一般道にて

プロの絵描き・アニメーターって、当人の描いた絵が「価格」で取引される状況に身を置く人‥‥ですよネ。アマチュアとの大きな違いは、ソコです。

 

自分の存在の是非を投影した、結果物としての絵が、リアルな価格で取引されるのは、そりゃあ、辛辣な状態と言えます。しかし、そうした辛辣さを引き受けて、毎日生きているのが、プロとして絵を描く人です。

 

監督・演出・作画・彩色・美術・撮影・3DCGと、実際に絵に関わる人に加えてプロデューサーは、絵の内容に言及することが許されます。なんらかの規定があるわけでなく、「自分の才能を値段で取引している人間」たちの「暗黙の掟」です。

 

みな、表向きは優しい人が多いですけど、その「内面」は厳しいのです。

 

でも厳しくて当然なんですよ。自分の担当する箇所の絵・映像の表現品質イコール自分の存在意義なのですから、ふわっとしたスタンスで立ち入って欲しくないと思うのは当然です。

 

ラッシュチェックは、ビデオ鑑賞会ではないですもんネ。

 

自分の能力をお金に晒す毎日だからこそ、スタッフはお互いにシンパシーを感じるのです。

 

 

 

私がアニメーターの自主制作を、このブログで推しているのは、プロの辛辣な基準に慣れた人間たちが、あえてアマチュア的経路で突破口を開くことにあります。

 

決して、アマチュア時代のユルいプレッシャーに戻ることを意味しているわけではないです。

 

プロで食ってきた経験を持つ人なら、自分の能力の低さを晒して、素人芸でウケを狙うのは、プライドが許さないでしょう。最低限の自分なりの品質基準があります。

 

一方で、プロは商業作品の中でしか、絵を作りません。「もっと違う映像を作ってみたい」と思っても、チャンスなどほぼ皆無です。

 

プロのアニメ映像制作者は、もっと違うエリアにも、自分の能力を拡張して出力しても良いと思うのです。その出力の道筋が、今や何種も存在するアマチュア的経路です。昨今のネットワーク社会において、万人に解放されたフィールドを活用するわけです。

 

一般道路だろうが、レースなら「全開」で走り抜けるでしょう?

 

 

 

 

とは言え、簡単にできることではないです。アニメは1カット作るのも、プロの基準前提ならば、すご〜〜〜〜く大変ですもんネ。

 

iPadだけではアニメを作るのはなかなか難しいです。PC/Macも合わせて、苦労して作った様々な素材をコンポジットしてファイナルテイクをレンダリングして、ようやく1カットです。

 

でも、1カットを作るだけでも、商業作品の原画作業の何十倍も新しい知識と経験が得られます。

 

 

 

30年前と、大きく違うのは何か。

 

自分のバッグの中にはiPadがあり、自分の家にはパソコンがあり、数限りない画材と、自分だけの撮影台も現像所も導入できることです。そして、今までとは違うパブリッシュ、ブロードキャストが可能です。そのあまりにも大きな違いを、利用せずにいるのは、もったいないですよね。

 

しかも、アマチュアにはない利点を、プロの厳しい基準と経験と知識を、アニメーターをはじめとしたアニメ制作スタッフは有しています。

 

プロだからって、既存の商業の型にハマりきる必要はないです。

 

2020年代こそ、プロのアニメ制作者がThink Differentする番です。

 

 

 

 


ぽてさら。手作り。

ポテサラの話題、まだ伸びてるんスね。その伸び加減に、日本の社会を見る思いです。

 

ポテトサラダは、私の好みで言えば、市販のお惣菜より、自分流に作ったほうが好きです。市販のお惣菜は、一般的に、味がくどいものが多いように感じます。

 

理屈は知らないんですけど、作りたてのシンプルなポテサラは、時間が経ったものより美味しい気がします。ちょっとまだほんのり温かいくらいのが。

 

ぶっちゃけ、芋を茹でて、熱いうちに皮をむいて、塩コショーとマヨネーズだけで和えるのでも、十分美味しいです。コクを出したければ、塩辛をちょっとのせて‥‥って、それ、酒のつまみじゃんか。

 

伊豆の、塩しか使っていない、昔ながらのかつおの塩辛があれば(普通ないですけど)、最高です。

*伊豆には、直販店に塩辛だけでも買いにいきたい。クール便の高い送料を払うくらいなら、観光もかねて‥‥って、今は微妙かあ‥‥‥。

 

 

 

きゅうりとか、たまねぎとか、コーンとか、場合によってマカロニとか、いろいろ混ぜ込むこともあるでしょう。具材はあれこれバリエーションはあれど、やっぱり味付けが、万人向けの最大公約数(=ゆえに味がくどい)か、自分の好みのピンポイントかの差が、大きいと思います。

 

「ポテトサラダは手間がかかって時間もかかるから、スーパーのお惣菜で済ませて、空いた時間を子供と遊んだほうが良い」‥‥みたいなツイートも見かけましたけど、いやいや、我が家のポテトサラダの味も大切ですよ。反動で、別方向の極論に走らないようにしないと。

 

味の記憶は独特なので、他に変わるものはないです。

 

栄養分さえバランスが取れてれば、なんでも良いわけじゃないですよネ。

 

味は記憶となり、当人の忘れ得ぬ思い出になることもあります。子供の時に食べて、美味しいと思った記憶は、大人になっても忘れないものです。

 

そして味は、全てが手の込んだ仕込みが必須ではなく、シンプルな調理でも抜群に美味いこともあります。

 

シンプルゆえに、作ってから2〜3時間で食べちゃわないと風味が落ちるような味付けは、スーパーのお惣菜では難しいでしょうから、まさに家庭の味の独壇場です。

 

ポテサラではないですが、私はコロナ期間中に「寒天プリン」のレシピを確立して(ゼラチンが入手困難でしたので)、口溶けプリンをコンスタントに作れるようになりました。ただ、コンディションがデリケート過ぎて、家の外には持ち出せず、誰にも食べてもらえません。わたし的に、すごい自信作なんですけどネ‥‥。

 

もしお子様がいたら、一緒に食べられますよネ。そういう体験は、一緒に遊ぶだけじゃなくて、お子さんが大きく成長して大人になっても、かけがえのない「味覚の記憶」になりましょう。

 

 

 

ブログ書いてて思い出した。

 

寒天プリンが自分でも驚くほどにうまく作れたので、今度は「茶碗蒸しもどき」を作ろうと思ってました。もちろん、寒天なので、冷製です。ちょっと応用すれば、卵豆腐もどきも作れるはず。

 

卵成分に対しては、湯煎なしのお手軽な非加熱調理なので、配合さえうまくできれば、失敗しないですネ。‥‥問題は、卵の生臭さをどう消すか‥‥ですね。まさか、バニラエッセンスというわけにもいかんし、生姜でも隠し味で入れれば良いかな。

 

その昔に、「どんぶりいっぱいの巨大茶碗蒸し」を作ろうとして、「中心までの火を通す」ことを甘く見ていたがゆえに、ものすごく時間がかかったのを思い出します。加えて本式は、鬆(す)が入らないように加熱温度の管理などがデリケートですが、寒天なら大容量でも大丈夫です。

 

ちなみに、寒天の口溶けを実現するのは、粉末寒天の配合量です。「みつまめ」に入っている寒天の「2倍の水分量」にすると、相応にユルくなりながらも、冷蔵庫でちゃんと固まりますので、じゅれれと口の中で崩れる口溶けが実現できます。「寒天プリン」は、いわば「ミルクセーキの寒天ゼリー」のような状態です。ナマものなので、2〜3日くらいが限度で、日持ちしないのが弱点です。

 

「カスタードプリンくらい作ったらどうだ」‥‥いやいや、ないないない。何回か作った事あるから、大変なの解ってるし。よほどの料理好きでもない限り、卵から作る焼きプリンは作らないよね。

 

 

 

味の記憶に、貴賎なし。

 

スーパーのお惣菜でも、我が家だけのオリジナルの味も、レストランも、祭りの縁日屋台も、美味しかった記憶は、子供の頃から、脳に焼きついていくんでしょうネ。

 

 

 


ぽてさら。ほとけき。

ツイッターでポテトサラダの話題を見て、まあ、昭和の爺さんならありそうなエピソードだな‥‥と思いました。

 

以下、ツイッターより。

 

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。 私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。

 

 

これに反応したみなさんもツイートしてますが、ポテトサラダって大変だよネ。私はじゃがいもでニョッキを作りますが、具材の多さ(=準備・下ごしらえの多さ)ゆえにニョッキより手間がかかりますわな。マカロニまで入れたら(普通は入ってないけど)、どんだけ下準備に時間がかかんのよ‥‥と思います。

 

私の父もそうなんですが、「女は料理ができて当たり前」と考える昭和男は、まだまだ世間には生息してます。じゃあ、昭和男が「男なり」に本棚とか椅子などの木工品や、壊れた家電の修理ができるかと言えば、全然ダメダメだったりします。

 

私は両親が共働きだったので、小さい頃からおやつは自分で作ってました。男の子でしたが、家庭科で料理を習う前から料理をしていたので、料理の奥深さ・大変さは知っており、一方で、自分でまともに作れもしないのに家庭料理の味のことを批評する大人の男には嫌悪感を感じていました。

 

料理を作らない人ほど、料理の評論家気取り‥‥なんてことはありますよネ。

 

ポテトサラダは作るのが大変だし、日頃は市販のお惣菜をあれこれ買って食べてみることで、自分で作る時の参考にもなります。作りたてのポテトサラダが食べたい!って思うときに作れば良いのです。

 

 

 

自分で料理‥‥と言えば。

 

コロナの影響で一時期にホットケーキミックスが入手困難になってましたよネ。

 

なので、色々と試してみて、小麦粉からホットケーキミックスを調合して焼く方法を模索してました。

 

最終的な粘度とか、重曹の分量とか、いくらでも配合のバリエーションが生まれます。

 

最近作ってみて、わたし的に「美味しい」と思えたのは、薄力粉だけでなく、強力粉を混ぜる方法です。実はアドリブで強力粉を混ぜてみたのです。「もしかしたら、モチモチ食感になるかも」と考えて。

 

強力粉4:薄力粉6くらいの割合で、砂糖はそれなり沢山、微量の塩、卵はやや多め、重曹は少なめ、牛乳、レンジで溶かしたバター入りマーガリン、バニラエッセンスを、やや緩めの粘度になるように配合して混ぜて、あとはテフロンのフライパンで焼くだけです。テフロンなら超簡単に失敗なく焼けますよネ。

 

強力粉なので、固まりやすく、ホットケーキのネタの粘度にするには、薄力粉オンリーの時に比べて、水分量(牛乳や卵の量)が多くなります。でもそれが、しっとりと焼き上がる理由の1つでしょうネ。

 

火の通りも良いので、どんどん焼けます。

 

仕上がりは、一般的なホットケーキとクレープのあいのこのような、不思議な感じです。昔懐かしいIHOPのパンケーキにちょっと似てます。

 

やばい。段取りを書いてたら、食べたくなってきた。

 

 

 

ポテサラのエピソードに話を戻して。

 

私は、爺さんが、なぜわざわざそんな「憎まれ口」を叩いたのかも、気になります。

 

もしかしたら、爺さんの奥さん、または母親が、過去、美味しいポテサラを作っていたのかも‥‥と想像しちゃいます。日頃、映像作品を作ってるんで、ストーリーの伏線を妄想します。

 

だとすれば、切ないよねえ‥‥‥。

 

まあ、あくまで想像、妄想です。単に性格の悪いジジイなだけかも知れんし。(でも、なぜ性格が悪くなったのかを考えるのも、お話作りの要点ですね‥‥って、職業病が抜けないなあ)

 

 

 

人生は悲しい。されど、美しい。‥‥であれば、良いですネ。

 

 


例の頭領

ブラジルの大統領が「コロナはただの風邪」とか言いつつ、コロナで陽性になったのは、ぶっちゃけ、多くの人が「ばちがあたった」と感じたんじゃないでしょうか。「ただの風邪なら、風邪薬で治せ」みたいな文言を、ツイッターで数多く見かけました。

 

そう言えば、その昔、84年のアルカトラスのライブで、イングヴェイがショーとしてストラト(ギター)をぶっ壊したんですが、その後にアンプから音が出なくなって演奏が続行できなくなったのをVHSビデオで見て、しみじみ「ギターを壊した、ばちがあたったんだな」と思ったものです。☺

 

 

 

ブラジルの大統領は、症状も軽くおさまったようで、薬を飲んでニッコリしている画像が公開されていました。

 

それを見て、なぜこの人が大統領になれたのか、なんとなくわかった気がしました。

 

端的に言えば、堪えないヒト‥‥なんでしょうね。

 

かなりの事があっても堪えない、強運とタフさが、人心を引き寄せているのかな‥‥と、ふと感じたのです。

 

単にアウトサイダー視点の印象でしかないですが。

 

 

 

昔、「俺はハマーだ」というアメリカのコミカルなドラマがありました。

 

主人公のハマーは、すぐに愛用の44マグナム(愛称はマギー)をぶっ放す、問題アリアリの刑事で、シリーズ(第1シーズン)の最終話は核弾頭の処理に失敗して幕を閉じますが、その豪快さゆえに何とも愛すべきキャラで、東京12CHの放送を毎週欠かさず観ていました。‥‥で、第2シーズンでは、何もなかったように登場してました。

 

なんか‥‥そのハマー刑事のことを、大統領を見てて、思い出しました。

 

すみません。あくまで、個人の感想ですヨ。

 

 

 

モテる人って、必ずしも、善良で気がきいて謙虚で心遣いができる人だけではないですよネ。

 

まあ、他国の頭領だから、こうして傍観できるのではありますが、なかなか、人間というのは興味深いものです。

 

 

 

当の大統領は、さっそく回復して、さらに自信を深めた様子。

 

ハマー刑事のマギーが、今まで以上に、南米でぶっ放しまくりで、さて‥‥これからどんなことになるのか。

 

コロナによる死者数は如何に‥‥。

 

毎週3万人が死んでいく現在の異常な状況の中、南米の死者の割合も多いです。

 

現実は、ドラマやコミックやゲームとは違います。巻き戻しもリセットもないです。このまま、死者を増やし続けて、どのような顛末となるか、太平洋を隔てた極東の地から見守ることにします。

 

 

 


大判。その3。

ひとくちに大判カットと言っても、色々です。カメラフレームが1.5Kだと、横10フレームでも15Kのサイズで収まり、ほとんどエフェクトを加えない条件なら、コンポジットできないでもないです。気安く「できる」と言うと、後で面倒なことになりますから、「ほどほどに」と日頃からアナウンスするのが良いですけどネ。

 

しかし、たとえ3フレームのPANでも、場合によっては、9フレーム分の負荷がかかるケースがあります。

 

斜めのPANです。

 

 

 

斜めにカメラを振る場合は、かなりのピクセル数になります。

 

同じ3フレームのPANでも、横や縦と比べて、メモリの消費量が違います。

 

その理由は簡単です。

 

例えば、下図の斜めPANは、9フレーム分の負荷がかかります。カメラワーク的には3フレーム分の斜めPANですが、キャンバスサイズは9フレーム分になります。

 

 

 

斜めにカメラを振ると、灰色の部分の余白面積がスゴいですよネ。まさにメモリ消費量が増える直接原因です。

 

右上と左下の三角の余白部分だけは計算から除外したい‥‥というのは、少なくともAfter Effectsでは無理なのです。

 

キャンバスサイズもれなく計算対象になります。カメラに写らない部分も、一生懸命、After Effectsは計算します。

 

どうしても何とか低容量に抑えたい場合は、斜めに組む手もありますが、それは最後の手段にとっておきましょう。煩わしさがハンパないので。

 

 

 

何フレーム分のPANか‥‥だけでなく、どのような軌道を描くかも、重要なのです。

 

私はレイアウト作業をする際に、絶えずピクセル寸法を気にかけますが、横や縦のフレームではなく、全体の面積で測ります。

 

エフェクトをかける際に、全体に適用しなければズレてしまうような場合と、カメラワーク後の標準フレームで切り取った後でも大丈夫な場合と、条件・状況は様々です。

 

やはり、できるだけコンパクトに抑えておくのが、良いのです。野放図にデカいレイアウトはいくらでも作れますが、そこはそれ、知恵と工夫を最大限に働かせて、無闇な大判は回避するのが腕の見せ所です。

 

 

 

とは言え、な‥‥。

 

こうした、コンポジットに関係するレイアウト作業時の知識は、撮影スタッフ・コンポジターが知っているだけでは、一向にアニメーターにフィードバックされません。撮影スタッフはレイアウトを描かないので、レイアウトに反映されないのは当然です。

 

一方、アニメーターはコンポジット作業をおこないません。ゆえに、いつまでたっても、「レイアウト時にコンポジットの計画を盛り込む」ことができません。

 

変な言い方ですが、撮影スタッフとアニメーターがかなり仲が良くないと、情報は循環しないですよネ。それこそ、同室で作業するくらいでないと、お互いがお互いを文字通り「門外漢」としか認識できないのです。

 

70年代に基本形がほぼ出来上がって深く浸透したテレビアニメ制作のセクショナリズムは、そうそう覆せません。逆に言えば、そのセクショナリズムがあるからこそ、サバサバと他人の関係で量産が可能だとも言えます。

 

実は、簡単には意思疎通できず、仲良くなれないメカニズムが、量産システムの中にはあるのですよネ。

 

実際、作画スタッフだけの懇親会とか、撮影スタッフだけの飲み会とかは多いですよネ。そんなところからも、現場の「覆せない空気」が読み取れましょう。

 

 

 

今は、自宅でアニメーターがゼロからフィニッシュまで映像を完成できるほど、コンピュータの能力は向上しています。

 

現場の雰囲気に任せていると、広範な映像制作全域の技術など獲得できませんが、コンピュータ自体は「いつでもどうぞ」と待っています。

 

今は「動くイラスト」という名目で、いくらでも自分の映像を全世界に向けて公開できますよネ。発表の場に困ることはないでしょう。

 

前世紀末、周囲がフィルムの永遠を信じて疑わない頃、ほんのひと握りのスタッフたちで「デジタルアニメーション」が始まったのを、私は渦中で経験しました。当時はアニメ業界全てがコンピュータによるコンポジットに染まるなんて考えもしませんでしたが、純粋にフィルムではできなかったことがやりたくて、のめり込んでいったのです。

 

それは今でも同じなんですよ。

 

iPadで絵を描いたら、ものすごく、手応えを感じた?

 

もしかしたら、たとえ1カットでも2カットでも、自分の思いのままの映像が作れるんじゃないかと、直感した?

 

‥‥だったら、その勢いでどんどん進みましょう。

 

いつの時代も、Think Differentですよ。

 

 

 


ぷりれん。

After Effectsのパペットツールは、数あるAfter Effectsのエフェクトの中でも重い部類に属します。画像サイズがデカくなると、特に重くなるようです。

 

なので、プリレンダリング。

 

動きを見極めたら、億劫がらずに、予めレンダリングして差し替えたほうが、劇的に速くなります。

 

内容によりけりではありますが、レンダリング8時間コースが1時間まで短縮できることも、ざらにあります。

 

 

 

プリレンダリングなんて、いつの話だよ。

 

‥‥と思う人も多いでしょう。最近はマシンが高性能化して久しいので、いわゆる「撮影」カテゴリの作業内容で、サイズが1.5Kくらいなら、プリレンダリングなどしなくても、十分高速にレンダリングして完了するでしょう。レンダリング時間が数分で終わるカットも多いですよネ。

 

しかし、After Effectsをアニメーション=動きの表現に用いて、かつ4Kだと、全く状況が変わります。

 

After Effectsって、まだまだ処理速度が速くならないとダメだな‥‥としみじみ実感します。20年前の速度に逆戻りです。

 

 

 

20年ちょい前は、64MBとか128MBとか言ってたメモリ。133MHzとか言ってたクロック周波数。

 

凝った内容をするには、プリレンダリングは必須でした。

 

ARMのMacって、どうなのかな。

 

未来のアニメ制作に使えるように、それなりに高速になってくれると良いなと期待します。

 

 


大判。その2。

大判作画は、2コマや3コマのシートの際に、フリッカー(ちらつき・がたつき)を生じることがありますが、その他にも大きな問題があります。

 

メモリです。

 

大判サイズは、コンポジット時のメモリ消費量がデカいのです。

 

今はまだ「夜明け前」でカメラフレーム(標準フレーム・100Fとも呼ぶ)が1.5K程度ですが、未来、4Kに準じて作ることになって、納品の条件が「ドットバイドット=アップコン不可」の場合、大判をホイホイ濫用すると、あっというまにメモリをオーバーフローします。

 

クイックTUやTBなんて安易に使えなくなります。

 

枚数稼ぎのクイックTB,TUをコンポジットするために大判を組んだら、逆にメモリが足りなくて頓挫した。‥‥なんてことも起こり得ます。

 

 

 

実写とアニメの4Kは違います。アニメの4Kはマシンパワーをたっぷり要求します。

 

たかだか、横2フレームPANしただけで、8000pxです。実写はどんなにカメラを振っても4Kのまま‥‥ですよネ。アニメはカメラを振れば振るほど、どんどんキツくなります。

 

メインメモリ64GB、ビデオメモリ16GBを積んだiMac Proでも、4Kフォーマットの大判相手では大火の消防車のごとく、徐々に鎮火させるのがやっとです。

 

 

 

ぶっちゃけ、何時間かかっても、レンダリングが成功すれば良いのです。GPUのメモリ不足でキャッシュを使って低速になろうが、レンダリングが最後までできればOK。見通しも立ちます。

 

メモリが根本的に足りなかったり、ソフトウェアの内部制限にひっかかって、レンダリングが不可能な場合は、コンポジションの設計を考え直し、最悪の場合は、レイアウトから構成をやり直す必要も出てきます。

エフェクトの中には、イメージバッファを広く取るものがあって、使うのを控えなければならないエフェクトもでてきます。

 

 

 

今までのサイズならまだなんとかなることもあるでしょう。マシンのメインメモリが16GBで、ビデオメモリ4〜8GBでも、乗り切れることも多いでしょう。

 

しかし、未来の納品条件に準じるなら、今までのマシンはまるっきり旧式になり、レンダリング自体が不可能です。

 

なので、設備・環境の近代化と合わせて、既に絵コンテを描く段階から、「コンポジット可能」な内容を計画しておく必要があります。フィルム時代だって、撮影不可能なカットは作りませんでしたよね? ‥‥それと全く同じです。

 

絵コンテ、そしてレイアウトで、メモリのオーバーフローを防ぐ内容を、巧妙に仕掛けることが必要です。

 

After Effectsの最大寸法は、縦横3万ピクセルとのことですが、実際は16ビットモードで計算したり、エフェクトをかけたりと、限界は1万ピクセルくらいと考えておいたほうが良いです。

 

つまり、2020年現在では、1万ピクセル内で抑えるレイアウトの工夫が必要です。もちろん、メモリ64GB、ビデオメモリ16GBのコンポジットマシンが前提です。マシンが非力な場合は、もっと限界を低く見積もる必要があります。

 

 

 

大判のレイアウトだからと言って、正直に大判で描いてたら、あっけなく破綻します。

 

計算したら、2万ピクセル必要だ‥‥としても、2万ピクセルで組むのは愚です。

 

素材サイズを5千〜1万ピクセル以下に抑え込む知恵と工夫を総動員するわけです。作画段階のレイアウト作業時に、カメラワークと素材サイズを分離して構成するのです。

 

After Effectsですと、コラップストランスフォームと3Dレイヤー機能を巧みに活用することで、元の解像度を保持したまま、カメラワークが可能です。ラスタライズしないまま、解像度がコンポジションを通過するようにして、レイヤーを構成します。

 

フィルム時代と違って、タップがなくても座標で位置合わせできますし、タップ穴が画面に写り込むこともないですから、無駄な余白は除去して作画します。タップ穴のために寸法を割くこと自体、NGになることもあります。

 

フィルム時代にはできなかった、あの手この手を用いることで、不可能に思えた2万ピクセル相当の巨大なコンポジションも、万を超えないサイズでレンダリング可能になります。‥‥まあ、大変なことには変わりないですが、レンダリング不能で破綻することはないです。

 

 

 

近い未来、コンポジションの限界やマシンの限界を知らずして、何の配慮もなく大判を組むことは難しくなると思います。

 

1.5Kの今だって、無闇な大判はNGですよネ。

 

キャンバスサイズの大判化を抑えて、軽量な構成にすることは、今でも有用・有効です。

 

フィルム時代のノウハウは活用可能なものも多いですが、一方で形骸化したものもあります。フィルム時代のノウハウは、継承するものを厳選すべし。何でもかんでも踏襲しないことが肝要です。

 

アニメーターが実際にコンポジションを組んで見れば、「やべえ‥‥自分の描いたレイアウトの構成って、こんなに重かったのか‥‥」と実感できるでしょう。もちろん、「意外にイケるやん」と手応えを感じることもあるでしょう。

 

アニメーターがコンポジションに対して知識を持つことは、未来を切り開くための、重要な鍵の1つに思えます。

 

 

 


大判。

大判でカメラワークがあって、3コマで動く以上は、どうやってもフリッカー(色々呼び名はありますが、本ブログではフリッカーで統一します)は発生します。なので、出来る限りセルを大判にしない工夫が、レイアウト作業時に求められます。

 

例えば、キャラクターが歩くのに合わせてカメラを追い写す(付けPAN・FollowPanと呼ばれます)のなら、大判で作画してカメラを振るより、スタンダードで作画してBGを目盛り引きしたほうが、フリッカーを抑制できます。

 

でも、足の接地面が見えている場合は?

 

その時はしょうがないので(=足が滑るのがイヤでしょうから)、大判で作画して、フリッカーを黙認する他ないです。

 

 

とは言え、上図のように盛大にガタついてるのは、できる限り黙認したくない‥‥ですよネ。

 

どんどん4Kテレビにリプレースされる未来に、このパタパタパタパタ‥‥という高速ガタつきは、目にキツいです。

 

スマホならともかく、24インチ以上の画面、今どきのテレビの大画面で見れば見るほど、生理的にキモチ悪くなる(ぴかちゅう現象に似た)ので、絵コンテの段階で接地面を画面外に逃すなど、工夫すべきでしょう。

 

接地面が見えてなければ、セルをカメラフレームに固定して、BGとBOOKだけスライドして、フリッカーを解消できます。

 

ラッシュチェックで「なんとかなんないの?」と言う演出さんもいますが、なんとかするなら、絵コンテの段階で、です。

 

 

 

私は作画もやりますが、コンポジットもやるので、フリッカーは目についてしょうがないです。

 

防げるフリッカーと、防げないフリッカーがありますが、3コマシートで24fpsである以上、フリッカーの罠はすぐそこに待ち構えています。

 

大判でセルの動きが絡むのなら、フリッカーをできるだけ防止するレイアウト構成を心がけたいですネ。

 

絵コンテでは大判で描かれていても、実際のレイアウトではできるだけセルはスタンダード(=カメラフレーム・100F)に固定して、BG引きで「PAN感」を出したほうが良いです。

 

PANだけでなく、TU・TBでも、セルが3コマで動いていればフリッカーは発生しますので、用心しましょう。

 

ちなみに、カメラワークと3コマの動きが同時に重なった際にフリッカーが発生するわけなので、カメラワークの際にセルの動きが止まっていれば問題ないです。‥‥まあ、カットの内容にもよりますが、PANと同時に演技するのと、PANが終わってから演技するのとでは、後者だとフリッカーが発生しません。

 

 

 

広義のフリッカーで言えば、BGを横に速めにスライドする際に(バストサイズの歩きのフォローとかで)、BGに垂直の何か(電柱とか窓枠とか)が描かれていると、これもまた、盛大に目にひっかかります。

 

1秒間24フレームしかない映像の中で、輪郭がくっきりと描写されたものが動くと、特に速く動いた場合に「残像がないがゆえに」目にひっかかって見えるのです。

 

目の前で手を速く動かしてみればわかりますが、速く動くものは像が流れてこそ、生理的に自然に目に写ります。

 

アニメの絵はいちいち残像を付け加えて描きませんし、BGは止め絵をスライドするので、目に形が焼きつくほどシャープな輪郭を有します。このシャープ感が、アニメの「味の1要素」でもあるので、決して悪いことではないのですが、場合によっては妙に目に引っかかって気に障ることがあります。

 

その、気に障る「目に引っかかるシャープな輪郭」を、実写にて最大限利用したのが、プライベート・ライアンです。

 

オマハビーチの冒頭シーンでは、高速シャッターでモーションブラーを抑えて輪郭をハッキリ写して、故意にフリッカー感を発生させて演出表現に昇華させていました。

 

*映画制作者なら、冒頭の上陸シーンだけでも見とかないとダメっしょ。技術の見聞として。

 

 

故意なら成功ですが、意図せぬ場合は困ったものです。

 

モーションブラー(ブレて流れた画像)とフレームレートとの関係性でガタつき・フリッカー感は決まるのですが、アニメは基本全てがくっきりピントなので、速めのBG引きは、描かれている内容によっては、異様に目にガタついて見えるのです。

 

‥‥かと言って、不用意にブラーをかけると、アニメ絵的におさまりが悪くなる場合もあります。難しいもんですネ。

 

 

 

これから未来は、アニメーターも少なからずコンポジットの知識が必要になるでしょう。

 

コンポジットの中身を知れば、レイアウトの構成にフィードバックできます。

 

草の根的に次の技術へと動き出すのは、もう少し先だとしても、アニメーターはまず何よりも絵描きだと思いますから、自主的な小さな取り組みであれ、線画の枠から踏み出して、絵全体を構成する手段を獲得するのは有効です。

 

どんな素材を揃えれば良いのか、どのようにコンポを組めば良いのか、コンポジットを実際に経験して数カットだけでも完成映像を作ることで、具体的にレイアウト段階で何をすべきかが見通せるようになるでしょう。

 

 

 

コロナで大きく社会が揺れる今、何がどのように引き金となって、新しい技術世代に移行するのか。

 

今できることを積み上げておいて、次の大きな転換期へ準備しておきましょう。

 

 


32278

2020/06/29から2020/07/05におけるコロナウィルスによる死者数は、32278人でした。勢いは衰えを見せず、毎週3万人の死者を出しつつ、膠着状態に陥っています。減りもしないし、増えもしない状況が続いている様子が、グラフから読み取れます。

 

 

 

このペースが衰えないと、年明けには130万人の死者を数えるだろう‥‥ということも、グラフは示しています。

 

南米の状況を受けて、1週ごとの死者数は増加傾向にあり、数週前の減少傾向へはまだ転じません。

 

 

 

コロナの状況に際し、ロックダウンを拒否した南米のとある大統領の言った「人間はいつか死ぬ」という言葉に、どうにも苛立ちを感じていましたが、理由がわかりました。

 

「人間はいつか死ぬ」‥‥という言葉は、あくまで自分自身に言い聞かせる言葉であって、他人に言うべき言葉ではないです。

 

成功するか、失敗するか、今が自分の運命の分かれ道。逃げて隠れて戦わずして、後になって後悔するよりは、自分の一生は一度きりで、いつか必ず死ぬのなら、今に掛けてみよう。

 

‥‥というのなら、わかるんですよ。その判断が良いか悪いかは別として、自分の一生の中の「生き死に」を自分で覚悟するという点において。

 

自分の存在を運命に立ち向かわせる、悲壮な決心なわけです。

 

それが時と場所を変えて、経済活動を維持する方便として、トップの立場の人間が、大勢に対して

 

お前ら、どうせいつかは死ぬんだから、死んだら死んだで、それが運命だったと諦めろ。

 

‥‥のような意で「人間がいつか死ぬ」と宣うのなら、指図だけする人間が言うものだよ‥‥と呆れます。矢の届かない安全地帯でぬけぬけと。

 

「人間はいつか死ぬ」という言葉は、自分の中に秘めた覚悟としてのみ、受け入れられる言葉です。

 

他者に言われたくないですね。‥‥少なくとも私は。

 

つまり、「人間はいつか死ぬ」なんて言葉は、あえて口に出す必要もないのです。当人の心の奥にあれば良いです。

 

言われなくても、みんな、わかってるって。いつか自分が死ぬことは。

 

 

 

軍人さんの中には、人の命を目方で計るような人もいるんでしょう。インパールの例の司令官、然り。

 

南米であっという間に死者数が世界第2位になって、一方で軍人上がりの大統領は38度の高熱を出したようで、自分の命を惜しむのでしょうね。

 

そんな人の戯言に惑わされず、1つしかない自分の命、愛するものの命、大切にしたいですネ。

 

 


混乱タイムコード。再掲。

アニメ業界内では、実は、頻繁に目にする1スタートのタイムコード。

 

タイムコードを普通に使っている一般的な映像制作の流儀からすると、混乱も甚だしいです。

 

アニメ作品の1本つなぎのムービーのカット頭は、00:00:00:01で始まっているものが多いですが、これって、編集さんが必ず頭1コマを切っている‥‥わけではないですよネ。

 

おそらく、カット個々の尺の頭から使っているのだと思うのですが、ごく普通の映像制作の認識からすると、全てのカットを先頭1フレーム切っているように見えます。00:00:00:01で始まっているので、そう見えるのです。

 

アニメの撮影現場でオフライン撮に1スタートのタイムコードを埋め込んだばかりに、常識から外れて混乱します。

 

だってさ、どんなにオフセットで1スタートにしても、ラストは23で終わりますよ。‥‥で、次は24じゃなくて、次の秒のゼロに戻るんですよ。‥‥全然ダメダメじゃないすか。

 

 

 

タイムシートに合わせて、タイムコードを1スタートにオフセットしても、タイムコードは0スタートと決まっているので、

 

↑タイムシートの1コマ目。タイムコードの本来は00:00:00:00。

 

↑タイムシートの23コマ目。タイムコードの本来は00:00:00:22。

 

↑タイムシートの24コマ目。タイムコードの本来は00:00:00:23。次の秒に進んでないのに、タイムコード上は次の秒の表示。‥‥これはいかにも大問題。

 

↑タイムシートの25コマ目。タイムコードの本来は00:00:01:00。タイムコードの標準に慣れている人間はキモチ悪くて吐きそうです。

 

‥‥のように次の秒に繰り上がるタイミングが1フレーム前倒しになってズレます。

 

 

 

タイムコードをタイムシートのコマ表記に流用するのは、即刻止めましょう。

 

タイムコード書式を見たら、映像制作者なら誰でもタイムコードの流儀だと認識します。

 

1スタートにするのなら、別の書式(0+1書式など)にしましょう。

 

 

 

1スタートとタイムコード書式の組み合わせが「超NG」なのです。1スタート自体は悪くもなんともないです。

 

例えば、「税込み価格」の欄に、「税抜き価格」を記入して、レジの際に税を手打ちで加算するような行為です。

 

誰が見ても、混乱この上ないですよネ。

 

 

 

24fpsの場合、タイムコードは0スタートで23終わりなんスよ。

 

それを無理にオフセットの設定で1スタートにしても、浅知恵です。次の秒から0スタートに戻ります。‥‥上の図の通り。

 

タイムシートの表記は、そもそもタイムコードではないのに、なぜエフェクト>テキスト>タイムコードを使うのでしょう? 根本的に使い方が間違っています。

 

タイムコードは表現技術とは違って、運用技術のカテゴリです。フレームの番地を表すものです。自己流の使い方は許可されていません。番地を各人が自分流に記述し始めたら、大混乱もいいところです。

 

テキストレイヤーとエクスプレッションをつかって、以下のようにタイムコードとタイムシート、さらにはタイムシート上の通しコマ番号を併記すれば、どの方面にも混乱なく伝わって、事故を防げます。

 

 

 

 

 

とにかく、1スタートのタイムコードはやめましょう。アニメ業界内部だけの極めて閉所的な間違った習慣です。

 

タイムシートは1スタート、タイムコードは0スタート。それでいいじゃん。

 

タイムシートは1スタートで「+で区切る」、タイムコードは0スタートで「: で区切る」。これが覚えられないほど、記憶力が低いはずはないですよネ。

 

 

 

タイムコードに合わせてタイムシートや枚数を0から数えよ‥‥なんて不要です。タイムシートや枚数は1スタートで良いです。

 

そのかわり、タイムコードの表記を扱う際は、頭をちゃんと切り替えて、0スタートでカウントしましょう。

 

TCとTS。この2つを混同せずに、ちゃんと切り分けて使い分けられるか‥‥は、未来の映像技術と共に歩んでいけるかを試す、試金石にように思います。

 

タイムコードの書式を、本来の正常な0スタートに変えることすら、できる人間とできない人間とに分かれるでしょう。

 

今までやり続けてきたことが「正義」だと思い込んで、絶対に間違いを変えようとしない類いの人々は、残念ながらどんなフィールドにも存在します。タイムコードを1スタートで運用するのは、明らかに間違いなのですが、歳をとって経験を積めば積むほど引っ込みがつかなくなって、様々な屁理屈をつけて正当化しようとするのは、正直、同じ年長者として恥な人々だと思います。

 

年長者なら、どんなに長年の習慣でも、改善すべき点があれば、知識と経験と照らし合わせて精査する能力を発揮すべきです。

 

歳をとることが、頑固さのバロメーターになってしまったら、それはもはや、老害にしかならんです。

 

いや、もう、ホントに、1スタートのタイムコードはすぐに廃止しませんか? アニメ業界の愚です。

 

 

 

タイムコードとタイムシートをちゃんと使い分けられるか。

 

当人の未来、そしてその人間たちの現場の未来を暗示しています。

 

 



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