広さと深さと

作業の中、いつもモニタで見ている映像は、実はソフトによって見え方が異なることが多いです。

 

4KHDRでは、PQ〜「パーセプチュアル・クオンタイゼーション」で作業することもあるので、ソフトウェアのガンマやレンジの違いは、場合によっては大事故に繋がることもある、非常に重要な環境設定項目です。

 

macOSで言えば、まずApple御本家のQuickTime Playerは色が明るくなるので昔から有名(?)です。カラーシンクとか色々な絡みがあるのでしょうが、190(8bit-256諧調換算)の明るいグレーを190で素直には出力しません。

 

色彩計で専門スタッフに測定してもらったところ、macOSで素直に数値通り出力しているのは、After Effects、Photoshop、そしてDaVinci Resolveでした。DaVinciはリミットレンジではなくフルレンジにして4KHDR PQに対応しています。

*もちろん、プロファイルの変換はおこないません。RGBそのままの値が出る状態にAfter EffectsもPhotoshopも設定します。

 

 

 

こうした知識。‥‥とても個人では賄いきれるものではありません。

 

制作会社で機材のメンテやセッティングに長けたシステムスタッフ、経験豊富な機材関連代理店の方々、そして専門のラボの方々など、何人もの知恵と知識を結集して、どのように運用すべきかをようやく決めることができます。

 

日頃、リニアの映像しか見ていない人間が、PQににわかに対応できるわけがないのです。変な言い方ですが、自信を持って、初心者を自覚して習得すれば良いです。

 

20〜30年のキャリアがあるからって、何でも映像のことを熟知しているようにイキらなくても良いのです。

 

知らないことを、知っているかのように振る舞うことこそ、哀れで不様です。

 

自分の知っていることで自分の役割を発揮して、知らないことはどんどん覚えていけば良いです。そして、その習得や気付きの過程が新たな人間関係の輪を生み出すことにも繋がります。

 

 

 

iMac 5KとiPad Proで自宅でもアニメを作れます。作っている人間が現役のプロなら、プロ同等の映像が作れることでしょう。

 

とは言え、自宅では限界があります。機材面だけでなく、もっと広範な映像技術全般の知識において、不足しがちです。

 

しかし、一旦、プロ現場の知識を得れば、自宅環境の弱点を知識で補い、適切な操作が可能になります。

 

つまりどういうことか‥‥というと、

 

グローバルとローカルの両方の知識が必要

 

‥‥ということです。

 

プロの仕事でしか得られない広い知識

 

プロの仕事では踏み込めない深い知識

 

この両方が相互に作用しあって、より広く深い知識を得て、活用できるようになります。

 

通常の作画の仕事って、広いけど浅いよね。

 

自分の趣味で没頭する絵って、深いけど狭いよね。

 

広さと深さを自分のそばに携えておけば、色々な応用や活用の場面に恵まれます。

 

 

 

何百万円もするマスモニも、何十万円もする色彩計も、自宅には常備できません。ゆえに、プロの現場で作業して知識と経験を得るのです。

 

一方、自宅でなかば趣味で没頭している絵や造形は、プロの現場の仕事ではほとんどニーズがありません。しかし、ちょっとした場面で、深く没頭して得た知識が、現場で役に立つことがあります。そしてそれが、自分の役割を増やして仕事の幅を広げる契機にもなります。

 

 

 

まあ、自分は単に、映像関係の会社で働くサラリーマンで会社の方針に従うまでの事よ‥‥と思っているのなら、年功序列で生きていく人生もありでしょう。

 

しかし、残念ながらアニメ業界はサラリーマンとして生きて、老後も悠々自適なんて人間は、限られていましょう。特にアニメーターはまだまだサラリーマンには縁遠いです。

 

撮影スタッフだって、自分が50歳、60歳になった時のことを、リアルに想像できるでしょうか。同期はみんな撮影監督で、フロア中が撮影監督で満たされている‥‥とか、監督職のデフレです。

 

やっぱり、自分の未来は、ある程度は自分で計画して準備しておかないと、とんでもない転落が待っているように思います。

 

制作会社の仕切るアニメ作品制作では「広さ」を獲得し、日々の自分の取り組みでは「深さ」を獲得する。そして、一定の年齢に達したあたりから、その広さと深さを自分の「事業」(必ずしも会社を興すという意味ではなく、自分の生涯を支える取り組み全般です)へと展開するのが、老後貧困に陥らないクリエイターの道だと、私は考えています。

 

自分には、得意な広さがあるはずです。そして、自分に得意な深さもあるはずです。それを40代以降はちゃんと見極めて、自分の特性を活かせるように展開していくことが必要でしょう。向いてない物事にいくら金を注ぎ込んでも成就しません。あくまで、今まで生きてきてモノになった成功事例のバリエーションを増やして、新たな自分のプロジェクトとして再構成するのです。

 

 

 

仕事では広さを。

 

プライベートでは深さを。

 

明確に意識して獲得していきましょう。

 

 

 


平坦化と標準化の違い

平坦化と標準化を混同するのは、実は大きな過ちでその後に深い傷を残す直接原因になります。アニメ業界を見渡せば、標準化をせずに平坦化を推し進めた様々な害悪で溢れています。

 

最低限の取り決めを規定して円滑に制作運用できることと、皆で同じ技量に収まって作業価値を均一にすることは、まったく違います。

 

作業価値を均質化して、どの作業者でもどんな会社でも同じような品質にフラット化したら、始まるのは安売り合戦です。

 

標準化は、作業のベース(用語や指示方法など)や受け渡しの方法を規定すること。

 

平坦化は、作業の品質を均質化して、どんな作業者や会社も同じ価値で並ぶこと。

 

全然違う意味です。

 

注意しましょう。

 

 

 

標準化は規格化とほぼ同じ内容です。ちょうど、HD24pが1980x1080で24fps(23.976fps)で規格されているように。

 

様々な方式でブロードキャストする映像を、制作者が自由にピクセル寸法や縦横比やフレームレートを決めたら、視聴する側は少なからず混乱します。2257ピクセル四方で43fpsだ!SDRでもHDRでもない「マイダイナミックレンジ」だ!‥‥なんて言われても、再生できる環境にバラつきも生じましょう。

 

道交法があればこそ、様々な車が道路を走行できるのと同じです。

 

基本的な映像のフォーマットを標準化団体があれこれ協議して決めて、そのフォーマットの上で自由に作品を作る‥‥という仕組みは、映像制作関係者なら承知していましょう。

 

アニメ作品を作る際に、「アニメとはこれこれこういう内容であるべきで、キャラのデザインはこんな感じにまとめて、云々」と、どれも似たような内容に平坦化する必要はないです。みんなで同じ技術を共有する必要はなく、最低限の決めごとさえ踏襲していれば、技術の広がりや発展は個々の作業グループの「売り要素」にすれば良いのです。

 

道交法を決めたからって、どんなメーカーでも同じ性能の車を作るべし!‥‥とはならないですよネ。

 

 

 

標準化は、それこそ標準化団体を結成してでも、アニメ業界には必要かと思います。用語1つとっても、さじ加減な業界なので。

 

平坦化・平均化・均質化を望むのは、他の業種を見ていても、やめた方が良いです。技術のデコボコがあるからこそ、価値も生まれます。競争とはすなわち代謝。‥‥代謝を失ったカラダは死にゆくのみです。

 

技術の底上げ‥‥なんて、自分たちの作業集団で取り組めば良いのです。他社・他者に望むことではありません。淘汰があって、結果的に水準を保てば、それで十分です。皆が淘汰を生き抜こうとする行動が、すなわち、技術の老朽化を防いで新陳代謝を促し、技術の底上げにも繋がるのですから。

 

 

 

付けPANとFollowPANは違う意味だ。いや、同じ意味だ。大判作画と100F作画で用語が違う。いや、用語にはさほど意味はなく、どの方法を使うかは別の問題だ。

 

こんな議論を何十年も前から延々と続けているようなアニメ業界に必要なのは、Standardization。標準化です。

 

最低限の標準化もせずに、よくまあ、何十年もアニメを作り続けられたのは、逆に畏敬の念すら感じますが、それは笑い話でもあります。日本人のさじ加減コントロール能力の凄さを色んな意味で感じます。

 

今度の転換期に必要なのは、平坦化や平均化ではありません。

 

最低限の標準化さえ確立できれば、その上で、新時代の自由競争も可能になりましょう。

 

 


カットアウト

カットアウトを自分でもやってみよう!‥‥と思う時、当然の事ながら、カットアウトの初心者状態なわけで、初心者なればこそ、謙虚に物事にあたることが肝要です。

 

どんなに業界歴が長くても、カットアウトに関しては初心者丸出しであることを、しっかりと自覚して、作画歴が長かろうが傲慢にならずに、1つ1つをゼロから習得する意識が必要です。そしてそれがカットアウトを自分の技術にできる最初の一歩でもあります。

 

何かと従来作画技術と比較して、自分の初心者ぶりを誤魔化すのは、みっともなく哀れなことです。「めんどくさい」とか早々に言い出す人は、結局モノにはできないでしょう。それはカットアウトに限らず、何に対しても同じ。

 

逆に、今までの経験や知識を一旦ゼロにして、何から何まで初心状態から覚え始めようとする人は、それだけで凄みがありますよネ。

 

 

 

実際、カットアウトの初歩の初歩は、パーツの分割から始まりますが、慣れてくると、絵を書く段階から「カットアウト脳」が働いて、これはどのように分割してどんなリグを仕込むかを、絵を描きながら想像して計画できるようになります。

 

もっと言えば、コンテを見た段階でカットアウト脳が動き出して、それこそドローソフトのレイヤー分割やAfter Effectsでのキーフレームまで思い浮かぶようにもなります。

 

でも、それはごく普通な技術体得の流れです。

 

従来の原画作業でも、コンテを見て作打ちしている段階から、タイムシートのタイミングまで思い浮かぶでしょう?

 

カットアウトも同じで、演出のオーダーをどのように具現化するかは、絵を描く前、ソフトウェアを使う前から頭に浮かんで、あとは実際に描いたり操作したりするだけです。

 

 

 

作画歴がどんなに長かろうと、カットアウトでは初心者。

 

初めて原画を描いた時のことを思い出してみてください。すらすらと何の迷いもなく描けたでしょうか?

 

カットアウトも同じこと。初めてのカットアウトで、すらすらと操作が進むわけがないです。

 

作画歴が長いと、プライドが邪魔して、初心に戻れないこともありましょう。でもそれは確実なる災い。初めてのことを学ぶ時に、過去のプライドなど害悪にしかなりません。一時的に外してしまいましょう。

 

 

 

カットアウトの初心の頃は不要なプライドに姿を変えてしまい障害になりがちだった従来作画の作業歴も、カットアウトの基本をマスターする頃には、従来作画の「動きの知識」が至るところで有効に応用できるようになります。

 

思うに作画歴の真骨頂とは、作画作業の慣習や様式ではなく、「動きに対する広範な知識」です。

 

「中3枚」という指定フレーズではなく、「中3枚だとどのように動いてみえるか」という動きそのものの知識こそが、経験者のアドバンテージなのです。

 

原画作業を消化する定型のスタイルではなく、自分の思った通りの動きにするにはどんな絵を描けば良いのかを知っていることです。

 

原画作業の流儀ではなく、絵を動かす知識こそが、作画歴を他の映像技術に応用する最大の武器です。

 

 

 

作画歴をカットアウトに活かせて、自分の技術の1つに加えることができる人は、技術の根本を知る人でしょう。作業のうわべではなく、作業を支える中核をしっかり認識して制御できている人。

 

一方、原画はだいたいこんな感じの絵を2枚描いて、中3枚か中5枚にしておけば、テキトーに動いて見えるよ‥‥なんて、絵を描きながら絵と動きを見ずに定型の段取りだけで原画を描いている人は、カットアウトでもチープなものしか作れません。

 

カットアウトは、当人の動きの能力がそのまま開けっ広げに出てしまいますので、作画の動きに対する意識の差も、カットアウトでそのまま表面に表れるのです。

 

実はアニメの撮影〜コンポジットも同じで、コンポジターの映像表現力がそのまま映像に表れる性質があります。同じく、カットアウトも動かす能力がそのまま映像に表れます。

 

 

 

カットアウトは一部には真逆の認識、大いなる誤解があって、「自分は作画ができないけど、カットアウトなら絵を動かせるかも」と考える向きもあるようですが、それは甚だしい誤認です。

 

絵を動かすには、絵を動かす能力や知識が必要なのは、誰でもわかることです。

 

髪の毛を別パーツにして左右に動かしても、髪の毛が動いているようには見えません。あたかも髪の毛が風に吹かれたり体の動きに振られているように動かすから、動いて見えるのです。キーフレームを漠然と操作しただけでは、絵は動いて見えません。

 

ソフト一発!‥‥で、高い技術力が手に入るわけ、ないじゃん。

 

カットアウトは、動きの能力を数々の試練を経て体得した人間が、さらに自分の能力を大幅に拡張するために用いるものです。

 

0x10は0ですが、10x10は100になります。‥‥カットアウトとはそういう技術です。

 

 

 

自分は5や8や10の技術を持っている!‥‥と確信できる人は、カットアウトにチャンレジしても良いと思いますヨ。

 

うまくカットアウトに技術形態に馴染んで活用するコツをつかめば、従来技術とかけあわせて、能力を確実に拡張できます。

 

それに‥‥です。

 

日本の、しかも、高度な動きの技術をマスターしたアニメーターが、欧米とは違うスタイルでカットアウトを駆使できるようになったら、どこまでアニメの表現が拡大するか、想像するだに恐ろしい(良い意味で)です。

 

欧米のカットアウトは格段に日本より発達していますが、絵作りや動きの感覚は欧米の予定調和の中に収まっています。

 

日本人は、欧米の予定調和は体感で知り得ないですから、当然、予定調和の枠をどんどんブチ破るでしょう。それこそ、日本の最大のアドバンテージ。

 

つまり、日本のアニメーターがカットアウトをマスターしても、欧米とは違うアニメを作りたがるし、実際に作っていくでしょう。

 

日本人が欧米人の真似ができないように、彼らも私らの真似はできないのです。ゆえに多様な作品価値が生まれて、ディズニーも愛されれば、ジブリも愛されるフィールドが形成されます。日本のアニメはジブリ作品だけではないから、なおさら多様化しましょう。

 

従来のスキームにこじんまり収まっていては、一歩も進めません。

 

アニメの知識をマスターして従来のフィールドを発展させたのち、さらにカットアウトで新たなフィールドを獲得しましょう。

 

 

 

さて‥‥こうして書いていることが、10年20年後には、どのように当たって、どのように外れていることか。

 

ペンタブ作画、ペーパーレス制作方式など、もろもろ含めて、転換に失敗し日本のアニメの衰退を見るのか、それとも、生まれ変わった現場の生き証人として著しい発展を体験するのか、アニメ制作者全員のまさに行動の結果が、10年後には見えていることでしょう。

 

 


Photoshopのスクリプト

以前も書きましたが、様々なドローソフトで作画を行うと、同様に様々な独自ファイル形式が入り乱れるので、標準中間ファイルが必要となります。そのファイル形式こそ、何かと融通の効くPhotoshop形式です。

 

 

 

単にレイヤーとフォルダの入れ物としても重宝する、デファクトスタンダード画像形式です。

 

で、このPSD形式は、Photoshopのスクリプト機能で、これまた相当融通の効く自動処理が可能です。

 

プロクリでもクリスタでも、自分の好きなドローソフトでレイアウトや原画を描いて、PSD形式で出力すれば、macOSやWindowsのPhotoshopに持ち込んで、規定に沿った出力をほぼ全自動で自動化できます。

 

もちろん、作画規定そのものが自動化にあまりにも不向きな場合は苦労しますが、その際は要望を出して規定をバージョンアップして貰うのが良いです。使う側が、標準化団体(=制作会社の中の人たち)へフィードバックしてこそタフな規定へと進化するものです。

 

幸い、私の関わる作品は、自動化に対応できる規定内容なので、以前作ったスクリプトを少し変更するだけで、対応できました。

 

 

 

Photoshopの自動化。

 

レイヤー階層をちゃんと規定しておかないと自動化は困難ですが、ちゃんと約束事を決めてレイヤーやレイヤーセットを整理すれば、JPEGなどの出力は全自動で可能です。

 

じゃあ、どうやってスクリプトを作るのか。

 

まずは任意のファイル形式で書き出せないと、出力はできないですよネ。

 

ファイルを新たに書き出すのは、実はPhotoshopもAfter Effectsも段取りが似ています。

 

セーブオプションというオブジェクトをスクリプトの中で新規作成し、セーブオプションの内容を設定、ファイルの書き出しをセーブオプションと共に実行します。

 

例えば、JPEGを書き出す自作のファンクションの例は以下。

 

function saveAsJPEG(_doc,_path){

var _opt=new JPEGSaveOptions;

_opt.embedColorProfile=false;

_opt.quality=11;

_doc.saveAs(new File(_path+".jpg"),_opt,true,Extension.LOWERCASE);

}

 

 

JavaScriptの良いところは、プログラム初心者でも、文を読んでみれば、なんとなくやっていることが判る点です。

 

  • 新しいJPEGのセーブオプションを生成
  • セーブオプションのプロファイル埋め込みを偽(OFF)にする
  • セーブオプションの画質を11にする
  • ドキュメントを(パス&ファイル名.jpgとして新規ファイルを作り、セーブオプションの内容で、複製として、拡張子小文字で)保存する

 

‥‥という段取りです。まさに文の示す通りです。

 

「複製として」という部分は、trueだけで表現されていますが、「photoshop-cc-javascript-ref-2019.pdf」というアドビ配布の参考書を読めば、どのように書けば良いかが説明されているので、ナゾの呪文では全くないです。

*その手の参考書〜リファレンス文書は、平易な英文で書かれていますので、中高の英語読解力で普通に読むことができます。詩的な表現や言い回しなどないので、ご安心を。

 

JPEGにはプログレッシブとかベースライン、マット、スキャンなど、上記以外のオプションが存在しますが、何も設定しなければ、デフォルトの値が適用されます。画質はデフォルトで3の設定であまりにも画質が悪いので、最高画質の12より1つ下の11に設定しました。最高にしたければ12に書き換えるだけです。

 

 

 

レイヤーごとに書き出すのは、表示状態を切り替えながら、JPEGで保存するだけの段取り‥‥ですが、これがまたシンプルな動作ながら、工夫と知恵が必要な部分でもあります。

 

常時表示するレイヤー、書き出したくないレイヤー、止めセル、連番セル、BOOK、BG、スライド指示‥‥と、色々レイヤーが存在しますから、PSDファイルの整頓術も問われます。

 

他人に簡単に口頭で伝えられる整理内容なら、自動処理も可能です。逆に、あまりにも条件分岐が複雑な整理が必要で、簡単には覚えられない内容はNGです。

 

難解な構造を他人に理解してもらうよりも、レイヤー構造そのものを洗練させる必要があります。

 

自動処理では、for構文を使ってレイヤーを総当たりして書き出していきます。その際にフォルダを何階層まで潜るかを決めて、無闇に再帰検索しない仕組みを作っておきます。

 

 

 

PhotoshopのPSDファイルを標準中間ファイルにすれば、少なくともレイアウトと原画の作業は、様々なドローソフトで作業可能です。

 

1つのソフト、1つのバージョン、1つのOSに束縛されずに済みます。

 

1つの何かに限定したいのなら、専用環境の専用スタッフを育成するしかないですもんネ。環境を限定し過ぎない汎用性はどうしても必要でしょう。

 

なまじ、クリスタのタイムシートでカメラワークを使っても、After Effectsには継承できないので、あまり意味のある作業とは言えません。クリスタで処理したカメラワークに演出OKしても、そのカメラワークのキーフレームはコンポジットのソフトウェアには継承できないので、「雰囲気」だけの作業になってしまいます。

 

通常のXY軸だけでなく、XYZ軸やティルト(傾き)を使ったカメラワークは、PSDファイルを経由して、After Effectsで実践可能で、そのまま本番のコンポジットにも流用できます。Z軸の位置操作による画角のコントロールも、PSDファイルでAfter Effectsに持ち込めば可能です。

 

クリスタではできない自動処理も、PSDファイルを経由すれば、Photoshopの自動処理で可能になります。

 

 

 

 

私が恐れているのは、1つのソフトウェアに作画ソフトを限定すること。‥‥それは、可能性の死を意味します。

 

すぐ先の未来の映像フォーマットには、今までのアニメの作り方では対応できないことが判明しています。そんな転換期において、可能性を殺してしまうのは、自死に等しいです。

 

1.5Kではうまくいった方法も、4Kでは通用しません。ゆえに、様々な可能性を大事にしておくのです。

 

2010年代は大量のアニメを「デジタル」で作った時代でしたが、それはRetas方式1色に染めて可能性を否定したがゆえの濫作状態だったとも言えます。新たな会社がどんどん生まれてチャンスの時代だったと考える人もいますが、そのチャンスとやらは、安く大量のアニメを作るために作画料金のデフレ(お金の価値が上がって作業の価値が下がる)を招き、作監ですらカット単価でカウントされ安く取引される状況を生み出しました。

 

‥‥それは本当にチャンスだったのか。そして大量に作られたアニメは今どれほど記憶に残っているのか。大量に作って業界の状況が大きく改善したのならまだ義はありますが、その真逆でしょう? 大量に作って大量に捨てた時代が、2010年代だった‥‥とも言えます。

 

供給過多によって廃棄したのは、作品だけでなく、作品表現の多様性も、未来の可能性も、人材育成の機運も、技術進化の潮流も、様々に廃棄したのです。

 

まだペンタブ作画の可能性の全体像も見えてない今の時期から、ソフトウェアを1つに絞ってシステムを組むことの愚を、2010年代の大量生産大量廃棄の状況から学びましょう。

 

金のチカラが強くなり、技術や技能の価値が弱くなる。ゆえに買い叩かれる。‥‥という構造は、自分たちが1つの制作技術に早々に決めきって制限してしまい、作業内容をフラット化して作業価値を自ら下げた行動も深く影響していることを、改めて認識しましょう。

 

 

 

PSDファイルを標準中間ファイルにして、Photoshopのスクリプト自動処理でニーズに対応する‥‥というのは、実は自動処理の中に、様々なソフトウェアでの制作技術方法論の可能性を担保しているのと同義です。

 

手作業でしか処理できない人間は、中間ファイルなどなしにダイレクトに‥‥と考えがちですが、それがまさに可能性を徐々に殺して、自分たちの作業価値を安売りするきっかけでもあるのです。

 

いくつかの制作技術が確立されて、作品価値の多様性を見出すまでは、多少の手間が生じようと自動処理で相殺して、未来の可能性を殺さないように心がけたい‥‥‥ものですネ。

 

 


Rec.709止まりから抜けよう

昔のアニメ作品〜フィルム時代の作品のリマスターの話題で、よく見かけるのは「本来はこんな色ではなかった」‥‥という論調です。

 

本来の色‥‥ってなんだろうと、思うのです。

 

まず、基本的な知識として、テレビやパソコンのモニタで見ている色は、フィルムの色域より狭いRec.709・sRGBです。特に緑やシアンはフィルム本来の彩度を大きく損なっています。

 

フィルムのオリジナル状態よりも狭い色域をもって、本来の色‥‥とすべきか否か。

 

多くの人はRec.709の狭く切り取られた色域の映像を「オリジナル」と思い込んでいますが、果たしてそれで良いのか。

 

まあ、テレビアニメなら16ミリフィルムでテレビ放送オンリーだったことを考えれば、Rec.709をマスターにすれば良いかな‥‥とは思います。16ミリフィルム特有のレンジの狭い色域と粗めのグレイン、フィルム面積の物理的小ささによる低い解像感は、そもそもテレビの狭い色域で放送することが最終形でしたし、BDやネット配信を見越して作っていたわけではありません。最新のHDRフィルムスキャンでリマスターしても、フィルムのポテンシャルを引き出す事自体が的を外している結果にもなりかねません。

 

一方、フィルム時代の劇場アニメ作品の場合は、DCI-P3やBT.2100(Rec.2020)の色域の広さに合わせて、Rec.709のテレビでは不可能だった、フィルム上映のポテンシャルを盛り込んでも良いと思います。

 

 

 

アニメ制作現場は、色彩に関する知識がRec.709で固着して停滞しているのを感じます。

 

でもそれは、仕方がないと言えば、仕方ないのです。毎日見ているモニタがRec.709・sRGB仕様であれば、知識と経験を広げようもないですし、今でも制作現場では多くの作品がRec.709・sRGBを基準として制作されています。

 

正直、私も、HDRの色域で最初から作品制作をするまでは、Rec.709でしか想像できませんでした。

 

HDRの1000nitsターゲットの仕事をして、痛感したのは、アニメの絵は「クリップありきで考えられている」ことです。

 

クリップとは、レベルオーバーしてポスタライズされることで、実は原画を描くときから「クリップ」した絵を想像してたりします。透過光の表現は、その最たるものです。透過光マスクを輪郭で描くこと自体がクリップの結果値です。

 

アニメの表現の多くが、レンジの狭い100nitsありきで成り立っていることを、1000nitsターゲットのカラーグレーディングで思い知りました。500nits、1000nits、2000nits時代にどのようにアニメの絵を作っていくか、正直、頭を抱え込んでしまいました。

 

窓外が透過光で白く光っている‥‥というアニメの表現は、その白い透過光を1000nitsにすべきか否か。

 

ホワイトアウト〜画面が白くフェードアウトするトランジションで、その白を10000nitsにするか否か。

 

「アニメ映像表現の定番」として定着していた手法は、100nitsのリミッターが効いていたからこそ、アクセル全開にできたのです。1000nitsでアクセル全開しようものなら、暴走も甚だしいです。

 

 

 

アニメはキャラの影付け自体がポスタライゼーションですし、透過光の素材を原動仕でベタ塗りで作ること自体がクリップありきの表現です。

 

後付けではなく、最初からHDRの仕事をすると、絵作りの思想自体が、テレビの都合=Rec.709に閉じ込められていたことを、ハッキリと認識できるようになります。色彩設計自体がデフォルトでRec.709の呪縛に囚われていたことがわかります。

 

*Rec.709はこんなにも狭い色域です。G=緑の狭さにつられて、シアン(水色)までかなり削られています。例えば、「黒字に緑色のコマンドラインが走る」‥‥という映像は、相当ショボい彩度に削られます。しかし、その色域のショボさを、毎日sRGBのモニタばかり見ていると自覚しにくいのです。

*おそらく、帯域の制限の中で、人の肌を違和感なく放映できるように配慮されていた‥‥んじゃないですかね。

 

 

 

フィルム時代の作品の場合、どういう状態を「オリジナルの状態」と呼べば良いのか‥‥は、Rec.709の観点だけでなく、DCI-P3やBT.2020も視野に入れて、考慮すべきでしょう。Rec.709準拠のテレビの知識しか持たないのなら、旧時代の偏った見識に依存することになります。

 

オリジナルの状態‥‥と言うけれど、テレビで見ていたのは、必ずしもオリジナルの状態を再生していたわけではないので、

 

フィルムに記録された状態をオリジナルとするか

 

当時のテレビ放送時の状態・状況をオリジナルとするか

 

‥‥くらいの、スタート地点の定義をした上で語り始めないと「水掛け論」になりやすいです。

 

テレビ放送オンリーのフィルム作品か、劇場公開のフィルム作品か‥‥によって、定義も変わってくると思います。

 

 

Rec.709だけが色域の基準だった旧時代の知識だけでなく、新時代の知識も獲得して、2020年、2030年、2040年‥‥と歩み続ける映像産業を見据えたいものです。

 

ブラウン管テレビでVHSソフトや録画を再生して映像を見ていた時代を、いつまでも自分の中の基準にしてはいけない‥‥と思います。

 

Rec.709止まりから抜ける意識を、そろそろ準備して良い頃です。

 

今は、90年代でも、10年代でもなく、20年代なのですから。

 

 


自宅作業

映像制作の環境において、中途半端な性能は銭失いの典型です。もし、非常事態宣言によって、自宅作業を余儀なくされる場合、適当なショップカスタムの安PCを買ったところで、映像制作には役に立ちません。ワードやエクセルで文字や数字を打つ仕事じゃないのは、解りますよね。

 

まあ、マシンは15万円くらいのできるだけ安いのに抑えても、液タブにはそれなりにお金がかかりますよね。場所もかなり占有しますし。

 

 

 

制作会社は、安易に機材なんて貸し出せません。なぜなら、サブスクリプションやライセンスの関係があるからです。

 

IDに紐づけられたライセンスやサブスクリプションは、簡単に他者に貸与できません。ライセンス違反になることすらあります。

 

マシン一式やiPad Proをどこか1社が貸し出したとして、作業者がかけもちで仕事をした場合、かけもった仕事が全部終わるまで機材の回収を待ってくれる‥‥なんていうのもあり得ませんしネ。

 

20年以上、仕事でMac/Winを使っていますが、貸し出されたマシンで仕事をして、終わったら返却する‥‥なんて、絶対にやりたくないですもん。すんごい面倒。1つの作品作業のために、環境設置、初期設定、運用、データの消去、撤収‥‥なんて、考えただけでもウンザリするわ。コンピュータ一式の環境作りって、大変なんですよ。

 

今まで紙で描いてきたフリーアニメーターは制作会社が機材を貸し出してくれないと作業ができない‥‥なんて言う人もいますが、設置と撤収の手間、回線速度、ライセンス運用の手間、仕事のかけもちの管理‥‥のことまで考えている発言とは思えません。異様に遅いネット回線の場合、アニメ制作会社が個人宅のネット工事の面倒と費用を全負担するはずは‥‥ないですよね。

 

筆記具を貸し借りするのとはわけが違うのです。

 

 

 

個人規模で、自宅でも作業できるように環境を新調して、その環境を活用して「自分の数年先まで潤す基盤」とするには、覚悟を決めた自己投資が必要です。

 

ざっと表計算で計算してみましょう。

 

 

iMacで見積もったので、モニタはなくてOK。別体型(のほうが多いですが)の場合は、モニタの値段も加算されます。また、クラウドサービスやソフトウェアのサブスクリプションは毎月の請求なので試算に入っていません。HDDは、ベアドライブとUSBケースを別で買って、自分で組み立てます。

 

iMac(上記価格はi9 8コアにグレードアップした価格)はカメラもマイクもついているので、ネット会議は何も買わずに準備OKです。20万くらいのi9 8コアのデスクトップPCを買った場合、カメラとマイクは別途買い足しです。

*iMacのメモリ容量は、8GBの出荷時に加えて、32GB(16GBモジュールを2個)を自分で追加するので、40GBメインメモリとなります。とりあえずは40GBあれば大丈夫です。

 

まあ、やっぱり基本50〜60万円くらいです。Windowsの場合は、多少は減額できるでしょうが、40〜50万円くらいにはなりましょう。

 

10万円のPCとかあるじゃん。

 

‥‥と言いたいのはわかるんですが、事務ではなく映像制作をする用途で、絵をストレスなく描いて、さらには画像編集・映像編集もストレスなくおこなうのなら、このくらいの出費にはなります。

 

 

 

うわー、やっぱり無理。

 

と思う人が多いでしょう。

 

では何が「無理」と思わせるのでしょうか。

 

今までと同じ仕事を継続するのに、60万円なんて出費は無理。

 

‥‥ということだと思います。

 

同じ仕事「だけ」をするために、映像制作環境一式を揃えるなんて‥‥‥無駄が多いと私も思います。

 

 

 

今までのやりかたで走り切りたい人まで、60万の自己投資をする必要はないと思います。

 

しかし、2030年代、2040年代が控える人たちは、アニメ制作現場に共依存しちゃダメです。他の画業や映像制作業も兼任して、総合的な収益を増大することを計画すべきです。

 

そのための自分の自宅環境です。

 

アニメ制作現場に全てを捧げるための自宅環境じゃないです。

 

制作現場にも力を貸すけれど、自分の未来のための自宅環境です。

 

 

 

でもまあ‥‥これと同じようなことは、定期的に何年も前からこのブログで書いている気がします。

 

ぶっちゃけ、何もかも、結局は当人の運命‥‥としか言いようがないですよね。「気づくこと」も含めて、運命なんですよね。

 

 

 

私はiMac 5Kが登場した2014年に4年のローンを組んで、2018年に払い切りました。分割手数料はなかなかのもんでした。

 

自分の未来に絶対に必要だと思いましたので、ローンを組んででも手に入れました。‥‥で、実際、ものすごく役に立ちました。iPad ProとiMac 5Kは私の人生の方向性を変えたと言っても言い過ぎではないです。

 

一方で、買わなくていいものも買いました。トランプを一時期買い集めたのは、ココロのスキマ塞ぎだったなあ‥‥と思います。チプカシもあんなに買う必要は無かった‥‥。

 

いつも的確な判断ができるなんて申しません。

 

揺れ動く感情の中で、現実逃避に走った買い物をしたことはありましたが、一方では、これは確実に役に立った、これが無かったら自分の未来はどうなったことか‥‥と思うものは確実にありました。

 

 

 

コロナが落ち着くまで休業すっか‥‥という人はそれで良いでしょう。

 

コロナが去ったら、また昔のように働くぞ!‥‥という人もいるでしょう。

 

コロナで散々揺さぶられたけど、いろいろと気づくことがあって、いろいろと自分の可能性を試したのが、なんだか先に繋がってる‥‥という人も現れるんじゃないでしょうか。

 

 

 

自分の人生の運命を、氷河期やコロナウィルスやアニメ業界のせいばかりにして生きることがなければ、それだけでも良いと思います。

 

「何か」のせいで自分はこんな酷い目に‥‥なんて思い続けてたら、その人はずっとその「何か」を心底で恨み続けて、結局「何も」獲得できないかも知れません。

 

コロナをただのマイナスにしかできないのなら、人間の負け‥‥です。

 

コロナと戦うのなら、色んな意味で、勝ちましょう。

 

 

 


撒く。転がす。否。

令和になって、まるで昭和平成と続く流れを変えるような出来事がいくつも続きますね。

 

芸人ファースト‥‥というのも、今一度、原点に立ち返ることを思い起こさせる言葉です。

 

アニメでいうならば、クリエイティブファースト。

 

アニメの制作会社は、昭和平成とアニメを作り続けたがゆえに、自分の会社がアニメを作って成立していることを忘れかけているようにも感じます。

 

作業は「撒く」ものでしょうかね?

 

作品は「転がす」ものでしょうかね?

 

私もついつい「撒き先」などと口走ってしまいますが、「発注先」や「依頼先」であって決して「バラ撒く」イメージのものではないはず‥‥だと言うのは、「いい歳して甘っちょろい事、言ってやがる。現実を直視しろ」と言われるのでしょうかね。でも、その現実を変えてこなかったからこそ、窮状の変わらぬ「過去から今」があるのではないですかね。

 

作品は「運用」する、つまり手で持って「運ぶ」のだと思っています。決して、「転がす」ものではないと思います。転がすんなら、蹴っても転りますよネ。

 

しかし、「運ぶ」のであれば、よほど悪いヤツでも無い限り、蹴ることはないでしょう。

 

いまどきの現場にはどこか、アニメ制作慣れし過ぎて、アニメを作っているのにアニメをクリエイトしていないような雰囲気を感じます。「クリエティブ不在」「クリエイティブスレーブ(Slave)」で、アニメ作りがMaster(主)でない状況。

 

バラ撒いて蹴って転がして作った作品に、人の心を動かすパッションは宿るのでしょうか。

 

 

 

「パッションとか、青くせえこと、言ってんじゃねえよ。商売なんだよ。」とか嘯く人もおりましょう。

 

たしかに、パッションを必要としなくても、段取り作業を組み合わせれば、アニメの商業映像コンテンツは完成するでしょう。

 

そもそも‥‥、ぶっちゃけ、アニメなんて見なくても生命維持活動には支障ないですし、楽しみが欲しければ他の娯楽に移行すれば良いだけです。消化試合で作った作品など金を貰っても見る気がしません。時間の無駄だから。

 

でも、その「なんて」を、本気になって一生懸命作るのが、アニメを生業として選択した人間です。

 

制作者たる我々は、未来もアニメを作りたいんでしょ? 多くの人にアニメを見てほしいんでしょ?

 

だったら、アニメを転がすんじゃなくて、作りましょうよ。商業として、作りましょうよ。

 

 

 

お笑い芸人さんと興行会社のやりとりを見ていると、何か、すごい既視感を感じます。

 

アニメ制作現場にも似たようなことが昔からあって、最近はそのクリエイティブとプロデュースの溝がどんどん深まっているようにも感じます。昭和、平成‥‥と「ツケがたまりきった」感じで。

 

 

 

私も長年の業界生活で、つい習慣で「撒く」とか言っちゃいます。「撒く」という言葉は現場では一般化し過ぎているので、何も、言葉尻を捕まえて排除し、「言葉狩り」をしようというのではありません。

 

ただ、4KHDRの新しい技術を扱ううちに、やっぱり人こそがクリエイティブの中心だと再認識しました。慣れや惰性では作れない新しい取り組みだからこそ、「人間という存在のリアル」を感じます。創作・制作における全ての物事は人が関与するがゆえに成立していることを、4KHDRは技術が新しく未知な部分が多いがゆえに、改めて心に刻み込みました。

 

いや、ホントに、令和は激動の時代かも知れません。

 

昭和で育って、平成で実がなって、令和で枯れ腐って落ちて、やがて新しい春が来て、地面から新芽が出る‥‥のかも知れませんネ。

 

 

 

 


夢のシート確認

アニメ業界の制作現場は、言うなれば、デスクワークの修羅場なので、実写現場のような「ハイ!ここからここまで!」(=撮影地や撮影スタジオの時間制限でネ)というキッパリとした区切りが「見た目」上はあまりなく、ズルズル、ズルズル、ズルズルと24時間絶え間なく進行していきます。

 

もちろん、ケツ(考えてみれば、老若男女「ケツ」「ケツ」言う現場ですネ、アニメ業界は。)は決まっているので、キッパリと区切りはあるのですが、立ってしゃがんで走って登って‥‥という実写現場の「体を動かす系」ではないので、徐々に電流が大きくなっていく責め苦の電気イスのごとくです。

 

アニメの撮影(=要はコンポジットですが)を引き受けると、そりゃあもう、最後のあたりは大変です。「ケツのケツ」(プロダクションのケツ〜ポスプロ前)ですからね。仕上げさんも相当地獄だと察しますが、撮影はさらにその後なので、「間に合っていないことは絶対に許されない」というプレッシャーの中、不眠不休の作業を余儀なくされます。

 

私は数年前に短編の撮影監督を最後に、以後、撮影監督は引き受けていません。‥‥体力的に限界ス。

 

そんな、最後の撮影監督の時に、今だから笑って話せるようなことも体験しました。

 

 

 

まず、夢のシート確認。

 

シートを確認するのが、人生の夢だった‥‥という話ではございません。

 

パクズレのリテークで、再撮するカットのシートを進行さんから「修正箇所は赤で書き込んであります」と言われてカット袋を受け取りました。「どれどれ」とカット袋の中からシートを取り出して、2つ折りのシートを開いて確認するのですが、何だか文字がボヤけて読めません。

 

「?」‥‥と思いながら、何度も何度もシートを読もうとするのですが、緑色のシートの中身がボヤ〜っとして一向に読めないのです。

 

ふと、目が開いて、目が覚めました。

 

‥‥どうやらカット袋を抱いたままイスで寝落ちして、夢の中でシートを読もうとしていたようです。

 

進行さんから、「はい」とカット袋を受け取って、膝の上に乗せてボンヤリしているうちに、眠ったようです。‥‥他人事みたいな言い方ですが、そうみたいです。

 

「そりゃあ、夢の中じゃ、シートは確認できんわ。」

 

‥‥と思いました。

 

 

 

そして、滑らかブラー1時間。

 

アニメによくある超能力的な表現で、色んなAfter Effectsのエフェクトを組み合わせて処理するカットがありました。放射ブラーとか、セルをブラシっぽく見せる何段階かの滑らかブラーとか。

 

何重にも及ぶエフェクト効果で、手間も手数もたくさん、疲労もいっぱいで、意識が朦朧としながら、最後にたまりがちな大変なカット(原動仕的にも大変なカットは後ろに詰まる)を作業していました。

 

深夜に及ぶ作業を繰り返す中、夜の9時ごろに、エフェクトのブラーメニューから「滑らかブラー」を選択して、レイヤーに適用しました。

 

操作の通り、滑らかブラーの効果がレイヤーに追加されました。

 

ふとメニューバーの時計を見たら、夜の10時。

 

どうやら、滑らかブラーを選択して適用するのに、1時間かかったようです。

 

ふと、瞬きをした時に、寝落ちしたのでしょうネ。たぶん、おそらく。

 

猛烈に眠い時は、目を閉じたら最後だよネ。その姿勢のまま、10分は眠れる。なので、1時間もありえる。

 

 

 

この2件の珍事件(?)をもって、「私はもう、アニメの撮影監督は無理だ」と悟りました。

 

技術云々、表現云々ではなく、もう体力が、従来のアニメ現場向きではない‥‥と痛感したのです。撮影に限らず、作画においても、20代、30代の自分ではないことを痛感したのです。

 

技術の積み重ねも、経験の蓄積も、役に立ちません。従来のアニメ撮影の修羅場に必要なのは24時間戦える人間と人海戦術。ピークに合わせて人をたくさん雇って待機させる、コストのかかる構造をどう「やりくり」するかです。

 

今、20代の人は、自分が40〜50代になって、同じ仕事をしている自分を想像できますか?

 

作画も、撮影も、同じ作業ペースで50代もずっと生きていけると当人が思うのなら、アニメ業界には珍しい、恵まれた環境でしょうが、そういう現場はどれだけ存在するでしょうか。ぶっちゃけ、「このままの働きかたで50代まで続けたら、老後前に死ぬだろうな」と思う人は多いんじゃないでしょうか。

 

読むと100日寿命が縮むという恐怖新聞。最後にボロボロになって死んだ、主人公の鬼形礼。昔、子供の頃に読んだ漫画を思い出します。鬼形礼君が、腐っていく自分の体と、自分が生きるか死ぬかの中で、激しく葛藤するストーリーを今でも思い出します。

 

もし撮影セクションが作画と同じ完全な単価制度で、しかもその単価が安かったら、作画と同じ離職率になるかも知れませんネ。

 

 

 

従来のアニメ制作現場で考えれば、もはや品質や作品表現を考えるのはナンセンスなのかも知れません。内情を知っていれば、作画崩壊とか笑う気にはならないはず。

 

しかし、今のアニメ制作現場の作り方では、QCの厳しい未来の映像産業には到底対応できません。今までの作り方を続けるために、QCの緩いクライアント相手の仕事を探すようになっても不思議ではないです。

 

最後にドカドカッと「やっつける」方法では、品質が下がり、QCにもひっかかり、人の消耗も改善できませんよネ。当事者ならわかりますよネ。

 

 

 

なので、新しい技術による新しい道へと進んでいます。

 

正直、新しい道は困難の連続です。

 

一番厳しいのは、新技術を扱える人間が極めて少ないこと。

 

例えば、作画作業の70%を新技術で2人で引き受け、残りの30%は従来技術で10数人で作業する。‥‥いくら新技術の威力が絶大でも、この作業人員の不均衡は如何ともしがたいです。

 

その10数人のうち、数人で良いから、新技術のほうにも分けてくださいよ‥‥と言いたい気分です。

 

2020年代には、「時代の色々な波」におされて従来作画はものすごくお金がかかるようになるだろう‥‥というのが、偽らざる実感です。かと言って、アニメ業界は平成に留まって、2010年代に留まって、過去の技術と品質の中で生きていくわけにもいかないでしょう。

 

もし、新しい技術を扱える人間が増えれば、状況も大きく変わって、お金の面も飛躍的に改善できるのにな‥‥と思いますが、‥‥まあ、この辺りの話はまたいずれ‥‥。多方面に関与する話なので、風呂敷がでかいです。

 

困難はあれど、新技術の先に光が見えるのは良いです。

 

同じ険しい道でも、先が見えずに暗い道より、明るい光が見える道へと進みます。

 

 

 

夢でシートを確認する‥‥なんて、今でこそ、自分自身の笑い話ですけどネ。

 

生きているから、笑うこともできる‥‥というのはあります。

 

2020年代はまさに、アニメ業界の正念場なように思います。

 

生まれ変われる集団、生まれ変われない集団、それぞれの明暗が、嫌でも浮き彫りになる10年間でしょう。

 

 

 

 


AirDropとPMの使い分け

現在、私らのワークグループでは、PM(プロジェクトマネージャ)とAirDrop、そして従来のファイルサーバを使い分けて運用しています。

 

ファイルサーバは「ご存知の通り」無法地帯になりやすいです。どんなに規則を決めても、その規則はまず全員に告知されずに浸透しませんし、強制力も実質存在しません。漠然と敷地を公開して、白線だけ引いて、「ここからは駐輪場、ここは待合スペース、ここはバイク置き場」と決めるようなものです。「ベビーカーは? 荷下ろしの場所は?」など定義していない場合は、駐輪場などに溢れ出してすぐに破綻します。

 

そうした場合、「もっと徹底するために看板を立てよう」とか「ペナルティをもうけよう」「管理人を常駐させよう」などとするのは、全くダメダメな運用論。

 

漠然と更地に白線を引いただけで区切っている、運用側・管理側の「策の無さ」が大原因なわけです。漠然とした管理方法は、漠とした状態へと帰すのです。整然と管理したいんなら、管理方法のアイデアに手を抜くなよ、ということです。

 

 

 

私は前々から、ファイルサーバを皆で共有する管理方法には限界を感じていました。人災のるつぼだからです。

 

例えば、大きな金庫を1つ用意して、そこに銀行員の自己管理能力で「お金を保管」するような管理方法だったら、銀行の業務はどうなるでしょうか。言うまでもなく、早々に大混乱、破綻、崩壊しますよネ。

 

作品制作も同じです。ファイルサーバを作業者に公開しただけでは、いくらフォルダ構成を練っても、ほころびが生じます。

 

 

 

●作品制作のクリエイティブに関するファイルの受け渡しはPMでおこない、直にファイルサーバでの受け渡しはおこなわない。

 

●カットごとの作業上がりは、PMがファイルサーバへのアップ&ダウンロードをおこない、必ず規定された場所に存在している。どこに何があるのか、日付のフォルダで中身が見えない‥‥などの悪しき運用から逃れ、整然とした中間素材管理をコンピュータの処理能力によって達成する。

 

●前の工程が完了しない限り、次の工程には進めず、必ず「作業完了」のフラグが立ってから、次の工程へと進める仕組みを持つ。

 

●例えば、背景が未アップ、検査前の仮色でタイミング撮をコンポジットするのなら、ちゃんとそのように工程を組んで、ワークフローとして確定する。例外のワークフローは例外としてちゃんと定義する。

 

 

こうしたことを徹底できるのは、人間同士の曖昧な示し合わせだけでは、不可能です。だから、PMが必要になります。

 

一方、作業同士のオフラインのやり取りは、AirDropを使って、サーバを経由しない方法を採っています。オフラインのやり取りを野放図に拡大するとワークフローはまた管理不能な状態に陥りますが、PMを介さないやり取りは作業者にとっても不利益=作業をアップしたことにならない=無報酬なので、自ずと「オンラインとオフラインの使い分け」ができるようになります。

 

ただ、AirDropが可能なのはmacOSとiOSに限定されます。また、PMを社内外の全作業者に普及できるほどアニメ制作会社は発展していませんから、旧体制への互換性を保つために、ファイルサーバでのやり取りも一部残す‥‥というのは現在の私らの状況です。

 

 

 

PM、AirDrop、ファイルサーバ。‥‥どれもファイルの受け渡しをする手段なので、最初はどのように使い分けたら良いか、私も実感に乏しかったです。

 

しかし、運用を始めると、受け渡し手段の切り分けが肌身で理解できるようになりました。

 

会議室で話す内容と、日々の雑談は、切り分けますもんネ。

 

 

 

ちなみに、PMはシステムスタッフの開発者の方にお願いして、自社開発したものです。ワークフローをカットごとに最適化して如何様にでも自由に再編成できる仕様で、形骸化した工程を取り除き、今までの常識では計れなくても必要な工程は柔軟に組み込める仕組みです。

 

もちろん、コンピュータの冷徹無比なPMが存在する以上、工程の「誤魔化し」は一切できず、整然とワークフローを流していくことが求められます。‥‥そういった意味では、戦後アニメ史上、最悪なまでに劣化した現在のテレビシリーズ(テレビ枠フォーマット)制作事情には、あまり合わないかも知れません。

 

でも、それで良いと思っています。劣化した状況に合わせ続けたのが、今のアニメ業界の制作事情なわけで、そこからどうやって脱出するかを、ベテランから新人まで当事者意識で取り組むべき未来の達成目標だとも思います。

 

 

 

目下の悩みは、WindowsにAirDrop的なソリューションが存在しないことです。

 

カットアウトをToon Boomで作業する場合、Windowsの環境はやや安く揃えられるので(60万が50万くらいには)、Windowsマシンも編成プランとして考えているのですが、AirDropやiOSとの連携などで足枷が生じます。

 

ちょっと確認してほしい程度の、1GBくらいのサンプルムービーを、いちいちサーバにアップして遠回りするのは、はっきり言って、もうウザいです。パッパ、パッパと、AirDropで小回りに動いて、正式な工程を踏む場合は、PMに任せたいです。

 

味見してもらうくらいの段取りに、いちいち申請書を出したり、稟議を通すのは、過剰な管理ですもんネ。ちょっとした会話をするにも、会議室を予約する必要があるのか。

 

雑談だけで重要な決定事項を決めるのはNGですが、雑談そのものをすべて会議で取り上げるのも馬鹿げてます。‥‥TPOが肝要です。

 

日頃の意思疎通や認識の共有に、AirDropは適しています。WindowsにもAirDrop的なものが出来て、クロスプラットフォームでやり取りできれば良いのにネ。

 

Macだけで現場が染まるのは、Macを長年使っている私もちょっと怖いです。色々な理由で。‥‥しかし、Windowsしか知らない現場もそれはそれで怖いです。凄く無駄な遠回りをさせられる現場になりそうで。

 

映像の未来に多様性を求めるのなら、現場の機材も多様性が必要です。WinもMacも適度に混ざっている現場が好ましいと私は考えます。

 

パソコンの管理の風下に、映像制作の作業を置く会社は、もはや映像制作会社ではなく、パソコン運用会社だよネ。

 

アニメ会社はさ。パソコンを管理する会社ではなくて、映像を作り出す会社なんだから。

 

色々な道具を駆使して、色々な面白い映像を作れる会社〜制作集団を目指したいですネ。

 

 


雑感

昔のフィルム時代の話とか、紙で一枚ずつ描いて動かすのは凄いとか、思い出話や賞賛はそれとして、我々は商業でアニメを作っている立場の人間ですから、その「凄い」ものを今後「いくらで作る」つもりなのか、ただ「懐かしい」「凄い」と口走るだけでなく、お金のことも同時に考えましょう。

 

紙時代における上手いアニメーターの仕事が凄いのは解ってます。何度も繰りかえさなくても、今のようにネットで色々紹介されてれば、十分認識されてます。

 

じゃあ、その凄い仕事を、未来、いくらで受発注するの?

 

恐ろしく細かい絵柄を、ニュアンスたっぷりに、何千何万枚も絵を描いて動かす、その1枚の値段は、未来、いくらに価格設定するのか。

 

もうそろそろ、「当人たち」が、そういう話に移行し始めても良いんじゃないの?

 

アニメはブラックとか言いがちですが、アニメ制作に関わる作業者、特に原画や作監や演出は、ブラックから抜け出したいのか、ブラックに身を潜めたいのか、ハッキリと自分の意識と立場を決めるべきです。

 

 

 

今のままの紙由来の技術では、「未来は無理」だと思います。最近、特に実感があります。

 

思うに、描かれている内容に見合う作業料金を支払うと、テレビ1話分で5〜6千万くらいは必要になります。動画工程の予算だけで1000万は軽く超えるでしょう。原画動画作監動検を全て「まともな金額」にすると、作画周りだけで1話で3千万近くになると思いますよ。2Kのテレビシリーズでもネ。

 

でも、そんなの無理ですよね。テレビ1話分で5〜6千万もお金が出せる日本の会社やテレビ局は存在するでしょうか。ゆえに、お歴々が集まる業界団体会議では、お金のリアルな話に触れずに、忖度会議に終始するのでしょう。そして、何も決められず、双方の出方ばかり伺って時間を無為に消費するのです。

 

原画動画という技術は、技術そのものは高度に発展したものの、産業としてはもう限界です。お金の面で純粋に、時代遅れです。お金を湯水のように使って、時間も湯水のように使えるのなら、話は別ですが。

 

旧来の作画技術に頼っている人々は、電卓なんて見るのも嫌でしょうが、未来の社会の中で自分たちがどんなことになるのか、電卓を弾くだけで見えてきますよ。

 

 

 

ゆえに、アニメ業界全体が未来を生き残れるとは、私は思っていません。

 

新しい技術に乗り移れなくて、置いていかれて立ち行かなくて終末を迎える会社や個人は、必ずでてくるでしょう。まるでサイゴンの落日の、脱出のチャーター機に乗れなかった旧政府の人々のように。

 

でもそれはしょうがない。

 

新しい時代へと思考を転換すべき時に昔話に花を咲かせ、行動すべき時に意固地になって石のように動かないのですから。

*当人が嫌がるのを、無理強いして、「未来を意識して進みましょう」なんてできませんしネ。進むのも留まるのも本人の自由です。

 

 

 

今の作りかたのままで、各作業者の報酬を「まとも」に設定して、電卓で計算してみてください。

 

絶望的な数字が出ます。

 

少なくともテレビ枠は制作費が高騰しすぎて死滅するでしょう。

 

今の作りかたのままでは、作業者が絶望するか、市場が絶望するか、未来は2択です。

 

昔の夢ばかりに逃避しないで、今までの作りかたを変えることを考えましょう。

 

 

 

幻が消え去り、現実のビジョンが見えれば、いよいよ覚悟はできるんじゃないの?

 

紙にこだわり続けても、どんどん未来が遠くなるばかりです。

 

「いざ!」という時に、紙しか使えないようでは、その「いざ!」という時を逃します。

 

アニメーターであれば、自分の未来は、「自分がどれだけ上手く絵を描けるか」にかかっていますが、自分「たち」の未来は、「自分たちがどれだけ上手くコンピュータを使いこなせるか」にかかっています。

 

上手く絵を描き、上手くコンピュータを使う。‥‥ペンタブですよネ、有り体に言えば。

 

ペンタブを手に、「未来」を「あるべき現実」へと変えていきましょう。

 

 



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