マイナス要素を体系立てる

マイナス面を列挙して各々の問題点について考察・分析した後は、プラス面に転じるための解決策や打開策、改革案が必要になりましょう。‥‥でなければ、マイナス面を指摘して何かを暴いた気になってお終いです。ちょうど、中島みゆきさんの歌の「包帯のような嘘を見破ることで、学者は世間を見たような気になる」という一節が思い起こされます。

 

あの部分が問題だ、この部分がおかしい、この部分が諸悪の根源だ‥‥という指摘から始めるのは、至極自然な流れです。しかし、その後に続くのが、「誰か何とかしてくれ」ではどうにもならんです。

 

思うに、マイナス要素を列挙し、分析した後は、そのマイナス要素を体系化して俯瞰で「劣勢の全体像」を把握する必要がありましょう。漠然とマイナス要素だけがそこら中に転がっているだけでは、「整理のしようもない」のです。

 

「整理」とは「理にかなった整え方」です。「片付け」ではないのです。

 

散らかっている部屋を綺麗にして、快適な部屋にしたい。‥‥だったら、片付けちゃ、ダメですよネ。あくまで、整理しないと。

 

部屋中に散らかっている物品を、周囲の棚にどんどん物品を詰め込んでいけば、床部分はクリアになりますが、棚の中はそりゃあもう、悲惨極まりない状態になるでしょう。醤油の横に本があり、ノートパソコンの上に植木鉢があるような、「床を綺麗にしたいがために、何でも棚に詰め込めば良いってもんじゃないだろ」と誰もが思うはず。

 

じゃあ、どうすれば、片付けではなく、整理ができるのか。

 

部屋に散らかっている物品1つ1つを把握し、どんなジャンルの物品を、どの棚に定置するか‥‥という方針を設計して、その通りに実践すれば良いです。

 

私は昔から整理が苦手な人間で、なぜ自分は整理ができないんだろうと深く考えてみたことがありました。

 

答えは簡単でした。物品を置く際に、場所を決めていなかったので、毎回毎回置き場が流動し、散らかっていたのです。要するに、物品が収まる場所を決めていなかったのです。空いてる場所に、その時の都合で置くだけ。‥‥そりゃあ、どんどん物事が「ひっくり返って」いきますよネ。

 

 

マイナス要素をどんどん挙げていって、問題提起のフィールドに散らかすことは、ぶっちゃけ、ある程度の知識があれば誰でもできることです。

 

難しいのは、そのマイナス要素1つ1つを分析しカテゴライズして、整理ができるように体系化することです。しかし難しいからといって、体系化せずして、マイナス要素を整理して綺麗な現場に変えていくことは不可能でしょう。

 

空いている棚に、マイナス要素を拾い上げてただ突っ込むだけ‥‥、例えば「原画料金を2倍にしろ」みたいなことを仮に実現しても、技術に応じた料金制度ができるわけではないし、大変な内容のカットが単価変動制になるわけでもないですから、「今度は棚の中身が散らかるだけ」の話で、全く「整理はできていない」のです。マイナス要素・問題点を、床から棚に移動しただけでは、「問題解決」とは言えないでしょう。

 

マイナス要素を体系化して把握する‥‥ということは、すなわち、悪循環ネットワークの全体像を冷静に見据えること‥‥とも言えます。

 

たとえその時点での見識の中であっても、マイナス要素の体系、悪循環ネットワークの全体像を、明確に捉えていなければ、どんな好条件の機会に恵まれても、同じマイナス&悪循環の制作事情を繰り返すだけです。

 

制作費が低いから業界はブラック体質と言われるんだ‥‥ということで「片付ける」のなら、問題は全く「整理できず」に解決できないでしょう。原画料金を2倍にしても、簡単なカットで金を稼ぐ人と難しいカットばかり頼まれる人の報酬の格差はより悲惨に広がっていくばかりです。容易に想像できますよネ。‥‥その格差をして、原画料金のどこの何が改善されるわけ?? 手を適当に抜いて楽なところばかり担当する人間がどんどん稼げる構造に拍車をかけるだけじゃん。

 

マイナス要素の体系、悪循環のネットワークを、認識できているからこそ、その逆像としてのプラス要素の体系・ネットワークを計画できるのだと確信します。

 

私は、私の30年以上のアニメ制作人生をもって、旧来制作構造の問題点を「自分なりに体系立てた持論」として思索し続けてきました。業界の制作システムに関して、アウトサイダーではなくインサイダーとして、相当に痛い目を見てきましたもんネ。

 

ゆえに、そのマイナスの体系を「反面教師としてのお手本」として、未来にどのような新たな制作構造と体系を作るべきかが、未来の大きな事業です。‥‥もちろん、今も考えは進み続けていますし、考えを修正・変更することもありましょう。

 

ここではあまり詳しいことは書けませんが、ハッキリと公に言えることは「今までの作り方はやめる。新しい作り方に完全シフトする。」ということです。マイナス体系や悪循環ネットワークを断ち切ることが、何よりも明快な指針です。

 

人材はフラットに扱い、技術も道具もフラットから再構築します。原画マンは消滅しますし、タップ穴も廃止します。一方で、作画をする人間は最重要に必要としますし、レイアウトのフレーミングももちろん存在します。

 

新しく制作システムを構築する時に、意識的でも無意識的でも、以前のマイナス体系や悪循環ネットワークを踏襲した形では意味がありません。同じ轍は踏まないためにも、然るべき逆像を得るためにも、旧来のマイナス要素を体系化した上で把握する必要があります。

 

アニメ業界の現状は、何も業界の人々全てが愚かすぎてこのようになったわけではないです。むしろ、草の根では昔から問題を認識していました。しかし、状況は裏腹に、どんどん劣化の一途を辿っています。太平洋戦争だってバブル崩壊だって、同じだったじゃないですか。頭の良い大人たちが揃いも揃って、戦争に大負けしたし、経済を破綻させたんでしょ。当事者だけでなく、浮かれて同調していた人間も同じです。

 

昔の人々は愚かだった? ‥‥今の人々も等しく愚かでしょ。私もあなたも皆も、老若男女問わず。

 

ですから、「あんな目には2度とあいたくない。思い出すのも嫌。」というのではなく、「あんな目にあったのは、なぜなのか、よく思い出して、正視して考察して、分析して体系立てて全体像を把握し、未来の糧とする」のが、愚かさと賢さの中で揺れ動く私らの「やるべきこと」「できること」です。‥‥だって、それしか、ないじゃないスか。私らは全知全能の神様じゃないのだから。

 

 

私は、そもそも子供の頃からアニメが好きで、アニメ業界に入ったのです。最初はアニメ業界のシステムを肯定していましたが、30年余の経験を積むうちに、アニメ業界が標準とする制作構造・システムは、決して「合理的」「実利的」「現実的」ではないと思うようになりました。真面目に動画を作業する人間の「時給換算」が200〜400円‥‥だなんて、どこが「合理的」「実利的」「現実的」なのか、誰も答えられないですよネ。

 

じゃあ、どうするの?

 

じゃあ、こうしよう。こうして未来を勝ち得ていこう。

 

‥‥と、思う当人が、日々、プラスへと状況を進めるのみです。

 

 

問題提起は決して井戸端の愚痴ではないはず。マイナスを見切った後は、その先のプラスに繋げてこそ‥‥と、誰だって思います‥‥よネ。

 

 

 


After Effectsは撮影のソフトかな?

最近耳にして驚いたのは、「After Effectsを使うのは撮影だ」「After Effectsで作業するのなら、撮影処理ですよね」と言っていた人がいる‥‥と聞いたことです。

 

おいおい。

 

十数年前は、「アニメの撮影はCoreRETAS。After Effectsはエフェクト処理のソフト。」とアニメ業界の誰もが言ってたんだけどネ。

 

ごく限られた人間だけが、「スムージングプラグインとタイムリマップを使えば、アニメの撮影「も」できる」と実感しており、レタスを一切使わない「アニメの撮影」を模索していました。2004〜5年くらいの頃ですかね。ゆえに、当時の私らのチームは、「After Effectsに変にこだわっている」かのように思われていたと記憶します。

 

でもさ。昔はさ、レタスってバカ高かったじゃん。買うと高いし、レタスじゃAfter Effectsのエフェクトにはまるで及ばないし、レタスとAfter Effectsの併用フローは煩雑だしで、いかにも問題アリアリで、ゆえにAfter Effectsでコンポジットが全て完結する道を探していたんですよネ、2004〜5年当時は。

 

それがいつのまにか、業界の「撮影」が全部After Effectsに染まりきって、「After Effectsを使うのだったら、それは撮影処理」という、何ともマヌケな認識に落ち着いてしまっている人すら居る‥‥と最近聞いて、しばらく間をおいた後に、‥‥でもまあいいか、人には色々な考え方があるしな‥‥と、放っておけば良いというキモチになりました。

 

 

ちなみに、私は今、After Effectsで「作画」をやっております。アニメーターの経験をもとに「作画としか言いようのない技術」を用いているので、「アニメの作画」としか言い表しようがありません。もちろん、After Effectsを使っていても費目は「アニメーション作画」です。

 

まあ、新規コンポジションに、新規平面でパーツを作っていけば、すぐにディックブルーナのミッフィみたいなキャラクターは作れるわけですが、もしそうした作画の要素まで「After Effectsを使っているんだから、撮影の管轄だ」というのかな‥‥?

 

After Effectsを使うからといって、「撮影スタッフが、作画の仕事を全面的に引き受けた」ということになったら、背任行為・背信行為にすらなり得ると思いますけどね‥‥。

 

私はAfter Effectsを使っていても、作画の仕事の場合は、あくまで「作画」上の報酬であり、「撮影」では一切ありません。

 

 

After Effectsは撮影だけのものであって、他の工程には渡したくない‥‥とでも言うのかな? ほんの十数年前までは、After Effectsだけで撮影するなんて無理‥‥とか言っていた人々が?

 

 

こうしたことからも、旧来の枠組みの限界、映像作りよりも権益のほうが大事な人々‥‥という、病巣が透けて見えてきます。

 

やっぱりなあ‥‥、思考の凝り固まった層はごっそりとオミットして、別枠で現場を作るのが、未来へ通ずる道だと、シンプルに思います。

 

別のラインを作るしかないんですよ。やっぱり。

 

古くから固まった枠は、どんなに新しい要素を追加しても、その古さは一向に変わらないのです。

 

今までの中からは、どんなに若い人間がいようと、今までのものしか作り出せない‥‥のを、近年は痛感しています。

 

 

ちなみに、After Effectsは、ゼロから絵を作ろうと思えば作れるし、絵素材を使って動かすこともできるので、「After Effects」といいながら、アニメーションのかなりの部分をカバーできます。

 

つまり、After Effectsは、エフェクト専門のソフトウェアでもないし、もちろん撮影「だけ」のソフトウェアでもないし、「できそうかな?‥‥と思ったことは、大体できてしまう」、ジャンルのボーダーレスなソフトウェアです。

 

まあ、「Photoshop」も今じゃフォトショップじゃないですもんネ。

 

同じく、「After Effects」はアフターエフェクトというには違和感のある、絵を作ったり動かしたりもできる、広がりのあるソフトウェアと言えます。

 

 

もし、20代の若い人間で、After Effectsを撮影専用のソフトだと認識して疑いもしない‥‥のだとしたら、時にはその考えを見直すことも必要になりましょう。‥‥じゃないと、一番技術を吸収できる20から30代に至る貴重な時間を、みすみす、古い意識のまま、新しい技術を習得できずに無駄に消費することになりましょう。

 

未来の映像制作には、目的に応じて、柔軟に道具や状況を活用できる人材が必要です。

 

After Effectsを撮影台の代用品と考えている人は、進み続ける「今」から見れば、やがて遠ざかっていく、過去の風景の中へと消えていく人‥‥なのです。

 

 

 

 


人の数。自分たちの現場

現場に必要な人の数を、技術革新によって少なく抑えることは、様々な効能をもたらすと考えています。私としては、今までのアニメ制作現場が抱えてきた諸問題を解決する決め手だと確信しております。同題の前回のブログ「人の数」でも書いた通りです。

 

前回書かなかった話題としては、人の数に比例する「熱」問題があります。要するに、人の体温による熱、マシンの熱、それらを冷却する冷房や空調の問題です。

 

実は、作業部屋の敷地面積は、思い通りに使えるわけではありません。エアフローに気を使い、マシンと人間の放熱を排気・循環させ、冷房効率を高める必要があります。

 

だからと言って、アニメーション映像制作は、「絵を作り出す」職業ですから、例えばよく見かけるIT企業のような、パーティションを排してデスクをフラットに並べてノートパソコンでタイピングするような作業では収まりません。様々な資料が必要で、書籍でしか存在しない資料や立体資料がひしめきます。

 

そりゃあね‥‥、物がなく、遮蔽物がなければ、エアフローは良好にもなりましょう。

 

ただ、何も置かないオフィスが成立するのは、つまりは何も置かなくても済むような業務内容だからです。

 

映像制作の映像一式を取り扱う業務では、イマジネーションの発生装置たる作業環境性が求められます。そびえ立つ書籍棚に無数の書籍が並べられた岡本太郎さんのアトリエほどではないものの、様々な資料を置く空間は必要です。ネットの誰かさんのデータを引用すれば済むような業務ではないのです。

 

人の数が増え、マシンが増え、もしかしたら、資料の数もどんどん増えるかも知れない‥‥という時に、だったら資料の数を減らそう!‥‥というのは、まあ、だれもが考えることですよネ。でも、それでホントに、かっこよく美しい映像を作り出す工房に成り得るのか、その辺も周到に考えるべきです。

 

人の数、マシンの数、様々な資料の置き場。‥‥簡単に解決できる「お題」ではないからこそ、いつも気にかけて、時には実践してみることも必要になると思っています。

 

 

私は国内外のいろいろな映像制作スタジオを見てきましたが、野放図に雑然と物が積載された現場は、まさにその現場の状況を体現していると思いますし、まるでショールームのようなスタジオはそれはそれで逆にウソっぽい印象を受けます。

 

私の記憶の中で今でも強い印象として残るのは、整備性を逆手にとって、機能美として体現していた、カナダのラボでした。配線や配管を無理に隠して装うのではなく、逆に現場の力強さや機能の美しさとして成立している‥‥というのは、「日本のアニメの現場では、なかなか、できないことよなあ‥‥」と感じ入ったものです。まあ、そもそも立地面積が広く、高い天井の屋内とかは、あからさまに日本の都心では無理ですしネ‥‥。日本の国土ならでは限界もあります。

 

そうした色々な作業環境がある中で確実に言えるのは、人を漠然と増やし続け、マシンも合わせて増やし続けた現場は、まるで「人間置き場」「パソコン置き場」のような「雑然とした作業場」になってしまうことです。そして、前述したように、その「雑然さ」を抑えるために、資料などは極力置かせないようにして「無香空間」へと仕立てていき、「さあ、単純労働せよ」と無言の圧力を感じる現場が形成されます。

 

そんな現場が、アイデアの宝庫になるとは、到底思えないです。

 

状況に流され続ける現場の姿があるだけです。

 

日本には、日本の国土と社会性に応じた、日本ならでは「やりかた」があるはず‥‥だとは思っています。しかしそれは、「今までこうだったんだから、このままでも仕方ないよ」ということではないです。

 

日本独自の、日本ならでは新しい「やりかた」が見つかるはずです。‥‥探し続ければこそ‥‥です。

 

私としては、自らツーバイ材にサンダーやトリマーをかけてでも、自分たちの作品創造空間を作る気概でいます。与えられたスペースにOAデスクとパソコンを置いただけじゃあ、自分らの理想の作業場なんて、出来上がるはずがないですもんネ。

 

 


人の数

少ない人数で制作できる利点が、現場に劇的な変化をもたらすことは、実はあまり認識されていません。でもまあ、認識できなくても当然かとも思っていて、人は実際に体験しないと納得しない生き物ですから、何かしらの「似た経験」「既視感」がなければ、想像と体験を重ね合わせるのは難しいのでしょう。

 

前回、機材の話をちょっと書きましたが、必要十分な機材に100万かかったとしても、その数が4セットで済めば、400万円です。

 

スペックは、

 

iMac Proのミドルクラスをとりあえず32GBメモリで=40〜60万くらいかな?(価格未発表なので予測で)

iPad Pro 12.9インチとApple Pencil=14万くらい

APCかオムロンの無停電装置=500Wクラスで3〜4万くらい

SSD2つとHDD2つをそれぞれソフトウェアRAID用に=10万くらい

Thunderboltの箱=10万くらいで何とか

サブモニタが必要な場合は、安めの2.5Kで3〜4万円くらい

 

計:80〜100万円くらい

 

‥‥と、この他に、机と椅子、ソフトウェア(まあ、Adobe CCですネ)が必要になります。

 

一方、大人数の現場では、多少性能は低くても、数が揃えられる機材でまかないます。CPUはi5だったり、メモリの搭載量も16GBくらいだったりします。

 

「デジタル作画モデル」と呼ばれるマシンで見積って、最低限のセットで揃えると、

 

マシン本体(i5で16GBメモリ)=8万円

2Kディスプレイ=4万円(EIZOあたりの廉価モデル)

板タブレット=3万円

 

計:15万円くらい

 

‥‥のように20万円を切りますが、これは最低ラインを割った機材レベルです。買い替え時期がすぐに来るので、ぶっちゃけ、見積もっても意味がありません。無駄金になります。もしこれで6年保たせろ(作業し続けろ)というリーダーがいたら、その現場からは離れた方が良いです。今、作業できて乗り切れば良い、最低限の出費で人材や機材を使いたい‥‥というのが、まさに機材のチョイスに「言わなくても表れている」からです。

 

普通に使える構成ですと、言うほどそんなに安くはなりません。i7で32GB、そこそこのグラフィックス性能を持ち、液タブも接続して‥‥で試算していくと、

 

マシン本体(i7で32GBメモリ)=18万くらい

2.5KのEIZOあたりのモニタ=8万円くらい

液タブ=13万円くらい

 

計:39万円くらい

 

‥‥と、無停電装置とバックアップシステムを割愛しても、40万近くまで金額が嵩みます。ちなみに、この装備ですと、4Kなどの未来映像フォーマットの作業は苦しいですが、現状の2Kでは普通に作業が可能でしょう。

 

この40万の機材で、例えば「デジタル作画ベース」で作業した場合、何百何千何万の枚数を描くために、二桁規模の人員が必要になります。ペンタブでも紙でも、膨大な枚数を描くための「旧来現場の人海戦術」の様相は、程度の差こそあれ、昔から変えようがありません。

 

例えば仮に、40万x10人で、400万円です。

 

機材の予算的には、互角のように思えますが、作品の作業内容や現場の設備状況や待遇は、大きく異なります。

 

新しい技術ベースで作業する4人は、4K60pに完全対応した作業環境で、高効率な生産水準と、高品質な映像品質を実現できます。旧来の作画技術の全てを網羅することはできないものの、逆に、今まで不可能だったアニメーション表現が可能になり、新技術の長所を活かした作品表現で、未来の映像技術と共に制作していくことになるでしょう。

 

一方、旧来からの作画技術をベースにした10人は、豊富に蓄積したセル&フィルム時代からの技法を駆使して、まさに日本のアニメの真骨頂を体現する作品を作ることができるでしょう。しかし、絵の密度の限界は2K、フレームレートは24fps止まりとなり、未来の技術展開に限界があり、アップコンで未来に対応することになるでしょう。

 

作品表現では、数十年に渡る技術蓄積で、旧来現場の方が有利なようにも思えます。しかし、現場運用面で考えた場合、旧来現場には弱みが付き纏います。

 

人数を多くしてしまうと継続雇用のコスト、そして機材の維持運用費(電気代も込み)とメンテナンス費用が、どんどん加算されていきます。

 

イニシャルコストでは互角なように見えても、人を増やして現場を作る昔からの考えかたでは、その後がキツい‥‥のです。

 

つまり、人数をむやみに増やすということは、あらゆる方面で重荷を背負った未来が待ち構えている‥‥ということです。

 

リスクヘッジ、リスクマネージメントを考えるのなら、人数が少ない高効率で技術水準の高い現場を計画し実現するしか、日本の現場の生きる道は厳しい‥‥と思っています。人件費(ちゃんと労働基準を考えるのなら)は高いし、土地は高いし、機材だって高いし、高いことだらけの日本です。

 

要するに、少数で作業完結できる現場を作ると、

 

十分な性能の機材を揃えられる

電気代・冷房費用などの運用維持費を低く抑えられる

管理の手間を軽減できる

 

そして、決定的なのは、

 

各作業者の報酬を高く設定できる

 

‥‥と、パッと考えただけで、アニメ業界がずっと悩まされてきた問題を大幅に改善できます。

 

その反面、

 

現場の人間にはおしなべて高水準のスキルが必須

管理システムなどの現代的なインフラ整備が前提

 

‥‥という、かっちりとした「現場品質基準」が必要になります。

 

今までの「憧れだけでアニメをやりたい人」や「ぐずぐずの現場管理」という悪癖は一掃しなければなりません。作業者にも制作管理にも現場の意識にも、高水準が必要です。

 

ちなみに、次世代技術による少人数制の効率は、上述で4人:10人で例えて、控えめな数字にしています。実際は、もっと高い効率ですが、ここでその数字を書くと色々な誤解も生じそうなので、今は曖昧にしておきます。

 

 

 

現場に人がたくさん増えるのは、その産業が栄える象徴のようにも思えます。しかし、場当たり的で短期決戦的思考によって、必要以上の人数が増えるのだとしたら、それは繁栄どころか、崩壊の兆しのように思えます。

 

 

人を野放図に増やして、そのあと、どう養っていくの?

 

間に合わせの安普請の機材をたくさん購入して、そのあと、どう運用するの?

 

 

現場の運用を「昔からこうだから、仕方ない」で済ませるのは、もうそろそろ私らの代(40〜50代)で終わらせて良いと思うんですよネ。

 

まあ、なので、私は新しい技術による新しい現場を作るために、色々とやっているのです。

 

 


大変比べ

アニメーション制作は「大変」のひとことに尽きます。何しろ、普通だったら止まったまま動かない絵を、何分、何十分と動かすのですから。

 

それを「こんなに簡単に動かせます」なんていうのは単なる宣伝文句・客寄せであって(ソフトウェアやコンピュータの売り文句にありがちです)、ちゃんとひとつの作品としてアニメーションの映像を成立させようとするのならば、様々な技術を体系立てた「アニメーション技術体系」が必要になります。ソフトウェアを1つ、パソコンを1台、筆記具を1セット揃えて、済む話ではありません。

 

レタスや緑野菜をちぎって皿に盛り、ドレッシングをかければ、「グリーンサラダ」が「はい、出来上がり」かも知れませんが、「料理」はグリーンサラダだけ作ってれば良いわけではない‥‥のと同じです。夥しい料理の技術、そして品目が存在します。

 

同じように、アニメも「簡単にできること」だけを寄せ集めて、「簡単にできます」なんて言っても、単なる気休めです。自分の作りたい映像を追い求めれば追い求めるほど、底なしの沼が待ち構えています。

 

 

昔から今に続くアニメの技術、すなわち、絵を1枚ずつ描いて動かす技術は、言うまでもなく、果てしなく大変です。ただその果てしなく大変なことを、何十年にも及ぶ技術の蓄積によって技術体系と運用スタイルを確立したがゆえに、円滑に作業をフローできるようになっただけです。冷静に、突き放して、客観視すれば、絵を何千何万と描いて塗る‥‥なんて、大変この上ない‥‥です。

 

私が今後の主力と定めている、新しいアニメの技術は、人手を少なく抑えられて、以前だったら5〜6人がかりでおこなっていた作業を1人でこなせたりもしますが、決して「楽になったわけではない」のです。むしろ、広範な技術と知識が求められるようになっています。作業者ひとりひとりにのしかかる重圧は、より一層、重さを増しています。

 

私は3DCGの専門外ですが、3DCGの絡む作品を幾度となく作業してきて、3DCGの映像制作もやはり大変至極だと実感します。作画の絵は、いきなりその場で絵を描いて動かすことも可能(おまかせのモブとかネ)ですが、3DCGはモブ1人と言えど、何らかの3Dモデルを用意した後でないと、動いた映像にはできません。‥‥それだけでも、大変ですよね。

 

結局、映像制作においては「楽なことなんて無い」のです。みんな大変。

 

その大変さのジャンル・カテゴリの性質が異なるだけです。

 

 

では、なぜ私が、数ある技術の中から、あえて新しいアニメーション技術を選んだのか‥‥というと、ものすごく大雑把に言うと、「未来のビジネス」になるからです。

 

「ビジネス」という言葉は何だか「金儲け主義」のように受け取られることもあるでしょうが、ホントにぶっちゃけ、お金にならなければ作品を作り続けることはできません。私は副業でアニメを作りたいのではなく、本業としてアニメを作りたいので、「霞を喰って生きていくわけにはいかない」のです。

 

アニメの作りかたを、作品作りとしても、ビジネスとしても、新しい技術によってゼロから築き直していきたいのです。

 

「日本のアニメは2兆円産業だの言われているじゃん。今のアニメ業界で喰っていけばいいじゃん」とか思う人もおりましょうが、その「2兆円産業」とやらの現場の内状はどんなことになっているのか、「2兆円産業」「クールジャパン」とか耳にするたびに呆れて、怒りを通り越して笑ってしまいます。あまりにも、業界の内状とかけ離れているんで‥‥ネ。

 

とはいえ、今のアニメの現場自体にも弱みはあります。絵コンテ、原画、動画、彩色、美術、撮影‥‥という段取りから離れられないがゆえに、応用も展開も回避行動も効きません。原画マンは「原画」という工程から外れると、他の方法ではアニメを全く作れなくなります。「原画工程専門の人」であって、「アニメを作る人ではない」のです。

 

ゆえに、今のアニメ業界の状況に大きな不満を抱きながらも、アニメ業界の制作構造は批判できない「弱み」に支配されています。アニメ業界の標準的な制作フローが壊れると、直接的に自分たちの日常に影響するので、「制作構造そのもの」には無批判を突き通すしかないのです。結果、「単価を上げろ」「制作費を上げろ」という話がメインとなり、「自分たちのアニメの作り方そのもの」に関して「限界がある」との思考には至りません。

 

ビジネスとして成立する‥‥ということは、制作者側の視点で言えば、制作に関わる人間が仕事によって報酬を得て自立して生活し、作品制作を維持し続けられるということでもあります。人々がどんな技術を持っていようが、生活が破綻して、作品を作り続けられなければ、プロダクトは完結しません。プロダクトが完結=完成品が存在しなければ、ビジネスには全く結びつかないのです。

 

「いや、だからさ。今のアニメ業界は、完成品を山ほど、世に送り出してるじゃん?」‥‥というのは、外面の話です。内面はどうなっているのか、私は業界のインサイダーなので痛いほどわかっております。今のアニメ制作現場って、作業内容面でもお金の面でも、大変過ぎて手のつけようがないです。長年溜まったホコリやサビを取り除いただけでは、どうにもなりません。現代のオーダーに対して、60〜70年代起源の制作技術メカニズムが対応していないのです。そして、未来のオーダー=より一層高品質な新しい映像技術に対しては、全くと言ってよいほど、対応が不可能です。

 

現在、完成品を作れている事実が、今後いつまで「アニメ業界のビジネス」として成り立つかは、深刻に厳しい‥‥と言わざる得ません。

 

私の感慨では、業界の「大変さ」の「バブル」はいつかはじける時が来ると思っています。もしそうならなくても、壁から落ちたハンプティダンプティのごとく‥‥になるのではないかと予測しています。ここ10年でアニメ業界のエントロピーはかなり高まっている‥‥と言わざる得ないですもんネ。

 

ゆえに、新しい技術の新しいアニメ制作では、「時代の技術革新を最大限活用」して、「ちゃんと稼げる職業」へと変えていきたいのです。それは「道徳」とか「ボランティア」では全くなく、ビジネスとして生き残るための、とてもプラグマティックな考えに根ざすものです。

 

‥‥と言っても、新しい技術は、旧来アニメ業界とは全く異質な「大変さ」があります。新しい技術は、旧来技術の避難場所や逃げ道ではなく、むしろ、旧来の思考のままでは全く立ち入ることのできない、演出から編集に至るまで新しいことだらけの、甘えの許されない開拓地です。例えば、新技術フィールドのアニメーターは、絵を描く能力だけでなく、After Effectsなどのコンピュータ関連技術も自分の指先のように扱える能力が必要です。色彩設計やビジュアルエフェクトの人間はカラースクリプトなどのコンセプトも発案できなければなりません。今までの工程・セクション分類は全く「反古」になり、新たな「可変型ワークフロー」に順ずることになります。

 

絵を描くこと(=映像を思い描くこと)と、コンピュータを扱うことが、全くのボーダーレス・シームレスでなければ、新技術を扱うことは難しいのです。紙の作画に軸足を残したまま、コンピュータをつまみ食いしよう‥‥なんて甘い考えは通用しませんし、「ヤバくなったら逃げれば良い」なんていうスタッフは最初から枠組みには入れません。紙の作画に自分の運命を賭けたのと同じパッションで、コンピュータに人生を賭けるような人間でないと、とてもついていけない大変な内容です。絵を頭の中で思い描くのと同時に、キーフレームまで思い浮かぶような人が、4K8K60p120pの新時代のアニメーション制作技術を自在に操れるのです。

 

なので、人材の発掘、人材の育成も含めて、新しいアニメーション技術は大変である‥‥と覚悟しています。そして、その技術に見合った「然るべき報酬」の体系も不可欠です。高い技術を求めておきながら、ギャラはしょぼい‥‥じゃ、お話にならんですもんネ。

 

 

映像作品を作る‥‥なんて、どんなカテゴリを選択しても大変です。

 

その「大変さ」の軸足をどこにおき、その「大変さ」をもって何処に進もうとするのか‥‥が、自分らの未来の運命を大きく左右する‥‥と思っています。

 

 


マッハ・バスター

私は小さい頃、なぜ「プロペラ機は音速を超えられないのだろう」と不思議でした。零戦のエンジンは1000馬力少々で時速500km以上の速度性能がありましたが、その後、エンジンは2000馬力を実現し時速700km以上の最高速を叩き出す機体が数多く出現しました。‥‥が、その後は停滞し、時速800kmを越える機体はほとんど出現しませんでした。エンジンはそれこそ、驚異の3000馬力はおろか最終的には4000馬力を上回るもの(R-4360。28気筒、排気量71,500cc、プラグは54個!)さえ登場したのに‥‥です。

 

軒並み、時速700km台で停滞し、やがてジェットの時代へと移行しました。

 

*レアベア。時速800km台を誇る、アメリカンクオリティの真骨頂。その出自は太平洋戦争当時、零戦(に代表される日本の格闘戦闘機)の対抗馬として、速度性能、格闘性能、武装などあらゆる「戦闘機としての資質」を追い求めたF8Fベアキャットであり、その後、レーサー改造機として「レシプロ最速」の栄誉を手にしました。オリジナルのベアキャットは、結局、対日戦には間に合わず、我々日本人としては不幸中の幸い‥‥とも言えます。しかし、戦争が終わったことで、「戦闘機過ぎるプロペラ機」は汎用性に乏しく、かといって新時代の空に情勢にも追随できず、早々に第一線から退役していきました。

 

*こちらも「熊」、Tu-95「ベア」です。プロペラは付いていますがピストンエンジンではなくジェットエンジンでプロペラを回転させる仕組みの「ターボプロップ」エンジンです。最高速は900km以上と、プロペラ機としては最速の部類です。

 

なぜ、プロペラ機は800km前後で停滞したのか。ものすごく大雑把にいうと、「物理構造的な頭打ち」に到達したからです。

 

Wikipediaからの引用です。

 

プロペラ機は原理的にジェット機よりも遥かに低い速度で限界に達する。より大きな推力を得ようとしてエンジンの出力を上げてプロペラの回転速度を上げたところで、プロペラ先端速度が音速に近づくにつれ衝撃波が発生し、その衝撃波をつくりだすのに回転力が奪われて抵抗が増し、エネルギー効率が著しく減少するからである。

 

衝撃波なんて言われてもアレ‥‥なので、身近な例えですと、東京のとある住宅で、台所の蛇口からやかんに水を注いでガスレンジの火にかけても、熱湯の温度は100度以上にはならない‥‥というのと似ています。どんなに強い火にかけても、100度以上にはなりません。条件的、物理的、そして構造的な限界です。‥‥ちなみに、圧力鍋ですと、圧力で沸点が変化して、120度くらいにはなるようです。

 

要は、どんなにがむしゃらにパワーを加えても、台所のやかんで100度以上の熱湯にはならないのと同じく、ピストンエンジンのプロペラでは時速800kmあたりが限界‥‥ということのようです。パワー不足が原因ではないのです。

 

 

これって、現在のアニメ制作現場の話、そのものです。

 

アニメ制作現場全体を「作品作り」のための「推進力」として考えた場合、まさに超えがたい「音速の壁」に直面しているように思います。音速とはすなわち、「次世代の映像技術」そして「労働の形態」です。

 

今のアニメ制作現場が4K60pに対応するには、手描きで絵を一枚ずつ動かすという基本技術ゆえに、実質不可能で、アップコンしか手立てはありません。また、各所で「ブラック」と呼ばれる現場の状況を改善するのは、どこの何を細かく調整して改善したところで、現場の運用設計自体がブラックを生み出す発生装置のようなものなので、根本的な改善は不可能です。

 

つまり、現在のアニメ制作現場には、

 

映像技術の壁

労働基準の壁

 

‥‥の強固な壁が大きくそびえて立ちはだかっていますが、それは実は、「プロペラ機がプロペラを回転させるがゆえに、音速を超えられない」のと同じく、「今までの作画アニメ現場は、作画〜撮影に至る工程で制作するがゆえに、映像技術と労働基準の壁を超えられない」のです。

 

プロペラ機は、プロペラで推進しようとするがゆえに、音速を超えられない。

 

アニメは、作画して動かそうとするがゆえに、2K24pの枠を乗り越えられない。

 

呪わしい気分になってきます。自分が自分であるがゆえに、自分の限界を超えられない‥‥という。

 

 

私はもうハッキリと覚悟したことがあって、「現在のアニメ制作現場は、未来も変わることはない。変えることは不可能だ。」ということです。「制作現場の物理構造」からして、どうやっても「次世代の映像フォーマット」には追随できないし、ブラックなどと言われる労働状態を改善することも不可能だと思うからです。

 

だってさ‥‥、これから先の未来、映像の高品質化に合わせて、A3の作画用紙で1万枚とかテレビシリーズで可能? 緻密なキャラデザインの作画をペンタブで3〜4Kサイズで1万枚とか描き続けられる? そしてその作業報酬は最悪の場合据え置きで、良くても1.5〜2倍程度‥‥で生活が成り立つ?

 

ダメじゃん。無理じゃん。電卓で計算すればすぐにわかることじゃん。

 

今でさえ、A4用紙の150dpiの3コマ作画ですら、ひーひー悲鳴上げてるのに、これ以上、現場の現状に、高品質化が重くのしかかる‥‥なんて、可能だという人がいたら、合理的に説明していただきたい。2K24pの今ですらブラックだ‥‥なんて言われてる現場が、4K60pなんて作りきれるはずがなく、ブラックを通り越してスーパーマッシブブラックホールになってしまいます。

 

劣勢挽回の必勝兵器なんて、いつまでたっても登場しないですよ。あるのはアップコンに頼るしかない、心細い未来だけです。

 

 

* * *

 

 

プロペラ機が音速を超えられないのと同様、今のアニメ業界の制作現場は次世代を乗り越えられないのです。

 

どんなに現場の人間たちがパワーを振り絞っても、次世代の映像フォーマットに適応することは、旧来の制作現場の作り方では「無理」です。キモチとかやる気の問題ではなく、物理的に無理なのです。感情に支配されずに、クールに分析すべきです。

 

 

でも、です。

 

現在、世界中の飛行機がジェット機になったわけではない‥‥ことを考えれば、旧来のアニメ制作現場の方式も、まるでダメというわけではないです。現在でもプロペラ機は世界中で飛び回っています。

 

つまり、旧来のアニメ制作を維持するのであれば、「壁を乗り越えずに、このまま停まれば良い」のです。明確に「次世代を無視」すれば良いのです。

 

昔の技術のまま、現代にもてはやされる時代の寵児でいたい‥‥なんて、甘い夢を見ようとすれば、その夢は技術革新の中で無残に打ち果たされて破れるでしょう。

 

しかし、昔の技術のどこが悪い。魅力的な要素もたくさんあるんだ。‥‥と、自分たちの技術の「本質」を見極めて、その本質で「商売」を展開すれば、技術が移り変わった未来においても、何かを掴める可能性はあると思います。

 

世の中の誰もが必ず新しもの好きなわけではないですから、商売の考え方を「現代に生きるのをやめて、古き良きアニメ」へと転換すれば、成立する可能性は残されています。

 

時代に翻弄されることから離れ、現代と決別し、伝統芸能として覚悟する‥‥というのも、考え方の1つでしょう。

 

「自分らの映像基準は不動だ。新しいものへの対応は、フォーマットのコンバートでいい」と言い切れるほどの、肝の座った覚悟があるか否か、‥‥です。

 

 

* * *

 

 

私は‥‥といえば、ずっとここでも書き続けているように、「壁を超える技術」=次世代映像技術にどんどん邁進する所存です。現状から抜け出して、壁の向こうの新天地を目指したいからです。

 

もちろん、壁の向こうが楽園だなんて保証はありません。しかし、30年業界で働いてきて、もうじゅうぶん、業界の構造=壁のこちら側の限界も見極めました。どっちに居ようが、保証された楽園など、あろうはずがない‥‥です。

 

だったら、「良き方向へ変えられる可能性のある」壁の向こう側を目指したいわけです。

 

 

壁の向こう側に行くためには、とにかく、壁を越える技術を確立していくことです。ボーっと壁を眺めてたって、壁は高くそびえ立ったままです。

 

かつて、超えられない壁を超えた人々の歴史が、私にとっての指針でもあり、励ましでもあるのです。

 

 

 

 

 

 


それぞれの道

ここ数日色々書いてますが、結局は、表題の通り‥‥ですよネ。自分で自分の将来の道を選択して進むしかないです。それが個人であろうと、作業集団であろうと、会社であろうと、業界全体であろうと。

 

私がこのブログで書いている未来の道や方向性は、ひとつの選択肢に過ぎません。昔ながらのアニメの作り方が良いと思う人は、その思いが成就する産業スタイルを模索して進めば良いのです。私も、自分の新しい制作技術に対して、妙な全体主義をブチまけるつもりはなく、むしろ「レッドオーシャン」にならない程度の規模で収めていくのがベストであるとすら思っています。

 

要は喰えない職業から脱却すること。アニメ制作事業が、「未来の設計ができる職業」「親御さんがYESと言ってくれる職業」「自立して生活できる職業」になる‥‥とでも言いましょうか。

 

その状況が成立できるのなら、70年代スタイルで続けても何ら支障はないわけです。でもまあ、70年代スタイルだと2020年代にはあまりにも不適合な要素だらけゆえにそもそも「喰えない状況から抜け出せない」ということを何回も書いているわけです。‥‥でも、私の思いつかない、70年代スタイルのままを現代の労働基準をクリアして成立させる方法があるのなら、それを知る人が自信をもって実行すれば良いんだと思います。

 

 

以前、西陣織の継承者の話題を見かけたことがあります。これです。

 

https://togetter.com/li/1090731

 

引用〜

将来的に仕事にしたい方を募集します。ただし最初の半年は給与的なものも出ませんし、その後の仕事を保証はできません。

〜引用終わり

 

何と言いますか。今のアニメ現場の状況に似たものがありますね。最後のほうまで読むと、伝統の技術が現代社会の中でどう生き抜いていくかの難しさも垣間見えるようです。

 

 

思うに、人材を雇用する、登用するということは、その人間を使う側のリスクも求められわけです。同時に、人材を見抜く能力も、その能力を現代のビジネスに繋げていくしたたかさも、‥‥です。

 

誰でもいいから来て。教えることは教えるから。

 

‥‥なんていうのは、何とも終末的な人材活用です。技術職の求人は、学校のクラス分けとはまるで違うのですから、「誰でも」なんていうわけにはいきません。雇用する前にキッチリ能力を見極める必要があり、高い技量と経験と見識が、採用試験官側にも求められます。試験官のレベルが低いと、現場のレベルもどんどん低くなっていくのを、‥‥まあいいか、これは。

 

人材の流れに変調があらわれるのは、「産業そのものが時代性と錯誤している」「就労状況が現代生活に適応しない」など色々あるでしょうが、ヤバい流れであることには変わりないです。現在のアニメ制作は、「現代生活に適応しない」点で色々と指摘され始めてますネ。

 

ただねえ、人を雇う‥‥ということを、軽く考える場面は、よく見かけます。当人の人生にとっても、会社の未来の発展にとっても、大事なことなのに‥‥です。

 

人材を雇用するということは、雇用する側も多大なリスクを背負う覚悟が必要なのです。なので、将来にエースやチーフになれない人材を「合格」させるなよ‥‥という話です。最低限の見極め、つまり、鳥は鳥、魚は魚であることを見抜かないとさ、魚に空を飛べって言ったって、トビウオくらいにしかなれんじゃないか。

 

「合格」させたなら、「技術職の合格」に見合うだけの、当初から処遇・待遇は必要だと思います。しかし、「将来のエース候補の成長見込みで合格」ではなく、「とりあえず雇ってみるか」的な軽い考えで採用する側も迂闊でいるから、「時給200円相当」とか「月給6万円」とか、「半年稼ぎなし」とか、「仕事の保証なし」なんていう文言が並ぶのでしょうけどネ。

 

私は少数小規模の現場を目指しているので、特にその辺に神経質なのだと自覚します。「とりあえず」だなんて軽い判断で雇用したら、少数小規模で高効率高技術の現場なんて成り立ちませんもん。高品質を実現できない現場は安く買い叩かれて、結果的にスタッフに安い賃金しか供給できません。

 

高い技術力と生産力を持つ人間には、高い報酬が与えられる‥‥という当たり前のメカニズムを実現するには、無料で教えるから、無報酬で‥‥なんて言ってたら全くもってアウトです。それじゃあ「アマチュアのたしなみ」の言い草です。現場を維持する側は、相応のリスクを背負うことになりますから、雇用した人材は是非ともエースに成長して「技術の砦」になってもらう必要があります。その「砦」で技術集団は技術開発と効率向上だけでなく、利潤を追求する戦いもするわけです。

 

 

私の長い現場経験での認識なのでハッキリと書きますが、現場のために人材が必要であるのと同時に、全く等しいレベルで、人材のために現場が必要でもあるのです。

 

現場と人材は全くのEVEN、等価なのです。

 

人材が快活豪快にアクションできる現場を有し得なければ、人材は単に消耗品になり下がります。

 

現場のための人材、人材のための現場‥‥という相互等価の条件が成立してはじめて、空間と人間を「かけ算」して組み合わせることができます。

 

もし、現場のためだけに人材が必要‥‥だなんて思っているのだとしたら、その現場は「人が足りないから人を増やして足し算、人が辞めていったから引き算」なんていう稚拙な演算を繰り返すだけです。能力が冪演算的に増えていく状況など夢のまた夢です。

 

 

しかしまあ、そういう人材雇用の考え方の根本も、結局は「どんな道を歩むか」というリーダーの考え方に起因します。

 

もしかしたら、

 

「人とは無能力な存在である」

 

or

 

「人は何らかの能力を有している」

 

‥‥という相反する考え方の違い、人それぞれの「人間の根本に対する捉え方」の違いが、道を進む上で作用したり、人材雇用にも影響したりするのかも知れません。色々な事例を見ていて、そう思います。

 

現場のリーダーが「人に対してあきらめている」ような性根を持つのなら、現場も相応に「あきらめたような現場」になると思いますヨ。「足し算だけを期待する現場」とでも言いましょうか。「10の能力を持つ人間を雇用したのだから、10の成果が期待できる」なんて考える現場。

 

でも、未来の日本の人材活用って、そんな単純軽薄な足し算引き算では、成り立っていかないと思うんですよネ。特にアニメにおいては。

 

「10の能力を持つ人間が、現場で、違う10の能力を持つ人間と交差して合力した場合、結果的に10x10=100のポテンシャルを発揮する」というような現場を作っていくべきです。

 

ハイスペックな機材設備の現場に、凡人を数だけ揃えて座らせても、安PC程度のポテンシャルしか発揮できません。逆に、高い技量を持つ人間を、タコ部屋みたいな場所に詰め込んでも、個人の能力だけで采配する作業に徹してしまい、機材設備やネットワークを活かして高い技量をさらに高度な技術へと拡張することはできません。

 

ハイスペックな機材設備の環境空間に、高い技量を持つ人間たちを配してネットワークし、足し算では不可能だった「かけ算の事業」を成し遂げる‥‥というのを、手が届く理想として掲げていくべきだと、少なくとも私は思います。

 

 

でもまあ、そんな理想の掲げ方も、結局はそれぞれの道。

 

2020年代に向かって、どんな分岐路を選択するかは、各人の自由です。

 

自分で、「これでうまくいく」と思う方法を選択して進むだけです。

 

今までの方法でうまくいくとおもうのなら、そのまま続ければ良いし、新しい方法じゃないと生き抜けないと思うなら、新たな道を進めば良い。ただ、それだけのこと、ですネ。

 

 

 


ずけずけと未来を

「アニメの仕事は、産業として成立していない」とは、よく耳にするフレーズです。で、その次に展開される論調は「単価が安すぎる」「時給換算で安すぎる」‥‥です。

 

もういい加減、気がつくべきだと私は思っています。そういう論旨にゴールはない‥‥ということを。

 

仮に、作業単価が今の倍になったとしても、問題は解決しないと思うからです。むしろ、余計に「火に油を注ぐ結果」「傷に辛子を擦り込む結果」となるでしょう。私は「単価が安いからダメなんだ」なんていう近視眼的で全体を見渡せていない論調になど、一切加担したくないのです。ぶっとばしで雑な作業をする人間や簡単なシーンを担当する人間だけが余計に稼げるような構造ができて、一層悲惨で絶望的な状況が生み出されるだけです。

 

今までのアニメの作り方は、もはや総体として、2020年代の産業として成立しないのです。

 

 

日本で何が一番金がかかるか?

 

前回も書きましたが、「空間」‥‥場所、土地、占有する面積です。

 

そしてもうひとつ、同じくらい金がかかるものがあります。それは「人間」です。

 

つまり、2020年代を間近に控えた現代において、「空間と人間」を最大限活用できない産業は、どうやっても苦しい立場に追い込まれるのだと思います。1970年代の「空間と人間」の使い方が2020年代に通用すると思っているのだとしたら、かなり「おめでたい」思考です。「アニメだから時代錯誤が許される」とでも言うのでしょうか。

 

2020年代の「空間と人間」に、「時間」という要素を与えた時に、何が創出できるか‥‥が、最大のポイントでしょう。

 

私は、

 

空間 x 人間 x 時間

 

‥‥という掛け算によって、まずは技術を生み出し、その技術によって作品・商品を生み出すメカニズムを作りたいと考えます。要素は決して「足し算ではなく、掛け算に」する必要があります。

 

「掛け算の演算子」を体現するのは、まさにコンピュータやネットワークです。概念的な表現になりますが、要は、

 

空間コンピュータ人間コンピュータ時間 =技術

 

技術ネットワーク技術ネットワーク技術ネットワーク技術 =作品・商品(産業)

 

‥‥というイメージです。

 

2020年代を間近にした現代、空間と人間と時間を繋ぎ合わせる演算子はコンピュータとネットワークであり、それはアニメ制作でも同じです。

 

 

 

旧来のアニメ制作システムは、はたして、空間と人間と時間を有効に活用できているでしょうか。

 

はっきり申しましょう。活用できていません。

 

空間と人間と時間を甚だしく無駄に使い続けて、現代社会の技術革新を無視し続けて、でてくる言葉は「金がない」「時間がない」「働いてて厳しい」‥‥だなんて、窮状の自作自演です。

 

1970年代には有効だったメソッドは、2020年代に有効でないばかりか、むしろ、諸悪の根源とすら言っても言い過ぎではないのではないですかネ。

 

空間と人間と時間を有効に活用できない現場で、新人の動画マンが喰えないだなんて、よ〜く考えてみれば、あたりまえじゃないですか。母体そのもの、旧来システムのアニメ産業そのもの、現場そのものが、効率の極めてマズい大問題を抱えたまま、現代社会に居心地わるく居続けているわけですから。

 

空間と人間と時間を有効に活用できない古い意識で凝り固まった現場で、新人の作画スタッフが喰えるようになる状況なんて、永遠に実現しないんじゃないですかね。

 

 

 

ですから、「アニメは産業として成立していない」というセリフのあとに、「単価がどうだ」「就労の状況がどうだ」と言っても、甚だ的外れなのだと思います。

 

「アニメは産業として成立していない」というのならば、「昔からのアニメの作り方そのものが現代社会に著しく適していない」というべきでしょう。そこを見据えない限り、井戸端会議で「最近厳しいよねえ」と愚痴って憂さ晴らしするだけのことです。

 

状況がひどいと言いながら、その状況が何によってもたらされているかを解明しようともせず、アニメを産業としてゼロから作り直す気概すら持たず、「辛い」「誰か助けて」なんて言い続ける茶番に付き合い続けたい‥‥でしょうか。

 

しかし、ひとたび、旧来の現場に入り込んでしまうと、「辛い」「誰か助けて」と言い続ける自分に成り果てていきます。旧来の現場が、抜け出すことのできない永遠の居場所のように、どんどん自己洗脳にハマっていくのです。アニメを作るには、この方法とこの場所しかないんだ‥‥と。

 

私はイヤですね。そういうのは。

 

 

まあ、だから、最近、エドワード・ヴァン・ヘイレンを思い出したのかも知れません。自分ながら。

 

「ダメだったら弾き方そのものを変えちゃえばいいじゃん」「ギターなんて作り変えちゃえば良いじゃん」

 

過去の様式に縛られ続けて、いつまでもウジウジウジウジ悩んでこねくり回すんじゃなくて、今、手元にある道具と自分のアクションで変えていけば良い。

 

エドワード・ヴァン・ヘイレンの演奏は、今聴いても、パワフル至極でポジティブ、プラスイメージのベクトルに溢れています。改めて聴き直すと、「この凄まじい勢いって、何なんだろう」と、新鮮にすら感じます。音楽に対する、あけっぴろげなまでの楽しさが発散されています。

 

等しく、アニメを作るのは正直楽しい。根本的に痛快で快感的です。だって、自由に思い描いたキャラや情景が動いちゃうんですから。‥‥それを、なぜ、昔作ったアニメ制作の様式に固執して、苦しい作業にどんどん落とし込んでしまうんでしょうかネ。完成したアニメ作品そのもに、現場の阿鼻叫喚がじっとりと呪いのように染み込んで、表面的な明るい色彩のキャラの奥に、水カビ・黒カビのような暗さが見え隠れするのを、まさに映像そのものから感じ取れませんかネ?

 

現代には、現代のアニメの作り方があるはず。

 

 

 

「アニメは産業として成立していない」??

 

だったら、2020年代の現代に、改めて、産業として成立するように、アニメを「再発明」しましょうよ。ジョブズっぽい言いまわしですけど。

 

今必要なのは、しゃがみこんでセンチメンタルに傷をツツくことではなく、立ち上がって多少荒々しかろうと新しいフィールドにずけずけと乗り込んでいくこと‥‥だと思います。

 

 


ペーパーレスをテッテイ的に

現実的な話、これからのアニメーション技術展開において、紙と鉛筆をこれ以上使い続けても発展していかない‥‥と私は判断しております。紙と鉛筆を使い続ければ使い続けるほど、技術の発展は先延ばしになります。

 

ふと視点を変えて、「今までの技術を伝統として継承するんだ」というのならば、紙と鉛筆は重要なアイテム、中心的存在となるでしょう。であるならば、「紙と鉛筆を存続させる強い自覚と意識」が必要になりましょう。漠然と今まで使い続けてきたから‥‥なんていう意識ではなく。

 

技術を「伝統として保存する」のではなく、「時代とともに発展し続けて、未来と共存していく」と考えるならば、もはや「できるだけ紙は使わない方が良い」と私は考えています。2017年の上半期でそのあたりの思考は全くもって明快でクリアになりました。‥‥おそらく、最近「ワンハムワンボリューム」のギターを作ったのは、私なりの原点回帰、そして、過去とのピリオドを兼ねていたのだと思います。人は、何か新しい境地を目指す時に、自分とはなんぞやを改めて問うのと同時に、今まで背負ってきた荷をおろして身軽になる必要があるのかも知れませんネ。

 

自分の机の周りに必要なものは何か。

 

それは決して、紙の時代に生きて、なんとなく持ち続けてきた、紙を束ねるバインダーでもドキュメントボックスでもないはず。

 

もし紙が必要だとすれば、紙でしか手に入らない書籍の類いだけでしょう。徒然に溜まっていった印刷物や紙で描いた絵を、創作の最前線である机の周辺に放置して「場所取り」させている場合ではないです。最前線=制作・創作の作業場の「特等席」が、なんとなしに溜まり続けた紙の類いに占拠されているのは、作業の根本的な効率に関わります。

 

この2年くらい、旧来の原画作業をiPadで作業しましたが、設定類は全てデータとして供給してもらい、PDF化してサブのiPadやFireで表示して作業しました。それで十分作業は可能ですし、紙に机を占拠されずに済むので、机が広く使えます。旧来作業においても、ペーパーレス=データ化が有用なことは、私の中では既に実証済みで、新技術を展開するのなら、紙は1枚も存在すべきではないとすら思います。

 

しかし、一方で、自分の自宅の作業場をみると、まだまだ紙関連のものが放置されたまま残っています。

 

 

思えば、全く触らずに「デッドストック」状態になっている用紙の類いを、一番手の届く位置に置き続けているのは、我ながらどうしたことか。紙をこれ以上増やすつもりがないのに、机の脇の棚で堂々とドキュメントボックスが鎮座しているのは、なんとしたことか。

 

上述した通り、人は色んなものを貯め続けて背負ってきた経緯がありますから、紙もその流れの中で溜まり続けたわけですが、これから新しいプロジェクトに専心するには無用の品です。‥‥なので、自宅の作業場もどんどん紙をなくすべく、案を練っています。

 

自分的には、紙の存在意義を明確に「清算」する時期なのだと思います。

 

もしデータではない、リアルな物品が身近に必要なのなら、紙の書籍と、創作のイメージを膨らますための立体資料でしょう。‥‥こんな感じの。

 

タミヤの1/48のミリタリーミニチュアです。1/35に比べて場所をとりませんし、精密度は「コミックやアニメの作画の省略」に適した良い感じで、さらには1/48の航空機モデルと並べて対比できるので、オススメです。‥‥今は、1/48のRX-78もあるんですネ。驚きました。

 

画像データの閲覧だけでは、映像のイメージが貧困になることは多々あります。なんでもかんでも、ネットのデータ検索で済むことはないのは承知しています。

 

しかし、成り行き上でそこにあり続けて場所を占拠する紙の類いは、もはや私には不要です。紙をあえて置くのなら貴重な(=私にとって)書籍、そうでなければ「現実の立体として意味があるもの」を置いておくべき‥‥です。

 

日本がカナダくらい広いのなら、別室に紙資料をアーカイブ‥‥‥とか可能ですけど、日本で一番高価なのは「空間」ですもんネ。紙が絶え間なく増殖して空間を占拠していく様を、制作現場で日々目撃していますが、これから先、紙が現場を埋め尽くしていく状況を放置すべきなのかも、熟慮する必要があるでしょう。大量の紙素材に占有された空間を、未来の映像技術開発に活用すれば、どれだけ技術が発展できることか。

 

日本においては、空間をどのように有効に、これから先の未来に活用するか‥‥ということだと思います。

 

極論めいたことを言いますが、アニメの制作会社・制作集団が「過去に生きるのか」、「現在そして未来に生きるのか」を確実に分けていくのが、「紙」との関係だと思います。

 

過渡的に「デジタル作画」であったとしても、まずは紙から離れられるか‥‥が、過去の追憶に生きるか、未来を生き抜いていくかの、決定的な行動指針となりましょう。

 

* * *

 

デジタルテレビ放送、DCP、デジタルディスクの商売、そしてネットの映像配信。アナログデータなんて、どこにあるのか。アナログのデータで今後どれだけ映像ビジネスが成立するのか。

 

どんなに「鉛筆と紙の力を信じて」も、最後は「デジタルのお世話になっている」のです。フィルムを手放した時点で、紙の時代も終わっていたのだと思います。

 

私は紙が嫌いなわけでも憎んでいるわけでもなくて、むしろ長く深い愛着がありますが、しがみ続けていても商売は発展していかないじゃん?

 

映像の商業にこらから先の未来も関わっていくのなら、リアルな選択として、紙との付き合いは終止符をうたなければならない‥‥というのが、私の30年間アニメを作り続けきた上での答えです。

 

人間はあくまで生身の存在ですが、身の回りの物品、道具、そして創作の表現は、デジタルネットワークの中で発展していくことでしょう。その「変えられない社会全体の流れ」に観念して、自分の方針を決定すべし‥‥です。

 

どこかの国から核ミサイルが飛んできて爆発して、世界中が戦乱に巻き込まれるのなら、デジタルネットワークなんて物理的に分断されて成り立たなくなるかも知れません。しかし、そんな時はアニメだって今のようには作れないでしょう。デジタルネットワークが崩壊したら、その時はその時で考えることにします。

 

文明社会が滅亡するような事がなく、発展を続けていくのなら、デジタルデータのネットワークは‥‥どう考えても‥‥主流でしょうねえ‥‥。アナログデータはアンティークや懐古趣味の世界で存続するとは思いますけども。

 

デジタル映像産業の中において、紙を使い続けて「意図的にガラパゴス化」することで希少価値を高めることはできるでしょう。カセットテープが今でもわずかな会社で生産され続けているように。

 

しかし、本流、主流は、デジタルをどれだけうまく使いこなすかです。

 

なので、自分の身の回りから、紙をどんどん片付けていこうと思います。今までも取り組んできたことではありますが、今後はテッテイ的に‥‥です。

 


雑感。

私はこのブログで、色々と悲観的なことも楽観的なことも書きますが、自分ながら、極めて楽観的だなと感じるのは「人の描く絵は必要とされ続ける」と何の疑いもなしに考える思考です。未来には様々な映像技術が発達して、ゆえにアニメは3DCGに取って代わられる、実写でもアニメと同じことができる、‥‥とは全く考えないところは、妙に、楽観的なんですよネ。

 

人が絵を描き、その絵が人の共感を呼び覚ます限りは、絵だけが表現し得るフィールドは限りなく存在する‥‥と感じます。

 

もちろん、3DCGは今後もどんどんと表現領域が発展していくと考えていますし、実写の魅力も十分承知していますが、一方で、描いた絵を動かすアニメにも「伸びしろは、いくらでもあるじゃん」と感じるのです。アニメを「原動画を描いてペイントして、背景と合わせて、撮影するもの」と限定しちゃうと、技術的にも経済的にも行き詰まりを感じずにはいられないですが、ふと、iPad ProやiMac 5Kなどの現用の機材を起点にアニメの作り方を仕切り直して考えてみれば、「いくらでもやりようなんてあるじゃないか」とぐんと前向きな気持ちになれます。

 

これは言い換えれば、「原画を描いて、動画を描いて」‥‥という「スタイルに固執するのをやめる」‥‥ということなのでしょう。

 

旧来の作業スタイルにしがみつくのをやめて、旧来の定番の技法を手放して、新たに「現在未来の道具で」絵を描いて動かすことを決心できるか否か‥‥ですネ。

 

「昔の方法は、現在においては、どうやら、うまくいかないことも多くなっている」‥‥なんて、当然なんですよネ。だって、今から50年くらい前に、50年前の道具と社会と経済ありきで作り出された方法なのですから。

*注)世界全般のアニメの歴史ではなく、日本のテレビアニメの制作体制が築かれた頃=1960年代後半〜1970年代から計算して‥‥です。

 

でも、現在は2020年代目前。現在の道具と社会と経済ありきで、アニメの作り方を考えるならば、最初から破綻している方法なんて選択するわけはなく、現在の様々な状況の中でどうやって「具合良く、アニメを作るか」をごく自然に考えます。

 

今までアニメを作ってきた数十年間をどうしても意識してしまうから、未来像にバイアスがかかって変質してしまうのです。

 

今までのことはすべてなかったことにして、まっさらに白紙から、「2020年代にどうやってアニメを作るか」を技術的にも経済的にも考えた場合、数千数万枚の大量の作業による多大な人件費を基盤とした制作方法を考える人などいないでしょう。現在未来の社会経済で通用するやりかたを、現在の道具を用いて考えるはずです。

 

わざわざ、最新の道具を有効に活かせず、お金が足りずに運用も厳しい方法を、ゼロから考えるとは思いません。「現実的に有利な方法を考える」でしょう。

 

要は、「過去のしがらみから脱すれば、現在有利な方法を選択しやすい」が、「過去のしがらみに囚われていると、現在不利な方法でも選択せざる得ない」とも言えます。

 

 

 

例えば、東京から大阪まで500キロ。

 

徒歩を時速5kmとして、8時間歩いて40Km。12日かかることになります。日曜は休んだとして、「徒歩で14日=2週間」。

 

その道中での1日3食の食事と宿泊場所のコストを計算して、「うわあ、随分と金と時間がかかるなあ」なんて、2017年現在に考えるでしょうか。

 

江戸時代ならともかく、今は平成です。鉄道網もモータリゼーションも、空を飛ぶ飛行機もあります。「徒歩で500Km」を計画する人など、特別な目的が無い限り、皆無でしょう。

 

新幹線ありき、ジェット旅客機ありき、高速道路と自動車ありき‥‥で考えれば、プロジェクトそのものが大きく様変わりします。「14日の徒歩」で縛られていたプロジェクトの限界を払拭することができ、新幹線などを用いた移動の段取りに1日かけたとしても、残りの13日間を他のリソース(プロジェクトの資源)として活用できるでしょう。

 

「時間と金」が変わる‥‥ということは、人も仕事も、そしてビジネスも変わる‥‥ということです。

 

 

 

「徒歩をやめたら、人間が関わらないものになる」と考える人もいるかも知れません。‥‥しかし、同じ例えで言うなら、飛行機も新幹線も自動車も、それを使ったからと言って、人間は相変わらず関わり続けていますよネ。

 

徒歩も新幹線も、人が移動することには変わりありません。同じく、数千数万枚の動画を描く地道な作業から、コンピュータを活用して動かす作業にシフトしても、相変わらず、人間が絵を描いてアニメーションを作ることに変わりはないのです。

 

私は実際に新しい技術で何度も作業しているので、リアルな感覚で喋れ(書け)ますが、人間はむしろ旧来よりも「関わりまくり」です。より一層ダイレクトに、映像にそのまま自分の「絵作りの挙動」が反映されるので、旧来のアニメ技術よりもデリケートで繊細な要素を人の手で制御しなければなりません。

 

紙を使おうが、コンピュータを使おうが、人間の脳内のイメージを具現化する以上は、人間はイメージ作りの中核なのです。

 

「コンピュータ=人が関わらない」‥‥なんていうイメージ、いつの時代のイメージのままなの? ‥‥という感じです。ミスターゴードンじゃあるまいに。

 

 

 

 

 

旧来のアニメーション技術から新しい技術へと移行することで、表面上は、多くの積み上げた技術を放棄することにもなりましょう。あくまで「表面上」はネ。

 

技術がうわべの段取りだけで成り立っているのではないことは、「技術を真に身につけた人」ならお判りでしょう。「段取りの暗記」ではなく、「技術の核心」を身につければ、いくらでも応用が可能です。

 

A1、セリフはB-(1,2,3かB-(X,1,2のどちらが良いか‥‥なんて瑣末な要素です。未来を考えるのなら、セリフを喋るアニメーション表現をどう処理してどう描くか‥‥の表現技術のほうがよほど重要です。

 

 

2020年代以降の映像技術の中で、「今までのアニメの段取りがないと、喰っていけない」人間になるのは、少々危険かなぁ‥‥‥と思います。「絵と映像を具現化できる」人間ならば、未来のどんな技術スタイルの中でも生きていけるんじゃないでしょうかね。

 

でもまあ、技術スタイルを変えて道具を持ち替えるということは「改宗」レベル・「宗教改革」レベルの物事だとも思いますから、わざわざ「宗教戦争」にこじらせても面倒ですし、各人各グループの思うところで行動して、欲する状況を順次的・累積的に獲得していけば良いのだと思います。

 

 



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