バンダーブック

私が小学生の頃、1979年の夏、友だち数人で高田馬場にある「手塚プロ」に、「アポ無し見学」を慣行した事があります。アニメ雑誌が出版されるようになって、住所とかを頼りに、今考えれば無謀な見学を、男児数人が決行したわけです。

夏休みの時期ではありましたが、世間的には普通の日。妙に早い時間に待ち合わせしたのが裏目に出て、通勤ラッシュのど真ん中にブチあたり、赤羽線と山手線を乗り継いで、高田馬場へと小学生たちが降り立ったのでした。

手塚プロの前に着くと、みな怖じ気づいてしまい、「誰が先にいく?」とかしょうもない事でモメてました。結果、一番度胸のあるアベチャンが先陣を切り、階段を上がっていき、

「スイマセーン! 見学させてくださーい!」

と廊下で叫びました。

みな、小猿のようにキャッキャとドキドキしながら待っていると、オジさんが出てきて、「今日はあいにく、見学できない日なんだよ。xx曜日に来ると見学できるよ。でもせっかく来てくれたから、これをあげよう。」と言って、一旦戻って、「バンダーブック」(1978年テレビ放映)のセルを持ってきて、子供たちに1枚ずつくれたのでした。

オジサンがくれたのは、主人公「バンダー」の描かれたセルでした。もらった小学生各自の、その後の対応はさまざまで、奇麗に保管する子供もいれば、しきりに手にとって見る子供もおり(=これが私)、中にはプラモデルのカラーで横に模写する子もいたり‥‥と。

見学の段取りの「情報」など全く知らず、アポなしで制作会社を尋ねる子供たち。門前払いせずに、逆に子供たちにプレゼントをくれるオジさん。

‥‥ええ時代だったね。

アニメは好きですよ。子供時代の楽しくて幸福なアニメの思い出も多いですからネ。

ちなみに、セルがコレクターアイテムとして認識され、「セル泥棒」などの犯罪が発生し始めるのは、これから3年後くらい、「アニメキャラ人気」がアイドル的な様相を呈するようになってから‥‥です。「うる星やつら」あたりは、その被害の的だったようです。壁に穴をあけて未使用のセルを強奪するトンデモな犯罪もあった‥‥とは被害関係筋から聞いた話です。

これから未来。様式を受け継ぐ人、精神を受け継ぐ人、色々あって良いんじゃないですかネ。

1000年女王の撮影技術

私が中学生だった頃、松本零士ブームの流れで「1000年女王」が劇場公開されたのですが、ストーリーはともかく、撮影技術に魅了され、「撮影」を意識するきっかけとなった作品でした。

私の第一の目当ては、まずは金田伊功さんの作画でした。しかし、至る場面での撮影技術にも、心を大きく動かされました。純粋に、「きれいだなあ」と思ったのです。最近、DVDを見たのですが、‥‥う〜ん、自分がかなり影響を受けている事を認識しました。距離感の作り方とか、濃度の出し方とか‥‥、特に関東平野が浮上するくだりは、「自分も同じような素材で雰囲気を作るだろう」と共感する表現でした。‥‥というかさ、共感するも何も、この作品で「インプリンティング」されたようなものだから、可笑しい言い草ですネ。子供が親を見て、「あなた、私に似ている!」と言うようなもんで‥‥。

作品本題のほうは、‥‥まあ、いいじゃない。当時から、「ハコブネは関東だけ?」とか疑問が多過ぎる作品でしたしネ。「隅つつき」ではなく、「ど真ん中」の要素だったんで、さすがに、気になったんだよねえ‥‥。「関東だけ生き残れば、それで良いんか!」と誰もがツっこむと言う‥‥。さらには、作劇上のディテールの端々に「優等生」「良い子」な感じが見えるのも、何か、当時の私としてはイヤでした。松本零士作品から毒を抜いて安全にしちゃった感じが、私には合わなかったのです。でも、デカいテレビ作品ではなく、ちゃんと映画の貫禄はありましたね。女優陣もゴールデンメンバーで、メーテルもプロメシュームも森雪も総出演。今見返すと、話の筋やアイデアには、良い部分も沢山あると感じるんですけどネ。現在の「現実の積み重ね」で見せるやりかたではなく、「夢をドカンと実現して見せる」やり方のほうが、逆にインパクトがあるかも知れないですネ。

ただ、この頃の松本零士作品は、作品同士に何か関係を持たせようとしたのか、同じ名前の設定が出てきます。‥‥思うに、そのやり方って、あまり受け手は興味が無い‥‥というか、作り手側の思い込みが強いような気がして、当時から「別建ての話にしてくれた方が良かった」と子供ながらに感じました。

撮影技術に話を戻しますと、当時のアニメージュ別冊「1000年女王・ロマンアルバム」に、撮影ギミックの解説が載ってました。「重箱」なんてとても理解できませんでしたが、何やら、難しい工夫を凝らして、画面を作っていた事だけは読み取りました。

作画ならともかく、撮影は中学生の自分では模倣などできません。家にあるのは、ブライトフレームの普及型カメラのみで、三脚すらなく、アニメ撮影台の模倣なんて、全くもって不可能でした。私が「疑似撮影台」を手中にできたのは、アニメーターになって、そこそこお金が自由にできるようになって、一眼レフとレンズ一式、光学フィルター、コピースタンドを購入してからでした。

1000年女王の撮影技術を見ると、やっぱり映像は「構成力」だなと痛感します。いくら高価なプラグインでトッピングしても、構成は誤摩化せないよネ。物理的に不利な、昔の撮影台でも、構成がしっかりしていると、今見ても、危うさを感じません。BOOK引き1つとっても、構成力は映像に「説得力」として反映される(されちゃう)んだなと思います。

また、この当時の劇場作品は、建築物の崩壊とか、大変なカットを逃げずに何カットも重ねて描写していますネ。今のアニメだと、「大変」なのでできるだけカット数を減らして逃げちゃうんですが、逆にそれが、「大きなスクリーンで上映するテレビ作品」になる所以なんでしょうネ。1000年女王は、作画も仕上げも背景も撮影も全て大変なのが、いくつもあります。同じ素材を使って、自分でもコンポジットしてみたくなるカット(もちろん空想ですが)がいくつもあります。作業が大変でも、その大変さが報われるのは、やっぱり嬉しいのです。

1000年女王・劇場版。作品的には、特に他人に勧める類いのものではないですが、私個人としては、撮影技術のエポックとなった、思い出深い作品なのです。

アンドロメダ人気

最近、1980年頃のヤマトのプラモデルが再販されて、買ってもしょうがないな〜とか思いつつも、買ってしまいました。100円で売っていたシリーズで、今は210円で売ってます。子供の頃の記憶が疼くのでしょうか。

今、「さらばヤマト」を見返すと、中々にパンチが効いてて、見てて「ん〜?!」となる事も度々です。また、記憶ではインパクトの強い印象だった宇宙戦艦群も、実際の登場カット数はそれほどでもなく、子供心に随分「増強・補完」して見てたんだなぁ‥‥と思います。ビデオなんて無かった時代なので、映画館で1度きり見て、ずっと忘れないように反復しているうちに、どんどん「出来上がっていった」のでしょうネ。

作画・撮影なんかも、スケジュールが無かったのでしょうか、随分アラが目立ちますが、反面、今では3Dにしちゃうような大変な作画をこなしており、撮影でも奇麗なシーンがいくつもあります。テレサの洞窟のシーンは、透過光が画面作りの根本を成しており、白・黄色・グリーンの奇麗なグラデーションと軟調フィルタが、まさに神秘的な女性像を体現しています。同シーンの古代くんや真田さん(地上の人物)の色は、透過光のフレアが乗る事で微妙な色調を醸し出しております。「こういうシチュエーションのシーン、いつかやってみたいな」と感じましたネ。

子供時代、アンドロメダ(地球側の旗艦)は異様な人気を誇っており、みなでアンドロメダを描いたものです。あの複雑なディテールゆえ、上手く描けた子は一躍人気者になったほどです。

で、現代。いまでもアンドロメダは人気があるようで、ちまたにはプラモデルの作例がいっぱいあります。大型のアンドロメダも再販されておりますし、メカコレクションの小さいアンドロメダも再販されています。

大型のアンドロメダのほうは、ちょっとムックリした造形で、スマートな印象が消えているのが、ちょっと残念。発売当時、小学生だった私が、「こんなズングリしたのだったら、いいや」と、買えない事の理由付けにしていたのを、ふと思い出しました。

アンドロメダのデザインは、カラー的には、当時のアメリカ海軍のガルグレー&レドーム色と同じ、明るい配色です。また、2連の角張った波動砲のデザインは、どこか当時の最新鋭機F-14,F-15の二次元型エアインテークを想起させ、先進の「強いアメリカ」的な雰囲気を感じます。

ヤマトがそれこそ大和・武蔵だとしたら、アンドロメダはどこかアイオワ級的な直線ばったデザインで、「敗戦国色の濃厚な」旧ヤマトの作中にあって、暗黙のうちに強く語るものがあります。「戦勝国に吸収された敗戦国」の心情というか。‥‥デスラーと心情的に近しくなる表現が出てくるのも、「敗戦国同士」ゆえかも知れませんネ。

この頃までのアニメは、「敗戦のルサンチマン」が作品のルートになっている設定・ストーリーがよくあります。80年代に入って「うる星やつら」あたりでその影はほぼ消えたと思いますが、70年代(〜80年代初期)までの作品は、「父はまだ生きている」「母に会いたい」〜戦争孤児的な感情の流れを汲むものや、「国は負けたが、俺たちは負けてない」的な心情を根底に感じさせるものが、数多くありました。

もしかしたら、アンドロメダ人気は、作品の根底の感情からすれば、原作者としては苦みを感じるものかも知れませんネ。劇中では、最大の威容を誇って先陣をきるアンドロメダが、哀れにも全く無力で、ゴミ屑のように踏みつぶされる‥‥という描写で、「意図通り」の展開でしたが、子供たちの間ではデザインのかっこよさが優先され、アンドロメダの負けは「無かった事に」なっているという‥‥。

ヤマトシリーズのプラモを眺めて、単に「懐かしいプラモ」というよりは、デザインやカラーリングに色々な事を考えさせられる、オジサンになった私‥‥でした。

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