Apple Pencilその後

先週、久々に紙で原画を描いて、もはや紙とは大きな距離ができてしまった自分を再確認しました。私自身の問題ではありますが、作業効率がだだ下がりで、我慢できずにキャラ部分の原画だけはiPad ProとApple Pencilで描いて紙出力し、エフェクト部分を鉛筆で描き足しました。なぜエフェクト作画は紙で描いたかというと、ハデめなエフェクト作画は枚数が多くなるからです。紙ベースの作品において、iPadでたくさん原画を描いちゃうと、たくさん紙出力してタップを貼り付けなければならない‥‥わけです。タップ貼りはとても面倒なんですけど、位置合わせのさじ加減があるので、他に人には頼めないですしネ‥‥。

 

iPad ProとApple Pencilペアに比べて、紙と鉛筆ペアが優れている「実用面」は、私にとっては2つのみです。

 

・鉛筆やシャープペンシルの銘柄で描き味をフィックスできる

・描く際のトラクションコントール・グリップ力が優れている

 

実を申しまして、私は未だに、「これだ!」というブラシ設定を確立できておりません。大体の標準はできつつあるのですが、「トンボの8900のHBなら、確実に思った通りの線が引ける」とか、「ステッドラーの925の0.3, 0.5, 0.7なら大抵のことはできる」と言った鉛筆・シャープペン時代の確固たるスタンダードは未だ築けず‥‥です。

*私は20代の頃から、原画作業で鉛筆を使う場合は8900か9800を使います。芯が粗挽きなのがタマらんのです。作業に清書を含む場合は、もう少しグレードの高い鉛筆を使いますけども。

 

 

Procreateのブラシ設定をあれこれ調整したつもりでも、描いているうちにまた不満がでてくる始末で、ブラシ設定の標準を見つけ出すまでには、もう少し時間がかかりそうです。ラフなスケッチと違って、何度でも同じ線質を実現できないと、アニメ制作では運用が難しいのです。

 

あと、やっぱり、紙の繊維がもつグリップ力は絶大です。鉛筆を紙の上で走らせて、自由に正確に、「発進・停止」させることができます。‥‥実はこれは「決定的」とも言っても大げさではないほど、絵を描く上で大きな要素なのです。

 

よくよく考えてみれば、自動車がアスファルトのザラザラ路面ではなく、スルスルすべる氷の上を走ったら、コントロールしにくいですもんネ。同じことが、Apple PencilとiPad Proにも言えます。

 

サラサラタッチの保護フィルムをiPad Proに貼ることで、かなりマシにはなります。いろいろ試してみて、今の所、私は、3枚で1600円の安めのものを使っています。

 

 

高ければ高いほど良い描き心地‥‥とか思いそうですが、価格の高いものだとサラサラしている割に滑りもよいので、ペンの書き心地では裏目にでることがあります。買って貼って、実際に描いてみるまでわからないのが、悩ましいところです。

 

先週、新しく見つけた「Apple Pencilの書き心地アップ!」を謳った、2000円で1枚のお高めの保護フィルムを注文してみました。「本当かなあ‥‥」と懐疑的ですが、まあ、試してみて良かったら、ここでレビューしたいと思います。

 

鉛筆と紙に比肩する描き心地さえ手に入れたら、もう何も未練はなくなります。でも、あともう少し、散財を重ねる必要がありそうです。

 


時代

世の中のいろいろな事を「時代」‥‥と言ってしまうと、あまりにも簡単ですが、でもまあ、時代は時代としか言いようがないです。コンピュータが一台も置いてない作画スタジオがほとんどだったのも時代、2ストロークバイクが人気のない河原を走っていたのも時代、電話をするために電話加入権に数万円も支払って固定電話を使っていたのも時代。

 

ポケットにラッキーコイン」という歌詞がその昔ありましたが、今の10〜20代前半の人は、何の意味かサッパリわかりませんよネ。休日に一人でなんとなく街を歩いていると、ふとポケットに10円玉(100円玉かも)を見つけ、好きな人に公衆電話で電話して声を聴いてみようかな‥‥という80年代の風情は、現在だと「発信元不明」で着信拒否されたりなんかして、ラブソングというよりはギャグになってしまうかも知れません。そもそも、声を聴きたいのなら自分のスマホで電話すれば良いですし。

 

私の20代の頃は、作画、カメラ、バイク、作画、カメラ、バイク‥‥のヘビーローテーションで、何をするにもどこに行くにもバイクバイクバイク‥‥でした。制作会社に向かうにも、わざと公道を走らず、人気のない河原を季節の風を感じながら走ったものです。当時の私はバイクで走ることに、何か自分の人生的なものを重ね合わせていたように思います。‥‥しかし現在そんなことをしようものなら、憩いの川辺をバイクで踏みにじる「市民の敵」になってしまいますよネ。80年代は、河原なんて朽ちた乗用車や廃タイヤが転がってるような殺風景なフィールドだったのにな‥‥。

 

ラッシュチェックといえば、制作会社内のテキトーな一室で、16ミリのラッシュを制作進行さんが映写機にかけて、映写機が回転する音を聴きながら、皆で小さいスクリーンを凝視したものです。現在では、スタッフの時間が合わないと、QTで送信して各個人でチェック‥‥なんていうこともあり、フィルム時代のスクリーンに映像が映し出される何かドキドキワクワクな風情は全くなし‥‥ですよネ。

 

でも、そういう懐かしい時代にいくらノスタルジー・郷愁を感じても、現代は現代。ノスタルジーで現代を生きるのは切なすぎます。ましてや、ノスタルジーで仕事をするわけにはいきません。

 

アニメは絆創膏‥‥と言う方もおられますが、私にとっては「命綱」です。アニメに出会わなかったら、自分は今、何をしていたのだろうと思います。小学生の時に見た銀河鉄道999の金田伊功さんや友永和秀さんの担当シーンは今でもハッキリと思い出せますし、そうした幼少の頃に見たいくつものアニメのシーンが、私をかろうじて社会と結びつける心の奥底の命綱になっているのをしっかり自覚できます。

 

でもさ‥‥、そうしたものは、やはり心の奥にしまっておくべきことで、懐かしいものをほじくり返して仕事して生きていくわけにはいかないのです。人は好むと好まざると、現代を生きていかなければならないのですから。

 

ネットワークで繋がった端末。オンラインで送受されるデータ。24時間機能する社会。それこそが現代にアニメを作って生きようとする我々のフィールドです。

 

今は2ストバイクもなく、公衆電話もなく、フィルムもないかわりに、深夜でも煌煌と明るく輝くコンビニや、24時間全世界を駆け巡るデータ通信網、高画質な映像データフォーマットがあります。

 

生きていくために「時代」を活用するのは、実は10年前も30年前も100年前も変わらぬ摂理なのかも知れませんネ。私の少年時代の70年代終わり〜80年代初頭に劇場でアニメ映画を目に焼き付けたことも、90年代に2ストバイクで思う存分走ったことも、その「時代」を活用して生きた‥‥ということなんでしょう。

 

*私の乗っていたRMX250S。1998年発売。2ストロークで40馬力の割に、扱いやすい特性でした。当時の制作会社の駐輪場には、作業で詰めているスタッフのバイクがズラ〜っとならんでいたものです。XR80とかTDR125とか、みんな、日本では手に入りにくい個性的なバイクを乗っていたなあ‥‥。


雑感の雑感

前回、新しい技術による制作現場を形成する前段階として、ボトムアップ型が良い‥‥的な事を書きましたが、書いた後でいつも気になるので、注釈をば。

 

草の根でボトムアップ‥‥といっても、いついかなる時も「お人好しではダメ」です。「穏やかな人柄」と「お人好し」は似て非なるものです。

 

草の根で実績もなく、試験段階だから、「タダでも、やらせてもらうだけ、ありがたい」とか言ってちゃ、絶対にダメです。そういう人が未来を台無しにしてしまうのです。

 

業界や会社に期待して動き出すのをじっと待っても、ただ時間だけが過ぎて新しい事はできないから‥‥と思い、自分で自己研究をし、自主制作をしても、それを何らかの形で「実用化」する際は、キッチリ、十分な対価を要求しましょう。要は、いつでも「交渉の準備をしておく」という事です。

 

日本人は、自ら事を起こす‥‥という自己意識が低いのか、不必要に自分を謙遜しすぎる傾向があります。まあそれが「思いやり」などの良き国民性を形成しているのかもしれませんが、新開発、新事業といった側面ではマイナスに働くことも多いのではないでしょうか。個人レベルだと特に、です。

 

草の根の自己研究で自主制作をおこない、自己投資している‥‥ということは、自分に投資した「リターン」もちゃんと計算しましょう。これは鉄則です。


雑感

3DCGでアニメ絵風のキャラを動かすのでもない、動画何千枚何万枚を送り描きや中割りで動かすのでもない、描いた絵をコンピュータで動かすという方式に私がこだわっているのは、未来の映像フォーマットと制作コスト問題と表現限界突破の3つの柱があるからです。

 

何度も何度も繰り返し考えますが、「24コマで打ち止め」「多くの人足が必要なので沢山のお金がかかる」「セル画時代のアニメ絵から抜け出せない」という3つの大きな限界を、今までのアニメの制作方法と技術ではどうしても突破できないのです。

 

ちまたの魅力的な個人制作の動画を見ると、「描いて動かすって、やっぱりいいよなあ」と心が折れそうになりますが、絵を動かす楽しみと、世界規模の技術発展はどうにもシンクロしません。

 

中30枚だろうが、中100枚だろうが、平然と動かせる新しい技術が必要なのです。‥‥というか、中割りの中枚数という概念自体に、未来の映像フォーマットとの決定的な乖離・断絶があると思います。

 

絵を動かしてお話を作る‥‥というアニメが、時代の技術進化に取り残されて、アンティークな骨董品的存在に知らず知らずのうちに成り果てていく‥‥のは、正直、アニメを生業として30年も続けてきた私にとっては耐え難いものがあります。

 

プロ、アマチュアとも、絵を動かすのは楽しい事でしょうが、そのフィールドで立ち止まってしまうと、アニメ全体が竜宮城の浦島太郎になってしまいます。絵を動かすことに終始せずに、社会の技術の変移に、どのように沿っていくかを考えねばなりません。そもそもアニメを仕事にする‥‥というのが、近代社会の技術の移り変わりから生まれ出でたものなのです。鎌倉時代や江戸時代に野菜を作る事はできても、アニメは作れなかったわけですから。

 

浦島太郎を竜宮城もろとも、未来社会に移築してしまうこと、つまり、「24p on 60p」という方式は数年前からアイデアがあります。しかし、それでどれだけ上手くいくかは、テストしかやったことがないので、確実なことは言えません。でも、どうしても24コマの世界から出たくないのなら、ソレしかないかな‥‥とは思っています。

 

ただ、私の本命は竜宮城のカプセル化ではなくて、前述した通り、技術の発展にシンクロしてアニメの作り方を変える事です。

 

プロ、アマチュアに限らず、そろそろ、48〜60pや4Kを個人的な目標にしても良いように思うんですよネ。2DCGに限って言えば、制作現場と同等の機材が、個人でも手に入るんだし。

 

スマホを持ち、インターネットのSNSを使う人間が、まさか、「俺は昔のままだぜ」なんていうのでしょうか。自分にとって都合の良い部分だけ未来を取り入れ、都合の悪い部分は未来を拒絶しようとしても、結局は人間社会は一蓮托生、皆を呑み込んで未来へと流れていくのです。

 

 

 

それにさ‥‥、今までのアニメ作画技術、制作技術から脱しない限り、作業費の問題は解決しないと思うのですよ。電卓で計算すれば、誰でもわかる事じゃないですか。動画の単価が100円上がったところで、昭和から続く業界の問題は全く解決しないと思います。だからといって、アニメ番組だけが、30分枠の制作に1話4〜5千万円も制作費を獲得できるんでしょうかネ。‥‥無理ですよネ。もし仮に1話数千万‥‥なんて話になったら、深夜に追いやられている現状がもっと悪化して、そもそも発注自体が激減すると思いますし。

 

今まで、L寸1枚のピザを16人で分けていたので、皆の取り分は1/16。それじゃ生きていけないから、せめて一人1/4は食べたい。ということは、16人だから、ピザは4枚必要だ。つまり今までの4倍のお金が必要だ。

 

‥‥う〜ん。では、その4倍のお金は誰が出すのでしょう。制作費は言うがままにアップするものでしょうか。むしろ、今の傾向は、どんどん安くなっている‥‥とすら、知り合いから聞き及びます。今や週100本とも言われるアニメ制作本数に、景気良く湯水のようにお金が飛び交うのでしょうか。

 

制作費に限界があるのなら、高効率化と小人数体制しか有りえないです。L寸1枚のピザを16人で分けるのではなくて、4人でわけるようにする、制作技術の再発明が必要なのです。

 

「アニメの作り方はこうだ」って決めつけて、作画に関する技術改革をほとんどしてこなかった‥‥のではないでしょうか。

 

 

「いつか誰かが道を開いて、自分たちを導いて助けてくれる」なんて、実際にはないですよネ。

 

自分を救う道は、自分で切り開いていかないと。

 

自主制作といえど、4Kや60pで作ってみたら良いのです。今までの業界の経緯からして、何か物事が変わっていくのは、トップダウンではなくて、草の根、ボトムアップだと感じます。

 

私もやってますから、皆さんもどうですか。


絵を動かす意志があるか否か

ソフトウェアが発達すれば、だいたい皆、考えることは同じで、絵を手描きで何枚も描いて動かすのではなく、コンピュータ上で絵を動かしてみようと思い始めます。

 

私も1997年頃には手描きのエフェクト作画(例えば巨大な煙どか)を動かすテストをしていました。細かいディテールを持つエフェクト作画は、動画工程での負担が重く、割りミスも多く、かといってキャラの作画よりも優先度や重要度を低く見られ、最終的な出来も悪くなりがちなので、それならば原画を描く私自身で全て完結させれば良い‥‥と思ったのです。つまり理由はシンプルで、エフェクト作画の出来をよくするために、割りミスを根本から防止し、枚数制限を無制限にするための、「実質的」な理由だったわけです。

 

*再掲。これは2008年に「コンピュータで作画」したケムリです。レイアウト時にラフ原画を描いて動きのスケッチをして、その後は原画も動画もペイントもなしで、After Effectsの平面レイヤーだけで「作画」して完成させます。ちなみに、いきなりポンと出ますが、上にBOOKが重なるので、大丈夫なのです。

 

こうした取り組みが徐々にエスカレートして、2000年前後には止め絵である背景美術(BOOKとか)を動かすようになったり、2005年くらいには止め絵のキャラを動かしてみたり、平面レイヤーで単純化されたデザインのキャラを動かしてみたり(よくFlash動画みたいに呼ばれるテクニックです)と、どんどん進化していきました。2016年現在の私は、少なくともエフェクト作画はコンピュータで絵を動かすのがメインとなっています。

 

止め絵をソフトウェアで動かして動画にする‥‥という技術は、「ちょっと動かしてみた」レベルのことをしているうちは、「止め絵をもとに発想する」感覚のままでも済むのですが、より一層動かしたいと思うようになると、根本的な見直しに直面します。

 

「モーションコミック」という言葉が示すように、コミックにモーションを「追加」した内容に留まるのならば、「止め絵がちょっと動いているんだね」という評価でも構わないでしょう。しかし、「モーションコミック」ではなく「アニメーション」を作ろうと思うのなら、「止め絵を動かす」という発想では早い段階で限界にぶちあたります。

 

私がそうした限界を痛感したのが、今から8年くらい前のことで、「止め絵を動かす」という意識自体に限界の理由があると痛感しました。要は「コンピュータで動かすことを目的としていても、アニメーションを作ろうと思うのならば、絵を描く時点で、『動かす用』の絵を描かなければならない」ということです。

 

つまり、キャラクター専門のイラストレーターさんに止め絵だけを描いてもらって、コンポジターさんがパーツを動かして動画にする‥‥なんていう「動きが後付け」のスタンスでは、やっぱりどうしても「紙芝居」にしかならない‥‥ということです。

 

もしコンピュータで描き絵を動かそうと思うのなら、最初から動かす意志満々で絵を描かなければなりません。

 

動きの知識のないイラストレーターさんや漫画家さんに絵を描いてもらうのでは、絵を積極的に動かすレベルまで到達できないのです。止め絵の意識で描かれた絵は、所詮、どんなにソフトウェアで動かしても、紙芝居にしかならないのです。

 

じゃあ、どうやって描けば良いのか。答えは簡単で、「動かす為に、絵を描けば良い」のです。

 

アニメーションが目的ならば、絵描き当人は「どこかの誰かが、自分の絵をソフトウェア上で器用に動かしてくれるんだ」‥‥なんて他人事の意識ではなく、ちゃんと動きのノウハウを学び、動かすことを前提にしてキャラデザインしてカットごとの絵を描く意識、そして実践が必要です。

 

動きを当初から意識するのですから、動きをスケッチする用途で何らかのラフ原画も必要になるでしょう。「この止め絵から何が動かせるか」なんていう後付けで消極的なスタンスではなく、「絵を動かす為にどのように作画するか」というアニメーションありきのスタンスが必要になります。‥‥だって、どんな技術を用いようと、絵を動かすアニメを作ろうとしているんだから、当然ですよネ。

 

1990年代、Photoshopの「逆光フィルタ」を使えば「CG使ってます」なんていう風潮がありましたが、それはあくまでの黎明期の幼い意識だったころの話です。等く、「イラストレーターさんに描いてもらった絵をソフトで動かしてみました」というのも、コンピュータで描き絵を動かす技術の黎明期での話だと感じます。

 

手の指、服のシワ、顔面や唇や鼻の輪郭線、まつげ、髪の毛の表現、etc、etc‥‥を、動かす用、動かせる用に、描く人間がはっきり自覚して描かないと今後の進展はありません。例えば、服のシワが変形だけで動くのって、NGだと思いますしネ。ちゃんと服のシワの重なり具合もアニメーションできないと、これから先の未来はアカンです。

 

‥‥で、実際のところですが、「コンピュータで動かす用」に絵を描くのは、相当「面倒」です。一枚絵でキモチよくイラストを描く‥‥なんていう状況とはサヨナラしなければなりません。でもそれは、一枚絵で完結したいのではなく、動かす目的で絵を描いているのだから当然です。

 

現在は、ソフトウェアの発達によって、After Effectsなどでも静止画を動かすことも可能になりました。しかし、その静止画を描く際に、「止め絵のイラストを描くか」という意識か、「動かすために、元の絵を描くか」という意識か‥‥の違いによって、動かせる内容も、動かした結果も大きく変わってくる‥‥というのが、ここ数年実感しているところです。

 

現在の私の目下のモチーフは、キャラをどんどん動かすことです。エフェクト作画ではもう大体基本的なことはできるようになったので、そのノウハウをもとに、「紙芝居」では不可能だった回転軸や複合折重なりの動きの「技術の標準化」を研究しています。歩いたり走ったり振り向きのできないキャラなんて、アニメとは呼べないですもんネ。ちなみに、髪の毛や衣服の動きはほぼ標準化しつつあります。髪の毛や衣服の動きって、エフェクト作画からの流用が効きやすかったので、けっこう早期にルーティン化できたのです。

 

今後は、おそらく、イラストレーターやコンポジターからアニメーション作画の領域に踏み込んでくる人と、アニメーション作画の領域からイラストやコンポジットの領域に踏み込む人があいまみえて、黎明期から抜け出していくと考えます。現在、Photoshopの逆光フィルタを堂々と寒々と使う人がいないように、静止画の紙芝居から抜け出す人は同時多発的に各所から出てくるでしょう。

 

 

*ちなみに、エフェクト作画は、平面レイヤーをペンツールで切り抜いてオールハンドメイドで作り出す他に、フラクタルノイズやパーティクルなども活用します。以前、パーティクルの炎を紹介したことがありますが、下図はパーティクルではなく、フラクタルノイズで作成した例です。エフェクト作画をコンピュータで実践する為には、あらゆるアプローチでイメージ通りのエフェクト(=思い通りのフォルムと思い通りの動きで)が作れるように修練しておく‥‥ということですネ。どこかのプラグインのプリセットまかせでは、金田伊巧さんの「火龍」のようなアニメーションなんてできませんもんネ。

 

さらに言えば、After Effectsのフラクタルノイズを使わなくても、Photoshopの「雲模様」の静止画を組み合わせれば、上図のような炎は作り出せます。ノイズって、小麦粉みたいなもんで、工夫次第で色んな美味しいものが作れますよネ。


GoPro CineForm

今のところ、Macの映像制作環境での高品質スタンダードは、ProRes4444です。非圧縮オリジナル画像と見分けがつかないほどの画質を誇りながら、容量は格段に軽量、QuickTime Playerでもすぐに再生して見られる手軽さなど、映像の世界が2K60pどまりなら、永遠にProRes4444で構わないと思うほどの高品質です。

 

しかし、AppleはWindowsにはProResエンコーダを提供しないばかりか、QuickTimeのWindowsサポートまで終了する鬼畜ぶりを発揮し、クロスプラットフォームとは全く呼べない状況です。

 

WindowsはAvid DNxHDコーデックを数年前から見かけますが、概ね良好ではあるのですが、絵がひどくあれることもあり、必ず高品質になるとは限らないあたりが、ぶっちゃけ、扱いにくいコーデックです。綺麗な時は綺麗なんですが、特定の条件にハマるとトーンジャンプが出たりもします。

 

じゃあ、Windowsでは何を使えば良いのか‥‥ということになりますが、Adobeイチ押しの「GoPro CineForm」を最近テストしてみたら、ProRes422(HQ)や4444に近い良好な結果が得られました。今のところ「mov」をコンテナにする状況だけは変わりませんが、少なくとも、アニメで使う際にコンディションが不安定になりがちなDNxHDコーデックよりは品質的にProResに互角まで持ち込めそうです。

 

試しに2秒のムービーを各種コーデックでレンダリングしてみました。一覧は以下の通り。

 

*今年の教材用に描いたキャラを流用しつつ、特にグラデーションの耐久力を検証してみました。キャラにほんのり入るシャドーにトーンジャンプ障害が発生しちゃうと台無しですもんネ。

*上図はJPEGで書き出しているので、既に色々な障害が絵に混ざっていますが、Webなので16bitのPSDを表示できるはずもなく、あくまで絵柄のサンプルです。

 

 

◆24fps 2秒(48フレーム) 1920x1080 数兆色(10〜12bit)

 

  • Apple ProRes4444XQ =ファイル容量 102MB
  • Apple ProRes4444 =ファイル容量 67MB
  • Apple ProRes422(HQ) =ファイル容量 42MB
  • GoPro CineForm 画質5 =ファイル容量 43MB
  • GoPro CineForm 画質4 =ファイル容量 17MB
  • Avid DNxHD 175Mbps =ファイル容量 44MB

 

 

一番綺麗なのは、やっぱり4444XQですが、容量も一番でかいですネ。PSD16bitの非圧縮(可逆圧縮)オリジナル画像と比べて、グレイン分布や全体の雰囲気とも、一番変化が少ない高品質を誇っています。でもまあ、XQがこなれるのはもう少し先だとは思います。2KのSDRですとオーバースペックですもんネ。

 

GoPro CineForm 画質4はさすがに一番容量が小さいがゆえに圧縮の絵の崩れも過酷ですが、単純なグラデーションを多用しなければ、十分使えるレベルです。まあ、そこまで容量をケチることもないでしょうから、本撮ではなく線撮などのオフライン用途で使用するのが向いています。線撮のコーデックとして考えれば、とても綺麗で贅沢な画質です。ちなみに、単純なグラデーションをGoPro CineForm 画質4で出力すると、以下のような醜いグラデーションになってしまいます。

 

*よく見ると、縞々模様が見えますネ。YouTubeではおなじみのこうした縞々模様ですが、YouTubeはあくまで低〜中画質のメディアであって、最高品質であるべきのマスター映像にこんなのが入るのは、少なくとも2016年現在はNGです。

 

ちなみに、GoPro CineForm 画質4の容量が控えめで画質が少し汚い‥‥と言っても、それはプロ現場でのお話です。コンシューマ向けのコーデックで今回の2秒のテストを出力すると、綺麗だと言われているBlu-rayでも8MB前後、Appleデバイス向けだと3MB、MP4でも3〜7MBくらいの容量です。コンシューマ向けの低容量コーデックは、そのデータ容量が示す通りの画質にはなっていますよネ。

 

そして、ProRes4444はいつもの安定の高画質。グレインの再現性も抜群、トーンジャンプはよほど無茶しない限り発生しません。ProRes4444を選択できる現場なら、ProRes4444にしておけば問題は生じませんし、運用実績も高いコーデックです。もし、現在の2Kで24〜60pでSDRの状況で、ProRes4444を使っておきながらトーンジャンプなどがでるようならば、コーデック云々ではなく現場での映像の作り方がマズいということです。

 

悩ましいのは、ProRes422(HQ)、DNxHD、GoPro CineForm画質5‥‥の3つです。どれも綺麗な画質を保持していました。DNxHDでたまに発生する酷いトーンジャンプも今回は発生せず安定しており、3者三つ巴の品質です。

 

ProRes422(HQ)はグレインの再現性が特に安定しており、ゆえに適切なグレイン処理を施せば、トーンジャンプなどの絵の崩れに悩まされることはほとんどないと思われます。ただし、素材レベルで既にトーンジャンプの兆候が見られる場合は、それを覆い隠すほどの恰幅はなさそうな感じです。

 

DNxHDは、一定間隔でグレインが溶ける(=圧縮の影響かと思われます)ものの、今回は安定した出力結果となりました。このグレインが溶けるような圧縮が裏目に出た時に、トーンジャンプなどで絵が荒れるのだと思います。

 

GoPro CineForm画質5は、ProRes422(HQ)とDNxHDの中間のような特性で、興味深く感じました。グレインの再現性はProRes422(HQ)と同じくハッキリしている(溶けない)ので、トーンジャンプに対する耐性は高いと予測できます。

 

‥‥という結果を鑑み、現在DNxHDのトーンジャンプなどの絵の崩れに悩まされており、かつ、Windows作業環境であれば、GoPro CineFormの画質5を選択する意義は高いと思います。私はGoPro CineFormの運用実績がテストくらいなものなので確実なことは書けませんが、試してみる価値は高いと感じました。

 

現在の2K24pSDRの状況の中、Mac作業環境でMac編集環境であれば、ProRes4444で運用するのが高品質と運用効率の点でベストマッチだと思います。

 

しかし、WindowsとMacの混合環境で、画質の安定を望むのならば、クロスプラットフォームが売りのGoPro CineFormは「あり」かも知れません。

 

 

「でもさ。そんなに画質にこだわらなくてもいいんじゃない? どうせテレビやネットで観る時は画質が大きく下がるんだから。」‥‥というのは、素人さんか前時代のお人です。

 

マスターとなる映像は運用が可能な限り、最高の状態で作っておくべきです。テレビで見たらそれでおしまい‥‥なんていう「昭和の感覚」ではなく、マスターから様々なメディアへと姿を変えることを強くイメージ出来ていれば、低解像度・低品質でマスターを作っても大丈夫だなんて思わないはず‥‥ですよネ。

 

作品を自転車操業で作り逃げするような感覚だと「画質なんてそこそこ綺麗であれば」なんて思うかも知れませんが、作品のクオリティで自分らのブランドを作っていく気概をもっていれば、マスターの画質に拘るのは至極当然です。たかだかコーデックの選択だけで、画質が大きく上下するのならば、自分らの理想に近いコーデックや映像フォーマットを求め続けるのは何の不思議もないし、不利益でもありません。

 

わざわざ、映像出力の段階で「大損」する必要はないですよネ。「これで良し!」と満足できる最終出力にしたいじゃないですか。

 

 

 

 

しかし‥‥何だ。AppleはFCPやProResを今後どう扱っていくつもりなのか。「アイほにゃらら」にうつつをぬかして、プロクリエイティブ分野がおろそかになっているように思うんですよネ。クックおじさんの舵取りはいかに。


駒が揃わない感じが20年前

最近、120fpsの素材を扱うことがあり、After Effectsのフレームレートが99で打ち止めな事に改めて限界を感じつつも、考えてみれば、ディスプレイもビデオカードも何もかも、まだまだ120fpsなんて実用段階ではないことを思い知りました。

 

その点、ゲーミングマシン環境は、映像制作に使えるほどニュートラルな発色が可能かどうかはともかく、フレームレートの一点に関して言えば、一番進んでいる環境なのかも知れませんネ。ASUSのプロトタイプの4K/144Hzのモニタとかは、フレームレート・リフレッシュレートでだけで言えば、未来を志向する映像制作現場にすぐにでも欲しいスペックです。

 

いろいろ考えてみると、今はまるで20年前の頃のように、新しい技術のムーブメントに対して、コンシューマ市場の機材スペックが追いついておらず、継ぎ接ぎで徐々に未来をイメージしていくような状況なんですネ。

 

1996〜2003年の当時、劇場アニメと言えども、1.2〜1.5Kで作っていました。なぜ最初から1920pxのHDサイズで作らなかったのか‥‥というと、まず劇場といえばビスタかシネスコが普通で、1920x1080〜16:9なんて考えてもいなかった‥‥というのがありますが、根本的にマシンスペック全般がとても2Kなんて処理できる状態にはなかったのです。

 

当時の重くてでかいブラウン菅のモニタの最高解像度は、1600px(1680だったかな?忘れた‥‥)程度であり、2Kをドットバイドットで見るなんて夢のようなお話でした。

 

そしてラッシュチェックの環境も、劇場スペックの映像で1.5Kで作っているのに、1.5Kのムービーをコマ落ちなく再生出来るソリューションがなかった(=とても高価で制作会社にホイホイ導入できるシロモノではなかった)ので、D1(720x486)で23プルダウン(WSSWWとか)してダウンコンしてチェックしていたのです。HD/24pが当たり前の今からすると、嘘みたいな話ですが、物が無いなら無いで、当時の人々はたくましく仕事していたのです。パーセプションとかリアリティとか、懐かしいですネ。

 

で、現在の状況と、4K60pHDR、8K120pHDR。

 

まあ何ともあからさまに、状況がちぐはぐです。マシンの性能はここ数年足踏み状態にありますし、4Kのモニタも今ひとつ普及していないし、HDRがコンシューマ向けモニタにどのように入り込んでくるのか、まだナゾが多いです。モニタだけ高性能でも、送り出し側(PC/Mac側)が低性能なら意味ないですし。

 

技術がどんどん進んでいる割に、停滞している状況もそこかしこにある‥‥という、煮え切らない状態。

 

20年前も同じようにちぐはぐでしたが、現在も同じ状況になりかけていますネ。思えば、2006〜2015年がつかの間の安定期だったのかも知れません。

 

煮えきれない状況の中、つまり、技術が出揃わず、機材の性能と供給もバラついている状況においては、飛び石を渡って縄張りを獲得する意気で進めば良いのです。状況に合わせて、戦術と戦略は臨機応変に変えるべし‥‥です。

 

橋ができるまで待っていたら皆が橋に殺到して倒壊しますし、飛び石すらないところにジャンプしたら溺れ死んでしまいます。慎重になりすぎてもダメだし、ギャンブルしすぎてもダメなの‥‥ですネ。

 

駒が揃っていないのに、「ロードローラー作戦」を夢想しても、うまくいくわけがないのです。そもそも、ロードローラー状態を作り出せない状況なのですから。

 

アイランドホッピング作戦のごとく、「今ある武器で、急所を攻める」方法が、駒が揃わない現在には有効だと思っています。


人選人災

「デジタル作画」のフローが頓挫した‥‥みたいな話を最近いくつか聞き及びました。どの事例も「デジタル作画」そのものではなく、チェック工程などの足回りで延滞し、スケジュールが立ち行かなくなった‥‥という点で共通しています。チェック工程とはすなわち、監督や演出や作画監督などのキーマンの工程ですが、やっぱり、作品のキーマンがコンピュータの扱いに明るくないと、「デジタル作画」のような大改革はうまくいかないのでしょうネ。

 

ただこうした状況は、すべてに当てはまるわけではなく、監督・演出や作画監督がコンピュータを使いこなしていれば、むしろ紙よりもチェックの流れが高速化します。現在、コンピュータを20年近く実戦で使ってきた人が監督・演出の作品に関わっていますが、「デジタル」の良い部分が活用でき、流れが速く円滑、iPad Pro同士だとAirDropでやり取りもでき、非常にストレスなく作業がすすみます。

 

ぶっちゃけ「人選」がキモ‥‥というわけです。人選が幸いすることもあれば、人災を呼び起こすこともある‥‥と言えます。

 

ですから、「デジタル作画フローがうまく流れない」なんて話を聞くと、「じゃあ、なぜ、コンピュータの扱いに手間取ってスケジュールを延滞させる人間をチェック工程に配置したのか?」‥‥という素朴な疑問が湧き上がってきます。

 

思うに、「旧来の座組」のまま、デジタル作画のフローを作ってしまおう‥‥と考えたのでしょうネ。

 

私に言わせれば、「昔の座組を維持したまま、新しいことを成功させようとする考え自体に、無理がある」のです。そういう甘い考えで頓挫したプロジェクトはそれこそ10年以上前から見ていますし、実際に関わったこともあります。

 

新しいことに消極的で、何かにつけて昔の慣習を持ち出す人間をキーマンにしてしまったら、そりゃあ、機材だけ新しくしたって失敗しますよネ。

 

要は、制作構造の根本的な見直しも必要になってきます。人選、座組も含め‥‥です。

 

「デジタル作画」で失敗する要点は、まず「キーマンの人選ミス」、そして「コンピュータを紙と鉛筆の代用品にしか考えていない意識の低さ」だと言えます。

 

さもありなん。

 

でもまあ、こうした旧態依然とした状態から逃れられないのは、転換期の「あるある」ネタの代表ですから、特に珍しいことではありません。

 

先人の築いたシステムに乗っかることしか考えてこなかった人間が、技術上・システム上の大転換となるプロジェクトを扱いきれないのだとしても、それは至極当然です。

 

大転換期には、自分でシステムを作るくらいの気概は必須です。「誰か任せのシステム任せ」でうまくいくのは、システムがしっかりと安定して定着した後のことです。

 

古い思考や慣習を捨てきれないものは去り、新しい思考で新しい技術体系と新しいシステムを作るものが台頭するのです。これも、全く珍しいことではなく、過去の歴史上で何度も繰り返されてきたこと‥‥ですよネ。

 

* * *

 

ただ「デジタルにすると作業速度が落ちる」なんていう論調は言い出すべきではありません。ただ単に「デジタルに不慣れな人が不慣れな作り方で、故意に速度が落ちているだけ」なのですから。

 

例えば、今の私は、iPadで作業した方が紙よりも格段に作業速度が速いです。ゆえに、紙関連の仕事は、極力抑えこんで、iPadで作業できる仕事を選択しますし、ゼロから仕切れる作品はオールデジタルでフローを計画します。

 

ですので、「デジタル作画体制は、チェック工程の延滞が理由で諦めた」なんていう話を聞くと、耳を疑うと同時に、「おそらく、昔のやり方を「デジタル」で模倣しただけだから、そんな風になったんだろうな」とも推測するのです。

 

一方、監督・演出がコンピュータの長年の経験者で、作画監督も等しく長年のコンピュータの経験者ならば、極めて円滑に作業が進むことを、現在、身に沁みて実感しています。

 

* * *

 

「デジタル作画」が、単に紙と鉛筆を移し替えた存在に甘んじるのなら、大した未来展望が持てないのは事実です。今までの紙と鉛筆ではできなかった絵と映像の表現を成し得て、はじめて、「紙と鉛筆とは違う大きな意味」が生まれます。

 

A4〜B4サイズの作画用紙の限界を凌駕し、24コマタイムシートの限界を凌駕し、飛躍的な作業効率化を実現する。‥‥要は、今のアニメ制作方式の弱点を集中的に攻める取り組みをすれば良いのです。

 

しかし、「デジタル作画」を取り巻く状況は、「旧来制作体制の強い影響下にある」状態です。まずはその古い枠から抜け出すための人選とプロジェクトから始めるべき‥‥でしょうネ。

 

まあ、始めるには、そもそも制作母体の体力も関係しますし、金の使い方も関係します。最初からできもしない大風呂敷を広げるのではなく、キーマンを絞り込んだ小さなプロジェクトから、足場を固めていくのが、「先例のない」開発とシステム構築の常道です。


4Kと69判

私がフィルムカメラに深い愛着を持っていたのは前回書いた通りで、あまりにも、どこへ行くにもカメラを持ち歩いていたので、作打ちの際にも首から35ミリ一眼レフをぶら下げており、「アポ無し取材」のカメラマンと間違われたこともありました。公表されていない劇場作品の打ち合わせで、初対面のスタジオだったので(吉祥寺の神社の近くにあった某社)、余計、間違われたのでしょうネ。

 

ある時は、凍結した林道でバイクでカメラごと転倒し、カメラを地面に叩きつけた上に泥水にまで浸かったことさえありました。その時のカメラはキャノンEOS100QDで、後日新宿のキャノンショップに持ち込んで分解掃除を頼んだ結果、「僅かな異音はするものの概ね良好」との明細書で、そのタフさゆえに、より一層のカメラへの愛着を感じたものです。

 

一方、アマチュアのムービーカメラたる8ミリフィルムは結局縁がなく、譲り受けた8ミリフィルムカメラはあるものの、現像に出さず終い‥‥でした。映写機がなかったので上映することがそもそもできず、現像に出す理由を欠いていたのです。私は8ミリで映画を撮るような「転校生」の主人公のような少年にはなれず、まるっきりのアニメブームの申し子だったのですネ。

 

さらに一方、中判カメラはそのランニングコストの高さゆえ、フジの69判カメラどまりでした。「GW690III」という、中判カメラとしては安価なカメラ(確か実売価格で本体10〜12万円くらいだったような)で、コンパクトカメラや一眼レフカメラに慣れた後で購入したので、その機能の素朴さに驚いたものです。露出計が内蔵されていないので、撮影の都度、単体の露出計で確認しながらの撮影、しかもラチチュードの狭いリバーサルを使用‥‥となると、私の世代はその昔「何でも世の中にある甘やかされた世代」なんて言われてましたから、あまりにも撮影アシスト機能の乏しい「GW690III」に戸惑ったものでした。

 

*中判カメラは、今で言うとまさに「4K」。35ミリライカ判と同じL判で焼いた時に、まるでRetinaのような高密度なディテールとなります。ちなみに、私が69比率を選んだのは、アニメとは言え、やっぱり映像関係の仕事をしてたからだと思います。69を単純に換算すると「16:10」になり、今のハイビジョン比率に近いことがわかります。

 

でも、どんなに慣れない人間が撮影しようと、69判の描写能力はさすがに高詳細で、今でいう4Kのような細かいディテール描写性能を誇っていました。

 

しかし、撮った写真は、イマイチ、イマニ、イマサン‥‥くらいの出来で、年間フィルム数百本も一眼レフで撮った経験が、あまり活きていませんでした。35ミリ一眼レフの感覚で中判カメラで撮影しても、ほとんど訴えかけるものがないんだな‥‥と思いました。

 

そう‥‥です。これは2Kと4Kの違いに、よく似てるのです。

 

2Kと同じレイアウト感覚や画面構成で4Kを作っても、ただの拡大した2Kにしかならないのと、とてもよく似ています。

 

「フォーマット」によって、制作するスタンスを変えなければ、その「フォーマット」のポテンシャルを引き出すことはできないことを、35ミリと中判の違いで学び、2016年の現在、しみじみと思い起こしております。まさに温故知新。

 

 

未来の映像フォーマットにアニメ制作で挑もうとする時、今のアニメの作り方、すなわち「業界内側の事情」を見つめ続けるばかりでは、血路なんて見出せないように思うのです。踏み慣れた足場から足を離すのは怖いことかも知れませんが、それゆえに、逆にどんどん追い詰められていくようにも思います。

 

新しいフォーマットにおいてゼロから発想することができないのなら、古きをたずねてみても良いのではないですかネ。

 

1960年代、70年代の頃、テレビアニメは新しいチャレンジの連続だったはずですが、その時に先人たちは、どのような発想法でアニメの表現技法を切り開いていったのか。

 

まさに温故知新が活きる時は今かもしれませんヨ。

 

歴史は繰り返す‥‥とは言いますが、同じ形やディテールで繰り返すのではなく、違う形とディテールで同じメカニズムにて繰り返されるのだと思います。ですからから、ディテールばかり追っていては未来は見えてこず、メカニズムの共通点・類似性・反復性を見極めることが重要だと考えています。その時、先人の歴史が活きてくるわけです。

 

誰かがレールを敷いてくれないと、走ることができない。システムがあらかじめ用意されていないと、何も作れない。私の世代は「物に不自由せずに、シラケている世代」なんて言われましたが、今の若い世代は「ゆとり世代」なんていう言われ方をするようです。‥‥でもそんなことにいちいち腹をたてる方が「小物」です。私はむしろ逆に、見くびられている方がチャンスがいっぱいで「美味しい」とすら思えるんですけどネ。

 

私は69判の経験も加味して、4K60pHDRの可能性をどんどん探っていく所存です。もちろん、今までのアニメ制作現場のノウハウ、そして絵画全般のノウハウも、すべて活かして‥‥です。


フィルム時代

事実上「アナログの聖域」だった作画が、今では急速に「デジタル作画」へと移行している雰囲気を、日々の作業の中でひしひしと感じます。

 

「紙と鉛筆」を「アナログ」と呼ぶ言い方も「何だかなあ‥‥」とは思いますが、それよりも、「フィルム撮影台が懐かしい」という論調を「今更になって」聞くようになって、何とも都合の良い話だな‥‥と思います。

 

フィルム撮影台が急速に姿を消していった2000年代前半に、フィルム撮影台を惜しむ声って、作画の現場などでは耳にしませんでした。むしろ「デジタルアニメーション」に関わっていた私の方が、「皆でフィルムを捨てる選択をしてしまって、本当に良いのか?」と当時言ってたくらいです。以前にも何回か書いていますが、私はフィルム撮影工程こそ経験してはいませんが、35mmライカ判でアホほど写真を撮りまくっていたので、フィルムには深い愛着があったのです。

 

私は、作画一本槍で「絵作り」を学ぶ方法は採らず、カメラのファインダーごしに絵作りを学ぶこともしました。線で区切ることに夢中になりがちな作画感覚から抜け出して、明暗によるレイアウト、色彩によるレイアウトで作図することを、カメラから多く学んだのです。毎週2回はフィルムを現像に出し、月3〜5万円くらいは平気で現像代に消費していました。

 

そんな私がなぜ「デジタル」を使い始めたかというと、アニメのフィルム撮影台には多くの制限事項があり、せっかく獲得した多様な作図法を実践することが困難だったからです。決して、フィルム嫌いではなく、むしろ、制限の中で多彩な表現を実現する撮影監督さんを敬愛していました。私が「デジタル」を選んだのは、実現したい映像を得るための実質的な手段だったのです。

 

1990〜2002年頃までの私は、絶えずコンパクトフィルムカメラを携帯しており、お気に入りは「Nikon mini」(AF600QD・1993年発売)、好きなフィルムはコダックのPantherでした。フィルムカメラをよく知る人は、この組み合わせでどんな写真が撮れるか、大体想像がつくのではないでしょうか。まあ、Pantherは高いリバーサルフィルムでしたので、安価なFUJIの400を混ぜながら‥‥という感じでした。ちなみにメインの一眼レフはEOS100QDとEOS1で、所有するカメラはニコン、キャノン、フジ、ミノルタなどメーカー混在でした。私は「ニコン派かキャノン派か?」なんて、全くどうでもよく、撮れる写真(=結果物)の方が重要だったのです。フィルムも色々なメーカーのものを使い、イルフォードやアグファなども使っていましたが、定番はフジかコダックの25〜50の低感度のカラーネガ・ポジでした。(ぶっちゃけ、アニメーターでのキャリアを積んで、金回りが良くなってくると、高価なポジ(リバーサル)ばかりを使えるようになりました。‥‥わかりやすいネ。)

 

当然の成り行きとして、フィルムの階調特性やグレインにも敏感になりました。35mmスチルカメラの撮影経験からくる知識が、「デジタル」を使ったコンポジット技術にふんだんに活用できたのは幸いでした。また私は、69の中判カメラも使っていたのですが、35mmと69中判では作図の概念を変えないと、フォーマットのポテンシャルが活きないことを学び、それも「デジタル」のアニメ「撮影」、つまりコンポジット技術に活きています。

 

そして2016年。今頃になって、巷で「フィルム撮影台が懐かしい」だなんていう言い草をたまに耳(目)にしますが、私が思うに、正確には「自分が熱中した時代の時代性が懐かしい」のだと思います。決して、フィルムそのものが懐かしいわけではなく、フィルムが活躍していた頃の「時代性」が懐かしいのでしょう。自分の馴染んだ時代が過去のものへと過ぎ去っていく寂しさを、「フィルムが懐かしいという論調にすり替えている」ように思えます。

 

そして、なぜ、今頃になって懐かしいと思うのかというと、当人のメインである紙と鉛筆の地位が脅かされ始めたから‥‥だと思います。他人事だった「デジタルへの移行」が当人の身に及んだことで、「シンパシー」が生じたのでしょう。

 

過去、昔‥‥というのは、学ぶべき対象であって、懐かしんで殻に閉じこもる道具や方便ではない‥‥と、少なくとも私は感じます。

 

スマホやネット、深夜でも金を下ろせるATM。ゴーストや色ズレのない綺麗なテレビ。ネットで注文すれば翌日に商品を手にできる通販。社会環境はいち個人の感情などお構いなしに変わり続けます。そしてそのいち個人は、適度に環境変化をちゃっかりと利用したりもします。

 

フィルムが消えていったのも、アニメの制作工程が徐々にコンピュータベースへと移行するのも、要約すれば、社会の動きの一部です。‥‥だとするならば、その動きが生み出すエネルギーを、どう上手く使うか‥‥ですよネ。

 

人間、10年経てば、10歳、歳をとるのです。そんなことをウジウジ考えていても、状況が良い方向に向くとは思えません。重要なのは、フィルム時代を懐かしんで昔は良かったなんて思いふけることではなく、フィルム時代のあれやこれやから未来へ繋がる何かを学び取ることでしょう‥‥ネ。

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