スタジオこそだいそん

ダイソンのコードレス掃除機。サブスクで使い始めました。

 

ダイソン テクノロジー プラス

https://www.dysontechnologyplus.com

 

 

実家で使い始めたのを見てて、「これこそ、作業場にピッタリ!」と思ったのがきっかけです。

 

 

 

作業場はカーペット敷ですが土足なので、相当汚れます。一方、掃除機は瞬発的な電力を食うので、マシンがひしめくスタジオで電源コード型の掃除機は、危険で使いたくありません。特に部屋が小さい場合はキャパが小さいので一般的な掃除機は避けたいところです。

 

汚れやすいので吸引力は必要。

 

しかし電源には負担をかけたくない。

 

 

このジレンマに対し、吸引力のほうをずっと犠牲にして、貧弱な吸引力のスティック型コードレス掃除機を使い続けてきましたが、掃除機が往復しても小さな紙ゴミすら吸引していないのは、何とも情けないものでした。

 

 

 

しかし、ダイソン。

 

アマゾンではネガティブレビューも目にしますが、この吸引力だけでも、評価に値します。

 

今までスティック型でバッテリータイプとなれば、コード式の一般型に劣るのが常でした。ダイソンのコードレスはむしろ、一般型の吸引力よりも強力で、特に作業場の日々の清掃には絶大な威力を発揮します。

 

目に見えて綺麗になるので、掃除が楽しくなります。

 

バッテリーの稼働時間は短いですが、最初のうちだけ何度かに分けて掃除すれば良いだけです。あとは、どんどんゴミの取れ高が減っていきますので(部屋のホコリを除去していくので)、バッテリーの時間内に収まる掃除で済むようになります。

 

とは言え、それはもう、どんどんゴミが取れる取れる。

 

カーペットの奥に潜んでいたゴミを、パワーヘッドが掻き出して吸い込むので、同じ場所を複数回に分けても、結構細かい砂のような埃が沢山取れます。

 

 

 

そんなダイソンの掃除機が、1ヶ月1000円。消耗品や故障も原則その料金の中でケアしてくれます。

 

そして36ヶ月で新製品もしくは新品と交換で、更新されます。

 

 

 

掃除機はホントに作業場の悩みの種だったのです。

 

作業マシンに優しい掃除機を選ぶと‥‥

 

吸わねえんだもん。

 

私は基本、バイクもクルマも家電も楽器も、国産ブランドを愛好する主義なのですが、掃除機はどうにもいい感じに収まっていませんでした。

 

吸引力の強い日本製コード&ホース連結式は、図体がデカいし電力を食うしで、マシンを並べて作業している作業場には、使うこと自体を敬遠していました。

 

無停電装置は設置してありますが、掃除するたびにブレーカーを落とすのは、マズイですもんネ。

 

そこにまさかのダイソン。よく耳にしてたけど、スルーしてたダイソン。

 

しかもサブスクまで用意してあるとわ。

 

 

 

強力なモーターヘッドで掃除すると、カーペットの色が均質になって、見た目に「綺麗」になります。

 

モーターヘッドの回転で毛並みが揃うのか、実は細かいノイズみたいにして埃がカーペットの色調を荒らしていたのが除去された効果か、とにかく「なんか、綺麗になってるよな」と直感的に解るのです。掃除機をかけただけでカーペットの色調が整う‥‥だなんて「プラシーボ」かとも思ったのですが、確実に床のムラが抑えられています。

 

 

 

ちなみに、本体をぶら下げて格納するブラケットは、木の板を買ってきて(私は余っていた木材を流用)適当な場所にタイラップで固定して(タイラップを通す穴はドリルで開けておきます)、その木材に木ネジで固定すれば気軽に設置できます。

 

ブラケットに収納すれば、その辺にゴロつかず、綺麗に部屋に収まります。コード式のホース連結式は、掃除機をどこにしまっておくかも悩みのタネですよね。

 

 

 

ともあれ、買うにしても、サブスクにしても、ダイソンの普及機で作業場の掃除は何ランクもレベルアップします。

 

悩み無用。

 

 

 


プチマウンティング、ツイカースト

前の記事で、私は学生時代にスクールカーストがめんどくさて億劫で、「何か重いなー」と感じるたびに学校を抜け出していた‥‥と書きました。いわゆる「ソロ活動」をしていたわけです。変な言い方ですが。

 

キャリアに応じた連帯‥‥とかいうと耳の障りが多少は和らぎますが、要するにマウンティングのフローです。

 

そうか。‥‥私がツイッターを使わないのは、どこか昔のスクールカーストの匂いというか、マウント合戦みたいな構図が、面倒だと察知しているからだろうな‥‥と、ふと気がつきました。

 

 

 

普段は弱者側、下層側にいる人間が、強者・上層側の人間に誹謗中傷するのは、普段は果たせないマウンティングの好機を見出すから‥‥とも言えます。強者の至らない部分やミスを、「それみたことか」と追求するのは、弱者からすれば絶好の「プチマウンティング」のチャンスですもんネ。

 

一方、強者・上層側は、弱者・仮想側の人間が「なぜ下層に留まるか」を定期的に論説することで下層側の劣等感を煽り、カースト上位を維持しようとします。加えて、たまに甘い飴のような慰めを下層側に施すことで、バランスをとったりもします。

 

うーむ。書いててイヤになりますわな。どっち側も。

 

なので、私は昔からソロ活動なのよね。

 

「iPad ProとiMacで自分のアニメを作ってみようよ」とここで書くのは、考えてみれば、ソロ活動の可能性を説いているとも言えます。

 

 

 

私がフリーアニメーターだった頃。

 

同じくフリーアニメーターが集まるフロアに席を置いていた頃、年長の巧い人たちは、決して私を下っ端、下層扱いはしなかったのを思い出します。カーストなんてなかったです。

 

若いがゆえに経験が浅い‥‥というだけで、上下などない。

 

これって、すごく大事なことです。

 

経験の浅さは、決して「下」ではなく、経験を積む前の段階である。‥‥そのように接してくれたフリーアニメーターの人々を思い出すと、何かジーンと温かい感情が込み上げてきます。

 

フリーランスでソロ活動ですもんね。ソロの「間合い」をわきまえた人たちですもんね。

 

私はプロとして基礎を形成する20代の頃に、そうした現場に居たことを、とても幸運に思います。

 

 

 

未だに、スクールカーストの呪いから抜け出せず、成人・社会人になってからも、マウンティングやカースト上位に情熱を燃やす人もいるのでしょうけど‥‥

 

やっぱり、私はそれは死ぬまで「結構です」かなぁ‥‥。

 

 

 

でもまあ、仕事上では、技術的な側面で、相手・先方を納得させないとアカン時はあります。

 

納得させる‥‥いわゆるマウントの一種です。

 

大小の差はあれ、マウンティングは世の常。

 

であるなら、メローなマウントくらいにしておきたいですネ。

 

相手の胴体に馬乗りになって、こてんぱんに屈服させる必要なんてないです。

 

 

 

私はペーパーレスを推進しますし、タイムシートではない新式のシートへの移行も訴えておりますが、決して古い方法論を否定しているわけではありません。新旧のものごとにカーストを設定なんてしません。

 

お前は紙とデジタルの、どっちの味方なんだ!?‥‥と言われりゃあ、いやあ‥‥どっちも。

 

直近5年間はiPad Proを使って絵を描いてますが、それまでずっと紙がメインだったんですよ。何十年も。

 

嫌いになるわけないじゃん。

 

あくまで「4KHDRの時代に、A4用紙では辛い。合理的に考えて、ペンタブ環境に移行すべし」と考えるだけです。前からこのブログでも書いてますが、4KHDR時代に紙が生き残って独自の価値観と品質をアピールする方法のアイデアはあります。

 

最近再掲したので気がひけますが、もう一度、引用。‥‥下図の4Kコンセプトのキャラは、2014年(iPad ProとAppe Pencil登場前)に、紙と鉛筆で描いた線画をスキャンして作っています。

 

 

 

 

まあ、この絵柄なら、Apple Pencilでも今では描けるくらい馴染んだので、ペンタブ作画で描きますが、「紙だからデジタルとは水と油」なんてことはないですし、紙に馴染んだ人々の技量を4KHDR時代にも活かす方法論はいくらでも思い浮かびます。

 

マッチングの話です。

 

上か下かではなく。マウントをとるとらないの話でもなく。

 

オールドマーシャルサウンドを192KHzのデジタルレコーディングで生々しく蘇らせても楽しいのです。同じく、紙と鉛筆のニュアンスが唯一無比の表現を発揮するなら、どんな手でも紙ベースを貫いて、デジタルデータの映像作品に作り上げても良いでしょう。

*RETAS互換100%の今は、紙は二値化の入力手段なので、紙と鉛筆の個性はほとんど残っていません。Animoだとよかったのにねえ‥‥。Harmonyは単純に金の問題で、各社は導入したがりませんしネ。

 

 

 

世の中は、マウンティングとカースト意識に満たされているかも知れません。

 

そんな中で、どのように商業作品を作り、自主作品を作り‥‥と、個人の意識が日々の行動に影響しましょう。

 

考えてみれば、マウンティングとカースト意識があるからこそ、社会は成立し、その中で葛藤が生まれ、作品のシナリオのネタにもなるわけです。キャラクターのデザインのアイデアにもつながるでしょう。

 

一方、私はソロ活動を少年時代から実践してたので、なかなか、ツイッターのプチマウンティングとツイカーストの中には入っていけません。

 

善きツイートもあるのは理解していますが、トレンドにランクインするのは、プチマウンティングとツイカーストの渦を絵に描いたような話題ですしネ‥‥。

 

なので私は、相変わらず、見るだけツイッター。

 

 

 


受動能動

自分で作った野菜で、カレーを料理して食べたい。‥‥と思うのなら、少なくとも土は必要ですよね。何を揃えるにしても。

 

なのに、カレーの研究と称して、いろんな店のカレーを食べ歩いているだけでは、全く進展していないです。そればかりか、「自分は研究熱心」と思い込んで、夢に少しずつでも近づいていると錯覚さえします。

 

いろんな店のカレーを食べ歩くことなんて、誰でもできます。なのに、目的意識があると、夢を実現するために実践していると勘違いします。

 

これ、とても危険なことなんですよネ。実際は何も自分の内外で進展していないのに、徐々に夢に近づいていると思い込むので、人生の設計に狂いが生じます。

 

独習者が陥りやすいワナです。受け身なのに、能動的に行動していると勘違いする落とし穴。

 

 

 

OO教室とかXX講座に通っていても、受動的な人間だと受け身の性質は大して変わりません。自分に課題を課して錯覚しているだけのことです。

 

せっかく経験豊富な講師に教えてもらっているのに、単に消化試合にしてしまって、自分を「締め切りに追われるプロ」のように錯覚するのって、いかにも技術の獲得に不慣れなアマチュアレベルです。プロで生活している人間は、技術を「得る」方法も心得ているものです。

 

思うに、大きく分けて‥‥

 

教えて貰いにいく人

 

学びを得にいく人

 

‥‥の2タイプです。

 

これは180度対照的で、

 

受動型

 

能動型

 

‥‥とも言い換えられます。

 

「教えて貰う」意識で教室や講座に臨んでも、つまりは受動的なので、カレーを食べ歩いている代わりに知識のかけらを食べ歩いているに過ぎません。

 

「学びに行く」という能動的な意識なら、講師の些細なひと言でもインスピレーションを感じて学びを得るでしょう。

 

 

 

自分で作った野菜でカレーを調理したいのなら、まずは何らかの方法で土を用意して、タネを播くことです。プランターならプランターを置く場所を用意し、土を入れ、種を播き、水をやることです。

 

‥‥が、ここにも落とし穴が。

 

一念発起してプランターを用意して水やりしても、発芽しない場合、受動的な人間だと、原因を究明できません。なぜって、受動的な性格だからです。

 

言われている通りにやってるのに、発芽しないのはおかしい

 

‥‥なんて、強烈に受動的なセリフを発します。

 

能動的な人間なら、「おかしい」「変だ」「異常だ」で終わらずに、様々な「なぜ」「謎」を順に地道に検証して、「逆境から多くの学びを得る」ことができます。

 

 

 

言われた通り、土に種を埋めて水をやってるんですけど、どうして発芽して育たないんですか?

 

‥‥なんて言うのは、

 

言われた通り、iPad ProとApple PencilとProcreateを買って毎日絵を描いているんですけど、どうして上手くならないんですか?

 

‥‥と言うのと全く同じ。

 

上手くならない理由を丸投げで他者に投げかけ、ミラクルな解決策を提供して「貰える」と思う時点で、栽培も絵画も上手くなる可能性はゼロに等しいです。

 

 

 

園芸でも絵画でも、受動的な性質の人間は、あまり向いてないのです。

 

一方、メソッドが確立されて、その1部分だけをルーチンワークでこなす場合は、逆に受動的な性質のほうが向いているとも言えます。

 

 

 

でも‥‥

 

自分のタイプを変えられる年齢って、いつまでなんでしょうね。

 

受動型の人間が、能動型へと変化する機運って、何歳まで存在するのだろう‥‥と考え込んでしまいます。

 

結構な歳〜30代後半くらいになると、受動と能動って、もはやすっかり硬化してしまって、型は変えられないようにも思えます。

 

ですから、鉛筆からペンタブに持ち替えるのも、もともと能動的な性質の人は、状況の差こそあれ、いずれ持ち替え可能だと思いますが、アニメ業界の仕組みにどっぷり浸かって受動的に仕事をしてきた人は、中々切り替えられないのかも知れません。

 

とは言え、自分の行動タイプを変えられる年齢がいつまでなのかは、よくわかりません。だとすれば、40代からだって変えられる可能性はあります。

 

ポイントは「貰う」から「得る」への、意識の大きな転換です。

 

 

 

逆に、能動的に生きてきた人間は、もう少し受動的意識を取り入れた方が良いのかも知れません。

 

能動的に動く人間は、ワンマンやオンリーワンになりやすい傾向がありましょう。

 

自分ひとりで抱え込むことは、歳を食えば食うほど、どんどんボロが出るようになります。

 

いくら一人で気を張っても、今まで多くの人に助けて「貰い」、支えて「貰った」のです。その「貰える」について意識的に自己肯定して、あえて受動的に振舞うことも、能動的タイプの人間には必要なんだと思います。

 

高い技術を会得した人は、能動的に知識と経験を広め、自己批判も重ね、能力の研鑽に努めてきたがゆえに、どこかいつでも緊張感が持続しているフシがあります。

 

その緊張感は20代30代ならともかく、40代以降は徐々に緩めて、違う方法論へとシフトする必要がありましょう。

 

 

 

受動的だった人間は能動的な意識へとシフトする。

 

能動的だった人間は受動的な意識も取り入れる。

 

そうすることで、もしかしたら、人生を2タイプ、二度生きることが可能‥‥かも知れませんネ。

 

 

 


水出し緑茶

お茶を水出しすると、茶色くならず、エグ味もなくて、緑色で甘い味になるんですね。

 

ティーバッグでも茶葉でも。

 

お茶特有の苦味はありますが、エグい苦味ではないです。

 

今日、何の気なしに、お湯で出して冷ましてみたんですが、色が明らかに茶色くなったのは驚きました。味は濃いのですが、エグい苦味が強くなるのも解りました。

 

今まで全然、お湯出しとの差を自覚しないまま、「水出しポット」のコンセプトに準じて水で出してたんですが、味はさっぱりスッキリ、綺麗な緑になるのが、水出し緑茶の特徴だったんですね。

 

 


今度は冷凍か

ツイッターで今度話題になっているのは、「冷凍餃子は手抜き」。

 

これ、釣りの炎上目的なんじゃないのか‥‥と思うほど、同じパターンだわね。

 

冷凍餃子でもいいじゃん。

 

‥‥いやいや、こういうのを「釣られる」と言うんだろうな。

 

 

 

以前のポテサラ。

 

話は逸れて、私の中では、スーパーのお惣菜コーナーのポテサラは不味いということだけが、気にかかっています。

 

単なる私の思い込み、もしくは記憶が古くて、実は今は美味しいポテサラも売ってるのではないか‥‥と。

 

なので、あえて、スーパーのお惣菜のポテサラを、最近買って食べてみたけど‥‥‥‥マズイ‥‥‥!!!

 

妙な人工的な甘さと酸味が全体を覆っていて、ポテトの素直な旨さがまるで感じられません。

 

こんだけ混ぜ物だらけだったら、変な味になるわな。グリシンまで入ってるんですね‥‥。

 

 

もうなんていうか、この原材料表記のまんまの、不思議な味のポテサラでした。

 

一方で、居酒屋などのポテサラは美味しいものが多いと聞きました。確かに、その場で食べきるのなら、できるだけ混ぜ物しなくて良いので、美味しいでしょうね。

 

ポテサラって本来は美味しいはずですもん。

 

 

 

で、冷凍餃子。

 

そんなに味が落ちないと思いますけどネ。

 

‥という味の話題じゃなく、争点は手抜き云々でしたね。

 

というか。

 

ツイッターのネタ自体、ここまでワンパターンだと仕込みかと邪推してしまいますが、もしパパが子供の前でママを「手抜き」とか言うようなら、そのパパを伴侶とした時点で終了していたのかも知れないですね。パパがどれだけご立派な手抜きなしの人生を歩んできたか知らんけど、子供の前でママの面目を台無しにするなんて、もうダメだよ、その男じゃ。

 

と、熱くなるのも、シナリオ通りなんかな‥‥。

 

 

 

ツイッターか。

 

なかなか、手出しできんよなあ‥‥。

 

 


Life is Pain

世代や出生地に自分の人生や運命を転嫁するのは、優生思想や選民思想のバリエーションであり‥‥というのは、前回書いた通りです。実際、自分が上手くいかない現実を「あの時、バブルが弾けたから」「ロスジェネだから」と言い続ければ、ネガティブな伝家の宝刀の如く、本人の中では機能しますもんネ。でも、それじゃあ‥‥一生、そのままです。

 

なので、キャリアもタイムコードもゼロスタートを基本に。

 

妙なオフセットを設定せずに、潔くゼロスタートにすれば明快ですし、混乱も防げます。まさにタイムコードのようにネ。

 

 

 

人生裸一貫。ゼロスタート。気概としては良いです。

 

とは言うものの。

 

「自分はゼロからキャリアを積み上げた。だからゼロからだって出来るんだ。」と、誇りに思い過ぎるのも、それはそれで、危ういのです。

 

う〜ん。人生は難しいですネ。

 

何でもかんでも、自信をもって、全力で頑張れば、うまくいく‥‥わけでもないのです。

 

努力は必要ですけど、必ずすぐに報われるわけじゃあ、ないです。

 

 

 

人生には何度か、どうやっても抜け出せない、袋小路のような「難しい時期」があります。

 

世界の人、全てかどうかは知りませんが、少なくとも私はそんな時期が何度かありました。

 

やることなすこと上手くいかず、何もかも裏目に出るような時期。

 

まあ、ですから、自分ではどうにも左右できない何かがあるのではないか‥‥と、世代論や家系や、果ては遺伝子なんて持ち出して考えることもあるのでしょう。

 

 

 

おそらく、「両方」あるんでしょうね。

 

自分でどうにか変えていけることと、自分ではどうにも変えられないことが。

 

実際、私が、アジアの山奥の秘境で生まれ育ったら、アニメの作画もコンポジットも自分の仕事にはできなかったでしょう。

 

私が江戸時代に生まれてたら、テレビや劇場のアニメを作ることはできなかったでしょうし。

 

やはり時代や出生地の影響は受けます。

 

自分の努力ややる気で何でも解決できるなんて、思い込みが激しすぎます。

 

だからといって、現在の日本に生まれて、しかもアニメ会社や業界に属していて、自分の能力の至らなさを世代論・時代性に転嫁するのは、安易で残念な状態ですよネ。

 

 

 

自分が難しい時期にハマってしまったら。

 

抜け出すのは、過去に蓄積した何かと、現在の自分の足掻き、そうするうちに訪れる出会いでしょうネ。

 

「冷蔵庫の有り合わせで生きる」というネット記事を読みましたが、以前何かを買ってきて冷蔵庫に貯めといたからこそ、有り合わせもできるのです。

 

冷蔵庫は常時満タンにする必要はないですが、空っぽにならないように当座の食材を寄せ集める必要もあります。

 

 

 

痛みが耐えられるくらいまでに治まるには時間がかかります。

 

「ポジティブなら痛みなど感じない」なんてただのヤセ我慢です。

 

痛みが和らぐまで待つ間に、考える時間が生まれます。実はその時こそ、次のフェイズへ進むための、今までの自分がドロドロと溶けてサナギに変化する時間‥‥だと実感します。

 

なので、考える時間を、珍妙な優生思想や選民思想に浪費するのはもったいないのです。「自分は何々世代だから」と言いながらいつまでも傷口を指でつついてたら、カサブタが固まらないし、思考も停滞したままですよネ。

 

 

 

難しい時期。‥‥実は自分の裏側を知る機会でもあります。

 

当時はそんな「裏側を見て自己観察する」余裕なんてないですが、次回の「難しい時期」に直面した時に、多少は対処法が使えます。でもまあ、2回目も3回目も、別タイプの難しさなので、完全に対処することはできませんけどネ。

 

ですから、1番目の難しい時期は、20代までにとことんやっておくのが「いいはいい」のですが、そんな他人事みたいに言えるような軽い状況ではないですから、運命次第ではあります。40代以降にまとめて来るとヤバいとは思います。

 

 

 

痛いのは誰だって嫌ですけど‥‥。

 

Life is Pain。

 

Vaiさんの曲にもありましたネ。激しい曲が。

 

この曲を含むアルバムが出て、もう30年近くになるんですね。当時は私も20代。‥‥火に油を注ぐようなアルバムでしたネ。

*同アルバムの「Pig」のギターパートをコピってる人もYouTubeにいましたけど、よくやるなあ‥‥。私など、ハナから諦めましたもん。Vaiさん以外の他者が弾けるとは思ってなかったス。

 

 

 

人生、エスカレーターで最上階まで運んでくれるなんて、思っているほうが呑気です。

 

まあ、結局は、ものを生み出すような職業を選択する以上、産みの苦しみから逃れることはできず、どの道を選ぼうと、痛みは避けて通れない‥‥ということでしょう。

 

どうせ道を選ぶなら、行き止まりの道ではなく、次に繋がっていく道を選択したいものですネ。

 

 


優生思想の裏返し

私は、世代論とか出身地比較は、優生思想の別形態だと思ってます。

 

ロスジェネとか就職氷河期を20年経った今でも理由にする人って、では、ロスジェネ世代じゃなかったらさぞ立派な人間になってたんでしょうかね。「だ埼玉」とか言う人って、さぞ華麗な出身地で頭脳明晰で身体能力MAXなんでしょうかね。

 

くだらんなあ‥‥。

 

私が、絵を描いたり、ギターやピアノを演奏したりするのが好きなのは、絵や音楽は正直だからです。頑張ったぶんだけギターもピアノも上手くなれるし、対象を観察すればするほど絵にフィードバックできます。

 

どんな世代に生まれようが、どんな出身地だろうが、絵や音楽は正直に応えてくれるのがイイです。

 

 

 

「優生だなんて思ってない。劣等だ。」みたいに自虐する人も、ゼロ地点からみれば、プラスとマイナスの座標の差こそあれ、絶対値は同じです。XY100も-X-Y100も、同じ100の量の優生思想を根底に持っているのです。

 

自分は優れている人間だ = 自分は優れているはずの人間だ

 

同じことだよ‥‥。

 

そんなのやめようぜ。

 

自分の意志と行動で変えていける未来を信じましょうよ。くだらん優生思想なんかよりも。

 

 

 

例えば、絵が上手くなれない人って、根っこに優生思想的・選民思想的な傲慢がある人じゃないのかな‥‥と思うことがあります。

 

自分の能力に根拠のない自信をもち、どんなTIPSや練習法を見ても、自分流にアレンジしちゃう人ネ。もしくは見ただけで理解したと思い込む人。

 

練習法やTIPを素直になぞれば、「ああ、そういうことだったのか」と、新たに開眼することもあります。なのに、素直にやらず、他者の方法論に従うのが「しゃく」なので、自分のアレンジを加えてしまいます。

 

「あいうえお」から始めなさい‥‥と練習法にはあるのに、「かきくけこ」や「あかさたな」など勝手に変えて、「あいうえお」は読んで理解したので、応用するところから始めた‥‥とか言うのだけれど、実際は「あうお」「あおいえう」で破茶滅茶だったりします。

 

自分の根っこに「根拠のない自信」=「優れた人間であるはずだ」という思い込みがあるからこそ、上達できない、上手くなれない‥‥なんてこともあるのです。

 

 

 

「弱っている時」に、人間は、血筋とか出生地とか遺伝子とか時代とかに、「藁をもすがる」とばかりに依存するように思います。

 

自分で解決できない時に、かえって、自分の行動では変えられない何かをよりどころとして得ようとするんじゃないですかね。

 

どこどこ生まれだ、何々世代だ、親が誰それだ、‥‥という自分では立ち入れない要素に関連づけて、自分の今の状態から目を逸らす‥‥なんて、何の解決も導き出せないのに、衰弱している時はココロを支える何らかの理由を欲します。そして、一層ドツボにハマる‥‥なんてこともなりましょう。

 

私にも経験があるからわかります。若い頃にフリーでアニメーターになって「もっと上手くならなきゃ」と強迫観念に囚われようものなら、出来高のペースも下りに下がって、月給を貰って生きている人には想像できないような「超貧乏」生活の中で、心も経済もボロボロになって、現実に目を背けて、普遍的で絶対的なよりどころを探そうとするものです。

 

私の父は戦争孤児なので、父方の祖父母に会ったことがなく、父方の故郷とも疎遠でした。打ちひしがれていた過去に、「自分はいったい、何者なんだろう」というのを確かめたくて、父の出身地を色々と調べたことがあります。同じ名前の家が何軒もあり、その中には美術系の職人らしき人もいました。

 

その時は、自分がここまで苦しめられているアニメの作画に執着していた理由が解った「気」がしました。

 

‥‥あくまで、「気」だけ。

 

今思えば、相当追い詰められていたな‥‥と思います。そんな自分に都合の良い解釈に、安堵を得ようとするあたりで。

 

自分は何者なのかを自分の外側に探す時点で、相当、衰弱していたことがわかります。

 

先祖? 遺伝子? それが何だと言うの? それで今の自分の苦境を打開できるのかよ?

 

必要なのは、今生きている自分を、何とかすることじゃんよ。

 

自分で変えられないものを信じて、自分で変えられるものを信じない。実に愚かしいです。

 

先祖、遺伝子‥‥を自分のよりどころにするのなら、原始の海で泳いでいた原生生物まで遡って、海に向かって墓参りすれば良いのです。でもまあ、拝むなら、人型が良いのでしょう。‥‥‥ていよく、どこまで遡るかを自分の都合で決めているあたり、普遍的でも絶対的でもないじゃん。

 

自分の家系に愛着を感じるのは良いです。しかし、崇拝したり、勝手な思い込みを被せるのは、冷静さを欠いていると私は感じます。

 

 

 

どんな世代だろうが、どんな家柄だろうが、どんな性別だろうが年齢だろうが、前置きに関係なく、自分次第で上手くなって自分の望みを獲得できる‥‥なんて、どれだけ素晴らしいことか。

 

どんなに下手な自分からスタートしても、上手くなれば迎え入れてくれる現場。‥‥アニメ業界には問題も多いですが、そういう気風があるからこそ、私はアニメを作り続けてきたようにも思います。

 

まあ、「上手い」にもタイプは色々ありますので、価値観はバラバラですが、上手い人たちって価値観を超えて認め合えるのも好きです。特に劇場作品で集まったフリーアニメーターたちの現場は、目眩するほど刺激的でした。‥‥今の劇場作品の現場って、どうなんでしょうね。制作会社の内輪だけの予定調和で作るのって、つまらないよなあ‥‥。

 

 

 

自分がダメな状態を、世代や出身のせいにしてたら、永遠に解決できないですよネ。生まれた年は変えられないし、どこで出生して育ったかの過去も変えられないのだから。

 

変質した優生思想を根っこに持つより、自分は遥か昔の星屑から生まれ、100年未満生きた後に、遥か未来の星屑に戻る‥‥と思った方が、自分の人生に覚悟できると、少なくとも私は思います。

 

 


夏のエアコン

夏が来れば思い出す、自分でエアコンを買って、自分で取り付けた、苦闘の日々。

 

エアコンの調子が悪いまま、だましだまし使っていたのが、とうとうダメになる一方で、業者さんに新しいエアコンを取り付けてもらうには部屋の内容を根本的に一掃してクリアな状態にしなければならず、進退極まっていました。

 

エアコン本体セットだけを買って、自分で取り付ける他、道は無し。

 

ネットが社会に浸透して久しい昨今、購入も回収も工事もネットでなんとかなるだろうと思いました。今から10年近く前の話です。

 

 

 

で、たしかに、なんとかなりました。

 

エアコンは3万円台くらいの型落ちモデル(実際の部屋の畳数よりも大きいもの)をネットで購入、古いエアコンは回収をネットで手配。

 

そのくらいならマウスとキーボードで簡単に手続き完了です。

 

工事を業者さんに頼むのなら、取り外しと取り付けの申し込みもマウスとキーボード操作だけでしょうが、今回のテーマは「業者さんを迎え入れることが実質不可能」な状態で、「自分で工事する」事です。

 

以後のマウスとキーボードの役目は、「どうやって取り外すか」、そして、「どうやって取り付けるか」をネットで調べることに変わりました。

 

ネットのある社会は便利な世の中で、様々な情報が手に入ります。それだけでも現代社会のスゴいことなんですが、当然のことながら、ノウハウは手に入らないので、「ぶっつけ本番」で工事に挑むことになりました。

 

 

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 

大変だった、です。

 

取り付けのために購入した工具は2万円を超えました。

 

取り付け工事には1週間かけました。

 

そんなんだったら業者に‥‥というのは、前述の通り、もともとないのです。部屋を工事のためにクリアにできないからこその、自前の工事なのですから。

 

金をケチっての話ではなくて、部屋のいかんともしがたい状況ゆえ‥‥です。

 

 

 

工事説明書に準じた専用のトルクレンチ(バイク用は流用できません)、エア抜きの真空ポンプ、銅パイプのフレア加工の工具など、手にするのも初めてのものばかり。使い方に関しては、慎重にネットの記事を何度も確認しながらです。

 

*安い無メーカーのポンプを買うので精一杯でした。工具としての作りは危うい感じでしたけど、役目は果たしてくれました。日本のメーカーだと3万くらいはするので、さすがに買えんかったです。

 

 

バイクを自分でメンテしてたので、多少は応用が効きましたが、特に室外機とのホースの接続〜配管は、慎重に確認しつつ、ちょっとずつ作業を進めました。デリケートな銅パイプ、絶対にエア漏れが許されない適正な締め付けトルクによる接続など、思い出しただけでも身震いします。

 

エア抜きの原理そのものは、バイクのブレーキホースで何度も経験して知っておりましたが、真空ポンプを使うのは初めてでした。室内外循環用の新しい銅パイプの中にあるエアを取り除き、室外機に収められたフロン代替ガスで満たす作業は失敗は許されず、ベランダにMacBookを持ち出してネットを見ながら作業しました。

 

*私のような素人にとって、エアコン設置のハイライト(=最大の難関)は、やっぱり配管ですネ。銅パイプだけでなく、VVFケーブルとか、使ったことのない配線材ばかりで、配管を包帯みたいなので巻く作業も、プロの人の技術をしみじみと実感したものです。包帯と同じで、糊でくっついているんじゃなくて、ただ巻く時の圧力だけで固定してあるんですよネ。業者さんの巻き方は綺麗だもんなあ‥‥。

 

 

重い室内機を支えながらの作業も、思い出すだけで筋肉がプルプルします。なにせ、「部屋の状態をそのままで」作業したので、無理な体制を強いられたのです。エアコン周りのものを全部どかせば、もっと楽に作業できたでしょうけどネ。思えば、重量物をもろい石膏壁に取り付けるノウハウも、その時に学んだのです。

 

 

 

毎年、エアコンが正常に動作すると、ホッとします。ちゃんと冷却ガスが漏れず、機能している‥‥と。

 

そして、しみじみ思います。

 

 

エアコンの取り付けは、よほどの事情が無い限り、信用ある業者さんに頼みましょう。それが一番。

 

 

もう自分では、よほどの事情が無い限り、取り付け工事はしないです。技術も経験もおいつきません。初めてのぶっつけ本番でなんとかうまくいったのは、1週間も取り付けに時間をかけて(業者さんじゃありえないですよね)、必要な工具は購入をいとわなかったからです。

 

やはり技術は対価で支払うべきものですネ。

 

安心の技術となれば、なおさら。

 

 

 

夏の軽いトラウマなのです。

 

小さい頃、夏休みに、波の出るプールで溺れかけて、見ず知らずのお姉さんに手を引いてもらって助けられたことがありますが、それに及ぶくらいの恐怖。

 

うまくできたからよかったものの。

 

夏が来ると、エアコン取り付けの苦闘の日々を毎年思い出します。

 

「うまくいかなかったらどうしよう」‥‥という当時も恐怖感も込みで。

 

 


コロ、カラ、ラー

私がコロッケを作るのが憂鬱なのは、手間もさることながら、バッター液と汚れたパン粉の処分に困るから‥‥なのですが、そう言えば、皆さん、どうしてるのかなとネットを調べたら、ちゃんと再活用してましたね。‥‥そりゃそうか。

 

私の場合、できるだけ残らないように、バッター液もパン粉も控えめに用意するのですが、残った液と粉でアメリカンドッグを作るのなら、話は別ですネ。自家製のアメリカンドッグなんて、いかにも揚げたてで美味しそうです。揚げるのは、コロッケと同時にやれば、一石二鳥ですから手間もかからずですネ。

 

でもやっぱり、コロッケは段取りが多いですよネ。生のじゃがいもから作るのは大変。揚げるまえにコロッケを冷やして破裂を防ぐ段取りも手間ですよね。

 

‥‥なので、1回の食事の個数だけだとロスが多いです。2話しか作らないアニメみたい。キャラ・メカ・美術の設定がもったいない。せめて1クール分(?)は作って、「あとは揚げるだけ」の状態で冷凍しておきたいですネ。

 

 

 

揚げたてって、よほど失敗しない限り、無条件に美味いです。

 

そして、揚げて6時間くらい経過したのは、無条件に味が落ちます。私がスーパーの惣菜で揚げ物を避けがちなのは、ソレが理由です。

 

時間が経った揚げ物を、揚げたての味まで復活させる方法って、ないのかなあ‥‥。復活はしないけど、オーブントースターで温めるくらいかなあ‥‥。

 

 

 

ちなみに、私が好きな揚げ物は、日清製粉から揚げ粉で揚げた、鳥もも肉の唐揚げです。

 

 

 

子供の頃から、コレです。幼少に「美味しいだろう」を刷り込まれている気もしますが、実際、衣がさっぱりしていて肉の味がダイレクトで美味いのです。他の唐揚げ粉のレシピも随分やってみましたが、結局これが一番美味しく感じます。

 

難点は、油が汚れやすいことでしょうかね。衣の粉をまぶすだけ=水で溶かないので、油で揚げる時に、衣の粉が油の中に拡散して、酷く油が汚れます。濾紙で濾しても、汚れ気味になります。

 

でも、美味さには変えられないス。

 

 

 

汚れた油は、から揚げの味が染み出しています。鳥もも肉の油も溶け出すでしょうから、もはやクリーンなサラダオイルにはなりませんが、それがまた野菜炒めなどに良い感じに馴染むのです。固めるテンプルで捨てるのはもったいない。

 

野菜たっぷりタンメンを自分で作る際に、むしろ、唐揚げ後の濾し油で野菜炒めをしたほうが、旨味がでます。

 

スープなしの生麺だけ買ってきて、スープは自分好みで作るのが、私の定番です。タンメンに限らず、醤油でも塩でも坦々麺でも。

 

ラーメンのスープをゼロから作るのって、「大変でしょ」と言われることも多いのですが、全然。‥‥‥‥おそらく皆、ラーメン店のテレビ取材映像を見過ぎなのです。ラーメンの条件さえ揃えば、スープは簡単に作れます。

 

全くの和風だしでも、3つの条件が揃えば、ラーメンになります。

 

油分(スープに浮いてる油)

最低限のスパイス(にんにくや胡椒など)

かんすい(ラーメンの麺に含まれる)

 

どれも、ほとんどの場合、蕎麦やうどんには含まれないですよネ。

 

特にかんすいは、独特のラーメン感が出ます。重曹で代用することもできますが、中華麺の生麺を買うのが手取り早いですネ。

 

ラーメンスープの中に、蕎麦やうどんを入れても、ラーメンにはならないじゃないですか。中華麺のかんすいって、「これぞラーメン」と言うべき味わいを持っているんですよね。「なに味」とは明確に表現できないのが不思議なんですけど。

 

 

 

出汁から作るのが面倒な場合は、創味シャンタンを使うと一番楽です。チャーハンや野菜炒めなど様々な料理に使えるので、常備したい調味料です。

 

 

 

 

もちろん、中華スープの元を使わずとも、上述3要素が揃えば、鰹出汁だけでも作れます。今や定番になって久しい、魚介だしラーメンになり、煮干しの粉末をトッピングすれば完璧です。

 

自分でラーメンスープを作るようになると、お店のラーメンスープが如何に手間をかけて工夫されているかが、一層感じられるようになって、お店でラーメンを食べる楽しみが増えます。

 

生麺は4玉入りで200円くらいで買えるので安上がりですし、自分好みのラーメンスープを作って食べてみるのも楽しいですヨ。

 

 

 

コロッケの話題がラーメンで終わる。

 

このブログはそんな感じです。

 

 


レンチン術師

湯煎のめんどくささゆえ、茶碗蒸しはとても面倒だ‥‥‥と、つい最近まで思うとりました。

 

しかし、テレビで「どんぶり茶碗蒸しが電子レンジ600W6分でできる」と知り、実際に茶碗蒸しを電子レンジで作ってみたら、本当にできました。

 

寒天で茶碗蒸しもどきを作って、卵ジュレになってしまい失敗したばかりですが、一気に茶碗蒸しが手軽な惣菜に早変わりました。

 

 

 

ただ、気をつけるべき点は2つあって、

 

容器の大きさに合わせて、ワットと分数を加減すべし

 

フラット庫内のレンジは、加熱ムラを防ぐために場所を移動すべし

 

‥‥ですネ。

 

私はテスト(とか言う言葉は日常でも使う)で3つの同じ大きさの容器で作ってみましたが、それぞれ、ミディアムレア・ミディアム・ウェルダンにバラつきました。

 

ウェルダンな茶碗蒸しはマズい。食えなくはないけど、マズい。完全にだし汁と卵が分離して、茹で卵がだし汁につけてあるかのようです。(オーバーですが、そんな感じ)

 

場所をこまめに移動するのが面倒な場合は、加熱から3分経過したあたりから、個々の火の通りを確認して、火の通りがはやい個体は、取り出しすのが良さそうです。

 

そんな手間、湯煎と濡れ布巾の仕込みに比べれば、大した事ではないです。

 

 

 

かにかま、椎茸(自分で極薄スライス)、サラダえび(既に茹でてある生食用のボイルえび)あたりの具材を買って、卵1・だし汁3の溶液を濾して器に注ぎ、様子を見ながら、500〜600Wで数分加熱すれば出来上がり。

 

多少緩めでレンジから取り出して、余熱で柔らかくフィニッシュするのもアリですネ。

 

茶碗蒸しが気軽に作れるのなら、1週間に1度作っても苦になりません。財布にも優しい。

 

具を割り切れば、買い置きの魚肉練り製品を薄く切って入れるだけでも良いですしネ。ちくわでも、かまぼこでも、合います。(実際にやってみたらイケた)

 

だし汁を鶏ガラ粉末スープで仕立てても旨いと思います(だし汁は濃い目に鍋で作って氷を加えて冷やします。じゃないと、卵と組み合わせた際に、卵に火が通ってしまいます)。

 

失敗知らず、手間知らずなら、中華風茶碗蒸しだってチャレンジできそうです。

 

 

 

電子レンジは料理のうちに入らない‥‥なんて、例のポテサラ系昭和ジジイは言うかも知れませんが、レンジは奥が深いすヨ。

 

私はレンジでハムorベーコンエッグを作ることが多いですが(卵の表面に爪楊枝で穴を開けないと破裂するので注意)、ご飯も炊くし、チキンソテーも作ります。レンジ専用の器具でちゃんとコゲもつけられます。

 

温めるだけが能じゃないとは知ってましたが、茶碗蒸しまで可能とは‥‥。

 

レンジでチン、恐るべし。

 



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