作画、ケーブルまみれ

その昔、iMacが初めて市場に姿を表した時、SCSIやシリアルやADBなど、様々な接続インターフェイスを廃止し、USB1つに絞ったのはパソコンユーザの間で大きな話題となりました。ディスク装置は読み込みオンリーのCDドライブで、データを外部に出力するためのフロッピードライブすら廃止し、「データなんかネットワーク経由でやりゃあいいじゃん」的なスタンスも併せて話題になりました。

 

 

その当時、ケーブルまみれになっていた過去のMacやPCを嘲笑うかのようなiMacのスタイルは、賛否両論を呼んだものですが、2018年の今となってみれば、ケーブルに限らず様々な要素が時代を先取りしていたことが判ります。

 

しかし。

 

コンピュータをケーブルから解放する‥‥というのは、未だ、道半ば。

 

たしかに過去に比べれば、接続形態はシンプルになってはいます。電源供給とデータ送受を併せ持つLightningケーブルやMicro/MiniUSBは電源ケーブルを排除しましたし、多くのガジェットが今ではWiFiやBluetooth経由でネットワークに接続します。

 

ただし、やっぱり、機材につき1本でもケーブル接続が必要となれば、機材の数が増えればこのありさま。

 

 

 

私の作画机のサイド部分です。USBの給電口を数えてみると、22個。

 

最近増設した8個口のUSB充電器のおかげで、他の充電器からケーブルを分散できましたが、以前はどの充電口にも目一杯接続されていました。

 

なりゆき増設なので、どんどんケーブルが絡まっていますが、春になったらどこかで整理しようと思ってます。8個口充電器のせっかくの給電表示も、こんな置き方では見えにくいですしネ。

 

*最近、USB給電口のアンペア数を表示する充電器が増えてますネ。「どのくらい腹が減ってるか」がわかるんで、結構便利です。

 

 

机の上は、それなりにスッキリしているんですが、2枚のiPad Proを交換するたびにケーブルが交錯するので、何か「絡まるのを防止する良い方法」がないか思案中です。

 

どんなに細くてしなやかなケーブルでも、やっぱり十数本あれば雑然としがちです。

 

でもまあ、以前のDVIケーブルとか電源ケーブルに比べれば、贅沢な悩み。Wacomの昔の液タブはそりゃあもう、ぶっといケーブルが2本+USBケーブルで、設置に自由度なんて望めなかったですもんネ。

 

LightningケーブルやMini USBの取り回しは格段に軽快なので、「作画机のケーブル整理術」を模索する日々です。

 

 

 


レイヤー分け過ぎ問題

私がレイヤー数999の話題に反応したのは、考えてみると、最近の「レイヤー分け過ぎ」問題に困っているから‥‥だと思います。

 

コンポジットなんかやってるとさ‥‥、前の工程の都合による「レイヤー数」が積算されて、ものすごいレイヤー数になってるファイルを受け取ることがあります。

 

いいよ。そんなに分けなくても。

 

整理してください。

 

自分の作業内でレイヤーを分けるのは全然構わないけど、次の工程に渡すときは、ちゃんとレイヤーを必要最小限に整理して出力してほしいです。必要最大限ではなく、必要最小限で。

 

昔は常識だったんだけどなあ‥‥。マシンやソフトの性能が上がって、箍が外れちゃったんだよね。

 

 

 

なんかね‥‥過剰なんですよ。

 

ワークフロー全体の意識で言えば、各工程ごとに演出さんや監督さんやセクションチーフが立ち会ってジャッジを下したのち、次の工程に進むわけじゃん。‥‥その時点で、各工程ごとにレイヤーはできるだけシンプルにまとめてください。

 

‥‥じゃないと、最終工程なんてものすごく膨れ上がって、「レイヤー階層掘り」と「前工程作業者の思考解読」からまず始めないと、作業に取りかかれないのです。

 

レイヤーの分け過ぎは、後段の作業者、特に最終工程に位置するコンポジターにとって、すごい負担になってます。ファイルを開くのもウンザリします。

 

 

 

ソフト上でそれが可能だからって、ワークフローが可能とは限るまい?

 

学生の自主制作じゃないんだからさ。プロ現場のワークフロー全体の負担軽減、荷重抑制を考えましょうヨ。

 

 

 

 

 


限界慣れ

セルシスのClipStudioのレイヤー数上限が999というのは、開発者が「とりあえず、それで大丈夫」と判断したからだとは思います。その数字「999」は、おそらく「さじ加減」のような気配を数字そのものから感じます。

 

ちなみに、私が原画作業で使っているProcreateは、A4用紙の200dpi(=ほぼ2.5K)ですと、128レイヤーが上限です。

 

で、その128レイヤー数で原画作業で困ったことはありません。いざとなれば、ファイルを分けちゃうしネ。

 

8K寸法で原画を描いた時には、Procreateはまさかの30レイヤー上限で驚きましたが、それでもちゃんと作業はフィニッシュしました。Procreateのファイルを3つに分けてPhotoshopに読み込んで合体させたのちに、仕上げさんに回しました。

*ちなみに、そのカットは新技術ベースで、階調トレスゆえに私が清書までおこないました。色彩設計さんがペイント作業も全て兼任してくれましたが、臨機応変の対応能力には度々頭が下がりました。やはり内製化は未来の指針ですネ。作業面でもお金の面でも。

 

私は、もう20年以上前からコンピュータでアニメ制作をおこなっているので、「コンピュータの能力は無限ではない」という意識が、体の底に染み付いています。ゆえに、コンピュータや主力ソフトが悲鳴を上げれば、とっとと方針を切り替える習慣がついています。

 

ここ10年くらいで「デジタル」でアニメの作業に従事した人は、その辺の「箍(たが)」が緩いのかも知れません。

 

 

ちなみに、2000年代の昔に使っていたアニメーション圧縮のロスレスQTファイルには画素数上限があって、1670万画素(2の24乗)を越えると正常に動作しなくなります。中間素材を作ってて困った記憶がありますが、そういう時も「はい、限界到達」と、すぐにQTでの出力をあきらめTIFFやPSDの連番に切り替えました。

*1670万の平方根は4100くらい、つまり4100x4100のキャンバスサイズで、ロスレス圧縮QTは限界だったのです。今となってはあきらかに限界が低いですが、D1程度の映像制作でしたので、あまり表沙汰にはなりませんでした。

 

アニメーション圧縮は8bitなので、トーンジャンプも発生しやすい弱点がありましたしネ。しかし、その8bit出力の制限のおかげで、基本的な「トーンジャンプ対策」のノウハウを獲得できました。

 

AfterEffectsにも2000年初期の頃まで、結構低めな画素数の制限がありましたが、あの手この手で切り抜けました。最近まで99fpsまでしか対応していませんでしたしネ。

 

その後、QTには様々なコーデックが出現し、各色8bitは10〜12bitとなり1670万画素の制限もなくなり、AfterEffectsの画素数も格段に増えましたし120fps(999fpsが上限。‥‥また999の数字を見た)にも対応しています。

 

なので、メーカーに要望を出すのは必要なアクションですが、一方で、自分らの制作手法を柔軟に切り替えるフットワークも大切です。

 

一度決めたワークフローや作業スタイルを、頑なに守り続けるだけが能じゃないです。コンピュータを使う時はむしろ、臨機応変に自らアクションして限界を乗り越えることが求められます。

 

 

思うに、この10年のアニメ業界の歴史は、マシンの性能がアニメ制作のスペックを上回っていた「マシン環境的には楽な10年」だったでしょう。その反映として、作業の内容は「マシン性能の高さに箍が外れた」意識が定着し、どんどん過酷で劣化してきた10年でもありました。

 

でも、未来は大きく異なると思います。

 

いまでも1.5Kで作業している会社は多いでしょうが、いつまでもそんな低解像度で作業し続けられると思ったら大間違い。

 

今、16mmフィルム時代のアニメの解像感が粗雑に見えるのと同じように、2020年代後半〜2030年代は1.5Kレタスのアニメは線質と撮処理があいまって粗雑に見えることでしょう。

 

どんなに絵の細かいキャラデザインのキャラを必死に描いて動かしても、どんなに塗り分けの多いキャラを必死に塗っても、どんなに貼り込みの多いキャラを撮影処理で頑張っても、解像度の低さはやがて時代遅れそのものになります。

 

日頃から4K60pの映像を見ている私らからすれば、1.5Kのレタス線の深夜アニメのクオリティ(おそらく、かなり動仕の状況がマズい)は、線画がぶっとくて粗雑感が克明に表面に表れていて、「このクオリティでは未来を乗り切れられない」と思うばかりです。

 

新しい映像技術の時代感覚なんて、ちょっとアンテナを張ってれば、わかることです。手持ちのiPhone8やXを持って、都心の情景や野山の風景を4K60p動画撮影してテレビやモニタに映せば、未来のクオリティの片鱗が簡単に判ろうというものです。

 

残念な話‥‥ですが、アニメ業界は4K時代の到来をできるだけ見えないように感じないようにしている暗黙の意思をひしひしと感じます。

 

 

 

世界規模の映像技術は確実に進歩し続け、アニメーション制作事情も無縁ではいられません。

 

やがて、今よりも高品質な結果物をアニメ制作現場が求められるようになった時、今までのマシンやソフトは確実に限界間近になります。

 

その時に、「このソフト使えねー」ばかりを連呼しお手上げになる「使えない自分」になるのか。

 

限界をわきまえ、限界の中で工夫して新しい表現や技術を具現化できる「使える自分」になるのか。

 

 

直近の10年はマシン的には快適で、マシンそのものに限界などあまり感じて来なかった2D手描きアニメの現場だったかも知れませんが、クリスタの999レイヤーはちょうどいい「限界慣れ」する機会だと思いますけどネ。

 

1670万レイヤー、10億レイヤー、687億レイヤーが上限です‥‥とかメーカーが対応するのを待つのではなく‥‥ネ。

 

目の前に立ちふさがる限界を、様々な戦術上の工夫で突破した経験は、新たな技術ムーブメント遭遇の際にも決して無駄になることはなく、むしろ強い自信となって自分を支えるのです。

 

 

 


本当に?

「デジタル作画」と言えば、ほぼ1年前に、にわかには信じ難いことを聞いたことがあります。「簡単なマスクなどの塗り作業はデジタル作画スタッフがやって、手がかかるキャラなどの塗りは彩色スタッフに任す」というようなことを‥‥。

 

それってさ、外道じゃん。下衆の所業じゃん。

 

1色のマスクの塗りは、手数が少なく、作業時間も短く、稼げる作業です。私も自主開発において、塗りもおこなうので、解ります。

 

「デジタル作画で塗りも作業する」‥‥とは聞いたことがありますが、簡単に稼げるペイント作業部分だけ「デジタル作画」が分捕って、残りのキツいペイント作業を後段の仕上げさんに押し付ける‥‥って、誰が聞いても異常過ぎて、本当にそんなことをする人間がいるのか、信じられません。事実だったら悪質過ぎるもんネ。

 

ただ、事の詳細は聞いてません。知り合いの彩色スタッフさんが嘆いてたのを聞いて唖然としただけで、調査はしていません。呑みの席で聞いた話を、別の会社で門外漢の私が調査するのも変な話ですしネ。

 

今でも、この話は信じられない気持ちです。だって、その悪質な作業行為をやらかした本人だけでなく、それを通した制作進行、それを受け入れた仕上げスタッフもいるわけで、どこかで「待った!」がかかると「普通は思い」ますもん。

 

 

この話には、いくつか注意すべき点があって‥‥

 

  • 1回だけのことなのか、常習なのか
  • 個人レベルの話なのか、組織ぐるみの話なのか

 

‥‥によって、その「悪質度」が変わってきます。

 

もし、ルーキーの動画マンが、どうにも煮詰まってしまって、1回だけやらかした‥‥というのなら、そこは情状酌量の余地はあるでしょう。経験の浅い若い人が、プロの仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになって、しかもスケジュールも極小だったりすれば、パニックになることもありましょう。人間、誰しも、生涯に何度かはどうにもならない時ってあるものです。

 

まあ、誰かがその尻拭いをするのでしょうが、恩は恩で返せば良いのです。失敗をした人がそのトラウマゆえに、後になって、強い責任感をもって現場を切り盛りすることだって‥‥あるでしょうよ。往々にしてね。

 

ただ、そうではなく、「常習で組織ぐるみ」だとすると、かなり悪質極まりない‥‥です。

 

私はそんなことではないだろう‥‥と願うばかりですが、もし「常習で組織ぐるみ」で「楽な塗りだけデジタル作画で担当」なんていう行為が日常的に行われているのなら、もはや「デジタル作画は終わった」と言うべきでしょう。

 

ちゃんと作業しているグループの方が多い‥‥と思いますが、一方で、そうした愚劣なグループが存在するとしたら、もう「終わりの始まり」としか言いようがありません。

 

 

真相はどうなんですかね。現状はどうなんですかね。

 

個人の失敗談が、尾ひれはひれで大きな話になっただけ‥‥であることを願います。決して、常習で組織ぐるみでないことを祈って。

 

 

 

 


ショボくて、目覚める

ClipStudioでレイヤー数が999が上限ゆえに、作業ができなくなって困る‥‥というのをセルシスのWebの要望・不具合掲示板で見かけて、色々悩ましいもんだな‥‥と思いました。

 

でもさ‥‥素朴な疑問なんですけど、999レイヤーを超過する原画や動画の描き方・フロー・メソッドって、そもそも制作費やギャラの採算にあっているんですかね?

 

単に作業者いち個人が、何でもかんでもレイヤー分けしたくて、むやみにレイヤー数が増えてるのなら改善の余地もありましょう。しかし、制作技術やフロー自体が容易に999レイヤー以上を求めるのなら、それはレイヤー管理の手間的にもマシン環境的にも、そしてその作業コスト的にも、大問題ではないですかネ。

 

古今東西、制作費やギャラもわきまえず、テレビシリーズ程度の作業単価でどんどん作業を重くするような人々が、アニメ業界をここまで劣化させた大要因でもあります。私が経験してきたスンゴい内容の大変なカットは、相応に凄いお金を1カットに費やして作ってましたよ。

 

 

加えて、根本的な問題は金だけでなく、「紙時代の作業を再現する」ことの限界を暗示しています。

 

その昔、1カットの原画と動画合わせて1千枚前後、透明の衣装ケース(「おかもち」と呼ばれる)で持ち運んだようなカットがありました。まあ、劇場作品ゆえの語り草のカットですが、そんな1カットが出現した時に、ClipStudioは何レイヤー必要なんでしょうかね。

 

ペンタブによる「原画・動画」作業に移行しても、紙時代と完璧な互換性を得ることは難しく、決して同じことはできないんじゃないでしょうか。

 

紙時代の作業スタイルを「デジタル」へ移植しようとするプロジェクトそのものに難あり‥‥なんじゃないの?

 

 

さらには、未来の行き先も深刻です。

 

999レイヤーで限界だ‥‥って言ってるのって、2K24pでしかも2コマ3コマ打ちの「エコノミー」な作業形式で既に‥‥ですよネ。未来にどんどん家庭レベルの映像フォーマットが高品質化した時に、果たして、旧来の作業スタイルを踏襲するだけの思考で、2020、2030、2040年代の新時代に合わせたアニメーション制作なんて可能なの? どう考えても、無理だよね。今でも精一杯なんだからさ。

 

 

「今までの自分たちの作り方」を根本的に見直すことも必要でしょう。

 

 

限界はあってあたりまえだもん。1996〜2000年くらいの時期って、それはもう、コンピュータのスペックは何もかもショボかったよぉ。2000年のBlood劇場版の時って、劇場アニメなのにムービーチェックはD1サイズで絵のクオリティはドットバイドットの静止画でチェック、サーバは500GB(!!!現在はハンディHDDでさえ1TB)でしたよ。

 

それでも、大枚を叩いた設備だったのです。‥‥時代の限界、、、スね。

 

でも、それだからこそ、良かったのです。限界を乗り越える習慣ができて、強くなれた!‥‥と実感します。

 

 

このあたりは声を大にして言いますが、

 

ショボくて限界が立ちはだかるからこそ、新しい発想や技術が生まれる

 

‥‥のです。

 

現場がしょぼいがゆえに、目覚める能力もあるのです。

 

使いやすくて極楽極楽‥‥なんて環境では、決して新しいものは生まれず、旧来の何かにどんどん「トッピング」を盛るだけに終始します。

 

危機感があるからこそ、備えるし工夫するし開発もする‥‥のです。

 

危機感がなければ、グダグダのベロベロのユルユルに意識は野放図に緩むだけです。今のままで何がだめなの?‥‥てね。

 

 

 

999レイヤーあっても限界だ‥‥なんて話を聞くと、もはや、作画に対する基本的な概念の転換期だと感じずにはいられません。

 

旧来の「作画の基本方式」自体が時代に合わなくなってると感じます。

 

 

 

限界にブチあたったことで得られる、新しい「気づき」の機会を、作業集団がどのように扱うか‥‥で、未来の運命も分かれましょう。

 

もし、作業集団のリーダーやチーフが、その「気づき」を頑なに拒もうとするのなら、作業集団の未来はどうなるのか、考えてみることです。

 

技術集団の未来を、その集団に属する人間が、年の若さに関係なく、しかと見極める必要があります。

 

一生の中で一番才能が伸ばせる20〜30代の時期を、どんな人と集団と一緒に過ごすか‥‥は、極めて重要な自分自身の問題です。

 

 

 

 


道具の誉れ

残念ながら‥‥と申しましょうか、どんなに愛着をもってコンピュータ機材を扱おうと、1990年代からずっと使い続けている機材は皆無です。ケーブルすら全てリプレース‥‥です。

 

コンピュータ機材は、リプレース・入れ替えが宿命。

 

コンピュータ本体はダメ、モニターもダメ、ケーブル=モニタケーブル(私はD-sub15pinはもう使っておりません)、USB(1.1ね)、LAN(10baseとか)、ADBやシリアル、SCSIやIDE全部ダメ、マウスもダメ、キーボードもダメ。

 

あきれるくらい、全部ダメ、全部入れ替えです。

 

音声ケーブルだけは生き残っていますが、そもそもPC関連のケーブルじゃないし。

 

まあ、20年前のPC/AT互換機のキーボードや、D-subケーブルが辛うじて生き残っている人もいるかも知れませんが、macOSやiOS環境では20年前の機材は何も残っていません。

 

コンピュータの宿命ですね。これはガーガー言ってもどうなるもんでもない。

 

そういうもんだと思って観念して、コンピュータ機材なりの運用意識が必要です。

 

この辺にどうしても順応できないのがまさにアニメ業界で、昔の機材を使い続けるためのCS6止まりとか、そもそも道具に対する永続的維持費という概念がないのでサブスクリプションに納得できなかったり‥‥と、雇用や制作費の問題だけでなく、アニメ業界の「お金の闇」は深いです。

 

 

しかし、気持ちも判らなくもない。

 

私だって、コンピュータの「金食い悪魔」の流儀に慣れるのは、相当時間がかかりましたもん。

 

一度買ったら、道具は一生モノ‥‥という習慣をきっぱり捨て、時代の現用技術に合わせて道具を更新し、道具の運用コストも制作費に含める‥‥という思考は、そう簡単には受け入れられません。

 

日本人の美意識、職人技術者・実演者の意識として、道具は永く大切に使うもの‥‥ですもんネ。

 

 

しかし、現在の映像制作はほぼ100%、デジタルのデータが最終形態ですので、どう粘っても、どう足掻いても、最終的にはコンピュータの流儀を受け入れるのが肝要です。どれだけ個人が「反コンピュータ」を標榜しようと、その後で全てコンピュータのお世話になりますし、振り込まれるギャラだって銀行のネットワークでデータでやり取りされて口座に振り込まれて生活できてるんですからネ。

 

自分の描いた生の絵の現物を、号あたり何万で売るのでもなければ、コンピュータと「悪魔の契約」をするほかないです。そして、悪魔と契約したからには、悪魔をこき使う気概くらいが相応です。

 

コンピュータに金たま(失敬)を握られているようなヘナチョコのままでは、コンピュータに生命を吸い上げられて終わりです。

 

そういった意味で、4K60pHDRのアニメ制作は、コンピュータを馬車馬の如くコキ使うのにピッタリ!‥‥です。コンピュータは休む暇もないからネ。今まで高速だったコンピュータは「くっそトロく」なります。

 

 

 

 

で、ここまで書いといてなんですが、私とて何もかも道具のすべてをコンピュータへと移行させたわけではないです。

 

コンピュータが道具として活躍するのは、あくまでデジタルデータが支配するフィールドだけです。

 

デジタルデータを介在しないモノに関しては、コンピュータは無力です。

 

そんな中、最近ふと「惚れ惚れ」したのは、筆洗い。

 

‥‥これです。

 

 

*アマゾンでは10個まとめ売りです。いくら惚れ惚れしようと、10個はいらんな、10個は。‥‥なので、ペンテルなどの他の製品も考慮しても良いかも‥‥です。私はいつ買ったかもわからない、昔のやつを、死ぬまで使い続けると思われ。

 

 

サクラの「筆洗」。500円に満たない低価格。

 

それでも、数万、十数万、数十万するコンピュータ機器より、格段に長持ち。いつまでも、愛用し続けられます。

 

この「3重筆洗」は、容量といい、収納性といい、そもそも3重にした使い勝手の良さといい、まことに感服します。ダテに、私が子供の頃からのロングラン製品じゃないです。生き残るには意味があります。

 

私の使っているのは、厚紙のパッケージに入ってた頃の昔のもので、「サクラ」のロゴシールが貼られています。現行製品にも貼られているのかな?

 

 

 

もし、この製品の仕様が、3重ではなく、2重だったら、もう1組買うなど、面倒なことになっていたでしょう。

 

展開すると三槽になることで‥‥

 

  • 1槽目=筆の汚れを最初に落とす、水が一番汚れる槽
  • 2槽目=筆をささっとゆすぐ、さほど水が汚れない槽
  • 3槽目=筆ゆすぎの仕上げ、または、絵具を薄める用途に使う、水が一番きれいな槽

 

‥‥という必要十分な使い方が可能です。

 

各槽の容量も絶妙で、少なすぎず‥‥です。

 

大面積や十数枚など、多量の絵具を使う場合は、もっと大容量の筆洗が適していますが、私のプラモ・アクリル塗料用途では、そのコンパクトさゆえに場所もとらず、十分な洗浄力も提供してくれて、「なんてデキる子なんだ」と愛着が止みません。

 

*「重ねて収納」するため‥‥かもしれませんが、中央槽の「ちょっと大き目で多めの水の量」も絶妙。筆をすすぐ時に、水は多い方が良いですからネ。

 

 

しかも、中央槽にハンドルがついているので、重ねてコンパクトに収納できるだけで終わらず、ハンドルをSカンに引っ掛けて、「空中」に収納することも可能です。これが「なくさない」し、「邪魔にならない」しで、いいことずくめ。

 

 

 

このサクラ筆洗を下回るコンピュータ機器なんて、いくらでもあるわな。

 

すぐ故障する、大して役に立たずに旧式化する、設計のマズさから使うだけでストレスがたまる‥‥とか、コンピュータ関連機器がいくらCPUや集積回路を使って高価なシロモノだろうが、サクラ筆洗の「運用実績」に歯が立たないものは‥‥多いです。

 

比べること自体が間違っている‥‥なんて言われそうですが、道具を使ってモノを作る人間にとっては、「道具は道具」です。

 

道具に貴賎なし。

 

 

願わくば、私が使うコンピュータ機器も、サクラ筆洗と同じくらい、愛着と信頼をもてる道具でありますように。

 

 

 


Apple Pencilのチップ買い足し

Apple Pencilのチップが、作業場で残り1つになったので、買い足しました。‥‥4つ1パックで2300円くらいするので、こまめに買ってはいますが、どうせ消耗品だし、お金の余裕のある時に5〜6パックまとめ買いしても良さそうです。

 

 

同時にマウス「M187」も買い足し。ストック用です。意外に妙なタイミングでマウスって壊れますので、安い時に買い溜めておくのが一番。未開封新品のM187は現在2つ確保しております。

 

また、Apple Pencil充電用のケーブルも買い足し。現在、私の作画机にはUSB充電口が合計20個以上(!)あるので、Apple Pencil用に消費しても全然余裕があります。なので、現在Apple Pencilを2本常備して使っていることもあり、充電ケーブルを買い足しました。

 

 

現在、私は4本のApple Pencilを所有していますが、iPad1枚につき1本、かつ、場所にもそれぞれ‥‥なので、どうしても本数が多くなります。後生大事に1本のApple Pencilを使い続ける‥‥なんてことはないです。ちょうど、ギタリストのギターのように、数本を使い分けるのが、融通が利いてよろしいです。

 

ここまでiPadとApple Pencilへの依存度が高くなってくると、次期のiPad Proはどうしても期待してしまいます。マイナーチェンジでもない限り、即買いするでしょう。だって、iPad ProとApple Pencilでガチに金を稼いでるんですもんネ。性能が一新されて使い勝手が向上すれば、ダイレクトに仕事に反映されますから、新製品は期待して当然です。iMac Proならいざ知らず、iPad Proくらいの価格なら、仕事で使ってれば短期でペイしますしネ。


ドットバイドットでないにせよ、6Kくらいなら全然ストレスを感じずに作業に没頭できますから、4K仕事にも十分対応できます。iOSとmacOSの連携に慣れると、いちいちサーバ越しのやりとりが時間の浪費に思えます。

 

で、新バージョン登場でお役御免になったiPad Proは、依然として「普通のiPadとして」第2のお役目を割り当てられます。多少世代が古くなってもタブレットとしての性能は遜色ないですから、設定ビュワーなんかには贅沢とも言えるほどです。

 

iPad ProとApple Pencilって、高い買い物のように思いがちですが、実は対費用効果がとても大きいと実感します。他のタブレットに比べて多少高くても、iPad Proを使い続けているのは、実感に基づく大きな理由があるのです。

 

薄くて軽くて、取り回しが軽快で、作画机の棚にポンと置けるiPad Proは、少なくとも私にとっては「紙からタブレットへ」移行する最適の手段でした。我が物顔で机を占拠する巨大で底厚の液晶ペンタブレットは、どうしても使う気にはなれませんでした。

 

「紙に絵を描く姿勢」の延長線上にあったのは、まぎれもなく、薄型軽量のiPad Proでした。

 

 

一方、Wacomの薄型軽量の雄、Cintiq Proは、ちまたのSNSを垣間見るに色々と障害が発生しているようで、メーカーの誠実な対応が望まれます。

 

AppleとWacomのどちらが生き残るか‥‥‥なんて、ユーザにとっては不毛な戦いです。やっぱり、CintiqはCintiqでどんどん進化して欲しいもんネ。Appleは薄情なところがあって、5年後、10年後にiPad ProとApple Pencilを製造し続けている保証なんてないもんな。

 

 


静音マウス

マウスが静音で、そんなに嬉しいか? ‥‥と思ってましたが、使ってみたら、結構イイです。

 

衝動買いして自宅で使い始めましたが、なんだか気に入って、仕事場でも使うようになりました。

 

 

私が今まで愛用してたのは、ロジクールのM187です。写真の右にあるマウスで、コンパクトで軽量なので手が疲れません。既に10個以上は買い続けており、他のマウスはアップル純正も含めて全く使わなくなりました。‥‥とまあ、かなり気にいって愛用しているので、今後も使い続けると思います。

 

静音マウスのM220は、M187より大きいですが、昔でいうと「Apple ADBマウス」くらいの大きさ程度なので、「デカい」とは決して感じません。至って普通です。

 

M220で気に入ったのは、静音そのものよりもクリック感です。「クン、クン」「クニ、クニ」という優しい感触です。音を「カチカチ」出さないための何か工夫があるんでしょうけど、それがクリック感にも作用しているようです。

 

電池は単三を使っているので、単四のM187よりは重いです。ただ、マウスは机に置いて接地しつつ使うものなので、慣れれば大した差ではないように思います。実際、1週間ほど使っていますが、重さは気になっていません。ただし、M187の軽さに惚れている場合は、M220は確実に重く感じるとは思います。‥‥電池が重いんですよね、結局。

 

 

上の写真を見ると、M187は相当バッちく汚れてますネ。側面の白いラインが黄ばんでいます。重曹水で拭いてみたんですけど、全く汚れが落ちません。ホールド感を向上するためか、側面のライン部分はゴムっぽい素材なので、汚れが染み込んで取れない‥‥んでしょうかネ。

 

なので、汚れに限らず、マウスは消耗品!‥‥ということで、M187が安く売り出されている際は予備を買っとくのです。安い時は、アマゾンで600円台で買えます。

 

*853円の20%オフなど、600円台で買える時もあります。本体色によって値引きが異なるので注意。

 

 

‥‥で、今回、予備マウスを買う際に、レジ横(アマゾンのレジ横)でM220を見つけて、試しに買ってみた次第です。

 

ロジクールのワイヤレスマウスには大きな信頼を寄せていますが、今回のM220も高級感はないものの質実剛健で良いマウスです。

 

 

 

 


CC110

CC110、モデルチェンジ。

 

 

以前に情報公開されてたのが、実際に販売開始。

 

ず〜っとオフ車ばかりのってたけど、最近はこういうのでもいいや‥‥って感じになってます。

 

CCは50ccと110ccがあって、110ccモデルのみミリタリーグリーンがあります。黄色も赤も良いですけどネ。

 

私はスズキ車が好きなので、Vストロームも気になってます。

 

 

 

その昔、YAMAHAのTDR250を結局所有できずに乗れずじまいだったので、こういうマッチョなデュアルパーパスに未練が残っているのです。まあ、Vストロームは「今のバイク」なので、TDRとは比べものにならない(=優しい)とは思いますけどネ。TDRは、45馬力で2ストだもん。

 

 

まあ、でもダメだ。

 

バイクにお金を使っている余裕など、今はない。

 

 

 

 


アッポーペンシルの芯

さすがに、使用頻度が高くなってくると、みるみる、Apple Pencilの芯は擦り減りますネ。

 

ぶっちゃけ、芯先の消耗具合で、描き仕事の多さがわかる‥‥と言いますか。

 

 

でも、

 

「いや、描く時間が短くても、オレは筆圧が高いから」

 

‥‥と言うのは、マズい。

 

ペンタブで筆圧が強い描き方はご法度です。何よりも自分の体を痛めますからネ。

 

鉛筆は筆圧が強ければ芯が折れますが、ペンタブは全く折れないので、いくらでも力を込めて描いてしまい、やがて「肩」を痛めます。ペンダコも酷くなります。

 

 

通常の筆圧で、絵を描く頻度が高いと、1〜2ヶ月でApple Pencilのペン先は消耗します。金属が露出寸前になるまで、表面の樹脂がすり減るので、書き味がガリガリザラザラしてきたら、とっとと交換しましょう。

 

Apple Pencilの「チップ」は4つ1パックで2300円くらい。私が愛用していた鉛筆「トンボ8900 HB」は1ダースで350円くらい。

 

 

 

 

 

たしか、私の「鉛筆最盛期」でも1ヶ月に1ダースくらいだった‥‥はずです。記憶が曖昧ですが、たしか、2〜3日で1本使ってたので、まあ、だいたい1ヶ月12本で1ダースですかネ。

*今じゃ、1年に1本も使い切りません。変われば変わるもんです。人の日常って。

 

なので、コスト的には鉛筆のほうが(まあ、私は一番安い8900愛用者でもあり)安いですネ。高めなハイユニとか使っていると、話は変わってきますけどネ。

 

 

道具を使い込む‥‥で思い出しまたが。

 

以前に書いた「練習量」の話ですが、Apple Pencilのチップを見れば、「書いてる量」が判ります。‥‥交換してすぐ‥‥でもなければ。

 

ギターでもフレットの減り具合や指板の汚れでどのくらい弾いてるかがわかりますし、ブリッジやピックガードのネジのサビでも、どれだけ弾き込んでいるかが判ります。

 

例えば、ストラトのピックガードのリアPUあたりの上のネジ2つは、右手があたるので汗がついてサビやすく、逆に、ここがサビていないと、手をボディにつけずに弾くタイプかな?‥‥とか、他の部分のヘタリ具合を見て、フレットは減っててもネジなど金属はピカピカだと、楽器の手入れがマメな人なんかな?‥‥とか、ギターを見ただけで「ひととなり」が伺い知れます。

 

 

今も昔も、画具や楽器が新品同然なのって、「やってない証拠」だったりします。「真剣にやってれば」道具はみるみる間に使い古されていきますからネ。

 

なので、絵とかでも、新品の道具だけが並んだ机って、なんていうか、かっこ悪い。‥‥御託だけで実が伴わない感・格好だけ感が、机から匂い立つのです。‥‥ああ、この人は絵描きではなく、画具コレクターなんだね‥‥と。

 

iPadとApple Pencilは、そんなに「使い込んだ感」は表面にでませんが、些細なキズとか汚れ、保護フィルムの光沢などで、「歴戦」の様子は同業者なら見て取れるんですよネ。

 

まあ、フランケンやダックみたいまで、ヘタることはないにしても。

 

*コンピュータ関連機器って、歴戦のビジュアルになるまで「マシン性能が時代遅れになってしまって、使いたくても使い続けられない」が悲しいですネ。

 

 



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