フィルムの凄さ

フィルムの真価は、4K HDRでようやく人々の目に届けられる‥‥のだと思います。Rec.709(SDR)のHDではフィルムの性能は著しく損ねられていた‥‥と言っても、言い過ぎではないでしょう。

 

フィルムカメラ時代に、ポジフィルムで撮影して、現像上がりのポジをライトボックスとルーペで見たことがある人は、映像業界にどれだけいるでしょうか。おそらく、35mmライカ判の一眼レフカメラが現役だったころに20代だった人は、本業はアニメやビデオでも、趣味でポジフィルムに馴染んでいた人もそこそこいると思います。

 

まあ、ライトボックスにもよりますが、35mmポジフィルムをルーペで覗いた時の鮮やかさは、印画紙のプリントとは大きく異なります。Rec.709やsRGBも「発光体」を見ている状況は同じでも、ポジフィルムを覗いた時に比べて、色の発色が大きく異なります。

 

 

しかし、フィルムカメラが市場の表舞台から姿を消し、キャリアの最初からデジタルデータのアニメやビデオカメラしか知らなければ、sRGBやRec.709が、光学画像の経験の全て、映像経験の全てにもなりましょう。

 

つまり、現在の若い世代〜中堅の世代は、狭い色域の世界しか知らない‥‥のです。全員ではないでしょうけど、大半は‥‥です。

 

特に、ここ20年近くのアニメ業界は、sRGBとRec.709しか知りません。若い人は状況的に、sRGBとRec.709、Adobe RGBだけが、映像や画像の全てだと、無意識にも思い込んでいるでしょう。

 

でも、世界はそんなに狭く、チョロくはないです。映像の世界は、まだまだ深いエリアがたくさん存在します。

 

世界が今や見捨てた‥‥と言っても過言ではないフィルムでも、実は、Rec709なんてショボくて失笑するくらいの、幅広いレンジを内包しています。

 

ぶっちゃけ、私も今までのデジタルデータでそこそこ十分だ‥‥と思っていました。しかし、HDRの色域で10bit以上の映像を見ると、今までのSDR時代のフィルムスキャンは「すべてスキャンし直し」が良いんじゃない?‥‥と心から思えます。

 

 

とある技術者の方が、「Rec.709はもはや映像のワーストケース(=最下位品質)」だと言っていたのを思い出しますが、それは、新時代の映像技術を誇張して喧伝するためではなく、実際のHDRの映像実物が雄弁に物語っているからこそです。Rec.709と2100を並べて比較した際の、その無残さと言ったら、まさに「筆舌に尽くし難い」ものがあります。

 

HDRの取り組みを本格的に始めて、フィルムの魅力はまだ死んでいない‥‥と強く思うようになりました。フィルム作品は4K HDR時代に「生まれ直す」のだと思います。

 

私は今後、フィルムを使うことはないと思いますが、フィルム時代の作品は敬愛して止みませんし、フィルム一眼レフカメラ時代の撮影経験は私の基礎の大きな部分を占めています。

 

フィルム時代の作品が、今後、4K HDRのコンテンツとして、フィルムスキャンからやり直して、どんどん発売されることを望んでいます。

 

 

アニメ業界もRec.709に縛られた狭い了見で色彩を扱うのではなく、新しいHDR時代の色彩感覚を意識し始めるべきです。Rec.709なんて、人間の知覚からすればホントにショボさ爆発なのです。単に旧時代の放送や機器の都合でレンジが定められたに過ぎません。

 

今の若い世代が、Rec.709しか知らないのは、実は、今後の発展における大問題・大障害なんだよね。

 

かと言って、2018年現在にフィルムを経験することは中々難しいです。35mmのポジフィルムと一眼レフカメラを購入して、現像してポジを覗いて‥‥なんて、今では、酔狂でしかないもんネ。

 

なので、一番てっとり早いのは、自宅や職場に4K HDRのテレビを入れてしまう‥‥ことです。HDRでPQにも対応し、500nits前後で10bitのスペックの映像体験環境を、安価に入手するのは、ソレしかあるまい。

 

‥‥で、ネット配信のHDRコンテンツや、UHDでHDRのブルーレイを見て、今までの暗く寝ぼけたRec.709から「自分の目を解き放つ」べし!‥‥です。120fps補完の実態にも目を背けずにしっかりと自分の目で確認しましょう。

 

「未来の現実」を自分の目で見定めるのです。逃避するのではなく、です。

 

頭の中で、いくら300nitsだ1000nitsだ、HDR10だHLGだ、PQだと、「文字」だけで考えても、自分のナマの目で見なきゃ本当のところは判りませんヨ。

 

 


数値がわからなくなったらアレクサに聞こう

今から20年前以上の昔。各色8bitのRGBで自由にセルの色が決められる「デジタルアニメーション」は、「なんと、セルの色数が1670万色も使える!」とも言われて、当時のアニメカラー(=セルを塗る塗料)の200〜300色の制限とは比べものにならないと思われたものです。

 

でもまあ実際は、アニメカラー時代も、フィルム銘柄の特性によって色に変化は生じましたし、パラやフォギーフィルタなどの撮影処理を加味することで実際のアニメカラーの色数よりも遥かに複雑な色数を実現していましたから、アニメカラーとRGB各色8bitの色数を比較すること自体がナンセンスではありました。「色数が多い」というよりは、「アニメカラーの色数ではなく、自由に「調色」して色を決められるようになった」というべきでしょう。

 

その「いかにも十分過ぎると思えた1670万色」も、今では「ワーストケース」というべき「最低限のスペック」扱いです。実際、1670万色=1670万諧調と言っても、明るさが半分の薄暗い赤色照明のシーンでは、128諧調以下になってしまい、トーンジャンプの危険性と隣り合わせです。どんなシチュエーションでも1670万諧調があるわけでなく、最大1670万‥‥というだけです。

 

RGB各色8bitで全ての色を使った場合(現実的にはあまりないですが)

 

R:0-255

G:0-255

B:0-255

256x256x256=16,777,216

 

薄暗い赤い照明(=赤のモノトーンで半分の明るさ)の場合

 

R:0-127

G:0-0

B:0-0

128x1x1=128

 

総天然色で色鮮やかで明るい部分も暗い部分も同じ画面に収まっているような絵ですと、1670万諧調を発揮できますが、トンネルの中で水銀灯だけが照らし出すようなシーンですと、薄暗いオレンジのモノトーンに多少の色が垣間見える程度になり、色数はぐっと減ります。

 

ゆえに、擬似的な多色処理、そして10bit以上の諧調が必要になってきます。

 

10bitは単色で1024諧調、12bitはその4倍で4096諧調になります。8bitの256諧調より、数値がどんと増えます。

 

しかし、暗算では中々パっと数値が出て来ません‥‥というか、それは256諧調でも同じですが、8bit=256に関しては長年の作業経験で暗記していますが、10、12、そして16bitになると、暗記だけではおぼつきません。

 

16bitの諧調は6万5千‥‥‥なんだったっけ?

 

そんな時はアレクサさん

 

 

「アレクサ。2の16乗は?」

 

6万5千5百36、です。

 

「アレクサ。65536の3乗は?」

 

281兆4749億7671万6百56、です。

 

 

‥‥まあ、281兆の下りは、アレクサさんがどんどん読み上げても、1回で聴き取って覚えきれる数値ではないですが、281兆であることはわかりますネ。

 

同じく、「1024の3乗は?」とか、「4096の3乗は?」と聞けば、それぞれ「10億‥‥‥」「687億‥‥‥」と答えてくれます。聞き取るのが面倒なので、末尾は割愛しますが。

 

アレクサさんはコンピュータですもんネ。このような単純‥‥だけれど数値が巨大な計算はすんなり計算しますし、電卓プログラムにありがちな「2.8147498e+14」なんていう表記ではなく、末尾1桁まで読み上げてくれます。

 

10bitRGBの諧調は10億色、1bit増えて11bitだと85億色、さらに1bit増えて12bitだと687億色‥‥と、アレクサさんに聞けばすぐに答えてくれるので、やがて、10bitや12bitの色数を、8bit=1670万‥‥の時と同じように暗記するようになります。

 

 

 

256で色を考えるのは、基礎としては今でも有効です。会話の中で256で呼び表して容易にイメージするのは、たとえ10bit運用になった時でも「伝わりやすくて」良いと思います。

 

しかし一方で、256では済まない状況も、ボチボチ周辺に出始めています。After Effectsでは256のドラフト表示のままですが、データとしては10〜16bitを扱うのが主流になりますので、時には1024〜65536=10〜16ビットの諧調で話すことも必要になります。

 

でも、数値はどんどん大きく細かくなります。‥‥なので私はよく、アレクサさんに聞いて、数値を計算してもらいます。

 

‥‥とはいえ、こんな聞き方だとダメみたいです。

 

 

アレクサ。16ビットの数は?

 

「すみません。わかりませんでした。」

 

 

わからないんだったら、仕方ない。

 

あくまで、質問する側が、1bit=2値ということを踏まえて、「2の16乗は?」と聞かなければ、いまんとこ、ダメっぽいです。

 

加えて、アレクサは「京」の桁の末尾まで細かくズンズン読み上げる「人間に優しくない」部分もありますから、すぐに大まかな数値を知りたい時に、アレクサにサクっと聞く程度が良いです。

 

丸いディスプレイをもつ「Echo Spot」も登場して、充実するアレクサさんのラインアップ。

 

 

 


2K24pSDR8bitと4K60pHDR10bit

現在、作業場のほぼ全ての装備を4K HDR 60p仕様に改変して、あと1つ2つの発注済みの物品が到着すれば、いよいよ名実ともに「未来の環境」が完成することになります。‥‥とは言え、技術は「イタチごっこ」ゆえに、これで環境構築が終了したわけでなく、今後も順次、作品ごとに強化していくことになりましょう。

 

そうした中、頭で考えているだけではわからなかったことが、しみじみと肌身で、実感としてわかるようになってきました。アニメ制作現場の未来は、新旧の2派に分類されるだろう‥‥ということを、ハードやソフトが暗示するのです。似たようなことは以前にも「予想の範疇」で書いてきましたが、目の前のハードやソフトの振る舞いを日頃から見るにつけ、「詰み将棋」のように「未来がの成り行き」が具体的に見えてきます。

 

技術、装備、そして慣習を古いままで更新できない集団=「新旧の、旧の現場」は、おそらく、未来も古いままで続けるしかなく、未来技術のエッセンスを取り入れるような「部分的な現代化」すらままならないだろうと思われます。紙の作画を「デジタル作画」に更新した段階で進化は終了し、未来社会への対応は、ポスプロのアップコンに頼り切ることになるでしょう。要するに、旧来のアニメ技術は進化が終了し、老化をできるだけ食い止めるために、新時代の映像技術を「介護技術」として用いる‥‥という未来です。

 

絵を1枚ずつ描いて動かす方式で、2K24pSDR8bit。‥‥これが旧来の技術を主体とする現場の最終形態です。

 

2K

24p

SDR

8bit

 

‥‥あらたに「8bit」というキーワードが付随しましたが、実は8bit問題は相当根深いです。After EffectsもQuickTimeも内部では10bit以上を扱えますが、表面に映し出される映像は、実は8bitです。どんなに16bitモードに変更しても、12bit素材を読み込んでも、10bitモニタを買って設置しても、After EffectsやQuickTime Playerでは8bit表示です。システムスタッフが改めて検証してくれたおかげで、私も再認識できました。

 

ですから、撮影作業などで10bitの高価なモニタを使っていても、実はほとんど役にたっていません。ムービーファイルのデータ構造もグラフィックカードもケーブルもモニタも10bitの条件を満たしていても、出力するソフトウェアのGUIが8bitなら全く意味がなく、安価な8bitモニタで十分なのです。

 

一方、新しい技術の当面のターゲットは‥‥

 

4K

60p

HDR

10bit

 

‥‥です。12bitを表示できるモニタは恐ろしく高価なので、10bitが現実的ですが、内部的には16bitの運用(これはAfter Effectsの都合でもありますが)を進めることになりましょう。

 

iMac ProやCG-319Xは10bitです。iMac ProはいまのところPQカーブに対応していませんから、HDRでPQを運用するのなら、CG-319Xなどの相応の設備が必要になります。モニタに限らず、様々な機材改変や技術改革が必要になるのは、今まで散々書いてきたことなので、繰り返しません。

 

 

「4K60pHDR10bit」の現場に環境を移行するのは、相当にハードルが高く、ゆえに「無理だから、昔のままでいく」会社は続出すると予測されます。もちろん、昔のままの体制で作り続けるので、出来上がる映像も昔のまま、作業者の報酬も昔のまま‥‥です。ポスプロでHDRグレーディングしても、映像の「アイデアの源が2K24pHDR8bit意識のまま」なのですから、後付けの映像処理にも限界はあります。

 

現段階では「60p」は置いとくとしても、「4K24pHDR10bit」に対応できる会社は、相当体力が必要ですし、出資者の増援も必須となりましょう。

 

私だけなく、現場の映像表現に関わるスタッフ、機材を多種取り扱うシステムスタッフ、皆が、「これ(=未来)って、大変なことになりますね」と、ことあるごとに話します。

 

でも、ふと冷静になって考えれば、未来が大変なのって、今に始まったことじゃないです。いつだって、そうだったんですよネ。未来を生き抜くことはいつだって、大変なのです。

 

過去の技術から転換できずに歴史に埋もれていく人々、頭角を表す人々など、様々な世代交代劇が繰り返されてきただけです。

 

ですから、今回の四半世紀規模の映像技術転換〜アニメ制作技術転換は、「あるべき姿〜必要な世代交代」と思えます。

 

表面上の「可愛いキャラ」はともかく、今のアニメ技術はどんどん老朽化しています。「萌えキャラのラッキースケベ」をファンに提供するばかりで、どれだけアニメ業界の技術や体制は維持できるでしょうか。

 

もし、老いたままで良い‥‥というのなら、「要介護」の準備を整えておくべきです。一方、技術世代を交代して転換を図るのなら、「デジタル作画にすれば安心」と考えるのはあまりにも浅はかです。

 

もし現代社会とともに歩みたいのなら、今はすぐに全部は無理でも、「4K60pHDR10bit」をそろそろ意識して、着手できそうな部分から行動開始すべき時期‥‥ですヨ。

 

 


ライセンス

アニメ制作運用において、すこ〜んと忘れられがちな代表的要素は「ライセンス」です。一番ありがちなのは「After Effectsのフッテージの収集」で他人が再利用してはいけないデータまで収集してパブリックな場所に置いてしまうことです。

 

他所が自分たちと同じ技術と環境で作業している‥‥との思い込みが、まず根底にありましょう。ゆえに、運用システムの設計もスタティック(静的)で融通の効かないものになりますし、ライセンス違反や技術流出を平然と悪気もなく犯し続けます。

 

もっと根を掘って考えると、自分たちは「作業行為を売っている」と思っているからこそ、ライセンスや技術管理に疎いのでしょう。もちろん、作業の行為は必然ですが、「自分の技術を成果物として売る」ための手段なだけです。

 

さらにもっと深く考えれば、作業行為=労働を売っている意識だから、いくらでも買い叩かれるのです。技術力はそれが独自性を帯びれば帯びるほど買い叩きは困難になります。技術力ではなく、労働力を売っているから、「他にいくらでも引き受けてくれるところはある。仕事が欲しいのなら、安く引き受けろ」と安売りを強要されるのです。

 

‥‥話が逸れるので、その辺の話は今回おいといて、ライセンス。

 

フリーランスの作業者が自分の「バンク素材」として購入した、欧米メーカーの自然現象のループ素材があったとします。それを受注した映像作品で使って、画面効果を盛り上げてかっこいいカットに仕上げました。その後、「DVDリテーク対応のため、プロジェクトが欲しい」などの理由で素材一式を制作会社に提出しました。そしたら、その水や煙や炎の素材が他の話数の他のカットで無断で使い回され、他の作品にすら使い回されていた‥‥なんていうことがあったとしたら、それは大問題です。欧米の映像素材メーカーが定めた利用ラインセンスに対して、プロジェクトを提出した作業者も、受け取って使いまわした制作会社も、違反したことになり、責任と賠償を求められるでしょう。

 

プロジェクトを提出する際に、素材をそっくりそのまま収集した作業者にも重大な過失があります。また、1円も支払わずにヌケヌケと素材を流用した制作会社にも管理上の過失があります。

 

ゆえに、私らが現在進めている「制作進捗情報の管理システム」は、「素材の共有」にもルールが規定されています。また、技術の流出・盗用を防ぐための決め事・作業習慣も設けています。

 

流用がすべてダメなわけじゃないです。ライセンスに違反した流用行為、実質的に技術の流出となる共有の行為がダメなのであって、最初から「これは使いまわし素材ですよ」「共用のテンプレートですよ」と明示的に用意した上で特定の集団内で活用することは、効率的な運用に繋がります。

 

「でもさ。合わせや直しが必要になった時に、プロジェクト一式があると便利じゃん」と思う人もいるでしょう。‥‥でも、その「便利」さを優先するために、色々なものをドブに捨ててるんですヨ。自分たちの未来すらネ。

 

他のカットで合わせが必要なんだったら、元の作業者に依頼すれば良いです。仕事の都合で断られたのなら、他の作業者が目で見て似たような映像効果を作れば良いのです。プロジェクトを丸ごと貰って流用しなければ似せられない‥‥なんていうヘタレに基準を合わすから、制作現場はどんどん安易に貧乏になるんですよ。

 

直しが必要ならば、直しの対価を払って、元の作業者にリテーク作業依頼をすれば良いんです。そうすれば、作業者との信頼関係だって、一層深まります。

 

 

 

あなたの技術は素晴らしい。あなとと今後もぜひ一緒に仕事をしていきたい。

 

‥‥という現場と、

 

アイツの技術はかっこいいけど、色々めんどくせえから、どうにか盗んで流用できねーかな

 

‥‥という現場の、どっちが「良い」現場でしょうネ。

 

 

ライセンスや技術保護を重んじることは、すなわち、人を重じることにもなります。

 

ライセンスを無視し、技術を垂れ流しにするのなら、その人自身も無視され垂れ流しの憂き目にあいます。自分たちの姑息さを棚にあげて、全体主義に走っては、イケません。

 

技術、ライセンス、人を、おしなべて、大事にしていきたい‥‥ですネ。

 

 


肯定的に否定的に

作業場に4K HDR 500nitsテレビ、4K HDR 1000nitsリファレンスモニタ、4K HDR 300nits作業モニタが設置され、しかも、4K HDR 500nitsで120fps補完のテレビに至っては部屋の中央にドカンと高い位置に設置したことにより、日頃から4K HDR 24〜120fpsの映像を「皆で普通に」目にするようになりました。

 

特定の個人だけでなく、在籍スタッフ皆が、どんどん次世代の映像標準技術に慣れていきます。理屈やスペックの文字情報でなく、目でみて感覚的に、身の丈の実感として、未来の映像産業の「発展と苦難の両方」を垣間見ています。

 

旧作のフィルムやビデオ作品も4K HDR関連機器で見て、時代性(=時代特有の技術性とでもいうか)の差異を痛感するとともに、不動の魅力を感じることも多いです。さらには、最近のBS高画質番組が4K HDRの倍速技術(120fps)によって補完されることで、4K8K HDR 60〜120p時代の絵作りはどのようなものであるかも、実写とアニメの差はあれど、未来の映像美を予感してしみじみと感じ入ることも多いです。NHKの「ネコメンタリー」は4K HDRで50インチ前後の大画面テレビで、しかもヌケの良い色彩と120fps補完で見ると、ふんわりと柔らかくリラックスした映像に病みつきになりますヨ。

 

中でも、「映画」の「映画感」の変化には驚きます。新しいテレビ(受像機・映像データ上映装置)の技術によって、「映画だったものが映画ではなくなって、技術だけでなく表現意識の古さまで浮き彫りになる」ようなマイナスイメージから、「たしかに映画のディテールは剥がれ落ちたけど、作品の面白さは不滅だ」と再認識するプラスイメージのものまで、‥‥つまり、否定と肯定が錯綜します。

 

思うに、映像技術のフォーマットだけで「表現足り得ていた」作品は、新時代の映像技術によって化けの皮があっさり剥ぎ取られ、無残な姿を晒します。しかし、化けの皮が剥がれても、「あれ? 実はスッピンも美人さんだったのね」と余計に愛着が増す作品だってあるのです。

 

そうした色々なマイナスとプラス、否定と肯定の中で、自分たちの未来の映像表現はどうあるのが良いのか、どのような美しさの可能性が存在し得るか、新しい時代の映像技術を身近におくことで、観念してじっとりと「未来に思い馳せる」ことができます。同時に、24コマの醸し出す「映画っぽいニュアンス」「映画感」に頼るだけでは、未来は相応にブザマでミジメな醜態を晒すことになろうことも悟ります。

 

展示会場にNTSCブラウン管テレビとVHSデッキを持ち込んで3倍録画を再生して、「この荒れて溶けた質感がたまらない」とばかりに自作の作品を限定的な局所で展示するのなら、どんなに時代性・現代性を無視しても良いでしょう。しかし、商業作品における映像制作者は皆、未来世界(=と言っても数年後ですが)の映像技術を概ね肯定し受け入れる必然性に迫られます。

 

そのためには、過去から現在に続く映像表現の潮流を、肯定的にも否定的にも捉えて、「新しきものから新しきを知る」ことと「古きものから新しきを知る」ことを同列に扱う自覚が必要だと考えます。

 

新しいものだけを肯定してもダメ。今までのものだけを肯定してもダメ。

 

新旧両方を、肯定も否定もできるニュートラルなスタンスが必要です。色眼鏡越しに眺めるのではなく、現在と未来を裸眼でしっかりとマジマジと「ガン見」することが重要です。もし、裸眼だと視力が足りずにボヤけるのなら、近くに寄って見れば良いですし、老眼なら一時的に老眼鏡をかければ良いのです。

 

 

 

一方、アニメ業界の総意としてヒシヒシ感じるのは、新しい映像技術に対する否定的な見解と未来技術へのマイナス感情ばかりです。4Kも60pもHDRも「自分たちとは無縁で、むしろ敵だ」とすら考える人もいるようです。

 

もし本当に無縁と決め込む否定的なスタンスを採って「過去の殻の中」に閉じこもり続けるのなら、アニメ業界の技術発展は2K24pSDRが最終点となり、ポスプロの方々に面倒を見てもらう〜アップコンで対応して、「次世代=数年後には現世代」から脱落しないようにするばかり‥‥になりましょう。

 

新時代映像技術の「介護」に頼るアニメ業界の未来の姿は、本望でしょうか。

 

「現」アニメ業界が新世代の映像技術を視界に入れたくない感情はわかります。今だってかなり厳しいのに、これ以上の負荷は背負いこみたくないでしょう。どこぞの現場取材記事で「クオリティを一定以上に維持するには、社内の動画スタッフを多く雇わなければならない」的な内容を読みましたが、さらなるレベルアップ・クオリティアップを課した時に、どのような多大な負荷がかかり、どのような結末が待ち構えているかは、少なくとも現在の作画従事者なら事前に解りますもんネ。

 

だからと言って、「このままで済む話じゃない」のは、他の商業ジャンルの過去を思い出せば判るでしょう。アニメ業界を中心にして世界は回っているわけじゃないですもんネ。世界規模の新しい技術の波を停止できるほど、日本のアニメ業界の影響力は大きくないです。

 

ぶっちゃけ、アニメ業界の総意をのんびり待っていたら、「another one bites the dust」=死体の山が積み重なっていくだけです。アニメ制作現場の未来はいくらでも当人たちで変えていけるのに、過去の慣習や感情、旧来の枠組みや権益に囚われて、戦中の日本人と同じ行動を繰り返そうとしています。首脳陣だけが悪いわけでなく、業界の過去の技術にしがみついている全員が、‥‥です。

 

作画する内容が細かくなって、枚数もどんどん増えて、塗るのも複雑で大変で、撮影処理も盛り込みが過度になるばかり。‥‥わかりきっていますよね。もう「今までの制作技術をエスカレートさせる思考では、確実に破綻する」ということは。

 

旧来技術の延長線上の中で、不確定要素があるとすれば、何がきっかけで破綻するか‥‥という、「破綻の選択肢」だけです。

 

2年後の未来は、1970年代でも1990年代でもなく、2020年代です。しかし、2020年代になっても、おそらく‥‥というよりは確実に、アニメ業界は、作画作業者の雇用の基本問題を改革できないままでしょう。

 

なぜって、アニメ業界旧来の技術内容が「どうやってもお金と人をどんどん大量消費する」宿命だからです。手作業で細かい絵を丁寧に描いて何千何万枚‥‥なんて、お金と時間がかかり過ぎて、個人への分配額が少なくなるのを、なぜ、真正面から見ようとしないんでしょうネ。

 

「自分たちの技術」に関する「根拠の明白な問題」は見ようとせず、根拠のまるでない「制作費をまずは2倍がいい」なんていう「願望」を持ち続けたって、何も解決しないばかりか、どんどん挽回の機運と勝機を逸するばかりです。

 

「これだけ耐えて頑張ってるんだもん。やがて勝つ日が来る」という思いは、「合理的な根拠」をベースにした時には有効でしょう。しかし、「当て所ない願望」をベースにした時には‥‥、まあ、明日は8月15日ですから、日本の70数年前の事実に思いを馳せましょう。

 

 

国家全体の戦争と、アニメ制作の運用は違います。自分たちの取り組みで未来の運命を変えられます。

 

とはいえ、業界の烏合の衆に呼びかけても、未来の運命は変えられません。

 

個人、および、個人が集まって形成されるグループ単位であれば、未来の運命を自分たちで変えることができます。

 

 

業界など、アニメ制作に従事する人々の影が寄り集まってできた幻影のようなものです。

 

幻影に何を期待する? 期待するほうが愚かなのです。

 

あなた個人、そしてあなたたちだけでも、そろそろ「新しい時代」の「新しい技術」を肯定し始めても良い頃‥‥だと思いますヨ。今は目に見えないだけで、同じような志をもった「同志」は「時代が同時多発的に生み出して」いるのですから。

 

 

 


わかってなくても、わかっていても。

旧来アニメ制作をより明確に計画的に運用しようと目指して、制作システムを整備しよう‥‥と考えて実行しても、どうやら「遅きに失した」感があります。むしろ、その「今さらの旧来制作技術の再整備」がとてつもないマイナスを生み出すことさえ考えられます。

 

20mの大波が押し寄せるのに、5mの堤防を最新技術で新造して何の意味がありましょうか。コストの浪費も甚だしい。

 

でも、旧来の技術と経験だけしかないのなら、5mの堤防を建設コストをかけて皆で整備するのが良いと思い込んでしまいます。堤防を作る!‥‥という大事業が、環境整備の理性的な行動のようにも思えましょう。

 

でも、それは甚だ、的外れです。旧来技術を再整備しようとする行動が、未来を真に生き抜くための機運を間接的・連鎖的に消沈させることになりましょう。

 

5mの堤防では、未来の大波を受け止めることは不可能です。別の例えを用いるとすれば、雨あられと降り注ぐM69焼夷弾が引き起こす大規模火災に、どんなに組織的に訓練したバケツリレーで対応しても鎮火できるはずもないです。

 

「じゃあ、どうすればいいんだよ」と思う人もおりましょうが、冷静に考えてみましょうヨ。

 

大波が堤防を乗り越えてきて大洪水となるのなら、あなたならどうしますか?‥‥ガッツポーズで海辺に立ち「ガオーー!」と叫んで、ザッパーンと押し寄せる大波を生身で力強く受け止めます? ‥‥マンガじゃないんだし、濁流に流されて溺死してしまうでしょう。かと言って、堤防壁面に「この堤防が役立ちますように」と皆で願い事を書いて、神頼みでもします?

 

「でも、10m、20mの堤防なんて、あまりにも途方もなくて、築けるはずもないよ」‥‥とは、確かにその通りですよネ。

 

私も20mの堤防なんて、とてもじゃないですが考えられません。突如として上がる水位に、バカ正直に対応してたら、堤防の建設費で大波が来る前に自ら破滅するでしょう。

 

大波が来るのは「自然の周期」で確定済み、とは言え、堤防はあてにならない。でも、人間には「知恵」が多少なりとも備わっているのですから、その知恵を最大限に活用しましょう。

 

大波に対して抗うだけが、方法ではないですよネ。水にプカプカ浮いてやり過ごして、水位が安定したところで、新たな陸地を探して移住するのも方法です。波の力を受け止めて吸収してエネルギーにすることだって可能。

 

B-29を迎撃して撃墜するだけが焼夷弾を防ぐ方法ではないでしょう。B-29に大空襲のミッションが発令されず、飛行基地から離陸しなければ、そもそも焼夷弾なんて投下されないんだし。

 

他の方法はいくつも考えつきますよネ。

 

 

 

私が恐れるのは、今、旧来技術の再整備をしてしまって、その再整備システムが定着した頃に、世界規模の映像技術の大転換期にさらされて対応できず、かえって「再整備した旧来技術のシステムが大きな足手まといになる」ことです。

 

「せっかく再整備した旧来システムだし、再整備にはお金も労力もかけたし、使い続けよう」と行動してしまって、技術変革の大チャンスを自ら潰してしまう結果を招く‥‥のだとしたら、再整備に着手することは本当に賢明な行動でしょうかね。

 

旧来技術の問題点の根本を見直さず、旧来の体制と体質のままでシステムの再整備をしてしまうことは、アニメ業界に対するオーバードーズになることだって大袈裟な例えではないでしょう。今がおかしい、今が苦しい‥‥と言って、「パブロンで誤魔化すのはやめましょう。代わりに、専門的な薬を処方しますから。」と言ってその通りに行動しても、本当に「今の生活」から抜け出せるのでしょうかね。

 

「データのやりとりがなっとらん!」とばかりに取り組んじゃって、結果、旧来から続く理不尽な一律単価制度や細分化による少額な報酬まで未来に受け継ぐ温床になるのなら、少なくとも私自身は旧来の制作システムに関しては「行き着くところまで行けば良い」と思います。残酷な物言いですが、もうこの方法ではダメだと破綻と破滅を経験しないと、どうしても納得できないこともありましょう。

 

 

わからない人はもちろん、見識と経験を豊富に持つ「わかっている」人でも、古い世代技術で見識がストップしていれば、大波よりも遥かに低い堤防を作って「これで災害は防げる」と思い込んでしまいます。そして、人々の自浄能力を骨抜きにしてしまう結果をも招きます。

 

どんどん変わる「世界の気候」情報をリアルタイムで吸収しながら、見識や知識、意識やドクトリンを更新していくことが必要だと思っています。

 

 

 

 


予感から確信へ

ぶっちゃけ、HDRのPQは導入当初、これで本当に上手くいくのか、心の底では半信半疑でした。しかし、実際に絵作りがスタートすると、「なるほど‥‥こういうことだったのか」とパズルのピースがスパ!スパ!スパ!っと小気味良くハマって、理屈ではなく感覚で理解できます。

 

たしかにこれは、HDRの300〜1000nitsでないと出来ない表現だと、実際に見て確信できます。何だか、全てが上手くいくように感じられます。‥‥まあ、気が早いですが。

 

全てが組み合わさった時に上手くいく。‥‥バッハのポリフォニーですネ。

 

例えば、バッハの楽曲をDTMで打ち込むと、都合、1声部ずつ順番に打ち込むので、途中で演奏しても楽曲の全貌は見えてきません。ホモフォニーの「旋律と伴奏」という構成だと、旋律だけでも楽曲の雰囲気がなんとなくわかりますが、バッハの、特にフーガなどは、全てが組み合わさった時に「姿が見えてくる」のです。

 

下のYouTube映像は、バッハの「フーガの技法」。

 

 

 

4K、60p、HDR。つまり、画素密度、秒間フレーム数、そしてピクセルそのものの「質」。

 

たしかにラボの技術者の方が言われていた通り、ピクセルの数やフレームの枚数=量だけではなく、ピクセルの質まで、全て備えてこそ、新時代の映像のスタート地点足り得ることを、肌身でリアルに感じています。

 

新時代映像技術のポリフォニー編成を形成してこそ、新時代の映像を奏でることができます。

 

 

HDRといえば、驚くのは、ブラビアの9000Eクラスの民生テレビでも、オリジナルにかなり近い色でHDRの映像を表示していることです。映像のメタデータを受け取って、4K HDRテレビの「オートモード」が発動すれば、「マジすか」というくらいにPQカーブまでそっくりに映し出します。

 

9000Eは「みせしめモニタ」、つまり「民生だと絵がこんなに崩れちゃうよ」というのを予め視認するために設置しているのですが、‥‥なんだ、1000nitsのリファレンスモニタとスゲェ似てる‥‥、これじゃ「みせしめ」にならんな‥‥というのが、率直な感想です。

 

つまり、作品映像の品質をかなり維持したまま、ご家庭に届くということです。逆に言えば、誤魔化しはどんどん効かないようになる‥‥ということにもなりましょう。HDRという新時代の技術が、各世帯のテレビのバラつきを抑える「副次効果」を生み出すとは、思いも寄りませんでした。民生普及価格帯の4K HDRテレビが、作り手の情熱も苦労も伝えてくれますし、舞台裏のイロイロを曝け出すことにもなりましょう。

*ちなみに、現行のRec.709はフリーダム過ぎて、バラバラも良いところです。709の狭いレンジを、HDRの能力をもった民生テレビで「ここぞとばかりに」各社が好き放題に拡張しちゃうもんだから、あまりにも差が出てしまいます。そして、その差によって、709の一般的なアニメ作品も大きく揺さぶられて、ボロボロとアラが浮き上がってこぼれ出します。

 

でもまあ、その辺はもう、今までに色々書いてきたので、いいか。‥‥わかっている人はわかっていることですよネ。数年後にはどんどん状況が確定していくことだし。

 

 

やっぱり、頭の中だけでどんなに考えていても、限界はあります。文字で音や映像が伝えられるのなら、音楽も映画も必要ないですもんネ。

 

4K HDRのアニメーションも、映像ありき、です。HDRのモニタに自分たち自身で作った映像を見て、「こういう絵を作れば良いんだ」と予感から確信に変わることこそ、まずは必要です。

 

これは、面白いことになりそうだ‥‥と、実感することこそ、です。

 

 


ハイフンとアンダースコア

現在のアニメ制作は、たとえ紙と鉛筆で描こうと、様々なデジタルデータファイルが行き交う「データ漬け」の現場です。ゆえにファイル命名規則を曖昧にしていると、作業流通において、「余計な手間」を増やすことになります。

 

なので、私らの作業グループでは10年以上前から、「atDB」という「アニメ制作の要素の名前付け」を規定し、少なくともコンポジット周り(=撮影も含む)は命名規則を一貫して運用してきました。どんな作品でも対応できる規約を設けて、円滑に人とコンピュータが作業を進められるようにしたのです。そのあたりのことは以前にも書きました。

 

新しいアニメーション技術へと主軸を移した現在、レイアウトから編集に至るまで、すべて「atDB」の拡張版である「atDBx」で運用を始めています。

 

とは言え、こうした命名規則の効力は、あくまで自分たちが主導で作品を運用する時だけです。他の作品を作業すれば、何らかの「根拠」「都合」「なりゆき」と思われる命名規則に合わせる必要が生じます。

 

何らかの「根拠」「都合」「なりゆき」とは、結局は作品制作者当人たちの思考が原点です。考えの浅さや深さ、危険予測の甘さや辛さなど、当人たちのスキルとレベルがもろにファイル名に表れます。

 

「自動処理を作業に取り入れてなさそう」とか、「前世紀の慣習を見直さないで今でも惰性で作業を続けていそう」とか、たかだかファイル名1つで「わかる人にはバレて」しまいます。

 

特にハイフンとアンダースコア(アンダーバーとも呼ばれる)の使い方は、当人の思考がそのまま表れる際たるものです。

 

ハイフンはどういう時に使いますか?

 

アンダースコアはどんな場面で使いますか?

 

ハイフンとアンダースコアの使い分けはどのような基準ですか?

 

これに答えて‥‥

 

ハイフンは話数やカット番号や作業内容などの要素を分けるために使っている

 

アンダースコアは話数やカット番号や作業内容などの要素を分けるために使っている

 

‥‥は、まだ良いものの、「使い分け」に話が及ぶと‥‥

 

特に深刻に考えたことはない

 

その時のノリで決めた。つまり、ケースバイケース

 

ハイフンだけでは困った時にアンダースコアも用いる

 

‥‥という感じで、規約というよりは「場当たり」で使い分けている現場も相当多いのではないでしょうか。

 

「場当たりで何とかやり過ごす」というのは、まさにブラックの根源を自ら生み出す行為です。場当たりで何もかも誤魔化してやっつけてきたからこその「アニメ業界の窮状」ですもんネ。「場当たりのファイル名」はアニメ現場の悪しき習慣をカジュアルに表現したもの‥‥と言えそうです。

 

まあ、そこまで根を掘らなくても、ハイフンとアンダースコアを「名前の見た目の雰囲気」で使い分けるばかりでは、いつまでたっても効率的で合理的な制作運用の基礎は築けません

 

例えば、「atDB」では、「アンダースコアは要素のデリミタ」で、「ハイフンは要素のオプションのデリミタ」と規定しています。「区切り文字」とは言えど、明確な役割の違いを規定し、人間だけでなく、コンピュータの自動処理もその規定を軸として、制作を運用します。

 

AppleScriptなら「AppleScript's text item delimiters」ですし、JavaScriptなど他の言語ではsplitやexplodeなどで、ファイル名は簡単に要素やオプションに分割して処理できます。「空気を読めない」コンピュータで簡単に処理できる内容ですから、人間にとっても推測や経緯を踏まえなくても「いちげんさん」でもファイル名の仕組みは理解できるでしょう。

 

「ハイフンでファイル名を区切ったら、区切っちゃいけないものまで区切っちゃった」みたいな混乱は、ちゃんと区切り文字・デリミタの機能をあらかじめ考えておくことで未然に防げます。

 

ファイル名は「可視化されたメタデータ」であり、ファイル名をハイフンやアンダースコアで区切った各要素は「情報のタグ」なのです。‥‥そうした意識でファイル名をもう一度考え直せば、どのようにシンプルにして、どのように要素を盛り込むかのアイデアも浮かびましょう。

 

あなたの現場のファイル名はメタデータとして有効に機能していますか?

 

ただ単に「ファイルの名前」だけと考えていませんか?

 

ファイル名をただ単に人が目で読む名前として認識するばかりでは、効率的な運用へ発展できません。

 

ファイル名をコンピュータの都合に合わせすぎても、人が扱いにくくなって本末転倒です。

 

 

「人とコンピュータ双方が使いやすい」ファイル名を規定するのは、制作の基礎と言えます。

 

‥‥まあ、たかだかファイル名のハイフンとアンダースコアの使い方ではありますが、現場の未来を暗示する試金石のひとつと言えます。

 

 


人々の目は肥える

4K HDRのディスプレイモニタ、そして4K HDRの大画面テレビを毎日普通に見るようになると、目が高品質映像に自然と慣れてきます。特別な能力など必要ありません。日頃から高画質テレビを見続ければ、高品質な映像とそうでない映像とが見分けられるようになってきます。

 

最近は、ブラビアのおかげで、60fpsと120fpsまで見分けられるようになってきました。60fpsになると、それだけで緻密で滑らかな動きになるのですが、動きの微妙な僅差で120fpsの滑らかさも判るようになってきます。

 

まあ、60fps以上の判別はともかく、4K HDR 60pの映像は、誰でも自然と慣れて、それが普通になるでしょう。

 

つまり、人々の目は時代とともに肥えていく‥‥ということです。

 

アニメ業界の成果物たるアニメ映像も、未来の人々の「肥えた目」に晒されます。‥‥いや、未来と言わずとも、既に現時点で、50インチくらいの大きさがあれば、4K HDRのテレビで、アニメの制作技術における様々な品質が画面に晒け出されます。

 

どんなにセレクトブラーでグラデーションを処理しまくっても、影をマスクにしてグラデを追加しても、面倒な貼り込みを死ぬ思いでやり遂げても、線にノイズを混ぜ込んでも、作画用紙の小ささ、解像度の低さ、描線のニュンアスの欠如、そしてエコノミー作画枚数のパタパタ感は、すべて4Kテレビに映し出されます。

 

HDテレビの頃はまだ全然マシだったのです。随分とゴマケていました。しかし、去年の型落ちで13万円の49インチブラビア「9000E」でも、150〜200dpiで二値化のアニメの舞台裏があけっぴろげに透けて見えます。

 

*おいおい。この図(上の図)は、いらぬ誤解を呼ぶだろ。寸法の数値を見れば一目瞭然ですが、人物のシルエットは対比図ではないですヨ。

*ちなみに、私らの作業部屋に設置する際に、事前に「設置案」を考えたのが下の図です。だいたい、対比はこんな感じです。ProcreateとiPadがあれば、思いついたメモをそのまま画像データとしてスタッフと共有できるので、楽チンですネ。

 

 

一方、ちゃんと4K相当の画質を有した絵なら、そのまま、綺麗に繊細にニュアンス豊かに、4K HDRテレビは映し出してくれます。映像制作の苦労が報われたい人々にとっては、頼もしい味方になってくれます。

 

要は、素材の状態を結構そのまま映し出して、隅々まで克明に描写しちゃうのが、2020年代の4K HDRテレビです。

 

 

「地デジ化」の頃に買い変えた各世帯のテレビは、そろそろ寿命をむかえます。つまり、再度、買い替えの時期がやってきます。実家のアクオスは今年元旦早々壊れましたし。

 

ホントに人間の感覚は贅沢で、4K HDRテレビで4K HDR映像を見た後では。2Kはぼんやりと輪郭が甘くボケてRec.709の映像はくすんで暗く濁って見えます。

 

ドルビービジョンは、100nitsでRec.709色域〜つまり現行放送の色域を「ワーストケース」として最下位に捉え、規格上では10,000nitsを上限としたHDRの映像技術規格を規定しています。まあ、現実的は1000〜2000nitあたりを最大値とし、最低値を709の100nitsと定め、上位下位のメタデータ値によって「可変」で対応する技術のようです。

 

HDR(2020、2100)とSDR(709)のモニタを並べて見比べると、それはもう、無残。

 

いかに709時代がナローだったか、思い知らされます。

 

その「思い知り」は、映像技術職とは無縁の人々でも、実感できるでしょう。買い替えによって家庭に設置されて、見れば見るほど、今までとの違いに慣れ、もう昔には戻れなくなります。

 

ちなみに、ブラビアの9000Eは、500nits前後のようです。同僚の技術スタッフが色彩計で計測した実測値です。

 

 

 

何度も繰り返しますが、旧来アニメ制作技術のネガティブキャンペーンを張ろうというわけではないのです。今までのアニメの作り方では「時代についていけなく」なってヤバいのを、誇張なく、率直に書き記しているに過ぎません。進み続ける時代から見れば、技術が停滞した現場はたとえ現状維持に努めても、どんどん過去に遠ざかっていくように見えるのです。

 

近代化・現代化って言っても、何から手をつけたら良いか判らない‥‥というのなら、妙にスケベ心など出さず、「手のつけられるものから」が良い‥‥んだと思いますヨ。

 

できないことを無理してやっても収穫を得られずブザマなだけです。大風呂敷を広げて威勢を張っても、おちゃらけて巫山戯て見せても、動揺しているのが逆に際立つだけです。

 

私は、今から10年以上前のことですが、Mac G5が登場していたにも関わらず、自己資金の限界ゆえにMac G4で新技術の開発をスタートしました。高い機材を無理して自腹で買ったところで、相応の技術を持たなければ目標は達成しえないことを知っていましたし、当時の私のメインはPowerMac8600を無理矢理G4に改造したものだったので、生粋のG4に買い替えただけでもかなりの高速化を実現できました。そして、そのG4で随分とノウハウを得ることもできました。

*当時買ったMac G4は「ミラード・ドライブ・ドア」とか呼ばれるモデルで、16万円台で買えた最後の最後の底値のモデルでした。そして買い取り時はDTP御用達とかで10万円で売れて、一番コストパフォーマンスの優れたMacでした。

 

2018年の現在なら、Mac miniクラスのPC、Apple Pencilを使える何らかのiPad、安価な4Kモニタ、Adobe CC。それだけでも4Kの開発は十分スタートできます。できないというのなら、それは単に当人の「開発の才能」の有無だけです。

 

何もできない人間やグループに、周囲が興味を示してチャンスをくれるはずもないのです。「いつまでたっても、チャンスをくれない」っていうのは、そもそも‥‥まあ、いいか、これは。

 

ともかく、本気こそが大事ですよネ。4Kに本気を出さなきゃ、4Kのチャンスなんて巡ってくるわけもないのです。

 

 

未来の目が肥えた人々に対して、「綺麗」「美しい」「かっこいい」と言わせるアニメを、私らは作りたいです。ノスタルジーだけに望みを託すのではなく‥‥です。

 

 


風、共時性

先日、ドルビービジョンのお話を東銀座で聞いてきました。私らの作品制作技術の未来に深く関わる内容でしたが、より一層、自分らのロードマップと未来の動向が合致していることを確信しました。

 

新しいアニメーション技術は、ドルビービジョンをはじめとして4K HDRテレビや4K配信など、未来の高品質映像技術やインフラと、非常に親和性が高く、有利なことばかりです。「時代が味方してくれる」という感覚は2000年を迎えた頃にゾクゾクと身震いするほどに感じていましたが、それ以上の実感があります。

 

一方、2K SDRの現在のアニメ制作ではオーバースペックな要素ばかりです。従来のアニメ制作技術のままでは、むしろ現場の労働条件に対して、さらに過酷で困難な高いハードルになりかねません。‥‥というより、確実になるでしょう。アニメ業界の現在の主流派と未来社会の映像技術が、どんどん距離が離れて乖離するのを感じている人もいるのではないでしょうか。制作技術の開発面でも、機材調達の資金面でも、そして人員雇用の社会的な面でも。

 

主流派、多数派かどうかなんて、ハッキリ言って、何の未来の確約にもなりません。「時代=風」の流れゆく方向に、シンクロしているか否かがカギを握ります。

 

たとえ当初は草分け的存在で少数派でも、世界規模の映像技術開発の様々な要素が「追い風」になって、どんどん加速する勢いは、前世紀末の20年前にも等しく体験しました。

 

1990年代後半、彩色以降をコンピュータで作業してコンポジットしてオンライン編集する取り組みは、少数派も少数派で、「ほんとにそんなのモノになるんかね」と遠目で見ていた人々が主流派だったのをはっきりと記憶しています。「フィルムとセルがなくなることなんてあり得ない」なんてタカをくくっていた人々を尻目に、世界の映像技術はどんどんデジタルデータ基盤へと移り変わり、アニメ業界も2004年以降から次々と尻馬にのるようにセル用紙とセル絵具とフィルムと撮影台を捨てていきました。

 

その時の多数派の意見や行動は、今は「なかったこと」になってますがネ。

 

思うに、多数派は王道、少数派は邪道‥‥という意識が、特に日本では支配的なのです。他者への配慮を重んじる国民性をもつ一方で、全体主義的で、突出すること・抜きん出ることをこき下ろす国民性も併せ持ちます。「応用はできるけど発明はできない」と言われる由縁でしょう。加えて、主流=親方が入れ替わったら、さっくりさくさく、過去のことは忘れて、新しい主流に鞍替えする「調子の良さ」も日本人の特質ではあります。

 

 

アニメそのものが時代によって生み出され、時代とともに歩んできたのであれば、時代に追随できなくなった時、過去に置き去りにされることを意味します。

 

「人々がアニメを見捨てるわけがない」‥‥というのは、ロードマップというよりは「願望」でしょう。「願望」に未来を預けるのは、まさに「キモチだけで戦争が勝てる」と思い込んでいた非合理的な70年前の戦中日本国民の姿です。

 

20〜30代の人は、自分の20年後の姿を思い浮かべれば、今何をすべきか、今何を耐えるべきかが何となくでも想像できるでしょう。現在の現場から学び取れるものは、耐えてでも学び取るべきです。しかし、ずっと現場で耐え続けて、無理心中する必要はないです。

 

一方、ベテランは、自分と一緒に「過去の思い出と心中」してくれる人を沢山集めて嬉しがるんじゃなくて、むしろ、自分の技術を若い人に託して、背中をポンと押して「新しい時代とともに歩め」と送り出してあげるくらいの度量を持つべきだと思いますヨ。

 

まあ、個人の死生観に関わることなので、人それぞれが自分の未来を決めれば、それで良いとは思います。ただ、前述したように「多数派が王道」だから「正しく勝利への道を歩んでいる」と考えるべきか‥‥は、「日本の8月15日」をよく思い出せばよく判ることですよネ。多数派だろうが、少数派だろうが、「自分を信じ、自分を疑う」ことは常に必要な行動基盤だと思います。

 

 

私は、長年の経験、および、様々な「戦史」からのフィードバックで、「決め手がいくつも揃っていない時は負ける」と考えています。「いくつもの決め手」が準備完了していない時点では苦渋と辛酸を舐めようと耐えて待ち、むしろ準備に時を使うのです。


しかし、自分たちの行動だけでは、「いくつもの決め手」は揃いません。高機能・高品質化&低価格化した4K HDRテレビ、ネット配信、HDR10やドルビービジョン、HLGによる公共テレビ放送、高品質なスマホやタブレットの普及、雇用問題に対する意識、VR/AR、AIなど、様々な技術の発展や台頭が、あたかも自分たちの欲していた「決め手」のように出現して近接するのが、まさに「共時性・シンクロニシティ」です。

 

旧来アニメ現場のアニメ制作技術が、世界規模の技術発展との共時性を急速に失いつつあるのを、分析力のある人なら、既に認識しているでしょう。旧来アニメ現場においては「過去の決め手」よりも「現在の弱み」のほうがどんどん増大しているのを、日々の作業で感じている人も多いのではないですか。旧来アニメ現場には未来を勝って生きる「決め手の数が少な過ぎ」ます。「デジタル作画」「オンライン制作システム」を生き残るための「決戦兵器」とするばかりでは、負けは確定したようなものです。

 

共時性は「発展」方向だけでなく、「衰退・破滅の共時性」というのもあるのですヨ。アニメ業界の総意は「桶狭間と、ひよどり越と、川中島とを併せ行うの已むを得ざる羽目に追込まれる次第」なのでしょうかネ。

 

しかしアニメ制作技術と制作技術グループはすべてが旧来依存・過去の決め手に頼りきっているわけではありません。現用・最新、そして未来の技術を自分たちの「追い風」としながらも、決して机上の空論ではなく、自分たちの日々の作業で身の丈で活用して、「技術体系」として確立すべく行動しているグループも存在します。

 

 

時代はつかみどころのない「風」のようなものです。「風」とはWikipediaによると、「場所による気圧の不均一を解消しようとして発生するのが風」「気圧の不均一・気圧傾度力が大きいほど、風は強くなる」とのことです。‥‥言いえて妙‥‥ですネ。

 

その「風」を自らの帆にはらんで、発展の共時性と共に、未来を一歩ずつあゆむ。

 

考えてみれば、何も難解なことはなく、むしろ、シンプルで明快なこと‥‥ですよネ。

 

 

 



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