設計図

私は最近、アニメ制作上において、キャラ「設定表」、メカ「設定表」などの「設定」という言葉は避け、「設計図」という言葉に変えています。もちろん、私がメインで関わる場合は‥‥ですけどネ。

 

私が子供の頃に見たクレジットは、「設計」という言葉もそれなりに使われていた記憶があります。なぜ今は、ほぼ全て「設定」になったのか、理由はよくわかりません。

 

ぶっちゃけ、「設定」だと、少し柔らかいニュアンスになるように思います。一方、「設計」だと厳格な印象があります。

 

私が思うに、髪の毛が透けるデザインで多重組みが頻発するのは、キャラのデザイン時点での甘さが大きな原因だと思います。ツイッターでは、各種作画上の障害を原画マンの責任にする発言を多く見かけますが、原画マンはキャラ表を見ながら描いていますから、そのキャラ表に明確な「障害抑制」のデザイン上の工夫が示されていなければ、いくらでも事故は発生するでしょう。

 

私が子供の頃にみた「キャラクター設計」のデザイン画は、想定される場面においてどのように処理すべきかも併記してありました。サイズによっての描きわけかた、髪の毛の下の処理など、色々と。

 

「作画注意事項」として別立てで書かれたものではなく、「キャラクター設計の一環」としてキャラデザインに盛り込んでありました。‥‥当然ですよネ。‥‥だってさ、アニメ制作運用において、キャラを描画する際の規定書・作業の拠り所なのですから、デザインに最初から盛り込まれていて然るべきです。

 

昔はセル画でしたから、デザイン上の迂闊さは、モロに仕上げ不可、撮影不可に直結しました。

 

 

キャラ表は、デザイナーが自分の好みやクライアントのオーダーに準じてただ漠と描くだけのものではないはず‥‥です。作画スタッフに対して、どのように描けば良いかの指針やメカニズムを示す設計図であるべきでしょう。

 

多重組みが発生しやすい場面での回避策もキャラ表には必要となるでしょう。作画作業以降での多重組みなどの諸問題は現場のみんなで上手く処理してよ‥‥なんて、設計図としては欠陥設計図と言えます。設計図にミスがある‥‥ということです。キャラ表は単品のイラストじゃないんですから。

 

でもまあ、そうした「各スタッフへの対応がめんどくさい」ことを回避するためにも、厳格な印象を持つ「設計」よりも、やんわりとした「設定」の呼び表しのほうが好まれるのでしょうかね?

 

 

新しい技術においては、キャラやメカ、美術、プロップ、そしてエフェクトにも、現場での実用・運用を周到に計画した設計図が必要になります。設計が甘いと、技術が新しいがゆえに、作業に支障が出やすいからです。

 

「そうか‥‥、こういうデザインにしちゃうと、このようなシチュエーションで破綻するんだな‥‥」という経験値をどんどんデザインにフィードバックすることが、これから未来の取り組みです。現場のノウハウをどんどん反映した「アニメーションキャラクター設計図」を描くことが必要です。

 

立像、キャラの基本表情、表情バリエーション‥‥を描けば済むような「設定」ではなく、様々な技術を用いる時に、また、様々なシーンのシチュエーションで実際に用いられる時、どのようにキャラをデザインしておけば成立するのか、まさに「設計」することが求められます。髪の毛の分け方、パーツ・リグの分け方など、作業上に必要な設計図を、できるだけコンパクトにページに収める知恵も必要となりましょう。

 

現在のアニメ制作はクオリティも相当に上がりましたが、アニメ制作黎明期の「運用するための知恵」もかなり多く忘れ去られています。得たものも大きいが、失ったものも大きい。‥‥そしてそれが、作業上の障害にも通じています。

 

これから先、若い人間たちと共に様々な映像技術の変遷を経験する上で、設定ではなく、設計という意識で現場作りを志したい‥‥と思っています。年長者の見識の甘さや迂闊さが、若い人間にも伝染しちゃうのは、できる限り避けたいですもんネ。

 

 


アニメの絵柄

今のアニメの絵柄は、言うまでもなく、以前のアニメ彩色用の塗料=アニメカラーの名残りを大きく引きずっています。アニメの絵柄は、そもそもデザイン視点で今のスタイルを選択したのではなく、彩色上の制限を反映したゆえのスタイルです。塗料を混ぜ合わせることが実質不可能だったので、「色は混ぜない、ぼかさない」制限の中で、アニメの絵柄は工夫を重ねて発展してきました。

 

しかし、現在は色を無段階に混ぜ合わせることも可能になり、アニメカラーの制限は形骸化しています。つまり、今はもう、キャラデザインの時点から、「絵柄の考え方」を変えても良いわけです。

 

一方で、多重組みの問題や、髪の毛の色分けが7色にも及ぶ‥‥など、作業の混乱や複雑化など、様々な問題が増えています。

 

形骸化した制限を今でも慣習的に踏襲して、昔の足枷をハメたまま、障害走や全力ダッシュで今まで以上のパフォーマンスを得ようとする。

 

‥‥色々と、仕切り直しの潮時ですネ。

 

思うに、仕切り直しの第一歩はキャラのデザインからです。デザインが2020年代の現用技術を意識できていなければ、続く工程が全て影響を受けます。

 

例えば、プロペラ機からプロペラだけをとって、ジェットエンジンをくっつけたような機体では、次世代を体現するスタイルにはなりません。

 

 

 

上図はエアラコメットというアメリカ陸軍航空隊時代のジェット機ですが、性能は散々だったようです。

 

ジェットエンジンで心臓部が変わったのならば、ボディデザインも応じて変わってこそ、ポテンシャルが発揮できようというものです。洗練の余地が残されていようと、古い慣習や常識から抜け出すことが何よりも必要です。

 

 

 

 

 

 

‥‥で、これは飛行機での例え話。

 

アニメのデザインは、どのような変化が、2020年にふさわしいのか。有効なのか。そして、受け入れられるのか。

 

戦後のジェット機開発と同じで、トライ&エラーの繰り返しです。頭の中だけ考えて、何も実践しないまま、解答が導き出せるわけ、ないです。

 

 

 

ただ1つ、わかっているのは、今までの尺度だけで物事を考える人々は消え、新しい尺度で物事を推し進める人々が台頭することです。様々な歴史が証明しています。

 

実際、今のアニメだって、1960年代の初期テレビアニメのアトムやロビンの常識のまま‥‥ではないですよネ。もし1960年代のアニメーターがタイムスリップして2018年現在のキャラ表や原画を見たら、「こんなの非常識だ」と絶句するでしょうしネ。

 

そして、タイムスリップした1960年代のアニメーターは、こんなことも思うかも知れません。「絵柄は複雑になったけど、基本的な段取りは大して変わってないんだな」と。

 

 

 

2020年代を迎えるにあたって、認識を新たにすべきは、「今のアニメの絵柄は何に由来するのか」です。

 

枚数量産の制限、セル絵具の制限、フィルム撮影台の制限が、まさにアニメの絵柄に強く影響していたのです。とかく、「アニメはアニメの絵柄だから」なんていう無自覚で間抜けな認識に陥りやすいですが、ちゃんと物理的な理由がありますし、黎明期のアニメスタッフはその制限を強く意識していたことでしょう。

 

アニメの絵柄を所与のものとして認識するのではなく、なぜ今までのアニメはこのような絵柄なのか‥‥を改めて深く考えた時、未来に繋がる「温故知新」が得られるでしょう。

 

昔の人は、物理的な理由ありきでアニメの絵柄をデザインし、その制限を逆手にとって、魅力的なものへと変えていった。

 

では、今を生きる私らは、どのような物理的な理由があって、どのように絵柄をデザインすれば良いのだろう。

 

 

絵柄の好みは色々あって良いし、もっと様々な「旧来アニメ絵以外の絵柄」が増えるべきとも思います。要は「昔」に縛られずに、「昔」の「切り拓いた精神」に学ぶべき‥‥なのでしょうネ。

 

アニメを通例や慣習で扱う人々は、やがて過去に消え、アニメを新しい技術基盤で「再発明」できる人々こそが、今後のアニメ制作の未来を担っていく‥‥と私は思います。

 

 

 


雑感

以前、「After Effectsで作業するのは撮影処理」だと言っている人がいた‥‥と耳にして、そんなアホな、いつからAfter Effectsは撮影ソフトになったんだ?‥‥と思いましたが、After Effectsに限らず、一定数の人は「ソフトウェアで工程を考える」ようで、それこそがコンピュータ活用術の限界を自ら生み出す大原因ですし、新しい映像技術にも追随できない理由でもある‥‥と考えています。

 

なので、そうした意味でも、After Effectsだけで作ったキャラのテストを以前紹介した次第です。キャラの描線からペイント、背景に至るまで、すべてAfter Effectsだけでゼロから作っていますが、これって「撮処理」なんでしょうかね。

 

 

 

まあ、違いますよね。明らかに作画カテゴリです。もっと根本的な表現で言えば「絵を描く行為」です。

 

After Effectsでキャラが描けるから、After Effectsを用いた場合は撮処理だ!‥‥なんて、誰も思わないでしょ。エフェクトアニメーションにおいても、After Effectsでゼロからビームや波の動きの素材(=原動仕に相当する)を作りますが、それは撮影処理じゃないですよネ。

 

 

*After Effectsにも「ペンツール」があるのですから、絵は描けますわな。

 

まあ、上図はイジワルな例ではありますが、実際、After EffectsやPhotoshopなど様々なツールを「何用」と定義するのは、ソフトウェア、ひいてはハードウェアや制作行為そのものに自ら重い足枷をハメるようなものです。

 

誰がいつ、After Effectsを狭義の撮影ソフトということにしてしまったのか。少なくとも、前世紀からAfter Effectsを使っている人々は、撮影専用ソフトだなんて思っちゃぁいないですヨ。実際、After Effectsは2005年くらいまで撮影ソフトとしては認知されておらず、コアレタスじゃないと撮影は無理だなんていう風潮が支配的だったんですから。

 

思うに、後から参入した人々は、「ソフトウェアを何用と決めつける」傾向が強いように感じます。何も定型がないところから試行錯誤して作った人々は、ソフトウェアがどのように使えるかを制作過程で経験しますから、発想を様々に転換して柔軟にツールを使えるのですが、先人の事例を踏襲してスタートした人々は「これは何用」と思い込んでしまって、使い方を限定して狭めていく傾向があります。

 

ゆえに、アニメ業界のAfter Effectsの使いかたは、正直なところ、After Effectsのポテンシャルを20〜30%くらいしか活用していないように思います。After Effectsの中に、アニメの撮影作業で使ったことのない機能が多ければ、まさにそれが論より証拠。

 

 

おそらく、2020年代の最初の動きは、2000年代後半から現在までに決めつけられてしまったツールの使い方を一旦バラして、新しい時代の映像産業が欲する品質と性能に合わせて、組み直す・考え直すことではないか‥‥と感じます。10年かけて凝り固まってしまった認識を、10年かけて解きほぐしていく‥‥のでしょう。

 

じゃないと、先には進めんですもんネ。今までの使いかたを一新するからこそ、新しい映像を具現化できるのです。

 

 

道具の使い方は、巡り巡って、未来の命運を分けると思います。大げさな話ではなく、将来の生産力を左右してしまう‥‥でしょう。

 

まずは、世界規模で進行する映像技術進化との足並み。4KとHDR、そしてインフラの更新とともに60pなど、道具の使い方次第で対応の可否がわかれます。

 

アニメに4Kなんて不要だ‥‥なんていう人は、今までのアニメの映像しか頭に思い浮かばないからです。4K60pHDRを駆使するアニメは必ず現れます。そして、時代に進行に合わせて、アニメに対する認識が変わっていくのです。‥‥今までと同じように。

 

さらには労働力。

 

現在の「アジアの労働力」は、果たして、これから10年20年変わらず、日本の制作会社のオーダーに対して、同等の処理能力と受注金額を維持してくれるのでしょうか。

 

おそらく、アジアの生産力は、「金の切れ目は縁の切れ目」でしょう。日本の仕事を「義理と人情」「友情」で引き受けているわけじゃないのですから、もっと良い条件の仕事が他から受注できれば、日本からの仕事は少なくとも今までの条件では引き受けてくれなくなる‥‥のは誰でも想像できることです。

 

アジアの労働力を、採掘すればいくらでも湧き出す無限の油田みたいに思い込むのは、そろそろ考え直した方が良いと思います。それは労働力的にも、日本の技術者育成の観点でも。

 

ボロボロにダメージを受けた国内の労働力・生産力を再生し、新しい時代と共に歩むには、道具の使い方が何よりも第一歩でしょう。新しい時代のニーズに合わせて道具を使えてこそ、生産力と呼べる流れ・勢いも具現化しましょう。

 

 

道具の使い方〜コンピュータとソフトウェアの使い方は、未来を切り拓く上での、最重要なキーワードです。

 

手元に存在する道具に対して、昔の使い方しかできない集団は、時代の変化についていけず徐々に力を削がれ、どこかの時点で1つ消え、2つ消え‥‥と淘汰が進むと予想します。

 

でもまあ、普通に考えて、誰も「淘汰される側」にはなりたくない‥‥ですよネ。

 

だったら、時代の変化の大波小波にさらわれて溺れ死ぬのではなく、むしろ、その波のエネルギーを活用して波乗りするのが良いです。

 

活用するには、まずは「After Effectsは撮処理だ」とか言ってちゃあダメす。この10年で固まった意識は、ほぐしていきましょう。

 

作画用ソフト、撮影用ソフト。そんなことを考えるばかりでは、未来など過去の刷り直しに過ぎない‥‥のです。

 

 

 

 


新しいとは何か

世界の地域の中には、水を利用するために徒歩で片道30分・往復1時間かけて川にバケツで水を汲みに行く人々がいることを、いつだかテレビで見ました。水道などのインフラがなく、運搬車を常備するほど豊かではないので、家に常駐している女性たちの仕事だとか。

 

現代日本からすれば、いくらでもツッコミようがある状況ですが、そもそもインフラストラクチャが未発達な地域では、「日本の普通の感覚」は通用しないのでしょう。インフラの乏しい状況が巡り巡って‥‥というか、インフラには依存できない状況がデフォルトなので、男は外に仕事(=体力資本の力仕事)に出て家を空け、女は家に常駐して家事一切を担う‥‥というカタチになるのでしょう。近代社会が必死になって追い求めた「理想社会」はそこにはありません。

 

こうしたことを「構造的」に捉えて、私の関わるアニメ業界を鑑みた時、果たして現代的なインフラを形成できているか?‥‥と考えると、そうではないなぁ‥‥と思います。

 

私がよく引き合いに出す「デジタル作画」はインフラ未発達の象徴とも言える存在です。ここでいう「デジタル作画」とは、業界が今なんとなく目指している「紙と鉛筆をコンピュータとペンタブに置き換える」内容を指します。

 

‥‥と、この1行だけで、「デジタル作画」が近視眼的な取り組みだと解る人は、業界の因縁に惑わされないニュートラルな視点をもっている人です。

 

冒頭の「水を汲みに歩いていく往復60分」を思い出してみましょう。バケツを持って歩く往復1時間を何とか効率化できないか‥‥と考えた時、「歩くのがツラいから、電動モーターを装備したローラースケートを履けば良い!」と考えるのが、いわば、「デジタル作画」の考え方です。

 

電気も使える、モーターもある‥‥という状況を、自分の身の丈でしか考えず、「歩くのが辛いし時間がかかるから、歩く行為に電化を導入する」という、まさに近視眼の典型です。

 

もし電気があって、モーターがあるのなら、そこにホースを追加して、ポンプで汲み上げてホースで水を村へと流し込む「簡易水道」を発想する人も多いでしょう。アニメ業界の人々も、もし自分ごとではなく他人事だったら、「近視眼的なことしないで、大きな効率化を目指せば良いじゃん」と言う人も多いでしょう。

 

しかし、自分の足が接地している事案になると、途端に消極的で近視眼になるのが、もしかしたら日本人の特性なのかも知れません。

 

そのような消極的な考えに陥りがちなのは、「だってさ、ポンプを動かすには電線を通さないとダメだし、片道30分の距離に相当する凄く長いホースだって必要だろ? そんな金も労力も、簡単には調達できないよ」と思うからです。‥‥そうなんですよね、まさにそれがアニメ業界の現実そのものです。前例が無いと実行できない、プレゼン力の弱い民族性とでも言いますかネ。

 

電線を川まで延長する(=前述の村には電線だけは通じていました。電球を灯す程度の役割で。)インフラ事業、ホースを村まで這わせるインフラ事業、どれも相応に大変な取り組みですし、設置したらメンテも必要になります。

 

だからやらない。できない。そして、考えてみることもしない。

 

 

本当に、アニメ業界の「現代&未来技術の活かし方」は、「デジタル作画」なんでしょうかね?

 

たしかに、まずお金の面で、大々的なインフラをいきなり構築するのは無理でしょう。しかし、自分の在籍する部屋、部署、会社の中だけで、まずは小規模な未来志向のインフラを実施して、未来技術の活用方法を試行錯誤することはできます。それこそ、一番最小単位ならば、個人規模でインフラ〜作業デバイスネットワークを実践すれば良いのです。

 

いきなり全部は無理でも、少しずつでも手応えを得て、小さな成功を積み上げる。

 

でも、全部できないから、少しもしない。1000ができないから、10もしない。

 

‥‥なぜでしょう?  その1000は、10を100個組み合わせて出来上がっていると言うのに、です。

 

電子レンジでチンすれば食える食材ばっかり食っているから、「未来を料理する」素材探しも調理法も考えないでしょうか。

 

 

「デジタル作画」という技術の選択肢は、いくつもある中の1つとして存在すれば良いでしょう。決して「未来はコレだ!」という一択ではなくネ。

 

アニメ制作や画業で1990年代後半からコンピュータを使い続けている方々とたまに話すのですが、どなたも「色々な技術を組み合わせていくべき」との見解をお持ちです。私もそう思います。

 

未来は色々な技術を組み合わせて、ひとまとまりの技術体系を成すのであって、「紙作画からデジタル作画へ」という安直な流れでは、早々に立ち行かなくなるでしょう。なぜって、紙作画時代のワークフローを踏襲するのならば、その頃に抜けようと思っても抜け出せなかったブラック構造をも踏襲し続けることになりますが、作業構造が宿命的に内包するブラックは「社会が許さない」状況にどんどん追い詰められていくからです。もはやアニメも労基と無縁ではないのです。

 

 

年長者は「自分の若い頃はそうだったんだから」と言うし、若い人間は妙に常識に囚われていてアタマが固いし、年齢に関係なく「何が新しいことなのか」を考えられない人はそれなりの数が存在します。

 

「新しいとは何か」を考えてみませんか。

 

「新しいとは何か」を考えることは、未来に光明を見出すことでもあります。

 

もちろん、古きものから、影色の深みを得ることもありましょう。でもそれは、決して古きものに固執することではないはずです。

 

 

 

「水を汲む」例えでいえば、アニメの映像制作にとって、水とはすなわち絵、そして汲むことは、イメージの源流から「絵を汲み出す」行為なんだと思います。

 

ですから、アニメを「絵が動く映像作品」として定義するのなら、イメージの源流から絵を汲み出し続ける限り、アニメ足り得るでしょう。私も汲み出す瞬間はiPad Proを使います。汲み出すバケツとしてのポテンシャルは、iPad Proは高いですもんネ。

 

汲み出した絵を、どのように映像制作に用いる「映像」として動かすか‥‥を、「新しく」考えていけば良いのです。

 

今までの徒歩による往復に終始する必要はないです。色々な方法が考えつきましょう。

 

そして、絵を汲み出す源流は、川だけでなく、地下水脈でも雨水でも、アイデア次第で色々です。そう言った意味では3DCGは、地球の内部から水脈も油田も掘り起こせる位置にいるのだとも思えます。‥‥私は、2DCG=川や海の表面から水を汲み出すのに一生をかけようと思いますが、人によって様々なアプローチはあって然るべきでしょう。

 

 

 

「アニメ制作村」で映像を作る時、どんな材料とエネルギーを「村」に集約できるのか。

 

新しい何かに浮かれすぎると足をすくわれますが、古い何かに執着しても足が腐ります。

 

最近制作に参加して先週放送された作品の中で「怒気あって真の勇気なき小人め」とのセリフがありましたが、中々いいセリフですネ。

 

体制や伝統に寄り添うばかりで、他の可能性を考えもせず、ただ現状にイライラして怒号を発する人は、たしかに小人ですよね。

 

真の勇気‥‥か。

 

なあなあの空気をぶち壊してでも、未来への有効な打開策や新機軸を打ち出すには、やっぱり、それなりの勇気が入りますわな。このブログも、書かれている内容が耳障りで嫌な人はそれなりにいるんだろうなあ‥‥と思いつつも、私は決して、ヤケクソで玉砕攻撃・バンザイチャージするような未来は選択しませんので、不特定の誰かに嫌われてもいたしかたねいです。事なかれ主義で進んで、最後にとんでもないツケを払うのは、誰だっていやだと思いますけどネ。

 

何が新しいのか、何を継承するのか、‥‥を考える日々は続きます。

 

 


雑感

アニメ制作現場の未来を考える‥‥という命題を論じた時、結構多くの人が「原画・動画・仕上げ・美術・撮影」というフローのままで思考します。つまり、今までの方法は変えずに、未来を考えるわけです。

 

でも。

 

今まで50年間、ずっと諸問題を解決できなかったフローに、なぜそこまで無批判でいられるのか、大きな疑問です。

 

アニメ制作現場の未来を考える‥‥というのなら、今までの方法にプラスして、旺盛に大胆に新しい技術を導入するべきでしょう。

 

今までの方法を全て放棄する必要はないです。しかし、それだけを踏襲し続けるのは、良策とは言えず、むしろ愚策です。

 

 

フロッピーディスクがないと西陣織が滅びる‥‥という記事が以前ありましたが、アニメ業界も似たような状態です。いつまでもフィルムカメラの流儀に縛られており、新しい技術を導入して発展することができません。しかし、その「なぜ新しい制作技術を開発しないのか」について、業界の多くの人は自意識が希薄ゆえに批判しません。

 

もしアニメ業界の未来を本気で憂いて、制作現場の未来に貢献したいと思うならば、新しい基軸や発想、現代の技術を活用した新しいシステムを、2020年代にさらに前進する世界規模の技術発展を味方につけて、どんどん実践していくべきです。

 

いつまでも「原動仕美撮」でものごとをカウントするのではなく、です。

 

 

ヤマト・ガンダム世代がいよいよリタイアし始めた時、どのように業界が変わっていくのか。

 

フィルムを知らない世代が活躍する時期になっても、まるでフィルムの地縛霊に呪われるがごとく、自らを「原動仕美撮」で縛り続けるのか。そして、「原動仕美撮」から離れたくないがために、ブラック状態を不本意ながらも相変わらず自作自演していくのか。

 

 

2020年代をもっと意識すべきです。

 

2020年代は、1970年代でも、1980年代でも、1990年代でもなく、もちろん、2000年代、2010年代とは大きく変化していくでしょう。

 

前時代から継承するものはあって良いと思います。温故知新はまさにその通りです。

 

しかし、継承するだけでは限界が訪れます。それはアニメ業界に限らず商業・工業の多くが同じ条件です。アニメ業界だけが時代に反して昔の技術やシステムのまま生き残れると思っているのなら、何ともむしのいい話です。アニメ業界だけ特別扱いされるわけ‥‥ないじゃん。アニメ業界もアニメ制作会社も、時代の淘汰に生き抜く強さと知恵を発揮しなければなりません。

 

新しく技術やシステムを作ることも、2020年代のプロ現場のスタッフには必要なのです。

 

 

 

 


エフェクトのアニメーション

今後、エフェクトの作画における原画マンの役割は、原画を描いて終了‥‥ではなく、動画・ペイント・ストラクチャ(撮影でいうところの素組みの状態)まで一貫しておこなう作業スタイルに移行せざる得ないと考えています。なぜか?‥‥というと、エフェクトの作画〜特に複雑なディテールのエフェクト作画は、今までの原動仕で作業すると、どうやっても作業構造的=ギャランティと作業規模で破綻せざる得ないからです。

 

私がエフェクトの作画を、新しい技術ベースに移行させたのは、ぶっちゃけ、動画工程での諸問題を回避するためです。

 

図例で説明しますと、まず、こんな感じのエフェクトなら、どんどん動画をやってもらって稼いで頂きたいです。稼げる動画‥‥ですよネ。

 

*描き方は原画です。動画はもっと丁寧に描きます。

 

 

同じスパーク・プラズマでも、少し複雑になると、以下のような感じで、1時間に4枚以上は描けるものの、前図よりは手間がかかってきます。

 

*アニメスタイルのスパークです。理屈よりもフォルムを感性で描きます。

 

*リアルタイプのスパークです。ハリウッドSF映画の放電エフェクトなどで昔からの定番です。

 

 

しかし、以下のようになってくると、明らかに難易度が上がってきて、送りミス(煙などの方向性や速度の描写・描画ミス〜割りミスともいう)が出やすくなります。送りミスを防ぐには、原画マンが送りマークを書き添えるのと同時に、動画マンの卓越した技量と経験値が不可欠です。

 

 

 

動画マンによってクオリティのバラつきが表れ始め、しかも、現在の動画単価では危うい報酬ラインになり始めます。1時間4枚描けなければ時給1000円になりません。

 

そして、以下のような細かいディテールのエフェクトになると、まさにプロとしての動画マンの卓越した技量と経験値が必須、さらには1枚800〜1000円前後の動画単価も必要になりましょう。こんな作画、動画1枚200円ちょいなんて冗談にもほどがあります。

 

*もし、こうした細かいディテールの煙のセルがキャラやメカを挟んで前後に配置されて、PANで密着マルチだった場合、そりゃあもう、盛大な枚数と労力を消費することになります。‥‥が、こうしたシーンでエフェクトがショボいと、作品の「格」もダダ下がりですもんネ。

 

エフェクト作画に限らず、旧来方式のすべての作画も同じですが、原画マンだけ頑張ってもカタチにはなりません。適切な動画マンの作業があって、モーションが初めて成立します。動画マンもかなり頑張らなければ、エフェクト作画は動きを全うできないのです。

 

で‥‥?

 

動画マンがかなり頑張る??? ‥‥いったい、いくらの報酬をもって? 複雑で細かくて手のかかるエフェクト作画を?

 

現在のテレビシリーズで前述の動画1枚800〜1000円前後のギャラなんてホイホイと発注できるのでしょうか。

 

さらに4K時代が訪れて、タブレット作画で3〜4Kキャンバスを相手に作画するようになれば、800〜1000円だって報酬としては足りないでしょう。

 

密度の濃いエフェクト原画を描くと、特別単価が設定されない限り、確実に動画は苦しむことになる。しかし、アンパン、ジャムパンみたいな可愛いフォルムのエフェクトだけでは昨今のアニメは成立しない。内容がキビしい動画は何よりも作業金額面で誰からも敬遠され、国内でどんどんエフェクトを描ける人間が動画時点から育たなくなる。

 

お金と内容のジレンマです。

 

問題は、お金だけの話にとどまりません。時間も問題です。

 

例えば、複雑なディテールの煙の動画を1枚40分で描いたとします。2時間で3枚になりますネ。ということは、1日8時間で計算すれば12枚です。

 

エフェクトはとにかく枚数がかかります。振り向いたら止まってクチパクで時間を稼げるキャラの作画とは全く違って、動き続けてナンボです。1カット100枚前後の枚数もよくあることです。しかし、1人の作画技術者が一生懸命描いて、たった、1日12枚です。120枚の動画が必要な場合、10日かかるということです。ほぼ2週間ですよネ。

 

もうこれ以上言う必要もないでしょう。‥‥破綻してますよネ。エフェクト作画にどんだけコストがかかるんだよ‥‥って話です。

 

でもそうした作業構造上の問題点は、随分昔から判明していました。

 

 

 

少なくとも私は、エフェクト作画の原画だけ描いていれば上手く済む話じゃないのは、もう20年前にわかっていました。ゆえに、20年前からすでにコンピュータで作画して動かす方法を模索していました。その当時の映像ファイルは探せば今でも見れると思います。まあ、まだまだ当時は考えが浅く、出来栄えはイマイチ、イマニ、イマサン‥‥って感じでした。

 

「コンピュータで」‥‥というと、安易に「コンピュータが計算力でエフェクトを作り出す」と思われがちですが、「作画」とのたまうわけですから、コンピュータのシミュレーション系のエフェクトを使おうって話ではなく、あくまで自分の頭の中のエフェクト作画イメージをコンピュータを道具として駆使して具現化する手法です。

 

現実的な物理シミュレーションではなく、あくまで描かれたエフェクト、‥‥例えば未来世界の超兵器のエフェクトとかを、頭の中のイメージ通りに、紙ではなくコンピュータを用いて「作画」するわけです。使用するソフトウェアは、今や「アフターのエフェクト」を処理するだけでなくゼロからの素材作りもガシガシ出来るAfter Effectsです。平面レイヤーとペンツールがある時点で、不可能なことは何も無い‥‥といっても過言では無く、当人の技術次第です。

 

 

 

そんなこんなで、初めて新技術系〜コンピュータで作画するエフェクトのカットをテレビ作品に出したのは2008年のことでした。地道に研究を重ねて、今から10年前に実戦で使い始めました。以後、よほどのことがない限り、自分の在籍する会社の作品では原動仕の流れは使わず、レイアウトからコンポジットの基礎構成までを「アニメーション」という作業名称として運用しています。

 

他社作品では「コンピュータ作画」はやらずに、大人しくレイアウトと原画だけを描きますが、自分のホームグラウンドではレイアウトから素材作りまでを一貫して作業します。

 

これから未来のエフェクト作画は、ビジュアルエフェクトのコンポジターに素材一式を渡すところまでが「エフェクトアニメーション」だと思っています。エフェクト作画の諸問題を解決できる道‥‥と心得ます。

 

最近作業した仕事では、1000枚前後の動画(とペイント)相当を一括して作業しましたが、新しい技術でのエフェクトアニメーションは、もはや枚数換算なんて不毛なのです。動画とペイントに換算すること自体、過渡期の象徴だと思いますしネ。目指す映像が作れるか否か、それだけです。

 

どうしてもAfter Effectsだけでは作りきれない場合は、ササッと、iPad Proで描いてAir Dropで作業マシンに転送、即座にAfter Effectsに組み込んで作業続行です。デジタルデバイスの作業ネットワークは個人でも大いに活用すべきです。

 

ちなみに、今回の参考図はiPad ProとProcreateによる描画です。もし動かす場合は、After Effectsで同じ絵を作ることになります。

 

もちろん、旧来の料金システムではなく、新たな価格設定が必要なのは、言わずもがなです。まさか、1カットの原画料金でこの作業を受発注するわけがないです。加えて、単一単価は廃止し、作業内容に合わせた変動単価(=単価で受発注する場合)は必須です。

 

 

 

新しい時代の新しいアニメーション作品における、新しいエフェクトのアニメーションは、アニメーターがコンポジットの素材作りまでこなすのが妥当です。労働問題、映像技術の発展、そして品質の安定性の見地から、もはや原動仕で運用するのは非現実的となっていくでしょう。

 

もし、若い人がエフェクトのアニメーションに魅力を感じるのなら、手描きで動かす作業を経て「勘」をつかんだ後は、積極的にその「勘」をコンピュータ上で定着させて、1000枚でも10000枚でも自分ひとりでエフェクトアニメーション素材を作れるように精進すべき‥‥と思います。‥‥じゃないとさ、まさに金の問題で、生きていけんのよ。

 

今は1970年でも1990年でもないです。2020年代を目前に控えた2018年です。

 

だったら、新しい時代で活躍できる技量を獲得していくのが、まさに未来を切り開く道‥‥ですネ。動画の送りミスもなく、不適当な単価で悔しい思いもせず、しかもアニメーター=動きのイメージを具現化する当事者が思うようにコントロールできる‥‥と、プラス要素と好条件はたくさんあります。‥‥まあ、それらを「悪用=低コストと買い叩きの新たな要素に」しなければね。

 

私もイイ歳になって、墓場まで自分の技術はもっていけないので、若い人にどんどん技術を伝承していく所存です。ちゃんと、未来へと繋ぐ技術として。

 

 

 

でもまあ、新技術ベースのエフェクトアニメーションは、まだまだ歩き始めてまもない段階です。従来のセル画風に作るもよし、背景美術のようなディテールに仕立てるのもよし、実写とイラストの中間のような見せ方でもよし、絵本のようなテイストでもよし。

 

アニメは絵を動かすもの‥‥と定義するのなら、原動仕から解放されたアニメーションの技術の、発展の可能性は計り知れないです。

 

 


フロントとバック

アニメーターの仕事が100%だった頃、すなわち、自宅の作業スペースか制作会社の作画部屋が行動エリアのほとんどだった頃は、何がバックヤードで何がフロントヤードかを知る由もありませんでした。‥‥だって、0号試写でもない限り、他のジャンルの映像制作関連会社に出向くことはなく、日常のほぼ全てがアニメ制作会社しか知らなかったのですから、バックヤードの流儀しか知らなくてもしょうがなかったのです。

 

しかし、様々な映像ジャンルの、ポスプロに近い工程の仕事をするようになると、頻繁にラボや配給会社の試写室などに行く機会が増え、「アニメ会社と違って、随分と綺麗なんだなぁ‥‥」と、何よりも「見た目」のギャップを感じるようになりました。玄関から入って待合室〜ロビーのテーブルに着座するまで、いかにも「お客さんをお出迎え」感を醸し出しており、アニメ制作会社の玄関出入り口とはあまりにも差があって、何だか「ビンボーな家の子が、裕福な家の子のお誕生会に呼ばれたような気まずさ」を感じたものです。

 

そんな時、悪ぶって、「よっぽど物が少ないんかな」と思ったりもしましたが、通常はお客さんを入れないバックヤードに映像のモニタチェック目的で入れさせてもらった時、「いつもの感じ」の雑然とした光景で、妙にほっとした思い出もあります。他にも、かの「夢の国」のバックヤードに入った時も、フロントヤードとはあまりにも大きな差があり、いろいろな物品が廊下の壁面に並び、スタッフが行き交い、作業場感満載でした。

 

つまり、フロントヤードとバックヤードの「切り分け」がしっかりしているのです。

 

いきなり玄関にダンボールが山積みになっていることもなく、お客さんが通る導線には所帯染みた物品は意識的に置くのを(おそらく)禁止しており、フロントヤード〜お客さんが立ち入る部分の「マイナスイメージ」を抑制しています。その代わり、バックヤードは見た目など関係なく、作業者の使いやすいように臨機応変に自在に空間を使っているわけです。

 

制作進行さんや作画・美術・仕上げ・撮影スタッフが常駐するスペースはまさにバックヤードなので、もしお客さん〜クライアントが立ち入ったとしても、お客さん側に「今、バックヤードに居るんだ」という意識も生じましょう。ゆえに、過度にスタイリッシュに物品を排除する必要はなく、作業場然としていて良いと思います。

 

しかし、お客さんを「どうぞ、会議室はこちらです」と招き入れる空間に関しては、バックヤード感はできる限り排除したほうがいいな‥‥と、思うようになりました。

 

だってさ‥‥。ん千万円の仕事の話をする際にさ‥‥、変なマイナスイメージやハンデや足枷はできる限り少なくした方が良いじゃん?

 

 

とは言え、過去の私がそうであったように、アニメ会社のスタッフの多くは、フロントヤードとバックヤードの切り分け意識は希薄です。

 

玄関にダンボールが山積みされていることもあるし、会議室に続く廊下にはダンボールが常設して倉庫代わりになっていることも、往々にしてあります。

 

「それって、いけないこと???」

 

‥‥と思う人もアニメ業界にはいるでしょうが、別に罪にはなりませんが、貧相です。ミジメです。そして、不利です。

 

 

でもね‥‥。これはクチで言っても、中々解らないことも事実。私がそうだったから。

 

なので、少なくとも私は、打ち合わせや試写や立会いの際に、若いスタッフを色々なフロントヤードに連れて行って、見識を深めてもらおうと思っています。

 

やっぱりさ‥‥、見て、来て、座って、「場」を実感しないと、気づかないのですヨ。「うわ‥‥。自分らのお客さんスペースとは、段違いだ‥‥」と。

 

 

アニメ会社の全スペースをショールームみたいにするのは、それはそれでアホです。見た目偏重で内容が伴ってないと思います。

 

しかし、フロントヤードとバックヤードを明確に切り分け、お客さんが立ち入るであろう会議室に繋がる導線に関してはしっかりと「フロントヤード」に徹するのは、国内のラボに学ぶべき有意義な意識だと思います。

 

アニメ業界って、ブラック業界とか言われますが、貧乏な家の子だからって、ココロまで貧乏になる必要はないのです。玄関や廊下までブラックにする必要はなし。‥‥むしろ、ビンボーであるばあるほど、シャキッと毅然としていたいものです。ココロまでビンボーになったら、戦う前から負けですもん。

 

ヘッドの人間、目上の人間が、フロントヤードとバックヤードを意識せず、漫然とだらだらと空間を野放図に物品の山にしていては、若い人たちの意識も芽生えません。「ここはフロントヤード」「ここはバックヤード」という意識を、まずは、年長者が実践すべき‥‥だと思いますヨ。

 

 


キーフレーム

キーフレームの制御は、それすなわち、動きの表現です。タイムシートやレイアウトの指示を具現化するのは、キーフレームによる動きの表現のほんのわずかな限定フィールドであって、実際は恐ろしいほどに奥深いものです。

 

After Effectsで頻繁に用いられるキーフレームはトランスフォーム=位置やスケールや回転や不透明度ですが、日常茶飯事に用いられるからといって簡単な訳ではなく、実はあまりにもよく使われる要素だからこそ、とても難しいものでもあります。

 

文章が音読できるからといって、棒読みしちゃったら、朗読にはならない‥‥ですよネ。それと同じく、トランスフォーム関連のキーフレームは、文章の音読と同じようにありふれた内容ですが、実際には「表現者の素質が包み隠さず表れる」キビしい内容でもあります。

 


ソフトウェアやプラグインエフェクトにあれこれと気移りするよりも、まずはトランスフォームで表現できることが必須です。絵で言えば、正方形や正円をまともに描くことに等しいです。

 

手がうまく描けないとか、思うような表情が描けないなどとボヤいても、そりゃあ、形を正確に捉えて描けないんですから、まともに描けるわけがないのです。同じように、トランスフォームで様々な表現ができない人が、プラグインを買い漁ったところで、プラグインのファクトリープリセット(=他人の表現)に終始して発展は期待できません。

 

絵をどんなに描いても上手くならない人って、そのほとんどの人が、心の奥底で絵をナメて見下している人だ‥‥と思うことがあります。同じように、After Effectsを使って色々な映像表現へと発展できない人って、After Effects、ひいては映像表現をナメて見下している人だと思います。

 

ナメて見下しているから、簡単な図形は簡単に描ける‥‥と思いがちになりますし、位置や回転プロパティのキーフレームの値も安易に迂闊に設定するのです。その安易さ、迂闊さが、すべて作品にでちゃうんですよネ。

 

私は20年以上After Effectsを使っていますが、今でも新しい発見や技術更新が頻繁にありますし、「失敗した‥‥。もっとこうするべきだった」とキーフレームの値1つに、自分の至らなさを痛感することがあります。

 

例えば、レイヤーオブジェクトそのものの動きの内容と、レイヤーのトランスフォームでの動きの内容がうまく噛み合わないと「スベッて」見えます。タービュレントノイズのオフセットの座標の動きと展開の速度は絶妙にマッチしていなければ、違和感が生じます。動きの大人しいセル素材を速くスライドしてもスピード感は出せません。しかし、スベるかスベらないかは、絵のルックによっても変わってきますし、そもそも「素材」の限界もありましょう。簡単に「理解した」などと言えるものではないです。

 

 

 

キーフレーム、特にトランスフォームのキーフレームは、難しい。あまりにも基本的過ぎるから、如実に影響が映像に表れるんですよネ。最近でも「もっとこうしておけば‥‥」と思うようなこともありました。

 

キーフレームって、ほんとに、ノウハウそのものですネ。

 

でもまあ、ノウハウも含め、新しいアニメーション技術の一環として、未来に向けて一層体系的に、技術を構築する糧とすれば良いのです。

 

 


つぶし表

最近は、絵の内容が格段に細かくなって1カットを上げるのに時間がかかるようになったので、少ないカット数で引き受けがちです。20カット未満‥‥とかザラです。昔は30カットだと少ない方で、50カットくらいは1回の仕事で引き受けたもの‥‥ですが、昔は昔、今は今です。昔話をしてもしょーがない。‥‥つーか、私の先輩の世代は、半パートひとり、1話ひとり‥‥という猛烈なカット数の事例もあるので、昔話をしたらキリがないです。

 

で、引き受けたカット数が少ないから‥‥と油断してると、カットの把握が曖昧になり、思わぬ自損事故を引き起こします。私は最近、引き受けた範囲外のカットを作業してしまって、何の役にも立たない時間を浪費してしまってアホそのものでした。バカー。

 

ならば、潰し表。

 

昔はタイムシートの動画記入部分を切り取って、カットナンバーを書き、1カット上がるごとに塗りつぶしたものでした。今も変わらず、作画机に貼り付けてやってるのか、作画ブースからもう何年も離れたままなのでわかりません。

 

2018年の今ならエクセルかナンバーズかグーグルスプレッドシートです。集計が自動でできますから、楽です。

 

まさか、2018年の今になって、エクセルを「作表ソフト」として使っている時代遅れの人はいまい? 昔は結構いたけど。‥‥流石に2018年現在なら、表計算は自動で集計してナンボ‥‥という認識は浸透してます‥‥よね?

 

エクセルは「表ソフト」ではなく、「表計算ソフト」ですからネ。セルに書き込んだ様々な情報を自動集計するためのソフトであって、表の枠を作るソフトじゃないことは、大前提の認識です。

*一応「注)」ですが、「セル」とは表の1マスを指す用語です。アニメでも「セル」が出てくるので紛らわしいですネ。

 

自分の担当するカットの潰し表ごとき、表計算ソフトがあれば楽勝。

 

表計算でやりたいのは、

 

  • 作業が上がってセルに書き込むと、自動で上がりカット数と達成率のパーセントを集計する
  • セルに書き込むと自動でセルが塗りつぶされる

 

‥‥くらいのことです。これを実際に表計算で実践するには‥‥

 

  • COUNTIF()
  • 条件付き書式スタイル(条件付きハイライト)
  • セルの種別の設定

 

‥‥を使うくらいでしょうかネ。

 

COUNTIF()「カウントイフ」は、もしチェックボックスならばイフの条件を "=true" にすればいいですし、日付を書き込んで管理したいのなら ">0" にすれば、集計欄にカウントされます。

 

条件付きハイライト(=AppleのNumbersでの呼び名)でも同じです。要は、

 

  • チェックボックスなどの真偽値は文字列「true」で条件式を評価できる
  • 日時は整数の数値で条件式を評価できる

 

‥‥ということを覚えておけば、関数を使った自動計算をセルに組み込めます。

 

Excel、Numbers、Googleスプレッドシートも、COUNTIFなどの基本的な関数は共通しており、iPadとiMacだけの時はNumbersで良いし、インターネットで共用する場合はGoogleスプレッドシートで良いと思います。

 

ひとりで作業する規模なら、無料(とか言うのはあまり適切ではないが)で使えるNumbers、Googleスプレッドシートあたりが使いやすいです。

 

 

 

でもまあ、こうした「表計算の潰し表」は、あくまで個人が自助努力でおこなう制作進捗の管理手法です。カットの作業が上がるたびに手作業で表計算を操作する点、そして、厳格な「作業開始」「作業完了」の「関所」とはならない点で、進捗管理面から見た限界は低いです。

 

作業のイン・アウトの情報とファイル送受を結びつけた作業進捗管理のソリューションの開発は未来にはどうしても必要でしょう。ショットガンを導入しなくても、「何をするために、何が必要か」をわかっていれば、自分たちにピッタリなソリューションの自己開発は可能です。

 

今まではそうしたソリューションを、サンデープログラマー的なスタンスで部内で自己開発してきましたが、今年度からは多方面の協力を仰いで、プロダクション工程の作業進捗を見渡すソリューションを開発しています。

 

 

 

とは言え、欲しい時にパパッと「自動集計の潰し表」が作れるのも、コンピュータ活用のアドバンテージです。

 

今回は文章だけですが、近いうちにGoogleスプレッドシートでの「5分でできる簡単な潰し表の作り方」でも書いてみようと思います。いやもう、ホントに、何が難しいわけでもないので。

 

大袈裟な風呂敷を最初から広げるのではなく、身の丈の「あったら便利になった」使い方でコンピュータに馴染むのは、今も昔も変わらないですからネ。

 

 

 

 


HDR

HDRには、HDR10やHLG、DolbyVisionなど数種類あり、現在の民生テレビの対応状況を検索していたところ、やっぱりといえばやっぱり、「HDRは不要」論なども検索結果で見かけて、「どんな時代でもそんな人」はいるんだな‥‥としみじみ思いました。SDからHDに移行した時も、「テレビはSD(720px)で十分。HD(1920px)の高画質はオーバースペックで不要だ!」と言っている人を数多く目撃しましたよネ。‥‥そういう人って、今、HDの仕事をどんな面持ちで受注しているんでしょうネ。

 

HDRは、自動車で例えれば、馬力とトルクが格段に向上することを意味します。つまり、日頃使い、街乗りの「パワーの余裕」が生じるのです。勾配のキツい峠道も楽々走行できますし、空気の薄い高山を貫くハイウェイでも息切れなしで高速走行できます。

 

HDRは、何も、街中を120kmで暴走するためにパワーやトルクを与えられているわけではないです。‥‥まあ、もちろん、狭い生活道路をこれみよがしに暴走したい人もいるかも知れませんが、どんなにパワーに満ち溢れていようと、やはり街中では40〜60kmで走るのがヨロしいです。HDRは、有り余るパワーとトルクにより、取り回しが俊敏で5人乗車でも性能不足を感じさせない「乗用車の新基準」に例えられます。

 

一方、今までのSDRは、いわば1950年代の自動車で、プアパワーであるがゆえに、街中を60kmで走っている分には問題ないですが、峠道ではオーバーヒートの連続、街中では信号待ちから発進の流れにおいて動作がトロく、4人乗車しようものなら格段に走行性能がダウンしていました。

 

私の好きなスバル360。可愛いですが、馬力は16馬力。

 

 

ちなみに現在のヤマハのこのスクーターは15馬力で、馬力はほぼ同じ。

 

 

つまり、馬力やトルクというのは、街中を暴走するための性能ではなく、余裕をもって車を操作するための「安心性能」ということです。

 

話を映像に戻すと、SDRは緑の発色が著しく劣り、特に「緑色の表示系」はSDRの発色の限界の影響をモロに受けていました。緑に限らず様々な色相でも、映画館のフィルム上映の時より格段に色が濁っていました。

 

要は、オリジナルのクオリティが、SDRの色域によって大幅にカットされていたのです。本来の美しさを損失していたわけですネ。

 

しかし実際のところ、SDRのDVDやBDしか手元になく、テレビもSDRなら、「こんなもんだったけか‥‥」と納得せざる得ないです。単純に、比べようがなかったわけですから。

 

馬力もトルクも少ない自動車に毎日乗り続けていれば、

 

峠道でオーバーヒートするのはあたりまえ

スタートストップやターンの挙動が緩慢なのはあたりまえ

 

‥‥というわけで、すなわち、

 

色が濁っていても、それしか見てなければ、そういうもんだと思う

 

‥‥ということです。

 

 

 

しかしHDRが登場して、SDR時代の負の側面〜オリジナル品質の損失・損傷〜を、飛躍的に抑制することが可能になりました。HDRによるフィルムアニメ作品の画像・映像データを見ると、「映画館で見た時の印象に近い」感じ、もっと言えば、「撮出し部屋で見たセルや背景のプリプリ感=発色が濁っていない」記憶の印象に近いんじゃないか‥‥と思いました。

 

ただ、現在の「デジタルアニメーション」は、sRGBやRec.709色域でデータが作られているのでもともとレンジが狭く、「オリジナルの色域の品質」が低いです。ゆえに、HDRコンテンツにする時は、HDR色域に対する新しい要素(演出的なテコいれ)、HDRグレーダーの表現力に依存することになります。

 

そして、これから作る4K HDRのアニメ作品においては、潜在的な色の表現力が格段にアップした環境で、あくまで人間の美意識に基づいて色彩を表現することになりましょう。

 

300nitsですら、100%の白は見ていて眩しすぎて疲れます。「自分の眼は何でも見れる」からと言って、太陽を何分何時間も裸眼で直視する奴はいまい? 街中を時速180kmで暴走し続けるようなアホなHDRの使い方をする必要は全くないのです。

 

いくら300〜1000nitsあろうと、そのダイナミックレンジを必ずいつも使わなければならないわけ‥‥ではないです。やっぱり、人間が普通に見ていられる明るさや、落ち着いて鑑賞できる彩度の収まりは、モニタやテレビがHDRに変わっても同じですもん。

 

HDRに変わったからといって、アクセルペダルをベタ踏みしてパワー全開で走る必要などなく、余裕の走りをすれば良いのです。

 

いつでもエンジン全開で走っていたSDRは、車内に響くエンジン音もうるさく振動も絶え間なかったでしょう。しかし、ちょっと踏むだけでスル〜っと走り出すHDRなら、様々な部分に余裕が生じてストレスなく映像を鑑賞することができます。

 

 

16馬力のスバル360から、100馬力のフィットに乗り換えたら、「100馬力を操作する」運転に切り替える必要があります。100馬力を街中でフルに使い切る必要はなく、0から100の馬力の範囲をうまく使いこなせば良いです。

 

 

「映像のドライバー」視点で言えば、16馬力から100馬力に進化して、その馬力を何に使うか‥‥ということです。

 

HDRの出始めは、「こんなに鮮やかでっせー」「こんなにハイコントラストでっせー」とアピールするでしょう。ちょうど、新型車がテストコースで高速性能を披露するように。

 

しかし、HDRの真髄は、たっぷりと余裕のある色域で、今までとは別次元の快適性をユーザに提供することです。

 

16馬力のSDRでは息切れして到達できなかった山頂のハイウェイから、見たことのない美しい景色をHDRは見せてくれるでしょう。

 

 

100馬力のホンダ・フィットがお手頃価格の現代の大衆車であるのと同じく、今はイロモノ扱い・オーバースペックの揶揄の渦中にいるHDRも、やがて大衆のスタンダードになっていくでしょう。

 

技術者視点、表現者視点で言えば、新しい技術を「ハンデ」にしかできず、マイナス面しか列挙できない人は、どんな時代や場面においても、自身の技術力や表現力ではなく、単なる「現場の慣習」で仕事をするだけの人です。「現場の慣習」で物事をジャッジするような人間は、自力では新しい未来など到底切り拓けないし、むしろレッドオーシャンの引き金にもなるような類いの人間‥‥とも言えます。

 

HDRを前にした時、自分の「素性」が自己診断できる‥‥とも言えますネ。

 

 

技術者、表現者たるもの、妙な作業慣習の色眼鏡で新技術を過小評価するのではなく、良い要素も悪い要素もフラットに見定め、悪い要素を抑制し、良い要素を拡張して、今までとは意識の異なる新しい次元の作品作りを目指せば良い‥‥と思います。

 

新技術は、新しい武器にしてこそ‥‥です。

 

 

 



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