フィルムの凄さ

フィルムの真価は、4K HDRでようやく人々の目に届けられる‥‥のだと思います。Rec.709(SDR)のHDではフィルムの性能は著しく損ねられていた‥‥と言っても、言い過ぎではないでしょう。

 

フィルムカメラ時代に、ポジフィルムで撮影して、現像上がりのポジをライトボックスとルーペで見たことがある人は、映像業界にどれだけいるでしょうか。おそらく、35mmライカ判の一眼レフカメラが現役だったころに20代だった人は、本業はアニメやビデオでも、趣味でポジフィルムに馴染んでいた人もそこそこいると思います。

 

まあ、ライトボックスにもよりますが、35mmポジフィルムをルーペで覗いた時の鮮やかさは、印画紙のプリントとは大きく異なります。Rec.709やsRGBも「発光体」を見ている状況は同じでも、ポジフィルムを覗いた時に比べて、色の発色が大きく異なります。

 

 

しかし、フィルムカメラが市場の表舞台から姿を消し、キャリアの最初からデジタルデータのアニメやビデオカメラしか知らなければ、sRGBやRec.709が、光学画像の経験の全て、映像経験の全てにもなりましょう。

 

つまり、現在の若い世代〜中堅の世代は、狭い色域の世界しか知らない‥‥のです。全員ではないでしょうけど、大半は‥‥です。

 

特に、ここ20年近くのアニメ業界は、sRGBとRec.709しか知りません。若い人は状況的に、sRGBとRec.709、Adobe RGBだけが、映像や画像の全てだと、無意識にも思い込んでいるでしょう。

 

でも、世界はそんなに狭く、チョロくはないです。映像の世界は、まだまだ深いエリアがたくさん存在します。

 

世界が今や見捨てた‥‥と言っても過言ではないフィルムでも、実は、Rec709なんてショボくて失笑するくらいの、幅広いレンジを内包しています。

 

ぶっちゃけ、私も今までのデジタルデータでそこそこ十分だ‥‥と思っていました。しかし、HDRの色域で10bit以上の映像を見ると、今までのSDR時代のフィルムスキャンは「すべてスキャンし直し」が良いんじゃない?‥‥と心から思えます。

 

 

とある技術者の方が、「Rec.709はもはや映像のワーストケース(=最下位品質)」だと言っていたのを思い出しますが、それは、新時代の映像技術を誇張して喧伝するためではなく、実際のHDRの映像実物が雄弁に物語っているからこそです。Rec.709と2100を並べて比較した際の、その無残さと言ったら、まさに「筆舌に尽くし難い」ものがあります。

 

HDRの取り組みを本格的に始めて、フィルムの魅力はまだ死んでいない‥‥と強く思うようになりました。フィルム作品は4K HDR時代に「生まれ直す」のだと思います。

 

私は今後、フィルムを使うことはないと思いますが、フィルム時代の作品は敬愛して止みませんし、フィルム一眼レフカメラ時代の撮影経験は私の基礎の大きな部分を占めています。

 

フィルム時代の作品が、今後、4K HDRのコンテンツとして、フィルムスキャンからやり直して、どんどん発売されることを望んでいます。

 

 

アニメ業界もRec.709に縛られた狭い了見で色彩を扱うのではなく、新しいHDR時代の色彩感覚を意識し始めるべきです。Rec.709なんて、人間の知覚からすればホントにショボさ爆発なのです。単に旧時代の放送や機器の都合でレンジが定められたに過ぎません。

 

今の若い世代が、Rec.709しか知らないのは、実は、今後の発展における大問題・大障害なんだよね。

 

かと言って、2018年現在にフィルムを経験することは中々難しいです。35mmのポジフィルムと一眼レフカメラを購入して、現像してポジを覗いて‥‥なんて、今では、酔狂でしかないもんネ。

 

なので、一番てっとり早いのは、自宅や職場に4K HDRのテレビを入れてしまう‥‥ことです。HDRでPQにも対応し、500nits前後で10bitのスペックの映像体験環境を、安価に入手するのは、ソレしかあるまい。

 

‥‥で、ネット配信のHDRコンテンツや、UHDでHDRのブルーレイを見て、今までの暗く寝ぼけたRec.709から「自分の目を解き放つ」べし!‥‥です。120fps補完の実態にも目を背けずにしっかりと自分の目で確認しましょう。

 

「未来の現実」を自分の目で見定めるのです。逃避するのではなく、です。

 

頭の中で、いくら300nitsだ1000nitsだ、HDR10だHLGだ、PQだと、「文字」だけで考えても、自分のナマの目で見なきゃ本当のところは判りませんヨ。

 

 


ハードル越え

超えるのが容易なハードルをいくら超えても、新しい技術は確立できないのを、芸やスポーツなどと真剣に取り組んだことのある人なら、ご承知でしょう。弾けないフレーズを一生懸命練習したり、描いたことのないアングルの絵をいっぱい描くからこそ、技術が身につきます。正面顔や7:3の顔だけをいくら大量に描いても、絵は上手くならんもんネ。

 

同じく、集団においても、超えるのが困難なハードルを超えた時に、ひと皮もふた皮も剥けて、今までにない技術レベルを獲得して定着できます。

 

ここ10年のアニメ制作現場は、例えば撮影作業ならば「2〜3日で本撮テイク1撮り切り」のようなハードルを超えることが技術の本道になっています。ぶっちゃけ、今のアニメ制作に求められているのは、質よりも量のハードル越えです。

 

1カットに3日かけても良いから、臨場感たっぷりに、観る人々の記憶に残るようなコンポジット(撮影)を‥‥と言われた時に、今まで量のハードルばかりを超えてきたので、どんなに時間を与えられようが何をやったら良いかわからない、アイデアを盛り込むということ自体がわからない‥‥ということにもなりましょう。

 

 

最近、4K HDRに取り組んで思うことは、量のハードルはもちろんあるものの、質のハードルも一緒に超えなければ、成立しないと言う現実です。4Kという面積量、HDRというピクセルの質を問われた際に、「表現としてのコンポジット技術」が不可欠となります。量をこなせる馬力、スタミナは必要ですが、それだけだと4K HDRのスペックを持て余して中身に乏しい映像=「これのどこが4K HDRなの?」という「すっかすか」の結果になります。

 

今までのアニメを、ただただ、4Kにするのなら、アップコンで十分です。今まで通りの作り方、今まで通りのスケジュール、そして今まで通りの報酬のまま(=特に出資者にとっては)で良いのですから、作る側の全員に何ら「新しく厳しいハードル」を超える必要性が生じません。ある意味、業界の「暗黙の総意」とも言えるかも知れませんネ。

 

しかし、今まで通りのアニメを、ポスプロでいくら4KにアップコンしてHDRグレーディングしても、それは2K作品であって、プレミアム感は乏しいです。アナログデータ構造のフィルムと違って、デジタルデータ構造の根本からRec.709と1.5K前後で作った映像を、いくら拡大したところで「引き出す元がない」ので、プレミアムな4K HDR作品にはなり得ません。

 

消費者をバカにしちゃ、ダメですヨ。4Kマスタリングと、4K作品は、根本的に違います。品質における「顧客との信頼関係」を裏切ったら、アニメに限らず、日本の生きる道は閉ざされます。

 

今は比較する対象がないので、「アニメとはこういうもんか」と消費者も判断基準がないですが、生粋の4K HDRのアニメ映像が出現し始めたら、ぶっちゃけ「トレス線」一発で2K以下のアニメ制作体制を「お目が高い」ファンは見抜けます。日本の作画アニメを量産する上で必要不可欠な「A4用紙サイズで150〜200dpiでレタス線」という仕様が、すべて裏目に出て、誤魔化せない「前時代のクオリティ」として表面化するでしょう。

 

新しい映像技術世代のビジネスに参画したいのなら、コンポジット技術だけでなく、彩色も、美術も、作画も、そして絵コンテ内容の発想自体も、すべて「新しいハードル越え」が必要となるでしょう。

 

 

ハードルを越えるために今までの常識や慣習を打ち破る取り組みって、あとあとの自分らの血肉となるのです。

 

絵でもそうですよネ。「アニメ絵ならこのアングルの絵さえ描いとけば良い」みたいな絵しか描かない人は、逆に言えば、それしか描けない人になります。「うわー、このアングル難しい〜‥‥」と苦戦しながら、色々な資料も見ながら、自分の描いたことのない絵に果敢にチャレンジすれば、その分だけ「強く」なれるのです。

 

ハードルを越えるのって大変ですよネ。でも、それは自分、自分たちの技術が進化して拡張するチャンスでもあるのです。


絵が上手くならない人って、同じアングルばかりに固執して、自分の描きやすい絵しか描かない‥‥じゃないですか。それと同じで、現場の制作技術も、お定まりのテレビシリーズ消化試合をどんなにこなしても、制作技術を次のステップに進化させることはできません。

 

4K HDR、そして60pや10bitを、自分たちの「厄介ごと」ではなくむしろ「チャンス」に変えてこそ、次世代を生き抜くチカラも身につきましょう。

 

ハードルは越えるためにある‥‥のです。

 

 


数値がわからなくなったらアレクサに聞こう

今から20年前以上の昔。各色8bitのRGBで自由にセルの色が決められる「デジタルアニメーション」は、「なんと、セルの色数が1670万色も使える!」とも言われて、当時のアニメカラー(=セルを塗る塗料)の200〜300色の制限とは比べものにならないと思われたものです。

 

でもまあ実際は、アニメカラー時代も、フィルム銘柄の特性によって色に変化は生じましたし、パラやフォギーフィルタなどの撮影処理を加味することで実際のアニメカラーの色数よりも遥かに複雑な色数を実現していましたから、アニメカラーとRGB各色8bitの色数を比較すること自体がナンセンスではありました。「色数が多い」というよりは、「アニメカラーの色数ではなく、自由に「調色」して色を決められるようになった」というべきでしょう。

 

その「いかにも十分過ぎると思えた1670万色」も、今では「ワーストケース」というべき「最低限のスペック」扱いです。実際、1670万色=1670万諧調と言っても、明るさが半分の薄暗い赤色照明のシーンでは、128諧調以下になってしまい、トーンジャンプの危険性と隣り合わせです。どんなシチュエーションでも1670万諧調があるわけでなく、最大1670万‥‥というだけです。

 

RGB各色8bitで全ての色を使った場合(現実的にはあまりないですが)

 

R:0-255

G:0-255

B:0-255

256x256x256=16,777,216

 

薄暗い赤い照明(=赤のモノトーンで半分の明るさ)の場合

 

R:0-127

G:0-0

B:0-0

128x1x1=128

 

総天然色で色鮮やかで明るい部分も暗い部分も同じ画面に収まっているような絵ですと、1670万諧調を発揮できますが、トンネルの中で水銀灯だけが照らし出すようなシーンですと、薄暗いオレンジのモノトーンに多少の色が垣間見える程度になり、色数はぐっと減ります。

 

ゆえに、擬似的な多色処理、そして10bit以上の諧調が必要になってきます。

 

10bitは単色で1024諧調、12bitはその4倍で4096諧調になります。8bitの256諧調より、数値がどんと増えます。

 

しかし、暗算では中々パっと数値が出て来ません‥‥というか、それは256諧調でも同じですが、8bit=256に関しては長年の作業経験で暗記していますが、10、12、そして16bitになると、暗記だけではおぼつきません。

 

16bitの諧調は6万5千‥‥‥なんだったっけ?

 

そんな時はアレクサさん

 

 

「アレクサ。2の16乗は?」

 

6万5千5百36、です。

 

「アレクサ。65536の3乗は?」

 

281兆4749億7671万6百56、です。

 

 

‥‥まあ、281兆の下りは、アレクサさんがどんどん読み上げても、1回で聴き取って覚えきれる数値ではないですが、281兆であることはわかりますネ。

 

同じく、「1024の3乗は?」とか、「4096の3乗は?」と聞けば、それぞれ「10億‥‥‥」「687億‥‥‥」と答えてくれます。聞き取るのが面倒なので、末尾は割愛しますが。

 

アレクサさんはコンピュータですもんネ。このような単純‥‥だけれど数値が巨大な計算はすんなり計算しますし、電卓プログラムにありがちな「2.8147498e+14」なんていう表記ではなく、末尾1桁まで読み上げてくれます。

 

10bitRGBの諧調は10億色、1bit増えて11bitだと85億色、さらに1bit増えて12bitだと687億色‥‥と、アレクサさんに聞けばすぐに答えてくれるので、やがて、10bitや12bitの色数を、8bit=1670万‥‥の時と同じように暗記するようになります。

 

 

 

256で色を考えるのは、基礎としては今でも有効です。会話の中で256で呼び表して容易にイメージするのは、たとえ10bit運用になった時でも「伝わりやすくて」良いと思います。

 

しかし一方で、256では済まない状況も、ボチボチ周辺に出始めています。After Effectsでは256のドラフト表示のままですが、データとしては10〜16bitを扱うのが主流になりますので、時には1024〜65536=10〜16ビットの諧調で話すことも必要になります。

 

でも、数値はどんどん大きく細かくなります。‥‥なので私はよく、アレクサさんに聞いて、数値を計算してもらいます。

 

‥‥とはいえ、こんな聞き方だとダメみたいです。

 

 

アレクサ。16ビットの数は?

 

「すみません。わかりませんでした。」

 

 

わからないんだったら、仕方ない。

 

あくまで、質問する側が、1bit=2値ということを踏まえて、「2の16乗は?」と聞かなければ、いまんとこ、ダメっぽいです。

 

加えて、アレクサは「京」の桁の末尾まで細かくズンズン読み上げる「人間に優しくない」部分もありますから、すぐに大まかな数値を知りたい時に、アレクサにサクっと聞く程度が良いです。

 

丸いディスプレイをもつ「Echo Spot」も登場して、充実するアレクサさんのラインアップ。

 

 

 


2K24pSDR8bitと4K60pHDR10bit

現在、作業場のほぼ全ての装備を4K HDR 60p仕様に改変して、あと1つ2つの発注済みの物品が到着すれば、いよいよ名実ともに「未来の環境」が完成することになります。‥‥とは言え、技術は「イタチごっこ」ゆえに、これで環境構築が終了したわけでなく、今後も順次、作品ごとに強化していくことになりましょう。

 

そうした中、頭で考えているだけではわからなかったことが、しみじみと肌身で、実感としてわかるようになってきました。アニメ制作現場の未来は、新旧の2派に分類されるだろう‥‥ということを、ハードやソフトが暗示するのです。似たようなことは以前にも「予想の範疇」で書いてきましたが、目の前のハードやソフトの振る舞いを日頃から見るにつけ、「詰み将棋」のように「未来がの成り行き」が具体的に見えてきます。

 

技術、装備、そして慣習を古いままで更新できない集団=「新旧の、旧の現場」は、おそらく、未来も古いままで続けるしかなく、未来技術のエッセンスを取り入れるような「部分的な現代化」すらままならないだろうと思われます。紙の作画を「デジタル作画」に更新した段階で進化は終了し、未来社会への対応は、ポスプロのアップコンに頼り切ることになるでしょう。要するに、旧来のアニメ技術は進化が終了し、老化をできるだけ食い止めるために、新時代の映像技術を「介護技術」として用いる‥‥という未来です。

 

絵を1枚ずつ描いて動かす方式で、2K24pSDR8bit。‥‥これが旧来の技術を主体とする現場の最終形態です。

 

2K

24p

SDR

8bit

 

‥‥あらたに「8bit」というキーワードが付随しましたが、実は8bit問題は相当根深いです。After EffectsもQuickTimeも内部では10bit以上を扱えますが、表面に映し出される映像は、実は8bitです。どんなに16bitモードに変更しても、12bit素材を読み込んでも、10bitモニタを買って設置しても、After EffectsやQuickTime Playerでは8bit表示です。システムスタッフが改めて検証してくれたおかげで、私も再認識できました。

 

ですから、撮影作業などで10bitの高価なモニタを使っていても、実はほとんど役にたっていません。ムービーファイルのデータ構造もグラフィックカードもケーブルもモニタも10bitの条件を満たしていても、出力するソフトウェアのGUIが8bitなら全く意味がなく、安価な8bitモニタで十分なのです。

 

一方、新しい技術の当面のターゲットは‥‥

 

4K

60p

HDR

10bit

 

‥‥です。12bitを表示できるモニタは恐ろしく高価なので、10bitが現実的ですが、内部的には16bitの運用(これはAfter Effectsの都合でもありますが)を進めることになりましょう。

 

iMac ProやCG-319Xは10bitです。iMac ProはいまのところPQカーブに対応していませんから、HDRでPQを運用するのなら、CG-319Xなどの相応の設備が必要になります。モニタに限らず、様々な機材改変や技術改革が必要になるのは、今まで散々書いてきたことなので、繰り返しません。

 

 

「4K60pHDR10bit」の現場に環境を移行するのは、相当にハードルが高く、ゆえに「無理だから、昔のままでいく」会社は続出すると予測されます。もちろん、昔のままの体制で作り続けるので、出来上がる映像も昔のまま、作業者の報酬も昔のまま‥‥です。ポスプロでHDRグレーディングしても、映像の「アイデアの源が2K24pHDR8bit意識のまま」なのですから、後付けの映像処理にも限界はあります。

 

現段階では「60p」は置いとくとしても、「4K24pHDR10bit」に対応できる会社は、相当体力が必要ですし、出資者の増援も必須となりましょう。

 

私だけなく、現場の映像表現に関わるスタッフ、機材を多種取り扱うシステムスタッフ、皆が、「これ(=未来)って、大変なことになりますね」と、ことあるごとに話します。

 

でも、ふと冷静になって考えれば、未来が大変なのって、今に始まったことじゃないです。いつだって、そうだったんですよネ。未来を生き抜くことはいつだって、大変なのです。

 

過去の技術から転換できずに歴史に埋もれていく人々、頭角を表す人々など、様々な世代交代劇が繰り返されてきただけです。

 

ですから、今回の四半世紀規模の映像技術転換〜アニメ制作技術転換は、「あるべき姿〜必要な世代交代」と思えます。

 

表面上の「可愛いキャラ」はともかく、今のアニメ技術はどんどん老朽化しています。「萌えキャラのラッキースケベ」をファンに提供するばかりで、どれだけアニメ業界の技術や体制は維持できるでしょうか。

 

もし、老いたままで良い‥‥というのなら、「要介護」の準備を整えておくべきです。一方、技術世代を交代して転換を図るのなら、「デジタル作画にすれば安心」と考えるのはあまりにも浅はかです。

 

もし現代社会とともに歩みたいのなら、今はすぐに全部は無理でも、「4K60pHDR10bit」をそろそろ意識して、着手できそうな部分から行動開始すべき時期‥‥ですヨ。

 

 


おじいちゃんの思い出

夏休みの作文みたいな表題ですまんす。今回は思い出話です。

 

私の父方の祖父母は、戦死および終戦まもなくの病死で、私は一度もあったことがありません。私が生まれるはるか昔に死んでしまったからです。祖父が亡くなったのは1945年、祖母は1947年か48年です。

 

一方、母方の祖父母は健在でした。天寿を全うして今は存在しませんが、私が小さい頃は、夏休みと冬休みには必ず母方の実家=祖父母の家に帰っていました。

 

祖父は非常に厳しい人で、私と兄の、ある意味、「恐怖のまと」でした。孫を甘やかすタイプとは真逆で、口数が少なく、怒ることも少ないですが、厳しさが滲み出るタイプの人でした。浅草生まれで、大空襲を避けて疎開するまでは高円寺に住んでいましたから、今にして思うと、喋り言葉が「江戸弁」の語尾だったのを思い出します。

 

私の家系はなぜか教員が多く、祖父も教員で小学校(もしかしたら中学校かも)で教えていた‥‥と記憶します。「曲がった道理には融通しない」性格から、学校の教員仲間からは「偏屈」と呼ばれていた‥‥と母が言っていました。私と兄は「現代っ子」でしたから、「曲がった道理」はともかくとして、夏だとアイスは食べたいし、歩くのはイヤでバスに乗りたいしと、隙あらば甘えん坊を発揮しようとしていましたが祖父は全く動じず、私ら兄弟にとっては、むしろ夏休みに田舎に帰るほうが「厳しい毎日」のような感じでした。

 

そんな祖父の性格でしたから、人にへつらったりご機嫌をとるようなことはなく、「遊び仲間」みたいな人を目撃したこともありませんでした。「友達が少ないのかな‥‥」とか思っていましたが、正月になるとかつての教え子のおじさんたちが年始の挨拶に来て、普段はほとんど笑わない祖父も、教え子たちに囲まれて、自分からベラベラ喋りはしないものの終始笑顔だったのを思い出します。

 

そんな祖父の死後、遺品を整理していたら、数多くの小学校教員時代の自筆による指導用ノートが出て来ました。

 

書道が得意な人だったので、特に習字の書き順や注意点など、指導の実践のような内容が細かく書かれていました。同じノートの中に、クラスの名簿のような名前の羅列があって、何人かの名前に「牛乳」「新聞」‥‥という書き添えを見つけました。

 

おそらく、戦後の苦しい時代、小・中学生でも家計を助けるために早朝に働いている子供も多かったのでしょう。「牛乳」「新聞」のメモは、どの子が登校前に働いているか、事前に把握しておくためだったのだと思います。

 

普通に考えれば容易に想像できますが、早朝にひと仕事を終えて登校した子供と、普通に起きて登校した子供では、すでに朝の1時限目からコンディションが違いますよね。祖父の性格から考えて、むやみに甘やかすことは無いにしても、子供の状況を踏まえた上で、学習指導をしていたのだと思われます。

 

別の話ですが、私のいとこの三姉妹が祖父母の家に遊びに行った時、お昼時に孫たちにインスタントラーメンを作ってくれたそうですが、その際に、3姉妹のラーメンの分量が全て同じになるように計りで計って3つのドンブリに分配していたとか。‥‥普通、そこまでやる? 軽量してグラムを同じにする‥‥なんていうインスタントラーメンの分配。

 

祖父は料理が得意でしたから(浅草で料理人をやっていたこともあるらしい)、目分量でちゃちゃっと分配しても良さそうなのに、3人の孫たちには公平であるべき‥‥との考えだったのでしょうネ。同じく、「牛乳」「新聞」配達の教え子たちにも、「労働の差分を差し引いた上で」公平であろうと心がけたのかも知れません。

 

祖父の死後に見た学習指導ノート、そして私が子供の頃に正月に垣間見た、(かつての)教え子のおじさんたちと祖父の笑顔。三姉妹の孫たちに作ったラーメンの計量。‥‥何だか、全てが繋がったように思えました。

 

実際、私や兄は、祖父の厳しさを恐れていたものの、不信感を抱きようもありませんでした。「じいちゃんだって、ズルしてんじゃん」みたいにツッコめる隙が全くなかったのです。厳しさを自ら体現していた祖父だからこそ、説得力があったのです。

 

 

そんな祖父も最晩年に入院するようになって意識がボヤけてくると、皆が驚くようなワガママを言うようになった‥‥と母から聞きました。

 

私はそれを聞いて、失望するどころか、余計に心を打たれました。祖父は何も天然で=素の状態で、偏屈で厳しかったわけではなく、自分で意識して厳しく行動を律していたのが、改めて解ったからです。意識がボケてきて、律していたものが外れたのでしょう。

 

同じく最晩年の入院中に、兄が病院に見舞いに表れると、たいそう喜んだそうです。確かに、私の子供の頃の記憶をたどると、夏や冬休みが終わりに近づいて田舎から家に帰る時に、駅まで見送りに来てくれていた祖母も祖父も、笑顔で送ってくれていたのを思いだします。

 

厳しいフリして、実は愛情たっぷりの人だったのかも知れません。もう本人に確かめる術はないですが。

 

 

夏が来ると、背筋の伸びた姿勢で立つ、ワイシャツとズボンと帽子の、祖父の姿を思い出します。

 

祖父のような厳しい人間にはなれないけど、確実に影響を受けているのを、今の歳になると実感できます。

 

「あれをやれ、これをやれ」などと細かく言わず、声を荒げた姿など思い出せない、言葉の少ない祖父でした。そう思うと、言葉の多い少ないって、実はあまり関係ないんだな‥‥と思います。‥‥私はこうしてブログでベラベラ喋り(=書き)ますけど。

 

祖父の「その存在自体」がね‥‥。孫たちに色んなことを「言葉ではない方法で」伝えていたのだと、今だと解るのです。

 

 

 

 


ライセンス

アニメ制作運用において、すこ〜んと忘れられがちな代表的要素は「ライセンス」です。一番ありがちなのは「After Effectsのフッテージの収集」で他人が再利用してはいけないデータまで収集してパブリックな場所に置いてしまうことです。

 

他所が自分たちと同じ技術と環境で作業している‥‥との思い込みが、まず根底にありましょう。ゆえに、運用システムの設計もスタティック(静的)で融通の効かないものになりますし、ライセンス違反や技術流出を平然と悪気もなく犯し続けます。

 

もっと根を掘って考えると、自分たちは「作業行為を売っている」と思っているからこそ、ライセンスや技術管理に疎いのでしょう。もちろん、作業の行為は必然ですが、「自分の技術を成果物として売る」ための手段なだけです。

 

さらにもっと深く考えれば、作業行為=労働を売っている意識だから、いくらでも買い叩かれるのです。技術力はそれが独自性を帯びれば帯びるほど買い叩きは困難になります。技術力ではなく、労働力を売っているから、「他にいくらでも引き受けてくれるところはある。仕事が欲しいのなら、安く引き受けろ」と安売りを強要されるのです。

 

‥‥話が逸れるので、その辺の話は今回おいといて、ライセンス。

 

フリーランスの作業者が自分の「バンク素材」として購入した、欧米メーカーの自然現象のループ素材があったとします。それを受注した映像作品で使って、画面効果を盛り上げてかっこいいカットに仕上げました。その後、「DVDリテーク対応のため、プロジェクトが欲しい」などの理由で素材一式を制作会社に提出しました。そしたら、その水や煙や炎の素材が他の話数の他のカットで無断で使い回され、他の作品にすら使い回されていた‥‥なんていうことがあったとしたら、それは大問題です。欧米の映像素材メーカーが定めた利用ラインセンスに対して、プロジェクトを提出した作業者も、受け取って使いまわした制作会社も、違反したことになり、責任と賠償を求められるでしょう。

 

プロジェクトを提出する際に、素材をそっくりそのまま収集した作業者にも重大な過失があります。また、1円も支払わずにヌケヌケと素材を流用した制作会社にも管理上の過失があります。

 

ゆえに、私らが現在進めている「制作進捗情報の管理システム」は、「素材の共有」にもルールが規定されています。また、技術の流出・盗用を防ぐための決め事・作業習慣も設けています。

 

流用がすべてダメなわけじゃないです。ライセンスに違反した流用行為、実質的に技術の流出となる共有の行為がダメなのであって、最初から「これは使いまわし素材ですよ」「共用のテンプレートですよ」と明示的に用意した上で特定の集団内で活用することは、効率的な運用に繋がります。

 

「でもさ。合わせや直しが必要になった時に、プロジェクト一式があると便利じゃん」と思う人もいるでしょう。‥‥でも、その「便利」さを優先するために、色々なものをドブに捨ててるんですヨ。自分たちの未来すらネ。

 

他のカットで合わせが必要なんだったら、元の作業者に依頼すれば良いです。仕事の都合で断られたのなら、他の作業者が目で見て似たような映像効果を作れば良いのです。プロジェクトを丸ごと貰って流用しなければ似せられない‥‥なんていうヘタレに基準を合わすから、制作現場はどんどん安易に貧乏になるんですよ。

 

直しが必要ならば、直しの対価を払って、元の作業者にリテーク作業依頼をすれば良いんです。そうすれば、作業者との信頼関係だって、一層深まります。

 

 

 

あなたの技術は素晴らしい。あなとと今後もぜひ一緒に仕事をしていきたい。

 

‥‥という現場と、

 

アイツの技術はかっこいいけど、色々めんどくせえから、どうにか盗んで流用できねーかな

 

‥‥という現場の、どっちが「良い」現場でしょうネ。

 

 

ライセンスや技術保護を重んじることは、すなわち、人を重じることにもなります。

 

ライセンスを無視し、技術を垂れ流しにするのなら、その人自身も無視され垂れ流しの憂き目にあいます。自分たちの姑息さを棚にあげて、全体主義に走っては、イケません。

 

技術、ライセンス、人を、おしなべて、大事にしていきたい‥‥ですネ。

 

 


今日の日

今日は終戦の日です。‥‥ですが、戦史に興味のある人は、8月15日にキッパリと戦闘状態が各地で停止したわけではないのは、ご存知でしょう。8月20日の真岡郵便局の出来事敦化事件三船殉難事件など、Wikipediaでも検索できます。

 

withnewsの「8月15日=終戦」なぜ定着?法的に別の候補日も 玉音放送の存在」の記事にもあります。

 

 

 

夏になると、戦争に絡む色々なことが特集されるのですが、逆に言えば、夏にならないと多くの人はあまり戦争のことを思い浮かべない‥‥とも言えましょう。

 

まあ、普通に考えて、私らがアニメを作ってられるのは、現在、日本が戦争をしていないからです。「何を言っているんだ。人間社会なんて日々戦争みたいなものだ。」とか広義の意味ではなく、国家の戦争状態そのもの=「ガチで戦争」のことです。

 

戦争になったら、アニメも利用されて、「戦意高揚アニメ」を作る会社も出て来るでしょうネ。私は、このブログでは政治的なことは書かないと決めているので、それ以上の言及は避けますが、世間は自粛ムードが漂い、アニメの話の筋も「戦中の新聞の内容」みたいなのを再演するでしょう。

 

アニメ制作現場、アニメ業界にも問題は山積みですが、なんだかんだ言っても、とりあえず、戦争だけはしてない世の中なので、アニメも作れるんですよネ。

 

 

withnewsの女子挺身隊と思われる写真に写る女性の表情は、悲しみと悔しさと怒りと諦めの、全てが入り混じったような表情のように私には見えます。写真は1枚ですが、そこに写り込んだ人々は、今までの色々な過去の経緯があって、その時系列ゆえの表情の瞬間をカメラは捉えています。

 

The Way It Goesとか言うのは軽すぎるかも知れませんが、実際、国家全体が戦争に包み込まれて抜け出せなくなっていたのですから、いち個人の感情や行動では、その戦争状態をどうすることもできなかったのでしょう。

 

私の父は、陸軍に召集された父親(=私の祖父にあたる)を1945年7月1日付でカンギポット山での戦死で失い、後を追うようにして母親(=私の祖母にあたる)を終戦後まもなく病死で失っています。小中学生だった子供だった父に、その当時に何ができたというのでしょうね。

 

両親を失った父の人生は、大きく、その未来が変わってしまったことでしょう。まあ、同じような境遇にあっても、人はそれぞれだと思いますが、父は2018年の今まで、両親の墓地に墓石を建てようとしません。

 

 

「悲しみと悔しさと怒りと諦め」。‥‥今のアニメ制作の実情も似たようなものですよネ。

 

でも、70数年前の日本の大戦争と違って、自分たちでちょっとずつでも状況は変えられます。反逆罪に問われることはないのです。

 

なのに、なぜ、限界アリアリの旧来制作システムに「ギャラが安い」と言うだけで、自分たちで技術とシステムそのものを変えていこうとしないのですか?

 

原動仕の流れはアニメ作りの「宿命」では「全く無い」ですよ。原動仕の極めて重大な問題点にメスを入れることは、自分たちが主導となって可能です。

 

「親方日の丸」=「業界の総意に従属」なんていう意識はキッパリ捨てられるのです。こと、アニメ制作に至っては、です。

 

 

終戦の日に、何を思うのか。または、思わないのか。

 

まあ、人が何を思おうが自由です。そして、過去の歴史の何を糧とするかも、人それぞれです。

 

滅びる人は滅びる。生き残る人は生き残る。ただそれだけかも知れません。

 

‥‥でも。

 

淘汰のメカニズムは様々ですが、自分で淘汰を生き残る可能性を選択できるなら、その可能性に賭けてみても良いんじゃないですか。

 

死んだら、手も足も、口も出せないヨ。

 

 

 

 


肯定的に否定的に

作業場に4K HDR 500nitsテレビ、4K HDR 1000nitsリファレンスモニタ、4K HDR 300nits作業モニタが設置され、しかも、4K HDR 500nitsで120fps補完のテレビに至っては部屋の中央にドカンと高い位置に設置したことにより、日頃から4K HDR 24〜120fpsの映像を「皆で普通に」目にするようになりました。

 

特定の個人だけでなく、在籍スタッフ皆が、どんどん次世代の映像標準技術に慣れていきます。理屈やスペックの文字情報でなく、目でみて感覚的に、身の丈の実感として、未来の映像産業の「発展と苦難の両方」を垣間見ています。

 

旧作のフィルムやビデオ作品も4K HDR関連機器で見て、時代性(=時代特有の技術性とでもいうか)の差異を痛感するとともに、不動の魅力を感じることも多いです。さらには、最近のBS高画質番組が4K HDRの倍速技術(120fps)によって補完されることで、4K8K HDR 60〜120p時代の絵作りはどのようなものであるかも、実写とアニメの差はあれど、未来の映像美を予感してしみじみと感じ入ることも多いです。NHKの「ネコメンタリー」は4K HDRで50インチ前後の大画面テレビで、しかもヌケの良い色彩と120fps補完で見ると、ふんわりと柔らかくリラックスした映像に病みつきになりますヨ。

 

中でも、「映画」の「映画感」の変化には驚きます。新しいテレビ(受像機・映像データ上映装置)の技術によって、「映画だったものが映画ではなくなって、技術だけでなく表現意識の古さまで浮き彫りになる」ようなマイナスイメージから、「たしかに映画のディテールは剥がれ落ちたけど、作品の面白さは不滅だ」と再認識するプラスイメージのものまで、‥‥つまり、否定と肯定が錯綜します。

 

思うに、映像技術のフォーマットだけで「表現足り得ていた」作品は、新時代の映像技術によって化けの皮があっさり剥ぎ取られ、無残な姿を晒します。しかし、化けの皮が剥がれても、「あれ? 実はスッピンも美人さんだったのね」と余計に愛着が増す作品だってあるのです。

 

そうした色々なマイナスとプラス、否定と肯定の中で、自分たちの未来の映像表現はどうあるのが良いのか、どのような美しさの可能性が存在し得るか、新しい時代の映像技術を身近におくことで、観念してじっとりと「未来に思い馳せる」ことができます。同時に、24コマの醸し出す「映画っぽいニュアンス」「映画感」に頼るだけでは、未来は相応にブザマでミジメな醜態を晒すことになろうことも悟ります。

 

展示会場にNTSCブラウン管テレビとVHSデッキを持ち込んで3倍録画を再生して、「この荒れて溶けた質感がたまらない」とばかりに自作の作品を限定的な局所で展示するのなら、どんなに時代性・現代性を無視しても良いでしょう。しかし、商業作品における映像制作者は皆、未来世界(=と言っても数年後ですが)の映像技術を概ね肯定し受け入れる必然性に迫られます。

 

そのためには、過去から現在に続く映像表現の潮流を、肯定的にも否定的にも捉えて、「新しきものから新しきを知る」ことと「古きものから新しきを知る」ことを同列に扱う自覚が必要だと考えます。

 

新しいものだけを肯定してもダメ。今までのものだけを肯定してもダメ。

 

新旧両方を、肯定も否定もできるニュートラルなスタンスが必要です。色眼鏡越しに眺めるのではなく、現在と未来を裸眼でしっかりとマジマジと「ガン見」することが重要です。もし、裸眼だと視力が足りずにボヤけるのなら、近くに寄って見れば良いですし、老眼なら一時的に老眼鏡をかければ良いのです。

 

 

 

一方、アニメ業界の総意としてヒシヒシ感じるのは、新しい映像技術に対する否定的な見解と未来技術へのマイナス感情ばかりです。4Kも60pもHDRも「自分たちとは無縁で、むしろ敵だ」とすら考える人もいるようです。

 

もし本当に無縁と決め込む否定的なスタンスを採って「過去の殻の中」に閉じこもり続けるのなら、アニメ業界の技術発展は2K24pSDRが最終点となり、ポスプロの方々に面倒を見てもらう〜アップコンで対応して、「次世代=数年後には現世代」から脱落しないようにするばかり‥‥になりましょう。

 

新時代映像技術の「介護」に頼るアニメ業界の未来の姿は、本望でしょうか。

 

「現」アニメ業界が新世代の映像技術を視界に入れたくない感情はわかります。今だってかなり厳しいのに、これ以上の負荷は背負いこみたくないでしょう。どこぞの現場取材記事で「クオリティを一定以上に維持するには、社内の動画スタッフを多く雇わなければならない」的な内容を読みましたが、さらなるレベルアップ・クオリティアップを課した時に、どのような多大な負荷がかかり、どのような結末が待ち構えているかは、少なくとも現在の作画従事者なら事前に解りますもんネ。

 

だからと言って、「このままで済む話じゃない」のは、他の商業ジャンルの過去を思い出せば判るでしょう。アニメ業界を中心にして世界は回っているわけじゃないですもんネ。世界規模の新しい技術の波を停止できるほど、日本のアニメ業界の影響力は大きくないです。

 

ぶっちゃけ、アニメ業界の総意をのんびり待っていたら、「another one bites the dust」=死体の山が積み重なっていくだけです。アニメ制作現場の未来はいくらでも当人たちで変えていけるのに、過去の慣習や感情、旧来の枠組みや権益に囚われて、戦中の日本人と同じ行動を繰り返そうとしています。首脳陣だけが悪いわけでなく、業界の過去の技術にしがみついている全員が、‥‥です。

 

作画する内容が細かくなって、枚数もどんどん増えて、塗るのも複雑で大変で、撮影処理も盛り込みが過度になるばかり。‥‥わかりきっていますよね。もう「今までの制作技術をエスカレートさせる思考では、確実に破綻する」ということは。

 

旧来技術の延長線上の中で、不確定要素があるとすれば、何がきっかけで破綻するか‥‥という、「破綻の選択肢」だけです。

 

2年後の未来は、1970年代でも1990年代でもなく、2020年代です。しかし、2020年代になっても、おそらく‥‥というよりは確実に、アニメ業界は、作画作業者の雇用の基本問題を改革できないままでしょう。

 

なぜって、アニメ業界旧来の技術内容が「どうやってもお金と人をどんどん大量消費する」宿命だからです。手作業で細かい絵を丁寧に描いて何千何万枚‥‥なんて、お金と時間がかかり過ぎて、個人への分配額が少なくなるのを、なぜ、真正面から見ようとしないんでしょうネ。

 

「自分たちの技術」に関する「根拠の明白な問題」は見ようとせず、根拠のまるでない「制作費をまずは2倍がいい」なんていう「願望」を持ち続けたって、何も解決しないばかりか、どんどん挽回の機運と勝機を逸するばかりです。

 

「これだけ耐えて頑張ってるんだもん。やがて勝つ日が来る」という思いは、「合理的な根拠」をベースにした時には有効でしょう。しかし、「当て所ない願望」をベースにした時には‥‥、まあ、明日は8月15日ですから、日本の70数年前の事実に思いを馳せましょう。

 

 

国家全体の戦争と、アニメ制作の運用は違います。自分たちの取り組みで未来の運命を変えられます。

 

とはいえ、業界の烏合の衆に呼びかけても、未来の運命は変えられません。

 

個人、および、個人が集まって形成されるグループ単位であれば、未来の運命を自分たちで変えることができます。

 

 

業界など、アニメ制作に従事する人々の影が寄り集まってできた幻影のようなものです。

 

幻影に何を期待する? 期待するほうが愚かなのです。

 

あなた個人、そしてあなたたちだけでも、そろそろ「新しい時代」の「新しい技術」を肯定し始めても良い頃‥‥だと思いますヨ。今は目に見えないだけで、同じような志をもった「同志」は「時代が同時多発的に生み出して」いるのですから。

 

 

 


iPad Air 2、バッテリー膨張

iPad Air 2の画面が、どうもふっくらと、昔のブラウン菅みたいに膨れているような気がしていました。

 

で、先週、とうとう画面の剥がれ始めたので、購入日から1年以上経過していたものの、修理に出すことにしました。

 

ちなみに、iPad Air 2を「画面の不具合」で修理を依頼すると、3万円かかります。別に落としたわけでもぶつけたわけでもなく、バッテリーが膨張したがゆえの画面の剥がれですから、「バッテリーの不具合」=11,232円で修理してもらいました。

 

と言っても、修理じゃなくて、新品(たぶん)と交換です。製品のシリアル番号が変わりましたし、中国のシンセンから発送されたので代替品でしょう。

 

自然と画面が浮き上がって剥がれてきたら、画面の不具合ではなく、バッテリーの膨張がほとんどでしょうから、自分で修理内容を選ぶ時には「バッテリーの不具合」を選択すれば妙に高額な修理代を支払わないで済みます。

 

‥‥というか、バッテリーの膨張は2〜3年の保証にしてほしいですけどネ。

 

 

本体まるごとの交換なので、保護ガラスは故障品とともに帰らず。‥‥でも、ちょうど買い置きの保護ガラスがあったので(多分、何かと間違えて購入した余り物)、それをすぐに貼って、元通りの姿になりました。

 

iPad Air 2 の新品らしきものが手に入ったとは言え、バッテリーが勝手に膨張して画面が剥がれて、1週間の修理期間を待って、以前と何も変わらない環境に戻っただけなので、新品でも全く嬉しくはないです。部屋に据え置きのiPadだったので、傷はなかったですし。

 

まあ、これからは、もうちょっとバッテリーのこと=充電の状況も気をつけるようにします。使用頻度の低めなサブのiPadなどのバッテリー内蔵機器は、満タンはNG、空っぽでもNGで、50%の充電状態が長期保存には良いみたいです。

 

 

 

 


わかってなくても、わかっていても。

旧来アニメ制作をより明確に計画的に運用しようと目指して、制作システムを整備しよう‥‥と考えて実行しても、どうやら「遅きに失した」感があります。むしろ、その「今さらの旧来制作技術の再整備」がとてつもないマイナスを生み出すことさえ考えられます。

 

20mの大波が押し寄せるのに、5mの堤防を最新技術で新造して何の意味がありましょうか。コストの浪費も甚だしい。

 

でも、旧来の技術と経験だけしかないのなら、5mの堤防を建設コストをかけて皆で整備するのが良いと思い込んでしまいます。堤防を作る!‥‥という大事業が、環境整備の理性的な行動のようにも思えましょう。

 

でも、それは甚だ、的外れです。旧来技術を再整備しようとする行動が、未来を真に生き抜くための機運を間接的・連鎖的に消沈させることになりましょう。

 

5mの堤防では、未来の大波を受け止めることは不可能です。別の例えを用いるとすれば、雨あられと降り注ぐM69焼夷弾が引き起こす大規模火災に、どんなに組織的に訓練したバケツリレーで対応しても鎮火できるはずもないです。

 

「じゃあ、どうすればいいんだよ」と思う人もおりましょうが、冷静に考えてみましょうヨ。

 

大波が堤防を乗り越えてきて大洪水となるのなら、あなたならどうしますか?‥‥ガッツポーズで海辺に立ち「ガオーー!」と叫んで、ザッパーンと押し寄せる大波を生身で力強く受け止めます? ‥‥マンガじゃないんだし、濁流に流されて溺死してしまうでしょう。かと言って、堤防壁面に「この堤防が役立ちますように」と皆で願い事を書いて、神頼みでもします?

 

「でも、10m、20mの堤防なんて、あまりにも途方もなくて、築けるはずもないよ」‥‥とは、確かにその通りですよネ。

 

私も20mの堤防なんて、とてもじゃないですが考えられません。突如として上がる水位に、バカ正直に対応してたら、堤防の建設費で大波が来る前に自ら破滅するでしょう。

 

大波が来るのは「自然の周期」で確定済み、とは言え、堤防はあてにならない。でも、人間には「知恵」が多少なりとも備わっているのですから、その知恵を最大限に活用しましょう。

 

大波に対して抗うだけが、方法ではないですよネ。水にプカプカ浮いてやり過ごして、水位が安定したところで、新たな陸地を探して移住するのも方法です。波の力を受け止めて吸収してエネルギーにすることだって可能。

 

B-29を迎撃して撃墜するだけが焼夷弾を防ぐ方法ではないでしょう。B-29に大空襲のミッションが発令されず、飛行基地から離陸しなければ、そもそも焼夷弾なんて投下されないんだし。

 

他の方法はいくつも考えつきますよネ。

 

 

 

私が恐れるのは、今、旧来技術の再整備をしてしまって、その再整備システムが定着した頃に、世界規模の映像技術の大転換期にさらされて対応できず、かえって「再整備した旧来技術のシステムが大きな足手まといになる」ことです。

 

「せっかく再整備した旧来システムだし、再整備にはお金も労力もかけたし、使い続けよう」と行動してしまって、技術変革の大チャンスを自ら潰してしまう結果を招く‥‥のだとしたら、再整備に着手することは本当に賢明な行動でしょうかね。

 

旧来技術の問題点の根本を見直さず、旧来の体制と体質のままでシステムの再整備をしてしまうことは、アニメ業界に対するオーバードーズになることだって大袈裟な例えではないでしょう。今がおかしい、今が苦しい‥‥と言って、「パブロンで誤魔化すのはやめましょう。代わりに、専門的な薬を処方しますから。」と言ってその通りに行動しても、本当に「今の生活」から抜け出せるのでしょうかね。

 

「データのやりとりがなっとらん!」とばかりに取り組んじゃって、結果、旧来から続く理不尽な一律単価制度や細分化による少額な報酬まで未来に受け継ぐ温床になるのなら、少なくとも私自身は旧来の制作システムに関しては「行き着くところまで行けば良い」と思います。残酷な物言いですが、もうこの方法ではダメだと破綻と破滅を経験しないと、どうしても納得できないこともありましょう。

 

 

わからない人はもちろん、見識と経験を豊富に持つ「わかっている」人でも、古い世代技術で見識がストップしていれば、大波よりも遥かに低い堤防を作って「これで災害は防げる」と思い込んでしまいます。そして、人々の自浄能力を骨抜きにしてしまう結果をも招きます。

 

どんどん変わる「世界の気候」情報をリアルタイムで吸収しながら、見識や知識、意識やドクトリンを更新していくことが必要だと思っています。

 

 

 

 



calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM