謎の美女をiPadで描く

井上真樹夫さんと言えば、私の中ではハーロック。五右衛門は実は大塚周夫さんの五右衛門も好きです。いわゆる「大隅ルパン」の五右衛門です。

 

大隅ルパンのなんとも言えないアンニュイな感じは、子供ながらに引き込まれました。小学1〜2年生の頃(おそらく冬の再放送とか)に見て以来、魅了され続けています。

 

思えば、映画だけでなく、コミック(漫画)も、そしてアニメも、1960〜70年代はヒロインのファムファタル傾向が強かったですね。80年代になると、「同級生のアイドル」みたいな感じに移行して、ファムファタル系は一気に下火になりました。

 

いや。私は今でも好きですけどネ。ファムファタル系。

 

現在はもはや、女キャラはなんでも幼く可愛く童顔で予定調和で描かないとNGみたいに偏って、作る側も受け取る側も、もっとバリエーションを許容すれば良いのに‥‥と感じることはあります。でもまあ、「時代がそれを求めている」のでしょうネ。ならば、致し方ないです。

 

ハーロックを描いてみたら、なんだかムラムラしてきて(=そう意味ではなくて)、宇宙列車で旅する「例の謎の美女」を描いてみたくなりました。

 

ただ、今回は全く似せるつもりはなく、我を出して描きました。‥‥純正の謎の美女はまたの機会に。

 

*目の中身をうずまきみたいにして描くのって、今はほとんどないですけど、こうして描いてみると、なんだか「うるうる」した感じに見えて、なるほど、70年代に流行ったのも頷けます。

 

 

iPad Proは楽しいです。いろんなペンで気軽に描けます。

 

今回は初期型(2015年モデル)のiPad Pro 12.9インチとApple Pencil、そしていつものProcreateで描きました。

 

初期型でも、全然現役でイケます。

 

中間トーンなしに、白地とペンの黒だけで描くのも、キモチいいですネ。

 

あえて色を使わない‥‥というのも、楽しいものです。ビアズリーとか、白黒だからこそ、あの雰囲気がイイんですもんネ。

 

 

 

落書きは定期的にしないとイカんなぁ‥‥と思います。

 

思考がどんどん凝り固まって、発想すること自体を忘れがちになります。

 

いまや、一番安い3万円台のiPadでもお絵かきできますから、かしこまって机で描くだけでなく、冬の夜長をファミレスとかコタツとかで、絵を描いて遊ぶのも良いんじゃないかと思います。

 

瓢箪を振って、中から駒を出そう。

 

遊びや悪ふざけから、アニメの企画に発展するのを、何回も体験してます。現場の雑談が企画になっちゃう‥‥のとか。

 

アマゾンのサイバーなんたらで、今日いっぱいまで特価で売ってるようです。税込で32GBモデルが33000円、128GBモデルが44000円で、アップルストアよりも安いです。

 

まあ、128GBのほうがなんだかんだと余裕がありますが、32GBでもパソコンにどんどんデータを追い出せば使えないことはないです。かなりの量の絵を描かないと、中々、10GBなんて消費しないですし。

 

みんなでiPadを買ってお絵かき会をしよう。「大喜利お絵かき」とかネ。

 

 

 

 


ハーロック、アニメック

井上真樹夫さんが亡くられたとのこと。‥‥‥何だか、とても寂しい気持ちです。ご本人を知っているわけではないので、リアルな悲しみというよりは、寂しさが無性に込み上げてきます。

 

‥‥だってさ、ハーロックだよ、五右衛門だよ。

 

子供の頃から、まるで実在している人物のように感じて、いつまでもずっと生きていると(心のどこかでなんとなしに)思っていたアニメのキャラの、「生の声」がもうこの世からなくなってしまった‥‥のは、寂しいと言うほかないです。

 

記憶を辿ってみると、私が小学6年生の頃に初めて行った「アニメショップ」の「アニメック」(新宿御苑のあたりに存在した)で買った、初めてのアニメグッズがキャプテンハーロックテレビシリーズの設定集でした。黄色い紙のケースに入った、B4だかの大きさの白黒印刷の設定集でした。

 

なぜこんなに寂しくて、何か、心の奥でズド〜ン‥‥と落胆するのだろうと考えると、「大切な思い出も込みで、愛着が深かった」からだと思います。

 

夏休みの日に、アニメージュか何かに載っていた広告の地図を頼りに、友達と国鉄にのって、新宿から地下鉄にものって、ちょっとした冒険気分でアニメックを探し当てて、店内には色々なグッズやアニメ用品が並んでて‥‥と、見るもの手に取るもの、初めてづくしで、今でも記憶に残っています。

 

夏の蝉の声(近くに御苑があった関係かな?)、今ほどはキビしくなかった夏の気温、向こうの幹線道路から聞こえてくる車の喧騒、色々な情景のニュアンスも同時にフラッシュバックします。

 

りんたろうさん監督で井上真樹夫さんがハーロック役。‥‥懐かしい限りです。

 

久々に思い起こして、Kindleの単行本も見ながら、描いてみました。いつものようにiPad ProとProcreateで、松本零士さんの筆致を真似て。

 

‥‥笑顔にしてみたら、ちょっと可愛い顔になっちゃったかな‥‥。あと眉毛はもうちょっとゲジゲジにしたほうがよかったかも‥‥。

 

悪ノリして、ハーロックだけでなく、巻物風の定番のアレを、ピクチャフレームにしてみました。


 

 

子供の頃に戻りたいとは思わないけど、あの夏の日は、とても愛おしいです。‥‥そうだ、小学6年生の時に、まさに999の劇場公開でした。「男だら危険を顧みず」のセリフにしびれ、なぜ屋外で舵を切る!?‥‥と皆が不思議に思ったものの有無を言わさぬ圧倒感があったハーロック。

 

そりゃあ、外で舵を切れば、破片も飛んできて、頰に当たって血も出ましょう。今、冷静に考えると、相当クレイジーな人でしたネ。

 

懐かしい。

 

そして、寂しいです。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 


danse

音楽をiPadで聴いてて、ふと、「Danse」というスペルが目に飛び込んできました。

 

「あれ? Danceじゃないの?」とふと思ったのですが、まさかAppleやAmazonのMusicにおいて、簡単な単語のスペルミスがあるとは思えず、気になって調べてみたら。

 

‥‥フランス語でした。

 

Danse Macabre:死の舞踏

 

英語はDanceで合っています。

 

あー、驚いた。まさか何十年も間違って覚えて生きて来たかと動揺しました。最近、「Colour」の話もあったので、なおさら。

 

 


レンダー庭園

4Kでカットアウトで内容の濃いカットの場合、1フレームのレンダリングに5分、つまり、1時間で12フレーム=2時間で1秒の尺のレンダリングとなり、レンダリングの効率化は不可避の案件です。5秒の尺のレンダリングに10時間もメインマシンを占有されるのは、なかなかキビしい状況ですから、レンダリングを他のマシンに割り振って、メインマシンは日中の作業でオペレーションに用いたほうが良いでしょう。(というか、普通、そうする)

 

3DCGのレンリングに比べれば、まだまだ軽いほうかも知れませんが、現在の2Kテレビ作品に比べれば猛烈に重くなります。

 

いわゆる「レンダーファーム」が必要になりますが、After Effectsの監視レンダーはどうも使い勝手が悪くて、昔から敬遠しています。

 

aerenderを用いて、Windowsの「レンダーガーデン」のようなソリューションをmacOSでも作ってみようかと検討中です。

 

監視レンダリングの不明瞭な動作よりも、aerenderコマンドでレンダリングを分散し、全てのファイルが正常にレンダリングできたら、今度はスクリプトでProRes4444で書き出すようにすれば、人間はオペレーションに集中できます。その一連の流れを、AppletかDropletにして手軽に使えるようにすれば、分散レンダリングの準備に時間を割かれることも少なくて済みます。

 

マシンの格付けをおこなって、割り振るフレーム数の割合も決められますしネ。もちろん、After Effectsはレンダリングエンジンで増やすので、ライセンスを気にすることはないです。

 

私はいつものAppleScriptでちゃちゃっと‥‥と思いがちですが、ここはひとつ、Swift習得も兼ねてみようかな‥‥と欲を出しております。簡単なウィンドウの1つでもUIとして付けたいですもんネ。

 

 


マシンパワー

4K以降の映像制作において、パススルーを駆使した「解像度非破壊コンポ」「大判ではない大判コンポ」を組んでも、マシンパワーはどうしても必要です。

 

現在、32GBのメモリでも「もはや少なめ」感があり、64GBを標準とする雰囲気が4K制作では漂い始めています。GPUの活用は、3Dだけでなく2D〜アニメでも必須となり、GPUのメモリは8GBは必須、可能ならば16GB以上にしておきたいところです。

 

この働きっぷりを見てください。

 

 

CPUは大稼働という感じではない(コンポの内容によっては80%を超えることも多々あり)ですが、32GBのメモリはいかにも満杯で、仮想メモリ・ディスクキャッシュに溢れて、M.2の内部SSDも大稼働です。

 

上図Windowsマシンに限らず、64GBを積んだiMac Proでも、しれっと64GB中の81%(=52GB)をAfter Effectsが使用するありさま。

 

 

 

「メモリを与えれば与えただけ、食うヤツ」がAfter Effects。オバケのQちゃんみたいで、ちょっと可愛い。

 

別にAfter Effectsだけがマシンパワー食いなわけではなくて、Photoshopでも、Toon Boom Harmonyでも、「アニメの4Kはマシンパワーを食う」のが新標準です。4GBや8GBのメモリ、内部ディスクが鈍足極まりないHDDなんて、もはや「お話にならん」時代がやってきます。

 

とはいえ、運用の見込みすら立たないわけではない=見込みはあるので、まだまだアニメの4Kは勝機があります。今のうちにエラー&リトライを繰り返しノウハウを貯めて、近い将来、周囲の映像産業(実写や3DCG)が4Kで悪戦苦闘する際に、アニメ制作現場だけは「ウチら、4Kできます」という状態にしておいた方が、次世代のビジネスチャンスも獲得できると思うんですけどね‥‥。

 

しかしながら、今のアニメ制作現場は、「デジタル作画をどうするか」「レタススタジオをどうするか」で停滞しているので、せっかくの「未来社会の上げ潮」を活かせないのは、ホントに勿体無いと感じます。

 

 

 

「マシンなんて時代とともにパワーアップするんだから、安くなった頃に導入すれば良い」‥‥と考える人もいましょう。たしかに「高性能は時代とともに安価へと経緯する」のはその通りなんですが、安価へ経緯した時には勝機を完全に失って、レッドオーシャンの芋洗にまみれることになります。安くなればみんな買えるようになるのですから、絵に描いたような「競合の群れ」です。

 

ビジョンもなしに社会の趨勢に一歩も二歩も遅れて追随する危うさを、明確に自覚して避ければ良いのですが、ついつい後手後手で中途半端に新しいものに手を出して、結局は誰もが避けたい一番キツい状況にハマるようなこともあるでしょう。2005年前後に「デジタルアニメーション」の尻馬に乗ったことが、果たして良かったのか、特に総括も反省会もせずに、アニメ業界は2020年代を迎えて、また似たような「尻馬乗り」をする‥‥のかも知れません。

 

「尻馬に乗る」ということは、「馬の尻周辺の、馬糞の臭いに甘んじる」ということでもあります。「尻車に乗る」なんてことわざはないですが、もし自動車の尾部にすがりつけば、排気ガスをたっぷり吸い込むことになります。

 

馬に乗るのなら、尻ではなく、胴に跨って、騎兵のように能動的に戦場を駆けたいですよネ。

 

 

 

 

あと1ヶ月もしないうちに2020年。

 

私が子供の頃にマンガやアニメで見た「チューブの中を乗り物が移動する」都市にはなっていませんが、1990年代に「いくらなんでもそんな発達するのか?」と思っていたくらいにはコンピュータは発達しました。

 

プレステ1のゲームでは320x240で15fpsでアニメーションパートを納品してたんですよ。今では320pxなんて、アイコンサイズ、サムネールサイズですよネ。

 

2020年代の日本をどう生きるか。

 

ネガティブに生きる? ‥‥‥いやいや、不幸が好き‥‥なんて人はほとんどいないはず。

 

2020年の時代性の中からポジティブな要素を紡いで、最終的には「幸せ」を追求したいですネ。

 

 

 


台とカメラ

4Kドットバイドットでアニメ作品のコンポジットをすると、大判は「何も工夫しないで組む」と2〜3万ピクセルに到達し、「内部制限」のエラーで進退極まります。なので、コラップストランスフォームを賢く使った「撮影ではなく、コンポジット」の技術で対処することが求められます。

 

*アニメは実写と違って、カメラを大きく振れば振るほど、大判になって、コンポジションが広大になる。

 

 

 

 

 

*かと言って、カメラワークのなすがままにコンポジションサイズを単純に大きくすると、以下のような「内部制限」に引っかかる。

 

こうした限界を突破するには、巧妙に「巨大サイズを避ける」コンポジット方法が必要です。拡大縮小によるラスタライズを避け、元素材の情報量を殺さずにコンポジットするわけです。After Effectsですと、コラップストランスフォームを賢く使うことで、野放図に大判サイズの素材を作らずとも「2〜3万ピクセル相当」の大判コンポを組むことが可能です。‥‥まあ、大変なのは変わりないですけどネ。

 

「コラップストランスフォーム」とは、他のソフトウェアでは「パススルー」とか「通過」などとも呼ばれ、プリコンポーズしてもラスタライズしないでそのまま扱うオプションです。大きな解像度の素材を大きな解像度の情報を保ったまま縮小したり、ベクターをベクターのまま扱ったり、内部のレイヤー構造やZ軸をそのまま受け継いだりと、コラップストランスフォームはAfter Effectsを使い慣れてくると非常に便利で高品質なオプション機能です。

 

コラップストランスフォームを使いこなす技量は、After Effectsの高度なコンポジットを目指すなら獲得しておきたいものです。

 

 

 

しかし。

 

コラップストランスフォームで、通常なら3万ピクセルのキャンバスを4Kのまま抑えて「内部制限エラー」を回避しても、After Effects自体の設計の古さが仇となって、「できるのにできない」障壁にブチあたることがあります。

 

フィールドが広大過ぎて、拡大プレビューが追いつかず、制御のハンドルが掴めない‥‥です。

 

4KでXYの平面でコンポジットしているうちは気がつかないのですが、Z軸を使って立体的な「寄り引き」のカメラワークをおこなうと、Z軸の距離は2万3万、時には10万ピクセルに到達することがあります。

 

数万ピクセルになってくると、オブジェクトのワイヤーフレームも小さくなり、制御ハンドルも比例して小さくなります。‥‥つまり、「掴めなく」なります。

 

「プレビューを拡大すればいいじゃん」と思う人は、まだ未体験の人。

 

After Effectsには拡大やスクロールの制限があり、Toon Boom Harmonyのようにユーザの思うままに拡大したりスクロールすることができません。おそらく、After Effectsの開発者の方も、1%以下の拡大率など想定していないのでしょう。

 

4Kになれば、XYだけでなく、Z軸も大きくなります。むしろ、Z軸のほうが巨大な数値になりやすいです。‥‥まあ、アニメで4Kのドットバイドットを作る事例自体がほとんど存在しない現在、Adobeにもフィードバックがかなり少ないのでしょうネ。

 

 

 

なので、アニメ撮影台風の「台を動かすカメラワーク」ではなく、「カメラそのものを動かす方式」で切り抜けることになりますが、カメラのコントロールは、台を動かすのとは一味も二味も違って、様々な「思考の切り替え」が必要になります。

 

画角の湾曲は、一番厄介です。

 

今までの「アニメの撮影」では画角の湾曲を意識することなく、フレーム指定に合わせて上下左右前後(前後は拡大縮小の場合もある)に台を動かしてカメラワークを実現していました。

 

しかし、その方法ですと、3万ピクセルのZ軸ともなると、制御ポイントが遥か彼方に遠くなって、前述の通り、ハンドルが掴めなくなり、実質制御不能に陥ります。

 

なので、カメラのティルトは最大限に抑えて、カメラの画角による湾曲を抑制しつつ、「カメラオブジェクトを動かしたカメラワーク」を実践して切り抜けることになります。

 

 

 

カメラを動かせば、カメラに制御ポイント・制御ハンドルが追随するので、掴んで操作することが可能です。

 

仮想のカメラとはいえ、ちゃんと「広角レンズで近寄って収める」「望遠レンズで離れたところから収める」のようなバリエーションも可能です。レンズの口径を変えれば、当然、Z座標ゼロから離れた前後の「見た目の大きさ」も変わってきますし、F値と被写界深度によるボケも変わってきます。

 

ちなみに、「Z軸なんて使わずに、スケールの拡大縮小でいいじゃん」と考える人もそれなりに多いように思います。ただ、それだと、全くの平面の拡大縮小になってしまって、奥行きがでません。昭和テレビ作品のアニメ撮影技術から脱して、2020年代にふさわしいコンポジットをおこなうには、XYZ全軸の舞台セットの奥行き表現は標準技術とすべきでしょう。

 

 

 

現在のアニメの現場は、ペイントマン一択でペイント作業をしていますが(昔はアニモとか色々あった)、ペイントマンが動作しなくなる未来の恐怖は潜在的に持続しています。レタススタジオが動作しないOSにMacもWinも切り替わった時、アニメ業界はどのように切り抜けていくのか、各所のリーダーたちの手腕が問われます。

 

同じく、アニメの撮影は、延々と「フィルム撮影台の模倣」を基本としたまま、パーティクルとかテクスチャ貼り込みなどの上乗せ機能追加で現在に至っています。タイムシートがまさに物語っているように、2019年の今でも、全くもって、Z軸の活用はできないまま停滞しています。

 

作画に限らず、ペイントも撮影も、旧態依然とした状態から抜け出せず、2020年を迎えることになりますが、社会全体は刻々と未来へと進んでいきます。

 

 

 

旧態化した現場にXデーが来る‥‥なんて考える人もいるようですが‥‥。

 

Xデーなんてありません。徐々に、一社消え、二社消え、あの人が去り、この人も去り‥‥と、時代の変化、世代交代は、緩やかに進行します。

 

例えば、VHSが消えた時、ある日を境に全世帯で一斉にVHSが廃棄されたでしょうか? 徐々に少しずつ、VHSは消えていきましたよネ。

 

フィルム撮影台を廃棄した時だって、「決行日」を決めて、全社一斉に廃棄したわけではないですよネ。

 

個人Webサイトのジオシティーズだって、何かを発信したい人はSNSに移行して、2010年代前半には各所で更新が滞るようになって、徐々に過疎化して放置されていったのです。Yahooブログ(ジオシティーズ含む)の終了は決してXデーではなく、廃墟化する中で、いよいよサービスも止まった‥‥というだけのことです。

 

ユーザがたくさんいるのに現行の状況を強制的に停止したのは「地上アナログ」テレビ放送くらいしかパッと思い当たりません。アニメ業界の場合、OSの更新やセキュリティアップデートをストップしてでも、旧32bitソフトウェアを使い続ける現場は多いと思います。

 

Xデー、審判の日で、何かが一斉に滅亡するなんて、アニメかマンガかSFアクション映画の話です。実は気が抜けるほど緩やかにのんびりとしたペースで衰退は進んで、数年単位で滅ぶものです。後になって、「あの出来事が、終わりの始まりだった」と述懐することはあっても、判りやすい「裁きの日」が来るわけじゃないですヨ。

 

必要なのは、一見のんびりとした移り変わりの兆候を見逃さず、然るべき準備と布石を打つことです。

 

 

 

誰かが新しい道筋を最初に開いたとして、その道に進めるのは、既に似たような準備している人、もしくは変化に順応できて柔軟性の高い人であって、全員参加で新しい道を歩いていけるわけではないです。

 

After Effectsを「アニメの撮影」どまりのツールにするか、未来の様々なコンポジット作業の足場とするかは、まさに当事者の意志次第、未来のビジョンそのもの‥‥ですネ。

 

 

 


逆走車

最近、逆走車の事故が関越道で発生しましたが、追突された自動車の乗員は軽症だったそうで、不幸中の‥‥でしたね。私は今まで2回ほど逆走を目撃したことがありますが、2回とも60〜70歳以上らしきオジさんでした。戦中生まれ、団塊世代の高齢化がより一層加速する未来に、逆走はさらに多発する予感がします。

 

逆走遭遇体験で一番怖かったのは、片側1車線の道、つまり相互1車線ずつの道で、何を思ったか爺さんのセダンが対向車線に車線変更して、信号待ちをし始めた時です。「片側2車線の一方通行の道」と勘違いした様子でした。

 

道はこんな感じ。

 

 

 

図の左下。私の車は緑。爺さんのセダンは赤。

 

 

 

この後、爺さんセダンは、よろよろ〜〜と、いかにも歯切れの悪いルーズなアクセルワークで、対向車線に躍り出ました。

 

一瞬、「信号待ちをしている車を追い越して一番前に割り込む、スゲぇワルい奴」かと思いましたが、予想を遥かに超えて、なんと、対向車線で停止し信号待ちを始めました。

 

 

当該の合流の側道は、大型トラックが頻繁に入ってくる道で、もし 大型トラックが爺さんセダンに突っ込んだ場合、私の車が巻き添えになるのは「ビリヤード」的に容易に予測できました。道は上り坂で合流するY字路なので、見通しが悪く、運が悪ければ「正面衝突&巻き込みの大事故」になりそうなシチュエーションでした。

 

‥‥で、案の定、いつものように、対向車線から大型トラックが進んできましたが、大型トラックは座席の位置が高く、見通しが普通乗用車より良いので、トラックの運転手さんが早期に気づいて、すぐに減速、事故には至りませんでした。

 

 

 

その後、しばらく睨み合い(?)を経て、爺さんセダンはいかにも戸惑った様子で、信号待ちしているこちら側の車線の先頭に割り込んで、避けていました。‥‥まあ、それしか退避の方法はあるまい。

 

 

 

みんな優しいもので、クラクションなど誰も鳴らさずにオトナの対応で事故なきを得ました。

 

‥‥で、事はこれでは済まず。

 

こちら側の信号が青になっても、信号待ち先頭に割り込んだ爺さんセダンは中々走り始めず、頭の中が混乱して処理能力が明らかに低下しているようでした。

 

やがて、のろ〜〜りと走り始めたと思ったら、交差点の中途半端な位置で停止してしまいました。合流の信号なので対向車はおらず、ただ進みたい方向に進めば良いのですが、もはやパニックになって思考停止して、進退窮まった‥‥のでしょうかね。

 

 

 

ここでもみんな優しい‥‥というか、もう勝手にしろとばかり、交差点のど真ん中で停止していた爺さんセダンを尻目に、どんどん追い抜いて自分の進むべき道へと去っていきました。

 

 

 

爺さんの今までの人生がどんなものであったかは露知らんですが、少なくともその時は人里に現れた野生の獣。爺さんにどんな功績があろうが、どんなに人が良かろうが、どんな人格者だろうが、ただの「運転破綻者」であり、鉄の塊に搭乗した野放しのケモノでした。

 

運が悪ければ大事故になってたでしょうネ。対向車線のトラックの運転手さんの咄嗟の対応に感謝するばかりです。

 

 

 

日頃のおこないとか、どんな立派な人生を歩んできたとか、「運転破綻者」には何の酌量にもならんス。

 

運転が破綻するような処理能力まで低下したのなら、免許を返納してください‥‥としか言えないです。本人の老化はどうにもならんでしょうから。

 

しかし、セダンを所有・維持するような老人ほど、自分の運転を過信しがちで、返納を拒むかも知れませんネ。

 

ちなみに、若い人間でも逆走はします。単に標識を的確に理解する能力が不足している場合は、年齢に関係なく逆走は起こり得ます。実際に、20代の男性が運転する乗用車がインターチェンジを逆走して正面衝突して死亡した事故がありましたね。

 

 

 

身内ごとで恥ずかしながら、私の父が普通車免許を所有しオマケ免許で原付バイクに乗っていた頃、父が「一時停止不停止」で違反したことがありました。もちろん、罰則金とともに。父は「あんなところ、止まる人のほうが少ない。弱いものイジメだ。」などと恨み節を吐いていました。止まる人が少なければ一時停止を無視していいわけがなく、弱い原付に限らず頑丈なベンツ(に乗るような年収の人)でも違反は取られるので、まさに感情的で冷静さを欠いていますわな‥‥。

 

その他、いきなり駐車場から安全確認もせずに車道に合流したり、ほとんどブレーキが効かなくなっても乗り続けたり(整備不良)と、問題行動が多かったので、家族で詰め寄って免許を返納させました。

 

一人で自爆して死ぬぶんには、ぶっちゃけ構いませんが、他者を巻き込んだ場合、とんでもないことになりますよネ。

 

 

 

ちなみに、違反。

 

一時停止は完全に止まって、サスペンションの沈み込みの反動を確実に感じるまで、しっかり止まらないと、違反を取られます。ほぼ時速0Kmまで徐行しても、一時停止とはみなされないので注意。完全に車体が停止し、奇妙な話ではありますが「警察がいないことを確認するようにして」右左を見渡し(3秒程度)、再発進するのが良いです。

 

また、横断歩道での歩行者妨害は、違反ホイホイなので、特に都市部や駅前の「中々、人が途切れない横断歩道」は注意しましょう。白バイが影で張ってますヨ。完全に人が途切れるまでは、横断歩道に進入しないようにしましょう。

 

私はどちらも違反で切符を切られたことがあります。街中の「違反ホットスポット」で捕まっている車もよく見ます。

 

罰則金は地味にイタい出費ですし、免許書き換えの際に免許センターまで出向かないと(違反者講習のため)手続きできないのは結構面倒です。免許センターって、交通の便が悪いところにありがちですよネ。

 

 

 

今月からスマホ操作(やカーナビ操作)に対する罰則が厳しくなりましたネ。

 

メールを読んでなくても、単にiPhoneのiTunesを操作してても捕まる確率は高いです。ハンズフリー通話もダメだとか(ほとんどの都や県でNG)。

 

信号待ちの停止時であっても、スマホ操作はアウト。信号待ちは停車ではなく走行中(走行の流れの一環)と見なさるのは昔からです。停車ではなく停止なんですよね。駐停車が許されている路肩に寄せて完全に停車させないと、スマホ操作はNGだと思われます。

 

スマホ操作は今後「違反ホイホイ」の1つになりそうな予感。

 

Apple WatchでSiriに「次の曲に飛ばして」と命令するのは、さすがにOKだとは思うけど‥‥‥。まあ、違反事例の今後の様子を見届けましょう。

 

 

 


良きネット

問題点を提起することと、憎悪をブチまけることは、同義ではないはず。アニメ業界はそれこそ30年以上前から問題の多い業界だったので、積年の恨みもありましょうが、憎悪はさらなる憎悪しか呼び寄せないので、「怒りの声」は憎しみの憂さ晴らしではなく、何らかの解決を目指して発したいものですネ。

 

昔のBBS、ネットの掲示板において、売り言葉に買い言葉、水掛け論、お互いの主張を全く譲歩しようとしない意地の張り合いを見て、文字だけでやりとりする不毛さ、危うさを体験した人は、30〜50代に多いと思います。ネット掲示板はエロ広告の無差別書き込みによって潰れましたが、今は舞台をツイッターに移して継続しているように思えます。

 

ツイッターに限らず、人間や道具など、物事に対して、なぜ、「悪いところばかり」をピックアップして目を向けようとするのか、ふと冷静に自分と周囲を客観視すれば、ものすごい偏りが自分自身に作用していることがわかるでしょう。

 

道徳のお時間のように、「みなで慈しみ合うべき」などとは言いませんが、自分の行動が「悪いとこ探し」に陥っていないか、定期的にチェックするのは必要だと感じています。

 

 

 

ネットでの心無い発言があちらこちらで頻発しても、ネット自体に幻滅する必要はないんですよネ。

 

ネットって、やっぱり、世界を変えた発明だと思います。

 

ネットの悪い方の要素ではなく、良いほうの要素をピックアップして活用した方が、ごく普通に考えて「幸せ」になれます。

 

例えば、Amazon Music、Apple Music。

 

これらの音楽サブスクリプションサービスがなかったら、出会えなかった楽曲やプレイヤー、コンポーザーは多いです。CDを買っていた時より、格段に色んな音楽を聴けるようになって、日々の生活だけでなく、仕事にも様々にプラス要素として作用するようになりました。

 

フェルディナント・リース。

 

ベートーヴェンのお弟子さんの音楽家ですが、最近までほとんど楽曲が顧みられることもなく、私も全く聴いたことがありませんでしたが、Amazon MusicとApple Musicのおかげでリースさんの多くの楽曲を耳にすることができました。

 

 

 

リースに辿り着いたのは、まさにネットのおかげ。

 

ベートーヴェンのメジャーなピアノソナタをネット経由で聴く、あまり有名ではないピアノソナタも聴く、ベートーヴェンと馴染みが深いメジャーな作曲家の楽曲を「おすすめ」されて聴く、馴染みが深いけれどマイナーな作曲家も「おすすめ」される、お弟子さんのリースに辿り着いて、氏のピアノソナタや室内楽曲なども聴く、当時のドイツ、ウィーンやロンドンやヨーロッパの気風を感じ入るとともに、さらに別の作曲家の楽曲とも遭遇して、どんどん「知らなかった世界を知る」ことができます。

 

リースのピアノソナタや、ツェルニーの交響曲なんて、街のCD屋さん(どんどん減っているでしょうけど)ではまず置いてないでしょうし、大きなCD屋さん(昔のWAVEとか)で見つけたとしても「買わなきゃ聴けない」ので買おうかやめようか二の足を踏みますし、そもそもメジャーな作曲家しか知り得ないことが多いし‥‥で、ネットがなかった頃には様々な要因で、「知識や娯楽の幅が広がらなかった」ものです。

 

でも、今は気軽に聴けます。ちょっと聴いてみて好きな感じだったら、躊躇することなく自分のライブラリに加えれば良いですし、「他の人はこんな楽曲も聴いています」で「おすすめ」されたらクリックしてちょっとだけでも聴いて、さらに知らなかった音楽の世界が広がります。

 

レコードやCDの時代では、絶対に不可能な「広がり方」が、音楽の世界でも可能となりました。

 

恥ずかしながら、今世紀に入るまで、ブレッカーブラザーズを知らなかったのですが、iTunesストアがきっかけで知って、今は定番の音楽です。高中正義さんやラリーカールトンやパットメセニーやジョージョベンソンだったら貸レコード屋に置いてありましたが、ブレッカーブラザーズに関しては当時中学生だった私では知る機会そのものがなかったので、きっかけも生じず、全く聞かないままに前世紀を過ごしました。

 

 

ジミー・ヘリング。‥‥ほんのつい最近まで、知らんかったわぁ‥‥。知る由もなかったわ。

 

 

 

70〜90年代の日本のフュージョンはどちらかというとロック・ポップス寄りで、オルタードスケールはほとんど使わず、ペンタトニックやブルーススケールが主体、たまにホールトーン(音階が全て全音で繋がっていく〜augコードの音階)やディミニッシュが顔を出しますが、ラリーカールトンがたまにカマしてくるジャズ由来のオルタードスケールのフレージングは、独特のスリル感があり、和製フュージョンとは一味違った雰囲気でした。

 

「あのスリル感」がオルタードスケール(altered scale)によって醸し出されていることを知ったのは、随分とオトナになってからです。もし私が中学・高校の時に、家にApple MusicやAmazon Musicがあったら、早々にブレッカーブラザーズに辿り着いて、オルタードスケールを自己流でもギター練習に取り入れていたことでしょう。街の貸レコード屋さんに通うだけでは限界がありました。

 

音楽に限らず、絵や映像、エンジニアリング、人類史・地球史など、ネットから得られる恩恵は、ネット普及以前の世界とは比べ物になりません。

 

 

 

確かに、ネットには良い要素だけでなく、危ない要素もひしめいています。

 

しかし、世の中、程度の差こそあれ、そんなもんだと思います。

 

ここぞとばかりに憎悪をブチまける人はさすがに街中には存在しませんが、内に凶暴な怒りを抱いている人は、実はそこそこ多いのかも知れません。

 

ネットはそうした「内なる怒りと憎悪」が、ツイッターなどで簡単に吐露されるようなフィールドなのでしょう。

 

「死んでやる」とか「崖っぷち」とか人前で言う(書く)人ほど、寂しがり屋で存在に気づいて欲しくて、実は死ぬつもりはなく生への未練は強く、崖の淵にも立っていないものです。ライフラインは確保され日々生きていけるお給料を貰っているものです。死が本当にリアルなら、もっと他のカタチになって表面化するでしょう。

 

そうしたカジュアルブラック、カジュアルダークを、ネットではある種、面白がって仮面をかぶって演じているようにも思えます。

 

しかし、その「宴」に誰もが加わる必要もないですよネ。

 

一緒になって憎悪にまみれる事はないです。

 

 

 

100〜300年前の、多くの過去の作曲家、例えば、シューベルトが作曲した音楽を、2019年の今を生きる人間が聴けるのって、スゴくないですか?

 

バッハやラモー、ベートーヴェンやシューベルト、シューマン、マーラーなど、多くの作曲家が一音ずつ紡いだ音楽を、アジアの島国でネット越しにトレースできるのって、冷静に状況を考えると、奇跡みたいなものです。まるで、時間と空間を超越してます。

 

ネットは憎むためではなく、好いて楽しむために、使いたいですネ。

 

 

 


ツイ

作画で手を抜いただの何だの、手を抜くな全力でやれだの何だの、ツイッターってやっぱり場合によっては歯止めの効かない感情的なメディアなのを実感しますネ。

 

 

手を抜いた、やる気なし、みたいなことを、わざわざツイッターで言う必要ある? そんなことで憂さ晴らししても、何ら改善も解決もできないヨ。むしろ、後でさらなる自己嫌悪に陥るだけ。

 

手を抜くな、全力でやれ、と、他者に強制するようなことをツイッターで言う必要ある? どのくらいの集中度と貢献度で仕事をするかは、当人と仕事の状況(お金や時間)のバランスで決まるんじゃないのかな。

 

なんでもかんでも、ネットのまな板の上の晒して、八つ裂きにする必要なんて、あるのかな?

 

 

私はやっぱり、「読むだけツイッター」に留めておきたい‥‥としみじみ思います。思いやりが垣間見える瞬間もありますが、あまりにも邪気がうようよ犇いていて、危うきが多すぎると私は感じます。

 

実はアカウント自体は取得してるのですが、一度も呟いたことがないのです。

 

世界中と繋がる‥‥みたいな売り文句も聞きますが、百人、千人、万人のフォロワーより、1人の親友のほうが、私にとっては得難い財産です。

 

「泣いた赤鬼」です。寂しさをどのように扱うか。私は村人たちとの一時的な賑やかさより、青鬼くんとの絆を大事にしたいです。

 

みんなでワイワイやるのは良いです。でも、それでは埋められないことはあるものです。

 

話したい時は、直接合って、酒でも飲みながら話せばい良い‥‥と、今でも私は思います。不特定多数の人と一文の会話をすることに、私は大きな夢や喜びを抱けません。

 

会話をする‥‥というのなら、「会話=会って話す」のごとく、リアルな存在から発する直の声を聞きたいです。

 

 

 

捨て鉢な気持ちになって、暴言をぶちまけようとすれば、いつでも可能なツイッター。

 

集団心理にいくらでも傾くツイッター。

 

ツイッターに限った話じゃないだろ? 人間なんて、群衆なんて、結局はそういうもんだろ? ‥‥と言われれば、そうなのかも知れませんが、ならばなおさら、ツイッターまで手を出すこともあるまい。‥‥と私は今のところ考えています。

 

ツイッターは、私的な通信欄、伝言板じゃないですもんネ。全世界に言葉をばらまく今世紀ならではのメディアですもんネ。

 

日常会話の延長線上でつぶやいて良いかどうかは、まさに当人の考え、当人の性質次第ですネ。

 

 

 

器用にツイッターを扱えるのなら、楽しめば良いです。私はその辺不器用なので楽しむどころか、生活の重荷になるような気がして、今でも使うに至っていません。

 

そのあたりは、残念な奴のままでイイです。無理にツイッターを使うこともないですもんネ。

 

ツイッターのテキストを追うよりも、美味しい日本酒を気心しれた仲間たちと飲む方が、飲みが終われば寂しいけど、頑張るキモチも湧いて出ます。「色々苦しいけど、みんな頑張ってんだもん」というポジティブな気持ちになれます。

 

どぶろく飲みたい。

 

 

 

 


アニメを作れる自分

私は20代の前半の頃には、「アニメの作画しかできないカラダになるのは危険」と感じ始めていました。絵を描くのではなく、あくまでアニメの線画を描く自分に対し、「絵描きとして」の危機感を強く感じたのです。

 

絵を描ける自分、画を作れる自分、映像を作れる自分を目指さなければ。‥‥と強く思ったものです。

 

なので、20代の頃に仕事とは切り離した自分の時間で、レイアイトを描き、線画を描き、コピー機で線画をセルに転写し(油がつくけどできるのです)、セル絵具で色を塗り、背景をアクリル絵具で描き、一眼レフカメラ(もちろんフィルム)とカメラ固定スタンドで撮影台を組み、市販の光学フィルタや自作のレンズフィルタをカメラにセットし、撮影して現像(現像だけはカメラ屋さんにお願いしました)して、ひと通りの工程を実践してみました。

 

動く映像が作れたわけではないですが、スチル(静止画)でも自己完結できるノウハウを得ようと考えて行動したのです。‥‥その行動がそのまま「お金」に直結したわけではないですが、現在アラウンド50になった私の強固な足場になっていることは自覚できます。20代のその頃の行動が、間接的にせよ、今の自分に恩恵を与えていることを実感します。

 

 

 

自分の役職‥‥というか「存在価値」が、作業工程の部分的な1箇所に留まる‥‥というのは、もしその作業工程に変化が生じた際は、自分の存在価値を失うことでもあります。

 

例えば、第2原画。

 

原画ではなくて、第2の原画。

 

第1原画がなければ成立しない役職です。誰かが動きのおおもとを考えて、誰かがポーズを考えた上で、その後で初めて仕事が発生する役職です。

 

いわゆる「2原」に、自分をどっぷり浸からせて、本当に良いのか、‥‥少なくとも私は、もし「2原をメイン」にしてしまったら、自分の将来が危ういと強く感じるでしょうネ。

 

第2原画は、あくまで近年の「作画を手分けしないと間に合わない制作事情」から生じた役職・作業工程であって、この先の何十年にわたって存続する保証などどこにもありません。

 

何もないところから絵を描く能力があれば色々とツブシが効きますが、制作事情に合わせて2原の作業経験をどんなに積んでも、絵をゼロから描くことに奥手なままでは、応用も発展も困難です。

 

第2原画は現在の制作体制には都合が良いですが、絵を描く本人の未来の糧になるかというと、「絵をゼロから考えて、動きをゼロから考える」という面では弱いです。第2原画だけやりたい‥‥という人もそこそこ居ると聞いたことがありますが、人手不足を埋める方便に自らの能力と時間を率先して差し出すのは、私の感覚ですと、あまり好ましくない‥‥と思うんですよネ。

 

第2原画の作業内容は、絵を描くこと全般から見れば、かなりの「下位分岐」であることを実感すべきと思います。第2原画は今や、現在の制作体制を支える重要な工程かも知れませんが、制作体制など時が変われば姿を変えます(実際、私が原画を描き始めた1980年代は第2原画なんてなかったです)ので、時代の変化に耐えて生き残る資質を獲得すべきと考えます。

 

第2原画の立ち位置を考えてみると、絵を描く、絵を動かすという様々な要素の、恐ろしく限定的な1部分であることがわかります。

 

絵を描く人間、絵を動かす人間、さらには映像を作る人間として、自分を見つめ直した際、以下のような広がりを得たいと考えても、全然「欲深」ではないです。

 

 

「そんな、ひとりで一度に、何でもできるわけない」‥‥のは、その通りですが、「自分の能力の選択肢」を増やしておいて、様々な場面で「使い分け」ができるようにしておくのです。

 

第2原画しかできないのと、色々出来る中で今は第2原画を作業している‥‥のとでは、大きな差があるのはお判りでしょう。

 

‥‥まあ、第2原画だけしかできない人なんていないでしょうが、アニメ業界の枠内の、しかも線画の作画オンリーでは、自分の未来は果たして順風満帆となるかは、よ〜く自問自答してみるべきです。来年からの30年間は、1990〜2020年の30年ではなく、2020〜2050年の30年であることを、しっかりと自覚しましょう。

 

制作現場のブラックを批判すると同時に、現在の制作体制にどっぷり浸かっている自分自身にも、批判の目を向けたほうが良いです。

 

ゼロから絵を描ける。

 

ゼロから映像を作れる。

 

まず自分の中の大きな「アニメを作る」エネルギーの出力源を有した上で、その先に、原画だコンポジットだイメージボードだデザインだのを連結させていけば良いのです。

 

完成した絵をゼロから作り出せることを目標にすべきです。線画だけに終始するのではなくて。

 

 

 

何らかの制作工程があって、その中で自分の能力を発揮して報酬を得るのは、それで良いと思います。

 

危ういのは、特定の制作工程の中でないと、生きていけない状態です。「それしかできない」状態です。

 

「絵を描いてくれませんか」‥‥と依頼されて、原画マンゆえに線画だけ描いて渡したら、「あれ? これは作業途中の下書きですか? 色は塗らないんですか?」と言われて、「いや、自分は作画の人間なんで」としか答えられないのって、非常にアニメ現場ズレしていて一般の認識から外れています。そして、とても不甲斐ない状態でもあります。

 

「自分は線画を描き続けてきたけれど、絵は描いてこなかったのかも知れない‥‥」

 

絵を描く‥‥とは、普通は背景も人物も色を塗るところまでを言うのです。キャラの線画だけで済んでいるのは、アニメ制作現場の中のかなり特殊な状態です。

 

 

 

もし、アニメを作れる!‥‥と言うのならば、線画だけしか描けないのはウソになりますよネ。文字通り、アニメを作れる状態、背景を作って、キャラを描いて塗って動かして、コンポジットもする‥‥という全ての工程をできるようになってはじめて「私はアニメが作れます」と言えるのです。

 

そんな無茶な‥‥。全ての工程を自分ひとりで‥‥なんて‥‥。

 

であるのなら、「アニメが作れる」と言ってはダメなのです。あくまで「アニメ制作現場の線画を描いています」と言うべきでしょう。

 

たったの1カットだって、ひとりでアニメ映像を完成できないのなら、アニメが作れるとは言えませんよネ。

 

 

 

うわ〜、ヤベェ‥‥、俺って、アニメを作っていた気になっていたけど、実際のところは、たとえ1カットでも自分ではアニメ映像を完成できない奴だったんだ‥‥

 

実は、こうした自分に対する限界を痛感したからこそ、20代の頃の私は、自分で描いて塗って撮影までしてみましたし、After Effectsの機能が発達した2003年頃にはカットアウトのようなことも考えはじめましたし、2000年代では2K、2010年代では4Kをゼロから作る取り組みもしてきました。

 

真の意味で「アニメーターでありたい」と思ったのです。

 

絵を動かして映像として完成させる人間。

 

原画マンにとどまるのではなく。

 

 

 

で。

 

こんなに苦労してきた。こんなに頑張ってきた。‥‥なんて自慢話をしたいのではなくて。武勇伝なんかどうでもよくて。

 

皆さんも、やりませんか?

 

現在の技術をふんだんに活用して、自分の能力を広げていきませんか?

 

絵全般、映像全般に対して「ツブシ」の効く人間になって、アニメ業界だけでなく、色々な活躍の可能性を広げてみませんか?

 

機材は適切なものであれば構いませんが、例えばiMac 5KとiPad Pro 12.9で、自分で描いて塗ってコンポジットすれば、業界の都合に左右されず、「アニメを作る基礎能力」を手に入れて、自分の資質をどんどん広げていけますよ。

 

自分の資質を広げておけば、結構色んな場面で「あ、それ、私できます!」と名乗りを上げて、新しい道を開拓できるものです。

 

依頼があったら‥‥なんて考えていても、そもそも自分の資質が広がってなければ、依頼なんてどんなに待っても来ませんヨ。

 

ぶっちゃけ、現在の制作現場のアニメーターには、新しいプロジェクトや新しいタイプの仕事は、かなり振りにくいです。原画や動画の流儀は、新しい技術には要らないですし、逆に邪魔になることもあるので、「原画を描ける人」ではなく「絵を描いて動かせる人」を欲しています。

 

仕事のチャンスは輪番制だと勘違いしていると、いつまで経ってもチャンスは巡ってきません。チャンスはどんどん他の誰かにスキップしていきます。

 

作画専門です。今は2原メインです。‥‥という人と、作画を主にしていますが、色々と自分なりに試して絵を作って貯めています。‥‥という人のどちらに、新しいタイプの仕事がいくのか、ちょっと考えただけでも判りますよネ。

 

前にも書きましたが、今までのキャリアはそれはそれで良いのです。

 

従来アニメ制作現場でのキャリアは既に獲得しているのですから、そこにプラスして、「自分だけでもアニメを作れる」状態へと進めていけば、様々な場面で活きてくると思います。

 

 

 

アニメ業界に「忠誠」を誓って、では、アニメ業界は「恩賞」をあなたに与えてくれますか?

 

アニメ業界はアニメ制作現場で働く人々の「影」であって、実体が存在して何かの保証をしてくれる存在ではないです。

 

アニメ業界をあてにしたところで、ボロ雑巾になってしまった自分の未来がまっているだけですよ。

 

なのに、依然として、アニメ業界のシステムに大きく依存するだけでしょうか。アニメ業界の成り行きに漠然と期待するだけでしょうか。

 

せっかく絵や映像を作る仕事(それが部分的な工程であれ)を身につけたんだもん。それを様々な角度に向けてさらに育てて活かすのが、自分に対しての良き発展の方法だと思うのです。

 

今、2原を描いている人、アニメの撮影をしている人は、自分の20年後、30年後を思い描いてみましょう。

 

自分から原画作業をとったら、何も残らなかった。自分からアニメの撮影をとったら、何も残らなかった。‥‥なんていう未来を望みますか?

 

今から自己能力開発に着手して、自分が40や50になった時に幅広い活躍ができているように、自分の未来を変えていきましょう。

 

 

 



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