芯から金属

Apple Pencilの芯を、あまり交換しないままにすると‥‥

 

 

‥‥のような感じになります。合成樹脂の先端が消耗し過ぎて、金属の円柱のようなものが露出しております。

 

休憩の後、作業を再開しようとして、気がつきました。いつから、めくれていたんだろ?

 

iPad Proの表面に貼ってある保護フィルムは無傷でした。‥‥なので、もちろん、本体のガラスも無傷。

 

多少は金属が触れようと、簡単には保護フィルムは削れないんでしょうかね。ともあれ、すぐに気づいてよかったです。

 

 

仕事で四六時中使っていると、芯の寿命は1ヶ月くらいなこともあります。書き味向上のシートを貼ってあるので、摩擦が多くて、消耗もはやいのかも知れません。

 

しかし、そうしたコストも作業環境全般の運用プランにあらかじめ組み込めば、特に問題はないです。

 

問題は、書き味向上の「保護シートの安定した供給」‥‥ですかね。価格や貼り替えの手間ではなく、結構、頻繁に品切れや生産完了してしまうので、いつでも入手できるわけではないのが、頭の痛いところです。

 

でもまあ、保護シートに限った話ではなく、PC関連製品は、昔から「安定した供給がおぼつかない」性質をもっていました。パっと現れるかわりに、いつのまにか消えてもいる‥‥という。

 

コンピュータの作業環境は昔から「なまもの」なのです。紙や鉛筆に比べて、はるかに流動的です。なまものなので、腐るのもはやい。

 

ぶっちゃけ、紙の作業環境の方が、先読みの計算がしやすいです。コンピュータが「なまもので、計算しにくい」というのも、何だか皮肉な話ですネ。

 

私の場合、保護シートの消耗による貼り換えタイミングは、年に2〜3回なので、耐用年数と実用年数を兼ね合いして、4年分くらい買いためておけば良い計算になります。‥‥となると、10枚か。

 

まあ、今度、保護シートを購入するときは、10枚はともかくとして、半分の5枚くらいはまとめ買いしておきましょうかね。「業務用」だもんね‥‥。

 

 

 

 

 


フランケンシュタイン、ブラウンサウンド

私の洋楽のルーツは、ディープパープル、レッドツェッペリン、ヴァンヘイレンと、とてもわかりやすいメジャーなバンドによるサウンドで、小学生高学年の頃に聴き始めました。

 

小学生でロック‥‥なんて、なんだかマセたガキのようにも思いますが、兄がロックを家に持ち込んだ影響で、自分の意思で聴き始めたわけではないので、マセてたわけでもないのです。ヴァンヘイレンとかを聴き始めるほんの1〜2年前には「およげたいやきくん」を聴いてたくらいなので。

 

で、やはり、兄が家に「エレキ」を持ち込んだので、私も見よう見まねで弾き始めました。グレコのレスポールコピーモデルで、ピックアップが3つついてる、今にして思えば特殊なレスポールでした。最初に弾けた曲は「スペーストラッキン」のリフでした。

 

中学に上がって、お小遣いで初めてロックのシングル盤を買ったのは、「必殺のハードラブ」です。言うに事欠いてなんてことを‥‥と凄く恥ずかしい邦題ですが、原題は「Somebody Get Me A Docter」で、ヴァンヘイレンの2枚目のLPに収録されていた曲のシングルカットです。バンドの来日記念だったような記憶もあります。

(2枚目の邦題が「伝説の爆撃機」なのも、今となっては、かなりハズかしいです。原題は「VAN HALEN II」で、「伝説」も「爆撃機」も全く見当たらない、日本の担当者の相当な「暴走」ですネ。まあ、それも時代の味です。)

 

私はやがて、リッチーブラックモアやジミーペイジよりも、エディヴァンヘイレンに傾倒していきました。底抜けに明るい雰囲気、ギターを我流でイジって改造する痛快さ、結果良ければどんな弾きかたでも導入する天性の感覚派‥‥と、怖い顔して魔法や伝説がどーのこーのと歌うブリティッシュロックよりも、理屈抜きの「今あるものであるがままに」鳴るニューエイジアメリカンロックに強く惹かれたのです。

 

最近、ふと、「そう言えば、自分の少年時代に好きだったサウンドとは、やたらと小細工して音を作り出すサウンドではなく、リアピックアップのみでワンボリュームのストレートなサウンドだったな」と思い出しました。Webで楽器屋さんのギターコーナーを何となく眺めていて、「最近、ワンボリュームでリアPUオンリーのギターって、全く見かけなくなったな」と思ったのがきっかけでした。

 

「フランケンシュタイン」と呼ばれる、エドワード・ヴァン・ヘイレン(以後、エディと略)が初期から使い続けたギターがあります。これです。

 

(レプリカが流行ってますが、フランケンもレプリカがフェンダーマスタービルドから発売されているようです。ほぼ300万円ですけど。)

 

んー、スゴい。ボロボロですネ。

 

経年変化を差し引いても、相当ラフな改造です。ピックガードを「要るところだけブッた斬って」使ってたり、リアのハムバッカー取り付けの都合でボディーのくりぬき穴の形がイビツだったり、見た目なんてどうでも良い‥‥と思いきや、ボディの塗装には3色使ってたり‥‥と、エディならではのバランス感覚としか言いようがないですネ。

 

フランケンシュタインの最大の特徴は、「エディにとって、必要なものだけがそこにある」点です。要らないものは付いていません。「もしかしたら、これもつけとけば、後々で得するかも」なんてみみっちいパーツなんて、まるでなし。「今、欲しいサウンド」に必要なパーツだけで構成されています。むしろ、要らないパーツはぶった斬ってでも廃棄してしまうほどです。

 

その潔さにも、少年時代の私は強く惹かれていたんだと思います。「サウンドがかっこよければいい」「上手ければいい」「前置きなんていらない」‥‥といった、ある種の「実力主義」を根底にしながら、決して技巧に走り過ぎて小難しくしない開放的な明快さを併せ持っていたのです。

 

* * *

 

こうして書いてまとめると、「自分の価値観の原点」になっていることを自覚できます。少年時代に触れる様々なメディアは、当人に大きな影響を与え、中核を形成していく‥‥のですネ。歳をとるとしみじみと判ります。

 

今の私にとって、「サウンド」は「絵」です。そして、「エレキ」は「コンピュータ」なのだと思います。エディの「ブラウンサウンド」が「フランケンシュタイン」によって具現化されていたように、私の欲する「アニメ」を具現化するためにiPadやiMacがどうしても必要なのです。

 

そしてサウンド作りにMXRなどのエフェクターが欠かせないように、Adobe CCやProcreateなどのソフトウェアは欠かせません。

 

私がコンピュータに馴染めたのは、集積回路に比べて甚だプリミティブとは言え、エレキギターの電気回路に馴染んで、つまみやスイッチでサウンドを探し出そうと、10代の頃にイジりまくっていたから‥‥なのかもなと、ふと実感します。

 

*我が家初めてのエフェクター「マクソンのD&SII」。これも兄がエレキと一緒に家にもたらしました。よく歪んだ記憶(ディストーションのエフェクターです)がありますが、一方で平べったい音にもなった記憶もあります。‥‥ただ、昔はアンプがとにかく「弱かった」ので、それで音がイマイチだった可能性もあります。現代の機材の中に組み込めば、良い使い道があるかも知れません。今は、アンプモデリング、スピーカーや箱鳴りやマイクのエア感のシミュレーションなど、様々な音の底上げができますもんネ。

 

10代の前半に、自分の感情を、アコースティック楽器ではなく、電気楽器・電子楽器で表現していたのは、その後の自分の特徴になったと思います。MIDIで0から127の数値で、例えばベロシティ(強弱)を表現するのも、そんなに抵抗なく馴染めましたしネ。

 

しかし一方で、「機械さえあれば、大丈夫」だなんて全く思わず、「結局は当人の感性と技術が全てを決する」と考えるのは、やはりエディの「道具も機械もテクニックも全部必要」という明快なスタンスに大きな影響を受けているとも思います。どんなに高いアンプとエフェクターを取り揃えても、演奏が下手じゃ全然お話にならない‥‥ですもんネ。

 

* * *

 

道具を使う「思想」って人それぞれですけど、「三つ子の魂」みたいに、使い方のドクトリン的な根底部分って、人格や性質が形成されきっていない10代中頃までに無意識・無自覚に型が出来上がってしまうのかも知れませんネ。後天的には変えることのできない根元の部分が、10代中頃にほぼフィックスしてしまう‥‥のかも知れません。

 

まあ、私の場合、ヴァンヘイレンだけに熱中していたわけでなく、家にLPレコードがあったラテンミュージックやクラシック音楽、アニメソング、当時の歌謡曲、高中正義やラリーカールトンやジェフベックのようなフュージョンやクロスオーバーなどにも大きな影響を受けていますから、複雑な組成ではあります。高校の頃にバッハ生誕300年で、浴びるようにバッハの音楽がNHK FMから流れていたのも影響がデカいと思います。

 

私自身が、小難しく考えがちな一方で、スカーッと明快でシンプルで開放的な性質を求めるのは、おそらく、子供の頃に見聞きしていた音楽や映像や絵の「混ざり具合」ゆえ‥‥なのでしょう。

 

複雑なテンションノートを好む一方で、エディの爽快なドローンコード(1,5,8のアレ。パワーコードとも呼ぶみたいです)のブラウンサウンドも大好き‥‥という、真逆とも言える性質は、自分ながら奇妙で、時に持て余すこともあるのです。

 

* * *

 

10代に好んで聴いた音楽って、私の事情だけでなく、色々な人々の「感覚の拠り所」になっているように思います。

 

例えば、コンポジット作業で「空気感」「光」「風」「空間」「冷たさ、温かさ」を表現しようとする人って、多勢の人々とは異なる音楽体験をしてきたことが多いです。私の知るところ、映像ニュアンスの「感覚の表現」に鋭い人は、皆、何らかの音楽体験を通過していて、興味深いです。話を聞いてみれば、皆、音楽に深く関わった経験を持ちます。

 

周囲の話題に乗り遅れないように、流行っている音楽だけを聴いてた‥‥とか、社交目的でバンドを組んでた‥‥とかだと、映像に音楽体験が滲み出すような特性は表れないんですが、ピアノを幼少からスパルタでやってたとか、声楽を大学で専攻していたとか、近現代の合唱をやってた‥‥とかすると、ぶっちゃけ、「ニュアンスの話がすぐに疎通できる」ので解るのです。

 

音に対する探求心は、実は、絵に対する探求心と、根っこで強くネットワークしているのでしょう。

 

別にAfter Effectsなんて、後で覚えりゃ良いんです。私の目する新しい技術による制作現場において、コンポジター(ビジュアルエフェクトなど)に決定的に必要だと思うのは、「ニュアンスに対する鋭い感覚」です。

 

音楽の一節を聴いて、「なぜ、こんな響きのニュアンスになるんだろう?」と興味が湧いて、自分なりに探求したことがあるか否か。

 

例えば、1,3,5,maj7,9,11,13だったり、1,3,5,7th,9,13だったり、1,3,5,7th,9+だったり、トライアド(いわゆるドミソです)の一筋縄ではいかない響きの「ナゾ」を探ったことがあるか、もしくはそうしたハーモニーを自ら奏でたことがあるか‥‥によって、ニュアンスに対する先鋭度・敏感度が変わってくるのでしょう。

 

もちろん、音楽をやっていた人だけが、映像のニュアンスに敏感だというわけではないです。

 

ただ、私の知るところ、「ものすごく微細なニュアンスの話が通じるのは、一般の人より突っ込んだ音楽体験をしていた人であることが、とても多い」のです。憶測や理屈ではなく、経験上‥‥です。

 

ちなみに、今回のお題のエドワード・ヴァン・ヘイレンも、とてもニュアンスには細かい人だと思います。アホみたいにパワーコードだけかき鳴らしているわけじゃなく、とてもユニークなテンションのハーモニーをええ感じにチョイと繰り出してきます。かと言って、テンションノートで埋め尽くしていかにも技巧的になりきらないところが、魅力でもあります。エディは1980年代に、アランホールズワース(=独自の和音とスケールのセンスを持つ鬼才。最近亡くなってしまいました。)を援助してホールズワースのソロアルバムをリリースしたこともあるくらいですからネ。(実は、私がホールズワースを知ったのは、エディ経由です)

 

* * *

 

とりとめのない音楽周辺の話になってますが、最近、シンプル&ストレートなギターが欲しくなってきて、兄から「使うのなら、やるよ」と貰ったバスカーズ(エントリーモデルのストラトコピーの中古品。ハードオフで数千円で買ったらしい。)を改造しようかと思っています。

 

今でもワンボリュームタイプのピックガードは売ってるようですし、ダンカンはオールドタイプのピックアップを製造し続けてくれているので(「TB-59」を買おうと思っています。高出力は必須じゃないので。)、改造と言っても大した手間ではありません。ワンボリュームの電気配線は極めてシンプルですしネ。

 

 

 

絵も音楽も、「芸の肥やし」ですネ。

 

 


雑感。

私はこのブログで、色々と悲観的なことも楽観的なことも書きますが、自分ながら、極めて楽観的だなと感じるのは「人の描く絵は必要とされ続ける」と何の疑いもなしに考える思考です。未来には様々な映像技術が発達して、ゆえにアニメは3DCGに取って代わられる、実写でもアニメと同じことができる、‥‥とは全く考えないところは、妙に、楽観的なんですよネ。

 

人が絵を描き、その絵が人の共感を呼び覚ます限りは、絵だけが表現し得るフィールドは限りなく存在する‥‥と感じます。

 

もちろん、3DCGは今後もどんどんと表現領域が発展していくと考えていますし、実写の魅力も十分承知していますが、一方で、描いた絵を動かすアニメにも「伸びしろは、いくらでもあるじゃん」と感じるのです。アニメを「原動画を描いてペイントして、背景と合わせて、撮影するもの」と限定しちゃうと、技術的にも経済的にも行き詰まりを感じずにはいられないですが、ふと、iPad ProやiMac 5Kなどの現用の機材を起点にアニメの作り方を仕切り直して考えてみれば、「いくらでもやりようなんてあるじゃないか」とぐんと前向きな気持ちになれます。

 

これは言い換えれば、「原画を描いて、動画を描いて」‥‥という「スタイルに固執するのをやめる」‥‥ということなのでしょう。

 

旧来の作業スタイルにしがみつくのをやめて、旧来の定番の技法を手放して、新たに「現在未来の道具で」絵を描いて動かすことを決心できるか否か‥‥ですネ。

 

「昔の方法は、現在においては、どうやら、うまくいかないことも多くなっている」‥‥なんて、当然なんですよネ。だって、今から50年くらい前に、50年前の道具と社会と経済ありきで作り出された方法なのですから。

*注)世界全般のアニメの歴史ではなく、日本のテレビアニメの制作体制が築かれた頃=1960年代後半〜1970年代から計算して‥‥です。

 

でも、現在は2020年代目前。現在の道具と社会と経済ありきで、アニメの作り方を考えるならば、最初から破綻している方法なんて選択するわけはなく、現在の様々な状況の中でどうやって「具合良く、アニメを作るか」をごく自然に考えます。

 

今までアニメを作ってきた数十年間をどうしても意識してしまうから、未来像にバイアスがかかって変質してしまうのです。

 

今までのことはすべてなかったことにして、まっさらに白紙から、「2020年代にどうやってアニメを作るか」を技術的にも経済的にも考えた場合、数千数万枚の大量の作業による多大な人件費を基盤とした制作方法を考える人などいないでしょう。現在未来の社会経済で通用するやりかたを、現在の道具を用いて考えるはずです。

 

わざわざ、最新の道具を有効に活かせず、お金が足りずに運用も厳しい方法を、ゼロから考えるとは思いません。「現実的に有利な方法を考える」でしょう。

 

要は、「過去のしがらみから脱すれば、現在有利な方法を選択しやすい」が、「過去のしがらみに囚われていると、現在不利な方法でも選択せざる得ない」とも言えます。

 

 

 

例えば、東京から大阪まで500キロ。

 

徒歩を時速5kmとして、8時間歩いて40Km。12日かかることになります。日曜は休んだとして、「徒歩で14日=2週間」。

 

その道中での1日3食の食事と宿泊場所のコストを計算して、「うわあ、随分と金と時間がかかるなあ」なんて、2017年現在に考えるでしょうか。

 

江戸時代ならともかく、今は平成です。鉄道網もモータリゼーションも、空を飛ぶ飛行機もあります。「徒歩で500Km」を計画する人など、特別な目的が無い限り、皆無でしょう。

 

新幹線ありき、ジェット旅客機ありき、高速道路と自動車ありき‥‥で考えれば、プロジェクトそのものが大きく様変わりします。「14日の徒歩」で縛られていたプロジェクトの限界を払拭することができ、新幹線などを用いた移動の段取りに1日かけたとしても、残りの13日間を他のリソース(プロジェクトの資源)として活用できるでしょう。

 

「時間と金」が変わる‥‥ということは、人も仕事も、そしてビジネスも変わる‥‥ということです。

 

 

 

「徒歩をやめたら、人間が関わらないものになる」と考える人もいるかも知れません。‥‥しかし、同じ例えで言うなら、飛行機も新幹線も自動車も、それを使ったからと言って、人間は相変わらず関わり続けていますよネ。

 

徒歩も新幹線も、人が移動することには変わりありません。同じく、数千数万枚の動画を描く地道な作業から、コンピュータを活用して動かす作業にシフトしても、相変わらず、人間が絵を描いてアニメーションを作ることに変わりはないのです。

 

私は実際に新しい技術で何度も作業しているので、リアルな感覚で喋れ(書け)ますが、人間はむしろ旧来よりも「関わりまくり」です。より一層ダイレクトに、映像にそのまま自分の「絵作りの挙動」が反映されるので、旧来のアニメ技術よりもデリケートで繊細な要素を人の手で制御しなければなりません。

 

紙を使おうが、コンピュータを使おうが、人間の脳内のイメージを具現化する以上は、人間はイメージ作りの中核なのです。

 

「コンピュータ=人が関わらない」‥‥なんていうイメージ、いつの時代のイメージのままなの? ‥‥という感じです。ミスターゴードンじゃあるまいに。

 

 

 

 

 

旧来のアニメーション技術から新しい技術へと移行することで、表面上は、多くの積み上げた技術を放棄することにもなりましょう。あくまで「表面上」はネ。

 

技術がうわべの段取りだけで成り立っているのではないことは、「技術を真に身につけた人」ならお判りでしょう。「段取りの暗記」ではなく、「技術の核心」を身につければ、いくらでも応用が可能です。

 

A1、セリフはB-(1,2,3かB-(X,1,2のどちらが良いか‥‥なんて瑣末な要素です。未来を考えるのなら、セリフを喋るアニメーション表現をどう処理してどう描くか‥‥の表現技術のほうがよほど重要です。

 

 

2020年代以降の映像技術の中で、「今までのアニメの段取りがないと、喰っていけない」人間になるのは、少々危険かなぁ‥‥‥と思います。「絵と映像を具現化できる」人間ならば、未来のどんな技術スタイルの中でも生きていけるんじゃないでしょうかね。

 

でもまあ、技術スタイルを変えて道具を持ち替えるということは「改宗」レベル・「宗教改革」レベルの物事だとも思いますから、わざわざ「宗教戦争」にこじらせても面倒ですし、各人各グループの思うところで行動して、欲する状況を順次的・累積的に獲得していけば良いのだと思います。

 

 


古いだの新しいだの

ちまたでは、「XXは古い。これからはOOだ。」なんていうフレーズが繰り返されます。ネットの記事を見ると、そんな文言をそこら中で目にします。人の関心を惹きつけるための鉄板フレーズなんでしょうネ。

 

製品のレビューとかでよく目にする「XXは古い。これからはOOが新しい。」などの論調でまくしたてる記事は、数年経過して読み直すと、ひどく滑稽だったりします。「新しい物事に踊らされて、浮き足立って、うつつをぬかす」のは、かっこ悪いし、みっともないですもんネ。新しい何かに対する対応の如何で、当人の性質すら透けて見えてしまいます。

 

新しい古いという形容詞は、時系列が存在する以上、どんなものにもつきまとうでしょう。新しいか古いかなんて、実はどうでもよくて、肝心なのは、新旧それぞれの、是非、可否、当否、です。

 

例えば、電子楽器は、古いものでも支持される事が、数千円の物品でもよくあります。BOSSのDS-1は今年2017年に何と「発売40周年」で、記念モデルが発売されています。電気回路で構成されるエフェクターが、40年のロングセラーだなんて、わたし的には、なかなか「いい話」だと思います。私が高校時代に愛用していたRATは、今でも製造され発売されていますし、MXRのダイナコンプなんて、発売から何十年経つのかも解りません。

 

どんなに古くても、良いものは残り続ければ良い。

 

新しいものが良いものならば、それを活用する。

 

私のキモチは昔から同じです。

 

では、ここでよく書いている「旧来のアニメ制作技法と、新しいアニメ制作技法」を対比させているのは、なぜか?‥‥というと、上述した通り、「是非」「可否」について考えるからです。

 

旧来のアニメ制作システムはどのように存続させていくかということに対して、様々な技術の可能性とともに、かれこれ10年以上考えてきました。しかし、何度も何度も、見方や角度を変えて、「未来に生き残る可能性」「今後も現場が成立する可能性」を考えてみたものの、どの方位から見ても「旧来現場には、明るく合理的な未来が見えない」ことに結論しました。

 

新しいか、古いか‥‥ではなく、未来の展望において可か否か‥‥が要点です。

 

2020年代以降には、2つの理由で、昔の方法が通用しにくくなる。ゆえに、昔からのアニメ制作スタイルは続けることが困難‥‥なのです。

 

1つは映像技術の問題。そして、もう1つは「労基」です。

 

4K60pHDRをはじめとした現代&未来の映像技術に対し、旧来のアニメ制作技法はあまりにも旧式化しています。とはいえ、「アニメとは秒間8〜12枚で絵を動かす技術が基盤だ」と言い張り続けることで、苦しいながらも作り続けることは可能かも知れません。

 

しかし、作り方に関しては、「アニメは旧来、このような労働時間と作業報酬で作り続けてきた」と言い続けて、労基を無視し続けることは、果たして今後の社会環境の中で可能でしょうか。‥‥まあ、無理ですよネ。

 

実は、映像技術以上に、旧来アニメ現場に痛烈なダメージを与えるのは、「労基への対応」なのかも知れません。最近、そのことについて耳にした現場の人も多いんじゃないでしょうかネ。あまりにも無視して違反し続けると、逮捕者だってでかねない雰囲気ですよネ。個人の作品への思い入れで連勤徹夜を何日も‥‥なんて、もはや美談ではなく、それを容認した責任者の逮捕に繋がる可能性だって否定できません。

 

* * *

 

思うに、テレビアニメ制作の制作費は、「作業者持ち出し」で大幅に補助されています。「持ち出し」とはつまりは、「アニメが作りたい」という作業者の情熱に起因する超過労働だったり、なし崩し的に大変な作業を請け負う現場の慣習だったりです。その「持ち出し」分、「自腹提供」分を、全て時間とお金に還元するなら、あっというまに予算をオーバーして、テレビアニメなんて制作そのものが全く成り立たない‥‥ですよネ。そのあたりは、現場である程度経験を積めば、暗黙の認識でしょう。

 

技術に応じた作業報酬、原画背景撮影300カット前後と動画仕上げ数千枚に及ぶ作業物量、常識的な労働時間から算出される制作期間、これらを「ごまかし」なしで全て計上した場合、1500万円前後で30分枠のアニメなんて「作れるわけない」じゃん‥‥です。

 

私はふと、アニメ業界に「痛烈な粛清」が沸き起こり、その粛清がもとで立ち直れないほどの弱体化が生じるとすれば、それは「労基」なのかな‥‥とも思っているのです。

 

未来社会の映像技術進化は無視できます。俺節で映像を作れば良いのですから。

 

しかし、労働に対する社会的基準を無視して、社会の中でどうやって存在していけるのか。俺節で、労基を無視できますかね?

 

アニメが産業として認知されるということは、アニメが正常な労働としても認知されなければならない未来が待っている‥‥と言えます。「2兆円産業」とやら‥‥なら、その2兆円に値する労基が「アニメ業界外側からの圧力」として求められていくわけですネ。

 

とは言え、労基を無視してきたからこそ、成り立っていたテレビアニメの制作事情。その構造事情を変えてしまったら、アニメ自体が制作不可能になるのは明白ですよネ。

 

私とて、30年間、アニメ制作に関わってきた人間ですから、その辺の事情は様々な経験で知っております。でも、事情を優先し続けて、今後の社会環境において、生き続けていけるのでしょうか?

 

昔と同じことは、未来にはもう、続けられないんだと、潔く覚悟しましょう。

 

旧来の悪癖を継承し続ける制作現場に、今後、どれだけ「一生の仕事」として若い人間が入ってくるでしょうか。「アニメ制作は20代の良き思い出。親から金を借りても家賃もままならず貧乏のどん底だったけど、自分の憧れを一時的にでも叶えたから満足だ。30代からはちゃんと稼げるまっとうな仕事につく。」なんていうアニメ現場の性質を、2020年代に入っても維持し続けるつもり?

 

 

労働力に対する対価、技術力に対する対価を誤魔化さずに、制作費として成立させるのは、産業の実情からして不可能。

 

しかし今後、アニメ制作がブラック体質から抜け出すには、常識的な労働基準はクリアすべきであって、誤魔化し続けるのは限界がある。

 

とは言え、現実的には、金はないけど、労働力は必要

 

 

‥‥ジレンマですよね。何世代にも渡って、誤魔化し続けた、アニメ業界のジレンマ。

 

 

2020年代以降のアニメ制作現場は、そのジレンマに向き合わなければならない、社会的な「潮時」なのです。

 

つまり、アニメ会社は、2020年代の基準に準じた労働力によってアニメ映像制作を存続させたい場合は、アニメの作り方を根本的に変える必要があるということです。

 

概念は極めて常識的で簡素です。労働力の総量を制作費に反映すれば良いだけです。

 

そして、新しい技術体系を確立することで、「労働の質」を変えることができます。ひどく効率の悪かった労働力から、効率を飛躍的に向上させた労働力へと。

 

旧来現場は、2000万では全然足りない〜っっなんて叫んでいるのに、新しい現場では時間もお金も余裕があって、作業者にも報酬が行き渡り、しかも4K60pのコンテンツをネイティブ(=2K24pアップコンではなく)で制作している‥‥なんてことも起こり得ましょう。

 

* * *

 

未来の世界にいきたい? ‥‥で、なぜ、徒歩なのよ。自動車を使えばいいじゃん。

 

徒歩で移動しておいて、「時間もかかるし、体力も消耗する」って、おかしな話ですよネ。そこで出てくる発想が「ハイテクシューズ」だもんな。

 

 

技術と労基。

 

アニメ業界の未来は如何に。

 

でもまあ、業界なんて得体の知れない無人格の集合体に憂うよりも、自分の未来をしかと見つめて、自分の関わる自分の現場を変えていくよう、お互い頑張りましょう。

 

 


雑感。

私はここで色々な自分の考えを書き綴りますが、それはあくまで、私の目指す未来のビジョンによるものであって、違う未来のビジョンを目指す人は、異なる考えをお持ちでしょう。要は各々が「うまくいくと思う方法で未来に進んでいく」だけのことです。

 

私は、私の経験による分析と予測から、「デジタル作画」には「現制作現場の問題を克服し、未来の映像技術の進化に順応していく要素が乏しい」と判断するわけですが、もちろん、私は全てを経験したわけでもないし、全てを見通す能力などないのですから、「デジタル作画」には私の知りえない、未来を大きく変える要素が内包されているのかも知れません。

 

しかし、前回書いたように、私にはそれが感じられないし、見えもしないのです。ですから、ここでは「デジタル作画」に対して、私の感じるまま、書くほかないです。どこかの企業の後ろ盾を得て記事を書いているわけではないので、自分の考えと裏腹に宣伝目的で「良いことだけ」を書くわけにもいかんのです。私が率直に、実際に旧来原画作業をiPad Proで2年近く作業して感じ得たこと、周囲の「デジタル作画」の状況や作業の品質、友人を通して伝え聞く状況など、自分の身の丈で書くだけです。

 

* * *

 

作画作業の状況は、何をどう美化しようと、やっぱり厳しい現実には変わりがないです。ゆえに、「少しでも収入がアップする手立てがあるのなら」「少しでも作業内容を楽にすることが可能なら」と考えがちです。思うに、「デジタル作画」に思考が流れる人の一定数は、そういう「少しでも状況が改善されるなら」という思考に基づいているのでしょう。

 

しかし、「少しでも良いのなら」と流される前に、よくよく、認識しておくポイントがあります。

 

道具を変えることで、今まで習得した技術を活かして移行できる‥‥というのは、今まで抱えてきた問題もそのまま移行してしまうことになります。良いことだけが移行できるのではなく、悪いことも流れ込んで移行してしまうのです。その最たる現状が単価の問題でしょう。

 

「デジタル作画」は映像技術的な限界もさることながら、もっと深刻な問題は、旧来現場の貧窮や悪癖も全て踏襲してしまうことです。

 

作画作業の道具がコンピュータへと移行する機会は、またとない現場改善の好機なのに、全くそれが活かされず、むしろ「都合の悪い部分は濁したまま、うやむやのうちに、移行してしまおう」とする無言の強い意志すら感じるのです。

 

当のアニメーターが、なぜ、それに気づかない?

 

散々、ブラック、ブラックと言われているのにも関わらず。‥‥です。

 

制作現場外部側の一般向けに喧伝するのは、「ディテールの細かい絵で、こんなにかっこよく動いて、アニメができるようになりました」でも構わないでしょう。しかし内部では「ディテールの細かい絵で、こんなにかっこよく動いて、アニメができるようになったけど、そのコスト=時間とお金は?」ということを真正面から問わなければなりません。「こんなことができる」のは技術発展として良きことでしょうが、同じ重要度をもって「作業者の生活のリアル」を考えるべきでしょう。

 

うやむやのうちに「デジタル作画」に移行し、全行程が「デジタル化」した旧来現場の未来像は明白です。より一層、大変な作業を請け負うことになる各セクションの作業者の姿です。

 

「細かく描けてしまうので、細かいキャラ設定をそのまま描けてしまい、原画も動画も仕上げどんどん大変になる」とか、「細密の限りを尽くした美設に基づく、極めてディテールの細かい背景美術」とか、「貼り込み数カ所はあたりまえで、数日で全部撮り切りの撮影工程」とか、採算度外視な内容に歯止めが効かなくなる未来が容易に想像できます。

 

「デジタルには移行しないで、紙に描ける細かさを上限にしておけば、こんな事にはならなかった」‥‥と後悔する日が来るかも知れません。

 

* * *

 

現在、テレビシリーズの原画単価は4000円前後です。私がキャリアを開始した30年前は2200〜2500円くらいでしたから、「時代に合わせて、倍近くにはなったんだ」と思いがちです。

 

でも、その考えは全く的を外しています。

 

現在のテレビシリーズは、放映して完了‥‥ではなく、製作当初から「円盤などのパッケージ販売」「配信ビジネス」が決定しています。

 

昔で言えば「OVA=オリジナルビデオアニメーション」の性質を多分に有するのが、今のテレビシリーズの姿です。「テレビアニメとは言いながら、最初からOVAとして販売することが決定している」のです。ゆえに、昔のテレビより、キャラ設定は細かくてデリケートだし、品質に気を使うし、パッケージRも放映後に作業します。

 

‥‥さて、30年前のOVAの原画単価は3500〜4500円くらいでした。

 

あれれ? つまり、どういうこと?

 

テレビシリーズは実はパッケージ販売前提のOVAである‥‥という「テレビ作品という肩書きに誤魔化されたトリック」があるのです。‥‥だとすれば、単価は実はそんなに変わってないのです。

 

これも「うやむやのうちに、そういうことになってしまった」事例ですよネ。

 

「デジタル作画」も結局、時代の流れに合わせて大変な絵を描いて作業時間は猛烈に伸びても、「うやむやのうちに、慣習を引き継いで」、アニメーターの生活はもっと厳しいものへと移行していくでしょう。これは過去の歴史からいくらでも学べる教訓です。

 

* * *

 

‥‥とは言っても、やっぱり、自分の頭と体で実感してみないことには、納得できないことも多いでしょう。

 

なので、虎穴に入らずんば虎児を得ず。「未来の現実」を獲得したいのなら、ツイッターばかり気にしてても先には進みません。実際に、自分の身でのりこんで、体感して「いけるか、いけないか」「喰えるか、喰えないか」を自分なりにジャッジすることが必要です。

 

実感したことで、未来のプラスイメージが想像できれば、そのイメージが具現化するように行動すれば良いです。逆にマイナスイメージのビジョンが見えてしまった場合は、それ以上は先に進まずに、自分の経験と照らし合わせて、もう少し時間をとって考えることが必要になると思います。

 

結局はなんだかんだ言っても、自分自身で自分の未来の舵取りをするほかないのです。そしてその各個人の舵取りの総合結果が、業界の動向になります。

 

1960年代から始まって発展し、今まで生き長らえてきた旧来制作システムは、構造寿命に達しています。ヒシヒシ‥‥と感じます。「根性根性ど根性。泣いて笑って作画して」なんていうのは、老いた世代の過去の思い出です。2020年代には、2020年代にふさわしい闘争本能が求められるでしょう。

 

労基の問題にも対処しなければならないでしょう。労基の水準をクリアして、コンピュータも手足のように扱い、コスト効率も最大限に高めつつ、そこでどんなアニメを作るか‥‥が、2020年代以降のアニメの作り方なのです。「昔話の武勇伝」は語り草程度でちょうどよく、未来の現場に「昔話の武勇伝」は要らないのです。

 

* * *

 

私の経た映像制作30年で獲得したことは、「細部を想像できるものは実現できる。細部が濁って曖昧なものは実現できない。」という単純明解な経験則です。

 

絵もプログラムも電気回路もそうですよネ。曖昧な部分があったら、その部分に関しては、絵を描けないし、制御文を書けないし、回路図を設計できない‥‥ですよネ。つまり、完成しない、動作しない‥‥のです。

 

「なんかよくわからないけど、良いかも知れない。うまくいくかも。」なんて、素人の言い草なのです。「あれとあれとあれを組み合わせれば可能となる。良いものになる。完成する。」と具体的に想像できることだけが、実際に実現できるのです。

 

もし、未知の新要素、思いも寄らない発見を得られる「セレンディピティ」があったとしても、それは漠然とした日和見から生じるのではなく、確信的に掴みたいものを掴みにいく経過によって生じるのです。

 

* * *

 

滅んでいった産業、忘れ去られた娯楽はいくつもありましょう。消えていったいくつもの中に、アニメを含めるか否か。

 

「自分の墓穴にもっていく」なんていう考えの人もおりましょう。そういう人は、殉死希望者を募って、先祖の墓前で自決すれば良いです。私は、そういう人がいるのを否定しませんし、むしろ、その人なりの意志を貫いた潔い選択だとも思います。

 

しかし私は、時代に順応し、世代を超えて技術が受け継がれる、アニメ制作技術の構造を求めていきたいと思います。死ぬことよりも、生きることを考えたいのです。

 

 


種を蒔く。事を導く。

ふと思えば、現在行動している「元」は、10年くらい前に行動していたことの結果といえます。ある日突然、思いもしなかったことが実現しようはずもなく、必ず「蒔いた種が発芽して生育した結果」が現れます。実がなるかどうかは、生育の状況次第ですが、とにかく、種を蒔くからこそ、芽が出るわけです。

 

しかし、「今の行動が、未来の種となりえるか」が察知できるようになるには、相当な経験が必要になります。ゆえに、絶対的な「生きた時間」が少ない20〜30代の頃は、10年単位で状況を俯瞰視することは難しく、「今、これをやっておくと、いいかも知れない」という漠とした感覚で行動します。もちろん、若ければ若いなりに当時は一生懸命「合理的に」考えては見るのですが、いかんせん、経験の蓄積途中にあるので、10年規模の発展予想図など、思い描きようがないのです。もし何らかの取り組みと発展の予測を可能にできるとすれば、歴史書から学ぶほかはありませんが、20〜30代の頃は「今を切り拓くのに必死」な状況が続くため、「10年単位でものを扱う」ことなど中々実践できるものではないのです。

 

では、40代以降はどうでしょう。

 

私が今、アニメの旧来制作システムに別れを告げて、新たな「次世界」の一歩を踏み出そうと心から決心できるのは、アニメ業界での状況を見据えることが「私なりの30年間の視点において」可能になったからです。

 

10年間だけでは判断が難しい、20年間だと経験は蓄積できているが複数の可能性から1つを選択するのに迷う、30年間だと‥‥まあ、それなりに判断ができるようになってきました。私は現在40代の終わりですが、今と同じ決心を20年前のアラウンド30の頃にできたかどうか‥‥は、かなり難しいかなとは思います。

 

 

新しい技術と制作体系で切り拓いていく未来には、多くの困難もつきまといますが、多くの明るい希望も見えます。明るい要素の中で、一番わかりやすいのは、「未来映像技術」、そして「お金」です。細かい絵柄=4K8K、滑らかなモーション=60〜120p、濃く深く鮮やかな色彩=HDR、そして、人ひとりに分配される作業費が大幅に向上できます。

 

私は旧来のアニメ技術に対して、どうしても、暗い未来の感情が拭えないのですが、それはまさに上述の「未来映像技術」と「お金」の面で圧倒的に不利だからです。新しいアニメ技術では有利に作用して追い風になってくれる世界規模の映像技術進化が、旧来のアニメ技術ではことごとく不利に作用して向かい風になるのです。アニメ業界の仕事だけをこなしていると「何が不利なのか」も具体的にわかりにくいのですが、2K24p(実質は8〜12fps)SDRで打ち止め状態のフォーマットと、大量の絵を描かなければ映像が作れない技術基盤は、「かなりヤバい」立ち遅れです。日本のアニメで用いる映像フォーマットはまさに前時代の遺物と化そうとしている一方で、制作費は全然足りていない‥‥という、深刻で大きな障壁が立ちはだかります。

 

では、「デジタル作画」と「デジタルタイムシート」だったら、どう改善できるでしょうか。「デジタルの作画とデジタルのタイムシートという種」が、どのように育っていって、10年後にどのような実を結ぶかを想像してみれば、「デジタル作画」が支える旧来アニメ現場の未来も見えてきましょう。

 

その未来、つまりは、

 

デジタル作画とデジタルタイムシートは、アニメーターの作業報酬を根本的に改善できるか?

 

‥‥かというと、まあ、できませんよネ。なぜかというと、

 

  • デジタル作画で可能になる細部の描きこみによって、今よりも一層、1枚を描くのに時間がかかるようになる
  • デジタル作画とデジタルタイムシートに移行しても、3000〜8000枚の作画と仕上げが必要なのは同じ
  • よって、制作費を分配する構造には変化が生じず、作業者ひとりに分配される作業費は、抜本的な改善が困難

 

‥‥という様相が、見えてきます。

 

今、デジタル作画とデジタルタイムシートを推進している人々の頭の中には、どのような「10年後のビジョン」が見えているのでしょうか。

 

私なりに、「デジタル作画」から見える10年後のビジョンを文字にすると、

 

  • テレビ作品の原画単価5000〜6000円
  • テレビ作品の動画単価300〜400円前後
  • テレビ作品の作画枚数4000〜8000枚
  • 4K対応の細かい絵柄を描くことにより、上記単価の向上は実質打ち消される
  • 作画の労力をカバーするための、今以上の随所にわたる撮影のテクスチャ貼り込み
  • 1話あたりの制作期間、作画〜撮影で1.5ヶ月
  • マシン環境を標準化するために、更新されずに固定されたソフトウェアとハードウェア
  • 24pのまま

 

‥‥という感じです。

 

中々、厳しい未来です。‥‥わたし的には「絶望的な未来」です。作業の金額だけでなく、作業期間の短さは、人件費を低く抑えるための常套手段なので、絶対に外せないでしょう。

 

作業内容が今でも釣り合っていないのに、さらに作業状況が過酷になっても、作業費は現在の1.5倍くらいがせいぜいでしょう。過去10年セグメントで、どのように社会とアニメ制作現場が「経済的に」変わってきたかを振り返れば、大体の予想はつきましょう。

 

デジタル作画とデジタルタイムシートの目指す10年後の未来は、道具がコンピュータに変わりこそすれ、作業者の苦しさはあいも変わらずの未来‥‥だと私は強く思います。「デジタルワークによって、効率化が図られて」と言う人もいるでしょうが、私の知るところの実例では、デジタルも紙も同じ単価で、同じだけ時間もかかるようなので、「効率化=お金」という図式は「デジタル作画」には当てはまらないようです。‥‥でもそれは当然で、数千枚も細かい絵柄を描いてれば、紙だろうがペンタブだろうが、作業内容が厳しいのは変わるわけがないのです。

 

「だからこそ、制作費を2倍に」‥‥というのは、実現性の乏しい主張です。

 

それを言うのであれば、「国家予算がせめて2倍あれば」「給料が2倍になれば」と誰もが思うでしょう。「制作費を2倍に」できる「根拠」がなければ、決して2倍にはなりません。祈ってれば成就するような空想物語ではないのです。

 

 

 

「どんどんデジタル作画の機運が高まっている。これからは作画もシートもデジタルだ」

 

‥‥と盛り上がるのは、20代の若い人ならある程度しょうがないです。しかし、30代後半から50代にもなろうとする人間ならば、「種を蒔いた後の10年後」は想像できるはず‥‥ですよネ。

 

 

「絵コンテがあって、作打ちして、まずレイアウトと1原を描くよね。その時に使うのはペンタブか。‥‥で、2原を描くときもペンタブで‥‥まあ、ペンタブなのは、慣れるとして、‥‥‥‥で、お金は? 作画する内容は?」

 

 

アニメ業界の、しかもアニメーターは、世間からブラックと呼ばれている現状から抜け出したいわけですよネ。

 

なのに、不思議‥‥ですが、なぜ、道具を変えて、同じことを繰り返すのか

 

10年後にブラック構造から抜け出たいのなら、今、「ブラックから抜け出すための、未来の元」を作り出す必要があるのですが、それが「デジタル作画」と「デジタルタイムシート」でしょうか? ‥‥私には、全くそうは思えないのです。

 

「デジタル作画」と「デジタルタイムシート」のどこに「ブラックからの解放」の要素が内包されているのか、正直、私には全く見えないのです。「ブラック状態から抜け出す画期的な要素がデジタル作画には欠けている」と感じます。道具をコンピュータにすげ替えたところで、今と変わらぬ未来がアニメーターには待ち受けています。‥‥本当に、現場はそれ=今と変わらぬ未来を望んでいるのでしょうか‥‥‥ね?

 

「お金の問題と、デジタル作画は、別枠の話だ」‥‥と言う人もおりましょう。しかし、「作画」の内容はアニメーターのお金(=作業時間)の問題に直結するのですから、切り離して考えるべき問題とは、少なくとも私は思いません。お金と作業のお話はあくまで同列に、双子の兄妹のように扱うべき問題と認識しております。

 

 

私は今から10年くらい前に、いわゆる「カットアウト」「キーフレーム」アニメーションの技術を「実用目的の技術」として取り組み始めましたが、まさに10年後の今、小規模ながら確実に芽を出し生育も進み、実を結び始めています。さらにその10年前、今から20年前に、煙などのエフェクトや鉄柵などのBOOK(切り抜いた背景のこと)をAfterEffectsで動かす試みを既に開始していました。自然界のサイクルのごとく、すべて「物事は時系列で繋がっている」ことを強く感じます。

 

「10年前に種を蒔かなかったら」、新しい技術の草木1本も私の周囲には存在しなかったでしょう。

 

ものすごくシンプルな物事です。種を蒔くからこそ、芽が出て育つ。

 

 

 

「作画をペンタブに切り替えて、タイムシートもデータ化して、旧来の原画動画単価で描く」という種を蒔いたのなら、その通りの延長線上の10年後が待っています。

 

「作画の新しい技術体系を地道に形成しつつ、徐々に作業実績を積み重ねていく」という種を蒔いたのなら、同じく、それに値する10年後が待っているでしょう。

 

 

最近、UHD BDと有機ELテレビのメーカーのデモを見て、一方でNetflixを視聴し始めて欧米のアニメ技術を垣間見て、未来のアニメのカタチが一層明確に見えてきた感慨があります。そして、度々報道される、アニメ業界の「ブラック構造」も、「10年後に、どんな現場で、どんな作り方で、どんな商売をして、アニメと関わっていたいか」という意識を、逆に「ブラックだ」と言われることで明確に自覚できるようにもなりました。

 

デジタル作画が導く10年後の現場で、どれだけのアニメーターが幸福感を感じていると想像していますか?

 

あいも変わらずの「アニメ作品に対するファン心理を人質にとった」ような働きかたを強制し続ける10年後ではないですか?

 

私は心底、そういう「憧れ」「生きがい」を質に入れて、二束三文で労働する「今までのアニメ制作現場」の構造に、疲れ果てたのです。‥‥だから、疲れ果てない、失望しない現場を作り出すことが、どうしても必要なのです。

 

もしかしたら、多くの人は疲れ果てて辞めていくのかもしれません。しかし、私にはまだまだ十分すぎるほど、アニメに対して、キング牧師みたいな言い方ですが「私には夢がある」のです。私は、過去30年の映像制作において何度となく、種を蒔いて育てたことが実を結んで、夢みたいなことが本当に実現した経緯を経験してきました。「夢」「憧れ」「生きがい」「やりがい」は、それを質として、少ないお金と長い作業時間と引き換えに手に入れる方法論だけではなく、「夢」「憧れ」「生きがい」「やりがい」をむしろ直に商売に結びつける方法論も存在することを、30年間の映像制作人生で学びました。

 

我々作り手は、ジョブとワークのことしか頭にないことが多いですよネ。ジョブ=仕事と、ワーク=作業に加えて、ビジネス=商売も、頭の中に常に巡らせておく必要があります。

 

 

 

私はこれ以上、「旧」現場において、加害者にも被害者にもなりたくはないのです。

 

だったら、もう答えはひとつ。「新」現場をつくるしかないです‥‥よネ。

 

 

10年前には存在しなかった、iPad Proも、iMac 5Kも、Adobe CCも、2017年には存在します。なんという「未来の種」でしょうか。この種を活用しない手はありません。

 

セレンディピティ」という言葉を最近テレビ番組で知りました。そのセレンディピティに不可欠な要素として、「準備した人にしか発見できない」とも語られていました。‥‥納得、ですネ。

 

 


iPad Pro、120Hz。

新型のiPad Pro 12.9インチ。

 

発売開始から1週間くらいで到着していたのですが、本職の作業に追われて、使い心地などの感想をブログには書けずじまいでした。旧型からの作画環境の移植はほぼ完了しており、既に作画やボード描きで使用しています。

 

私が購入したのは、WiFiオンリー、512GBストレージのモデルです。

 

色々と性能向上がネットで紹介されていますが、作画作業で格段に有用なのは、やっぱりといえばやっぱり、「120Hz」です。ディスプレイ上で直に絵を描く場合、120Hzのリフレッシュレートは、何よりも魅力的な性能向上です。

 

到着早々にProcreateの「6B」(鉛筆)プリセットで描いてみましたが、現実の生の筆記具で描いている感じに一層近づきました。Apple Pencilのペン先の丸さは未だに「ウソっぽい」感触ですが、筆跡だけに関して言えば、かなり「現実」に近づいています。

 

もしかしたら、性能が向上したA10Xチップも関係して、レイテンシーが劇的に改善されているのかも知れませんが、理由はともかく、Procreateの描き味が極めて向上した事実は確かです。紙に描いているように錯覚します。

 

ちなみに、Apple Pencilはもともと240Hzで動作しており、手持ちのApple Pencilで十分、120Hzの描き味の世界を堪能できます。Apple Pencil単体は新しく買い直す必要はありません。

 

ただ、やっぱりガラスのままでは、グリップ力が弱く、正確なトレースが難しくなるので、「描き味向上」のフィルムは必需品です。商品到着直後に、久々にガラスのままで描いてみましたが、全くお話にならん‥‥と思いました。ガラス表面に合わせて自分の描きかたをいちいちコントロールする時間と労力を割くくらいなら、とっととフィルムを貼ったほうが良いです。‥‥しみじみ再認識しました。

 

ガラスの表面にペンで絵を描く際の感触は、どんなに「オレは慣れた」と強がってみても、かなり「異常な描き味」と言わざる得ません。滑らないように無意識でも気をつけていたり、ガラスからペンが離れるときに慎重になったりと、「ガラス面に対する配慮」が面倒で、作業効率が下がる上に、ストレスも「チリツモ」で蓄積されていきます。

 

新しいiPad Proでも、「ガラスはガラスのまま」ですので、仕事で絵を描く人は何らかの対応をすることになると思います。特にアニメーターは、「自分の好きな絵だけを描いているわけにはいかず、自分の価値基準だけでは完結できない」、「趣味の絵とは全く異なる」作業をするので、ペンを自在に操る「ツールのカスタム」は必須となるでしょう。

 

今回貼ったのは、コレ。2500円前後で少々お高めですが、今までとは違ったものを試してみたくて、買ってみました。旧型と新型のiPad Pro 12.9インチは、ボタンの位置も正面カメラの位置も同じらしく、旧型12.9インチのフィルムでピッタリ適合します。

 

 

保護フィルムを貼ってしまうと、iPad Pro自慢の新型ディスプレイの性能はやや落ちるかも知れませんが、絵を描くのが商売なら、描き味を優先します。‥‥少なくとも私は‥‥です。

 

実際に使っていますが、描き味は良好です。適度なサラサラ感がペン先をグリップしてくれます。

 

以前使っていたフィルムは、指先の操作(ジェスチャ)に対する反応がちょっと鈍くなってしまう欠点もありましたが、今回貼ったフィルムは動作が鈍くなる感触はありません。少々高いフィルムですが、性能バランスは良好のように感じます。まあ、あとはフィルムの耐久性、寿命がどんな感じか‥‥ですネ。

 

 

* * *

 

しかしまあ、コンピュータ関連機器って、「こういうこと」があるから怖いんですよネ。

 

去年末から今年の春にMobile Studio ProやCintiq Proが出て「ペンタブ新時代だ」と言ってたのもつかの間、6月には120HzのiPad Proですもん。30万越えのMobile Studio Proを買っていたら、結構ショックですよネ。120Hzを手に入れるためには、ハードを買い換えるしかないですからネ。

 

私も昔、買った数ヶ月後に「絶対、新しいヤツのほうがいいじゃん」という新製品が出て、自分の「ポチった」タイミングの悲運を呪ったことが何度もあります。‥‥なので、技術進化のムーブメントに気を向けるようになったり、新製品発売のタイミングなどに気を配るようになったのです。

 

ちなみに、新型iPad Proは、上述したように120Hzの画面表示の動作になったので、ペンのストロークに限らず、色んな動きが滑らかです。ページめくりとかアイコンの散ったり集まったりの動きとか、ジェスチャに反応する様々な動きが確実に滑らかになって、現実世界のモーションに雰囲気が近づいています。

 

4K60pHDRの有機ELのテレビにしろ、iPadのような身近なアイテムにしろ、技術は容赦なく、先に進んでいきますネ。

 

 

* * *

 

‥‥で、新型のiPad Pro 12.9インチは、買い替えするほどの性能アップか? 魅力か?

 

と聞かれれば、「どうかな? 絶対に買い替えるほどの必要はないけど、確実に性能は上がっていて快適なので、買ってみても良い」‥‥くらいでしょうか。

 

何度も書いてアレですが、私の場合は、「仕事が増えてきて、もう1台買って、作業環境を拡張したかった」ので買ったのです。要は、買い替えではなく「買い足し」です。今年の春先にもう1台買おうと思ってたのですが、仕事がなんやかんやと忙しくなって、そうこうしているうちに新型が出たので、「ちょうどいいか」と思って買っただけで、「新型が出たら買おう」と心に決めていたのではないです。

 

旧型だとうまく描けない、新型だと描ける‥‥なんてことはないので、旧型ユーザは無理に買い替える必要はないと思います。旧型でもたっぷりじゅうぶん、思い通りに絵は描けますヨ。

 

より一層の滑らかな描き心地、滑らかなモーション、上品な発色のディスプレイ、512GBの大容量記憶容量‥‥という、旧型にはない快適性能にお金を捻出しても良いと思う人は、買い替えてみても良いんじゃないですかネ。

 

でも、まあ、たしかに‥‥120Hzの描き心地はヤミツキになるなあ‥‥とは思います。その辺は偽らざる新型120Hzに対する感想です。もし、iPad ProとApple Pencilに興味があって、まだ買っていなくて迷っているのなら、性能がアップした新型は「買い時」だとは思いますヨ。

 

 


ハイリスク・ローリターン

ちまたでは、「出資者は、利益が生じれば、出資したお金以上のリターンを手にできるが、損失が出れば、出資した額が戻らずお金を失うリスクを背負っている。ゆえに、ハイリスク・ハイリターンである。」と言う一般論を耳にします。そして、「一方、作業者は、どんなに完成品の売り上げが伸びても作業費の増額はないが、同時に、完成品が全く売れなくても正規の作業費を手にすることができる。ゆえにローリスク・ローリターンである」という事も語られます。

 

アニメの商業作品も似たような構造ですよネ。

 

例えば、原画料金は、作品が売れようが売れなかろうが、値段が変動することはなく固定です。全然売れなかったから、原画料金は1/10の500円にします。‥‥なんて聞いたことがありません。そもそも完成作品が世間で発売される頃には、原画料金の支払いは終了しているでしょうしネ。

 

 

‥‥‥‥しかし、非常に強い違和感が残ります。

 

ローリスク???

 

アニメ制作の、例えば作画の作業者は、ローリスクなのか?

 

私は作画を作業してきましたが、アニメーターを職業に選ぶこと自体がハイリスクだと思いました。それはもう、高校に在学している頃(30年くらい前‥‥です)から、強く認識していました。

 

つまり、作画の料金は、そもそもの作業費の設定が低いので、ローリスクだなんて到底思えないのです。

 

 

人生全体の観点で言えば、アニメ制作に関わることは、ハイリスク・ローリターンと言えるのかも知れません。全ての工程が‥‥とは言いませんが、私が経験してきた作画作業に関しては、ハイリスクだからハイリターンとか、ローリスクだからローリターンだったことは、ほとんど思い出せないほどです。

 

極めて少ない例で、線が少ない作品で原画が何カットもこなせた‥‥ということはありましたが、関わってきた作画作業の多くは如何にも線が多くて時間がかかるのを情熱と根性だけで突き進んで、演出さんや監督さんに名前を覚えてもらって、次はもっとギャラの高い仕事を‥‥という積み重ねでした。

 

私が、アニメの新技術だ、次世代の映像フォーマットだ、新しいワークグループとワークフローだ、新しい作業費のシステムモデルだ、云々‥‥と声高にここで書き綴るのは、私が通過してきたハイリスクローリターンのアニメ作画作業実情への悔しさ、怨念感情の表れだとも思うのです。自らを省みて‥‥です。

 

 

私の論調は、ある人から見れば、「強者の論理だ」と言われます。「色々と経験と技術を蓄積して立場を確立した人の『上から目線』だ」とも。

 

確かに、私は「食い殺されないように」「使い古されたボロ雑巾にようにゴミ箱に捨てられないように」、色々な技術を習得して、経験を武器にしようと、意識的に取り組んできました。なぶり殺される弱者のままではダメ、強者の位置に立たなければ、報酬の交渉すらまともに取り合ってくれない‥‥と、20代のフリーランスアニメーターの頃は特に思いつめたものです。‥‥その頃の感情は、今でも消えることはなく、こうしたブログの文章の端々に現れることも多い‥‥とは自覚しています。

 

ハイリスクでローリターン‥‥なんて、悔しすぎるじゃないですか。

 

弱い立場と境遇に甘んじて、どうやって自分の未来が見えるというのでしょうか。

 

だったら、強者になるよう自分を仕向けて、実際に、強い「何か」を手にするしかないでしょう?

 

 

「色んな立場の人がいて、色んな想いで仕事してるんだから、やんわり、誰も傷つかないように、あらゆる角度に気配りして腰を低く、見たことも見なかったことに、酷い事も酷くなかったことにして、皆と歩調を合わせて乱さずに」‥‥なんて続けて、何か新しい活路が見出せたのか?‥‥と言えば、ハッキリと「Noだった」と言えます。

 

ハイリスクをローリスクに変える、ローリターンをハイリターンへと流れを変えるきっかけは、残念ながらアニメ業界では自分の行動の如何だけです。作業工程の中でどんなに「和を乱さず、突出することを控えて、作業オーダーをこなし続けて」も、全体の作業の流れの中で消耗して擦り切れて、体を壊して使えないと判断されたら仕事が来なくなるだけです。

 

学校を卒業したての18歳の私など、吹けば飛ぶような「歩」の駒のような存在でしたが、そうした境遇から抜け出るには、一にも二にも三にも「技術、技術、技術」だったのです。「技術で突出することを良しとして、特別な作業オーダーで特別な報酬の作業を請け負う」ということを20代の目標にしました。だから私は技術を大切にしますし、「技術を取り扱うことは、お金を取り扱うことと同義だ」と強く認識しております。

 

 

特定の誰かが、特定の誰かを憎んで、ハイリスクでローリターンの状況が故意に形成されているのなら、解決の糸口を探すのは比較的容易です。

 

しかし、作業構造そのもの、産業モデルそのものが抱える原因で「慢性偶発的」(変な言い方ですが)にハイリスクでローリターンの状況が生じ続けるのなら、答えは2つだけです。

 

従来の作業構造そのもの、産業モデルそのものを修正するか

 

‥‥か、

 

従来の作業構造や産業モデルから抜け出すか

 

‥‥しかないです。

 

どちらも個人の行動だけでは手に余るからこそ、簡単には実現できない‥‥のですけどネ。

 

 

なので、個人の観点や行動範囲で言えば、ハイリスクでローリターンな状況に立たされた時、もしくは立たされようとする時、どのように行動するか‥‥ということになります。

 

要は、自分の人生における様々な局面で、ハイリスキーな場面が避けられないのだとしたら、その「自分のハイリスク対応力」をどの部分に注力するか‥‥がキモになってくると思います。

 

「同じことの繰り返しだ」と解りきっているのに、延々とハイリスク・ローリターンの状況に甘んじることは、果たして自分の人生の中でどれだけ有効・有益な行動でしょうか。

 

ハイリスクに対応するためのカロリーを、あいも変わらずの状況に注ぎ込むだけでなく、自分の未来を変えるきっかけを見出して、その新たな「賭け=リスク」に注ぎ込むことも重要な取り組みだと私は確信します。

 

 

 

「好きでも続けられない職業」などと言われるアニメの仕事ですが、むしろ「好きだと言うだけで続けられる職業」なんて、どれだけあるのか、知りたいです。「好きだ」という感情「だけ」あれば、仕事が成立する状況なんて、ほとんど無いように思います。「好き」より「現実」が上回った時に、「好き」を諦めて離職することになります。

 

「好き」だとか「夢」などといった要素は、持ってて当たり前です。自分の「心の核」にはなりましょうが、自分を他者にアピールする要素にはなりません。「私には夢があります」と言ったところで、「そりゃあ、誰にでも夢はあるでしょうよ」と言われてお終いです。

 

「好き」だとか「夢」とか「やりがい」という耳障りの良い甘い言葉で、自分自身を誤魔化してはいけません。

 

「好き」「夢」を「報酬」「武器」に変えていく、したたかで力強い「強者(つわもの)」になる必要があります。

 

絵や映像という「好きなもの」を「職業」にしたからには‥‥です。

 

 

 

 


UHDの前後

4KのウルトラHD&HDR有機ELテレビによるデモを仕事で見てきたのですが、業務用モニタと同等と言っても良い画質(特に色彩面で)に驚き、4KとHDRが組み合わさった凄まじさを体感しました。

 

最新の民生機器による、UHD BD(4K, HDR)によるデモは、ストリーミング映像品質が冗談と思えるほどの高品質を誇り、YouTubeなどの低い画質のコンテンツに押され気味だった昨今の状況に、何か変化が起こることを期待せずにはいられません。

*せっかく作った映像が、YouTubeなどのストリーミング公開だけ‥‥というのは、少なくとも私は「超絶ガッカリ」なのです。オリジナルのマスター映像から大幅に格段に超残念に劣化しますからネ。品質だけが映像の魅力の全てではないですが、苦労を重ねてできる限り綺麗に作った映像が流通の事情で汚くなるよりは、可能な限り綺麗さを保った状態で観る人々に届けたいのが、作った側としての(少なくとも私の)キモチです。

 

デモ映像は過去のアニメ作品で2K以下の24コマモーションでしたが、もしオリジナルが4K60pの映像だったら、さらに別次元の映像を実現できていたでしょう。現在、アニメで4K60pを作る取り組みをしていますが、ラボによるHDRグレーディングと組み合わせれば、全く新しいアニメーション映像フィールドに到達でき、そのクオリティをUHD BDと有機EL 4K-HDRテレビのの再生環境によって「マスター画質をご家庭に」届けることすら可能になることを実感しました。

 

‥‥と同時に、現在の民生テレビが全て過去の遺物に思えて、より一層、アニメ制作の往く末に思いを馳せた次第です。

 

現在「新作」として世の中に出てくるアニメは枚挙暇がありませんが、スクリーンショットを見ただけでも、「技術の更新が滞っている」のを感じずにはいられません。動いているPVなどを見ると、さらに「立ち遅れている」感慨が深まります。

 

現在、「デジタル作画」の機運はあちこちで盛り上がり始めていますが、ぶっちゃけ、「デジタルで作画」しただけに終始してしまい、4Kにも60pにもHDRにも、どれにも対応できていない作品がほとんど‥‥ですよネ。つまり、アニメ業界の内輪で「ペンタブやFlash(系)で作画だ」と盛り上がっているだけで、世界規模の映像技術進化の流れにはまるでのれていない‥‥という寂しい状況です。

 

私は実写にも関わりますし、国内外のラボとのやりとりも経験してきましたが、アニメ業界標準(=フィルム時代のタイムシートを使う作品)の映像技術は、正直、ガラパゴス状態。竜宮城と言っても言い過ぎではありません。

 

最近「クロ現」でやってた「ブラック問題」も深刻ですが、アニメ制作技術の「技術進化が行き詰まって闇(=違う意味でブラック)」な状況も相当深刻なんですよネ。1秒間を1960年代の頃から変わらずに8〜12分割してる場合じゃないってば。

 

1.5〜2K、二値化、レタス線、24コマシートで3コマ打ち(=8fps)のモーション、8bitの色彩感覚とSDR。どんな作品のスクリーンショットやPVを見ても、古さだけが目に映ってしまいます。

 

なぜ、古い映像技術とフォーマットで作り続けるのか。‥‥いろいろ理由はあるでしょうが、機材やワークフローの問題は表向きの理由であって、「新しい技術に疎いので、想像もできん」というのが実際のところでしょう。しかし、「いつまでも疎くてどうする」と思います。アニメだって、映像技術を駆使して作る作品・商品なんですヨ。

 

「デジタル作画」がアニメ業界の技術進化の本命だとするならば、それは大きな誤りです。「デジタル竜宮城」に住み続ける未来が待っているだけです。60〜80年代に築き上げられた「竜宮城」そのものから脱出することが本命だと私は思います。

 

海の底の竜宮城は、外界の喧騒も聞こえず、ゆったりとした「独自の時間」が流れて、「制作当事者」にとっては居心地が良いかも知れません‥‥が、同時に「地上の世界」の光は差し込まず、外界とのコミュニケーションも絶たれ、時間も技術も価値観も大きくズレていくことでしょう。

 

 

 

ちなみに、アニメ業界の人々は「4K」だけに反応しがちですが、4Kだけでは映像技術の進化なんて打ち出せません。4K60pHDRの3拍子が揃ってこそ、誰の目から見ても「一目瞭然」な違いが判るのです。苦労して4K相当の作画をするだけでは、「何が変わった? 線がちょっと細い? それが4Kのアニメの特徴なの?」程度の認識止まりで、労力が格段にキツくなったわりに効果が微小で、「無駄な苦労」で終わります。

 

線の繊細さ、デリケートなニュアンス、滑らかなモーション、あらゆる技術を駆使したコンポジット、HDRを見越した色彩。そうした要素を、悪魔の囁きと判断して遠ざけるか、福音として受け入れ自分たちの進む道を照らすか‥‥は、当事者次第といったところでしょう。

 

 


新しいiPad Pro 12.9インチ、iMac 5K、iMac Pro。

新しいiPad Proの12.9インチ。‥‥サクッと注文しました。私のメインウェポンの1つなので。

 

120Hz、P3、512GBのストレージ‥‥というのが、即決の決め手となりました。処理速度も速くなったようですが、初代12.9インチでも作画作業的には全然不足がないので、とにかくリフレッシュレートが120Hzというのが「買うべきだ」と考えた1番の理由です。

 

それに実は、半年以上も前から、作業が拡大するにつれて、もう1台iPad Pro 12.9インチが必要だ‥‥と考えていたので、丁度良いタイミングでした。

 

初代12.9インチのiPad Proは、もう十分「もとはとった」ので(大雑把に思い出して、iPad Proだけでン百万円前後の仕事はこなした)、新しい機種を買っても良いでしょ‥‥ということで、特に迷うこともなく買いました。これからは2台体制で、数種類の仕事をこなしていこうと思います。

 

アニメの作画でどんなソフトを使ってるかなんていう話題が度々持ち上がりますが、私はマイノリティの「Procreate」です。アニメ作画でもコンセプトボードでも設計図でも、絵を描く際はProcreateです。時には画像編集作業でPhotoshopやクリスタを併用しますが、描く作業は全てProcreateオンリーです。

 

Cintiq Proはドライバ周りでトラブってる話を結構聞きますし、Mobile Studio Proは高すぎるし、‥‥となると、大手AppleがハードもOSも自社で開発・販売・管理しているiPad Proで作画するのが、少なくともわたし的には「一番安定していて」使いやすいのです。

 

根本的な話‥‥ですが、アニメ作画だけに自分の絵を描く能力を封じこめちゃうと、ごく限られたごく少数の人たちを除いて、全然稼げない人生が約束されたようなものですから、「絵を描く能力を、自分自身でグローバルにプロデュースする」必要が人生の後期(30代後半)から必要になってきます。そうしたことを考えた場合、パソコンに繋がっていないと絵が描けない環境よりも、iPad Proのようにパソコンから切り離して自由に環境を整えられるハードのほうが、色んな仕事の展開が可能になります。WiFiありき、端末間のデータ送受ありき、Cloudありきで、作業環境やシステムを考えるわけです。20年前と全く変わらぬ、パソコンに首輪を繋がれた環境じゃなくてネ。

 

最近、アニメの作画を数ヶ月作業して、認識を新たにしたこともあって、今後は明確に「絵そのもの」で稼いでいく方法をどんどんiPad Proで実践しようと決意しました。ゆえに、120Hzの滑らかなモーションの新型iPad Proは、ホントに良いタイミングで発売されて良かったです。今のでも十分ですが、新しいiPad Proの120Hzの筆跡は楽しみです。

 

 

しかしまあ、今年のWWDCは目玉ばかりでしたネ。ハードの発表が少ない‥‥と言われていた過去からすれば、大感謝祭セールのような賑やかさ。

 

まずは、iMac 5Kの新型。

 

外見はほぼ変わりませんが、「iMac 5Kに欠けていた要素」が補われて、しかも価格が安くなりました。試しにBTOで「映像制作向け」のスペックで見積もったところ、30万を切る価格になっていました。メモリは後で増設するとして(Appleストアでメモリを増やすと凄く高くつきます)、CPUやFusionドライブを最上位にアップして、テンキーのワイアレスキーボード、トラックパッドなどで構成しても29万円台。私が買った時は33万円オーバーでしたから、3万円も安くなって、そのぶん、メモリ増設資金に割り当てられますネ。

 

特に、Thunderbolt3(USB-C)、最高64GBのメモリ、P3の色域は、新型を買うのに十分な理由です。Thunderbolt2がThunderbolt3/USB-Cにリプレースされたことで、Cintiq Pro 4Kモデルも本来の4K解像度で繋げるようになりますネ。

 

ちなみに、iMac 21.5インチの方は相変わらずの割り切りスペックで、映像制作用途には適しません。32GBメモリの環境で何年も作業しているので実感していますが、凝った映像作りをしようとすると32GBでもメモリは全然足りません。オンボードメモリで最高でも32GBメモリしか搭載できない21.5インチモデルは、実質、対象外と言えそうです。

*分解レポートによると、21.5インチMacも、正確にはオンボードではなく、スロットに差すタイプのメモリのようですが、現行のiMacを分解する事自体が、かなり厳しいですよネ。

 

 

そして、iMac Pro

 

ネットでは、「こんなスペック、何に使うんだ」との言葉も見かけますが、4Kのカットアウト・キーフレームアニメーションで、しかも60pにも意欲的に対応するのなら、「ようやく、出てくれた」感じのマシンスペックです。劇場スペックの繊細な絵作りを目指した4K映像、かつ、極めて大きな処理能力を欲する新世代のアニメーション技術においては、iMac Proでようやく「何とかなるかも」的な印象です。

 

いわゆる標準的なカットアウトアニメーションにあるような「大雑把に切り分けた、切り貼りアニメ」ではなく、繊細に描かれた絵を細かいパーツごと(髪の毛1本、まつ毛1本とか)繊細な動きで映像を作り、しかもカメラワークなども考慮して5〜6Kが基本サイズ‥‥となると、1カットのレンダリングに、従来マシンだと50〜80時間かかるようなことも珍しくないので、性能が大きく向上したマシンの出現は願ったり叶ったりです。

 

2Kで二値化で24コマなら、今のスペックでも良いんですけど、4Kで階調トレスで48〜60fpsともなると、現在のマシンは過去のスペックとしかいいようがありませんでした。ここ数年停滞していたマシンの処理速度の状況が、ようやく少し前進するかも‥‥といったところです。

 

 

そのほか、次期macOSのHigh Sierraの「APFS」(新しいファイルシステム)も気になるところですし、iOS 11で使い勝手が向上するiPadも楽しみです。

 

 

 

こういう話題を書くと、思い起こされるのが、アニメ業界の往く先‥‥です。iPad ProもiMac Proも、アニメ業界には無縁と言って、過言ないですもんね。アニメ業界の時計は、アナログ表示がデジタル表示に変わっても、ずっと70年代で止まったまま。

 

アニメ業界の問題は山積み‥‥のように思えますが、手の出しようもない「業界の総意」に思考を巡らすのではなく、ふと、フラットにニュートラルに自分の手の届くことを考えてみたら、実は解決策は身近にあったんだと気付きます。手元にiMacやiPad Proがあるだけで‥‥です。なぜ、こんな簡単なことに気づけなかったのか、最近は「ちょっと時間を無駄にした気分」です。

 

世界全体が行き詰まって停滞しているのならともかく、行き詰まっているのは旧来のアニメ制作システムなわけで、アニメ業界の実情が「そうだから」といって、気落ちする必要はないです。アニメ業界と運命を共にして、場合によっては心中しなければならない‥‥わけじゃないですもんネ。

 

15年後の自分を想像してみましょう。紙と鉛筆で原画を描いて、1カットいくらの単価で稼いでいる自分が、まだ見えますか?

 

少なくとも、私は見えません。おそらく、そうした生活を続けていたら、15年後にはこの世には存在せず死んでいる‥‥とすら思えます。

 

iMac、iMac ProやiPad Pro、iOSやmacOS、そして来年出るとウワサのMac Pro。今年と来年だけでも、どんどん新しい道具が世の中に現れます。未来に次々と出現する新しい技術と道具を無視して、いつまでも70年代マインドを踏襲し続ける未来は、私には全く思い浮かびません。

 

ごく普通に考えて、「思い浮かぶ未来」、若しくは「そうでありたい未来」に向かって、現在の行動があります。昼飯はパスタを食べたい‥‥と思っているのに、昼前にご飯を炊き始める人はいませんよネ。‥‥なので私は現在、iPad ProやMacで絵や映像を描いて作るわけです。

 

 

まあ、何はともあれ、まずはこの夏は新しいiPad Proで、またもう、ひとふた稼ぎしようと思います。

 

 

 



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