どうでもいいことかもしんないけど

最近見かけた「帰還した爆撃機のダメージの統計を考慮して、爆撃機のどの部分を強化すべきか」という記事・ツイートは、日々の現場運用においても示唆に富む内容です。さらには、自分の作業経験を、未来にどう活かすか‥‥という命題にも、大いに刺激になるものです。

 

‥‥一方。

 

小学生の頃からの飛行機好きの私は、「これ、輸送機じゃん。爆撃機じゃないじゃん。」と1発目に思ってしまったのは、どうでもよいことでしょうかネ。

 

これです。ハセガワのプラモデル組み立て説明書。

 

 

「帰還した爆撃機のダメージの統計」の飛行機の絵は、DC-3・C-47系の輸送機のように見えます。ただ、エンジンは液冷っぽいですネ。上図の説明書の機体は、DC-3のオーソドックスな空冷エンジンです。細かい仕様はわかりませんが、いずれにせよ飛行機好きなら、輸送機のシルエットであることは、すぐにわかるはず。

 

‥‥こんなことばっかり言ってるから、オタク疲れするのかな。

 

 

原作本の図説が、テキトーにアメリカの双発機を流用したのか、よく解らんのですけど、実際、ほぼ丸腰に近い輸送機と銃座のハリネズミのような爆撃機とでは、戦闘機に捕捉され銃撃されて損傷する部分に差異が生じると思うんですよネ。

*戦時中の軍用型DC-3は、色々と防御武装のバリエーションがありますが、キモチの上で、銃座がないよりはあったほうが‥‥というような申し訳程度の武装‥‥ですネ。

 

まあ、重要なのはソコではなく、「データをどう捉えるか」ですから、ぶっちゃけ、どうでもいいことなんですけど。

 

 

ちなみに、DC-3。

 

DC-3をライセンス生産したL2D「零式輸送機」は、上図の通り、日の丸をつけて、戦時中に飛んでました。ソビエトでも、Li-2という名でライセンス生産&改造されて、2000機も製造されたそうな。

 

ちなみに、零式輸送機はハセガワから1/200が、Li-2はズベズダから同じく1/200のちっちゃいスケールのプラモが発売されてます。ハセガワの1/200の旅客機シリーズと並べられます。


VRとグラストロン

私は今から20年くらい前に、ソニーのグラストロンというHMDを愛用しており、グラストロンでS入力だかの(入力端子のことはよく覚えていない)映像で映画やテレビ番組も見ていました。

 

なので、私はHMD、VRゴーグル「肯定派」なのです。基本的に。

 

VR独壇場の、頭の動きに合わせて立体視が展開するコンテンツはおおいに楽しみです。しかし、私はその制作には全くと言って良いほど関われないでしょう。コンセプトボードやイメージボードくらいなら、かろうじて関われるかな‥‥というくらいです。

 

手描きの作画で、ほんの些細な立体視を実現したところで、ぶっちゃけ、失笑ものです。

 

手描きの作画は、2Dのままで良いです。絵を描くときに、立体視を意識してパーツの1つ1つを描くなんて、アホらしいです。どんなに巧妙に描いても、板の描き割りにしかなりません。絵を描く本質を、立体視に転化しようとしても、ただただ、虚しいだけです。立体視をしたいのなら、絵なんか選択せずに、Z軸が最初から存在するジャンルを選べば良いです。

 

私の一生は、2Dアニメーションにこそ注ぐべきだと、VRの登場によってキモを据えました。

 

 

では、私のこれからの仕事は、全くVRと接点がないのか‥‥というと、実は大きな楽しみがあります。

 

まさにグラストロンが示した「自分だけの映画館」です。

 

グラストロンの売りは、「大画面テレビがなくても、迫力の大画面でテレビが見れる」ことでした。解像度はそりゃあもう低かったですが、たしかに視界を大きく覆う液晶画面は、当時のブラウン菅の事実上の限界(ユーザが購入できる価格帯)の29インチを大きく上回り、50インチとか80インチとか(宣伝文句は忘れました)の「憧れのホームシアターサイズ」でした。

 

私が夢想するのは、実際の映画館とみまごうばかりの、VR映画館です。

 

映像はまさに大劇場のように視界を覆うほどの大スクリーン。前後左右だけでなく、上下にも音像が定位する、立体的な音響。

 

これって、もしリアルに実現しようとしたら、自宅で何百万かかるの? いや、自宅そのものが狭くてNGでしょ。‥‥ということは、不動産まで考えて、数千万の規模でしか、「マイ映画館」なんて実現できず、夢のまた夢のまた夢‥‥です。

 

しかし、8Kで、SDR on HDR、作品は24pでも頭の動きに追随するVRのモーションは60〜120p‥‥となれば、かなりリアルな「映画館」が自宅の狭い部屋で実現できるわけです。

 

もし、VRの技術ベース部分が発達して、解像度不足だけでも改善されて、詳細な画面が実現できれば、VRに立体視だけを求めずとも、2D平面の旧来コンテンツをまるで映画館のように映し出すだけでも、かなりイケるんじゃないでしょうか。少なくとも私は、それをグラストロンの時に既に感じています。

 

映画館自体が、日常とは隔絶した世界を持ちますから、その「映画館の異世界」がゴーグルの中で実現できるのは、映画ファン・アニメファンには、たまらない楽しみになると感じます。隣の客のポップコーンの音と匂いに気をとられることもなければ、前の客の頭がウザイなんてこともないですしネ。

 

 

実際、VRコンテンツを見終えて、ゴーグルを外すと、まるで現実の世界が「第2の世界」であるかのような錯覚すらおきます。まさに「アヴァロン」の世界。

 

リビングの団欒で、VRゴーグルが主流になることはなくても、個人用途ではかなりの可能性を秘めていると思います。

 

まあ、まず目先の問題は、ゴーグルの中に、裸眼と同じニュアンスの画面詳細感を感じられるほどの、超高密度ディスプレイパネルが実現できるか‥‥ですネ。今のRetinaレベルじゃ全然足りないですもんネ。

 

VRはまだまだ先が長いとは思います。特に映像品質においては。

 

しかし、グラストロンの頃から格段に進歩し、まるでノースロップグラマンの戦闘機用HMDのように、ジャイロで頭の動きにコンテンツが追随するVRの可能性は、果てしなく広いと感じています。

 

SimCityやSimsなんかがVRでゲーム化されたら、現実世界はもぬけの殻のような人生で、幸せをVRの中に閉じこめちゃう人なんかも、出始めるんだろうな‥‥。

 

50年後、100年後の世界って、どうなってるんでしょうネ。今、20代の人は、寿命からして、じゅうぶん、50年後の日本で生きてられますから、私の分も含めて見届けてほしいです。

 

 


VR

VRを実際にゴーグルをかぶって観てみると、VRが必要としている技術基盤は、未来の映像フォーマットのソレだと思い知ります。

 

VRを見て、足りてないなと率直に感じる要素は、

 

映像のビデオ解像度

ダイナミックレンジ

フレームレート

 

‥‥で、まんま、未来の映像フォーマットの達成目標です。

 

目の至近距離で再生されるがゆえに、ビデオ解像度はどうしても荒くなりがちです。現在の高密度液晶なんて性能が全く足りないほど、遥かに高々密度なディスプレイが必要なんだろうなと感じます。解像度で言えば、最低4Kで、理想的には8Kくらいは必要になるんじゃないかと思われます。ゴーグルの小面積に8Kなんて未来的に可能かは、よくわからんですが、詳細感は今の映像画素数では不足しています。

 

また、全く足りてないなと痛感するのは、ダイナミックレンジ=DRです。100nits程度のダイナミックレンジでは、映像に映し出される様々なものが暗く濁って見えます。なので、HDRは必須となりましょう。

 

フレームレートも、30fpsでは全く足りないです。残像で目が疲れます。最低で60fpsは必要でしょう。

 

‥‥で、こんなことを書くと、VRはダメみたいに受け取られてしまいがちですが、私は全く逆だと感じております。

 

改善する部分が根本的な基盤要素であるがゆえに、その部分が徐々に改善されていけば、どんどんVRは良くなっていくでしょう。つまり、痛快なほどに、発展の余地・伸びしろがたくさんある‥‥ということです。平面のテレビとは全く異なる存在意義を、映像の技術発展とともに示していくと思います。

 

むしろ、テレビよりもVRゴーグルのほうが、未来の技術をまさに「目に見えて活用できる」と思います。VRが未来の映像技術と組み合わさった時、平べったい2Dコンテンツは、恐ろしく古めかしく感じるかも知れません。

 

実際に私は、平面に絵を描く「2D」の技術では、もはや全く手出しのできない領域を圧倒的にVRに感じて、ややヘコみ気味です。VRには、手で絵を描く存在意義など、ほとんど必要とされないでしょう。必要とされるのは、実写か3DCGです。

 

ディメンションが1段上に上がって未来に進むことで、旧来ディメンションのメディアは旧態依然とする。‥‥そのことを痛感しております。

 

私の少年時代、止まった絵で音も動きもない漫画は、アニメに比べて「一段昔の古めかしさ」を感じていました。ゆえに、私は漫画家にはなろうとせず、最初からアニメーターを目指しました。私が小学校5年生の時に「さらば宇宙戦艦ヤマト」でアニメージュ創刊の年でしたから、私がアニメブームど真ん中だったのは、運命としか言いようがありません。

 

漫画に「時間と音」の2ディメンションを加えたアニメが、テレビのゴールデンタイムに放映される状況は、まさに1970年代の技術社会を象徴していたのだと思います。高度経済成長を遂げて、戦後から現代へと移り変わった日本だからこそ、アニメブームは起こったのでしょうネ。

 

そして今、何段階も経て、社会の技術はVRの入り口にたったのです。2020年代の映像分野の「寵児」は、平面の4K8Kか、はたまた2眼のVRか。

 

しかし一方で、絵画や漫画、文字媒体の、「かつての主力メディア」がそうであるように、2Dアニメも決して消えていくことはないとも感じます。もしかしたら、「第3次アニメブーム」なんて騒がれるのは「消える間際の輝き」なのかも知れませんけど、全く消えきってしまうことはないと思います。

*内情を知る人間からすれば、「第3次アニメブーム」なんて、門外漢の人間が話題欲しさに浮かれているように、虚しいばかりに目に映りますけどネ。まあ、もしかしたら、ブームなんて騒がれるのは、現場が「生きるか死ぬか」の瀕死の状態を呈するほど無理をしているから‥‥とも言えなくもないですネ。

 

それにVRゴーグルはやっぱり個人向けの用途から脱し得ないでしょうから、テレビ的な平面映像の家電は今後も必要とされるでしょう。どんなにヘッドフォンが発達しても、皆で集まるときはスピーカーから音出しして、全員がヘッドフォンで音を聴くような情景は見ないですもんネ。あくまで、自分の部屋で過ごす個人が、プライベートな時間を過ごす時に、VRゴーグルは強力な選択肢となるのだと思います。

 

でもねえ‥‥、アニメって今や家族全員で見るものではなく、プライベートな個人の時間で楽しむ「深夜枠」「レンタル枠」の娯楽に変化していますから、VRと「プライベートな時間の争奪戦」を繰り広げた時には、どうにも不利だとは思います。VRは、ユーザの没入感が「技術のシステム的に」格段に優位ですからネ。

 

 

最近、新技術で制作した本番カットを流用して、4K60fpsでヒロインキャラのカットをレンダリングしてみましたが‥‥‥、いやあ、4K60pをフルに活用したアニメ映像は凄いですネ。線の繊細さや細かさ、動きの圧倒的な滑らかさは、次世代の2Dアニメを具現化していると言っても過言ではないです。

 

そうして、2Dアニメもまだまだ伸びしろはあるのですが、如何せん、メディアの「種族としての宿命」からは逃れられません。手で絵を描いて作るアニメは、2Dの平面で、その力を発揮するしかないのです。

 

ですから、2Dをもっと大切に扱わんとさ。

 

粗末な出来の2Dアニメを作り続けていては、「個人ユーザの時間の争奪合戦」に敗北するのは、目に見えています。2Dアニメに対して、いつまでもユーザが忠実にファンで居続けてくれると傲るな!‥‥ということですネ。


ものごとは複雑だな

特徴を捉えて、単純明快に‥‥という強迫観念は、こと、短く文章が区切られるツイッターの出現によって、より一層、拍車がかかったように思います。

 

スパッと言い当てたり、グサッと核心をついたり‥‥という、言葉の快感を求めて、無理にでも「何々はこうである」と数行でまとめようとするのは、実は、とても的外れなことじゃないかと思うことがあります。

 

人間や、物事や、社会や自然界の仕組みって、そんなに単純で明快かな‥‥。私には、とてもそう思えないのです。

 

ひとりの人間って、そんなに単純じゃないぞ。極めて、複雑だぞ。

 

例えば、「人間は外見のイメージに反する内面を持っている。人とはそういうものだ。」‥‥なんていう格言めいた言葉を聞くと、「そうかもなあ」と思ってしまいますが、実際のところ、「人間は、外見のイメージ通りの内面と、イメージとは違う内面との、多様な内面を持つ」のではないでしょうかネ。「外面に反する内面」だけを語っても、「人とはそういうものだ」とは言えません。

 

ツイッターでは、文を短く切らなければならないので、「自分でも思ってもいないような浅はかな判断で言い切ってしまう」落とし穴がそこら中に待ち受けていると思うのです。ですから「そんなつもりで書いたわけじゃない」なんていう、書いてしまった後からの言い訳をツイートする事例が、そこかしこに発生してるんでしょう。

 

言葉で要約できることは要約すれば良いですけど、なんでもかんでも要約する必要はないですよネ。要約できないものを無理に言葉で要約しても、クオリティの低い(=信頼度や確実性の低い)情報が錯綜するだけだもん。

 

 

私が感じるに、言葉で単純明快に言い表わせることの方が、世の中には少ないと思います。人間だけでなく、ネコと暮らしても、そう思いましたもん。ネコとて、生まれ出でた瞬間から様々な状況に影響され、複雑な人格(猫格?)を有しますからネ。ネットの誰かさんの言葉よりも、一緒に暮らしたネコが私に投げかけた眼差しの方が、この世の色々なことを要約して教えてくれたように思います。

 

 

毎日、核心を言い当てたように吐き出される言葉の数々に対して、いちいち関心して「真実を知った」なんて思い込んでばかりいたら、カラダとココロがいくつあっても足りんです。その「ありがたい格言」を聞いたところで、今日から自分が生まれ変われるか?‥‥と言ったら、残念だけどNOですよネ。人は簡単には変われない‥‥です。「いい言葉を聞いて参考になった」とか言いながら、数年後にはサッパリ忘れてたりするでしょ。

 

自分の中に、本当に心に残り続ける言葉なんて、簡単にネットじゃ手に入らないですよネ。

 

悩み苦しみ傲りヘコみ怒り悲しみ喜びながら、謙虚に傲慢にフラフラよろめいて、ぶざまで複雑な自分と死ぬまで一緒に生きていく覚悟で、日々を送っていくだけです。

 

 


エッセンシャルオイル

オタク疲れ。‥‥ああ、確かにそういう面はありますネ。

 

 

 

まあな‥‥。アニメを制作するという本質が、リアルな世界(世間一般的な世界)から少し距離を置いているような部分がありますから、何とも。

 

「主人公の性格的に、こういうポーズでこんな演技は云々」なんて、少なくとも私の両親が熱く議論しているのを見たことは一度もありませんでしたからネ。50歳近くになって、美少女キャラのハイライトのフォルムの変化に、After Effectsのディストーションエフェクトを駆使する‥‥なんて仕事、あまりにも特殊だもんネ。

 

 

ちょうど今日、作品に滲み出す表現というのは、大量に知識がある中から絞り出されてくる一滴のエッセンシャルオイルのようなものだ‥‥と話していました。

 

たまに、「とってつけたような表現」ってあるじゃないですか。‥‥あれって、自分の中からは絞り出てこないから、「型」を誰かのどこかの作品から拝借した結果だと思うのです。そんな話を仕事仲間と話しておりました。

 

例えば、ハードな香りのするミリタリー表現って、ネットでいくら検索しても醸し出せるものではなく、本人がどれだけミリタリー関連の知識を貯め続けて、そこから絞り出てくる「数滴」のエッセンシャルオイルを垂らせるか‥‥が、「雰囲気」のキモになってきます。

 

エッセンシャルオイルって、大量の材料から驚くほど少量しか抽出できなくて、ゆえに数滴でアロマディフューザーで香りが拡散できるのです。作品の中に滲み出す「香り」も似たようなものだと思います。

 

知識の蓄積って、何段階もあって、例えば音楽で表現すると‥‥

 

  1. この曲いいな。‥‥と気になって、好きになり始める
  2. 一般的な「ベスト盤」を買う
  3. 各アルバムを買い集めるようになる
  4. 演奏者のソロアルバムなんかにも手を出す
  5. 演奏者と同時代のアルバムにも手を出してジャンル全体に興味が湧く
  6. そのジャンルのアルバムもアレコレと買い始める
  7. 好きになった演奏者や楽曲が影響を受けた楽曲にも興味がわく
  8. 音楽の「潮流」的なものにも興味が湧く
  9. 何十年にも渡る音楽の変遷を知るようになる
  10. 買うアルバムがどんどん増える

 

‥‥とまあ、嗚呼、まさに「オタク疲れ」の世界。

 

でもこうした蓄積があってこそ、ほんの1パッセージで時代性も聴き分けられるようになります。モーツァルトの時代に、ラフマニノフスクリャービンのフレーズや和音が登場しない理屈がわかりますし、モーツァルトの前にJ.C.バッハがいて、J.C.バッハのお父さんは「大バッハ=J.S.Bach」みたいな、ポリフォニーからホモフォニーへと変遷していく流れも、楽曲の音使いで解るようになってきます。

 

もしアニメで、フランス革命前夜の貴族の館で、いかにもSteinwayのような鋼鉄フレーム製ピアノの響きが流れてくるシーンが出てきたら、「ああ、このシーンの香り作りは諦めたんだな」と感じるでしょう。平均律でどんな調でも響きが一律で、産業革命の申し子のような近代ピアノの響きは、音色だけで時代を表現できます。ハープシコード、フォルテピアノ・ハンマークラヴィーア‥‥といった鍵盤楽器の変遷を知っていれば‥‥です。

 

ミリタリーも、イーグル1機で表現できるニュアンスというものがありますが、そのニュアンスを自由に操作するには、付け焼き刃の知識ではどうにもならんのです。スパローかアムラームか‥‥なんてところでも色々と表現できますが、「ミサイル」としてしか認識していないんじゃ、香りもへったくれもないです。

 

「そんなの、世界の人間の全員がマニアじゃないんだから、関係ねえよ」と思いがちなのですが、あくまで「香り」として作用するものなので、ぽたりと落ちたエッセンシャルオイル単体に目を向けて議論しても埒が明きません。むしろ、世界中の人間がマニアではないからこそ、香りを嗅がせる手練手管を如何に駆使するか‥‥という話です。

 

作品の「香り」を諦めてしまうか否かは、制作者サイドの知識量から滲み出すエッセンシャルオイルの有無が深く関わってきます。

 

マニアと同等の知識を持たない人でも、なんとなく解るニュアンスというものがあって、「なんか、妙にリアルな物々しさがある」とか、「理屈はよくわからないけど、劇中の独特の雰囲気を感じる」みたいな、作品中の「香り」を嗅ぐことができます。

 

制作者側としては、いざという時に、最適なエッセンシャルオイルを垂らせるのが理想ですよネ。

 

 

なので、制作側のスタッフには、いろんなジャンルの「好き者」が必要なのです。皆が戦闘機・戦車オタクばかりではジャンルが狭過ぎてアカンですが、服飾、トラディショナルな模様、時計などの工業製品、武具、ドレス、髪型、制服、絵画、歴史、動物、鳥類、魚類、etc‥‥と、色んなマニア・オタクがいてこそ‥‥です。

 

まあ、だから、「XX作品のOOというキャラが大好きです!」なんていうアニメオタク要素は現場にはさして有効には作用しません。それは自分の胸のうちに秘めておけば良いことで、仕事にそれを持ち出す機会もないでしょう。‥‥まあ、間接的には影響する(自分の技術スタイルの根っこなどに)とは思いますけどネ。私は自分自身の中に、永井豪さん、松本零士さん、吾妻ひでおさん、水木しげるさんと言った幼少の頃に読んだ漫画家さんからの強い影響を感じますし、旧作ど根性ガエルのAプロ系の動きに今でも深い愛着がありますが、それは胸の内で良いのです。

 

制作サイドのスタッフであれば、ぜひ、「好き者一直線」を貫いてもらって、色々な知識の集合体として作業現場を形成できたらいいな‥‥と思っています。

 

 

ちなみに「こだわりのモノたちばかり集めても、そのアイテムが日の目を見なければ意味がないかも・・・」なんて診断されてますが、その辺は大丈夫。日々、次から次へと、繰り出しておりますから。

 

‥‥私の歳くらいになると、蓄積から放出へと向かうのかも知れませんネ。

 

 


iPad Pro、1年の雑感

私はiPad Proで原画やらイメージボードやらその他もろもろを作業するようになって(つまり、仕事としてお金を稼ぐようになって)、1年と数ヶ月経過していますが、まだまだ作業の幅を広げられそうな余白・のびしろを充分に感じています。

 

紙はさ‥‥、特にアニメ作画の場合、「線画を描くぞ!」っていう目的以外では、使い道がほとんどなかったじゃないですか。それでも、私はその昔、墨汁と筆で炎を描いたりもしましたが、それはかなりの特例で、アニメーターはほぼ100%、線画を描く用途にしか、紙を用いてこなかったのが、紙運用のアニメ制作の特徴です。

 

絵全般を見渡した場合、「線画を描く」工程というのは、絵の中の限定的な要素でしかありません。自分を原画マンとしてではなく、絵描きとして認識した場合、自分の手は、線画を描くため「だけ」に限定し続けて良いものか、生涯のスパンで考えると戸惑いを感じます。

 

実際、机の上に、鉛筆、色鉛筆、消しゴム、薄めの上質紙しかなければ、自分がどんな技量を有していようと、画具・画材が、自分の能力を限定してしまいます。‥‥でもまあ、限定されることで、線画に特化した能力を先鋭的に伸ばすことができるとも言えますが、アニメーターの机の上に常備している機材では、「線画以外は描くな」と羽交い締めにされているような気分になります。

 

iPad Proは、ソフトウェアの性能によって、線画にも色付きイラストにもコミックのペン画にも、様々な「化けて」くれます。

 

しかも、必要がない時は棚に片付けられるし、状況に応じて、バッグに放り込んで、別の場所で描くことも可能、iPad Proさえ持ち歩けば、「自分の画具の全て」をどこにでも移動できます。制作会社ごとのレイアウト用紙(の画像ファイル)などはクラウドに整理して置いておけば、iPhoneのテザリング経由で、どこからでも利用可能です。

 

 

ではなぜ、Cintiq ProやMobile Studio Proではないのか?‥‥というと、シンプルな理由があります。

 

まずCintiq Pro 13など、13インチモデルがイマイチだと思う点。

 

13インチは画面が狭い。

 

「なんだ、それ。iPad Proだって12.9インチじゃんか」‥‥と思われる人は、実際に両者を手にとって描いてみて比較したことがないのでしょう。

 

iPad Pro 12.9インチのほうが、格段に画面は広いです。同じ13インチ同士のなのにナゼ?‥‥と不思議ですが、同じ13インチでも、画面の中にウィンドウが沢山置いてあるWindowsやmacOSで作業するのと、画面をとにかく広く使うために様々な工夫が凝らしてあるiOSだと、画面の広さと使い勝手に雲泥の差が出ます。

 

なので、Cintiq ProやMobile Studio Proは最低でも16インチの広さが必要です。13インチモデルを買ってしまうと、ツールバーやウィンドウで喰われる分を差し引いて、10〜11インチくらいの狭さになり、A4用紙の100Fの現実の寸法を大幅に下回ります。iPad Pro 9.7インチで原画を描く気にはならんじゃん? ‥‥Cintiq ProやMobile Studio Proの13インチを買うと、実際に描ける面積は随分と小さく狭くなります。

 

ならば、Cintiq Pro 16インチを買えば良い‥‥のですが、

 

Cintiq Pro 16は、まだ売ってません。

 

16インチのCintiq Proは、私もココロが動いています。いかにも快適そう‥‥ですもんネ。iMac 5KやMac Pro(これらは4Kの出力がThunderboltから可能)に繋げば、かなり快適な作業環境になると思われます。

 

ただ、2017年3月後半現在、未だ予約も開始されていないので、買うことができません。去年にアナウンスがあってから、数ヶ月経過しましたが、何か出せない理由でもあるのかな?‥‥と邪推してしまうほどです。

 

 

でも、16インチだったら、Mobile Studio Proの16インチは既に入手可能じゃん?

 

‥‥なのですが、入手可能と、実際にサクッと買えるお値段かは、別の話です。

 

Mobile Studio Pro 16は、やっぱり高い。

 

Mobile Studio Proの16インチを映像制作に使う‥‥となれば、30万円台のi7モデルを買う他ないです。‥‥が、高いけど、メモリは16GBで打ち止め。16GBのメモリ容量は少なくともmacOSを走らせて、映像制作をおこなうのなら、全くの役不足です。Windowsだって大差ないでしょう。16GBメモリのPCなんて、ぶっちゃけ、今しかもたないスペックです。なぜ、32GBメモリのBTOがないのか、映像制作の最前線を知らんのかな‥‥。

 

Mobile Studio Proの「落とし穴」は、タブレットを高価なPCにしてしまった‥‥という点でしょう。その割に、映像制作で一番の重要要素となるメモリ容量は、及び腰の容量しか用意しておらず、30万円以上出費しても、使い回しが効かず、マシンの運用寿命も短い「バランスの悪い機材」となってしまったのは、痛恨です。

 

実際、知り合いに「Mobile Studio Proはどう?」と聞かれても、太鼓判を押して勧めることは、良心回路が働いてできません。「2年で元を取れるのなら、買う意義はあります」とは答えます。32GBモデルが存在して30万円台なら、「5年使えば、じゅうぶん元はとれますよ」と推せるんですけどネ。

 

あと‥‥これは好みとか私自身の体質かなとは思いますが、Mobile Studio Proは本体が熱くなるのが、やっぱりどうにもダメです。そりゃまあ、高クロックのi7が内側でズンズン動作してれば熱くもなるでしょう。

 

Mobile Studio Pro 16のi7モデルがあの値段になるのは、ごく自然で納得。‥‥しかし、マシンスペックに日頃から興味のない人々にとっては、「30万円もする、お高いタブレットPC」と感じてしまうでしょう。多くの人にとって、「お財布の紐」が納得しないのです。‥‥実際、iPad Proを買った人は周りに多いのに、Mobile Studio Pro 16を買った人にはまだ一度も会っていません。

 

Mobile Studio Proは、旧来のWindowsなどのデスクトップOSを走らせる‥‥という「タブレット型高性能PC」にしたことで、逆にユーザにとっては、純粋なタブレットの性能だけで導入の可否を下せずに、作業用PCとしての期待まで担うこととなり、不利な立ち位置となった‥‥‥とも思えます。

 

Mobile Studio Pro発売以降、Wacomは「パソコンのアフターサービス」まで本格的に背負うことになったと言えます。Appleはもともとパソコンを製造販売していた会社なので(…あ、今でも…か。)、「パソコンを売る肝」は座っているでしょうし、老舗ゆえに経験も豊富でしょう。しかし、Wacomをパソコンメーカーとしてみた場合、未知数があまりにも大きすぎます。

 

 

iPad Proだって、安くはないですが、12万円くらいで買えます。30数万円か、12万円か‥‥は、相当デカイ金額差ですよネ。

 

iPad Proのメモリは4GBと聞いた覚えがありますが、動作するのはiOSとそのアプリで、肥大に肥大を重ねたWIndowsやmacOSとは大きく異なります。ゆえに、6000ピクセルのキャンバスで描いても、全くペンの遅れを感じません。

 

低電力、低発熱を宿命づけられた「Aほにゃらら」チップは、一般的なi7などのチップと異なり、特に大型のiPad Proは、放熱効率が高いのか、熱さで作業が嫌になることがありませんでした。この1年使ってみて‥‥です。

 

 

iPad Proの大きな弱点は1つ。

 

クリスタやTVPなどの「アニメ制作御用達」のソフトウェアが存在しないことです。

 

とは言うものの、私はProcreateで原画を描いて、1年が経ちました。ペンタブ専用機材(Intuosなど)は全く使っておらず、「描き」の仕事はすべて、iPad Proに移行しました。なので、iPadで原画が描けないと思っているのなら、それは思い込みや勘違いで、まさにそれを1年かけて、「実証実験」しました。

 

‥‥別に、「みんなが使っているソフト」でなくても、原画が描けるスペックを持つソフトウェアなら、十分、原画作業は可能ですヨ。

 

Procreateはたしかに、ただ単に絵を描くアプリです。しかし、アクションレコーダ機能がどうこう‥‥て、今までの紙の現場やフリーランスの自宅に、アクションレコーダなんて潤沢に常備してましたかね? ‥‥何故、ペンタブで絵を描き始めた途端に、アクションレコーダがないと原画が描けない‥‥なんて言い出すのか。

 

 

 

でも、やっぱりね‥‥、クリスタのライト版でも良いから、iOS版が出てくれると嬉しいです。クリスタのiOS版なんか出たら、もしかしたら「手軽に導入できて、プロスペックにも通じるソフトとハード」が揃うことによって、「時代が先に進まないつっかかり」が爆ける可能性も感じます。

 

 

まあ、ないものをねだってもしょうがないので、今日も明日も、まずはProcreateとiPad ProとApple Pencil、そしてMacで、日々の仕事をこなしていきます。


運用してみそ

新型のiPadが出ましたネ。iPad AirでもProでもminiでもない、無印iPad。

 

新型のiMacやiPad Proはしばし御預け、今年の秋頃という予想もありますが、私はあと2年は今のiMac 5K(初期型)を使うので、ゆっくりと待ちます。

 

新型のiPadは、普及価格帯のとりたてて秀でた特徴のない平凡なモデル‥‥ですが、そのぶん、「Appleとしては」購入しやすい価格となっています。2KのRetina、1080p30fpsのビデオ、スローモーションは120fps、Touch IDのボタン‥‥と、必要十分な性能です。

 

2台目、3台目のiPadにはぴったりな製品ですネ。

 

 

* * *

 

 

iPad Proで原画を描くとき、私はiPadとFireを設定ビュワーとして使っていますが、設定ビュワーは最低でも2つは必要です。できれば3つあると便利です。内訳は「設定用に2つ、絵コンテ用に1つ」です。

 

全部をiPadで揃えるとお金がかかるので、昔使っていたiPad(iPad 2とか無印のminiとか)を使ったり、Fireの8インチモデルなどを買うと、安く環境を揃えられます。絵コンテを確認する用途だけに限るのなら、Fireの7インチでもなんとかいけます。設定閲覧用だとさすがに最低8インチの画面の大きさは必要でしょうネ。

 

「そんな‥‥いかにも贅沢な‥‥」と言われそうですが、実際、設定を見なければ原画は描けませんし、絵コンテも随時確認する必要があります。

 

せっかく、iPadに切り替えて、机が広く、クリーンに作業ができるようになったのに、設定や絵コンテは相変わらずの紙のまま‥‥では、台無しです。

 

絵コンテ&設定ビュワー、「大量にストックできる自分の資料棚」としても活用できる、iPadとFireは、制作環境の欠かせないアイテムです。指先で全ての操作を完結できるので、邪魔なキーボードを置く必要もありません。

 

 

「でも、iPadを買っても、打ち合わせでは紙のほうが便利だし、大量にストックできると言っても、実際に使うときは検索が面倒」と思う人もいましょう。

 

実は私も、環境を揃えるまではそう思ってました。絵コンテをPDFで読み込んでも、打ち合わせのメモを書き込めないんじゃ意味がないですし、作品のキャラ設定から美設から色見本から全部iPadに詰め込んでも、あまりにもページ数が多いと、見つけ出すのが大変ですよネ。

 

しかし、それは作業の準備を整える習慣を身につけていなかった‥‥からです。紙ではなく、オールデジタルで原画を描くときの準備‥‥です。

 

私のこの1年は、まさに、iPad原画の「実証運用」のような1年でした。事前にどんなに頭で考えても、実際に運用してみないと見えてこないことはたくさんあるものです。

 

私の実感として、以下のような作業前の準備が必要です。

 

  • PDFに直接書き込めるAppのインストール
  • 設定の抜粋とPDF化
  • クラウドの運用と端末間の相互通信

 

まず、打ち合わせ前に、絵コンテや設定をPDF化して、さらにPDFに直接手書きで書き込めるアプリもインストールして使えるようにしておきます。そうしないと、PDFを眺めるだけで、メモを書き込むことができません。なので、何らかの「PDFに書き込むことができるアプリ」を購入します。私は「MetaMoji Note」(1000円くらいだったような)を使っています。

 

打ち合わせが終わったら、自分の担当する箇所に必要な要素だけを抜粋して、作画作業集中用のPDFを作ります。macOSには「プレビュー」というソフトウェアがあって、簡単な操作で、ページの抜粋や削除ができます。自分の担当シーンに出てくるキャラや美術、小物(プロップ)、色見本、参考資料などを、1つのPDFにコンパクトなページ数でまとめます。

 

これをしておかないと、ページ数のあるPDFを延々とスワイプしたりいちいちインデックスを表示してページ移動しなければなりません。必要のないページは削除して、自分の作業に必要がある設定や資料を抜粋することで、格段に作業の煩わしさが減ります。‥‥もちろん、編集するのはコピーしたファイルを使い、オリジナルはとっておきます。

 

紙の作業でも、同じこと=ページの抜粋をしている人は多いかも知れませんネ。分厚い紙の束はなにかと、作業するには扱いにくいですもんネ。

 

そうして出来上がった自分用の設定書類PDFを、各iPadやFireに供給する必要があるのですが、いちいち、ケーブルで繋いでiTunes経由で送ってたら、まどろっこしくてお話になりません。面倒この上ないです。

 

iPadの場合、母艦のMacやiPad間で、自由に簡単な操作で、Air Dropにてファイルを受け渡しすることが可能です。もし、Air Dropだと自分の期待する動作にならない場合(=Procreateで開きたいのに、違うアプリが受け取ってしまう‥‥など)は、クラウドを使います。AmazonのFireにPDFを共有する際も、クラウド経由です。

 

もちろん、WiFiの環境は作業場に作っておきます。iPadやFireは「有線なんて知らん」という仕様なので、WiFiの環境は必須です。

 

 

‥‥とまあ、どんなに機器を揃えても、実際の運用のコツを掴まないと、紙と鉛筆がタブレットに変わっただけの環境止まりです。コンピュータ機器を導入して作業をおこなう醍醐味は、様々な要素がネットワークを通じてリンクしバインドすることですから、描く時だけ「デジタル」ではもったいないです。その昔、クジラを捕鯨して油だけ絞って他の部分は捨てていた西洋人のごとく‥‥です。「デジタル」を使うのなら、骨の髄までコンピュータをしゃぶり尽くしてこそ‥‥です。

 

ぶっちゃけ、今の私は、紙の現場の仕事でなければ、1枚も紙を使わずに作画の仕事ができます。iPad、Mac、サーバ、無線&有線ネットワークのWANとLAN、クラウド‥‥で、すべてカバーできます。

 

運用してみて初めて実感できることは多く、実感したからこそ思いつく新しい作業上のアイデアも出てきます。石橋を叩いたところで、どうにも判断できず、結局渡らず仕舞い‥‥よりも、まずは運用してみて‥‥ですネ。

 

 

 

でもねえ‥‥。iPadに変わっても、作画は大変な仕事‥‥だよね。しみじみ、思います。

 

来る日も来る日も、四六時中、iPadで作画して、疲労が溜まってくると、iPadのボタンすら押す気になれなくなるのは、自分ながら驚きました。「頼もしく見えたiPad ProとApple Pencilが、うんざり見える」と。

 

あと、忙しくて疲れてくると、恒例の「紙のくせ」がひょいと出てきます。新規レイヤーを作らずに、棚に紙を取ろうとして手を伸ばす‥‥とか、相変わらず、朝一番で作業するときに「スターン!」と作画机のライトのスイッチをONにしたり。

 

‥‥簡単には、紙の癖は抜けんですネ。

 


増やし過ぎ問題

ここ10年間のアニメ制作の傾向として、様々な要素について「増やし過ぎ」な問題を抱えていると感じています。もちろん、増やすのには理由があるのですが、その理由のほとんどは「今、足りないから」という場当たり的な判断に基づくものが多いように思います。

 

私が知る、ここ10〜20年で増えた要素は‥‥

 

1話あたりの原画マン

1話あたりの作画監督

線撮などのオフライン素材

セクション(工程)の数

撮影のスタッフ数

 

‥‥あたりです。それぞれ異なる理由がありますが、増えた事実に変わりありません。

 

1話あたりで十数人の作監がクレジットされる作品もあるなど、もはや「作画の監督」ではなく作業内容や発注の仕様(作監=作画の監督料がなんと1カット単価!?!?!)から鑑みて「原画修正」と役職名を変えた方が良いような状況です。普通、現場の単一セクションに監督職の人間が十数人もいる状況なんて、他には考えられないですもんね。十数人の作監が各々「作画の監督責任」を負えるとは到底思えないですが、そうしたことも含め、「増やし過ぎ問題」はアニメ業界のそこかしこにあるのでしょう。

 

 

しかし、根本的な原因を思索すると、現場に課せられた作業量=処理内容のオーバーフローやキャパオーバーが蔓延しているゆえだと感じます。

 

キャラが複雑で描くのに時間がかかれば、人ひとりあたりのこなせる量は減りますし、技術内容が難しくなって旧来のセクションでは処理できない内容が発生すれば、他の処理能力をもったグループに作業を委託することにもなるでしょう。そもそも制作本数が増えれば、全体的にスタッフ数が足りなくもなるでしょうし、仕事を掛け持して首が回らなくなるスタッフも増えるでしょう。

 

そして何よりもマズいのは、やることが増えて、人数が増えて、業界全体、会社全体、グループ全体、そして各スタッフが「儲かり過ぎてウハウハ」なのでは決してなく、むしろ絵に描いたような「レッドオーシャン」状態へと突入して、徐々に単価が下がる傾向が表れている‥‥ということです。

 

もちろん、会社にブランドがあって、増えた中から条件の良い選択することで有利に制作を進めることができる場合もあるでしょうが、大半は「増やし過ぎたことで結果的に苦しんでいる」事例の方が多いんじゃないでしょうか。

 

アニメ業界の知人たちに聞く話は、「最近はとてもお金の面で楽になった」とか「良い仕事が増えて景気が良いねえ」ではなく、「仕事量は増えてるのに稼げなくて、どんどんキツくなる一方だ」なんていう話ばかりです。

 

 

それにもっと深刻なのは、増えた人間の未来です。

 

例えば、撮影工程で手が足りなくて、数年の短いスパンで増やしていって、あれよあれよという間に今は10人20人の大所帯だ‥‥となった時に、その大所帯を構成するスタッフは、未来、全員が撮影監督になるのでしょうか。明らかに人員の構成がおかしくなりますよネ。撮影監督になった後はどうするのでしょうか?

 

技術の層が厚くなければオーダーに応えることが中々難しいアニメ制作の性質を鑑みた場合、60,50,40,30,20代の人間が適度に分散して人員が配置されるのが理想だと思いますが、アニメの制作本数バブルの時に、むやみに人を増やして、特定の年齢層だけが過多になって、その反動で特定の年齢層以下の需要が極端に減る‥‥なんていうことも起こり得ます。

 

加えて現在は、以前よりも「キャラが描ければ良い」という風潮が強いので、年齢層だけでなく技術内容も、かなり偏った編成になる可能性はあります。今のキャラの流行りが下火になって、様々な絵柄に対応しなければならなくなった時に、まさか40代でパースや平面構成を習得するわけにもいきますまい。吸収の効率が落ちたアラウンド40〜50になって初めて基礎的な技術に目覚めるのでは、正直、遅すぎます。

 

業界バブルの時に増やした人材は過多だから減らして‥‥なんて、人を雇った後では、中々都合よくいかんでしょう。

 

何だかベビーブームのような話、バブルとロスジェネみたいな話ですネ。

 

 

さらに深刻なのは、増えて重くて身動きがとれなくなった現場は、技術開発にコストを回せず技術的進化が停滞するようになり、技術的な個性=アドバンテージやブランドを損失し、競争力を削がれていくことです。どんなに仕事が多くても、同じことを繰り替すばかりで、未来の進展や展望が全く見えない‥‥という、極めて辛辣な状態に陥ります。

 

実はこの構造は2008年くらいの頃には既に見えていた事です。ゆえに、危機感を感じた人々は、それぞれ、未来の危機に備えて、着々と準備してきたのです。やりかたは人それぞれですが、風船が膨らみ続けることがないのを悟って、様々に行動してきたのを、私はいくつも垣間見ています。

 

一方、「頑張り続ければ、いつかきっと、報われる日が来る」と根拠のない希望を胸に抱き続けてきた人は、今の状況をなんとするのでしょう。夢を打ち壊すような話ですが、「報われる要素や条件が存在したときに、報われる可能性が高まる」のであって、何でもかんでも一生懸命やってれば、無条件に救われたり報われたりするわけではないのです。

 

「でも、いつか挽回できる日がきっと来る」と思いたい‥‥かも知れませんが、それは過去の数百年の歴史から見て、難しいと言わざる得ません。

 

挽回する日などやってきません。「挽回」という考え方自体が負けています。挽回はなく、新しい技術や勢力が台頭して、塗り変わっていくだけです。もしあったとしても「リバイバル」「リメーク」「メモリアル」という位置付けです。青梅街道や甲州街道を走るのは自動車やバイクであって、馬車が青梅街道を走る日は、何かのイベントでもない限り、2度とこないでしょう。

 

「挽回」ではなく、人や技術の層をどんどん年輪のように「積み重ね」ていくことが重要です。自分の中に「鉄板の技術」を作るのは良い事でしょうが、「鉄板の技術」で停滞してこだわり続けては、生き抜いていけないのです。技術は追加し更新し続けねばなりません。時代性とともに歩む職業は特に‥‥です。

 

 

増やすことも時には必要となりましょう。しかし、「一時的な今」を支えるために、増やしすぎるのは、とても危険。

 

特に人間に至っては、新しい人材が、今を支える人材と合わせて「極めて有効に未来を形成」していくように、人材を採用する側にも高い能力が求められます。

 

人材や機材や場所を増やす時に、あらかじめ、どのようなロードマップを見据えているかが、とても重要です。

 

 

「そんなに、キワキワかなあ‥‥。ほかの職業って、そんなにシビアに人材を採用していないように思うんだけど。 結構、いきあたりばったりで、人手が足りないから増やしてるだけなんじゃん?」と言う人もおりましょう。しかし、アニメ制作という職種は、技術的にかなり特殊でシビア、しかも時代性の影響を運命付けられてもいます。都合の良い時だけ「アニメ制作は高い才能を要求される特殊な職業で」と言い、都合の悪い時は「他の一般的な職業と等しく」と引き合いに出すのは、あまりにも整合性を欠き、ゆえにアニメ業界の「貧困」の原因になっているとも思います。

 

 

アニメを作ってお金を稼ぐ‥‥って、そうとうシビアでキワキワでキツいことだと思います。なのに、足りないから増やす‥‥だなんて誰でも考えつくような運営方針で、肥大化の一途を辿っていたら、そのうちに抱えきれなくなって倒れるのは、‥‥‥必然ですよネ。

 

ここ10年で業界入りした人間は、未だ、「仕事が減る」という体験をしていないと思われますから、「仕事が今のようにずっと有り続ける」という想定でものごとを考えがち‥‥だとすれば、相当、危険です。仕事なんて、増えたり、減ったりです。そして「永遠の流行」というものも存在しません。必ず、今の流行りは衰退し(=過去のものとなり)、仕事の量にも大きな波があります。アニメ業界の難しいところは、世間の不況や好景気と時間軸が一致しないところで、世間が不景気だと騒いでいる時には仕事があるのに、世間の景気が上向いてきた時には業界全体の仕事の量が減るようなこともあります。私が「インサイダー」として知る業界の30年間だけで見ても‥‥です。

 

そんな中、こと、人材においては、足りないから増やす、余ったから減らす‥‥なんてことが簡単にできるわけじゃないですもんネ。

 

その昔、今は現場から消えたプロデューサーが「生活がかかっているスタッフは使いたくない」と言っていたことを思い出しますが、仕事に生活をかけていない人間なんて、どれだけいる? 普通、みな仕事で生活を維持しているでしょ? まるで無報酬の趣味のように仕事をする人間なんて、ほぼ皆無ですよね。

*そのプロデューサーの言わんとしたい意味はわからなくもないですが(些細な仕事1つ1つに生活の重荷をふっかけられるのが面倒だ)、それはそのプロデューサーが単価で仕事をする人々の痛みを全く考慮できていない証でもあります。「仕事に生活をかけてくる人間はいやだ」というのなら、まず、そのプロデューサー自身が体現してみせるべきでしょうね。生身の人間に作業を発注する際に、まるで自動販売機で缶コーヒーを買うがごとくの振る舞いゆえに、そのプロデューサーはやがて現場からフェードアウトしていきました。ドライな関係を求めるのは、いつも「使い捨て気分満々の人間側」だけです。作品制作は、どうしたって、ウェットでドロドロするものですから、そのドロドロをあえて引き受けてこそ‥‥です。

 

つまり、人材を引き入れる時は、その人間の生活の重さも引き入れるということです。むしろ、その重さを作業グループの技術発展に活用すべきなのです。飛行機のエンジンはとても重いですが、そのぶん、空を飛ぶパワーを発生させるのです。

 

 

実は私、人を増やしたくてウズウズしているのですが、それは決して今の人手が足りないからではなく、「誰も所有していない未開拓の土地に先制して進駐して領土化し、そこに新たな生存権を獲得する」ための兵士や開拓民が必要だからです。とてもキナ臭いのです。周囲の今までの状況や経緯を鑑み、然るべき人材を然るべきタイミングで、2020年代以降の新しい制作技術集団の層を形成していきたいと思っています。「作画何名、撮影何名」といったレッドオーシャン型の人材募集ではなく‥‥です。

 

 

「増やす」という行為に対して、どのような理念をもっているか。

 

それによって、人の幸不幸は長いスパンで左右されていくのだと思っております。

 

 


ドイツ製

前回、日本人には滅びの哲学めいた性質があって‥‥とは書きましたが、その「最後の最後まで粘りきる」性質が、良いベクトルに向いた時は、日本人の類い稀なる強さとなる‥‥のも重々承知しています。

 

最後の最後まで粘る性質が、「無理心中」に繋がってしまうことを明確に避け、「活路を見出す」ベクトルに向くようにするのが、日本人としての「自分活用法」だと思います。日本のネバリ強さはハンパないがゆえに、本国アメリカでは下火になった「セルアニメ」の技術をここまで進化させたわけですが、フェイズが移り変わって、アニメ技術を支える制作システムや経済に綻びが見えた時に、「技術と共に心中する」意識に傾くのは、何としても避けねばならんと思うわけです。

 

実際、私は日本製(=日本で設計され生産品質を管理された製品)に大きな信頼を寄せていますが、やっぱり、日本製品の品質の高さは、日本人の性質があってこその製品だと思います。「今、手を抜いたって、誰も見てねーし」とか「そんなの解りゃしないって」なんて国民性が主であれば、「こんな部分まで、よくもまあ、作り込むよね」なんて製品は作り出せないでしょ。

 

とことんこだわってしまう国民性は、若いお母さんの手作りお弁当にも具現化しているわけで、「状況はどうであれ、自分はここまでやりきる」という意識が、良い方にも(綺麗でかわいいお弁当)、時には悪い方にも(自爆攻撃の立案)、作用するのでしょうネ。

 

 

私が信頼している、もう一つは「ドイツ製品」です。

 

最近、6千円台のブラウンとしては普及価格帯のシェーバーを買って、ショックを受けました。‥‥ちなみに、なぜ買ったか‥‥というと、あまりにも忙しくて、ヒゲを剃る心の余裕もなく、かと言って、ヒゲを剃らないと民話の挿絵のような「山の木こり」みたいになるから‥‥です。

 

私が買ったのは、3080のシルバー。

 

 

 

剃り終えてみて、率直な感想は、「相当剃れる」な‥‥と。‥‥あの、昔からのCMは伊達じゃないな‥‥と。

 

私が使っていたのは、4千円くらいの日本製のシェーバーでしたが、新品の時から剃り心地がイマイチで、「電気シェーバーなんて、こんなもんだよな。やっぱり、ジレットかシックの5枚刃でないと。」‥‥と、ずっと思い込んでおりました。剃った後の肌を手でさすると、ザザっとした感触が残り、深剃りができないのが電気シェーバーだと思っておったのです。

 

しかし、この普及価格帯のブラウンは、その私の思い込みを完全に取り払ってしまいました。剃った後の肌は、ザリザリ感がなくスベスベしており、アフターシェーブローションでケアすると、まるで風呂上がりのように馴染みます。

 

うーん。今までの人生をちょっと無駄に過ごしてきた感。

 

シェービングがこんなに楽になるなら、買っておけばよかった。自分のリアルな時間はお金に変えられないですからネ‥‥。

 

 

ブラウンの3080は、最初のひと剃りでジレットのように剃れるわけではなく、徐々に剃れていく「電気シェーバー」にありがちな平凡な印象でしたが、剃るうちに、普通だったら手で触った時に感じるザリザリ感が消えていき、やがてスベッとした肌の感触になりました。

 

私の父はヒゲが硬く、私もその性質を受け継いでおり、「電気カミソリでまともに剃れた事はない」というのが認識でした。しかし、3080は最終的には、T字のカミソリで剃ったかのように、硬いヒゲを剃り切ったんですよねえ‥‥。

 

 

電気カミソリでも、剃れる製品はあるもんですね‥‥。今まで、全く期待していなかったので、驚きと共に、自分の固定概念の頑固さを思い知りました。

 

 

ちなみに、私は自宅では「アウスレーゼ・トロッケン」を愛用しているのですが(業務用のボトルで買うほどです)、これまた試しに、理髪店で昔から目にしていた「MG5」を買ってみました。これは単に、他の製品より安価だったからです。

 

で、MG5も良かったです。ロングランの理由がなんとなくわかりました。効能的に、必要十分ですよネ。そして、とにかく安い。シェーブローションとか396円(アマゾンで)ですもん。

 

 

実は、電気ハブラシも、数ヶ月前にブラウンのを買って、製品の性能の大きな違いを痛感しており、そうした「伏線」もあって、ブラウンのシェーバーも買ってみたのです。

 

うーむ。

 

ブラウンは電気シェーバーの有名どころ。‥‥なのになぜ、私はその有名どころを、まずは買って、試してみなかったのだろうか。

 

まあ、高かった‥‥というのが、理由の1つではありますが、それにしても、「自分には電気シェーバーは向いてない」という思い込みが強かったゆえ‥‥なのは否めません。

 

まだまだ、こういう「思い込みによる未体験、未確認、使う前からダメだと思うココロ」による色々なものが、自分にはたくさんあるのかも知れません‥‥ネ。

 

 


滅びの哲学

今から72年前の1945年の3月10日。爆弾(焼夷弾)をしこたま抱えた飛行機の大編隊が、日本人をひとりでも多く殺す目的で、空の向こうからやって来て、東京を火の海にして去っていきました。私の母の一家は、1944年当時、高円寺に居を構えており、母は幼いながら、空襲で真っ赤になった夜空を見た‥‥と記憶しているようですが、なにぶん幼かったので、1945年の3月は既に疎開して地方都市の空襲を見たのか、まだ疎開しておらずに東京の空襲を見たのかは、確かな記憶はない‥‥とのことです。

 

よくよく想像してみると、「空の向こうから、自分たちを殺す目的で、爆弾を抱えて飛行機がやってくる」って、スゴいこと‥‥ですよネ。

 

しかし、近代戦争だけが残酷なわけではありません。NHK大河で度々取り上げられる安土桃山の戦国時代だって、かなり、エグいです。

 

甲冑武者や日本刀を見ると、これらの道具が、どれだけの人間の血肉を切り刻んだのか、戦場を駆け巡る武者たちの残忍な姿を想像せずにはいられません。

 

戦車や戦闘機をかっこいいというのは不謹慎で、鎧の戦国武者をかっこいいというのは日本情緒があってOK‥‥という感覚は、私は全く同調できません。現代も近代も中世も、どの兵器も等しく、残酷なものでしょう。流鏑馬を見て、「日本の武士はいいわね〜」なんて言うひともいるでしょうが、戦場だったら、的はモロに生身の人間ですからネ。

 

しかし、武器は、敵を打ち倒して自分は勝ち残るという、闘争本能の権化であるからこそ、おしなべて、冷酷な機能美を体現している‥‥とも思います。

 

 

 

‥‥‥あ、のっけから脱線した。

 

今回書こうと思い立ったのは、全然別のベクトルの話題です。

 

日本人には、「ダメだとわかっていても、滅ぶ運命と共に、殉死する性質」があるのだろうか?‥‥という話です。

 

 

1945年3月10日に、東京をあれだけ焼け野原にされても、すぐには戦争をやめられなかったし、もっと酷いことになるであろう本土決戦の準備を着々と進めていた当時の日本人たち。

 

「状況が酷い事はわかっているし、劣勢なのもわかりきっている」のに、方針を転換できなかったどころか、より一層、まるで無理心中のその瞬間まで戦い続けるんだという狂気が、ごく普通に毎日の生活の中に浸透していたであろう、1945年の日本。一般の人々は虚偽の情報に欺かれていた‥‥とは言いますが、一夜にして東京が焼け野原になって、なぜ情報のウソに気づけなかったのか。

 

日本人には何か、「たとえダメだとわかっていても、最後までやり通すんだ」という「滅びの美学」のようなものが、ず〜〜〜っと心の奥底に存在し続けている‥‥のでしょうかね?

 

軍国教育、軍国社会の強い影響下に、日本人は洗脳されていた‥‥というのは、果たして正解でしょうか。

 

 

私は、現代の日本社会を見ていると、決して軍国教育だけが1945年までの日本人の行動指針を決定づけていたとは思えません。

 

そもそも、日本人には、土地と共に生き、土地と共に死ぬ‥‥という土着の精神が深く根付いているのではないでしょうかネ。

 

そして現代社会においては、その「土地」が、ひと昔前は「会社」や「組織」であったり、アニメ制作の場合は「アニメ業界」であったりするだけ‥‥だと感じます。

 

 

動画単価は一時期200円台まで上がっていて、私が新人の頃(1980年代後半)の2倍までにはかろうじてなった‥‥という認識でいました。‥‥なので、人から話を聞くまで、再度200円を下回った単価(190円とか)が存在するなんて、夢にも思いませんでした。仕上げだと160円とか。‥‥正直、耳を疑いました。

 

なんで、単価が下がってんの?

 

だってさ、昔より遥かにキツくなっているんですよ。動画の品質要求は。

 

明らかに破綻していますよネ。確実に破滅の道を進んでいますよネ。単価は上がりこそすれ、決して下がってはいけないと思うのに、内容の高い要求水準に反して、単価が下がっていく状況は、まさに業界の「終わりの象徴」とすら感じます。

 

動画の人が6万円でキツくて辞めた‥‥という話題がちょっと前にツイッターで話題になりましたが、それはその動画の人が所属していた会社云々の問題ではなく、業界全体の問題です。

 

 

東京は大空襲で焼け野原になったけど、日本が負けたわけじゃない。

 

 

‥‥これと同じことを、アニメ業界は繰り返そうとしているだと思います。

 

東京が大空襲で焼け野原になった時点で、日本は気付くべきだったのです。そうすれば、私の祖父もカンギポット山で終戦1ヶ月前間際に死ぬこともなかったのです。

 

核爆弾を2発、大都市に投下されて、ようやく、「もうそろそろ終わりにしないとヤバい」と動き出すのは遅すぎた‥‥と思うのです。

 

 

大東亜戦争の子や孫たちは、同じ構造の「滅びの哲学」を、あいも変わらずに「同トレス」しようとしている‥‥のでしょうか。

 

 

 

既に死んでしまった監督演出のわたなべぢゅんいちさんが、その昔、私が20代前半の若い頃に教えてくれた日本のポップスで、前にも紹介した「夏への扉」の一節が思い起こされます。

 

 

あきらめてしまうには まだはやすぎる

 

扉の鍵を みつけよう

 

 

 

 

みなさんは、「扉の鍵」をみつけようとしていますか。

 

扉から外に出て、生きるか死ぬかも判らないのなら、いっそ、馴染み深いこの部屋の中で死ぬんだ‥‥とばかりに、未来を閉ざされた部屋に閉じこもり続けて、何になりましょう。今、生きているのに、今、死ぬことを決めちゃうんですか?

 

負けは負けと早々に認めて、今まで積み上げたプライドなんか捨ててしまって、まるで幼子のころに戻って、新しい道を模索すればいいのです。

 

私は全然、1%足りとも、未来を諦めてはおりません。

 

 



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