中割りという言葉

ついつい習慣で、コンピュータ上で絵を動かす「経過」をも「中割り」と言ってしまいがちですが、旧来の「動画の中割り」と非常に紛らわしいので、言葉を分けた方が良いと常々感じております。

 

いわゆる「原画と原画の中の動きを作る」動画と同等の処理を、コンピュータでできない限りは、「中割り」と気安く呼び表さない方が、手描きの動画作業、コンピュータのモーション作業の双方にとって、良きことと思うからです。

 

アニメ作画の慣習を引き継いだ状況で、コンピュータによる「中割り」と呼んで良いのは、

 

2枚以上の原画を画像データとして入力して、中間画像をコンピュータが補間生成する

 

‥‥という処理を「中割り」と呼ぶことに限定した方が良いでしょう。

*厳密にいえば、1枚の原画でリピートの動画を描くこともありますから、「2枚以上」というのは「わかりやすい状況の例え」と思ってください。


実写などでもお馴染みの「フレーム補間」に相当する処理、After Effectsでいうところの「ピクセルモーション」あたりが、旧来作画の「中割り」を「コンピュータが自動」でおこなう処理と言えます。

 

しかし、何かと何かの中間値(による中間画像)を作り出すプロセスを、業界に慣れた人は不用意に何でも「中割り」と言っちゃうんですよネ。

 

確かに、以前は私も、トランスフォームのプロパティや、ディストーションのピンやベクターのパスの頂点、メッシュやベジェのハンドルなどの、2点間の軌道をコンピュータが補間するさまを「自動で中割りしてくれる」などと、日常会話の中で口をついて出てしまっていましたが、これって、計り知れない誤解を生むんですよネ。なので、最近は強く意識して「中割り」という言葉を制限しています。

 

一番マズい誤解は、「簡単にできる」と思われてしまうことです。

 

そして、もっと究極のマズい誤解は、「人手を煩わせず、コンピュータが自動で原画を中割りしてくれる」と思われちゃうことです。

 

「コンピュータで中割り」と言った本人は、キーフレーム間の値の自動生成のつもりで言ったのに、言葉を受け取る側、特にコンピュータをあまり使って仕事をしてこなかった人は、「自動で『絵の中割り』ができるほど、コンピュータは技術革新したんだ」と、途方もなく都合良い方面に解釈してしまうのです。

 

なんと言う、齟齬。

 

‥‥まあ、「コンピュータで中割り」なんて言葉、ちょっと軽率だったね。‥‥という話です。

 

 

 

いわゆるちまたの「自動中割り」の映像は、様々な「動かすための仕掛け」を「人が」準備した上で、様々なアプローチで動かしています。決して、「原画をソフトウェアに入力して、出力されるのだけを待ちました」なんてシロモノではないです。

 

いくら処理性能が向上したコンピュータといえど、2点間の補間が効かないような「中目パチ」「中セリフ」「何もない状態から、画面手前から2枚でイン」「手前のパーツで隠れていた絵を想像する」なんてことを「全くの自動で自律的に処理する」のは不可能です。

 

中目パチ、中セリフと書いておけば、動画スタッフがキャラ表を見ながら、動きを描いてくれる手描きの動画とは、全くメカニズムが異なります。

 

じゃあ、どうやってコンピュータで動かしてるの?‥‥といえば、あらかじめ仕掛けを「人が」事前に用意して、もしくは仕掛けを「人が」後付けで作り出して、動きを具現化します。見えない部分をあらかじめ描いて用意しておいたり(パーツの素材分け)、1つに描かれたものを切り分けたり(パーツの分割)、動きそのものを画像補間で成立するようなタイミングにしたり‥‥と、様々な工夫をこらします。

 

実際、現在の私の準備する技術では、簡単な絵柄ではなく、4K以上に対応した繊細な絵柄を、しなやかに滑らかに動かすことを目的にしているので、相当な「仕掛け」が必要になります。After Effectsのタイムラインを見せただけでも、「え? そんな大変なこと、やってんの?」とドン引かれるようなことを、コンピュータは電力だけで働いてくれるのを良いことに、平然と超ハードワークなモーション作業を仕込んでコンピュータにやらせています。

 

たとえ簡略化された絵柄でも、画像補間、トランスフォーム、ディストーション(ボーンやメッシュによる動きも、これの一種)、ベクターオブジェクト化など、合わせ技がなければ、色々な動きを作り出すことは不可能です。

 

そして、コンピュータで動かしていても、操作する人間のよって、「割りミス」が発生します。

 

私が「自動中割り」アニメ映像集の中で見た事例は、炎の中割りがミスっている映像で、おそらく、動かした人はエフェクトが得意なジャンルじゃなくて、神経が行き届かなかったのだとは思います。炎は燃え上がってちぎれた後は、基本的には上昇して消えていきますが(水平に疾走する火災旋風とかは別ですけど)、ちぎれて上がった炎がまた下に戻ってきて本体の炎と合体する‥‥なんて動きを繰り返していたりします。つまり、コンピュータでも扱う人間次第で動きのミスが発生するわけです。

 

また、「自動中割り」アニメ映像集に多いのは「タメ」で構成する動きですが、それはコンピュータでの作業量を抑えた上でできることを踏まえて、「タメ」強調の動きに「なっちゃっている」がゆえです。動きの流れの中に3つも4つも独立したタイミングのモーションを組み込むには、それ相応の仕込みと仕掛けが必要で、手間がかかります。しかし、全体が紋切り型で動くモーションでも、いわゆる「1 2 3・・・・4 5・・・・6 7 8・・・・・9」(点々は中割り)のようなテンポで見せれば、動きのシャープ感だけで映像が「保つ」からです。

 

つまり、結局は人が介在して、うまく動きを成立させているのです。

 

要は‥‥

 

「人が」コンピュータを駆使して動きを作り出している行為を、「自動中割り」というひと言で認識されちゃっていいの?

 

‥‥ということです。

 

作業の手間を省いた、人の手間もお金もいらない都合の良い技術だと認識されちゃって、本当にそれで幸せな未来が来ると思えるの?

 

夥しい数のキーフレームを制御して、動きの技術と知識も相応に必要な、オペレーションに時間を要する作業を、「自動」とか誤認されて良いのでしょうか。

 

よ〜〜く、考えた上で「自動中割り」と言う言葉を使わなければ‥‥ダメですよネ。

 

「自動中割り」なんてエサをぶら下げれば、よくわからない人は惹きつけられて集まって来るかも知れませんが、その安易な「客寄せ」の代償は、近い未来、重大な障害の影響を「作業費」にもたらすと思います。

 

どんな絵柄でも、どんな作風でも、原画だけを入力してコンピュータが自律的に「中割り作画」してくれる素晴らしいソフトウェアがリリースされた時には、その時は「自動中割り」と呼びましょう。まるで人間の動画マンのように、キャラ表をコンピュータが解釈して、手描きの動画で表現していた動きの流れの中の、表情変化や振り向き(回転などの360度角度変化)や各パーツごとの複雑なツメ指示などを、コンピュータが自律的に処理できた暁には‥‥です。

 

結局、人がアレヤコレヤ面倒見て、コンピュータの至らないところをカバーしまくって、ようやっと動きが成立する作業は、決して「自動」な「中割り作画」ではないのですから、コンピュータの2点間の補間機能を「中割り」と呼ぶのは意識的に避けた方が、今後アニメを作ろうとする未来のため‥‥だと思いますヨ。

 

コンピュータが介在しただけで「簡単に済むことなんですね」と勝手に拡大解釈する心根は、業界だけでなく世間一般ですら、決して根絶されませんもん。だったら、最初から危うい「自動中割り」なんて言葉は避けた方が良い‥‥というのが、今後の私の考えです。

 

じゃあ、何て呼べば良いのか。「作画スタッフがコンピュータを使って動きを作っている」のですから、「動きの作業」「モーション作業」とでも呼べば良いです。

 

 

 

私は、コンピュータで絵を動かす技術を、「しかるべき、技術者の報酬」の仕事として、未来に成立させたいのです。

 

作画技術革新で高効率な現場を実現できたのなら、効率化によって得られた利潤を、相応の報酬として作画技術者に還元すべきです。

 

決して、「今までより安く、アニメが作れるようになりました」なんて、現場のトップが自慢げに言うのではなく‥‥ネ。幸いにも、私の周囲にはそんな「悪い」人はいないので良いですが、広い業界のこと、クライアントへの人気取りやその場のテンションで言ってしまう人も存在しそうな予感。

 

 

「自動中割り」なんて言葉を、コンピュータでアニメを作る当事者が軽々しく用いるのなら、その言葉は巡り巡って、当事者に災厄へと姿を変えて戻ってくる‥‥と私は考えます。

 

「この映像って、コンピュータで動画の中割りしてるんですか?」と聞かれたら、「いや、コンピュータを操作して色々な手段で絵を動かしています」と答えれば、それでかなりの誤解を防げます。

 

「コンピュータが中割りしているイメージ」なんて必要ないでしょ? 「人がコンピュータを用いて作業しているイメージ」で良いじゃん。

 

 

でもなあ‥‥、今はまだ「デジタル作画」の段階だもんな‥‥。戦略、戦術のターンはまだまだ長い。

 

 


iMac 2017

Appleの今までの経緯から、普通に考えて、iMacの新型か性能向上型が2017春のイベントに発表されそうな予感ではあります。春と秋に、新型を公開するパターンが多いんですよネ、Appleは。

 

ですので、2017年1月も後半の、今の時期にiMac 5Kを買うのは、中々に悪いタイミング。

 

どうしても、今、手元になければ、どうにもならん! ‥‥というほどでなければ、春の発表イベントまで待つ価値はありそうな予感。

 

 

私はFinalCut Pro 6を買った約1ヶ月後に7が出た!‥‥なんて悲惨な思いもしております。優待アップグレード(あまりにも買った直後に新製品が出た場合は、申請すれば新バージョンのライセンスがもらえる‥‥的な)から微かに対象を外れていたせいで、全くの買い直しをしたことがあり、それ以降は、製品発表のタイミングにアンテナを張るようにしています。

 

逆に、eMacを買った時には、決済手続きを済ませた後にも関わらず、Apple側から「性能向上の新型eMacがまもなく発売されるので、そちらに変更したら如何でしょう」なんていう嬉しい対応をしてもらったこともあります。

 

FCP6の時は、Appleストアで買わなかったんだっけかな‥‥。同じApple製品でも明暗が分かれました。

 

* *

 

2Kはともかく、4K以上の解像度の映像制作にとって、マシンの性能や機能向上は日進月歩の実感があります。

 

2Kの映像を4Kで見ても何の感動もないですが、4Kの映像を4K60pで見れば、相応のグッとくる手応えがあります。

 

2Kの映像制作で終始するなら、ぶっちゃけ、4〜5年前のマシンで十分。Adobe CC 2017でなくても、CS6で事足りるでしょう。でも、2Kをアニメ制作の終着駅にして良いものか、普通に考えて「NO」ですよネ。2Kで「技術終了」して未来を閉ざすのは、アニメ制作の終焉を意味すると思います。発展はもうない‥‥ということですから。

 

ブラウン管テレビで育った団塊ジュニアの「アニメは2Kで十分」なんていう言葉を、真に受けるのか否か。20代30代の若い人も、よくよく考えてみてください。

 

 

自宅のパソコンがiMacで、自分で描いた絵や映像が4Kで日常的に映し出されて見慣れれば、2Kがぼやけた物に感じられるようになります。‥‥人間とはそういう生き物なのです。

 

私は2年間、iMac 5Kを見続けているので、職場などの2.5Kの環境ははっきりとボケて(変な言い回しですネ)見えます。特にアニメみたいな線画で描くような画像・映像だとエッジが甘さが目立つんですよネ。フォントに至っては2.5Kと5Kの差は歴然としています。

 

 

アニメはさ‥‥、もっと映像技術の先端部分を走るべきだと思うんだよね‥‥。ビリ集団の一員ではなく。

 

業界のどこかの作品で、1280pxで本撮の編集入れを運用しているなんて話を聞いたときは、耳を疑ったもんね‥‥。時間がない状況の中では、1920pxだとファイルが重いから‥‥なんだとか。

 

 

アニメ業界の貧困状況はともかく、技術的な物理面で言えば、アニメは有利なんですヨ。

 

何もかも人間の指先から作る原理を考えれば、レンズを通して光を記録しなければならない実写とか、4K等倍だと格段に身が重い3DCGとかに比べて、高品質を具現化しやすい映像表現のメディアです。フォーカスの制御は、描き方次第で自由自在。4Kの実写カメラの映像のシャープ感がボケて見えるほどの詳細感を実現できます。チラツキ除去を処理するにしても、問答無用のエッジをいくらでも可能です。

 

でもなあ‥‥‥アニメ業界の貧困状況がなあ‥‥‥

 

ともあれ、作り手が4Kや5Kの画像を「肌身で実感できていなければ」、何も進展しないです。見たことがなければ、想像を膨らますことも難しいでしょう。

 

 

iMacは27インチのディスプレイに5Kを映し出す、一番手軽なソリューションと言えましょう。QTの運用に悩むことも、当座はないですし。

 

2017年のiMac 5Kにどんな刷新があるのか。否が応でも期待してしまいます。

 

‥‥けど、私はあと2年は、初代iMac 5Kを使い続けて、作業環境のコスト面で「優しい感じ」にします。自費購入ゆえ、優しく、優しく‥‥。

 

30万円越えの機材なんて、個人でバカスカ買えないですもん。

 


何時間描けば上手くなる?

たまに、絵を描く話題で、「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」なんていう話がありますが、これは絵に限った話ではなく、何かしらの技術を獲得した人間たちからすれば、ある種、笑い話のようなものです。絵や音楽(楽器演奏)によくある「何時間やれば」パターンです。

 

そして、「1日何時間かけば上手くなれるか?」なんていう思考をする人が陥りがちなのが、「どうすれば監督になれますか」という役職やポジションを自分の目標にしてしまうこと‥‥で、これもある種の笑い話です。

 

この2つの共通点は何か? ‥‥というと、結果物が不在な点です。

 

絵を描けるようになった自分、監督になった自分。

 

‥‥つまり、描いた絵ではなく、作った作品でもなく、自分の価値や評価を主題にすると、「何時間、自分を犠牲にすれば、得られるのか」とか、「どのような対価を払えば、役職をもらえるのか」的な行動パターンになるわけです。

 

 

ふと、自分目線ではなく、他人からの目線で考えてみましょう。

 

あなたが「自分は何者になれるのか」を成就させるために、周りの人々は動いてくれるものでしょうか。

 

あなたの結果物が欲しくて、そしてその結果物を継続的に活用したいがために、周囲の人々はあなたの存在を欲するのです。あなたが「何者になりたいのか」を具現化するために周りが存在するのではありません。

 

 

「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」‥‥なんて考える人は、本当に絵が描けるようになりたいのでしょうか。「絵がかける自分」に憧れているだけではないでしょうか。そういう人にとって、行動の目標・対象は「絵」ではなく「自分」なのです。

 

私は絵を描きます」と言う人に対し、周りが何を期待し何を欲するのか、「私は」の部分ではなく、「絵を」の部分ですよネ。とても簡単な事です。

 

 

‥‥で、最初に戻って、「1週間何日、1日何時間かけば絵が上手くなれますか」と言う問いの答えは、あまりにもシンプルです。

 

「描けるようになるまで描く」‥‥です。

 

 

1週間に何日、1日に何時間なんて制限は設けず、描けるようになるまで無我夢中に描くのです。描けない現実が悔しくて、「描けた!」と思えるようになるまで、それこそ取り憑かれたように描くわけです。

 

なので、時間の融通のきく学生時代に、基礎的な取り組みをやっておくのが最適なのです。

 

 

1週間に何日、1日に何時間‥‥なんて考えること自体、「あなた、本当に絵が描きたいと思っているの?」と言うことなのです。何だか、「絵そのものが描けることよりも、絵を描ける自分にはなりたいので、その代償として、自分の時間を何時間捧げなければならないのか」なんて言う、貢物や交換条件みたいな発想です。

 

「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」ことの表れは、絵に限らず、なんにでも当てはまります。そして、自覚していなくても行動に表れて、わかってしまう人には簡単に気取られてしまいます。結果物を自分の遥か風下においている様子は、結果物が大事な周囲にとって、不利益な状況ですからネ。

 

根本的な考え方に由来する態度は、何とも皮肉なことに、その当人の処遇に影響します。「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」思考があるがために、「周囲があなたに対する優先度をどんどん下げていく」事態を引き起こします。‥‥つまり、まるで逆効果なわけです。

 

結果物を大事にすれば、その結果物を生み出した人間の処遇も変わってきます。自分の情念や技能を絵に込めれば、「この絵、誰が描いたの?」と注目されるきっかけを生みます。そしていつしか「この人が描いてくれるのなら大丈夫」と、周囲が「想定」してくれる構造も得られるでしょう。

 

そうした基本的なプロセスなしに、いきなり「自分のことを大切に想ってください!」なんて、‥‥じゃあ、あなたは他人に対して結果物度外視で、人となりや見た目のインスピレーションだけで評価を下しているのか?‥‥なんて話にもなりましょう。

 

 

まあ、アニメ業界の根深い問題は、結果物本位で行動して評価を得ても、十分な対価が支払われない貧困構造ではありましょう。

 

とはいえ、私はフリーランスも会社所属も両方経験しておりますが、結果物で評価され「のし上がっていく」基本は同じです。周囲が「この人に作品作りに参加して欲しい」と思わせるのは、「その人がもたらす結果物に期待する」からです。

 

その点を踏まえれば、自分の行動指針も見えてきましょう。

 

ただ、行動指針というものは根本的にはそう易々とは変えられないのは、人間だけでなく猫を見ていても痛感します。幼い頃の刷り込みは相当根深いです。現在がどんな境遇であれ、幼い頃の刷り込みは現在の当人に作用し続けます。簡単に人は変わらないのです。

 

「己の存在を保証する愛情への渇望」をどのようなアプローチで満たそうとするのか。

 

当人の根本に関わってくる問題と言えるので、そう簡単にアドバイスできるものでもないのです。

 

 

ただ経験的に言えるのは、「絵を描く自分」ではなく、「描いた絵そのもの」に対する執念を燃やせば、絵は短期で上達します。逆に、3年描き続けても絵が上達しない人は、「絵ではなく自分」を見つめ続けているのかも‥‥知れませんネ。

 

 


iOSを武器に

iPad ProとApple Pencilでボードを描いたり原画を作画したり‥‥と、アレやコレやと活用し始めると、「どうせだったら、色んな場面で活用すれば良い」キモチになります。

 

考えて見ればiPadのオペレーションシステムであるiOSは、アプリの開発者の方々が世界中に沢山いらっしゃるので、Appも相応に豊富です。まさに私が原画やイメージボードを描く時に愛用するprocreateも、数多いiOSベースのお絵かきソフトの中の1つです。

 

iOSの中には、PDFにApple Pencilで手書きできるソフトウェアもあります。いくつもあって迷うほどに。

 

せっかく、ネットワークにオンラインなiPadやiMacなどの端末で仕事をするのですから、打ち合わせで紙の絵コンテに記入する「オフライン」状態にわざわざしなくても、「自分の作業ネットワーク」上でいくらでも活用できる使い方を実践すれば良い‥‥ということを、最近遅ればせながら実践し始めました。

 

打ち合わせのメモ用にまずは、PDF書き込みが可能な、「MetaMoji Note」を使い始めました。

 

いやー、便利。

 

PDFに手書きでペンで書けて、後から再編集も可能。

 

描いた後でペンのストロークを別個にベクターオブジェクトのように扱えて、拡大縮小、スタイルの変更、消去などの編集が可能です。あくまでPDFの絵コンテ画像は非破壊で、オーバーレイ状態でメモを書き込んでいけます。

 

しかも、Apple Pencilと指先を使い分けられるので(Procreateと同じように)、いちいちツールを切り替える手間を最小限に抑えられます。これはね‥‥、作業する上でかなり重要な要素なんすヨ。

 

今のところ、Lite版でお試しですが、早々に有料版にアップグレードしようと考えております。

 

procreate、MetaMoji Note、Adobe Sketch、AutodeskのSketchBook、SketchBook Motion、Art Rage、Pixelmator、その他、ユーティリティや表計算やらプレゼンソフトやら、わたし的にはiPadでは絵を描くのがメインながら、iOSの豊富なAppでかなり作業環境を増強できることを、「今さら?」というほどに再認識しました。

 

考えてみれば、「iOSの、あのApp、このAppが、秀逸で云々」なんて話、iPhoneが流行りだしたひと昔からの「定番の話題」ですよネ。

 

iPhone撮影画像の加工お遊びソフトとビジネス系ソフトだけが、iOSの得意分野じゃないですもんネ。

 

ネットワークもその気になれば、SMBやAFPに参入できるし、「Appleアカウント」の紐付けによる縛りはあるとしても、陸の孤島になんか全然ならないです。「線路」(ケーブル)で繋がってなくても、「空」(ワイアレス)で島と島を繋げますしネ。ぶっちゃけ、AirDropも使い慣れると快適そのもので、現在の私の作業効率を支える重要な要素の1つです。

 

 

兎にも角にもWindowsありき、macOSありきで、発想の基点を構えるのではなく、iOSとどのようにデスクトップOSを連携させるか‥‥という柔軟な思考も、「せっかく、これだけAppが豊富なんだから」模索してみても良いのだと感じます。要は、作業完了時の仕様さえ遵守してれば良いわけですから。

 

業界の暗黙の意向として、「デジタルアニメーション」の「デジタル作画」における生産力は、やはりフリーランスのヒューマンリソースを念頭においているでしょう。‥‥ということは、「このマシンとソフトを購入し、バージョンはXXを使い、使用法を厳守してください」なんていう自社の都合を一方的に押し付ける「囲い込み」は難しいはず。

 

入出力のフォーマットや書式・スタイルは標準化するにしても、マシンやソフトの銘柄や型式まで束縛することは不可能です。つまりは、「快適な作業性を獲得したもの勝ち」ということです。‥‥わざわざ、手際が悪く効率の悪い作業性を標準に据える必要などないですもんネ。

 

自分の、そして、自分たちの「作業ネットワーク」をどのように構築し運用していくか。運用設計の「手腕」が試されるこの数年となりましょう。

 

システム設計って、とどのつまりは、楽しいものです。まあ、もちろん、楽しいだけじゃないですけど。

 

ガッチリ固まった旧来のシステムにハマって身動きがとれず、自分たちの未来を変えようもない行き詰まり感に閉ざされる一方で、新しく積み上げることが膨大ではあっても、工夫次第でいくらでも自分たちの「運命」を変えていける新しいシステムづくりは、「うまくいかない可能性」とともに「うまくいく可能性」も秘めているのです。

 

誰しも、うまくいかない未来なんて望んでいませんよネ。そうした中、「うまくいかせたい未来」を、「延命」に賭けるのか、「新生」に賭けるのか。

 

徐々に分岐点が、道の先に見え始めているように思います。

 

 


AE

今から20年くらい前、After Effectsのバージョン3.1から使い始めて、4.0や5.0へ進んでいく中、「After Effectsって、未来はどこまでバージョンがいくんだろうねえ。もしかして、バージョン20!‥‥なんてあったりして。うけけ。」と雑談しておりましたが、今やAfter Effectsはバージョン14。20もそう遠くない感じがしてきました。

 

アニメ業界では今でもCS5.5や6を使う会社も存在し、そのあたりもアニメ業界の今後の問題を象徴しています。実写作品のスタッフの方々と雑談をしていると、化石のようなバージョンを使い続けているアニメ制作現場の状況は、中々に忸怩たる思いに駆られます。

注)CS6はバージョン的には11ですが、年代的にはかなり前のバージョンで、私は職場や自宅では既にアンインストールして久しく、バージョンの内容も忘れております。CS6よりも古いCS5.5までになると、もはや霞むくらいにはるか昔の気がしますが、今でも使っている作品がある‥‥とは耳にしたことがあります。あまりにも古い機材を使い続けていると、機材更新の時に相当な物理的ショック(金‥‥ね)を受けると思います。恐ろしや。

 

After Effects自体にも、未来に生き抜くための課題は結構山積みのような感じです。今後はGPUなどを様々な処理に積極的に活用できて、とにかく速度向上を目指さないと、4K時代にAfter Effectsそのものが化石と呼ばれる日が来るかも知れません。ビデオプレビューなどの漠然と旧態依然とした、After Effectsの手つかずの旧式部分を、どんどん現在のニーズに合わせていく必要がありましょう。

 

一方で、After Effectsのスクリプト制御機能は、どんなに時代が進んでも、心強い味方です。

 

今どきのソフトウェアが、「こんだけ機能がミラクルになって、もはや、スクリプト制御なんて必要ないでしょ。だから、実装しないよ」とばかりにスクリプト制御機能を切っていくことが多い中、いざという時にスクリプトが使えるのと使えないのでは、状況への対応力が格段に変わってきます。

 

機能が豊富で未来的であることと、自動制御能力は、別腹です。

 

どんなに未来の映像を指向してても、やっぱりマウスとキーボードだけの手作業オンリーの選択肢しかないのは、制作体制の根本からドクトリンが変わってきます。手作業オンリーだったら、現場の生産計画や技術を低く見積もらなければなりません。可能を不可能と判断する愚行すら起こり得ます。

 

 

とはいうものの、スクリプトはやはり敷居が高く感じますし、実際に言語ガイドは英文オンリーで迷うことも多いです。

 

私の実感からして、After Effectsのスクリプトは、3つのポイントを踏まえれば、初心者でもイケそうに思います。

 

  • オブジェクトの継承(インヘリタンス)に気を使う
  • オブジェクトの階層構造に気を配る
  • オブジェクトとコレクションの扱いを理解する

 

‥‥の3つくらいかな‥‥と思います。あとは、普通のJavaScriptが展開されるだけです。

 

After Effectsの場合、様々なオブジェクトを扱います。レイヤーアイテム、コンプアイテム、AVアイテム、レンダーキューアイテム、アウトプットモジュール、etc...。

 

これらのオブジェクトの性質がどのような特徴を持つのか、把握しなければ扱いようがありません。また、どういう階層に存在するのかを把握しなければ、参照して情報を得ることすらできません。

 

そして意外に躓きやすいのが、After Effects独自のオブジェクトの扱いです。納得できれば、取り扱いに手を焼くこともないですが、特に初心の頃ですと、配列(単純な配列(Array)、ハッシュ、ディクショナリなど)の扱いそのものに手を焼くので、「コレクション」などという配列めいたオブジェクトに混乱するのです。

 

コレクションオブジェクトを理解できていないと、結構、色んなことができないですもんネ。

 

例えば、プロジェクト内の1番目のアイテムの名前を得るには、

 

app.project.item(1).name;

 

‥‥か、

 

app.project.items[1].name;

 

‥‥です。

 

アイテムを直に参照する場合は、[ ] ではなく ( ) を使い、なおかつ、インデックス番号が0ではなく1から始まるのも特徴です。

 

もし、配列を使った場合、このようになります。

 

var myArray = [app.project.item(1)];
myArray[0].name;

 

自分で生成したArrayの場合は、当然のことながら、JavaScriptのArrayを使うので、インデックス番号は0からスタートします。

 

これねえ‥‥、初心の頃だと、混同するんだよね‥‥。

 

 

でも、逆に言えば、そのくらいですかね、最初に気をつけておくべきことといえば。

 

あとは、レイヤーとして実体はあるものの、アイテムとしては存在しないテキストレイヤーとか、After Effectsの内部事情をおいおい理解していけば良いくらい‥‥ですかね。

 

 

ちなみに、After Effects流儀のインデックス番号に合わせて、ケアレスミスを防ぐには、Arrayの先頭にnullでも入れとけば、番号を揃えられます。ノウハウとも言えないくらいシンプルな方法ですが。

 

var i=1;

var myArray = [null, app.project.item(i)];
myArray[i].name;

 

 

After Effectsならではの基本的なことを踏まえておけば、After Effectsのスクリプト作りは大して難しい事でもないのです。

 

基本的なところを踏まえずに、唐突に始めて、すぐに壁にぶち当たって‥‥みたいな、「独り相撲で難しく」しなければ、案外、After Effectsの自動制御は理屈で覚えられると思うんですよ。

 

でもまあ、その「基本の理屈」を教えられる人材に乏しいのも、アニメ業界の現場の行き詰まりではあるのですけどネ。構造を理解していない人が、短期で得たノウハウだけでプログラムを教えようとしても、学習する側の人間が余計混乱する事態を招きますしね。

 

 

After Effectsは設計こそ少々古さを感じる昨今ではありますが、名実ともに日本のアニメ業界を支えるソフトウェアです。日本のほとんど全てのアニメは、CoreRETASではなく、NUKEでもなく、After Effectsがコンポジットしているのですから。

 

After Effectsはエレガントではないかも知れませんが、「映像のクラフトマンシップ」に応える質実剛健なソフトウェアです。

 

After Effectsがもしバージョン20までいったら、ぜひ「Anniversary V.20」のイベントでも開けるといいですネ。


無停電な日々

アニメ制作において、作画工程までコンピュータで扱うようになると、停電に対するリスクも応じて増加します。

 

iPad Proのような「無停電装置が天然」な機器を常用しているのならともかく、据え置き型のPCにペンタブを接続して作業しているスタジオや個人の場合、最悪、停電時の予期せぬ終了によって、現在作業中のデータの他に過去のデータまでHDDのクラッシュによって失う可能性もあります。

 

iPad Proは、持ち運んで使用するために、軽量薄型であるばかりでなく、バッテリーで駆動する設計に「今さら言うまでもなく」なっており、停電など屁でもないです。

 

しかし、据え置き型の作業環境の場合、ほんの0.1秒の断続的な停電でもアウトです。

 

私はiPad Proに関しては停電の心配は皆無ですが、iPadだけでなくデスクトップ型のMacやPCも使用していますから、停電のリスクから完全に逃れられるわけではありません。

 

そこで何かしらの対策が必要になるのですが、私は結局、一番オーソドックスな無停電装置で保守しております。

 

*価格の安さが嬉しい、サウンドハウスのUPS。交換用のバッテリーも格安です。個人や小規模ワークグループなら、これで十分です。ただし、バッテリーの寿命には気をつけましょう。

 

しかしながら、無停電装置。

 

結構なランニングコストと保守点検整備の負担になります。

 

バッテリーは永久に使えるものではないのは、皆が携帯電話・スマートフォンでご存知の通りです。バッテリーは必ずヘタれます。

 

私が愛用するサウンドハウスの無停電装置は、本体、交換バッテリーとも安価で、重宝する製品ではありますが、

 

  • 定期的なバッテリーのヘタりを1年に1度、実地でテストして検証する
  • バッテリーの交換と処分

 

‥‥というそれ相応に重く感じる足枷が発生します。

 

でもまあ、企業でも電気設備の「法定点検」がありますし、「電気製品を使う以上、点検保守と消耗部品の交換からは逃れられない」とは思います。

 

私は昨日、自宅のUPS500と1200の2つの無停電装置のバッテリーを発注し(バッテリー個数はUPS500が1つ、UPS1200が2つなので、合計3つ)、休日に交換する予定です。

 

無停電装置のバッテリーを交換するということは、無停電装置の電源を落とすことになるので、当然ですが、繋がっているマシン全台をシャットダウンする必要があります。

 

これはそこそこ面倒。

 

私の自宅で無停電装置につながっているのは、

 

  • iMac 5K
  • Mac mini
  • Mac mini Server
  • QNAPのNAS
  • SONYのHDDレコーダー
  • それらの外付けストレージ4台

 

‥‥と結構な台数です。

 

バッテリーの交換自体は簡単なので、あとは「バッテリーの引き取り処分」です。サウンドハウスで購入した製品ならば、送料自己負担ではありますが、引き取って処分してくれます。

 

でもこの手間、会社全体、企業全体だったら、かなりの負担ですよネ。

 

ぶっちゃけ、会社ではローカルとサーバでデータの保守を分担して、停電が来るか否かは「神頼み」が現実的な状況だと思います。サーバはもちろん無停電装置で守るにしても、全台のPCを完璧に無停電装置で守るのは‥‥できますか? 大量のバッテリー交換を数年に1度、全台に実施するなんて、ただでさえ現場の負担が大きい上に、紙と鉛筆で描いてきた「旧来意識が邪魔をする」‥‥んじゃないですかネ。

 

ただ、個人の自宅で作業している場合は、「デジタル」に手を出して「飯を喰う」以上は、無停電装置は必須だと思います。「停電でHDDがクラッシュして、3日分の上がりが全部消えました。」なんて、全体にムリ‥‥でしょ。

 

自宅では、

 

  • ローカルの作業エリア
  • ローカルの作業エリアを定間隔でバックアップする外部ディスク
  • ローカル作業エリアを守る無停電装置

 

‥‥と、

 

  • 今までの作業データをアーカイブする自宅サーバ
  • そのサーバデータのミラーリングバックアップ
  • サーバを守る無停電装置

 

‥‥がどうしても必須になります。

 

もし「自宅サーバ」を省いて倹約するとすれば、

 

  • 今までの作業データをアーカイブするHDD(非通電)

 

‥‥になります。しかし、非通電なので、「以前、似たようなデータがあったな‥‥」的な作業履歴検索のフットワークの軽さは失われます。

 

でもまあどうであれ、バックアップと無停電環境は大変です。

 

だからと言って、マシン単体だけの「丸裸」状態で作業するのならば、停電でデータが消えても文句は言いっこなしです。消えたデータを作り直す(描き直す、作業し直す)手間も文句を言わず引き受けるべし‥‥です。

 

運転免許を取得して、自動車を買って、道路を運転するときに、無保険で走って事故を起こして、多額の賠償金を背負うことになっても、「保険に入ってなかったんだから」しょうがないとしか言いようがありません。「なんで、自分に災難が降りかかるんだ」と天を呪っても、何の救いにも解決にもなりませんもん。

 

でもこれって、

 

  • お金がないので、バックアップ・停電対処なしに作業していて
  • 停電が発生して機器が故障してデータが消えて
  • 数日後に放映が控えている

 

‥‥なんて状況だったら、どうすんの?‥‥という話ですよネ。

 

このようなリスクは、「デジタル」でペイントや撮影を本格化させた2004〜5年以降のアニメ業界では、いつでもつきまとっていたはず‥‥です。

 

しかし、作画作業が「デジタル」になって、「原画」のデータが消えてしまった‥‥と仮定したら、かなりキビしいですよネ。

 

影も形もないところから作画し直さなければならないのは、どんでもないダメージです。

 

「停電で本体のHDDが故障して、XXさん担当分の8カットの原画データが消えた? どこかにデータのコピーは存在しないの? XXさんのマシンの中にしか存在しないデータ? そのマシンのHDDはミラーリングか履歴などのバックアップはしてなかったの? 作業途中だからサーバにもアップしていなかった? まるで手を打つ術がない? 完全なゼロからの描き直し???? 何だよ!それ!!」

 

‥‥というパニック状態、いつ、どこで、発生しても不思議ではない未来。

 

紙はどんなに地面が揺れようが、水に濡れようが、多少破れようが、ゼロにはなりません。しかし、データは簡単にクラッシュしてゼロになります。

 

データは簡単にコピーできますが、同時に、簡単にクラッシュするのです。

 

自転車操業でギリギリで綱渡りで余裕がないところほど、バックアップや無停電装置って必須だと思うんですけど、ギリギリの制作体制なので、そもそもバックアップ設備も無停電装置も導入するお金がない‥‥なんていうこともあるでしょう。

 

仕上げや撮影で作業データが失われるのも相当ショックですが、未提出の作画データが失われるのは、「終わった‥‥何もかも‥‥」と果てしない絶望感に死にたくなるでしょう。

 

私はコンピュータ上で作画もしますし、コンポジットもしますが、「『再インストール』では復旧できない」データの重要性をこの20年間の「コンピュータ稼業」で痛いほど身に染みてよくわかっているので、作業リアルタイムでは二重、作業後は4重のバックアップ体制を敷いています。

 

 

 

この図を見て、解る人なら解っていただけるでしょう。「ああ。随分と酷い目にあった過去があるようだね。」と。

 

データの定期バックアップも含めると、一時的に五重六重にもなるバックアップ体制ですが、私がこの20年間で得た教訓に由来する体制です。

 

作業セクションの監督職を引き受けるのって、要は作業完了するまでの「運用上の安全保障」も引き受けることです。どんなにコンポジットの技術を知っていようと、マシンがクラッシュしました、手も足も出ません、対処法を教えてください‥‥なんて撮影監督、ダメダメじゃんか。

 

作業セクションの作業環境がダメージを受けた際の、シフト体制までちゃんと計画してバックグランドに用意しておくのが、セクションの「長(おさ)」のあるべき姿です。

 

しかし、撮影ではなく作画作業の場合、作画監督がこれと同じことを実践するのは実質上不可能ですよネ。作画はフリーランスによる作業体制の上に成り立っていますから、1つの場所に集まって社員待遇で環境を構築するセクションとは同じ作業システムを組むことはできません。

 

つまり、フリーランスの作画スタッフは、自分の資金とノウハウで、数社から仕事を引き受ける「自分の作業環境とバックアップ体制」を組むことになります。

 

初心者や経験の浅い人間ほど、コンピュータをなめてかかる傾向が強いです。ソフトウェアを覚える時だけは謙虚な振る舞いをしますが、覚えてしまったらその後は「自分は世界一の強運の持ち主である」かのごとく、何のバックアップもせずに作業に没頭してしまう‥‥という感じに。

 

でもまあ、アニメ業界の歴史を振り返るに、現場は「当たって砕けて、残った僅かな結晶が、その後のシステムになっていく」経緯があります。バックアップや停電対応をおろそかにしてどんなに酷い目にあっても、それはスタッフやグループ、作品制作の経験値になりますから、淘汰される人間も含めて、「状況が未来を洗い出していく」のでしょう。

 

 

無停電装置は、厄介なシロモノです。

 

そのシロモノをどう扱うかで、当該の作業者や作業グループの運用上のポリシーも見透かせる、非常に小憎らしいシロモノでもあります。

 

ちなみに、ネットワークやクラウドの活用で、保守を一極集中‥‥なんていう発想も、以前は夢見たことがありますが、速度の問題、再現性の問題、そしてライセンスの扱いなどの理由から、「ローカル作業&サーバ」型にしています。今のアニメ制作が社内ネットワーク経由でも何とかなっているのは、背景とセルでほとんど作業が済んで、その素材が軽いからだもんネ。二値化のデータって、1ファイル数10キロバイトで済むこともザラですが、‥‥そんな状況に甘えられるのは、いつまでなのかな‥‥。

 

 


修正する

ここのところ、何回かに渡ってイジくりまわしている「トラディショナルスタイル」の絵ですが、元絵がぬぼーと漠然と描いたコレなので、上からかぶせて描いて「トラディショナルスタイル」のキャラに変えた後も、どうも目が大きい傾向を引きずっているような気がしておりました。

 

 

 

 

‥‥なので、「よく見ないとわからないレベル」ですが、目を若干小さくしました。

 

 

この顔立ちなら、このくらいの目の大きさでも十分なように思います。

 

リアル風(あくまで「風」)の顔立ちは、全体のバランスで可愛さとか綺麗さを醸し出すので、目の大きさに頼らなくても良い‥‥というか、目を大きくしたままだとバランス取りが難しくなる傾向があります。実はその辺が一番描いてて難しく、1作品に関わる作画延べ人数の極めて多い現在のアニメ制作事情と「水が合わない」点です。

 

パーツで顔を似せるのではなく、バランスで顔を似せるのが「面倒」なのは、アニメーターなら誰でも知っています‥‥よネ。

 

‥‥で、こうした顔立ちの修正は、After Effectsなどのコンピュータ上の操作でも可能なわけですが、そのあたりの技術はこのブログでは意識的に避けてきた話題でもあります。

 

アニメ業界の現場は、本来のフローの約束事(=責任の所在)を徐々に崩して安易な方向に流れ続けて現在の状況があり、ちょっとした動画の崩れ(1日で動仕を海外で処理すれば、崩れるのは当然ですが)を仕上げさんで直すようなことも、テレビシリーズでは常態化しています。もちろん、仕上げさんが動画の崩れを修正するのは「戻す時間がなさ過ぎる悪化したスケジュール」ゆえで、本来ならば管轄外のそんな修正作業まで引き受けたくないのが本意でしょう。

 

線や塗りの微調整ならまだしも、顔立ちの修正に及ぶと、それはまさに「顔立ちに責任を負う」ことを意味します。つまり、作画監督の守備範囲に及ぶということです。

(とはいえ、既に、フルショット、ロングショットの酷い崩れの顔は、作画に戻せずに直す事例は多いですけどね‥‥)

 

安易に最終段のセクションで顔立ちまで本格的に修正し始めたら、それこそ「システム崩壊」に繋がります。責任の所在なきアニメ制作といっても過言ではないでしょう。

 

なので「その技術に関する話題を避けてきた」わけで、技術の具体的なことは今後も書くつもりはありません。

 

ただ、作画にコンピュータが浸透して、日本画のような繊細な顔のバランス取りが必要な絵柄に関しては、どの段階で「キャラの顔立ちの責任職が介在するか」は、今までのシステムとは大きく異なってくるでしょう。いままでの「線画だけで先が見通せる」ような絵柄の性質とは大きくかけ離れるので、作画の監督職も、今までと同じやりかたでは通用しなくなってきます。‥‥今までと違う、アニメの絵柄を目指すならば‥‥です。

 

今までのフローでは立ち往かなくなることも多い、可能性が大きく広がる、未来のアニメーション技術と制作。

 

絵柄の開発と同等以上に、ワークフローなど制作システムの新開発も重要になってきます。

 

こなすべき問題は山積み‥‥ですネ。

 

 


4Kの線質

4Kテレビも随分と手頃な価格に落ち着いてきた2017年。HDMIを経由して、4Kムービーの映写も可能になり、4Kを自主的にテストするための機材的な敷居が徐々に低くなっています。

 

以前のブログで書いた際に用いた「トラディショナルスタイル」の絵柄は、手描きで動画を描くのではなく、コンピュータで動画を動かす(=解りにくい表現ですが)技術前提のデザインで、極端に今のアニメ絵から逸脱した内容でした。絵柄の源流は、アニメというよりは日本画に近く、制作工程こそトレス・ペイントではありますが、「執念の線画作業」が必要になる非常にユニークなスタイルです。

 

実は、描いた私も、「トラディショナルスタイル」は技術的に(描くのが大変で)キツいので、もう少しライトな表現で4Kを活かせる路線を模索中です。動かすことに関して言えば、もちろん「動かすことを前提にデザインされた」絵柄なので可能ですが(=描いている時点からリグの計画をする)、「動かす元の絵を描くこと自体」が、「似せにくい」「線が繊細で神経がすり減る」「モーション時のアンチエイリアスのボケを抑制するために5〜6Kの解像度が必要(=そのかわり、8Kにも対応できそうな予感ですが‥‥)」と大変なことだらけです。

 

i7の4コア6コアの4GHzで動作し、32GBのメモリを積み、SSDの記憶装置を持つマシンですら、ヘナチョコな体感速度となり、「重さ爆発」な制作作業となります。まあ、2000年前後のプアな環境で劇場を作っていた頃を思い出せば、耐えられないことではないですが、動作が重くて「大変」なのは正直なところです。

*‥‥でも、6KでもiPad Proでの作業時は全然重さを感じないんですよネ。コンピュータの処理速度・体感速度って、単にハードのスペックでは語れない部分が多いですよネ。

 

でもまあ、いろいろな可能性を探るのが、「こういう時期=状況の移行期」のポイントです。技術でお金を稼いで飯を喰っていきたいのなら、誰でも選択するであろう安易な妥協をせずに、未開拓分野の経験値とノウハウをむしろ積極的にどんどん蓄積していく必要があります。実現困難で未知なものごとは誰でも避けたがるので、逆に返して言えば「皆が無理せず落ち着ける場所は、皆が殺到し、レッドオーシャン状態に陥る」のです。

 

最初に苦労してブルーオーシャンで商売するか、最初は楽に受け流して後で煉獄の苦しみを味わうレッドオーシャンで商売するか‥‥は、自分の意思と行動で決めれば良いことです。

 

 

生産効率の高い絵柄の探求はこれからの模索の「お楽しみ」にとっておいて、まずは今年初めに何気なく描いた「トラディショナルスタイル」の絵を、以前のコンポジションに組み込んで、4Kの高詳細な線質のルックを試してみました。

 

最初に、iPad Proが来る前に鉛筆で描いてコンポジットしたフィックス絵です。以前にもここで載せました。寸法は3840ではなく、4096の4Kです。このブログの横幅に表示サイズを合わせていますが、クリックして別ウィンドウで画像を等倍サイズで表示し直せば、お使いの環境が4K〜5Kならば詳細感をリアルに見ていただけます。

 

 

この女の子の舞台セットを流用し、キャラを今年初めにiPad Proで描いたキャラに差し替えて、情景の完成画像として出力して、線質の「具合」を見ます。

 

 

寄りサイズのほうは、照明効果を変化させつつ、軟調フィルタがやや強めです。

 

4Kで繊細に線を仕上げると、線が溶けて太らずに、「本来の軟調効果」が威力が発揮されます。

 

この現象は、実は2Kでも表れます。昔に存在した「アニモ」というアニメーション制作統合環境では階調トレスがベースだったのですが、線自体に濃淡の強弱があるので、軟調効果(フォギーやソフトン、ディフュージョンのシミュレーション)のかかりかたが「上品」でした。二値化したレタス線だと、どんなに細くてもブワッと滲んだ汚いニュアンスになってしまい、移行期に苦労したのを思い出します。

*おそらく、レタス線のにじみが汚い理由は、トレス線の濃度が完全なベタで、画具に例えると「インクが濃いので、滲み出しが多い」のが原因と考えています。水性の画具を使ったことがある人なら想像しやすいと思いますが、もともとインクの量が多いので、水でぼかした際に溶け出す量も多い‥‥というのと似たようなことでしょう。

 

「トラディショナルスタイル」は原画が5〜6Kで線も細く、階調トレスなので、かなり強い軟調効果をかけても絵が溶けにくい特性を持ちます。

 

以下、かなり強めの軟調効果をかけた状態です。空気感のニュアンス表現目的では過多な軟調表現ですが、テスト目的であえて濃い目に処理しています。それでも、線が太らずに細さが維持され、軟調感だけ追加されているのが見てとれます。

 

*湿気の多そうな過多な軟調効果でも、些細な描線の性質の差が、効果を強くかけた際に大きな差となって表れます。

 

レタスの二値化線に対して上のような大量の軟調効果をかけると、トレス線が鈍く肥大してNGになります。二値化トレスにおいて、大量の軟調効果が必要な場合は「ソフトン」系ではなく「フォギー系」の「明るさだけに反応する軟調効果」を適用して難を逃れます。

 

4K対応の階調トレスは、あえて造語を作るのなら、「スフマートダイナミックレンジ」が広い‥‥とでも言いましょうか。

 

難点は、4Kのモニタで観ることが前提の描線なので、2Kにダウンコンバートすると、線が画像補完で鈍って、やや「腰が抜けた線」になることです。

 

でもまあ、この問題は、社会の主流の移行とともに徐々に「状況の方が変化」していくものなので、さほど深刻なことではなく、「時間が解決してくれる」問題です。

 

 

とは言え、4Kが「線の繊細さ」だけを「売りもの」にするのはもったいないことで、真逆の方向性の、荒々しく筆致がほとばしる描線を緻密にディスプレイに映し出す手段としても有効でしょう。

 

iMac 5Kを買った時に、初めて「ドットバイドット」で鉛筆のラフ画のスキャン画像をみたのですが、かなり良い感じのニュアンスでした。‥‥だからねえ、鉛筆も「鉛筆の描線の真骨頂」を活かす作風の作品なら、実はまだ活躍の機会があるようにも思うのですが、‥‥‥みんな二値化しちゃうから、鉛筆の黒鉛のほとばしりなんて、全部消え失せちゃうんですよネ。

 

 

描線1つとっても、4Kのポテンシャルを導き出すには、様々なノウハウが必要になります。

 

ノウハウはネットを掘っても溜まるものではなく、簡単には蓄積されていきません。‥‥が、実際に扱ってみれば、扱った分だけ蓄積されるものでもあります。

 

旧来のアニメ制作技法を、単にコンピュータに移し替えるだけの取り組みは、なんの新しさも広がりもなく、旧来の限界すら継承することになるやも知れません。

 

4Kは2Kではない。60pは30pや24pではない。HDRはSDRではない。‥‥恐ろしく簡単な新旧の違いに目を伏せ、昔のままを踏襲することだけに終始する未来は、なんとも味気なく絶望的なことよ。

 

新しい広いキャンバスには、新しい大きなビジョンを描きたいじゃないですか。

 

 


アマゾン、実質、クレカ一択のお店に。

アマゾンがペイジー支払いで何かをヤラかしたようで(ヤラかされたようで)、ペイジーサービスがアマゾンだけ使えなくなっている状況(ヨドバシなどの他の店は普通に使えます)は、以前書いた通りで、今でも停止中です。

 

ペイジーが停止した現在のアマゾンは、クレジットカードと代引き、そしてコンビニなどのATMや端末での支払いが可能ですが、私のように「調達の手間を最大限に省きたい」人間は、実質クレジットカード1択のみとなり、アマゾンは「クレカ専用ショップ」となってしまいました。

 

代引きは手数料が加算される上に、宅配ボックスがあっても不在時の受け取りが不可能となり、非常に不便です。

 

また、コンビニ払いは、実際にやってみると、地味に段取りが嵩んで、面倒です。

 

  1. 支払う代金をあらかじめ現金で用意しておき
  2. コンビニに足を運び
  3. 端末で番号を入力し
  4. 代金支払いレシートを発行し
  5. レジで現金で支払い
  6. 取扱明細がレジでプリントアウトされ領収書として受け取って
  7. その後、払込確認のメールを待ち発送連絡を待つ(結構時間がかかります)

 

‥‥うーむ。これは中々、キビしい。

 

こんな段取りがしたくないから、ネット通販を利用しているのに、台無しですネ。

 

‥‥よって、アマゾンは、現実的に(& わたし的に)、クレジットカードのみの決済と考えた方が良さそうです。

 

はじめて「コンビニ端末での支払い」をしてみましたが、捨てるタイミングに困る、こんな大仰な「取扱明細兼領収書」をレジで受け取るハメになります。A4の半分なので、A5サイズです。

 

*結構、デカいサイズの領収書。

 

 

まあ、クレカで決済すれば「普通にアマゾン」なので、アマゾンがセキュリティを復旧して、ペイジーが復活するまでは、クレカ決済だけのお店として利用する‥‥ということになります。

 

クレカって、どの決済がどのタイミングでおこなわれるのか、把握しにくいので、定期便とか自分で決めた枠内の買い物以外は、ペイジーでお金の流れを把握するようにしていたのですが、そんなこんなで、アマゾンでは支払いの使い分けできなくなっちゃいました。

 

でもまあ、いいか。それはそれで。

 

あまりお買い物せずに、ストックを減らそう。

 


雑感。

「大艦巨砲主義」。当代随一の強力な砲を積んだ戦艦で、ライバルの国々を圧倒する「軍事力合戦」の一番わかりやすい形態です。

 

戦艦大和の建造費は、最近の説によると現在のお金に換算して「3兆円」だとか。つまりは、大艦巨砲主義は、お金や技術力も全てコミコミの「国力の象徴」だったのでしょう。どんなにお金を持っていても技術力がなければ自国で大戦艦など建造できませんし、その技術力を有するようになるには、長い年月と夥しい資金が必要だったでしょう。

 

しかし大艦巨砲主義によって建造された戦艦が、はるかにコストの低い航空機戦力によって撃沈される事態が、第2次世界大戦中に数多く発生しました。日本人にとって有名なのは、マレー沖海戦でイギリスの新鋭戦艦であるプリンスオブウェールズが、日本軍の攻撃機によって撃沈され海の藻屑と消え去った出来事でしょう。

 

 

ドイツ海軍最強を誇る戦艦ビスマルクが、事もあろうに旧式な複葉機のソードフィッシュの放った魚雷によって致命傷を負い、進退極まった末にイギリス軍艦に包囲されタコ殴りで最後を迎えたのも、大艦巨砲主義の幕を象徴しています。

 

 

でもまあ、ビスマルクやマレー沖のプリンスオブウェールズよりも、日本人にとっての大艦巨砲主義終焉の象徴は、大和と武蔵でしょう。両方とも米機動部隊の航空戦力によって沈没しています。

 

 

アニメ制作における「大艦巨砲主義」。すなわち、大予算を組んで、各方面の腕の良いアニメ制作スタッフを招集して、全国の劇場何百館で公開し‥‥という形態に、今でも夢を見る人は大勢いるように思います。戦艦が男の子の憧れだったように。

 

大予算を獲得するには、制作会社の信用がまず必要で、その信用を獲得するには、高い技術力と生産力で歴代の作品を作り続けた実績が必要です。まさに「国力」ならぬ「社力」が必要になります。テレビ作品相当品質を大スクリーンで投影したのとは格が違う、「大劇場作品」を作る能力が制作会社に求められます。

 

今でも劇場に足を運ぶ人がそれなりに存在して、「大劇場作品」に夢を抱くのも、それはそれで構わないと思います。

 

しかし、私自身の感慨で言えば、「大劇場作品」にしても「大人気テレビシリーズ」にしても、何かもう「遠いもの」のように思えてなりません。特にテレビの主戦場は今や「深夜」ですから、70〜80年代の隆盛は見る影もないです。

 

劇場という枠組み、テレビシリーズという枠組みは今後も存続するのかも知れません。しかしそれらがアニメの「巨砲主義」を体現していた時代は、収縮していくばかりに思うのです。先人が築いたスキームは、まさに先人の生きた時代の「リアル」な産物と思うからです。今はもう、平成の終盤、決して昭和のど真ん中ではありません。

 

歴歴の座組みで盛り上がる大型の劇場やテレビは、私にとっては「大戦艦」に見えます。未来に目指すべきは、大戦艦の大艦隊ではなく、だからと言ってゲリラやパルチザンの地下組織でもないように思えます。例えば、ゲバラが2020年に存在したとしても革命は成功しなかったでしょう。1950年代だから革命は成功したのだと思います。

 

大艦巨砲主義もゲリラの革命も、2020年代にはそぐわない気がしています。2020年代をうまく利用する方法があるはずですが、それには利用する知識と直感力は不可欠でしょうネ。

 

最新の技術をフットワークも軽く、少人数制によるシフトを巧みに使い、大戦艦もゲリラも手の届かなかったフィールドを飛び石で活用していくのが、「技術力を持つ弱者」のこれからの戦術のように思います。

 

 

「大戦艦」の「乗組員」として一生を全うできるのなら、それはそれで本望でしょう。でも、本当にこれから先の未来、全うさせてくれる安定した状況は続くのか‥‥、危うい感じはしますよネ。

 

劇場やテレビに寄り添うだけで、未来も変わらずに、生き続けていけるのか。今までのアニメ制作の形態に準じて、本当に安泰なのか。

 

プリンスオブウェールズ(キングジョージ五世級)の後継艦のヴァンガードは実戦を経験することなく除籍・スクラップ。世界は、戦艦を必要としなくなった時代へと変わっていき、各国の戦艦は皆スクラップか博物館行きとなりました。

 

さて、アニメを作る人々は、未来の世界において、どれだけ思考をシフトできるでしょうか。海軍が自らの象徴とも言える戦艦に対し、「戦艦不要」を決断し思考を変えていったのと同じことを、アニメ制作関係者は出来得るのか、これからの成り行きは如何に? ‥‥ですネ。



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< January 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM