちなみに、「ジャパニメーション」という言葉は、ディズニーなどのアメリカン・フルアニメーションに比して、安普請ゆえの「蔑称」だと言うことは、以外に知られていないようで、偉いさんが「日本のアニメーション」の意味と誤解して公然と口にするあたりで、「本当はアニメなんてどうでも良いと思っているんだな」という「金脈大好き」の人々の真意が透けて見えます。本当に好きなら、興味を持って言葉の意味を調べるはず‥‥ですもんね。

 

しかし現在、その「ジャパニメーション」とやらを支えるために、現場の人間はどんな状況に置かれているのか。

 

まさに爆弾を抱えて「特攻」するかのごとくの労働状態です。

 

多重組みを頻発したり、手当たり次第に拡大作画したり、明らかに採算を度外視してセルの1枚1枚に細かい処理を入れたり‥‥ということが、まさに「特攻で体当たり攻撃するゼロ戦」の「現代の姿」だということに、多くの人は気づいていないんでしょうかね? 実は、もうわかっていますよね。‥‥ただ、戦時中と同じく、「原因を今さら話しても、どうにもならない」という「進め一億火の玉」状態なんでしょう。

 

では、その特攻は誰が立案して誰が指示しているのか? ‥‥まあ、それも、考えればすぐにわかりますよね。

 

 

でもさ、アニメ制作は徴兵制もなければ、国家存亡の大事でもないのです。

 

「いち抜け」しても国家反逆罪に問われることはないです。

 

とっとと、未来を生き抜く技術にシフトした、新しい現場と新しい技術体系を、自分たちの手で作り上げていけば良いのです。

 

なのに、状況に耐えるだけ、不平を口にするだけで、新たな道を模索しようとしないのは、なぜなのか、私は不思議で仕方ないのです。

 

 

戦後70年以上経っても、日本人の本質は変わらないのかも知れません。

 

アニメ業界が、まさに、戦中と同じ轍をガシガシ踏みまくっています。

 

 

今までの方法に、もう未来がないことは、多くの人は、薄々気づいているでしょう。

 

なのに、「最後」まで付き合って、「負けた」後は、「こんなことになったのは、誰が悪いんだ」と内輪で戦犯探しをして、「状況に付き従って加担してきたけれど、それはやむなくであり、根本的には自分たちは悪くない」とでも言うのでしょうか。‥‥いや、十分悪いですよ。まずいとわかっていて加担し続け、何も行動を起こさなかったのですから。

 

 

今すぐ、100%、新しい技術にシフトできなくても、草の根で、水面下で、徐々に進めることはできるはずです。結局、何かの理由をこじつけて「私にはできない」と言い訳しているのです。私も過去にやさぐれた頃がありましたし、今でもくじけそうになるので、「できない言い訳」は肌身で解っています。

 

でも、本当に、生活時間の数%も新しい取り組みに割けないんでしょうかね。ゲームや酒で散らす時間はあるのに?

 

 

どんなに頑張っても、命がけで苦しみ抜いても、負ける時は負ける‥‥ということを、70年前の大戦争から学べることこそ、現代に生きる人間の特権のはず‥‥です。

 

なのに、なぜ? ‥‥です。

 

昔の人間たちはバカだった‥‥とでも?

 

 

年に1度、大懇親会を開いて、「悪い中での良かった探し」をして、不安を紛らわして何になりましょう。どんなに数を集めても、ダメな時はダメっすよ。

 

信頼できるのは、自分、そして同じ意志を持つ数少ない仲間だけです。

 

ちょっと不利になれば蜘蛛の子を散らすように去っていく人間たちよりも、頼りになるのは誰なのか。‥‥それを考えて、業界なんかあてにしないで、自分たちで未来を切り開いていくのが、一番「プラグマティックな選択」だと思います。

 

 

「爆弾を抱えて自爆する自己犠牲」に酔いしれたいのなら、止めはしませんが‥‥、まあ、自爆に巻き込まれるのは嫌ですね。

 

私は仲間たちと未来を歩いていきたいので、自爆するわけにも、巻き込まれて大怪我するわけにもいかないのです。

 

 

 


FireOSとiOS

新型のFire HD 10が発売されて、iPadに迫る性能を見せつけております。画面の1920pxか2048pxなんていう差は、はっきり言いまして、使っていて気になるものではないです。

 

もし、FireとiPadの間で、残された差‥‥というか、iPadがFireに対して有するアドバンテージは、iOS以外に他ならない‥‥と感じます。

 

FireOSは、iOSほど洗練もされていませんし、おそらく‥‥ですが、お金もかけていないでしょう。iOSに関わる開発費の方が、遥かに上だと思います。

 

iPadの本体価格には、純粋に本体の部品代と組み立て工賃だけが計上されているわけではないのは、産業に関わる人ならお分かりかと思います。iPadをiPad足らしめる色々な費用の多くが、薄く薄くちょっとずつ、製品の価格に組み込まれていることは、少しでもお金の計算をした人なら容易に想像できるでしょう。

 

Fireの弱点は、やっぱりFireOSだと感じます。私は、FireをHD8.9やHDX、7や8など、色々と買ってきましたが、今回も感じる共通点は、FireOSの貧相さです。iOSには遠く及びません。

 

特に、今回はハードウェアが格段に向上したので、FireOSの乏しさが余計に目につきます。

 

でもそれは、Fire端末を安価に提供するために、FireOS開発コストを抑えた結果とも読み取れます。

 

 

私も様々な映像の開発に取り組んでいるのでわかるのですが、開発での「お金の有無」が実は表面にありありと表れてしまうものです。そりゃあ‥‥Appleの資金力と「コンピュータメーカーとしての誇り」をもって、iOSの開発に勤しめば、FireOSと比して歴然とした優位格差が表れても、致し方ないこととも思えます。

 

で、Appleもよくわかっていて、決して自社のOSを他社には供給しません。自分たちの何が、他者に対して、アドバンテージを形成するのか、よくわかっているのでしょうネ。

*Appleの過去を知っている人は、例えばUMAXにMacOSを供給して「UMAX製のMac」が存在したことをご存知でしょう。同じく、その後に経営路線の大シフトでMacOSの供給を取り止めて、外部には一切、OSそのものを提供しないことになったいきさつもご存知でしょう。結果を見るに、その路線変更は大正解だったゆえに、今のAppleがある‥‥とも言えます。

 

Fireが今の値段で提供できるのも、色々なコストカットゆえと思います。なので、iOS並みの性能をFireOSに求めることは、Fire本体の高騰に繋がるとは思います。

 

 

 

システムってさ‥‥、悲しく切ないものがあって、「快適で当然」「うまく動いて当たり前」であって、システムが整然とトラブルなく動くことに、ほとんどの人は日々感謝もしなければ、労ってもくれません。トラブルが起きた時だけ、烈火のように怒鳴りちらすわりに、トラブルがないときはありがとうの一言もないです。

 

だから、システムは一見、空気のような存在に思われがちです。ゆえに、システムのクオリティやコストを考える人も、相応に極小です。

 

でも、私らのような映像制作の人間、「ものつくり」に関わる人間は、作業環境の快適性でいくらでも効率や品質が上下します。ゆえに、システムが作業環境を支えて快適性を実現する主役であることを、いつも心の底に認識しておくべきでしょうネ。

 

私は、そういった意味で、macOSとiOSを仕事のパートナーに選択している‥‥のもあるのです。また、macOSを許容する職場であることも、日頃から感謝しています。

 

トラブルがなくごく普通に動作するシステムは、最良の仕事をしているのです。私も、atDBというコンポジット作業のソリューション=作業システムを開発して現場に敷いた際に、「平然とシステムが動作することが、いかに大変なことであるか」を痛いほど思い知った過去があります。

 

iOSはそういった観点で言えば、ものすごく「練りに練られて」います。インターフェイスのデザイン、リストの階層、文字の配置一つとっても‥‥です。

 

 

 

FireOSとiOSの差は、まさに、Fire HD 10とiPadの2万円の差そのものと言っても過言ではないです。

 

快適なシステムには金がかかって当然です。

 

‥‥なので私は、ファーストタブレットはiPadを選択して、iPhoneやiPod、iMacやMac miniなどで、快適なソリューションの基盤を実現したいと思います。

 

そしてFireは、そのソリューションにうまく加わるかたちで、その本体価格の安さを武器にして、環境性能を拡充していければ‥‥と考えています。

 

 

ちなみに、FireとiPad間のファイル共有。

 

iOS 11になって、ドカンとやりやすくなりました。ストレスが一気に減少しました。

 

Procreate(も含めたApp)からAmazon Driveが見えますので、いちいちケーブルやSDカードで共有しなくても、さくっとiMac-iPhone-iPad-Fireの連携が可能です。

 

そのためにも、作業環境のWiFiやBluetoothは、日頃から備えあって憂いなし‥‥です。

 

 

 


「業界」という幻の人格

「これから先の未来を、業界は考えていかないと」‥‥みたいな文言は、ついつい、口をついて出てしまいますが、これは非常に危うい言い回しだと思っています。

 

なぜか。「業界」をさも「人格」のように捉えて扱っていることです。


「業界」は考えないでしょ。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「考える」って、結局、どういう実質なのか。

 

 

「いや、それは、業界のみんなで考えていこうという意味を、省略しただけで‥‥」と言うとすれば、では、「業界=業界のみんな」と定義しちゃって良いのかな?

 

であるならば、「業界が悪い」ということは、「業界の皆が悪い」ということになり、他者への糾弾とともに、当然ながら、強い自己批判も必要になりましょう。

 

 

要するに、「業界」という言葉は「都合が良い言葉」なんですよネ。なので、安易に用いてしまいがちです。私も「業界」という言葉を、つい「人格的」に扱ってしまいがちです。

 

「業界」という幻の人格で問題を捉えようとしても‥‥

 

 

「業界に物申す」‥‥って、実質的な対象は誰なんでしょうか。

 

「業界の悪いところを改善する」‥‥って、とっかかり、どこの誰に働きかければ良いのでしょうか。

 

 

‥‥という感じで、「どこの誰」かを特定できないので、ボヤけちゃうのです。そして、ボヤけたまま、何も進展しない。

 

 

特定個人の姿が全く見えてきませんよネ。「業界」なんて言っちゃうと。

 

 

それに、「業界」と言い表すと、何か、「業界全体でうまくやってよ。自分は傍観して待ってるから」みたいな「どこかの誰か」依存のニュアンスになりませんか? 自分も「業界」に含まれているにも関わらず‥‥です。

 

‥‥そして、ここでも架空人格的な言い回しで逃げていますよネ。「業界全体」がうまく「やれる」わけがないです。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「行動する」って、具体的には、実質的には、どういうことなのか。どこにいる、どの人々(=特定の人間)が、行動すれば良いのか、全くビジョンが見えません。

 

 

 

「業界という単語を、「自分」「自分たち」へとに置き換えるだけでも、ビジョンは見えてきます。

 

 

「業界が進む道は」ではなく、「自分が進む道は」。

 

「業界の未来」ではなく、「自分たちの未来」。

 

「業界は変わっていかないとダメだ」ではなく、「自分は変わっていかないとダメだ」。

 

「業界は考えるべき」ではなく、「私、そしてあなたは、考えるべき」。

 

 

 

 

例えば、新しい技術による、新しいアニメーション制作基盤を作ろうとする時、「業界」という言葉は全く必要ないです。

 

必要なのは、各技術を有した個人です。業界ではなく、個人=私・あなた。

 

あくまで「顔の見える」個人の関係性で成り立つものです。

 

話を考える人、絵を描く人、色彩を操る人、映像を編んでいく人‥‥など、個人の技能を、現場に集結させれば良いことで、業界なんていう概念は必要性を全く感じません。

 

「でも、困った時は横のつながりで‥‥」と思う人はいましょうが、その繋がりだって「人と人の繋がり」として捉えれば充分です。顔の見えない「業界」なんていう架空人格など全く必要ないです。‥‥少なくとも、少人数で制作可能な新しい現場のテクノロジーにおいては。

 

 

 

旧来技術ベースのアニメ制作は、それはもう夥しい作業量と人足が必要なので、集団としての呼称として「業界」と呼ぶのは、自然な成り行きかと思います。会ったこともない人の「作業結果物」だけが取引される状況であれば、なおさらです。

 

でも、そこには人格などなく、あるのは「集団の性質」だけです。

 

ゆえに、「業界」は未来を自ら考えることはないのです。

 

‥‥ということは、未来を考えるべき、特定の人格は、私であり、あなたなのです。

 

 

私は、「業界化」したアニメーション制作を、身の丈の個人単位、少数人数の制作規模として、再開発したいと思っています。そこにこそ、様々な問題を解決できるきっかけがある‥‥と考えています。

 

 

 


機材は揃う。後はやるだけ。

5KのiMacなど、4K以上のモニタを有するコンピュータ一式、そして、ディスプレイに直に描画できるiPad Proなどの何らかの高解像度タブレットさえあれば、すぐ先の未来に向けた映像制作のスタートラインには立てます。要するに、「後はやるだけ」です。

 

しかし、様々な理由で、「やらない人」は多いです。

 

「やらない理由」は何にあるのか?

 

何かをやろうとしても、「何をどうしたら良いかわからない」という、根本的な部分でつまずいている人を数多く見てきました。

 

 

卵が先か、鶏が先か。‥‥言い換えると、技術が先か、道具が先か‥‥とも言えます。

 

技術を具現化するには道具が必要ですが、一方、道具を使うには技術が必要です。つまり、そこで多くの人が歩き出すことすらままならないのです。

 

卵も鶏も中途半端で、何から最初に手をつけたら良いか、どうにも解らない‥‥というわけです。

 

 

でも、「卵と鶏のどちらを最初にするか」なんていうのは、それこそ「万人の悩み」であって、どんな人にも付き纏う難題です。何か特権があるわけでも秘技極意があるわけでもなく、アイデアと工夫がその都度求められる「謎解き」のようなものです。

 

実は私、「卵と鶏のどちらを最初にするか」というパズル、クイズを解くのが、結構好きなところがありまして、今までに色々な「何から始めたら良いか判らないこと」に取り組んできました。新しい技術によるアニメーション制作は、その最たるものです。

 

もし謎解きのコツがあるとしれば、それは「卵と鶏のどちらを最初にするか」なんていう思考そのものを捨てることかも知れません。

 

 

唐突ですが‥‥、私ら生命体、地球、太陽系、銀河系は、「星屑から生まれた」と言います。そして「星屑として死んでいく」とも言います。

 

誕生も死も星屑なのだとしたら、卵も鶏も、どっちが先でもいいじゃん。‥‥という、何か途方も無い例えですが、「何かが、何かの先にある」という思い込みに束縛されなければ、自由に思考できますよネ。

 

どっちが先だって大差ない。悩むようなことじゃない。どちらだって、きっかけになり得る。‥‥やがて、生態系ができちゃえば、どっちが先だったなんて、どうでもよくなるんだから。

 

 

機材は個人でも何とか揃えようと思えば揃えられます。会社規模なら、なおさら。

 

でも、アニメの技術って、この十数年は大して進化できていないですよネ。

 

なぜでしょうネ。

 

技術を持った人々は沢山いるのに。

 

機材だって揃えられないわけじゃないのに。

 

 

「アニメ技術のシンギュラリティ」「アニメ制作のパラダイムシフト」と言っても大袈裟ではない未来の可能性を前にして、‥‥まあ、言える事はやっぱり、「できる事をやって、使える道具を使って、新たなメソッドを積み上げる」ことです。

 

道具も技術も同時進行だと思えば、どっちから先に手をつけても、実は結果はそんなに大差ないです。‥‥実感として。

 

どちらを先に手をつけるか‥‥と悩むうちに、もう取り返しのつかないジジババになるんです。パズルを1ピースも組まないまま、やがて衰えて死んでしまう‥‥のは、悲しいことだと思います。

 

 

道具の空白、技術の空白。

 

むしろ、空白は空白のまま空けておけば良く、今出来ること、組み合わせられることを進めておいて、のちにピースが揃って、パズルが完成するのです。

 

 


未来のスタンダード

いつもは眠くて寝てしまうAppleの基調講演ですが、今日は何となく見始めて、色々驚きながら最後まで見てました。

 

Apple TVは、4K HDRに対応した「Apple TV 4K(フォーケー)」にアップグレード。コンテンツの価格はHD作品と同じで、購入済みのタイトルは自動更新されるらしいです。

 

 

‥‥んで、噂通りのiPhone8とiPhoneX(テン)。

 

 

iPhone8はとうとう、4K60pでビデオ撮影が可能になりました。HDだと240fpsのハイスピードまで撮れるみたいです。うーん、これはデカい。

 

4K60pがコンデジに舞い降りて標準化する前に、iPhone8が普通に装備しちゃう‥‥という状況は、コンデジのビデオ機能も「かたなし」です。コンデジもどんどん4K60pにアップグレードして、巻き返さないとネ。

 

家族や友達、お猫さまやお犬さま、つまり「なまもの」(失敬)を撮るんだったら、4K60pは最適です。速く動く被写体=子供や犬猫ほど、60pが活きますし、ディテールを克明に記録するには4Kはうってつけです。

 

 

そして、iPhoneの「テン」。

 

‥‥ワンモアシングとか言って、もったいつけての登場でした。まあ、事前にリークしちゃってたので、会場は「One More Thing」の一言でホーホー教と化していましたが。

 

iPhoneXは、わたし的には、「Face ID」恐るべし。‥‥でした。

 

Face ID=顔認証の基礎技術となる「フェイス・トラッキング」の技術は、何だか、アニメ制作で、地道に絵を描いて動かしているのが、多少、虚しくなった感があります。‥‥まあ、2Dには2Dの真骨頂があるので、メゲませんけどネ。

 

NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組のチコちゃんも、これに近い技術なのかな? 想像の域ですけど‥‥。

 

だけど、これで良いんですよネ。色んな技術が台頭して、映像技術の娯楽性が盛り上がれば。

 

‥‥まあ、何だか話題が逸脱してますけど、Face IDはTouch IDに変わる認証技術で、その技術バリエーションにて、顔にリアルタイムで化粧したり、3Dマスコットキャラのモーションをシンクロさせたり‥‥してるみたいですネ。

 

フェイストラッキングでマスコットキャラを動かしているデモが一番、会場の皆が笑顔で嬉しそうでした。

 

 

講演の中には、マシン・ラーニングとか、ニューラル・ネットワークとか、いかにも「未来」を感じさる単語が度々登場していました。

 

非接触の充電機能「AirPower」も未来のスタンダードにどんどんなっていくと思いますし、OLEDによる「Super Retina Display」もやがて皆が普通に使うスペックになっていくんでしょうネ。

 

 

しかしまあ、技術はどんどん進んでいきますネ。

 

 

私が取り組んでいる4K60pネイティブのアニメの技術だって、実のところ、欧米に開けられた周回遅れを巻き返そうとしている状況です。今のアニメ現場で「未来」とか言われている「デジタル作画」などは、何週遅れかカウントするのも厳しいです。

 

旧来のアニメ現場で、現代のテクノロジーに対抗するには、実は「もう走らない」選択肢もあるのではないかと思ってます。うすうす‥‥ネ。

 

つまり、「周回遅れになる以前に、止まる、動かない」という「問答無用のオレ節の解答」を世界に叩きつける‥‥という、「走らないもの勝ち」的な戦い方もあるんじゃないか‥‥とは感じます。

 

一方、私らの取り組む4K8Kのアニメは、今までのアニメの表現手法では何の変化もアピールできないので、「こういう絵もアニメにできるんですね」とシンプルに受け取ってもらえるように、未開拓のフィールドにどんどん挑戦していく所存です。今までのアニメを作るんだったら、今までの現場で作り続けるのが一番で、新技術の新しい制作現場においては、4K60pのフルモーションで「描き絵」が動く「感じたことのない快感」を作品として次々に結実したいので、技術開発に夢中になっているのです。生粋の4K60pで動くアニメが、Apple TVやFire TVなどを通して、お茶の間の4K60pHDRテレビで見れるようになるのが、目下の目標と言えます。

 

 

話を戻して、Apple。

 

iOS 11はSeptemberの19と映写されてたように記憶してるので、もうすぐですネ。macOS High Sierraはいつ頃だろか。

 

iMac Proに関しては触れなかったですネ。今回は、Apple Watch 3と、Apple TV 4K、そしてiPhoneの8とX。

 

新しいiPhoneの4K60pのビデオ撮影能力は凄く魅力ですけど、まあ、もうしばらくはiPhone6で乗り切るつもりです。

 

 


2080年。雑感。

ぶっちゃけ‥‥とは私がよく使う言葉ですが、今回もぶっちゃけ。

 

ぶっちゃけ、70年代に本格化したテレビアニメの作業体制・制作システムが、2000年以降まで先読みして整備されたとは、到底思えない‥‥ですよネ。

 

なのに、ず〜っと、70年代アニメブーム時代の作り方の基本を、2000年代に入ってすぐはまだしも、2010年代後半の今でも踏襲し続けているのが、そもそもの各所の綻びの原因だと思っています。

 

なぜ、2020年代以降に通用するアニメの作り方を、技術のゼロから作り直そう‥‥とする機運が各作業集団から生じないんでしょうね。現状を嘆いてばかりでは、未来は一向に見えてこないのに。

 

でもまあ‥‥‥それはいいか。各作業集団が、自己の指針に基づいて、未来を決めていけば良いのだし。

 

私らは、私らで、プロジェクトを粛々と確実に進め続けるのみ‥‥です。

 

 

しかし、ふと今を考えてみると‥‥

 

2018年12月から、NHKは8K放送の本放送を開始するらしいです。

 

UHD BDは、すでにプレーヤーが発売されて1年以上経ちます。

 

私はNetFlixのプレミア(4K)会員で契約しております。

 

もはや、4Kテレビは13万円前後で買えます。

 

大体どんな人に聞いても、「テレビ買い替えの際は、買うとすれば、今度は4Kテレビかなあ‥‥」と言います。

 

4K60pの映像を見た後に、2K24pの映像を見ると、特にアニメの場合、転送落ちしているように見えます。人間は高品位なものにすぐに馴れます。

 

‥‥とまあ、確実に未来は近寄って来ています。10年前、4K8Kなんて絵空事そのものでしたが、2017年現在においては、少なくとも4Kはどんどん身近な存在になっています。

 

一方、アニメ業界は「未来技術」のエポックに乏しいので、アニメ業界の未来は中々見えてきません。

 

 

アニメ「業界」と呼べる集合体は、戦後の昭和に発生しました。大正時代には存在しませんでしたし、明治にも、江戸にも、室町にも、もちろん存在しません。

 

つまり、アニメ業界がどうなるか、どうすれば生き残れるか‥‥という体験やノウハウは、皆が初体験なのです。皆、前例のない未来へと進み続けています。‥‥なので、「これからどうすれば良いの?」なんて聞いても、誰も経験がないので経験則では答えられません。

 

もし引き合いに出して参考になるとすれば、アメリカンアニメーションの終焉における顛末です。しかし、日本の国民性とアメリカとでは異なるので、全てがお手本になるわけではないです。

 

やはり、誰も体験したことのない未来を、アニメ業界は歩み続けるしかないです。

 

 

だからといって、「どうする?」「どうなる?」なんていう井戸端会議を延々繰り返したところで、その会議からは、何の実行力も決定権も牽引力も生まれません。

 

結局、頼りになるのは、まずは自分。そして、一緒に厳しい状況を切り抜けてきた人々です。

 

 

どうする? ではなく、「こうする」

 

どうなる? ではなく、「こうなる」

 

物事が近づいてこないのなら、自ら掴みに行けば良い。

 

 

遠くにある物を掴んで取ろうとして、自分は動かず、念力で浮遊させて近づけよう‥‥なんて思うからフィクションなんですよネ。

 

スッと立って、自分で歩いて近づいて、自分の手で取れば、簡単に物は掴めます。現実の出来事として。

 

 

ぶっちゃけなあ‥‥。やっぱり、未来の運命は、自分の行動次第で大きく変わっていくよな。

 

全てを変えられるとは言いませんが、自分の今の行動によって、かなり強く大きく、自分の未来に「介入」することができるんですよネ。

 

「しょうがない」はついつい口をついて出る言葉ですが、自分の未来に対して「しょうがない」を使い始めたら、‥‥まあ、流されて落ちていく一方ですよネ。

 

 

人類皆全員、最後は星屑になるんだし、一度しか存在しない「自分」なら、「しょうがない」で未来を済ますのは、正直、勿体無い話です。

 

iPhoneのカレンダーをめくっていくと、2080年まで表示されるんですよ。‥‥なんかね、愕然としてしまって。

 

2080年には確実に、私は死んでますもんネ。自分が死んで存在しなくなった年のカレンダーを眺めていると、何だか、沸々と「やれることをやらなきゃ」っていう気持ちになります。

 

2080年には、こんなにも喜怒哀楽で右往左往した自分は居ないんだな。不思議だな。怖いな。悲しいな。寂しいな。‥‥と、iPhoneのカレンダーを眺めながら、ティーンのような感慨に耽るのでありました。

 

 


指先を動かす

指は第二の脳‥‥なんて言われますが、体性感覚のペンフィールドの地図が示す通り、手と指の「感覚野」「運動野」に占める割合や重要性は大きく、ヒトは5本の指を器用に用いるからこそヒト為らしめる‥‥とも言えるのでしょう。

若い頃はね‥‥、指を動かすことなど特に意識してなくても活発に活動できているので、気にすることは極めて少ないのですが、歳を喰ってくると、体の感覚が徐々に衰えてくるのを実感できます。

 

キモチの問題では解決できない、関節の軟骨的、コラーゲン的なものとか、筋肉のこわばりとか、どこかで「‥‥自分にもいよいよガタが出始めたか」と観念しなければならない時期がやってきます。いつまでも若いことなんて、物理的にありえないのです。かならず「中古」品に、自分の体は変化していきます。

 

バイクいじりをしていた経験から考えるに、酷使するのと同じくらい、テキトーに放置するのが、メカの故障の原因になります。「温存」とばかりに、中途半端に使わないでおくのは、実は一番故障しやすいんですよネ。まあ、ホンダは1年放っておいても数回のキックでエンジンが始動したりとかなりタフだったり、カワサキなんて3ヶ月放置しただけでエンジンがかからない‥‥とか、個体差はありますが、テキトーに使って、テキトーに使いっぱなしで、テキトーに放置するのは、「どうぞ、故障してくれ」と言わんばかりです。

 

それは自分の体も同じ。

 

メカニズムの機能低下=老化は、もしかしたら、指先を使わない習慣からも引き起こされる‥‥かも知れないと、最近感じます。指示だけ出すような立場に移行していくことで、どんどん指先を使うことが少なくなっていって‥‥と、いかにもアラウンド40以降にありがちな光景です。

 

絵や映像を思考して具現化していく職業として考えるならば、以前は自由に動いていた自分の指先が、怠けていることによって動かなくなっていくのは、「恐怖」でもあります。

 

「今は色々な経験も積んで、指先ではなく、頭の中の知識で、物事を動かしていく」なんて思っていても、頭でばかり考えがちになって物事を観念的に捉えるようになったら、それは劣化の始まりだとも思うのです。指先を動かさない=物事を頭だけで捉えて実体がない‥‥というのは、実はとてつもなくマズい行動パターンだと昔から感じていました。

 

歳をとってくると、指や体は使わないで、頭と口(文章)しか使わなくなる人は結構居るように思います。どんなに歳をとっても、「指と体と頭と口、目、耳」といった全センサーとデバイスを活用するように心がけないとダメです。体を壊して健康状態を害したことで、みるみる短期間のうちに、観念的で実体を伴わない行動パターンへと変化していった人を知っています。体の自由が効かないと、頭だけで考え、文章と会話だけで伝えようとするので、いつしか固着した概念の抜け出せないループにハマっていく‥‥のでしょう。

 

作品を作り出す柔軟性が欠けていく。思考が安全牌に凝り固まっていく。表現様式の度が過ぎて固定観念に束縛されていく。‥‥というのは、まさに映像制作者としての「死」を意味しますもんネ。

 

 

自分はどうか。

 

指は以前のように動かしてはいないですね‥‥。

 

キーボードとマウス、Apple Pencilは使っていますが、あくまで自分の使いやすい方法で使うだけです。

 

その点、20代の頃は、ピアノとギターを毎日の日課のように弾いていましたので、「自分の使いにくい」指の動かし方を、毎日実践していたとも言えます。

 

ピアノやギターは、鉛筆を指先で使うのとは、全く違うフィールドの難しさです。ある程度は自分の弾きやすいモデファイは可能ですが、絶対的に「リアルタイムにフレーズを弾かなければならない」ところが、鉛筆やマウスやキーボードとは大きく異なります。

 

鉛筆やApple Pencilで絵を描くとき、キーボードで文字入力するとき、4分音符=120で正確にペースを保って絵を描いたり入力する‥‥なんてないですもんネ。まあ、速さは必要ですが、描くテンポはフリーテンポです。

 

音楽の演奏はそうはいきません。4分音符=120のテンポ(1分で120拍=1秒で2拍)で16分音符を弾くには、1秒あたり8個の音符を正確に順序良く弾く必要があります。

 

スゴく基本的なこと‥‥‥‥ですが、それって大変なんですよネ。ぶっちゃけ。

*基礎的なことでもあるので軽視されがちですが(=正式な音楽教育を受けていないと特に)、正確に拍に合わせて演奏する‥‥というのは、とても重要な基礎技術です。

 

‥‥で、最近の私は、そういうことにあまり時間を割いてないです。作業の疲れをとるために休息も必要だと思うのですが、自分の「第二の脳のメンテ」も同じくらい必要なのかもな‥‥と思います。

 

 

ちまたでは、「指のグルグル体操」というのがあるらしいですが、鍵盤楽曲には「指がなまってたら絶対に弾けない」類いの、リハビリに最適な曲も数多いです。

 

グルグル体操的に、指のメンテによさげなのは、例えば、バッハのBWV884「平均律2巻のト長調」とかです。1小節目から、「指の分離運動体操」のような曲です。

 

 

メンテ視点なら、こんなに速めに弾かなくても良いです。片手ずつでスローテンポでも良いと思います。

 

1小節目の最初から、右手の小指を軸にするフレーズがありますが、そげな指の動き、日常生活では全くと言って良いほど必要としないので、ピアノを弾いたことのない人は特に難しいはずです。

 

鍵盤がなくてもできるように、指の動きだけで説明すると‥‥

 

5 4 5 3 5 2 5 1 5 2 5 3 5 4 5 〜リピート

 

‥‥です。親指から数えて、親指が1、人差し指は2、中指は3、薬指は4、小指が5です。

 

この運指のキツいところは、小指を軸にした、薬指や中指との往復の動きですネ。簡略系で、「5 4 5 3」の繰り返しでも相当「日頃の甘えた指の動きに喝!」をいれられるでしょう。

 

 

 

で、私。

 

最近また、あまりピアノを弾かなくなっているのですが(音符入力や楽曲分析で鍵盤はイジるけど、楽曲の演奏としてはご無沙汰)、「キモチわるいほど、ムズ痒く、指が分離しない」です。そんなんじゃあ、色んな感覚が鈍るわ。

 

絵も描くし、キーボードもタイプするし、スマホもイジるけど、やっぱり「自分の動きやすい」方に流れがちです。指の運動は、うまく動かなくて、もどかしいのを克服するくらいで丁度良いです。

 

歳喰って、指を動かさなくなるのは、ちょっと危険な兆候だよネ。「指のメンテがてら、愉しんで」気を張らずに細く長く続けるのが良いのでしょう。

 

指は、やっぱり、動かさなければ固まってきますネ。‥‥しみじみ実感。

 

 


トップの精神論

戦史を読んだり、今の時期に放送される戦争関連のドキュメンタリー番組とかを見るに、組織のトップが精神論に傾くと、それはすなわち、敗北の色が色濃くリトマス試験紙に表れるが如く‥‥なんですよネ。昨日放映してたインパール作戦もそうだし、某国の‥‥は、まあここで言う必要もないか。

 

インパール作戦のNHKスペシャルで、牟田口氏が朝に祝詞をあげていた‥‥とのエピソードに触れた時には、「‥‥‥マジで?」と思ってしまいました。それは知らんかったです。戦争に限らず、何かのプロジェクトを成功させようとする際、そのプロジェクトのトップの人間が神頼み‥‥だなんて、一番「見たくない光景」ですわな。ああ、このプロジェクトは失敗する‥‥って、思いますもん。もはや神にすら頼るような状況なんだ‥‥ってね。

 

で、インパール作戦は散々な大敗北と大損失を被って、失敗。祝詞は役にたたなかったようです。

 

神に頼るのは極端な例だとしても、トップの人間が精神論でプロジェクトを動かそうとしている様子は、すなわち敗北が見えたということでもあります。「理に合った」、つまり「合理」的な判断からトップの人間が目を背け、「頑張れば勝てる」「頑張ればなんとかなる」と言いはじめたら、その現場はヤバいです。アニメ制作にも、そういう現場は過去にあったし、今でもあるんでしょうネ。

 

精神論は必要です。根っこの部分にはね。心の拠り所、深く強く心に定めたこと、信念、‥‥の類いは、生きていくうえでの重要な基礎にもなりましょう。

 

でも、精神論がことプロジェクトの計画立案に対し直接的に作用して、「一人十殺なら、24時間戦えれば、‥‥それを支える心と体の強ささえあれば」なんていうアホみたいな夢想が、「数字の計算に盛り込まれてしまう」ようなら、‥‥できるだけ早期に、その現場やプロジェクトから抜け出したほうが良いのです。

 

様々な戦史を読むだに、残酷だし悲惨だと思うのは、軍隊の一兵卒は抜け出そうにも抜け出すことができずに、愚将の愚行に準じなければならない‥‥ということでしょう。自分だけならまだしも、家族を国家社会に人質に取られたような状況でしょうし。

 

しかし、アニメ業界もアニメ会社も作業セクションも、国家と軍に徴収された人たちで構成されているわけではないですから、このプロジェクトはヤバいと思ったら、まだまだいくらでも手を打つ方法はあります。

 

もちろん、手を打つには、本人のスキルも相応に必要なのですが、だからこそ、日頃からスキルを蓄えて強い人間になるべく努力が必要なんですけどネ。スキルを持たない人間は、何を言っても取り合ってもらえません。居続けて流れを変えるにしろ、抜け出して別行動を立ち上げるにしろ、「対抗して渡り合えるスキル」はどうしても必要になります。

 

 

精神論は、内に秘めたるものです。決して外に出して、しかも他人に強要すべきものではないです。人それぞれの精神論が根っこにあって、その根から幹と枝を伸ばし花が咲いて身を結んだ「各人の結果物」を紡ぎ合わせて、プロジェクトは構成されるべきだし計算もすべきでしょう。

 

それにさあ‥‥。土の中にあって見えない根っこに期待して、憶測で作戦を計算するよりもさ、日頃表に出ている地上の枝葉や実で計算したほうが確実じゃんか。なぜ、見えないもので計算して、出来上がった気になれるのか、とっても不思議です。目に見えているもので判断せいよ。

 

 

Wikipediaで牟田口氏が語ったとされる一節は、極めてナンセンスですが、日本人の心情として現代にも色濃く継承され、むげに笑い飛ばせることでもないように思います。

 

皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…

 

これさあ‥‥、現代の日本、そして現代のアニメ業界のテレビアニメ制作事情でも、単語を変えて同じことを言っていますよネ。

 

日本人の国民性が、上記のようなネガティブな一節を素地に含んでいることは認めざる得ません。実は、こうした根性とか自己犠牲の考え方が、別の側面では思いやりとか気遣い、そして日本人ならではの創意と工夫を育む要素にもなり得ていると思います。

 

要は、光と陰なのです。

 

しかし、組織トップ、プロジェクトのリーダーは、決して「陰」の部分を持ち出して、「頑張ればできるじゃないか」と声高にまくし立ててはいけないのです。むしろ、できるだけクールに、極端に言えば「無感動」に、状況を精査する必要があります。

 

大和魂を作戦行動の計算に組み込む愚行は、決してプロジェクトのリーダーは犯してはならないのです。

 

根性? 自己犠牲? ‥‥作品の創作、制作に熱意を持つ人間ならば、リーダーが「大和魂」を持ち出すまでもなく、内に秘めて、日頃から結果物にIncludeしてますって。

 

大和魂をリーダーが鼓舞するなよ。空回りもぶざまこの上なし‥‥です。

 

大和魂は内に秘めるものであって、外部に向かってこれみよがしにひけらかすものではない‥‥と思います。

 

 

アニメ業界の作品制作も、徐々に「大和魂ありき」「自己犠牲の強要」から、ビジネスとして、産業として、合理的な道へと修正していくべき時代だと思います。2020年代を目前にした現代は‥‥です。

 

で、その合理的な道は如何様に? ‥‥ということですが、それこそがトップやプロジェクトリーダーの「腕の見せ所」でしょう。精神論ではなく、実質的な構造論でネ。


貧困高齢者

ニュースを流し読みしていて、こんな記事を見つけました。

 

10年後に「貧困高齢者」が大量発生… 危ないのは団塊ジュニア世代?

 

‥‥うん。そうだと思うよ。アニメ業界にいると、特に実感があります。

 

このような記事が書かれる10年前くらいから、すでに作業場では「アニメスタッフが高齢になったら、どうやって喰っていくんだろう」という話題は時折していました。アニメ業界ほど切実なんですよネ。団塊ジュニアで盛り上がって支えられてきた経緯は、事実として否定できないでしょうから。

 

簡単に仕事など見つかりません。人間の存在なんて、実はとても脆いものだと思います。

 

なので、脆さをアシストする、日頃からの、周到でしたたかな準備が必要なんですよネ。

 

現在、原画マンだったり撮影スタッフだったりする人間が、10年後、20年後、30年後の自分をどう思い描いていて、その未来のために何を今準備しているのか。‥‥また、準備していないのか。さすがに30年後はかなり朧げなビジョンでしょうが、10年後くらいはイメージできるはずです。

 

例えば、現在アラウンド40の撮影スタッフは、20年後、どんなふうに生活しているんでしょうか。「その時になってみないとわからない」とは言いがちですが、それは「その時の状況がどんなに悲惨でも甘んじて受け入れる」と言ってるのと同義です。

 

結局、「ソコ」だと思います。現在の自分の行動パターンから簡単な四則演算で見通せる未来の予想図を、できるだけ見ないように目を背けても、やがて未来はやってきて、準備していた人間とそうでない人間の「明暗」が分かれていきます。

 

要は、未来を見ること、ただそれに尽きます。足元を見たり、後ろを振り返ったりすることも大事ですが、同じくらい、進む先を見据えることは重要です。「今しか見てない」「昔のことしか言わない」のであれば、未来なんか見えてくるわけないのです。

 

私の経験則が教えてくれるのは、「未来を見据えれば、未来の道を進んでいける」ということです。単純なことですよネ。

 

 

 

これは、「システムの死に慣れること」とも言えます。

 

アニメ業界は、長らく、演出、絵コンテ、レイアウト、原画、動画、美術、仕上げ、撮影、編集‥‥というシステムで商売を続けてきましたが、そのシステムに対して、高齢者になっても依存し続けられるでしょうか。業界のシステムが抱え続けた問題点も大きいですし(特に金の面でネ)、仮に20年後にもシステムが存続していたとしても、高齢で体力が急激に衰えた時に過酷な作業ペースに追随できるのでしょうか。‥‥私は冷静に判断して、それは無理だと思います。

 

制作現場のシステム、自分が生活していくためのシステム。システムにも色々ありますが、どのシステムも誕生と成長と衰退と死のサイクルがあります。自分の一生の枠の中でも、子供時代、学生時代、新人の時代、一人暮らしの時代、結婚するなりして同居する時代‥‥など、様々に生活のシステムが生まれては死んでいきます。自分の役職の変移によっても、生活のシステムは一変するでしょう。

 

私はアニメ作画現場から抜け出て、自分の中での「作画生活の終わり」も経験し、その後の様々な取り組みの中で、システムのサイクルを見てきたので、「システムの死」には(おかげさまで)免疫がそれなりにできております。逆に、色々な浮き沈みがあるとは言え、作画一本、撮影一本で生きてきた人は、システムの死をほとんど経験せずに今まで経過してきたので、「システムの死」に際して「自分はどのようにアクションすべきか」を経験上知り得ないと思われます。

 

頑張ることしか覚えてこなかった。流行の絵柄に合わせることはしてきたけど、時代の技術の潮流を読むような意識はなかった。どんなシステムで、どんな開発プロジェクトを起こすべきか、ほとんど考えたこともなかった。

 

表層の流行時々のキャラの顔を似せて描くことはしてきたけど、撮処理のテンプレートを踏襲することはしてきたけど、土台となるシステムとプロジェクトをゼロから立ち上げることなど全く意識してこなかった。システムが死んでしまうことなど、考えたこともなかった。

 

‥‥危うい限り‥‥ですよネ。「システムの死」に対して免疫をもたない‥‥というのは、何とも脆いことだと思います。

 

 

 

悲観的な未来など見たくない。‥‥そうでしょうか? 私は悲観的であっても未来はちゃんと見据えておきたいです。なぜかと言うと、未来が「崖っぷち」ならば、崖っぷちに向かって車を走らせて、アクセルを踏み込むようなことはしたくないからです。

 

今まで歩んできた道をまっすぐに進んだ先の未来が、どうやら崖っぷちであると判断できるからこそ、右折なり左折なり迂回なりして、別の道で進もうと、事前に判断できます。

 

未来は崖っぷちなようだから、見ないことにする。見ると辛いから。‥‥で、そのまま道なりに惰性で進み続けて、やがて崖下にダイブしていくのを、団塊ジュニア世代は本当に望んでいるのでしょうかね。みんなで無理心中すれば寂しくないし怖さも紛れる? ‥‥今日は終戦記念日ですが、まさに72年前の日本がそんな雰囲気だったのかも知れませんネ。

 

私も団塊ジュニア世代前期の人間ですが、私は崖下にはダイブしませんし、別の道筋と道順を模索しようと思います。「如何に死ぬか」よりも、「如何に生きるか」を、現在過去未来のプラスもマイナスも全要素含めた上で、考えたいです。

 

 

 

いやまあ、正直、ホントに、今後のアニメブーム世代の団塊ジュニアの進む道は厳しいと思います。今までの道を歩き続けるのならネ。世代の当事者だから、実感があります。

 

だからこそ、厳しさから身を護ることも含め、技術の現代性を色濃く意識して、「今までと同じ道を歩き続けてはならない」と強く深く自戒します。

 

鉛筆の力を信じる。‥‥とか言ってる場合じゃないんですよ。

 

鉛筆なんていう単一の道具にこだわっている時点で、崖っぷちへまっしぐらです。鉛筆が重要なんでしょうか? 違いますよね。生み出される絵そのものが、アニメーションそのものが、何よりも重要な原理だと思います。絵を描く際に、鉛筆しか信じられないなんて、何とも哀れです。

 

私は、絵の力を信じようと思います。映像としてのアニメの力を信じようと思います。それが未来への何よりも決定的で重要なキーワードだとも思っています。

 

高齢を「老いぼれたベクトル」にしか使えないのは、何とも惨めな話です。歳を重ねたことが、すなわち、技術の大きなピラミッドを形成するような生き方をしない限り、どこの誰にでも「高齢貧困者」の暗い影は忍び寄ってくるのだと思います。

 

 

 

 


筆塗り雑感。

作りかけで放置していた「パンサー中戦車」を20年ぶりに作業再開した際、以前の塗装が絵画技法でいうところの「下塗り」と同じ効果となって、妙に味のある塗装面になったのは、思わぬ収穫でした。

 

考えてみれば、あらかじめ「オキサイドレッド」のサーフェイサーを吹く方法=下塗りの際に落差の大きい色で塗装する方法は、エアブラシをメインとした技法でも定番です。私も1/72スケールのAFVで実践していますが、実のところは、マティエールが無機質になりがちなエアブラシでは効果がハッキリとは表れませんでした。

 

 

しかし、田中式塗装術、アクリル絵画式塗装法ならば、オキサイドレッドやハルレッドの下地、ランダムにまだらに暗色で塗りつぶした下地が、筆のマティエールとの相乗効果によって、かなり「風情のある」塗装面が期待できそうです。

 

前回の「パンサー中戦車」は未塗装のパーツもあり、パーツ成型色のダークイエローの上に、塗料のダークイエローを上塗りした箇所もありました。しかし、同系色の下塗りに、同系色を上塗りをしても、ほとんど効果がなかったところから察するに、塗装色の隠蔽力もある程度計算に入れて、「透けた後の効果」を狙って塗ったほうが良い‥‥というのも、実は絵画技法そのまんま‥‥です。

 

絵画技法から応用できる要素は、筆塗り塗装に関しては、豊富にありそうです。

 

試しに、今度は1/48の、これまた20年越しで放置中の航空機モデルがいくつかあるので、「ダメでもともと」で下塗りの塗装を試行錯誤してみようかと思っています。

 

まずはアリイ(オオタキ)の四式戦「疾風」あたりでやってみようかと思いますが、疾風は陸軍のダークグリーンと無塗装銀の2種類があるようなので、どちらをやってみようか、考え中です。

 

ダークグリーンの場合、下地の色は何色にすべきか、また、銀色の場合、下地の色相に影響されて寒色・暖色如何様にでも振られまくるんじゃないか‥‥とか、色々と未知な部分はありますが、まあ、気楽にやります。

 

*これはハセガワの疾風1/48。このボックスアートの筆致、タッチは、まさに小池繁夫さんの独壇場ですネ。最近は、1/48のMMのボックスアートを描かれている方(お名前は調べていないのでわかりません)の絵も好きです。米軍燃料補給車の箱絵は、リアルかつ絵画的で、お気に入りです。

 

* * *

 

プラモデルの作り方って、どこか「作り方の常道がいつのまにか出来上がって、無意識にそれありきで思考していた」自分を思い起こします。綺麗にマスキングしてエアブラシで塗装した後、質感を加えていく‥‥みたいな。

 

でも、私が学生の頃に学んだ油彩も水彩も、そんな描き方ではありませんでした。綺麗にムラなく塗った後に質感を加える‥‥という方法ではなく、様々なアプローチやフローがありました。下の写真は、高校時代に愛読した技法書です。カラヴァッジオやレンブラントなどを模した技法のフローが解説されています。(現在、絶版のようです)

 

 

「プラモデルには、プラモデルなりの作り方が…」と考えて他の可能性を積極的には考えようとしなかった中、「プラモデルの絵画技法」とも呼べる「田中流塗装術」の本を偶然目にして、アマゾンで購入して読んだ時に、じゅわ〜と雪解けたのです。「自分の思うカッコよさが表現できれば、現在の常道を必ずしも踏襲する必要はない」と。

 

プラモデルのエアブラシ技法は、なんだかんだ言ってもやっぱり「塗装」の延長線上であって、「絵画」の延長線上にあるとは言えないんですよネ。エラブラシにだって絵画技法はありますが、こと、プラモデルのエアブラシ活用はやはり「塗装」のイメージであって、絵画のイメージではないのです。そこがずっと、心の中でひっかかり続けてたんですよネ、私の中で。

 

しかし、田中式塗装術で開眼したあとは、より一層気軽に実践できるアクリル絵画式塗装法を探ることによって、部屋の換気などあまり気にもせずに(ラッカーよりアクリルや水性のほうが圧倒的に臭気が穏やかです)、マティエールのバラエティも試しつつ、楽しんで制作が可能になりました。これはプラモを作る上で、あまりにもデカい変革の要素です。

 

最初に綺麗に塗装した上で経年変化や汚れなどの質感を加えていくという方法ではなく、ラフな描画状態から、徐々に細部をつめて、全体像を完成させていくという方法も、「実は、同じくらいアリ」なんだと実感します。

 

でもまあ、エアブラシの機材も買って揃えて、色々とハンドピースで塗装してみた後で、筆塗り塗装法の特性も比較・認識できるのも事実。思うに、両方必要かな‥‥とも実感します。

 

*現在の私の主力機「タミヤ レボ2」。もっと強力なポンポンポンポン!‥‥と音のするのもありますが、今はこれで十分です。あとは、カンスプレーのサーフェイサーや塗料です。缶だと、屋外で吹けるのがミソ。

 

 

要は、様々な技法の可能性を得るには、筆もエアブラシも両方必要‥‥ということですネ。

 

 

「もう出尽くした」なんて言ってても、案外、考え方の根本を変えると、色々と出てくるもんですよネ。

 

プラモの塗装だって、「憧れのエアブラシ」ではなく、恐ろしく身近な数百円の筆による筆塗りで、色々な問題が解決することもあります。臭気、コスト、フットワーク、どれも筆塗りなら軽快です。

 

 

私の本業のアニメーション制作も、実は考え方の根本を変えれば、「色々」と出てくるもの‥‥ですヨ。

 

 



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